2006年11月22日
久々更新このコーナーっと。
今日は↓の選手について書いていきたいと思います。
旧、海外組の。
小野伸二(浦和レッズ 元フェイエノールト)
:少年時代から常に「天才」と呼ばれ続けてきたサッカー少年。
そのボール扱いはおそらく日本のサッカー選手の中でトップに君臨するであろう実力者です。
ポジションはボランチ・・・トップ下どちらもできますが、一番彼が輝ける場所は、イタリア代表のピルロなどにも代表されるレジスタというポジション。
センターハーフであろうかと思います。
常に少年の頃から各年代で日本代表に選出されてきた小野は、将来の日本を背負って立つ人材と評され、U-16ではアジアユース優勝など、輝かしい成績を残し続け、日本がW杯に初出場した1998年フランス大会にも最年少でデビューするなど、世界レベルも経験し、所属チームの浦和ではデビューの年に新人王とベストイレブンを受賞するなど、格の違いを見せ付けていました。
そんな小野も怪我にサッカー人生は付きまとわれます。
シドニーオリッピックのアジア予選で左ヒザが悲鳴をあげると、なんとか出場してJ2に降格したレッズを1年でJ1へ昇格させる義務を果たします。
そして2001年のコンフェデレーションズカップに出場すると、オランダの名門チームである「フェイエノールト」に移籍が決定します。
フェイエではレギュラー格として1年目はリーグ戦30試合に出場に出場し、2002年には大きな大会であるUEFAカップ優勝と、小野にとっては2回目となるW杯・日韓大会の代表に選ばれ、虫垂炎を負いながらも、全4試合に出場し、日本のベスト16進出に貢献します。
キャリアは順風満帆とはいきません。
2003年には負傷しがちで、徐々に出場機会も減っていき、2006年の最初に古巣であるレッズへの復帰が決まりました。
類まれなるパスセンス。ベルベットパスとも呼ばれる柔らかいタッチからの決定的場面を作り出すことに長けた小野伸二。
時にプレーが軽いとも評されますが、豊富なアイディアを駆使し、観客を楽しませる、ある意味ロナウジーニョ的な役割の小野選手。
彼の海外移籍は成功だったでしょうか。
それは怪我に泣かされたという結果で終わってしまいました。
しかし、海外でしか得ることのできない貴重な経験を得た選手であることは確かです。
若いオシムジャパンですから、この先、経験豊富な選手に頼らざるを得ない場面と言うのは必ずやって来ます。
小野選手とてもうW杯に3大会連続で出場している「ベテラン」です。
道に迷ったときは、明るく照らしてやって導いてあげるのも良いかと思いますよ。
posted by unitedexciting |20:22 |
海外組 |
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2006年11月11日
稲本潤一:日本が生んだ万能型ボランチの稲本君。
日本でのキャリアはガンバ大阪一筋で、ジュニアユースの頃から大阪でプレーしていました。
やがて頭角を現しだすと、フル代表のアジアカップ優勝や、コンフェデレーションズカップでの活躍を機に、あのイギリスの名門であるアーセナルに引き抜かれます。当時2001年でした。
その翌年にはトルシエ監督率いる2002W杯メンバーに選出され、2ゴールをマークするなどして一躍世界に名が広まり、アーセナルではあまり出番の無かった時間に終止符を打ち、同国のフラムで活躍を誓います。
欧州の中位チームが参加する大会であるインタートト杯の決勝で、稲本はボローニャ相手にハットトリックを決めるなどし、完全移籍の追い風となりますが、2004年に左足を骨折してしまい、白紙に・・・。
その後は同国のウェスト・ブロムウィッチや同国2部のカーディフなどでプレーし、ジーコ率いる2006年W杯にもブラジル戦で先発出場。
能力の高さを見せつけ、大会後にトルコの強豪チームである、ガラタサライに
移籍し、チャンピオンズリーグにも出場しています。
今では完全にレギュラー格で、監督の信頼も厚い稲本君。
献身的なDFとそこから繰り出されるミドルシュートや飛び出しには目を見張るものがあります。
今後はもっとアピールして、オシムジャパンでも活躍していって欲しいです。
posted by unitedexciting |14:22 |
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2006年11月09日
ついこの間まで、柳沢とか中田とかが苦しんでた海外でのレギュラー取り。
今日は海外に挑戦した「最近」の選手達について少し話したいと思います。
そもそもJで活躍→代表に選出→代表で活躍→海外クラブへ移籍。
の図式で成り立ってるワケですが、まぁ例外もいるんですよね。
森本や平山が過去そうだったように、若い頃から期待され、青田買いで海外に流出していった選手らもいるワケで・・・。
現在は結構な数の選手が海外に挑戦し、日本にいる僕たちも活躍した結果が聞けることが一番だと思うのですが。
さて、過去の日本人プレーヤーと現在のプレーヤーも検証していってみましょう。
中田英寿:W杯ドイツ大会を最後に現役引退を惜しまれつつもしてしまったヒデ。彼は1998年にフランスW杯に出場し、若いながらもチームをまとめ、大会後にイタリアのペルージャに移籍します。
そのペルージャのデビュー戦のユベントス戦で2ゴールという鮮烈なデビューを飾ると、そのシーズンにオーバーヘッドでのゴールを含め、10ゴールを挙げる活躍をします。
その3年後には国内のASローマに移籍しますが、絶対的なスターのトッティとの共存は難しく、翌年に国内のパルマに移籍を余儀なくされます。
そのパルマではコンスタントに出場し、カップ戦優勝に貢献します。
2002年W杯に出場し、翌年に今度は国内のボローニャに移籍し、ボランチとしてアシストを決め続けるなど貢献しますが、徐々に活躍の場を失い始め、今度はフィオレンティーナに移籍します。
フィオレンティーナでは活躍を見せられず、現役最後のクラブチームとなったのはイギリスのボルトンでした。
そのボルトンではコンスタントに出場しましたが、結果を残せず。
これで中田の挑戦は終わりました。
日本の絶対的な大スターのヒデでさえ、海外ではポジションのこともありますが、活躍は残せなかった海外。イタリア語、英語がペラペラでコミュニケーション面では問題無かったハズですが・・・。
柳沢敦:中学時代からユース年代の代表に選ばれ続けた柳沢は、点をとらないFWとして?価値が高く、動き出しと味方を生かすプレーを心得た奇抜なスタイルのFWですが、そのスタイルは今現在でも賛否両論です。
高校で活躍し、鹿島に移籍した柳沢は、2003年にイタリアのサンプドリアに移籍します。しかし、1年目では15試合に出場し、得点は0と厳しい結果で、翌年に国内のメッシーナに移籍します。
右MFとしてメッシーナではプレーの幅を広げた柳沢だけど、肝心のゴールが奪えず、2シーズンプレーした後、鹿島にカムバックすることに・・・。
FWはゴールを奪うか奪わないかで全てが決まってしまうポジションだと思っていますが、柳沢みたいなスタイルもアリかな。と。でも、海外に移籍した場合、外国人枠もありますし、助っ人というコトで、FWとなるとゴールを奪うことを一番に求められると思います。
柳沢のようなスタイルの選手は物好きの監督がフォーメーションにあったチームでないと起用され続けないでしょう。
それでは・・・ちょくちょくこのコーナー続けさせてもらいます。
駄文で非常に恐縮です・・。
posted by unitedexciting |18:03 |
海外組 |
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