2008年09月30日

「ネーミングライツの功罪」その1 ~アメリカでの実例検証

今年2月3日、アメリカ・アリゾナ州グレンデールで、NFLの最高峰、スーパーボウルが開催されました。会場は、フェニックス大学スタジアム(University of Phoenix Stadium)。テレビ中継を見ていて、「今年は大学のスタジアムが会場なのか?」と思った人も多かったと思います。実は、このスタジアムは、ネーミングライツ制度によって、フェニックス大学がその権利を取得したものです。2006年8月に開館したこの新スタジアムは、NFLアリゾナ・カージナルスの本拠地であり、63,400席もの客席を有し、仮設拡張により、最大で約1万席を増設することが可能な多目的スタジアムです。そして、ビジネスウィーク誌に10大スポーツ施設のひとつとしても取り上げられるほどの設備も、数多く備えています。日本の札幌ドームのように、天然芝のグラウンドが屋外に移動できる他、開閉式の屋根も備えてあります。興行面でも、88ものラグジュアリーロフトと呼ばれるスイートルームがあり、更に拡張できる余地があるとのことです。NFLチームの本拠地としてだけではなく、スーパーボウルのようなビッグイベントの開催にも支障がないように、あらゆる面で最新の設備が備えられているこの“フェニックス大学スタジアム”は、まさに、ネーミングライツを導入するに相応しい素晴らしいスポーツ施設といえるでしょう。伝統はないとしても、品格や施設の素晴らしさ、そして建物全体のイメージも近未来的な様相を呈し、まさにアメリカ10大スポーツ施設です。

さて、素朴な疑問として、大学がスポーツ施設に名前を付けて、何のメリットがあるのか?、と考えるのが当然ですが、ネーミングライツの導入例が多々あるアメリカでも、こうしたケースは珍しいのではないでしょうか。大学がネーミングライツを取得したと言っても、このスタジアムを大学が自由に利用できるということではありません。20年契約で、約165億円。1年当たりに換算すると、約8億2,500万円もの契約金を支払うことの対価は、実は、フェニックス大学の特性にあるのです。フェニックス大学は、1978年の大学創設以来、通信教育に力を入れており、在宅学習だけで学位を取得できます。また、1989年からは、インターネットを利用した「オンラインキャンパス」を開設し、随時入学が可能だと言うことです。受講者の平均年齢は30歳代後半と言いますから、社会人入学なんかも多いのかもしれません。ここまで言えば、ネーミングライツ取得のための年間8億円以上もの費用も、納得できるでしょう。大学という教育機関としてのステイタスを築く上でも、より多くの受講者を募るためにも、アメリカを代表するスポーツ施設に付された大学の名称が、大きな効果をもたらすことは想像に難くありません。ネーミングライツ導入前の名称は、本拠地とするチームの名称を取って、カージナルススタジアムでした。カージナルスの名に代わってフェニックス大学と付されるのですから、誰が見てもマイナス面はありません。

一方で、ネーミングライツ制度を利用したこのスタジアムの所有者であるアリゾナ州スポーツ観光局は、どのような意図があったのでしょうか。プロジェクトの総額は、約490億円。この内、スタジアム建設に約420億円。その他は、周辺の土地改良や整備に使われています。費用の負担を見ると、アリゾナ州スポーツ観光局は、約325億円。本拠地として使用するカージナルス球団が約155億円。そして、グレンデール市が約10億円負担しています。つまり、単純に行政としての負担は、10億円しかない、ということなのです。では、アリゾナ州スポーツ観光局の負担はと言うと、これは、施設の所有者として、施設の有効活用と運用を通じて、投資額を回収するわけですから、スポーツと観光事業の活性化と促進という側面からは、まさに一般企業が所有する場合と、ビジネススキーム上は大差がないように私には見えます。スーパーボウル以外にも、大学フットボールゲームのビッグゲームが毎年のように予定されていますし、観光都市のランドマークとしても、大きな宣伝効果があるのではないでしょうか。フェニックス大学からのネーミングライツフィーは、年間にすれば8億円強の金額ですが、20年で165億円と言うことは、アリゾナ州スポーツ観光局の負担額の約半分に相当します。20年間ですべてのプロジェクトの費用を回収する計画としても、既に165億円が見えているとすれば、非常に効率の良い施設運営も可能になります。アメリカでのネーミングライツ制度は、その多くはスポーツ施設や文化施設の改修や建て直し費用の負担を、代替するために用いられるのが一般的です。だからこそ、巨額な費用が表面化しがちです。しかし、その契約期間は、10年未満と言うのは稀なのです。つまり、長期期間による契約が前提なので、1年当りの費用に換算すると、どれも妥当なレベルの金額になることが分かります。この点が、別に述べる日本のケースとの大きな違いとなるでしょう。また、日本のネーミングライツに対する認識の甘さを露呈する根本の課題でもあります。

ネーミングライツとは、1970年代にアメリカで始まった制度のようです。そして、1980年代には、プロスポーツ界の市場拡大に呼応するかのように新しいスタジアムやアリーナの建設が進み、こうした費用の負担を代替する手段として数多くのケースでネーミングライツ制度が用いられるようになったとのことです。日本語に訳すと、命名権となりますが、以上の背景から、「ネーミングライツ」という言葉は、命名権という日本語訳の言葉そのものを表すのではなく、スポーツなどの施設に対する命名権を特に象徴するものと考えるのが一般的なようです。日本でも数多くの導入例が見られるようになりましたが、果たしてその中身はどうなのか、興味が沸くところです。

ちなみに、フェニックス大学は、かなり難易度が高い大学のようです。日本の通信教育のように甘く考えていると、日常の授業やレポートですらついていけない、ということも聞きました。「名は体をあらわす」と言いますが、ネーミングライツも、権利を売る側も、権利を買う側も、お互いが高い意識で取り組まないと成功はないのですね。

posted by umekichihouse |06:11 | イベントオペレーション | コメント(0) | トラックバック(0)
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2008年09月29日

あるフットサル選手に見るアスリートとしての真のプロフェッショナル精神

朝日新聞スポーツ面に、毎週火曜日、「フットサル道を行く」というコラムが掲載されています。Fリーグ、バルドラール浦安所属の日本代表、藤井選手の執筆によるものです。Fリーグは、昨年開幕したフットサルのトップリーグであり、現在8チームにより運営されています。しかし、プロ選手として活動しているのはごく一部の選手のみで、ほとんどの選手は仕事をしながら選手活動を行っているクラブチームによる全国リーグなのです。つまり、本格的なプロリーグではありません。ただし、このFリーグの姿は、企業チームに依存してきた日本のスポーツリーグの在り方に、一石を投じているものだと、私は個人的に感じています。もちろん、プロリーグとしてのJリーグの存在と、それによる日本国内でのサッカー市場の広がり、そして底辺層の拡大が、Fリーグ創設にも結びついていることは間違いありません。しかし、8つのクラブチームは、単にリーグ戦を行うだけではなく、チームの中に育成組織を設けて、ホームとする街や地域の中からトップ選手を生み出そうと活動していますし、スクール活動も活発に行っています。確かに、フットサルだけで選手生活が維持できるほどの競技環境、またはビジネス環境にはなっていませんので、チームからの報酬に多くは期待できないのが現状です。逆に、そこに彼らの、お金を得ることだけがプロスポーツ選手ではないのだ、という本当のプロフェッショナル精神を垣間見ることが出来るのです。

コラムの中で藤井選手は、こう述べています。「試合があれば必ず見に来たいという人を増やすには、どういうフットサルをすればいいのか。ファンサービスをどうすればいいのか。どうしたらフットサルの魅力を伝えることが出来るのか。考えることはたくさんある。その答えは、ただ勝てばいいというものではないと思う」。

これを読んだとき、単純に「凄いスポーツ選手だな」、と感じました。恐らく、日本のトップリーグと称される各種スポーツリーグの中で、しかも収入が保証されている企業チームではない競技環境の中で、これほどの意識の高い選手の言葉を、私は聞いたことがありません。プロとかアマとかいう問題ではなく、特定の競技のトップに立つ選手としての責任感と言うか、志と言うか、とにかく高い契約金や報酬だけを貰うのがプロだと認識している“自称一流選手”ちとはレベルが違いすぎます。フットサルというスポーツを、盛んにして、盛り上げて、多くの人たちが楽しむ環境を作って、そして応援してもらえるようになれば、自分たちもプロとして競技に専念できる。ひたすらフットサルに専念したいからこそ、その環境を作るためにはどうすればいいのかを、彼らは考えているのです。

多くの選手は、他に仕事をしながらフットサル選手としての生活を支えています。藤井選手のように、日本代表のメンバーであっても、それは変わりません。ただし、選手生活を前提として仕事をしていくには、時間的制約に悩まされることも多いようです。日本代表での海外遠征などで、長期の休暇を頻繁に取れるような甘い環境で仕事を続けさせてくれるような会社なんかないことを知っているからです。逆に、それを自分の甘えにしたくないようです。チームが運営するスクールのコーチをしたり、フットサル施設の整備や運営をしたり、時には大会運営の手伝いもする。もちろん、スポンサー探しも自分たちのために自らがセールスや交渉に出向くときも多いようです。逆に、間接的にでもフットサルと関わっていくことによって、その延長線上に、自らの競技環境を良くしていこうと言う明確な目標設定が出来るのかもしれません。
「お金を出してフットサルを見に来てくれる人がいるということがすべての土台。それが入場収入になり、スポンサーになる。選手はプロになり、昼からきちんとした体育館で練習ができる環境が整う。自分はゼロから始めたから、それがどれだけ大変なことかわかる」。
以前にも述べましたが、企業チームに依存したリーグには、収入や生活が保障されている環境の中にいる選手たちの、ある種の慢心がある気がします。つまり、お金を出して見に来てくれる人たちを、“お客さん”という見方をしていません。逆に、試合を見せているのだから金を払うのは同然、というような気持ちさえ伝わってくる時があります。選手だけでなく、試合を運営する競技団体の人たちにも言えることです。その気持ちが、ファンを無視した試合運営になり、どんなに白熱したゲームをしようが、やがてファンは離れていってしまう。そのことを、クラブチームという組織の中で、フットサルで食っていこうとしているFリーグの選手たちは、一番分かっているような気がします。彼らは、プロと言う称号ではなく、より多くの人たちにフットサルを支えてもらう、そして応援してもらえる環境を作りたいのです。そこで得られる報酬により、彼らの競技に専念できる環境が整えば、彼らはますます自分に磨きを掛けていくでしょう。そして、ますます若手の育成に力を注いでいくと思います。リーグ運営で得られる収益、そして育成や強化、更に、魅力あるゲームの創出。これらが如何に循環していくかが、スポーツリーグの発展のカギなのです。そのことを、いまは恵まれた環境にあるとはいえないFリーグの選手たちが、一番理解しているような気がします。

「Fリーグがあるからフットサルは大丈夫と思っていたら、あっという間にFリーグは廃れる。Fリーグの未来を自分たちで作らなければなくなってしまう、というぐらいの危機感と重圧を感じながらやらないといけない。感じられたら、一つ一つのプレーが変わってくるはず。練習の質が変わってくるはず。試合も変わるはず」。

9月30日から、ブラジルでFIFAフットサルワールドカップが開幕します。14名の選手たちは、日の丸を背負うと共に、フットサルの未来をも背負って世界に挑みます。初戦は、開催国にして優勝候補最有力のブラジル。Fリーグも中断して、全員日本代表の戦いを応援しているはずです。ぜひ意義ある成果が挙げられることを期待します。

posted by umekichihouse |05:33 | 日頃のあれこれ | コメント(0) | トラックバック(0)
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2008年09月28日

「テレビ界の苦境とスポーツ界の憂鬱」その4 ~デジタル放送時代のスポーツコンテンツ

前回取り上げたJリーグとスカパー!の契約は、2011年までのものです。そしてその2011年7月には、すべての地上波放送はデジタル放送に変わります。この時点で、我々のテレビの視聴環境は、どのように変わっているのでしょうか?。現在、既に地上波デジタル放送は開始され、デジタル放送対応受信機(テレビおよび専用チューナー)の普及率は、日本民間放送連盟の調べでは、今年6月で43.3%になるそうです。あと3年残されている中でこの数値が高いのか低いのかは分かりませんが、2011年7月には、100%になっているのでしょう。しかし、地方局などは、平均して40億とか50億もの設備投資を強いられたと聞きますし、「その1」で触れたようなCM不況の中では、これらの資金の回収もままならない状況にあり、全国127局の民放テレビ局も、再編の嵐に巻き込まれてしまうのか、と些か懸念する面も捨て切れません。夢のようなテレビ環境がやってくることだけを訴えるCMが放送されていますが、その裏では、前記のような投資の回収や制作コスト面での効率化を強いられている現場のテレビマンたちの苦悩があることを、ついつい想像してしまいます。

我が家では、まだデジタル化は進んでおらず、アナログテレビにスカパーチューナー、WOWOWデコーダー、BSチューナーなどが接続された状態です。どれを見るのも、録画するにも、いちいち外部入力を切り替える必要があり、デジタルテレビを楽しんでいらっしゃる人たちには、時代遅れの感じがするかもしれません。でも、時々考えるのですが、デジタルテレビ1台にCSやBSのチューナーが内蔵されていて、リモコンひとつで簡単に見たいチャンネルを選び出せるとしたら、地上波も衛星波も考えることはなくなるんでしょうね。もちろん、CSやBS用のアンテナは必要ですし、それぞれに視聴契約はあります。しかし、最近のマンションなどでは、アンテナが既に設置されていたり、ケーブルテレビが既に配線済みであったりするケースもありますから、そのような手間も要らないかもしれません。つまり、契約さえすれば、地上波と全く同じ環境で、チャンネル切り替えだけでCSやBS放送を視聴できることになり、特にスカパー!やWOWOWなどの有料放送への加入は、促進されるのではないかと考えるのです。

もしかすると、スカパー!がJリーグと締結した大型契約の真意とは、ここにあったのでしょうか?。

現状で、日本国内のスポーツリーグのほとんどは、CS放送のスポーツ専門のチャンネルで放送されています。バレーボールのVプレミアリーグのファイナル(NHK総合および衛星第一放送)や、女子バスケットボールWリーグのプレイオフ(NHK衛星第一放送)などは、地上波やCS放送よりも視聴世帯が多いBS放送で中継されるケースもありますが、それでも、テレビ中継されるリーグ戦の試合はほとんどすべてCS放送によるものです。J SPORTS、スカイ・Asports+、CSフジ739です。プロバスケットボール独立リーグのbjリーグは、GAORAでの放送をメインとしているようです。これらチャンネルを視聴するためには、個別に視聴契約必要とするため、ちょっと見てみたいと考えても、月単位の契約をしなければ見ることは出来ません。よって、いくらチャンネル切り替えだけで試合中継を見れる環境にあったとしても、視聴契約料を支払わなければ、実際には見ることは出来ません。当たり前のことですが、もし、各リーグがそれぞれのスポーツを普及するために、また育成していくことを目的のひとつとしてリーグを運営しているとするならば、リーグファンに「テレビ中継もお楽しみください」と言うのは、有料チャンネルにぜひ加入してください、というセールストークに過ぎなくなるのではないでしょうか。もちろん、地上波放送や無料のBS放送で放送してくれない事情があるからこそ、少しでもテレビ放送機会を増やしてファンを広げようとする意志は伝わってきます。しかし、放送している各チャンネルの意図は、あくまでも視聴契約の増加を狙ったビジネスであり、それは、前回述べたスカパー!のJリーグに対する狙いと大差ありません。

最近では、インターネット放送(IP放送)と言われるブロードバンド回線を通じたテレビ放送も行われています。コンテンツ毎の視聴契約制のものもありますし、レンタルビデオのようなオンデマンド式のものもあります。無料で視聴できるサービスもあり、民放テレビ局もこの分野には注目しつつあります。一部では、既に自社のWEBサイト上でサービスを開始しているケースもあるようです。テレビ放送事業のライバルとされていたインターネットが、テレビ局の別の事業の一面を担うようになる時代も、それほど遠い将来ではなく、必ず来る気がします。数年前、フジテレビやTBSの株式取得を巡って、世間を騒がしたことがありましたが、その時盛んに言われ続けていたのは、“テレビとネットの融合”ということでした。インターネットがテレビ事業の脅威となる一方で、テレビの新しい事業分野をインターネットが作り出すかもしれない。そんなことは、テレビ関係者は誰しもが「まさか」としか考えてはいなかったでしょう。しかも、テレビ局自らがインターネット放送に乗り出すとは・・・。

デジタルテレビ時代は、インターネットを含めて、放送事業のビジネスモデルそのものを変えていく可能性も秘めているのだと思います。そこには、単なる広告収入に依存した経営以外に、CS放送のような課金による加入者を募って運用されるサービスが生まれるかもしれません。スポーツは、どんなスポーツでも、そのライブ性を最大の魅力として、決してストーリーを描くことの出来ないドラマティックな側面も秘めているコンテンツです。そして、テレビが求める、というよりは、テレビ視聴者が求める魅力的なコンテンツであることも確かです。だからこそ、スポーツ界は、スポーツリーグは、デジタルコンテンツとしてのスポーツの魅力を、もっと真剣に模索して行かなければならないのだと思います。つまり、スポーツのあり方そのものが問われる時代になる、ということだと、私は考えています。

posted by umekichihouse |05:55 | メディアとスポーツ | コメント(0) | トラックバック(18)
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2008年09月27日

「テレビ界の苦境とスポーツ界の憂鬱」その3 ~Jリーグ放送権契約に見るCS放送の捉え方

NHK地上波放送による全国放送は、5回。TBSによる関東エリアでの地上波放送は、4回。TBS系BS放送のBS-iを含めたBS放送は、53回。NHK各エリア毎のローカル放送が、18回。その他、民放地上波放送でのローカル放送が、113回。以上が、今季のJリーグディビジョン1におけるCS放送以外での試合中継の実績および予定です。あくまでも机上での拾い出しなので、実際の放送実績とは多少異なる場合もあると思いますが、一昨年締結されたJリーグのテレビ放送権契約の結末が、以上の内容となります。2002年からの5年契約では、NHKが全体の40%程度を賄い、テレビ放送の主導権を握っていたようですが、契約更新時に、約半額もの減額提示があり、Jリーグは、それまでの実績を維持するために、CS放送のスカイパーフェクTVと、それまでの3倍近くの金額にあたる大型契約を結んだ経緯があります。年間で約50億円と言われるJリーグの放送権料の約6割を、CS放送のスカパー!が賄うことになったわけです。契約では、CS放送での独占権はもちろんのこと、全試合のライブ放送の優先権もあり、必然的に、地上波放送も録画放送を強いられる環境の中では放送回数も減ることになり、また、全国をカバーするBS放送も、すべてをライブ中継できなくなりました。確かに、ディビジョン1だけでも、全34節、306試合をすべてテレビ放送という形でファンは楽しめることになったわけですが、あくまでも視聴契約を前提とするCS放送でしか見られなくなった環境で、果たしてJリーグファンやサポーターは本当に満足しているのでしょうか?。

Jリーグの年間運営費の約半分もの収入を賄うテレビ放送権を減らすことは、各チームへのリーグ分配金を減らすことにもなるため、リーグ全体の繁栄と言う観点では、やむなしとする見解もあることでしょう。しかし、スポーツをより普及し、底辺層をより拡大し、サッカーをより魅力あるスポーツとして育てていくためには、日本全国でJリーグがテレビ観戦できる環境を整えることも、一方では重要なことだったと考えます。サッカー関係者の中での賛否両論の意見を見たり聞いたりしましたが、そこに難しい決断があったことは、容易に想像がつきます。

CS放送の良し悪しを論議するのではありません。課題とすべきなのは、特定の視聴可能な人たちのみの特権として、Jリーグのテレビ中継があるならば、それは、単なるビジネスであり、サッカーの普及や育成と言う観点と切り離したところで考えられているのではないか、ということです。少なくとも、スカパー!主導型のテレビ放送契約を結んだJリーグには、プロリーグとしての命題のひとつを失わせた責任があるような気がします。それは、スポーツとしてのサッカーの普及と育成です。私の個人的な意見ですが、現状の年間50億円と言う金額は、J2も含めて年間620試合あるリーグ戦の放映権としては、単価レベルで考えると決してバカ高いものではありません。(1試合単価 約800万円)しかし、それはあくまでも平均値と言う数字を見てのことであり、J1とJ2では、その価値が大きく異なって当然ですし、J2に限って言えば、放送権料がどれほどのものが適正なのかは、正直に言って明解な答えはありません。平均1万人にも満たないJ2と、その倍の数へと年々入場者を伸ばしつつあるJ1を、単純に比較するのも無理があります。ただ言えることは、50億円と言う金額規模を維持することだけを画策したビジネス目線の結果だった、ということです。つまり、目先のリーグ経営のみに軸足を置いて結論を見出した、ということですね。

Jリーグスポンサーには、こうしたテレビ放送環境の変化に対して、何らかの不満や要請は、リーグに対してないのでしょうか?。スポンサーにとっても、CS放送主導のテレビ放送体制は、ピッチサイドに広告看板を掲出する効果を狙う点においては、視聴者の数や視聴者の顔というものが非常に意識される対象になると思います。サッカーが好きであるとか、サッカーを応援しているとかいう人たちだけがスポンサーのターゲットであるならば、それほど気にしません。しかし、いまやJリーグは日本のスポーツ界を牽引するひとつの大きな力を持つプロリーグになりつつあります。それだけの影響力がある、ということです。だからこそ、リーグスポンサー各社は、高いスポンサーフィーを支払い、リーグの試合を通して、広告活動を展開したり、マーケティング機会を模索しているのだと思います。彼らのターゲットは、サッカーフリークだけですか?。サポーターだけですか?。それは違いますよね。Jリーグは、サッカーのみならず、多くのスポーツファンや、その周りの家族や友達にも影響をもたらす存在になりつつあることで、大きな波及効果が期待できます。だからこそ、Jリーグのリーグスポンサーの価値は高まるのだと思います。それが、サッカーを見たい人たちだけにしかテレビ放送が届かない環境になっているとしたら、それは、目的とは全く逆行する行為を、Jリーグはしていることになります。(参考: 現状のスカパー!の個人契約件数は約370万件)

私が関わったあるスポーツイベントのスポンサーが、こう言っていました。「テレビ中継があるからと言って、CS放送じゃ何人の人が見ているのかわからないじゃない。しかも、好きな人しか見てないんじゃ、会場の中の観客に対して何か仕掛けたほうがメリットがあるんじゃない!?」。明らかに、CS放送の価値を見抜いた発言です。CS放送の存在が良いか悪いか、という論点ではないのです。CS放送は、元々がターゲットをセグメントして視聴者を獲得していくビジネスモデルの上に成り立っています。つまり、地上波テレビの視聴率のように、視聴者の数の大小でメディアの価値を捉えようとはしていません。スカパー!は、契約初年度に、全620試合の内、547試合を自主制作しました。26社ものプロダクションと契約するなど、多額の制作費も負担しなければならなかったのです。これだけの負担を負っても放送権を取った理由とはどこにあるのか?。当然のことながら、視聴契約の増加を狙ってのことに違いありません。テレビというメディアカテゴリーの括りの中だけで、この課題は決して解決できないのがよく分かります。

posted by umekichihouse |05:47 | メディアとスポーツ | コメント(1) | トラックバック(0)
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2008年09月26日

「テレビ界の苦境とスポーツ界の憂鬱」その2 ~インターネットVSテレビ

テレビ局の広告収入は、大きく2つあります。ひとつは、番組と番組の間に放送されるスポットCM、もうひとつは、番組提供、つまりタイムCMです。スポットCMは、SB(Station Break)、つまり番組と番組の間の時間帯に流すものや、PT(Participating Time)、つまり番組内でタイムCMと一緒に流すものがあります。番組内では、番組の中間で提供チェンジと言うスポンサーの入替が行われるケースもあり、その隙間の時間で放送されるものもあります。スポットCMの売買は、1日の時間をA、B、Cなどのタイムランクに分けて、それぞれにCM単価が設定されています。しかし、スポットCMは1本単位で売買されるケースは、ほとんどありません。凡そは、GRP(Gross Rating Point)という視聴率の合計数値を用いて売買されます。3,000GRPという広告主からのリクエストに対して、テレビ局は、10%の視聴率が取れる時間帯に300本のCMを投下すると3,000GRPとなります。単純な例ですが、実際には、ターゲットに合わせた時間帯や放送期間を設定した上で、投下バランスを策定しますので、一概には言えませんが、考え方としては、その通りになります。つまり、単価が低い時間帯のCタイムで視聴率が高ければ、CMを投下する本数が少なくなり、そのテレビ局は、別のCMをより多く投下することが出来るため、広告収入を高めることが出来る、という訳です。逆に、視聴率が低ければ、GRPに見合うCM本数を投下しなければならなくなり、他に投下すべきCMすら削らざるを得ません。従って、広告収入は減少します。先に述べたCM単価は、基準でしかなく、CMの実際の単価は、視聴率に応じて変動しているのです。

テレビ局にとっての視聴率の重要性は、スポットCMの単価を左右していることである、と理解できますが、現在のスポットCM不況は、単純に視聴率の低下だけが起因しているようではないようです。インターネットというメディアとしてのライバルの台頭です。日経広告研究所が発表している今年度の広告費の伸張状況は、マイナス3.8%。テレビにおいては、5.7%減という予測を立てています。2007年度の媒体別広告費(電通調べ)の内容を見ると、テレビは約2兆円で全体の29%弱という規模です。そして、前年比0.9%減となっていますから、今年度の減少予測規模が如何に大きいかがわかります。では、成長している分野はないのか、というと、実は前年比で26%以上も伸びているものがあります。インターネット広告です。金額規模としては、制作費も含めると約6,000億円。テレビの1/3以下の規模に過ぎませんが、その金額は、雑誌広告の1.3倍、ラジオにいたっては3.7倍もの規模になっているのです。前年比割れが続く新聞広告が約9,500億円ですから、その差はまだあるように見えますが、成長率の差から考えると、逆転する日もそれほど遠くないようにも思えます。つまり、インターネットは、テレビに次ぐマスメディアに成長する可能性が見えている、ということです。

テレビは、速報性に優れたメディアである、という認識が過去にはありました。技術が進化して、文字やアナウンスだけの臨時ニュースから、映像もすぐに流せる体制もできており、テレビというメディアの強さが際立った時代もありました。しかし、インターネットは、その速報性という点でも、映像という点でも、テレビとの差異はなくなりつつあると感じます。逆に、速報性やリアルタイムでの試合速報は、完全にテレビ以上のメディアだと言えます。スポーツのライブ性や、やって見なければ結果は分からないリアリティ性は、インターネットでのライブ中継システムが、いまは見事にユーザーのニーズに応えています。映像による生中継も可能になりました。逆に、インターネットによる放送権の在り方に関する問題すら浮上する時代になっています。こうした中で、テレビによるスポーツ中継は、もはや生中継にその価値を見出していく以上に、何か別の付加価値を見出さなければならない時代になってきています。より臨場感を持ってスポーツの迫力を伝える制作技術、より鮮明な映像テクノロジー、そして豊富な情報と的確なその伝達技術など・・・。しかし、これには、またまた膨大にコストが掛かります。頻繁に使用するわけにはいきません。そして更に、前回述べたような制作費の削減という課題にも直面しているのです。ましてや、視聴率やコストの関係で取らざるを得ない録画中継などは、現状のテレビ局におけるスポーツ中継の中では、完全に負け戦にしか見えません。放送したいと言う需要に応じた収入を得るための手段として放送しているだけ、というのは言い過ぎでしょうか?。CS放送によるスポーツ中継の増大は、そんな地上波放送の隙間をついた結果かもしれません。

プライバシー問題や個人情報保護の観点から、最近では、インターネット広告の行動ターゲッティングなどの戦術分野の有効性が取り上げられるようになりましたが、テレビにはない明確なターゲットに向けての広告活動が可能になり、また、低い単価で成果報酬的な課金制度があるインターネット広告に、その需要はまだまだ集まり続ける気がします。テレビCMの単価下落による広告費の浮いた分を、インターネット広告に注ぎ込む広告主も少なくないと聞きます。もちろん、企業のコミュニケーション戦略は、現状のテレビCMを見ても、インターネットを軸として構築されつつあることは一目瞭然です。CMの最後に、検索ワードを表し、視聴者を検索サイトから自らのWEBサイトへ導く手法は、いまや当たり前のように見ることが出来ます。テレビCMは、いまやイーターネットへ誘導するための補完的メディアとして位置付けられているのでしょうか?。もちろん、全国ネットで10%取れば1,000万人と言う視聴者にアクセスできる、という理論上の方程式はまだ存在していると思います。しかし、その1/100の人であっても、しっかりと顔が見えている消費者と向き合える機会を創出するインターネットと言うメディアの利点は、テレビの“規模”や“速報性”のみを背景とした利点を、完全に別の次元で凌駕しつつあるかもしれません。

posted by umekichihouse |06:49 | メディアとスポーツ | コメント(2) | トラックバック(1)
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2008年09月25日

「テレビ界の苦境とスポーツ界の憂鬱」その1 ~CM不況とスポーツへのしわ寄せ

北京五輪期間中に書いたブログでも取り上げましたが、スポーツは、テレビなどのメディアによる報道や、テレビやラジオ放送による試合中継の影響を大きく受けます。政治、経済、事件などの報道と比べると、単なる情報を伝えると言う側面以外に、スポーツには、エモーショナルな部分、つまり、感動や喜び、悔しさなどの感情という側面が常に付き纏うからだと思います。そして、メディアには、スポーツの魅力を伝える力がある一方で、そのひとつひとつの情報の取り扱い方次第では、スポーツの存在価値や存在意義にさえ強い影響を及ぼす“反作用の力”もあります。「生かすも殺すもテレビ次第」。いま、それ以上の難題が、テレビ界とスポーツ界に忍び寄りつつあるのです。

スポーツ中継やスポーツ報道のあり方は、北京五輪後も、あちこちで論議されていました。オリンピックの機会でしか取り上げられないようなスポーツは、オリンピックで脚光を浴びることで、その後の競技人口の底辺の拡大を目指そうとしますし、フェンシングなどのように、全く予想もしていなかった躍進から、一躍脚光を浴び、注目されるようになった競技もあります。逆に、あれだけ期待されていたバレーボールは、全くメディアの舞台から消え去りました。もちろん、一時的な現象だと思いますが、メディアによる報道の力や、テレビやラジオによる試合中継の波及力は、スポーツならではのファン心理や人気というエモーショナルな人間の感性に強く影響することを、まざまざと見せ付けています。だからこそ、メディアには、スポーツをしっかり支える姿勢を持っていただきたいですし、強い影響力があることを、しっかり自覚していただきたいと考えます。“テレビ次第”というのは大袈裟ですが、それだけスポーツとテレビ、そしてメディアの関係は、社会にある他の何よりも、ある意味で純粋で、ある意味で経済観念を無視したものが、時には求められるものなのだと思います。そして、そうあって欲しい、と私は考えています。

しかし、そのメディアが、広告不況の煽りを受けて、各社の経営環境を悪化させつつあります。特に、テレビ業界は、昨年以降、主力事業である放送事業における広告収入を大きく減退させており、今年度の中間決算を迎える時期となったいまでも、その下降線は続いています。民放テレビ局の飯の種とも言われるスポットCM収入は、今季の第一四半期でも、前期比で10~15%の落ち込みがあり、営業収益を最大で7割近くも落としています。この影響で、最も懸念されるのが、制作費の削減であり、最も影響を受けやすいのが、スポーツイベントの放送機会が減少することなのです。映画などと同様に放送権料の負担に関する懸念もありますが、それよりも、金額的に流動的な性格を持つスポーツイベントの中継に掛かる制作費の負担の方がクローズアップされやすいのです。

私の経験の中でも、マイナースポーツのテレビ中継などをお願いする場合などでは、テレビ局は、自前での費用回収のための営業はしてくれません。所謂、番組の成立に関わるすべての費用を“持ち込み”または“買い切り”という手法で、イベント主催者やその代理人である広告代理店に負担させるのが一般的です。15%前後の高目と言われる視聴率を狙うことが確実視されるような話題性のあるものや、テレビ局がイベントや大会の興行権をもって運営するようなものは別として、5%も期待できないようなスポーツイベントは、いくら金額を積んだとしても、期待するような時間帯で、しかも生中継と言う高コストな制作体制は組んでくれません。視聴率が見込めないということは、テレビ局全体として、飯の種であるスポットCMで稼げないからです。

テレビ広告は、在京キー局を始めとして、どの民放テレビ局にとっても、その経営の屋台骨を支える収入源です。音楽出版事業や映画製作などのその他の事業の収益率を上げて、収入構造全体を変えていこうとする動きは、最近ニュース報道などでも目にしますが、それはつまり、従来の広告収入に依存しない経営環境を作ろうとするものです。広告市場は、所謂景気に大きく左右されますし、また、今回のリーマンブラザーズの破綻などに端を発する経済環境の悪化や、先の原油高などによる企業のコスト増を受けての広告費削減などの、予期せぬ事態によるものも多々あります。何れにしても、すべてを予測して備えていくことは、広告収入に頼る限り、無理であると言わざるを得ません。来春には、日本で最大の広告費を誇るトヨタ自動車が、メディア費用を中心に、なんと3割もの広告費を削減すると発表しています。リーマンブラザーズの破綻に連鎖して、アメリカの大手保険会社のAIGの経営悪化は、日本での広告市場にも大きな影響をもたらすでしょう。そして、食品偽装や中国製食品の問題などにより、広告市場でも大きなウェイトを占める食品や生活用品にその累が及ぶとすると、日本の広告市場は、テレビのみならず、広告を大きな収入源とするすべてのメディアの経営環境を逼迫される恐れさえあります。

こうした中で、新しいコンテンツに取り組んでいこうとか、放送体制を拡大しようとかいう機運が、テレビ業界にあるはずもありません。一番影響受けるのは、スポーツであるような気がします。北京五輪は、広告不況を払拭する起爆剤としても期待されていたようですが、前回のアテネで上げた109億円の広告収入を上回る112億円は確保できたものの、それは8月だけのことで終わり、9月は再び不況の中に舞い戻る格好になっているとのことです。大企業が集中する東阪名の大都市圏も然ることながら、地方局の苦悩振りは、その数倍以上のものであると聞きます。プロバスケットボールの独立リーグbjリーグ、日本バスケットボールリーグ、JBLに加盟する2つのプロ球団、そしてJ1の各チームにおいても、地方局でのローカル放送ですら、一部には、ゲーム主催者に金銭的負担を求めないと放送が出来ない、というケースも当たり前のようにあると聞きます。それは、視聴率だけの問題ではありません。そこには、CM単価の下落による制作コストをカバーすることすらできない悪循環も生み出されているのです。

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2008年09月24日

「スポーツビジネスを学びたい! と考えている方々へ」その4 ~オールラウンダー

チームスポーツでは、どのポジションでも器用にこなす選手がいます。そして、どのポジションでもそこそここなす選手もいれば、どれもかなりのレベルの高さでこなせるスーパーマンのような選手もたまにいます。ただ単に、所謂運動神経が良いとか、体格に恵まれている、というだけではなく、それぞれのポジションについての知識もあり、勝負勘というものも持ち合わせているような、スポーツセンスに優れている選手ですね。ただし、器用貧乏と言われるが如く、なかなかスペシャリストには成り切れない損な役回りの選手もいるようです。監督やコーチにとっては、非常に使い勝手がいい選手で、チームにとっては必要不可欠な選手なのですが、いざと言う時には、脇役に回ってしまう。しかし、そんな選手は、そのスポーツを意外と奥深くまで知っていて、将来、優れた指導者になる素質があるかもしれません。チーム全体を見通す力が、器用貧乏と言う利点を生かして、結構身についているかもしれないのです。

スポーツビジネスの現場でも、何でもこなしてくれるスタッフは、イベントやプロジェクトの現場の指揮を執る人たちにとっては、絶対に欲しい人材でしょうね。しかし、こうしたジェネラリストというのは、結構いろんなところにいるものです。専門性が低いことで、いろいろな仕事を経験させられる内に、結構幅広い分野の仕事を身につけることができている人たちです。特に、若手のスタッフに多い気がします。ただし、先のスポーツを例にした器用貧乏選手とは、少しニュアンスが異なります。一言で言えば、こうしたジェネラリストに対して、私は、起用貧乏な選手たちをオールラウンダーと呼びます。ジェネラリストとオールラウンダーの違いは、ひとつひとつの仕事や業務領域に対する知識や経験、そして応用力の差だと思います。具体的に言うと、ジェネラリストは、往々にして、それぞれの分野のスペシャリストたちをサポートする立場にはなりますが、その業務を牽引するまでの力はありません。しかし、オールラウンダーには、どの業務分野にも、スペシャリストと台頭に近いレベルでの知識や経験があることで、それぞれの業務を単独でも牽引できる力があります。レギュラー選手の変わりにそのポジションについた、というのではなく、元々どのポジションでもレギュラーになれる力があった、ということです。

スポーツチームと同様に、イベントやプロジェクトの現場では、業務分野別に立て組織になりがちな組織体制を、如何に横の連携で機能させていくかが、常に重大な課題となります。この課題を解決するためには、縦にある業務組織のすべてに精通して、横の連携を取る上でのバランス感覚を発揮できる人がいなくてはなりません。スペシャリストは、縦の組織に深く精通していますが、横の連携は、なかなか単独では取り辛いケースが多いのです。これを、オールラウンダーたちが、束ねて、全組織として機能させていくのです。ジェネラリストは、どのスペシャリストのサポートも出来ますが、スペシャリストたちに代わることは出来ない。よって、ここがオールラウンダーとの決定的な違いが出ます。

もし、スポーツビジネスを目指しているのならば、ジェネラリストになって多くの業務を経験してみたいですか?。それとも、専門性を高めたスペシャリストとしての道を歩みますか?。また、全体を極めてオールラウンダーとしての力を身につけていきたいですか?。

私の拙い経験から言わせて頂ければ、スポーツを自分のビジネス領域として取り組んでいく、またはいきたいと考えている人には、ぜひ、オールラウンダーになってもらいたいと思います。そのためには、普段は触れることもないような業務分野について、知識だけでなく、実践の中からノウハウを見に付けていく機会を見つけていかなければなりませんし、そのためには、日頃から、情報を的確にキャッチできるようにアンテナを張り巡らしていなければなりません。私の経験から言うと、やはり、放送やメディアに関しての業務分野は、客観的なものの見方をする機会しかなく、なかなか実践の場には近付けませんでした。そこで、普段のテレビ中継の様子から、また、スポーツ報道の状況から、画面の裏側にある現場の姿を知ることをテーマとして、まずはスポーツの試合の現場を数多く見るようにしました。グラウンド内のピッチやアリーナ内のコートを見るのではありません。その周りの設営的な構成、人の動き、物の流れなど、そのひとつひとつに必ず意味があるはずですから、何故そうなっているのかを自分なりに考え、その上で、さまざまな資料や書籍の中で検証してみました。

テレビ放送権を売ると、放送権料が発生しますが、それは同時に、その放送権を持つ放送局に対して、適正な放送制作環境を提供しなければならない、という義務も負う事も意味します。お金だけ貰って、後は勝手にどうぞ、という理屈は有り得ません。また、何のためのテレビ放送なのか、という本来の目的すら見えなくなってしまいます。素晴らしいテレビ中継は、スポーツを高い品質で伝えることを可能にして、更なるファンの拡大につなげていくことも可能にします。単なる収入源としての放送権料のためだけでなく、単なる視聴率のためだけでもない。よって、スポーツの現場では、テレビ放送に関する業務のウェイトが、非常に高くなります。人的にも、物質的にも・・・。メディアも同様です。取材に対する収入源と言うものはありませんが、メディアによる報道は、スポーツの価値をテレビにも増して高める力があり、その効果を最大限引き出すためには、メディアに対するより良い取材環境を提供しなければなりません。そのためには、メディアが必要とする環境を整えるための、独自のノウハウが必要になるのです。

月刊誌で「放送技術」という雑誌があります。テレビ制作の現場向けの専門誌なので、一般には目にすることもないでしょうが、私は、大きなスポーツイベントの特集の号は、必ず見るようにしています。テレビ制作者から見たスポーツイベントの姿と、最新のテレビ技術が知ることが出来ます。私の隠れた「ネタ本」です。

posted by umekichihouse |06:15 | イベントオペレーション | コメント(0) | トラックバック(0)
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2008年09月23日

「スポーツビジネスを学びたい! と考えている方々へ」その3 ~書類作成能力

どんなに素晴らしいアイディアを考えても、それを文書や書類の形の上で表現できなければ、それは単なる思い付きで終わってしまいます。スポーツビジネス云々の前に、すべてのビジネスで同じことが言えます。レポートひとつ書けなければ、自分がどんなに素晴らしい仕事や交渉をしたとしても、会社や組織、または部署全体として、その情報を共有することは出来ません。情報を共有できない、ということは、それまでしてきたことは、単なる独りよがり、ということにもなるのです。コンタクトレポート、セールスレポート、イベントの報告書や会場の視察報告書などなど・・・。私も随分レポートを作成しましたが、大きなイベントの際は、そのレポートだけで、厚さ10cmのファイルが3冊くらいになるときもあります。スポーツに限らず、イベント実施の際には、運営の情報や決め事を網羅した運営マニュアルというのを作成しますが、先程のレポートの束、というのは、最終的には運営マニュアルに掲載されるべき情報の塊でもあります。それらを編集し、再構成して使えるツールとして仕上げたものが、運営マニュアルになるのです。

イベントの実施や運営を専門としているプロダクションなどの人の中には、この運営マニュアルを作ることを目的に仕事をしがちな方が、度々いらっしゃいます。これは、全く逆ですよね。イベント運営に関する情報が集約されたものが運営マニュアルであって、それは、あくまでもイベントを運営するために存在するのです。運営マニュアルができたからと言って、イベントが成立するわけではありません。運営マニュアルは、情報を編集して使えるツールになるからこそ役に立つものであって、元になる情報が使えなければ、どんなに立派な体裁で作成しても、その運営マニュアルは、売れ残りの返品間近の雑誌や書籍と変わりありません。問題なのは、使える情報を如何にわかりやすく文書にするか、ということなのです。そして、その情報は、その業務を担当している人たちがそれぞれの立場で形にしていく必要があります。つまり、自分の考え方やノウハウ、経験による知識を使って、担当しているイベントを稼動させていくための情報を、独自に生み出していくための作業こそ大事なのです。

外資系のスポーツ用品メーカーに、イベントマネージャーとして勤務していた頃、ビジネスプランを作成することが最初の仕事でした。ブランド全体の成長のために、どのようなスポーツイベントを、どのように活用し、結果的に何を得ようとするのか・・・、などを、すべてを対象とするスポーツカテゴリーに分けて精査し、最も適切と思われるスポーツイベントにどのようにして参画していくかを、単年での計画、中期的な計画、そしてより長期に渡る計画と、それぞれにビジョンを設定して計画を練りました。また、外資系ですから、他国の例を参考にする場合もありますが、スポーツ環境もターゲットも微妙に異なるケースもあるため、あくまでも日本市場に見合う計画にしなければなりません。恐らく100ページは超えたと思いますが、現在でも継続して協賛したり参画しているイベントもありますので、当時自分が考えていたプランが、実際に機能しているのかどうかを第三者的に検証しながら、それらのイベントを見るのも、いまでも非常に勉強になっています。頭で考えたプランが活字として、または図表として形になっていますので、良い部分、間違っている部分が、一目瞭然です。

サッカーのトヨタカップのアルバイトで、その事務局で働く機会があったころは、運営マニュアルも手書きでした。ガリ版と言うわけではありませんが、結構原始的だったのです。当時としては当たり前だったのですが、手書きで情報を書き込んでいく、という作業は、意外に頭の中に記憶される確率が高いですよね。受験勉強もそうですが、天才や秀才でもない限り、とにかくノートを作ることを一生懸命やっていたように覚えています。ノートを作ることが目的ではないのですが、ノートを完成して見直すことはあまりありませんでした。時間切れ、ということもありましたが、ノートに文字を書く、ということで、結構記憶できたんだと思います。いまでは手書きの文書は、メモ書き以外にあまり見かけませんが、それでも、手書きでもタイプ打ちでも、アイディアや情報を活字にしておく作業と言うのは、自分自身の情報整理や、目的達成までのプロセスを精査する上でも、間違いなく役に立ちます。

自分の考えやアイディアを口頭で旨く伝えることに長けている人がいます。プレゼンテーションの場なんかでは、強い武器ですよね。私なんかは苦手な方なんですが・・・。ただし、いくら口頭で旨く伝えられても、それを文書にまとめたり整理できない人を、私はあまり信用しません。その場限りの思い付きかもしれませんし、その内容が、本当に吟味されたものかどうかもわからないからです。アイディアやプランを、どんな人が見ても分かり易く、見易く、整理されている文書と言うのは、その人が何を言いたいのか、何を考えているのかが、その人の個性とともに伝える力があります。その人のキャラクターが滲み出ますよね。よく選抜試験やコンテストなどで、作文を書かせるものがありますが、恐らく、文字を書かせたり、文書を作らせたりすると、その人の個性が読み取り易いのでしょう。文書を作成する際の、人それぞれの「やり方」みたいなものが、必ずありますから、仕事をする上で、さまざまな人の企画書や計画書を見るのが、内容の如何に関わらず、私は結構好きです。また、自分のスタイルと比較して、勉強になることも多々あります。

文書作成の手引きのようなガイド本も結構ありますが、私は、それぞれの個性を生かして、自分の考えをまとめ易い形を見つけるこことの方が大事だと思います。真似をするよりも、自分のやり方を見つけることの方が、文書にするという幾分苦痛に感じるような作業も、結構楽しくなるかもしれません。

posted by umekichihouse |06:04 | イベントオペレーション | コメント(0) | トラックバック(0)
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2008年09月22日

「スポーツビジネスを学びたい! と考えている方々へ」その2 ~営業経験の力

営業と言っても、それぞれの会社の業態や業種によって、その業務の内容はさまざまです。英語での肩書き表記を見れば、それぞれの業種によって、営業職としての業務内容が異なっていることが一目瞭然です。広告代理店などは“アカウント”という言葉を使いますし、メーカーなどは“セールス”という言葉を使います。前者は、物を売る業務と言うよりは、顧客の会社の宣伝予算を、最大限の効果を上げるためにどのように運用していくか、ということを営業と言う立場で管理し運用していくことから、そう呼ばれているのだと思います。アカウントプランナーとか、古くはアカウントエグゼクティブなんて呼ばれていました。一方後者は、自社製品を流通経路に流し、末端の消費者に届けるための橋渡し役的な立場だと思います。さまざまな業種があるので、一概には言い切れませんが、形のある物を売り込む、ということが前提になるでしょう。また、売り込む商品としては、サービスやシステムといった、形のないものが、いまのIT化時代には特に増えています。

営業について一言で言えるのは、いろいろな人、会社、組織、団体などに対して、常に交渉の最前線に立つ職種である、ということでしょう。どんなに素晴らしい商品やサービス、システムを開発しても、それを売り込まなければ会社の利益とはなりません。だからこそ、営業の持つ交渉力のレベルの高さは、会社の利益を上げていくための原動力にもなる、と言っても過言ではないと思います。それは、どんな業界でも変わらないのではないでしょうか。

私も、社会人になって四半世紀経ちますが、その半分以上の年月は、営業という立場で仕事をしていました。広告という業界の中で働く時間が長かったため、形のある製品を売る営業と言うのはあまり経験がありませんが、広告と言うのは始めから形はありませんから、そしてあらゆる形が生まれるものですから、結果的には、自分自身を売り込まないと成果は得られないわけです。そして信用を得た証として、取引が認められ、ようやく会社の利益に貢献できる、ということです。社会人1年生の春、スポーツが何とか商売にならないか考えていた私は、ある外資系のスポーツブランドを取り扱う商社に飛び込みで訪問しました。何度か足を運ぶうちに、先方の担当の方から、こう言われました。「100万円やるから、お前が最高だと思う企画を考えて来い」。課題として突きつけられたのは、テニス用品の売上を伸ばすための企画です。いまで言うと、コミュニケーション戦略を考えろ、ということです。当時勤務していた会社は、小規模な広告会社であったため、先輩の営業社員以外に、相談できる人はいません。マーケティングやクリエイティブなんて部署もあるはずもありません。全部、まずは一人で考えなければならなかったのです。結果として、提案した内容は、雑誌や新聞などの媒体資料や料金表を見ながら、それら広告媒体を組み合わせたものでした。正直言って、それしかできませんでした。そして、こう言われました。「これで売れると思うか?。もしお前がこの100万円を1円単位で効率よく使い切ったら、1億円を任せてもいい。1億というのは、100万円を100回使えばなくなってしまう。だから、100万円をうまく使いきれない奴に、1億は絶対に使いきれない」。

普通に考えれば、1億円の方が大きく効果のあることが出来そうに思えます。反して、100万円は、何をするにもそれほど効果のあることが出来ない、と決め付けていました。100万円で何が出来るのか、ということの前に、目的を達成するために、何をすべきなのか、ということを全く考えていなかったのです。もし“すべきこと”を明確に探り当てていたら、それを100回繰り返せば、効果は100倍になるかもしれません。50回繰り返して、後の50回は、少し手法を変えたら、その効果は150倍になるかもしれません。抽象的ですが、こうした作業の繰り返しの中で、常に交渉があり、その交渉相手は多岐に渡っていくのです。その最前線に営業はいる、と言うことです。

スポーツビジネスの世界には、交渉力なくして立ち向かうことは出来ない、と考えます。常に、人間対人間の交渉から、新しい物事が生まれていく世界だからです。スポーツエージェントは、それを絵に描いたような存在ですし、スポーツが生み出す各種権利を獲得するための交渉は、数年間に及ぶケースはざらにあります。あるスポーツマネジメントのスクールの内容を見ると、スポンサーシップのセールスシートの作り方、というのがありました。個人的には、何か家庭教師のイメージが浮かんでしまいましたが、スポンサーシップは、基本的な“売り”のメニューをただ組み合わせているものではありません。売り込み相手の業態や業種、経営方針や戦略に応じて、その構成や活用方法を具体的に提案できるもの出なければ、“売り物”にはなりません。売り込む相手が100社あったとしたら、100通りのセールスシートがあって当然です。そして、その内容をどのように構成するのが最良かを判断するモノサシが、営業としての日頃の交渉から掴む売り込み先のニーズです。相手が何を求めているのかが分からずに売り込んでも、時間の無駄です。これは、テクニックとして、いくら素晴らしい企画書やセールスシートを作り上げても、相手が何を求めているかを掴み取るための交渉努力を惜しんでいては、全く無意味になる場合もある、ということです。交渉の連続から、お互いにベストな状態で組み合う状況を見出していくこと、それが最も難しいことであり、最も重要なことでもあると、私は考えています。

スポーツイベントなんかでも、ありとあらゆる要素は、すべて交渉の上で成り立っています。始めから決まっていることと言えば、競技ルールくらいでしょうか。最善を求めるからこそ、交渉があるわけですし、その交渉の過程なくして、最善のものは求められません。そして、それは、営業的なセンスと交渉力のレベルが高いほど、人それぞれの可能性や能力をより高いレベルで引き出していけるリーダーシップという力を生み出す基礎になると考えています。

posted by umekichihouse |05:32 | イベントオペレーション | コメント(0) | トラックバック(0)
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2008年09月21日

「スポーツビジネスを学びたい! と考えている方々へ」番外編 ~私が得した本

実践現場主義、と前のブログで書きましたが、スポーツビジネスは、それほど歴史の古いものではありませんし、本当に学ぶべきケーススタディも、膨大にあるわけではありません。そこで、私が過去に読ませていただいて、参考になったり感銘を受けた書籍を幾つかご紹介したいと思います。決して、理論書や解説書ではありません。それぞれの本の中には、直接現場に関わった人たちの真実や、歴史の中に秘められた真実をひとつひとつ紐解いていったノンフィクションライターたちのスポーツを愛する気持ちが、必ずあるはずです。

◇「ワールドカップ 巨大ビジネスの裏側」 
著者:ジャックK.坂崎 (角川書店)
◇「フェアプレイ ワールドカップを売った日系人」 
著者:ジャックK.坂崎 (日経BP社)
◇「東京マラソン」 
著者:遠藤雅彦 (ベースボールマガジン社新書)
◇「スポーツエージェント アメリカの巨大産業を操る怪物たち」 
著者:梅田香子 (文春新書)
◇「オリンピックはなぜ、世界最大のイベントに成長したのか」(翻訳本) 
著者:マイケル・ペイン (サンクチュアリ出版)
◇「スポーツ中継 知られざるテレビマンたちの矜恃」 
著者:梅田明宏 (現代書館)
◇「アディダスVSプーマ」(翻訳本) 
著者:バーバラ・スミット (ランダムハウス講談社)
◇「東京マラソンの舞台裏」 
著者:川端康生 (枻出版社)
◇「エスキモーが氷を買うとき・・・奇跡のマーケティング」(翻訳本) 
著者:ジョン・スポールトラス (きこ書房)
◇「メダルなき勝者たち スポーツビジネスと戦う男たちの知恵と商魂」 
著者:茂木宏子 (ダイヤモンド社)

以上にご紹介したのは、ほんの一例ですが、すべてに共通しているのは、決して理論や解説ではないことです。著者であるご自身の体験や経験を語ってくれているもの、そして、ノンフィクションライターである著者の客観的な目から見た真実を記述したもの、なのです。

私自身も、私の経験の少なさを補うために、できる限り想像力を働かせ、そして自分自身が同じ立場にいたらどうしたか、ということを自問自答しながら読みました。頭の中では、ノンフィクション映画が上映しているかのごとく、場面場面の映像が臨場感溢れる新鮮さで渦を巻いていました。もちろん、文字には出来なかった苦汁の場面もあったのかもしれませんし、自分の事ながら、脚色しているかもしれません。しかし、それは、行間を感じ取れば分かります。その行間を読み取ることも、勉強みたいなものかもしれません。

イメージトレーニングは、スポーツ選手に限らず、ビジネスマンもプレゼンの前などにやるそうです。これからやろうとしている事を頭の中でイメージして、成功する自分の姿を最後にイメージできるようにして、自分自身に自信と勇気を持たせるための、一種の自己暗示のようなものですね。私も、大きなイベントの現場に臨むような時は、その計画段階から、自分をイベント会場の中でイメージしながら、実際に人を動かしながらシュミレーションすることを、常に行います。文字や図面だけでは、本当の意味で机上の空論になりがちです。ひとつひとつの設置物やスタッフの配置に、本当に意味があるのか、ないのかを、会場の中にいる状態をイメージしながら仮想検証するのです。これは、会場の施設や設備の状況が把握できているレベルによって精度は異なりますが、結構参考になります。

自分でこれは!と思う本に出会ったときも、それを読みながら、そこに書かれているイベント現場や仕事場の状況を、映画やドラマのように映像にして、頭の中で空想してみるのが、私のノンフィクションものの本の読み方です。活字の世界なんですが、リアルにイメージすることで、実際に体験したかのような気持ちにもなれますし、また、ノウハウ的なものは記憶に残り易くなります。ただし、映像でのノンフィクションを見ても、元々が映像で、それ以外でもそれ以下でもありませんから、自分の頭の中でイメージを広げるには、やはり私には無理があります。良い事でも、貴重なノウハウがそこにあったとしても、なかなか記憶の中に留めておくのは難しいです。やはり、本がいいですね。

上記に上げた本は、私自身の感覚で選んだものでしかありませんので、それぞれのお立場で、自分が求めている情報が掲載されている本を見つけていくことも、ある種の得手かもしれません。スポーツに限らず、情報を集め、選択し、分類して整理しておくことは、ビジネスの基本だ、と社会人になって先輩に教わりました。確かに、それは間違いではありませんし、必要な情報を逃さないようにすることは、如何に情報の選択と整理の能力があるか否かが問われることでもあります。ただ、もうひとつあります。それは、自然に自分が欲しい情報が集まってくるようにすることです。訳の分からないようなことですが、アンテナを張る、と言うことですね。つまり、自分が求めている情報が何処にあるのか、どの辺に出てきそうなのかを、過去の経験や人脈から、感じ取っておくことです。細かな話しですが、私は朝日新聞を購読しているのですが、時には、欲しい情報が読売新聞や日経新聞に掲載されているかもしれません。そんな時、感が働くと、直ぐに図書館などに行って新聞を閲覧してみます。結構当りのケースがあります。

本の紹介のつもりが、少しスピリチュアル的な方向にいってしまいましたが、スポーツビジネスには、正解と言うものはなく、関わる人の数だけ、そのノウハウや考え方は広がっていく分野だ、と私は考えています。大学や専門学校の講座やゼミにスポーツビジネスやマネジメントが取り上げられることは、喜ばしいことだと思いますが、学生の内は、もっと型にはまらない自由な発想でスポーツを考えてもらいたい、というのが私の理想論です。

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2008年09月20日

「スポーツビジネスを学びたい! と考えている方々へ」その1 ~実践現場主義

ここ数年の間に、大学や専門学校の中で、スポーツビジネスやスポーツマネジメントという名の付いた講座やゼミの数が非常に多くなったことに驚いています。30年も前、私の大学受験時には、スポーツの“ス”の字もありませんでしたし、ましてや、スポーツがビジネスになる、なんていうことは、大学入学前のこの若輩者には、全く想像すらつかなかったことです。プロ野球や相撲、また、ギャンブル系のレースなど、プロスポーツという概念がある程度固定的になっていたプロスポーツ界の中に、Jリーグが創設されたことがキッカケで、さまざまな方面に、プロスポーツのビジネス性が問われ、研究され始めたのが、現在のようなスポーツビジネスの世界を広く一般に知らしめる基になったと私は思います。大学の研究者の人たちは、スポーツビジネスやスポーツマーケティングというと、必ず1984年に開催されたロサンゼルスオリンピックの例を持ち出します。1984年というと、私が社会人1年生の時ですので、それからすると、当時勤務していた広告代理店で、既にクライアントとしてある外資系スポーツブランドを取り扱っていた商社と取引がありましたので、相当な興味を持って見ていた筈なんですが、そんなことは全く考えても見ませんでした。・・・というか、スポーツそのものがどれ程のビジネスとしてのポテンシャリティを持つものかさえ、分かっていませんでした。スポーツ用品が売れる市場、ということくらいでしょうか。そんな時期に、ロサンゼルスオリンピックでのピーター・ユベロス氏の偉業を学問として捉えていたとしたら、ハッキリと言えば、天才ですね。そうでなければ、現代からタイムスリップしてきたのでしょうか?。(歴史の事実のみを掻い摘んでいるとしか思えません。)

ただひとつだけ、私が唯一、非常に勉強になったのは、電通から発刊されている「スポーツマーケティングの世紀」という書籍です。当時、電通スポーツマーケティング局に勤務されていた海老塚修氏が執筆したものですが、ご自身が20年近くもスポーツビジネスの現場に携わってきた経験と、電通がビジネスとしてスポーツをどのように取り込んでいったのか、という実録内容が、本の内容をより現実感溢れるものとして感じさせてくれました。同じような内容の本は、確かにいろいろ出版されています。しかし、本当に真実を学ぼうと考えたら、実際に現場に立った人たちの体験を、知ることが出来るものが私はベストだと思います。

さて、スポーツビジネスを学ぶ上で、私が個人的に肝に銘じていることは、あくまでも実践の場を重視すること、そして、現場の仕事からビジネスの本質を学ぶこと、の2つのことです。もちろん、本を読んだり資料を集めて、スポーツビジネスの理論やその背景を知ることは大事です。私も、ここ10数年の間に、恐らく300冊くらいのスポーツビジネスに関する本を読んだと思いますが、損になったことはないと思っています。しかし、私がたくさんの本を読んだのは、スポーツビジネスに関わる人たちの、それぞれの考え方やビジネスの視点、そして独自のポリシーのようなものを知りたかったからです。同じテーマでビジネスを構築しようとしても、人それぞれにアプローチの仕方やアイディアの練り方は異なります。そんなビジネスの最前線に立って活躍してこられた諸先輩たちの個性に触れることで、自分自身のスポーツに対するビジネス的見地や観察方法は間違っているのか否か、ということをジャッジしたかったのです。人ひとりの目は、社会の中で何の役にも立ちません。だからこそ、自分の目の確かさや愚かしさを、他の人の目を借りながら判断しなければならないのです。つまり、人の意見や話しに耳を傾ける、ということです。このプログにも、非常に貴重なご意見を頂きます。本当にすべてのご意見に感銘を受けます。それも、私の判断の指針となります。学校のお勉強のように、ビジネスには正解も不正解もありません。利益を生み出したもの、利益を生み出した仕事こそが正解です。スポーツビジネスも例外ではないと考えています。確かに、理論や歴史を学ぶことは重要です。しかし、ビジネスには方程式はありません。学んだ理論や歴史は、本当に知りたい真実の100分の1にしか到達しないものであるのかもしれません。だからこそ、実践から自ら学び、自分自身の手で自分なりの理論や歴史を積み重ねていく必要があります。そして、現場に立つことなくして、それは成し得ません。

私が大学4年の時、当時スポーツイベントの現場でアルバイトとして参加する機会が幾つかあり、スポーツがビジネスのなる、ということを上っ面だけですが感じ始めていて、ぜひスポーツで飯を食いたい、と考えていました。そして、広告代理店という業界では、それがなんとなく叶う気がしていました。いまから考えると、本当に恐ろしいことを考えていたと思います。そして、サッカーのトヨタカップでのアルバイトでお世話になった広告代理店の方に相談しました。その会社を受けるか受けないかは別として、当時は不況の嵐の真っ只中でしたので、とにかくよいアドバイスを得ようとしていました。その方は私にこう言いました。「スポーツイベントをやりたいと言うことは絶対に言うな!」。えっ!・・・とは思いましたが、その時は本当の意味が全く分かっていませんでした。スポーツビジネスは、それだけをやろうとして、できるもんじゃない、ということなのです。それは、実際に社会に入り、そして広告と言う仕事の現場で、嫌と言うほど思い知らされました。

スポーツイベントやスポーツビジネスと言って、具体的にはどんな仕事がイメージとしてありますか?。書籍や雑誌などに登場するカタカナの肩書きは、仕事そのものを表してはいません。あくまでも社内での立場を表しているだけです。例えば、国際的なスポーツイベントがあって、その中にどれだけの業務の種類があって、どのような組織が構築されていて、自分の役割は何か、何をすべきなのか・・・、ということを、明快に答えられる人が社会に出て1-2年の人の中にいたら、その人は天才ですよね。しかし、スポーツイベントの現場で、キーマンとなる人たちには、それがしっかりと具体的に形としてインプットされています。これらの人たちは、それらのノウハウを、自分自身の経験から学び取ってきているのです。もちろん、スポーツのことだけではありません。営業的なノウハウはもちろんのこと、いまではITを知らずして仕事になりませんし、それぞれのスポーツ競技の特性やその業界の特性も理解しておく必要がありますし、スポーツそれぞれには独特のレギュレーションも存在します。設営に関しても、正確に指示や命令を下す時には、設営の現場でのノウハウや業務独特の慣習も把握しておく必要があります。そして、多くの人間が動いて稼動するスポーツイベントの現場で、最も大事なのは、ひとりひとりのスタッフに感謝の気持ちを忘れないことです。自分ひとりでは、大きな力は生み出せません。そこには、スポーツと同様に、チームの力が必要になります。だからこそ、感謝と言う気持ちがないと、チームは迷走してしまう危険を孕みます。

また、スポーツイベントの現場では、観客の一人ひとりに対する接客のマインドも持っていなくては仕事になりません。イベントを開催できるのは、観客の一人ひとりがお金を支払ってチケットを買ってくれるからなのです。私はよく、「自分が客の立場でどのように思うか、ということを常に自分に問いかけながら準備しろ」、とスタッフに言います。学校の先生だろうが、市役所の役職にある人であろうが、スタッフとして同じ現場に立ったら遠慮なく言います。観客に対する接客態度や言葉のかけ方は、どんなサービス業でも一緒だ、ということです。スポーツイベントだから、偉そうにしていい、という理屈はありません。もし、ただ偉そうにしているだけの人をイベントの現場で見かけたら、間違いなく、その人は仕事をしていないか出来ない人です。(決して指は指さないように!・・・)

私が初めて、スポーツイベントの現場で接客と言うものを意識したのは、大学3年の時に、野球場で観客案内のアルバイトをした時でした。初めてでしたので、お客さん一人一人にどう接していいのかも戸惑いましたが、先輩の人が、こう言ってくれました。「自分が客だと思って考えろ。自分どうされたら気持ちよく試合が見れるかを考えろ」。埼玉県所沢市にある西武球場(当時はドームではありませんでした)でのことです。結構お客さんは入りましたし、コンコースも混雑していました。客席の案内については、たまたま別のアルバイトで、チケットの席番号のスタンプ押しをしていた経験があったので、座席席番の構成については、凡そ理解が早かったことが幸いし、それほど苦労しませんでした。しかし、お客さんからの問合せは、多種多様です。一旦は、「わかりません」、と開き直ろうとも考えましたが、子供連れのお父さんからの質問で、なんとかしてやらないと父親の面子も立たないだろうな、と勝手に思い込み、少し考えました。質問は、昨日の雨で中止になったチケットはどうしたら払戻しできるのか?、ということでした。簡単なことかもしれませんが、その当時はそんなことを聞かされてもいませんでしたし・・・。結果的に、私は、その親子をチケットブースまで案内し、事情を説明して払戻しの方法を確認してあげました。お父さんは、想像以上に感謝してくれて、「また来るからね」と言ってくれました。その時はホッとして、面倒なことが片付いたくらいにしか思っていなかったのですが、後に、アルバイトを紹介してくれた先輩から感謝されてしまいました。実は、その親子がシーズンチケットを買ってくれたんだそうです。お父さんが、私がその時つけていたアルバイト証の番号を覚えていたらしく、わざわざ翌日に電話をくれたらしいのです。ほんのちょっとしたことでした。でも、その時に、スポーツイベントの楽しさと同時に、難しさも覚えました。たった一人のお客さんに対する接客で、良くも悪くもなってしまう、まるで生き物のようなビジネスだと・・・。

私が知らないところで犯したスタッフの接客のまずさが、大事になる寸前だったこともあります。つい1年前。徳島で開催された男子バスケットボールのアジア選手権大会の会場でのことです。これも子供とお父さんの親子連れでした。日本チームの試合前、多くのファンがコートの真近かまで来て写真を取りたがります。通路の通行を阻害するので、その都度警備員にお願いして排除するようにしていたのですが、ある時、ある警備員が、写真を撮っていた子供の腕をつかんで、その場からどけようとしたらしいのです。子供はお父さんに自分がされてことを話したらしく、その父親は、運営本部に怒鳴り込んできました。丁度運悪く目の前を通った私が標的になりました。「子供は今日の試合を見るのを楽しみにしていたんだ。それを腕をつかんでどかすとは何事だ!」・・・ということなのです。事情が分かってくると、子供の手前、お父さんはなんとか威厳を見せたい、というのが見え見えでした。しかし、ここはとにかく謝ろう、と決め、平謝りしました。子供にも謝れ、と言うので子供にも何回もごめんなさい、と言いました。親子はそこで片付いたのですが、今度はキッカケを作った警備員です。徳島の地元の警備会社の人だったので、スポーツイベントでの臨機応変な対応は経験が全くありませんでした。闇雲に排除しようとしても、ファンの気持ちを無視するだけに終わってしまいます。そこで、試合前のセレモニーが始まる1分前に場内アナウンスがあるので、それをキッカケに席に戻るように誘導するようにしました。それまでは、柔らかい言葉で、あと何分でセレモニーですから、それまでに席にお戻りください、と注意していくように伝えました。その後、問題はなかったと思いますが、言葉ひとつで、楽しみにしていた試合観戦に水を差すようなことにもなってしまいます。子供の立場で考える努力をしていたら、この警備員は、ものすごくよい経験が出来たのかもしれません。

実践とか、現場とかいうと、何やら力仕事のように勘違いされますが、それはそれである程度は当ってますね。体力勝負であることには違いありません。ただし、その現場で得られる経験や実践感覚は、自分自身の頭の中のデータベースにしっかりと蓄積し、分析できるようにしておかなければ、何も使えません。使えてこそ、ノウハウになります。観客として、いろいろなイベントの現場を見ることも、実践現場主義を少し体験するには、いい機会ですよ。

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2008年09月19日

プロスポーツリーグのプロパティー・コントロール

スポーツリーグは、そこに加盟するチームと、リーグ全体の運営を統括するリーグ事務局で構成されますが、リーグそのもののブランド力は、リーグ事務局が、加盟各チームと協働して、リーグ独自のものを構築していかなければなりません。そこでは、リーグ事務局のリーダーシップと、各種の専門的なノウハウが要求されます。リーグのブランド力が低ければ、加盟各チームの存在そのものも低く見られてしまいます。プロリーグならば、球団経営に直接影響する重大な課題となります。MLB、NFL、NBA、NHL・・・と、アメリカの4大プロスポーツリーグと言われるこれらの名前は、スポーツファンならば誰しもが知っている名前であり、そこから得られるイメージは、それぞれの“ブランド”が独自の魅力を感じさせてくれます。Jリーグも、いまや大きなブランドとしての力を持つまでになりました。「J」もしくは「J1」「J2」と言えば、直ぐにJリーグのことだと連想することが出来るのも、その力の証明のひとつでしょう。しかし、日本のプロ野球は、その点においては希薄であるような気がします。

巨人とか、ジャイアンツとか、読売巨人軍とか・・・。ひとつの球団をさまざまな名前で表しているのは、よく考えてみるとおかしなことかもしれませんし、何よりも日本のプロ野球機構を示す「NPB」という固有名詞は、恐らくJリーグよりもその認知とは低いようにも感じます。例え「NPB」という言葉は見たことがあったとしても、何を表しているかを直ぐに連想できる人は、プロ野球ファン以外にどれだけいるのでしょうか?。恐らく、日本のプロ野球の歴史が、巨人軍に始まり、個々球団の存在が先に立ってプロ野球組織全体の構図が出来上がってきた歴史的背景がそうさせているのかもしれません。球団の後にリーグがついてきた、という図式です。現実的に、近鉄問題で揺れ動いた時も、選手会によるストライキが起こった時も、プロ野球機構というリーグの存在は、決して本来の立場を堅持していたとは言い切れません。故に、リーグとしてプロ野球全体を牽引していくようなブランドの力は、あまり感じられないのが現実だと考えます。その最大の理由は、私は個人的に、リーグとしてのプロパティー・コントロール能力の無さだと思います。恐らく、セントラルとパシフィックという2つのリーグに分かれたリーグ統括体制を、長年敷いてきた結果でしょう。本来はひとつのリーグのはずなのに、統括する2つのリーグそのものがひとつとして機能できないジレンマが、そこにはあったように感じます。

プロスポーツに限らず、日本国内にある各種スポーツのリーグは、JリーグやNPBを除けば、人気の強弱はあるものの、そのどれもが、それぞれのスポーツ独自の“市場領域”の中でのみ、ようやくトップリーグとしての立場を堅持できているに過ぎません。バレーボールのVプレミアリーグと言っても、どのような位置づけで、どのような内容で、どのようなチームがいるのかを、バレーボール関係者以外でイメージできる人が、どれだけいるのでしょうか?。日本バスケットボールリーグ、JBLも、女子のWJBLも、もちろん、ハンドボールや、かつて華々しい人気を誇ったラグビーでさえ、リーグとしてのブランド力を、世間一般的なものとして感じされてくれるスポーツは、ほとんどありません。昨年スタートしたフットサルのFリーグも、“F”という名を聞いてフットサルを直ぐに連想できる人は、恐らくサッカーやフットサルのファンに限られているのが現実なのではないでしょうか?。

リーグの中の各チームが、各球団が、どんなに努力しても、リーグ全体でのブランド力が高く強くなければ、各々の「ゲーム(試合)」に付加価値は生み出しにくいのです。リーグに魅力があり、社会的な地位も築かれているとしたら、そこに参入しようとするチームや球団は、増えていくことはあっても、減ることは無いでしょう。リーグの持つ独自の価値に、ビジネスチャンスを見出せるからです。もちろん、参入するチームが増えることが、イコール、リーグのブランド価値を決するものではありません。リーグの持つブランド力の大きさに見合う規模でリーグが構成されていくことが、リーグを健全に運営していくための、ひとつの経営判断基準でもあると思います。6チームから12チームにまで拡大してきたバスケットボールの独立プロリーグのbjリーグも、この先の拡大は、“bj”というリーグのブランド力の成長如何にかかっていると思いますし、それなくして、リーグ全体の繁栄は、机上の空論となります。Jリーグも全盛期の観客動員数を上回る力がついてきたからこそ、チーム数の拡大を模索していける環境になってきた、と言えますし、逆に、メジャーへの選手流出が続くプロ野球は、これからも1リーグ制論議は収まることはないでしょう。

プロスポーツリーグのブランド力は、その競技力の高さが土台にあることはもちろんです。しかし、ただそれだけでは、リーグを表現する具体的なものにはなりません。リーグを表すシンボル的な形こそ、ロゴマークであり、リーグを象徴するイメージが、写真や映像です。ロゴマーク、写真、映像などの具体的なリーグを表す描写の数々を見て、ファンはリーグが持つイメージを知り、理解し、そして更に増幅させていきます。魅力あるロゴを作ればいいと言うことではありません。作られたロゴが、リーグを体現するように、リーグが持つ競技力の高さ、ゲームで見せる楽しさや感動を、ロゴマークと如何にイコールイメージにしていくかが、リーグとしての最大の使命ともいえます。それが、リーグの経営を支える“資産”、つまり“プロパティー”となり、大きなビジネスチャンスを生み出していくことになります。

どんなに立派なデザインを描いても、リーグ本来の持つ魅力とイコールイメージにならなければ、それは単なるデザインで終わります。プロパティーとして、如何にコントロールしていくかが、リーグ独自のビジネスノウハウであり、それは、加盟する各チーム、球団のビジネスにも大きな影響をもたらします。NFLのロゴマークの付いたキャップが、飛ぶように売れた時代がありました。もちろん、買ったすべての消費者がNFLを理解していたかどうかは疑問です。しかし、NFLというブランドは、フットボールというスポーツのリーグを超えて、ファッションとしての価値をも持つようになりました。しかし、多くの消費者のNFLに対する興味は、そこで潰えます。どんなチームがいて、どんな選手がいるんだろう。そこまでの興味を満足させられる情報が、当時の日本ではなかったのです。もちろん、アメリンカンボウルというプレシーズンマッチが東京ドームで行われていたり、スーパーボウルは毎年のように中継されていました。しかし、それ以上でもそれ以下でもありません。NFLというロゴマークに価値を見出したフットボールを知らないような人たちは、NFLというイメージを消費したのにも関わらず、NFLを知ろうとはしなかったのです。知るチャンスがなかった、というのが正解かもしれません。まさに、ブームに終わったのです。日常的に、話題やニュースとして情報がない毎日の中で、アメリカのプロスポーツリーグに興味を抱かせたのは、ファッションでしかなかったのです。もしこの時、NFLが、日本でのマーケッティングを戦略的に構築できていたら、NFLキャップを被った人たちは、そこにあるロゴマークの意味を知ることになったでしょうし、NFLの試合を見たい、と思ったかもしれません。そして、特定のチームのファンになっていたかもしれません。

1992年、私が初めてNBAのビジネスに関わった時、日本で行われた公式戦イベントが行われる前に、ファンの多くからこんな声を聞きました。「NBAっていうチームがバスケの試合をするんだって!」。いま考えると、この言葉の意味がよく分かるのですが、当時は、「こいつ何言ってんだ!」くらいにしか思いませんでした。当時は、NBAのテレビでの試合中継も、民放の深夜の時間帯で細々とやっていたような時代でしたから、NBAがプロバスケットボールのリーグの名前で、世界のトップクラスの選手たちによる試合が行われているんだ、なんて言っても、多くの人たちは実感が無かったようです。ただカッコいいからNBAのロゴ入りのキャップやTシャツが売れていただけでした。前述のNFLと全く一緒です。NBAが違っていたのは、日本の商社と代理店契約を結び、日本独自の手法で、戦略的にマーケットを開拓していったことです。虚像としてのNFLではなく、NBAを実像として、日本でファンを作ろうとしたのです。テレビでの放送機会を増やしていくための努力はもちろんのこと、マスコミには日本で直接写真や映像の供給が出来るようにしました。また、日本独自のサブライセンシーを得て、日本の市場にマッチしたマーチャンダイジングも展開しました。更に、日本独自のスポンサーシップも開発し、支援してくれる企業を募りました。当然のことながら、日本での公式戦開催も、その継続を懸命に努力して実現していきました。2年に一度開催されていた公式戦の日本開催をひとつのサイクルとして、NBAに対する理解は、リーグからチームへ、そして選手へと繋がり、1996年の東京ドーム満員御礼を達成できたのです。

こうした結果を生み出したのは、戦略的な構築がうまくいったこともありましたが、最も貢献したのは、NBAのプロパティーコントロールの素晴らしさにあったと、私は考えています。ロゴマークなどの商標、写真や映像使用に関する版権、そしてマーチャンダイジングやスポンサーシップに関わる契約体系など、NBAの持つすべてのプロパティーが、ビジネスに活用できる環境の中で整えられていたのです。そして、単にプロパティーの活用を促していただけではありません。キチンとコントロールすべきことを、捉えていました。NBAというブランドを守るためです。

当時、私はスポンサーシップを中心に業務に携わっていましたが、日本の広告やマーケティング市場では、少し異質なその手法に戸惑ったときもありました。まず、NBAは、スポンサーに対して、その権利の対価となるフィーを、非常に低い金額で設定します。単純に、スポンサーになりやすいから・・・、ということではないのです。スポンサーとなった企業が、より多くの広告予算やマーケティング費用を、NBAを使ったプロモーションや宣伝に活用してもらうためでした。だから、契約の中には、一定期間内に、何回のプロモーションやキャンペーンを実施すること、という内容が明文化されているのです。もし違反したら、違約金が発生することは言うまでもありません。NBAは、権利料で儲けるのではなく、スポンサーと一緒にNBAのブランド価値を高めようとしていたのです。スポンサーがNBA以上のブランド力を持ち、認知度があり、もちろん、バスケットボールファンに対する好意度が高ければ言うことはありません。NBAの強かさは、コミッショナーであるデビット・スターン氏のビジネスの基本精神を忠実に実行してきた結果として生まれてきたものなのかもしれません。「NBAには、雑誌がある。次にアリーナがある。ケーブル・テレビもある。そして全国ネットのテレビもある。スポンサーに対して、我々は、これだけの宣伝機会を提供でき、そのひとつひとつが相乗効果をもたらし、更なる可能性を広げられるのですよ!」。スターン氏のこの言葉は、単なるセールストークではなく、NBAのプロパティーコントロール能力の源泉とも言えるものだと思います。

あるNBA日本公式戦のスポンサーが、キャンペーン用にテレビCMを制作した際、ちょっとしたトラブルが起こりました。CMの後半に有名選手のダンクシーンを挿入したのですが、その時の効果音に、物が破壊されるような音を使ったのです。クリエーターは、ダンクの迫力を表現したかったのでしょう。しかし、この音を、NBAは許可しませんでした。何故ならば、破壊的なイメージや破壊するという行為そのものを、NBAはブランドイメージから排除しようとするからです。アメリカでは、ちょっとした破壊的シーンや暴力シーンを真似ただけで、大きな犯罪に発展するケースが多発していました。日本では考えにくいことですが、NBAはスポンサーに対してでさえ、ブランド価値を守ることを遵守させます。NBAからの説明に、スタッフの全員が納得したことは言うまでもありません。

数文字のアルファベットで表現される単なる文字列が大きなビジネスになる。それは自然に生まれてはきません。

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2008年09月18日

「インドアボールゲームの協働の模索」その4 ~“国際スポーツフェア”回顧録

1983年から1992年まで、東京・原宿にあります国立代々木競技場とその周辺を会場として、ゴールデンウィークのスペシャルイベントが、スポーツをテーマにして行われていました。国際スポーツフェアです。お祭り好きのフジサンケイグループらしく、その規模は、恐らく、現在までに同会場付近で行われたどのイベントよりも大きなものだったと記憶しています。20年も前のことですから、30代後半以降の年代の方々にしか記憶にないと思いますが、国際スポーツフェアでは、さまざまなスポーツの国際試合も行われました。特に驚くのは、1984年と1985年に行われたハンドボールの国際招待試合で、1984年には、当時世界のトップクラスに君臨していた旧ユーゴスラビアを招待して行われ、代々木第一体育館には約12,000人もの観客が入った、と記録されています。この数字は本来のキャパシティを超えた大雑把なものだと思いますが、それでも満員には違いなかったと言うことで、去る1月に同じ会場で行われた北京五輪アジア予選再試合の時と同じような状況だったのです。

国際スポーツフェアは、国立代々木競技場という施設にとっても、その運用の歴史から考えると、一大転機となったイベントだったと言えます。第一体育館は、東京オリンピックでは水泳競技が行われたプールでしたが、冬季はアイスリンクとして活用されていました。1977年には、世界フィギュア選手権と世界アイスホッケー選手権Bグループの大会が開催されています。実は、広告看板が始めて設置を許可されたのは、この時だったという事です。その後、プールとしての使用がない春や秋の期間は、フロアーが仮設設置され、さまざまなインドアイベントも開催されるようになりました。そして、国際スポーツフェアの開催時には、2つの体育館のみならず、その周辺のすべての敷地を活用して、一大スポーツフェスティバルが企画されていったのです。現在はライブハウスが建つ渋谷プラザ、サーカスなどの常設興行テントが設置されていることで記憶に新しいオリンピックプラザ、そしてJR原宿駅に真近かなイベント広場、原宿プラザなど、すべての敷地には、お店やイベントスペース、更にフジテレビやニッポン放送の臨時スタジオなども立ち並び、すべてを見て回るだけで半日以上掛かるほど、多種多様なイベント構成になっていたのです。国立代々木競技場のスポーツを超えた文化施設としての顔は、この時作られた、とも言えます。

もちろん、目玉となったのは、先のハンドボールなどのボールゲームの国際招待試合でした。世界の強豪を招き、日本代表チームと熱戦を繰り広げたのです。一番の人気は、やはりバレーボールだったと記憶していますが、バスケットボールも、かなり人気があったように思います。約1週間の期間中に、日替わりでさまざまなスポーツのトップレベルの試合が見られることと、試合以外にも楽しめるイベントが数々展開されていたことで、入場料金はなんとなく安く感じたものです。各種スポーツの国際試合以外には、バザーや出店はもちろん、スポーツの試合がない日にはコンサートが行われていました。なんでも有りの“お祭り”です。ちなみに、このコンサートの実施が、1993年から国際スポーツフェアを引き継ぐ形で継続される「LIVE UFO」というイベントに繋がっていくのです。

さて、この国際スポーツフェアは、規模や細かな内容はともかくとして、さまざまなスポーツのトップレベルの試合を、同じ会場で、しかも連続した期間に次々と実施していた、という点においては、各種スポーツリーグや競技団体が協働して取り組むべき究極のプロモーションイベントの姿であるような思いがあります。普段はバレーボールを見ているファンが、たまたまハンドボールを見る機会があり面白いと思ったとしたら・・・。普段はバスケットボールを応援しているファンが、フットサルを見て興味が沸いたとしたら・・・。さまざまなスポーツには、それぞれに魅力があり、見るだけの立場でも、その楽しみ方はそれぞれのスポーツで違います。1点に一喜一憂するものもあれば、残り数秒の戦いに手に汗を握ぎったり・・・。しかし、普段見たり応援している好きなスポーツ以外に、何か他のスポーツを見たい、と思う機会というのはほとんどありませんし、興味を喚起させられる機会すらありませんよね。国際スポーツフェアには、私は当時、社会人として脂の乗ってきた時期でしたが、毎年必ず足を運んでいました。やはり、ひとつの会場で、いろいろなスポーツを見られる、というのは魅力でしたし、ハンドボールなんかを見ていても、あまりマイナーと言う感じは受けませんでした。逆に新鮮だったような記憶があります。

日本トップリーグ連携機構の皆さん、また、各スポーツリーグ関係者の皆さん、そして、各スポーツ競技団体の皆さん、この国際スポーツフェアのようなコンセプトを生かして、それぞれのファンに対して、より幅広くスポーツの魅力を伝えて行きながら、よりスポーツファンの底辺を広げていくための協働ビジョンとして、総合スポーツリーグフェスタのような場を模索してみませんか?。ハンドボールの宮崎選手を応援している人に、バレーボールの越川選手の素晴らしい跳躍力も見てもらいましょうよ!。バスケットボールの五十嵐選手を応援している女性ファンに、フットサルの稲葉選手のカッコよさも見てもらいましょうよ!。競技やリーグに携わっている人たちは、それぞれの立場の周りしか見えていない場合が多いと思います。しかし、ファンの目は、決してそうではないと思うのです。単に数値的なファンの拡大だけではなく、ファンの皆さんのスポーツをもっと応援しようという気持ちを醸成していくことも、スポーツリーグや競技団体としてのファン作りには、必要なことなのではないでしょうか。そこに、協働に対する問題意識と意欲さえあれば、現実的には難しい話ではない気がしています。

3日から4日間の間に、1日2セッション(2試合)、計6~8セッションもの世界最高峰のチームと日本の戦いを見られるとしたら、興味を持つのは私だけでしょうか?。 (※会場は試合間で再セッティングする前提です。)

posted by umekichihouse |06:05 | バスケットボール | コメント(1) | トラックバック(0)
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2008年09月17日

「インドアボールゲームの協働の模索」その3 ~“ハコ売り”運営の弊害

企業チーム主体のリーグは、1試合単位で、地方にある競技団体に“試合開催権”を売り、その開催権を得た地方競技団体は、チケット販売からスポンサー集めまで、試合の中身に関わること以外はすべて、収入から支出まで責任を負う、というシステムで行われるのが常でした。“ハコ売り”というやつです。リーグ本体や中央の競技団体としては、試合単位で収入があり、しかも、運営コストの心配ありません。確実にチームと一部の競技役員を派遣すれば良かったのです。しかし、試合は粛々と行われ、地方の競技団体も、うまくいけば儲かる仕組みで、何のデメリットもないように思われますが、これが、現在のリーグの停滞とプロ化の足カセになっている、と私は考えています。

“ハコ売り”の是非を言っているのではなく、リーグ全体が被るだろうダメージを、だれも予測できないのです。つまり、責任の所在がバラバラで、リーグ全体の価値というものを捉えにくいのです。少なくとも、リーグは考える立場にはいますが、金銭的なリスクが皆無に近い状態で、そんなことは誰も考えません。よって、野放しになります。

リーグが受けるダメージとは、まず、リーグとしてのブランド力が皆無になることです。1試合毎にチケット価格からスポンサーまで異なり、同じチームが試合をしているだけで、それ以上でもそれ以下でもない。1試合ですべてが完結してしまうのです。もちろん、リーグの最後には優勝チームが決まるのですが、それは、単なる単発のイベントでしか見られません。極端に言うと、最後のプレイオフだけで十分、ということになってしまいます。リーグとしての存在意義など、誰も意識してくれなくなりますよね。

もうひとつは、試合開催の意図や目的が、当事者の間で一体となっていないことです。企業チームとは言えども、遊びでのチーム運営ではありませんから、対外的なPR効果や、企業としてのイメージの向上は狙った上でリーグに参戦しているはずです。しかし、対戦するチームは、主催する地方の競技団体にとって、悪く言えば出演者的な扱いですから、チームの意図など試合の開催にはまったく関係ありません。それが積み重なると、企業側も、何のための企業チームなのか、その存在の根拠すら希薄になってきます。私は、その結果が、廃部や休部の原因のひとつであるような気がしています。もちろん、経営や経済的な理由が前面には出されていましたが・・・。

もうひとつ、重要なダメージは、リーグ全体でファンを獲得しようとする戦略がないことです。必要なかった、と言っても過言ではないでしょう。現状では、クラブチームやプロ球団が参加しつつあり、リーグそのものもプロ化を模索し始めたこともあり、リーグと言う全体の枠組みの中での集客や動員の重要性が理解されつつあります。しかし、それまで何も策を講じていなかったツケは、計り知れないのではないでしょうか?。

リーグとして、メディアにも取り上げられず、企業チームは撤退し、そして独自のファンを獲得する術がない、という状態なのが、“ハコ売り”運営の弊害だと考えます。リーグそのものにノウハウ蓄積の土壌が生まれないからです。

ハンドボール日本リーグには、現在2部リーグはありません。1999年からは女子が、2006年からは男子も1部のみの運営になっています。男子は10チーム、女子は6チームの構成です。また、企業の撤退によるチーム数の減少のみならず、企業の撤退後に、クラブチームとしての存続により、リーグに留まっているケースも多々あります。男子は、今季から加入した琉球コラソンが唯一ですが、女子は、半分の3チームがクラブチームです。男子は、大崎電気チームの大黒柱で、日本代表のエースでもある宮崎選手など、1月の五輪予選の再試合以降、一時的には注目されましたが、従来から1部リーグに属していたのは、今季の10チームの中で、たった4チームしかありません。私には、ハンドボールの技術的なレベルなどを語る技量はありませんが、物理的に考えて、選手のレベルが維持されている状況とは、とても思えません。日本ハンドボールリーグが、どのようなレギュレーションでリーグ運営されているのかは、公表されているデータがありませんので、確かなことはいえませんが、三桁台の平均観客動員数を見れば、その内情は窺い知れるでしょう。クラブチームとしての運営形態がどのような形になっているかは、少ないデータしかありませんが、広島などはNPO法人として、また、三重や名古屋は、NPO法人が運営しているチームとなっています。つまり、プロ球団ではなく、チームとしての活動拠点がそこにあるだけで、選手たちは、別に仕事の場を得て生活していることになります。

こうした中で、先にご紹介した、男子の琉球コラソンは、設立当初は、JFL所属のFC琉球のハンドボールチームとして活動していましたが、現在は独立し、単独のクラブチームとして活動しています。プロ球団としては成り切れる状態ではなく、選手たちは、地元でさまざまな仕事に就きながら選手として活動しているのは、女子のクラブと同じですが、2006年までフランス1部リーグで活躍していたチームのGMも兼ねる田場選手が、プロ選手への道筋を若手に伝授していることが、チームとしての可能性を期待させます。何よりも、チームの運営を、自分たちで考えながら、自分たちの手でやっていること。そして、ハンドボールが盛んな沖縄で、選手の受け皿になることを目標として活動していることで、沖縄の県民や、本拠としている浦添市民から、既に支持される存在になっていることです。今季の地元での最初の試合では、昨季のリーグ平均の倍の観客を集め、その勢いは止まりそうもありません。勝敗は別にしても、「ハンドボール王国都市宣言」を浦添市自らが掲げている中での船出は、ハンドボールのみならず、すべてのインドアボールゲームのリーグに、強く影響を与えるものと考えます。

“ハコ売り”のすべてを否定しませんが、リーグ全体の価値創造を忘れては、リーグの未来はありません。

posted by umekichihouse |06:47 | バスケットボール | コメント(0) | トラックバック(0)
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2008年09月16日

「インドアボールゲームの協働の模索」その2 ~プロか?アマか?

ここ2週間ほどの間に、競技に専念するために職を辞してまで頑張っている選手たちの、新聞での特集記事を多く目にしました。どの選手も、それまでの“安定”を捨てて、競技を続けるためにアルバイトなどをしながら、夢を追い続けています。しかし、それら選手たちは、自分のためだけにそうしているわけではありません。フットサルをメジャーにしたい。盛り上げたい。ハンドボールを続けていきたい選手たちの受け皿になりたい。企業スポーツの撤退や、プロ球団には成り切れない中でのクラブチームの立ち上げなど、それぞれの選手の置かれた環境はさまざまですが、停滞するスポーツリーグの活性化を目指す意気込みは、みんな同じような気がしました。

今月30日からブラジルで行われるFIFAフットサルワールドカップに日本代表として出場する、Fリーグ浦安所属のある選手も、仕事をしながら練習し、チームの活動に参加し、そして競技を盛り上げるための努力を続けています。「僕たちがプロ選手の地位を確立しなければ、後が続きません」。すごく重い言葉です。同じく日本代表の別の選手は、ボール1個を手に入れるのにも決して楽ではなかったようです。しかし悲壮感はありません。自由に活動していける環境の中で、体育館やフットサル教室の施設関係者などから支援を受けて、後に続こうとしている子供たちを懸命に指導しているのです。「サッカーがうまくなるよりも、コートがあって、ボールがあって、仲間と一緒に出来ることがどれだけ大事なことなのかを教えています」。言葉にならなく、ただ単に凄いな!、と考えてしまいます。Fリーグ浦安の場合は、試合に勝てばもらえる試合給と、チームのPR活動への協力度に応じて手当てが出るそうです。しかし、それだけでは、練習する環境さえ整えられません。別の仕事をしながら、生活の基盤を作りながらの選手活動、ということになります。Fリーグはまだ2年目なので、リーグ全体が大きな収入を生み出すまでは、まだまだ時間は掛かると思います。しかし、こうした選手たちの頑張りは、小さな積み重ねではあっても、やがてファンにその思いが届き、試合会場に足を運ばせ、本格的なプロとしての活動環境を作らせるのではないでしょうか?。

「プロ」「アマ」という言葉の論議は、もう20年くらい続いているように感じます。プロリーグだったり、プロチームだったり、プロ選手だったり・・・。「プロ」とは、お金を得るからプロなのか?。「アマ」は本当にお金は得ていないのか?。そんな論議はいまさら何の価値もありません。企業チームだけで構成されるリーグでも、お客さんからしっかり入場料を取ります。それは、プロ興行と、何が違うのか?。その入場料収入が選手に報酬として還元されなければ、アマなのか?。運営費として試合を運営する側が蓄財しても、それはプロ興行としての行為とは異なるのか?。理屈はいろいろありますが、結果的には、企業チームであっても、プロ球団であっても、観客を集め、観客から入場料を徴収する限りにおいては、試合を商品として売っている行為には変わりはありません。その観点では、プロもアマも区別はありませんし、言葉としてプロ・アマ論議をすること自体ナンセンスだと思います。一番の課題は、ビジネスとしてそれら一連の行為を具体化するのか、または出来るのか、ということだと私は考えています。

つまり、ビジネスとして、リーグを形成し、そこで得られる収益で、すべての運営を賄えるビジネスモデルが構築できるなら、プロ興行として可能性を模索していけるものになるでしょう。それがプロリーグです。そして、その構成員となるプロチームは、リーグの中で行われる「ゲーム(試合)」を経営資源として、「ゲーム(試合)」を作り出す選手たちに報酬を支払うために収益の獲得を追及していきます。しかし、企業チームは、興行から得られる収益に関係なく、選手たちに報酬を支払う術があります。選手たちは、契約形態はどうであれ、社員なのですから・・・。よって、本来は、「ゲーム(試合)」から収益を得てはいけないのです。企業チームは、ビジネスとしての存在ではなく、企業のPRであったり、社会への貢献活動などの一環として、スポーツチームを持つのが本分だと思います。その点から考えると、立場の異なる2つのチームの存在が、おなじリーグの中で、観客から入場料を取って運営される試合を行うことは、果たして健全なのか?と、疑いたくなります。もし、その場合を冷静に考えれば、その試合で得られる収益は、すべてプロ球団の収入とすべきだと思います。それが不公平だと言うならば、企業チームには、どこに公平さを求めるのか、私には全く理解できません。

プロの選手として、企業チームと契約するケースがあります。プロという言葉が、時に報道を踊りますが、本来の意味は、選手がスポーツ競技を専属とする特別な雇用契約を結んだだけなのです。それがプロだと言うならば、経理を専門として給与を貰っている社員は、プロではないのか?。立派な経理のプロだと私は思います。プロ選手の意味を問うならば、先にご紹介したフットサルの選手たちのことを考えるのが早いと思います。プロのスポーツ選手というのは、スポーツだけをやっているからプロなのではなく、プロとしての技術や考え方や指導力があるからこそ、多くの人に支持され、試合に客を呼び、スポーツを広めるための活動が出来て、そしてスポーツを仕事としていけるのだと思います。社会的な義務と言うものが、大きく圧し掛かるのです。企業チームがプロ契約する、ということは、私は、本来、企業に勤めるすべての社員は、プロ契約によって雇用されていると考えていますので、それがスポーツ専任、ということだけだとは思いませんか?。プロ契約という言葉だけが先走りするからこそ、本来のプロとしてのステイタスも、意味合いも軽く扱われているように感じます。

スポーツをビジネスとしての軌道に乗せ、そこから得られる収益で生活できるようになるためのビジネスモデル、それがプロリーグであり、プロ球団の存在に結びつくものだと、私の個人的に考えています。

posted by umekichihouse |04:06 | バスケットボール | コメント(0) | トラックバック(0)
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