2009年03月25日

「現役新聞記者の著書から感じたスポーツジャーナリストの姿」その5 ~ネットメディアとの関係

ライブドアによるニッポン放送株の買占め、そして楽天によるTBSの買占めなど、インターネットメディアによるマスメディア、特にテレビ局の株式の買占めは、既存のマスメディアとインターネットメディアとの関係性を、将来に渡って問うまでの騒動になりました。そして、光ファイバー通信網のインフラ整備が進み、また、ケーブルテレビや電力会社などの通信事業への参入などにより、加速度的にインターネット環境は普及しましたが、その中で、インターネット上にさまざまな情報発信サイトが登場し、いまや、既存のマスメディアによるインターネットの活用状況も、日増しに拡大しています。新聞社の多くがネットサイトを開設していることも、その一例です。

「スポーツ報道論」の著者、毎日新聞の滝口隆司氏は、本の中で、こうした状況について、「日本のジャーナリズムが将来的にどう発展していくのかにも関係していく」、と述べています。ネット上の情報発信サイトは、メディアが運営するサイト以外に、個人が運営するものまで含めると、いまや膨大にあり、その情報量は、多岐に渡ります。報道という観点から見ても、海外のニュースサイトから得た情報が、時間差なく日本のニュースサイトや個人のサイトにアップされており、速報性や浅く広く情報を拾い集めることに関しても、インターネットは、既存のマスメディアを凌駕しつつあることは間違いありません。滝口氏も、「幅広い角度からの報道が展開されれば、それはスポーツの発展に寄与していくことにも繋がる」、と述べています。ただし、それには前提があり、インターネット上のサイトで掲載される情報が、所謂オリジナリティある内容のものかどうか、ということがポイントになります。現状では、個人のサイトはもちろんのこと、ニュースサイトの情報のほとんどは、通信社やメディア各社による情報配信の2次利用であり、そこに、独自の視点からの見解は示されていても、元々が独自の取材であるものは、ごく限られています。つまり、滝口氏が述べている“日本のジャーナリズムの発展との関係性”とは、独自の取材機能もしくは能力を持っている、ということと、アウトソーシングに頼っていく、ということの方法論の違いによって、大きく異なってくる、ということです。ちなみに、アウトソーシングの場合は、サイト運営者(社)は独自の取材機能や能力を持たなくても、それを外部のフリーランスのライターやフォトグラファーなどに依存するケースです。

情報というものであれば、そこに客観的な信頼性はなくとも、主観的な考えや意図、そして、その情報の発信者が明確であれば、情報に対する信用性は、発信者に対する信用性を、情報を受け取る個人個人が、自らの責任で見極めればいいだけです。しかし、報道とは、客観的な信頼性なくして、その報道にある意義は見出せません。それは、メディアとしての組織や社会的地位に対する信頼性でもあります。アウトソーシングの場合でも、メディアとしての信頼性のあるところを通じての発信であれば、それは報道として社会的に認知されるものになるでしょう。

また、スポーツ報道の取材力というところで言うと、独自の目線でスポーツを語る力の有無が問われるところだと思います。独自の論評や批評、そしてスポーツを見る力が語る描写などは、取材するジャーナリストによる独自の能力や機能が生み出すものであり、それこそが、ジャーナリストとしてのスタンスなのだと思います。大きなスポーツイベントや大会になれば、メディア、もしくはブレスとしての取材申請に対して、所属するメディア組織や会社としての地位や経歴が大きく影響します。それは、信頼性の問題があるからです。そして報道という概念があるからです。アクレディテーションのカテゴリーは、メディアの場合、大別すれば、ジャーナリストとフォトグラファーに区分されますが、最近は、それとは別に、“WEB”というカテゴリーも見受けられるようになっています。その点から考えると、インターネットのニュースサイトも、独自取材能力を持ち、そこから発信するニュースに信頼性があるものと判断されれば、メディア・アクレディテーションはキチンと認可される、という時代なのです。つまり、イベントや大会の主催者も、報道としての信頼性に着目しているわけで、客観的な認可を得られる立場になければ、報道機関、もしくはジャーナリストとしては認知されないのです。

私も、個人で活動しているインターネットサイトの運営者に方々にお会いしたことがありますが、なかなか取材の現場にメディアとして入り込むことは難しい、という方がほとんどでした。決して邪な考えや遊びの感覚を持ってやっているのではありません。しかし、信頼性を得るまでの実績がないのです。冷静に見ると、やはり独自の取材力に課題があります。運営資金の問題によって組織としての活動が難しく、結果的に個人の力で運営するしかないからです。そこには、必然的に限界が生じます。また、インターネットサイトによる、スポーツイベントや大会の動画配信を試みているプロジェクトもあります。以前も取り上げましたが、夏のインターハイでの競技を、動画配信しているケースもそのひとつです。そこにも、テレビメディアと同様に、報道と娯楽の境界線の問題があります。更には、情報と中継という、権利絡みの課題も見え隠れしています。一概には言えませんが、活字にしろ、映像にしろ、それらの情報を待ち望んでいる人たちがいる、ということだけで、比較的安易にそれらを発信、または配信してしまっている人たちは、あくまでも個人的に意見ですが、あまり、スポーツに貢献している、とは思えません。あくまでも商売なのか、もしくは、個人の楽しみでしかないような気がします。そして、本当にそれらの情報を待っている人たちがいるとしたならば、そのようなサイトは、もっと乱立して凌ぎを削っていることでしょうし、スポーツ競技団体や関係組織が放ってはおかないでしょう。しかし、独自の取材力やニュースを語る力をネットサイトが持つようになった時、スポーツジャーナリズムは、より一層その地位を向上させていくことは間違いなく、そうなることが楽しみでもあります。

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2009年03月24日

「現役新聞記者の著書から感じたスポーツジャーナリストの姿」その4 ~地方メディア

「スポーツ報道論」の著者、毎日新聞の滝口隆司氏は、本に書かれている経歴によると、現在、高校野球の担当取材班のキャップということですが、春の高校野球、選抜大会は毎日新聞の主催です。また、夏の甲子園、全国高校野球選手権大会は、朝日新聞の主催です。何れも高野連との共催という形ですが、新聞社がスポーツの大会を主催し、その普及や啓蒙に努めてきた歴史は、日本でも古くから見られます。いまや、小学生から高校の大会まで、スポーツ競技大会の主催者や、後援者として新聞社が名を連ねる大会は数多くあり、その一部の大会では、大会運営の中で中心的な立場にいる場合もあります。つまり、メディアが、スポーツ競技大会の運営も担う立場にいるのです。高校野球のみならず、バレーボールでは、フジテレビが春の高校バレーの事業運営もなっているようですし、メディア企業の事業部という存在は、報道機関としてのメディアの顔とは別に、独立した事業体としてスポーツに関わるビジネスを展開していることも、その例は少なくありません。また、世界最高峰の自転車ロードレース、ツール・ド・フランスは、1903年にフランスのスポーツ紙「レ・キップ」が、その販売拡張のために始めた大会ですが、いまや世界中にファンを持つほどの規模に成長しています。このように、単なるスポーツイベントや大会へのスポンサーシップというだけではなく、特に新聞というメディアは、恐らく日本では宅配システムが定着している環境も巧を奏していると思うのですが、イベントや大会を支える立場を通して、新聞の販売拡張を進めるというビジネスの側面と平行して、スポーツの普及ということを推し進めてきた功績があると思います。イベントや大会主催することで、その報道権を独占したり、優先的な立場に置いたりすれば、スポーツの普及とは逆行してしまう。だからこそ、高校野球やその他の新聞社主催によるイベントや大会では、大会を主催する意図と、報道という概念は、中立に保たれてきたのでしょう。前回取り上げたメディアによるスポーツ・スポンサーシップの状況にある権利と対価という概念とは、幾分違うものがそこにはあります。

地方都市で、スポーツイベントやスポーツの国際大会を開催する上で、その地元の新聞社と、事業面で連携することはよくあります。スポンサーシップではありません。イベントや大会の認知や理解を拡大していくために、協力を得るのです。確かに、“ちょうちん記事”のように見える場合もあります。しかし、一方で、シティセールスなど、地方都市のPRや観光促進のための施策を目的に、地方自治体がイベントや大会の開催費の一部を負担して、そのイベントや大会を招致するケースでは、まず、開催地地元の市民に大会開催の意義を理解してもらう必要に迫られます。また、大会開催に際してのさまざまな協力も市民に仰がなくてはなりません。その時、地元の報道機関としての新聞社の存在は、非常に大きなものになります。時には、イベントや大会の開催地の住民意識のモチベーションを鼓舞していくための効果をもたらしたり、それを期待させるものである、ということも言えるでしょう。

私も、地方都市でスポーツイベントや国際大会を開催する際には、常に地元のメディアの力をお借りしてきました。イベントや大会のことをもっと知ってもらうために、そして興味を持ってもらうために、恐らく報道の中立性など無視をして、さまざまな情報を提供していきました。イベントや大会の運営面で必要なボランティアの協力を得るために、その募集に関しての告知などは、地元のメディアだからこその信用もあり、大会主催者からの一方的な情報発信よりも好意的に理解される場合が多々あります。また、イベントや大会の準備が進む過程を逐次情報発信していくことも、地元のメディアならではの切り口により“報道”していただけるため、イベントや大会に対する親近感を醸成していくことにも効果が高いのです。こうした地方メディアの力は、新聞の発行部数を見るだけでも、非常に大きいことがわかります。北海道の例で見ると、・・・・

・北海道新聞  1,216,438部(48.65%)
・第2位の新聞  239,315部(9.61%)

というデータがあり、北海道では、北海道新聞に情報が掲載されなければ、他の全国紙の北海道版にどんなに大きく情報が取り上げられても、その効果は、上記数値のように桁が違うものなのです。また、お隣の青森県では、地元紙の東奥日報が最大の発行部数を誇っており、その数は26万部です。朝日新聞や読売新聞がその1/10程度の発行部数ですから、北海道のように人口が大くない県においても、地方紙の力は絶大なのです。

しかし、地方メディアが、世界的なイベントや大会、もしくは日本トップクラスのスポーツを見れる場としてイベントを開催する場合などにおいて、いかにも良いことばかりにフォーカスを当てているような事実もあることも、決して否定できないことだと思います。前述のように、地方都市や地域における、地方紙の影響力というものは絶大なものがあり、それ故に、メディアとしての使命である中立的見解を持つことや、批評する意識を薄れさせていることも否めないと思うのです。地元住民に支えられている定期購読という財源を失う可能性があるからです。政治的な問題はさておき、スポーツにおいては、大きくなればなるほど、スポーツイベントの招致における市民や県民の血税を投入した、開催費の補助などの行政による財政出動は、その地元のメディアこそ、客観的に監視し、より透明性を求める立場になければならない、と思います。地方メディアは、イベントや大会にスポンサードしているわけではありませんが、イベントや大会の成功には欠かせない存在です。そしてそれは、イベントや大会の開催がもたらす利益や効果とは何なのかを、最も中立に正確に伝える立場にあるからこそ、欠かせない存在に成り得るのです。

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2009年03月23日

「現役新聞記者の著書から感じたスポーツジャーナリストの姿」その3 ~メディアビジネスと報道

テレビマネー。テレビジョンパワー。テレビの力は、オリンピックを見るまでもなく、スポーツ競技の現場に、多大な影響を及ぼすものに増大しています。その力の源は、言うまでもなく、お金です。時には、数百億円という莫大な契約金額が報道を賑わし、時には、その契約は、向こう10年先にまで及ぶこともあります。そのお金は、国際競技連盟や組織の財源として、世界大会やオリンピック大会の大会運営を支え、肥大化する大会規模に比例していくかの如く、ますます大きな規模になりつつあります。しかし、競技団体や大会を潤すそうした財源は、スポーツ競技のルールにまでその力を及ぼし、また、オリンピックでさえ、競技スケジュールを変えるまでに、その影響力は増し続けています。バレーボールや卓球、バドミントンなどの競技では、ラリーポイント制が導入され、テレビ放送の都合に合わせやすいように試合時間の短縮が図られるようになりました。また、先の北京五輪では、競泳の決勝は、アメリカの現地時間の都合に合わせるために、開催地の現地時間で昼前の時間帯に行われました。日本で行われたFIS世界ノルディックスキー選手権札幌大会でも、ヨーロッパの現地時間帯に合わせるように、決勝は夜間に行われ、そのために照明設備などの付帯設備の用意を強いられ、大きな経費負担が生じたと聞いています。いまや、テレビマネーは、世界的なスポーツ競技大会の巨大なスポンサーの如く、その発言権を増しており、メディアとして、報道機関としての立場を超えて、大会の運営にまで大きな力を及ぼす存在になっているのです。その姿は、もはやメディアと言うよりは、コンテンツホルダーなのです。

毎日新聞の現役記者、滝口隆司氏の著書「スポーツ報道論」の中でも、“世界のスポーツを変えたテレビマネー”として、巨大な放送権料を背景としたテレビの存在の大きさに対する脅威が語られています。また、スポーツがビジネスの場で語られるようになっている中で、2006年にNHKが打ち出した改革案のひとつである、“報道は受信料で賄い、娯楽は有料化する”、という方針を取り上げています。これは、テレビというメディアが、報道機関としての顔と、先のようなビジネスセクターとしての顔の、2つの顔を持つようになっていることを顕著に示した例であり、滝口氏は、このことを、“スポーツは報道か、娯楽か”、という視点で切り込んでいます。スポーツ中継を娯楽とするならば、スポーツ中継は有料コンテンツとして、NHKですらビジネスの対象にしてしまいます。そこから得た視聴料収入から、先に述べたように巨額の放送権料が捻出されていく構図です。しかし、ヨーロッパにあるように、ユニバーサルアクセス権という考え方や、スポーツの普及のために、衛星放送などの有料放送に依存しない中継体制を取ろうとするIOCを始めとする国際競技団体の考え方から考えると、スポーツのすべてを娯楽と捉えて、ビジネスの対象としていくことは、スポーツ市場に価値をもたらす普及という側面を否定することにもなりかねません。ヨーロッパでのプロサッカーリーグの放送権を巡っても、ここ10年の間にさまざまな論争がありました。ルパード・マードック氏率いる衛星放送ビジネスは、スポーツを最も優良なビジネスコンテンツとして捉え、巨額な放送権料の見返りとして、巨大なコンテンツホルダーになっています。プロスポーツの世界だから・・・、ということで考えたとしても、そこにはプロチームを支えているファンの存在もあり、そこに論争の火種はあったのです。“スポーツは報道か、娯楽か”。それは、スポーツの現場が、ビジネスによる財源なくして成り立たない現状からすると、杓子定規に考えることは無理でしょう。だからこそ、スポーツジャーナリストたちは、スポーツ報道の現場で、テレビが見せる2つの顔の矛盾と、戦わなくてはならない状況に追い込まれているのだと思います。

最近では、テレビメディアのみならず、新聞や雑誌などの活字メディアも、スポーツをビジネスの対象として捉える傾向を見ることが出来ます。スポーツイベントや競技団体等のスポーツ組織へのスポンサーシップです。滝口氏の「スポーツ報道論」の中では、シドニー五輪で巻き起こった新聞社のスポンサーシップにまつわる報道とプロモーションとの区別に関する論議が紹介されていますが、確かに、報道機関としての立場を有するメディアが、スポーツ・スポンサーシップに参画した場合、その対価としての権利が、報道することまでに及ぶかどうかという境界線まで明確に示すことができるかどうかは、曖昧です。スポーツイベントや大会の主催者は、メディアのスポンサードによって、金銭的な収入を得ることよりも、その報道機関としての力を利用したイベントや大会のPR、プロモーションといった効果を期待するからです。問題なのは、そのPRやプロモーションが、果たして報道なのかどうか、ということです。イベントや大会主催者から見ると、それは“パブリック”リレーション、つまりニュースとしての情報発信でしょう。一方で、利用されるメディアからすると、“ちょうちん記事”と認識した上でのサービス、もしくはイベントや大会への協力、という捉え方なのかもしれません。しかし、全くのニュートラルな立場にいるメディアからすると、スポンサードしているメディアの行動は、報道の優先権を勝ち得た存在に映るでしょうし、事実、イベントや大会主催者からスポンサードするメディアにもたらされる情報は、他のメディアに優先して提供されていることは明白です。

朝日新聞は、オフィシャルニュースペーパーとして、2002年日韓ワールドカップにスポンサードし、その後、Jリーグ百年構想のパートナー、アジアサッカー連盟のスポンサーなどに名乗りを上げ、“サッカーは朝日”というイメージを定着させようとしています。それに対抗して、読売新聞は、JOCのオフィシャルパートナーになるなど、スポーツ・スポンサーシップへの参画に積極的のようです。新聞という商品の販売促進の効果を狙うものなのか、はたまた読者に対するサービスの拡充を狙うものなのか。何れにしても、報道の力の、企業ビジネスへの活用なのでしょう。

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2009年03月22日

「現役新聞記者の著書から感じたスポーツジャーナリストの姿」その2 ~経営と報道現場の矛盾

テレビの映像と音声、そして新聞や雑誌の写真と活字。頭で考える前に感覚的に目や耳に飛び込んでくるテレビの映像や音声は、視聴者に考えさせる時間を与える間もなく、強い影響を与えます。特に、映像が伝えるリアリティは、ライブで瞬間を捉える力があり、取材するテレビ記者やカメラマンは、状況の観察力を求められ、その状況の流れの中で、映像を捉えるのだと思います。逆に言えば、テレビ報道とは、画がなければその価値はどう評価したらいいのか?、という疑問が残るのです。だからこそ、テレビは画が欲しい。そして、その映像がリアルであればあるほど、アナウンスや余計な解説などは邪魔になる時もあります。つまり、テレビ報道の命は、映像のリアリティだと思うのです。しかし、新聞報道は、言葉で伝えるしかない。スポーツ報道なら、より取材対象の心理描写までを捉えなければ、真実味のある言葉にならないし、表面的な事実だけならば、それはテレビに敵うはずがありません。だからこそ、記者の目による洞察力が必要になる。そして、読者は、記者が綴った言葉を読み、頭で考えるのです。つまり、新聞報道の命は、言葉の表現力だと思うのです。記者が取材で得た事実や状況、心理を、どうすれば奥深くまで読者に伝えられるか。報道写真も同じです。瞬間を撮影した1枚の写真は、記録ではなく、言葉と同じように読者に語りかけるものでなければならない。だからこそ、報道写真には、ついつい見入ってしまいます。

毎日新聞の滝口隆司氏の著書「スポーツ報道論」の中には、スポーツジャーナリストに求められる要素として、“スポーツの本質を描くこと”、と書かれてあります。そして、それは、テレビでも、新聞や雑誌でも、変わらないことだと思います。スポーツジャーナリストは、誰もがスポーツの本質を求めようとします。その本質の表現の方法が、テレビは映像になり、新聞や雑誌は言葉になる。しかし、スポーツの本質を描くためには、スポーツの本質とは何かを知らなければならない。そのためには、技術のことをまず分かろうとする。更には、戦術を読み取ろうとする。それが出来なければ、疑惑の判定があった場合、その判定は本当に正しいのか、何が間違っているのかを、理解することすら出来ません。そうすると、本来伝えるべき言葉が、伝えなければならない言葉が出てきません。テレビでもそうです。どのシーンを注目させるべきなのか、何処を見せるべきなのかを、判断することすら出来ません。

滝口氏は著書の中で、最近は、新聞社でも専門記者は要らない、と言ったような風潮が生まれてきていて、記者がサラリーマン化しているように感じる、と書いています。新聞社とて、企業としての経営がありますので、その観点からは、メディアも経営効率を求める流れの中にあるのかもしれません。故に、スポーツ記者は不足しがちになり、兼務してさまざまな取材をこなさなければならなくなり、結果的に、スポーツの本質を捉えていくようなスキルを身に付ける時間も機会も少なくなってしまうようです。一人の読者からすると、非常に残念に思いますし、そう言えば、最近はたまにしか“思わず読み入ってしまう”ような奥の深い記事を見かけなくなったように感じます。これは!、という記事は、必ずクリッピングしておくことを習慣にしているのですが、それも最近は本当に少なくなりました。たまの特集や連載くらいでしょうか?。いまは、専門性ではなく、記事を仕上げる能力が求められるのだそうです。しかし、活字離れやネットメディアの台頭、そして、明らかに減少している新聞や雑誌の発行部数を見ると、滝口氏の言っている通り、いまこそ専門性の高いスポーツ記事が求められる、と私も思います。スポーツイベントの現場でも、そうしたスポーツをよく理解して、本質を見抜く力のある記者と話していると、楽しくもあり、また、メディアに対するサービス精神も高まります。昔は、どの新聞社にも大御所と呼ばれる名物記者がいました。しかし、いまは、元選手の評論家先生にお任せが多いそうです。また、メディアがスポーツ・スポンサーシップに乗り出してきていることや、世界的な大会の日本開催が頻繁にあること、そして、スポーツの普及と強化をお題目に、政治がスポーツに積極的に関わるようになってきたことで、政治、経済、国際、社会と、報道が対象とするあらゆる分野が、スポーツと関わるようになってきた現代では、より一層、スポーツ記者にも専門性が求められていいのではないか、と思います。何れにしても、経営と報道の現場の思惑の違いが露骨に表れてきている中で、スポーツ報道の本質を何処まで貫き通すことが出来るのか、これからも報道の裏側を気にしつつ、スポーツの本質が描かれた記事を待ち望みたいと思います。

では、先に取り上げた活字メディアの経営という観点から、それらの発行部数に注目して、どのくらいメディアパワーが低下しているのかを検証してみます。ちなみに、世界における日本国内での新聞の発行部数は、先進国の中ではダントツで、アメリカの5,380万部を1千万部以上も上回る6,850万部(2008年)となっています。人口の違いから見ても、日本の中での新聞メディアの影響力は、非常に高いことを示した数値です。しかも、アメリカは1,463紙なのに対して、日本は僅かに110紙。日本では全国紙の普及が当たり前のようになっている実情が、この数値からも良く分かります。お隣の韓国でも、214紙で1,620万部、ドイツは365紙で2,070万部。イギリスでは、新聞の数は114紙と日本に近いものの、全体では1,800万部しかありません。宅配というシステムが、発行部数にも大きな影響を与えているのでしょう。では、昨年度のデータで、全国紙の発行部数を見てみると、以下のようになります。

(%は、全国の総世帯数5,273万世帯に対する世帯普及率を示します。)
・読売新聞  1,002万部(19%)
・朝日新聞    804万部(15%)
・毎日新聞    388万部( 7%)
・日本経済新聞   305万部( 5%)
・産経新聞    220万部( 4%)

また、駅売りを主な販売網とするスポーツ新聞はどうかというと、スポーツニッポンが約120万部でトップのようですが、他の日刊スポーツ、サンケイスポーツ、スポーツ報知などは、ほぼ同じ規模で約100万部前後の発行部数になっています。2007年度の数値ですが、日本全国の地方紙を含めた新聞の総発行部数は、朝刊単独で3,440万部。これは、10年前の1997年度と比較すると、174万部(3.2%)もの部数減少になっている数値だそうです。スポーツ紙でも、2007年度で492万部と、1997年度からは144万部(22.1%)も部数を落としています。すべての新聞を対象とした1世帯当りの新聞購読数も、1997年の1.18から、2007年には1.01と急激に減少しており、これは宅配によるスポーツ新聞の減少が大きく影響していることと、インターネットのブロードバンド環境の整備が進んだ年代と重なるため、活字離れによる影響も含まれている、とある研究機関の調査にはありました。

更に、世界的経済不況の影響もあり、最近落ち込みが顕著な新聞広告が、更にその落ち込み度合いを増しているようです。部数の減少と、広告の減少。供に、新聞社の経営には多大な打撃であるはずで、この辺にも、先に述べた人事関係の効率化による報道現場の疲弊の原因がありそうです。スポーツの本質を描くことこそ、読者を引き付ける記事であるはずなのですが、それに相反するように、専門性の高いスポーツ記者が少なくなっていることは、メディアとはいえ、経営と報道現場に大いなる矛盾を抱えている実情を物語るものだと思います。

では、雑誌はどうなっているか見てみると、スポーツの本質を描くことで、日本版の「スポーツイラストレイテッド」誌の如く、コアなスポーツファンに人気の高い「スポーツグラフィックNumber」誌は、最高時の半分以下の部数にはなっているものの、所謂一般雑誌と肩を並べるレベルの約20万部となっています。雑誌は、ここ数年の間に、どの雑誌も例外なく部数を激減させており、700万部とも800万部とも言われた驚異的な発行部数を誇っていた週刊少年ジャンプですら、現在は278万部にまで部数を落としています。また、先のNumberに追随するように、一時は多数のスポーツ系のノンフィクションを掲載する雑誌が創刊されていましたが、現在ではほとんどが消えていってしまいました。その状況には、2つの要因があるように感じています。ひとつは、テーマ性の問題です。Numberも、1990年代前半のF1ブーム以前までは赤字続きだったそうですが、それ以降、NBA人気、Jリーグの誕生、そしてサッカー日本代表のワールドカップ出場、更には、格闘技の台頭など、それぞれの年代でブームになるスポーツが登場し、また、格闘技などの新しいスポーツ分野が人気を博すようになったりと、その年代毎にNumberの読者層を次々と変えていきました。しかし、新創刊された雑誌の多くは、サッカーや格闘技など、特定の人気スポーツに偏った内容に終始していた感じは否めず、結果的に、幅広いスポーツファン層を取り込むことが出来なかったのではないか、と思います。そして、もうひとつは、雑誌の記事の裏の主役とも言えるスポーツライターの質の問題です。Numberは、1980年の創刊号で、山際淳司氏の“江夏の21球”が話題となり、Numberという雑誌そのものが斬新に思えました。「スポーツ報道論」の著者、毎日新聞の滝口氏も、本の中でこのNumberのことを書かれていましたが、スポーツの本質というものの捉え方を、選手の心理の中まで踏み込んだドラマを描いた、と私は思っています。しかし、スポーツが生み出すドラマを、前回述べたように、選手の家族や生活の中までに踏み込んだ時、それはスポーツの本質を描いたものなのか?、と問われると、私は少し違うように思います。Numberも、数多くのスポーツライターの方が執筆しておられます。ひとりひとりの個性や、ひとりひとりの専門性がある一方で、彼らが描くスポーツは、あくまでもスポーツ競技の中にいるアスリートという前提を崩していないように思うのです。そこが決定的な違いです。だからこそ、スポーツの本質を逸脱せずに、ドラマを描くことが出来るのだと思うのです。スポーツそのものの捉え方が、新興雑誌のライターの方々とは、違っていたように思います。

Jリーグの発足した1993年前後の年には、多くのサッカーライターが誕生しました。サッカー関連の雑誌や、一般紙でも多くの関連記事が掲載されました。また、当時、私の携わっていたNBAの仕事の中でも、NBAなどのアメリカのプロスポーツを専門に取材するスポーツライターさんが登場してきました。スポーツライターという職業は、そんなに儲かるのか?、などという邪推をしていたほどです。しかし、彼らがスポーツの本質を描くだけの能力を兼ね備えていたか、もしくは兼ね備えようとしていたか、というと、それは些か疑問です。やはり、ブームに乗った雑誌業界と同じで、一過性だったようです。そして、そのことが、現在でもスポーツジャーナリズムというものが、社会的にも認知されにくく、そのジャーナリストの専門性が評価されにくい状況を作っているようにも感じます。雑誌というメディアは、新聞記者以上に、スポーツの奥底までを描く力を求められると思います。読ませる、そして残しておける価値を、雑誌の中にスポーツを描くライターの方々は、生み出さなくてはなりません。そこに、“記者”と“ライター”のスポーツに対する捉え方の違いがあるのではないでしょうか。新聞社のスポーツ記者が、新聞社としての企業経営の方針によって、場合によってはその本質を失いつつある中で、雑誌不況と言われる中でのスポーツライターの苦悩も時々耳にします。より深く、より的確にスポーツの本質を描き出す力を備えた記者、そしてライターが、その腕を存分に振るえるようなスポーツの報道現場は、決してなくなりはしません。問題は、記者やライターたち、スポーツジャーナリストたちを、育てていくこと。それが、スポーツの活性化にも繋がると、私は信じています。

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2009年03月21日

「現役新聞記者の著書から感じたスポーツジャーナリストの姿」その1 ~活字メディアのジレンマ

あるアジア選手権大会で、選手がホテルから競技会場までの移動用に使用するバスの専用駐車場に、無許可でテレビ局の取材クルーが数名入り込んでいることがありました。恐らく、会場に到着する選手の姿を撮影しておきたかったのでしょう。スタッフから、「これは許可されているのでしょうか?」、とトランシーバーを通じて連絡が入り、私は、「ホスト以外のテレビ撮影、およびその他のメディア取材は、一切許可されていない」、と回答しました。ところが、入り込んだテレビ取材クルーは、動こうとしないようで、私も現場へ駆けつけました。原因は、駐車場の進入を警備しているはずの警備員が、勢いに押されて入れてしまったことらしいのですが、私は務めて丁寧に、そのテレビ取材クルーの責任者らしき人に、「申し訳ありませんが、警備の都合上、ご協力ください」、と言って、軽く頭を下げました。警備員のチェックミスがあった手前、頭ごなしの対処はマズイと感じたからです。しかし、その責任者らしき人は、こう言って反抗してきたのです。「どこにそんなことが書いてあるんだ。ダメなら最初からキチンと説明しておけ!」。偉そうにこう言ったのは、某民放キー局の取材クルーで、わざわざ東京から来ていた人たちでした。開いた口がふさがらなかった私は、テレビ放送とメディア対応の担当責任者を呼び、対処を委ねました。権利と報道協定(事前にメディア各社に取材ルールなどを示した資料)を楯に話し合ってもらうしかないと思ったからと、運営の立場としては、余計に混乱させない方が良いと判断したからです。テレビ局は、とにかく他局にはない画が欲しい、のです。しかし、これはワイドショーネタの出来事ではありません。公式のスポーツの大会です。ホストブロードキャスターですら、大会運営の規定に従って制作作業を行います。放送権を持つテレビ局、ライツホルダーも、決められた位置での撮影や取材しか受入れできません。それにもまして、メディアに関しては、取材ルールを守ってもらわないと、取材の公平さや公正さが保てないのです。ましてや、地方局の取材クルーではなく、大きなスポーツイベントでの取材現場を数多く経験しているだろう東京のキー局です。その時は、“こんなもんか!?”・・・、というくらいで、収めることにしました。

最近、大学や専門学校でのスポーツビジネス関連の講座が増えてきていることは、以前にも取り上げましたが、スポーツジャーナリストを目指す人のための講座やコースも、少なからずあるようです。私自身は、一度もジャーナリストというものに興味が沸きませんでしたので、スポーツに仕事として関わってきた経緯の中でも、スポーツジャーナリストという存在に対して、あまり考えを及ぼしたこともありませんでした。そうしている内に、スポーツイベントの現場で、メディアという対象として、数多くのジャーナリスト(記者そしてカメラマン)の人たちに接するようになって、彼らのスポーツに対する視点や考え方に、非常に興味を持つようになりました。彼らはどんなことを選手から聞き出そうとしているのか?。彼らは、この大会、試合をどのように評価しているのか?。彼らに最良の取材環境として何を望んでいるのか?、・・・などなど。しかし、先の出来事以来、本心から、スポーツジャーナリストという存在に、些か疑念を抱くようになりました。本当に、スポーツを見ているのだろうか?。ただ単に話題になるネタを探しに来ているだけじゃないのか?、・・・。

ほんの少し前、毎日新聞社の現役記者が書かれた一冊の本を読んでみました。タイトルは「スポーツ報道論」(創文企画刊)。“論”とあっても、全く堅苦しい内容では決してありません。著者は、本に書かれてある経歴によると、毎日新聞大阪本社運動部で高校野球取材班キャップを勤めている、滝口隆司さんです。いわき支局、福島支局など地方支局も経験し、その後、アテネ五輪取材班キャップなど、数多くのスポーツを担当されてきた現役バリバリのスポーツジャーナリストです。この本には、私がスポーツイベントなどを通して感じてきたスポーツジャーナリスト諸氏に対する幾分の偏見が、ある意味では、そうなるべくしてそうなっている現状が、具体的に書かれてありました。また、スポーツに対するメディアの視点そのものに疑問を呈している箇所もあり、スポーツを取材する側にも、スポーツジャーナリストのあり方に対する葛藤があることが、非常にリアルに書かれてあります。書店でこの本を手に取って、“はじめに”とある冒頭の5ページを読んでみると、そこに、こんなことが書かれてありました。

アテネ五輪で滝口氏が取材班キャップを務めた取材記事を、先輩記者は、「今回のオリンピック紙面は“日本県版”だったな」と言われたそうです。“県版”とは、全国紙の地方版のことで、つまりは、世界的大イベントのオリンピックを、日本選手だけを見た取材になっていたことに対する痛烈な戒めだったのです。“県版”では、おらが町の選手の活躍や出来事など、“わが県”の話題に終始します。これと同じことを、世界を相手にした取材でありながらやってしまった、ということです。冬季トリノ五輪でも、多くのマスコミは、競って日本のメダル獲得数を予測し合っていました。結果は金メダル1個の惨敗。日本選手のみに目を向けた日本のメディアによる取材は、結果的に、持ち上げるだけ持ち上げて、国際的視野を欠いた話題のみに終始してしまいました。同じ年のFIFAワールドカップドイツ大会でも、全く同じことが繰り返されました。決勝トーナメント進出を楽観視しすぎて、結果的に、1次予選敗退となって以降は、ニッポンの“ニ”の字さえ消えてしまいました。滝口氏は、この時の様子をこう書いています。『日本のメディアの海外取材経験が不足していたとは思えない。~中略~。しかし、一部を除き、多くのメディアの目は日本ばかりに注がれ、国際的な視点で冷静な批評が出来なくなってしまったのではないか』。

“はじめに”の5ページに書かれてあることだけでも、私の、スポーツジャーナリストに対する実際の姿を知りたい、という気持ちを、ますます強くさせてくれた内容でした。では、この本の中に書かれてあることの中で、スポーツイベントに携わりながら感じていたスポーツジャーナリストに対する少しばかりの“違和感”を前提として、活字メディアが抱いているジレンマについて、いくつか述べたいと思います。

滝口氏の著書「スポーツ報道論」の冒頭には、「なぜ、われわれはスポーツを書くのか、伝えるのか。何を目的にスポーツジャーナリズムは存在するのか、解き明かしたい」、と書いています。現場からの視点を前提として、この本の中には、活字メディアとして、特に新聞という日々生活の中に当たり前のようにあるメディアを通して、ニュースや批評、スポーツの裏側にあるものを読者に伝えようとする時にぶつかる、テレビというメディアとの葛藤が多数登場してきます。報道という視点から考えると、テレビは、映像を通して視聴者にその時々の出来事を、非常にリアルに伝えているメディアです。ライブで放送されるニュース報道には、そのリアルさに、時には圧倒されるものがあることも事実です。だからこそ、テレビは“画”が欲しいのです。最近では、ニュース番組の中でも、オリンピックや世界選手権で活躍する日本の選手たちを、アスリートとしての人となりを紹介したい、という視点から、時には家族を登場させ、時には小学校の同級生までを登場させ、その選手の生い立ちにまで言及しています。“お涙頂戴”パターンですね。これがニュースか?、と思うときも度々で、特にワイドショー番組内での取り上げ方は、それに輪をかけてドラマチックな演出に走ります。本当にこれが報道としての立場で得られた映像や情報の流し方なのか、私は些か疑問です。

スポーツは、勝負にかけるアスリートという人間の生き様が、如実に現れるものでもありますから、そこにはやっぱりドラマがあります。“スポーツは筋書きのないドラマだ”、と言われますが、やってみなければわからない勝負に賭けるアスリートたちの姿を、どのように捉えていくのか。そこが、ドラマとしてのテーマを見出す出発点であり、スポーツジャーナリスト個々の考えや視点の違いが及ぶところだと、私は思います。ある人はそのアスリートの敗退の原因を探り、ある人は敗退直後の気持ちの揺らぎを捉える。スポーツ競技の魅力や、大会の持つ特性やタイトルの大きななどによっても、“ドラマ”の捉え方は変わっていくでしょう。そこに、当然のことながら筋書きなどあろうはずもありません。しかし、時に、その“ドラマ”は巧妙に演出されます。選手たちの姿を撮影したものが、編集という技術で、全く違う意味合いを持つようになることがあります。テレビというメディアの特権であり、より感動や共感を得られるように各テレビ局が凌ぎを削るところでもあります。ただし、それは往々にして逸脱した方向に向かってしまうことがあるのです。映像は非常にリアリティの高い表現力かある一方で、見せ方ひとつで視聴者の抱く感情や考えをも180度違ったものに操作する力があると思います。その点を、テレビのジャーナリストは、どこまで捉えているのか、または、どこまでその力の大きさからくる影響力を認識しているのか、ということが、大きな問題だと思うのです。

視聴率、そして番組スポンサー。テレビにおけるスポーツジャーナリズムは、その経営資源を得るための手段に、本当に迎合せずに一線を画すことが出来るのか?。本音では、なかなか難しいものがある、ということは想像に容易いことです。いくらリアリティあるニュース映像でも、映像で視聴者を引き付けるための意図は、必ずそこに存在すると思います。その辺に関して言えば、テレビにおけるスポーツジャーナリズムは、スポーツ中継という番組があるだけに、報道と、番組としての娯楽という視点の使い分け、というジレンマの中にあるような気がします。

一方で、新聞や雑誌などの活字メディアは、言葉による報道が基本です。その言葉を生み出すのは、ジャーナリスト個々のスポーツの現場における取材力です。その時々の瞬間を映像の中で見せるだけで、ニュースの力を見せ付けることが出来るテレビと異なり、新聞や雑誌は、言葉なくしてニュースを伝えることは出来ません。そして、その言葉も、活字という消すことの出来ないものなのです。そして、書かれた文字、文は、読む読者によって、さまざまな考えを引き出します。だからこそ、活字メディアは、アスリートたちの言葉を聞きたい、そして語ってもらいたいのです。それを引き出すのが、所謂ペン記者としての使命であり、スポーツジャーナリストたる力なのでしょう。

ロッカールームを書く、という言葉が本の中にあります。活字メディアの本望は、ここにあるとしています。競技の裏側にある選手たちの気持ちやその移り変わりを、選手たちの言葉から掴み取る。それを記事として読者に伝えていくことで、勝負の裏側にあるスポーツの本質を伝えていく。それが活字メディアの真骨頂なのでしょう。新聞のコラムには、足で稼いだ成果が掲載されています。勝負や結果は、数字を並べるだけでも分かります。しかし、その裏側を、スポーツを書く、という軸足で言葉に綴る仕事が、コラムの中には表されています。それは、テレビによる映像での表現では、決して感じ得ない内容のものです。しかし、近年、その活字メディアの特性をも脅かすことが起こっています。テレビが、ロッカーの中をも凌駕しつつあるのです。ドキュメンタリーという視点から、競技の裏側にある選手の表情や、心情を、テレビカメラは映し出すようになっているのです。放送権という観点からの言及は、別の機会で取り上げますが、ここにも、報道と娯楽の見えるようで見えない壁が、活字メディアには大きなジレンマとして立ちはだかっているようなのです。番組とはいえ、それは報道、ということでの成果なのか?。はたまた営業努力としての番組作りの成果なのか?。その辺は、受ける側の選手や大会主催者としてのモラルや考え方ひとつで、どうにでもなるような時代になってきているのかどうか?。私にも違和感が常に生まれるところです。

スポーツイベントの現場で、新聞や雑誌の記者からは、時に、本当に助けになるアドバイスを頂くことがあります。しかし、テレビの取材陣とは、どうしても一線を画してしまう。私も活字派なのでしょうか?。最近の悩みです。



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2009年01月20日

「スポーツ専門メディアの価値と活かし方」その2 ~競技団体、リーグとのパートナーシップ

スポーツマーケティングでは、基本的に、スポーツそのものをマーケティングしていく、つまり、スポーツの市場性や経済価値を創造していこうとするマーケティングアプローチと、スポーツというコンテンツを利用してマーケティングしていく、つまり、スポーツの持つ特性や価値を利用してビジネスを創造していこうとかビジネスを拡大していこうとするマーケティングアプローチがあります。あくまでも、原則論で、それら2つのアプローチが一体となってアプローチが試みられる場合もありますし、一概には言えませんが、スポーツマーケティングの根本にある考え方として一般的に認識されています。

前回述べた、スカパー!などの衛星放送事業での新規契約者獲得のために、大きな放送権契約を行って、そのスポーツコンテンツの価値を利用することなどは、まさに、スポーツを利用したビジネス創造のパターンと言えるでしょう。ただ一方で、CS放送などでは、数多くのスポーツ専門チャンネルが登場し、普段地上波では見ることの出来ないようなスポーツや、日常的に世界のスポーツを、しかもライブでも見ることが出来るようになったため、スポーツそのものの市場創造に大いに貢献していることも確かです。しかし、スカパー!の契約者数を見る限りにおいて、世界のさまざまなスポーツの視聴機会は増えたり、Jリーグが全試合視聴できる機会が設けられるようになったこと以前に、そこにいる視聴者があまりにも少なく、本当に日本中のスポーツファンが満足できる環境にあるのか、というと、まだまだ創生期にしかすぎないように感じます。普及を目的として考えた場合、その先にいる潜在的な視聴者の数があまりにも限定されたものにしか過ぎないからです。

どんなに大規模な世界的なスポーツイベントや大会の放送権契約を獲得しても、それはあくまでも、放送事業者のビジネス目的以外何ものでもなく、逆に、視聴契約のない地上波放送のみしかスポーツを楽しむ機会がない多くのファンの立場に立つと、ある意味で、視聴機会が奪われている、というのは乱暴でしょうか?。

もし、Jリーグが、従来の放送権料を大幅に下げても、NHKなどとの契約を優先するスタンスを取っていれば、少なくとも、受信契約をしている世帯だけでも1,300万世帯を超えるNHK衛星放送での定期的な中継放送により、スカパー!受信契約世帯の数倍以上のファンが視聴機会を得られ続けていたのではないでしょうか?。それ以上にもっと多くの試合の中継を見たければ、スカパー!での中継を見る、という少ないニーズにも対応するようなテレビ中継環境を作ることになり、専門チャンネルと一般放送のそれぞれの利点を活かした共存体制が続いていたように思います。長期的な視野でのファン作りや顧客満足、ということではなく、やはり、目先の金を優先したのかどうか?。まだまだカバーする視聴規模が小さいCS放送やスポーツ専門チャンネルとの契約と、幅広く数多くの視聴者をカバーする地上波や一般チャンネルとしてのBS放送との契約を、一律で天秤にかけて放送契約をすること自体、普及の足枷になるような気がするのです。

バスケットボールの競技人口は、1995年から1996年にかけて、100万人を超える規模になっていました。現在のように個人登録制度にはなっていませんので、いまの数値との比較は正確ではないとは思いますが、それでも100万人という数は大きく、確かに、バスケットボールというスポーツは、ファッションとしても人気を博していました。人気漫画のスラムダンクやNBAの人気拡大もあり、バスケットボールの専門誌も、一般誌並みの発行部数を記録していたとも聞いています。スポーツの人気のみならず、スポーツをやっている人たちの規模を示すバロメーターとしても、スポーツ専門誌の市場規模は、格好の指標となります。それだけに、スポーツ専門誌は、スポーツファンや競技者たちを、確実にカバーしている特長的なメディアです。しかし、より幅広く潜在的な普及の種を植えて、芽を出させていくための施策としては、より幅広いニーズを捉えた情報を発信している専門性に捉われない一般メディアに注目してもらえるように、絶えず努力していく必要があります。スポーツというコンテンツを利用してマーケティングしていく、つまり、スポーツの持つ特性や価値を利用してビジネスを創造していける可能性を、それぞれのスポーツは、一般メディアにも理解してもらえる環境作ることが求められます。競技団体にも、リーグにも、そしてそこに加盟するチームにも、更には、そこで活躍する多くの選手たちにも・・・。

雑誌においては数万と数十万、テレビでは数百万と数千万と、スポーツを専門的に情報発信するメディアと、一般的な数多くの情報の中のひとつとしてスポーツを扱う一般メディアは、規模の論理からすると桁が違うものになります。しかし、メディアの力は、規模だけではなく、カバーする読者や視聴者が誰なのか、ということも重要な要素であると思います。スポーツ専門メディアが、コアのスポーツファンやスポーツ競技者に支持されていることは、そこで生み出される情報は、より専門性の高い情報であり、その価値を一般メディアにも利用してもらうようなアプローチが可能になるようにも思うのです。

そこから考えると、従来以上に、スポーツ専門メディアと競技団体、リーグなどのスポーツ関連団体との連携は、単なる業務的な契約や権利契約の枠を超えて、もっと密接なビジネスパートナーとなるべきだとも思います。メディアだから公平中立であるべき、とか、報道の自由の制約が生まれる、とかいう危惧もありますが、スポーツをより大きく普及し、やがては長期に渡っての強化の環境を作り出していくために、スポーツ専門メディアと競技団体やリーグは、スポーツの発展という共通の命題の下に、新しい協力関係を模索してもいいように思います。

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2009年01月19日

「スポーツ専門メディアの価値と活かし方」その1 ~スポーツ専門メディアの力

野球、サッカー、バスケットボール、バレーボール・・・と、スポーツ競技の専門雑誌は、数多くありますが、出版不況と言われる中で、確かに、実売部数を大幅に伸ばすことは、サッカーなどの人気スポーツでも難しい時代になって来ているようです。しかし、ファッションを中心としたものや、ライフスタイル提案型、トレンド発信型のものなど、所謂一般誌と言われる雑誌と比較すると、当然のことながら対象とする読者対象数の違いや編集テーマの一般性から見て、実売部数は桁が違うレベルにあります。しかし、そんな中でも、スポーツ専門誌の販売実績は、堅実だと言われています。元々部数の少ないものに対して堅実も何もない、と言われればその通りかもしれませんが、注目すべきは、ぞれぞれのスポーツファンや、特に、実際にスポーツ競技をやっている人たちの定期的な情報源として、読者層を確実に捉えやすいメディアであることです。よって、スポーツ競技をやっている人たちへ向けての情報発信メディアとしては、広告ひとつ取っても、情報の一部として捉えられやすいメディアである、という位置付けも可能です。イベントスケジュールから、その結果、そして、新しいスポーツ関連商品に関する情報など、実際にスポーツ競技をやっているからこそ、それら情報は読者に、価値あるものとなります。インターネット時代においても、スポーツ専門誌にあるようなスポーツ競技の細部まで知り尽くした記事や論評、そして選手やチームの動向に関する情報などは、検索してもなかなか手に入る性格のものではありません。スポーツ専門誌の編集者たちの、知識や経験に裏打ちされた専門的な観点からスポーツを見た記事は、スポーツ競技を実際にやっているから、その価値は、単なる結果や戦評的な情報よりも高いものとして受け入れられているのです。

20年以上もお付き合いのあるスポーツ専門誌の出版社の方が言うには、「スポーツ専門誌は、広告も情報のひとつとして取り扱う。スポーツメーカーの商品広告などは、スポーツ専門誌の読者にとって、それ自体が読みたい情報になっている。それ故に、編集記事のクォリティが悪ければ、広告の情報価値に負けてしまうことになる。だから、専門誌ならではの新鮮で専門性の高い記事の編集に力を注がなければならない。意外に、スポーツ専門誌の編集コストは高いんですよ」、ということです。特に、Jリーグなど、国内リーグの情報を取り扱っているスポーツ専門誌は、試合が行われる全国各地へ取材に出向き、そして写真を撮らなければならないため、スタッフの数はもちろんのこと、さまざまな経費だけでも馬鹿にならないといいます。ただデスクで記事を書いているんじゃ、スポーツ専門誌は出来ないのです。また、Jリーグを取り扱うサッカー雑誌は、週刊で発刊されているため、時には試合会場から東京の編集室へ、衛星回線を使って写真を伝送していたこともあったそうです。メディアのワーキングスペースとなるイベント会場のプレスルーム等で、通信設備や回線などがキチンと確保されていなければ、つい数日前の試合の写真がスポーツ雑誌をめくっても見ることは出来ない、ということなのです。

アメリカならばNBA、NFL、MLB。ヨーロッパならばサッカーの各国リーグやUEFAチャンピオンズリーグなど、海外スポーツを専門に取り扱う雑誌も多くなりました。しかし、ここでも通信社や公式カメラマンなどから供給される写真だけ使っていたら、何も差別化は出来ませんし、雑誌毎の特徴も出せません。スポーツ競技をやっている人たちよりも、もっと幅広く読者層はいますから、国内以上に専門的な観点から見た記事や情報が求められます。いまでは、海外の各地に契約する記者や派遣記者が数多くいるようですし、テレビ放送と連動して、インサイドストーリーやインタビューを豊富にするなど、ますます個性ある雑誌作りが求められています。こうした海外スポーツの専門誌にも、固定ファンは数多くいるのです。ちなみに、幅広い年齢層の読者に対する情報の伝わり方は、やはり、スポーツ競技をやっている比較的年齢層が絞られているスポーツ専門誌の方が、高いとも言われています。

こうしたスポーツ専門誌は、スポーツ競技が行われている限り、その情報は枯渇することはありません。毎日新しい情報が生み出されている、と言っても過言ではないのです。そして、その辺が、一般雑誌の存在と、スポーツ専門誌の存在の違いかもしれません。では、実際にスポーツ専門誌は、どの程度読まれているものなのでしょう。部数自体は、当然のことながら一般雑誌よりは低いものですが、それぞれのスポーツの競技人口にある程度比例している、ということも言えるようです。凡そですが、売れているもので一桁後半程度の部数(万単位)。売れていないが安定して発行されているもので一桁前半程度の部数(万単位)というレベルらしいです。つまり、先に述べたように、編集コストは、常識範囲以下のレベルまでに抑えると専門誌としての情報価値を損ねてしまうので、必然的に販売価格が一般雑誌よりも高めになるのは仕方ないことなのです。

では、広告媒体としての価値はどの程度なのでしょうか?。雑誌メディアは、その編集内容から、読者層がある程度計算されて発行されていますから、当然、実売部数が多ければ多いほど広告に対するレスポンス効果は高くなる、と考えられます。では、スポーツ専門誌は、実売部数自体があまり大きなものではないので効果が薄いか、と言えば、それは大きな間違いです。これは私も実際に経験していますが、かつて3on3バスケットの大会を全国で実施していた時、その参加者を募集する際には、バスケットボール専門誌にたった1ページの広告を掲載しただけでした。それだけで、何百、時には千を越えるチームが応募してきてくれます。人数にすると何千人という数の人たちに情報が伝わったことになります。もし、バスケットボールをやっている人たちのリストが、幅広い年齢層に分散してあったとして、それら全部にDMを送って1,000件のレスポンスを得ようとすると、仮に10%のレスポンスだとしても、約10,000通のDMを発送しなければならず、ハガキでも印刷などの経費を除いて50万円。ハガキで伝わる内容ではないと考えますので、封書にしたり、その送付物を制作したり、また、送付先のリストを入手することを考え合わせると、その金額は、数倍になるでしょう。つまり、バスケットボール専門誌を利用する上で、最も利点があるのは、バスケットボールをやっている、またはやっていた人たちに確実にリーチすることなのです。例え5万部の実売数としても、スポーツ専門誌の最大の特徴は、回し読み、つまり回読率が高いことですから、想定するターゲットへのリーチ率が高い上に、そこそこの数の読者の目に触れる確率が高いとすれば、広告目的が明確である限り、広告媒体としての価値は、信頼できるものだと考えます。ちなみに、5万人にハガキでDMを送付すると、それだけで250万円です。

テレビ放送においても、スカパー!など、CS放送の登場により、数多くのスポーツ専門チャンネルが生まれました。J SPORTS、GAORA、SKY-A+などなど・・・。ゴルフや卓球などの特定のスポーツに絞った専門チャンネルもありますから、どんどん契約していったら月の視聴料がいくら支払っても足りなくなってしまいます。先日のブログでもご紹介した通り、高校バスケットボールの選抜大会、ウインターカップは、昨年から全試合放送になりましたし、大会終了後ではあるものの、バレーボールの春高バレーも、全試合がCS放送では視聴できます。海外リーグはもちろんのこと、トップリーグから高校スポーツまで、これだけの数のゲームを地上波で放送することは不可能であり、CS放送によるスポーツ中継番組の増加は、間違いなく、スポーツファンを拡大することに、新しいテレビ視聴機会を提供しているという意味においては、十分に寄与しているように思います。

しかし、視聴契約をしなければ見ることは出来ないため、便利だからといって、その視聴者が爆発的に伸びているか、というと、それは理想通りには行きません。4チャンネルを持つJ SPORTSも、視聴可能世帯数は、昨年8月のデータで、761万世帯。ただし、ケーブルテレビ経由での受信可能世帯数が、その8割を超える規模です。また、直接受信が144万世帯ですから、スカパー!の個人契約数から見ると、約360万件に対して4割です。しかし、視聴“可能”世帯というのが盲点で、可能は可能でも視聴契約をしているかどうかの明確なデータは公表されておらず、少なくとも、契約数が確かなスカパー!の契約者数に対するJ SPORTSの受信可能世帯数を踏まえて、ケーブルテレビにおいても同じ割合で契約者がいると仮定すると、761万に対して4割ですから、304万世帯、ということになります。全国のテレビ放送受信世帯数からすると、約1割にも満たない規模となります。そして、すべてのJ SPORTS契約世帯が視聴したとしても、地上波的に視聴率で考えると、6%程度の数値になり、これが最大値ということなのです。半分の契約世帯が視聴したとして3%ですから、あくまでも数字遊びに過ぎませんが、スポーツ専門という観点から考えると、地上波でのスポーツ中継における平均的な番組の数値と、ほぼ一緒のレベルが、上限となるのでしょう。つまり、テレビとか、CS放送とかという見方ではなく、スポーツ専門チャンネルは、あくまでもスポーツ専門メディアという捉え方で、その媒体価値を想定することが妥当なのではないでしょうか?。ちなみに、J SPORTSの視聴可能世帯数は、ここ1年での増加数が、約15万世帯です。スカパー!自体がここ最近は契約数を伸ばしていませんので、ケーブルテレビ経由のものも含めて、今後もそれ程拡大していく気配はないようです。

年間30億円の5年契約という大型契約となったJリーグとスカパー!ですが、スカパー!の契約者が伸び悩んでおり、契約初年度から大幅な赤字が続いていると聞きます。視聴パックの値上げなどにも波及しているようですが、専門メディア的な位置付けを越えた経営判断が正しかったのか間違いだったのか・・・?。テレビジョンマネーはスポーツの発展に大きく影響する立場にある時代ですから、衰退の事態だけは避けて欲しいのですが、専門メディアこその、分相応のメディアとしての在り方を見極めて、CS放送としての特性を活かして欲しいと、ひとりのファンとして考えます。

スポーツを専門に取り扱うメディアは、個々のメディアがカバーするサーキュレーションは、極々小さいものです。しかし、それらメディアがカバーする読者や視聴者は、スポーツをやっていたり好きだから、能動的にそれらメディアに接触しています。つまり、専門性の高いメディアとして、その地位を確実に築いています。それでも、それらスポーツ専門メディアを利用する側から考えると、既存のスポーツ実践者やファンに対しての情報伝達力は高いものの、不特定多数の、いわゆる潜在的ニーズを持った人たちに対する波及効果は、それ程望めない、ということでもあります。普及、というよりは、現状の競技者層やファン層の規模を維持するための効果に、スポーツ専門メディアに対する期待は限定して考えるべきなのです。

Jリーグのスカパー!との契約や、BS放送でのWOWOWのサッカー欧州選手権、テニスの4大トーナメントなど世界のビッグイベントの独占契約など、新たな視聴者を獲得するために、多額の放送権料を支払い放送権を獲得するケースが多くなりましたが、それにより、視聴契約をしていない、または視聴環境が整えられないスポーツファンは、地上波での視聴機会を失うことになりました。逆に、地上波では見られなかったさまざまなスポーツ、スポーツイベントを、スカパー!やWOWOWで見ることが出来るようになった、という恩恵もあります。ユニバーサルアクセス権が法的に保護され、世界的なスポーツイベントのテレビ視聴機会を、視聴契約を前提とする衛星放送などが独占できない国もありますが、視聴契約者獲得のために魅力あるスポーツコンテンツを、次々と買いあさるビジネスありき、ビジネス優先というその姿勢に、凡そ、スポーツの普及という理想は期待できないでしょう。

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2008年09月28日

「テレビ界の苦境とスポーツ界の憂鬱」その4 ~デジタル放送時代のスポーツコンテンツ

前回取り上げたJリーグとスカパー!の契約は、2011年までのものです。そしてその2011年7月には、すべての地上波放送はデジタル放送に変わります。この時点で、我々のテレビの視聴環境は、どのように変わっているのでしょうか?。現在、既に地上波デジタル放送は開始され、デジタル放送対応受信機(テレビおよび専用チューナー)の普及率は、日本民間放送連盟の調べでは、今年6月で43.3%になるそうです。あと3年残されている中でこの数値が高いのか低いのかは分かりませんが、2011年7月には、100%になっているのでしょう。しかし、地方局などは、平均して40億とか50億もの設備投資を強いられたと聞きますし、「その1」で触れたようなCM不況の中では、これらの資金の回収もままならない状況にあり、全国127局の民放テレビ局も、再編の嵐に巻き込まれてしまうのか、と些か懸念する面も捨て切れません。夢のようなテレビ環境がやってくることだけを訴えるCMが放送されていますが、その裏では、前記のような投資の回収や制作コスト面での効率化を強いられている現場のテレビマンたちの苦悩があることを、ついつい想像してしまいます。

我が家では、まだデジタル化は進んでおらず、アナログテレビにスカパーチューナー、WOWOWデコーダー、BSチューナーなどが接続された状態です。どれを見るのも、録画するにも、いちいち外部入力を切り替える必要があり、デジタルテレビを楽しんでいらっしゃる人たちには、時代遅れの感じがするかもしれません。でも、時々考えるのですが、デジタルテレビ1台にCSやBSのチューナーが内蔵されていて、リモコンひとつで簡単に見たいチャンネルを選び出せるとしたら、地上波も衛星波も考えることはなくなるんでしょうね。もちろん、CSやBS用のアンテナは必要ですし、それぞれに視聴契約はあります。しかし、最近のマンションなどでは、アンテナが既に設置されていたり、ケーブルテレビが既に配線済みであったりするケースもありますから、そのような手間も要らないかもしれません。つまり、契約さえすれば、地上波と全く同じ環境で、チャンネル切り替えだけでCSやBS放送を視聴できることになり、特にスカパー!やWOWOWなどの有料放送への加入は、促進されるのではないかと考えるのです。

もしかすると、スカパー!がJリーグと締結した大型契約の真意とは、ここにあったのでしょうか?。

現状で、日本国内のスポーツリーグのほとんどは、CS放送のスポーツ専門のチャンネルで放送されています。バレーボールのVプレミアリーグのファイナル(NHK総合および衛星第一放送)や、女子バスケットボールWリーグのプレイオフ(NHK衛星第一放送)などは、地上波やCS放送よりも視聴世帯が多いBS放送で中継されるケースもありますが、それでも、テレビ中継されるリーグ戦の試合はほとんどすべてCS放送によるものです。J SPORTS、スカイ・Asports+、CSフジ739です。プロバスケットボール独立リーグのbjリーグは、GAORAでの放送をメインとしているようです。これらチャンネルを視聴するためには、個別に視聴契約必要とするため、ちょっと見てみたいと考えても、月単位の契約をしなければ見ることは出来ません。よって、いくらチャンネル切り替えだけで試合中継を見れる環境にあったとしても、視聴契約料を支払わなければ、実際には見ることは出来ません。当たり前のことですが、もし、各リーグがそれぞれのスポーツを普及するために、また育成していくことを目的のひとつとしてリーグを運営しているとするならば、リーグファンに「テレビ中継もお楽しみください」と言うのは、有料チャンネルにぜひ加入してください、というセールストークに過ぎなくなるのではないでしょうか。もちろん、地上波放送や無料のBS放送で放送してくれない事情があるからこそ、少しでもテレビ放送機会を増やしてファンを広げようとする意志は伝わってきます。しかし、放送している各チャンネルの意図は、あくまでも視聴契約の増加を狙ったビジネスであり、それは、前回述べたスカパー!のJリーグに対する狙いと大差ありません。

最近では、インターネット放送(IP放送)と言われるブロードバンド回線を通じたテレビ放送も行われています。コンテンツ毎の視聴契約制のものもありますし、レンタルビデオのようなオンデマンド式のものもあります。無料で視聴できるサービスもあり、民放テレビ局もこの分野には注目しつつあります。一部では、既に自社のWEBサイト上でサービスを開始しているケースもあるようです。テレビ放送事業のライバルとされていたインターネットが、テレビ局の別の事業の一面を担うようになる時代も、それほど遠い将来ではなく、必ず来る気がします。数年前、フジテレビやTBSの株式取得を巡って、世間を騒がしたことがありましたが、その時盛んに言われ続けていたのは、“テレビとネットの融合”ということでした。インターネットがテレビ事業の脅威となる一方で、テレビの新しい事業分野をインターネットが作り出すかもしれない。そんなことは、テレビ関係者は誰しもが「まさか」としか考えてはいなかったでしょう。しかも、テレビ局自らがインターネット放送に乗り出すとは・・・。

デジタルテレビ時代は、インターネットを含めて、放送事業のビジネスモデルそのものを変えていく可能性も秘めているのだと思います。そこには、単なる広告収入に依存した経営以外に、CS放送のような課金による加入者を募って運用されるサービスが生まれるかもしれません。スポーツは、どんなスポーツでも、そのライブ性を最大の魅力として、決してストーリーを描くことの出来ないドラマティックな側面も秘めているコンテンツです。そして、テレビが求める、というよりは、テレビ視聴者が求める魅力的なコンテンツであることも確かです。だからこそ、スポーツ界は、スポーツリーグは、デジタルコンテンツとしてのスポーツの魅力を、もっと真剣に模索して行かなければならないのだと思います。つまり、スポーツのあり方そのものが問われる時代になる、ということだと、私は考えています。

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2008年09月27日

「テレビ界の苦境とスポーツ界の憂鬱」その3 ~Jリーグ放送権契約に見るCS放送の捉え方

NHK地上波放送による全国放送は、5回。TBSによる関東エリアでの地上波放送は、4回。TBS系BS放送のBS-iを含めたBS放送は、53回。NHK各エリア毎のローカル放送が、18回。その他、民放地上波放送でのローカル放送が、113回。以上が、今季のJリーグディビジョン1におけるCS放送以外での試合中継の実績および予定です。あくまでも机上での拾い出しなので、実際の放送実績とは多少異なる場合もあると思いますが、一昨年締結されたJリーグのテレビ放送権契約の結末が、以上の内容となります。2002年からの5年契約では、NHKが全体の40%程度を賄い、テレビ放送の主導権を握っていたようですが、契約更新時に、約半額もの減額提示があり、Jリーグは、それまでの実績を維持するために、CS放送のスカイパーフェクTVと、それまでの3倍近くの金額にあたる大型契約を結んだ経緯があります。年間で約50億円と言われるJリーグの放送権料の約6割を、CS放送のスカパー!が賄うことになったわけです。契約では、CS放送での独占権はもちろんのこと、全試合のライブ放送の優先権もあり、必然的に、地上波放送も録画放送を強いられる環境の中では放送回数も減ることになり、また、全国をカバーするBS放送も、すべてをライブ中継できなくなりました。確かに、ディビジョン1だけでも、全34節、306試合をすべてテレビ放送という形でファンは楽しめることになったわけですが、あくまでも視聴契約を前提とするCS放送でしか見られなくなった環境で、果たしてJリーグファンやサポーターは本当に満足しているのでしょうか?。

Jリーグの年間運営費の約半分もの収入を賄うテレビ放送権を減らすことは、各チームへのリーグ分配金を減らすことにもなるため、リーグ全体の繁栄と言う観点では、やむなしとする見解もあることでしょう。しかし、スポーツをより普及し、底辺層をより拡大し、サッカーをより魅力あるスポーツとして育てていくためには、日本全国でJリーグがテレビ観戦できる環境を整えることも、一方では重要なことだったと考えます。サッカー関係者の中での賛否両論の意見を見たり聞いたりしましたが、そこに難しい決断があったことは、容易に想像がつきます。

CS放送の良し悪しを論議するのではありません。課題とすべきなのは、特定の視聴可能な人たちのみの特権として、Jリーグのテレビ中継があるならば、それは、単なるビジネスであり、サッカーの普及や育成と言う観点と切り離したところで考えられているのではないか、ということです。少なくとも、スカパー!主導型のテレビ放送契約を結んだJリーグには、プロリーグとしての命題のひとつを失わせた責任があるような気がします。それは、スポーツとしてのサッカーの普及と育成です。私の個人的な意見ですが、現状の年間50億円と言う金額は、J2も含めて年間620試合あるリーグ戦の放映権としては、単価レベルで考えると決してバカ高いものではありません。(1試合単価 約800万円)しかし、それはあくまでも平均値と言う数字を見てのことであり、J1とJ2では、その価値が大きく異なって当然ですし、J2に限って言えば、放送権料がどれほどのものが適正なのかは、正直に言って明解な答えはありません。平均1万人にも満たないJ2と、その倍の数へと年々入場者を伸ばしつつあるJ1を、単純に比較するのも無理があります。ただ言えることは、50億円と言う金額規模を維持することだけを画策したビジネス目線の結果だった、ということです。つまり、目先のリーグ経営のみに軸足を置いて結論を見出した、ということですね。

Jリーグスポンサーには、こうしたテレビ放送環境の変化に対して、何らかの不満や要請は、リーグに対してないのでしょうか?。スポンサーにとっても、CS放送主導のテレビ放送体制は、ピッチサイドに広告看板を掲出する効果を狙う点においては、視聴者の数や視聴者の顔というものが非常に意識される対象になると思います。サッカーが好きであるとか、サッカーを応援しているとかいう人たちだけがスポンサーのターゲットであるならば、それほど気にしません。しかし、いまやJリーグは日本のスポーツ界を牽引するひとつの大きな力を持つプロリーグになりつつあります。それだけの影響力がある、ということです。だからこそ、リーグスポンサー各社は、高いスポンサーフィーを支払い、リーグの試合を通して、広告活動を展開したり、マーケティング機会を模索しているのだと思います。彼らのターゲットは、サッカーフリークだけですか?。サポーターだけですか?。それは違いますよね。Jリーグは、サッカーのみならず、多くのスポーツファンや、その周りの家族や友達にも影響をもたらす存在になりつつあることで、大きな波及効果が期待できます。だからこそ、Jリーグのリーグスポンサーの価値は高まるのだと思います。それが、サッカーを見たい人たちだけにしかテレビ放送が届かない環境になっているとしたら、それは、目的とは全く逆行する行為を、Jリーグはしていることになります。(参考: 現状のスカパー!の個人契約件数は約370万件)

私が関わったあるスポーツイベントのスポンサーが、こう言っていました。「テレビ中継があるからと言って、CS放送じゃ何人の人が見ているのかわからないじゃない。しかも、好きな人しか見てないんじゃ、会場の中の観客に対して何か仕掛けたほうがメリットがあるんじゃない!?」。明らかに、CS放送の価値を見抜いた発言です。CS放送の存在が良いか悪いか、という論点ではないのです。CS放送は、元々がターゲットをセグメントして視聴者を獲得していくビジネスモデルの上に成り立っています。つまり、地上波テレビの視聴率のように、視聴者の数の大小でメディアの価値を捉えようとはしていません。スカパー!は、契約初年度に、全620試合の内、547試合を自主制作しました。26社ものプロダクションと契約するなど、多額の制作費も負担しなければならなかったのです。これだけの負担を負っても放送権を取った理由とはどこにあるのか?。当然のことながら、視聴契約の増加を狙ってのことに違いありません。テレビというメディアカテゴリーの括りの中だけで、この課題は決して解決できないのがよく分かります。

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2008年09月26日

「テレビ界の苦境とスポーツ界の憂鬱」その2 ~インターネットVSテレビ

テレビ局の広告収入は、大きく2つあります。ひとつは、番組と番組の間に放送されるスポットCM、もうひとつは、番組提供、つまりタイムCMです。スポットCMは、SB(Station Break)、つまり番組と番組の間の時間帯に流すものや、PT(Participating Time)、つまり番組内でタイムCMと一緒に流すものがあります。番組内では、番組の中間で提供チェンジと言うスポンサーの入替が行われるケースもあり、その隙間の時間で放送されるものもあります。スポットCMの売買は、1日の時間をA、B、Cなどのタイムランクに分けて、それぞれにCM単価が設定されています。しかし、スポットCMは1本単位で売買されるケースは、ほとんどありません。凡そは、GRP(Gross Rating Point)という視聴率の合計数値を用いて売買されます。3,000GRPという広告主からのリクエストに対して、テレビ局は、10%の視聴率が取れる時間帯に300本のCMを投下すると3,000GRPとなります。単純な例ですが、実際には、ターゲットに合わせた時間帯や放送期間を設定した上で、投下バランスを策定しますので、一概には言えませんが、考え方としては、その通りになります。つまり、単価が低い時間帯のCタイムで視聴率が高ければ、CMを投下する本数が少なくなり、そのテレビ局は、別のCMをより多く投下することが出来るため、広告収入を高めることが出来る、という訳です。逆に、視聴率が低ければ、GRPに見合うCM本数を投下しなければならなくなり、他に投下すべきCMすら削らざるを得ません。従って、広告収入は減少します。先に述べたCM単価は、基準でしかなく、CMの実際の単価は、視聴率に応じて変動しているのです。

テレビ局にとっての視聴率の重要性は、スポットCMの単価を左右していることである、と理解できますが、現在のスポットCM不況は、単純に視聴率の低下だけが起因しているようではないようです。インターネットというメディアとしてのライバルの台頭です。日経広告研究所が発表している今年度の広告費の伸張状況は、マイナス3.8%。テレビにおいては、5.7%減という予測を立てています。2007年度の媒体別広告費(電通調べ)の内容を見ると、テレビは約2兆円で全体の29%弱という規模です。そして、前年比0.9%減となっていますから、今年度の減少予測規模が如何に大きいかがわかります。では、成長している分野はないのか、というと、実は前年比で26%以上も伸びているものがあります。インターネット広告です。金額規模としては、制作費も含めると約6,000億円。テレビの1/3以下の規模に過ぎませんが、その金額は、雑誌広告の1.3倍、ラジオにいたっては3.7倍もの規模になっているのです。前年比割れが続く新聞広告が約9,500億円ですから、その差はまだあるように見えますが、成長率の差から考えると、逆転する日もそれほど遠くないようにも思えます。つまり、インターネットは、テレビに次ぐマスメディアに成長する可能性が見えている、ということです。

テレビは、速報性に優れたメディアである、という認識が過去にはありました。技術が進化して、文字やアナウンスだけの臨時ニュースから、映像もすぐに流せる体制もできており、テレビというメディアの強さが際立った時代もありました。しかし、インターネットは、その速報性という点でも、映像という点でも、テレビとの差異はなくなりつつあると感じます。逆に、速報性やリアルタイムでの試合速報は、完全にテレビ以上のメディアだと言えます。スポーツのライブ性や、やって見なければ結果は分からないリアリティ性は、インターネットでのライブ中継システムが、いまは見事にユーザーのニーズに応えています。映像による生中継も可能になりました。逆に、インターネットによる放送権の在り方に関する問題すら浮上する時代になっています。こうした中で、テレビによるスポーツ中継は、もはや生中継にその価値を見出していく以上に、何か別の付加価値を見出さなければならない時代になってきています。より臨場感を持ってスポーツの迫力を伝える制作技術、より鮮明な映像テクノロジー、そして豊富な情報と的確なその伝達技術など・・・。しかし、これには、またまた膨大にコストが掛かります。頻繁に使用するわけにはいきません。そして更に、前回述べたような制作費の削減という課題にも直面しているのです。ましてや、視聴率やコストの関係で取らざるを得ない録画中継などは、現状のテレビ局におけるスポーツ中継の中では、完全に負け戦にしか見えません。放送したいと言う需要に応じた収入を得るための手段として放送しているだけ、というのは言い過ぎでしょうか?。CS放送によるスポーツ中継の増大は、そんな地上波放送の隙間をついた結果かもしれません。

プライバシー問題や個人情報保護の観点から、最近では、インターネット広告の行動ターゲッティングなどの戦術分野の有効性が取り上げられるようになりましたが、テレビにはない明確なターゲットに向けての広告活動が可能になり、また、低い単価で成果報酬的な課金制度があるインターネット広告に、その需要はまだまだ集まり続ける気がします。テレビCMの単価下落による広告費の浮いた分を、インターネット広告に注ぎ込む広告主も少なくないと聞きます。もちろん、企業のコミュニケーション戦略は、現状のテレビCMを見ても、インターネットを軸として構築されつつあることは一目瞭然です。CMの最後に、検索ワードを表し、視聴者を検索サイトから自らのWEBサイトへ導く手法は、いまや当たり前のように見ることが出来ます。テレビCMは、いまやイーターネットへ誘導するための補完的メディアとして位置付けられているのでしょうか?。もちろん、全国ネットで10%取れば1,000万人と言う視聴者にアクセスできる、という理論上の方程式はまだ存在していると思います。しかし、その1/100の人であっても、しっかりと顔が見えている消費者と向き合える機会を創出するインターネットと言うメディアの利点は、テレビの“規模”や“速報性”のみを背景とした利点を、完全に別の次元で凌駕しつつあるかもしれません。

posted by umekichihouse |06:49 | メディアとスポーツ | コメント(2) | トラックバック(1)
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2008年09月25日

「テレビ界の苦境とスポーツ界の憂鬱」その1 ~CM不況とスポーツへのしわ寄せ

北京五輪期間中に書いたブログでも取り上げましたが、スポーツは、テレビなどのメディアによる報道や、テレビやラジオ放送による試合中継の影響を大きく受けます。政治、経済、事件などの報道と比べると、単なる情報を伝えると言う側面以外に、スポーツには、エモーショナルな部分、つまり、感動や喜び、悔しさなどの感情という側面が常に付き纏うからだと思います。そして、メディアには、スポーツの魅力を伝える力がある一方で、そのひとつひとつの情報の取り扱い方次第では、スポーツの存在価値や存在意義にさえ強い影響を及ぼす“反作用の力”もあります。「生かすも殺すもテレビ次第」。いま、それ以上の難題が、テレビ界とスポーツ界に忍び寄りつつあるのです。

スポーツ中継やスポーツ報道のあり方は、北京五輪後も、あちこちで論議されていました。オリンピックの機会でしか取り上げられないようなスポーツは、オリンピックで脚光を浴びることで、その後の競技人口の底辺の拡大を目指そうとしますし、フェンシングなどのように、全く予想もしていなかった躍進から、一躍脚光を浴び、注目されるようになった競技もあります。逆に、あれだけ期待されていたバレーボールは、全くメディアの舞台から消え去りました。もちろん、一時的な現象だと思いますが、メディアによる報道の力や、テレビやラジオによる試合中継の波及力は、スポーツならではのファン心理や人気というエモーショナルな人間の感性に強く影響することを、まざまざと見せ付けています。だからこそ、メディアには、スポーツをしっかり支える姿勢を持っていただきたいですし、強い影響力があることを、しっかり自覚していただきたいと考えます。“テレビ次第”というのは大袈裟ですが、それだけスポーツとテレビ、そしてメディアの関係は、社会にある他の何よりも、ある意味で純粋で、ある意味で経済観念を無視したものが、時には求められるものなのだと思います。そして、そうあって欲しい、と私は考えています。

しかし、そのメディアが、広告不況の煽りを受けて、各社の経営環境を悪化させつつあります。特に、テレビ業界は、昨年以降、主力事業である放送事業における広告収入を大きく減退させており、今年度の中間決算を迎える時期となったいまでも、その下降線は続いています。民放テレビ局の飯の種とも言われるスポットCM収入は、今季の第一四半期でも、前期比で10~15%の落ち込みがあり、営業収益を最大で7割近くも落としています。この影響で、最も懸念されるのが、制作費の削減であり、最も影響を受けやすいのが、スポーツイベントの放送機会が減少することなのです。映画などと同様に放送権料の負担に関する懸念もありますが、それよりも、金額的に流動的な性格を持つスポーツイベントの中継に掛かる制作費の負担の方がクローズアップされやすいのです。

私の経験の中でも、マイナースポーツのテレビ中継などをお願いする場合などでは、テレビ局は、自前での費用回収のための営業はしてくれません。所謂、番組の成立に関わるすべての費用を“持ち込み”または“買い切り”という手法で、イベント主催者やその代理人である広告代理店に負担させるのが一般的です。15%前後の高目と言われる視聴率を狙うことが確実視されるような話題性のあるものや、テレビ局がイベントや大会の興行権をもって運営するようなものは別として、5%も期待できないようなスポーツイベントは、いくら金額を積んだとしても、期待するような時間帯で、しかも生中継と言う高コストな制作体制は組んでくれません。視聴率が見込めないということは、テレビ局全体として、飯の種であるスポットCMで稼げないからです。

テレビ広告は、在京キー局を始めとして、どの民放テレビ局にとっても、その経営の屋台骨を支える収入源です。音楽出版事業や映画製作などのその他の事業の収益率を上げて、収入構造全体を変えていこうとする動きは、最近ニュース報道などでも目にしますが、それはつまり、従来の広告収入に依存しない経営環境を作ろうとするものです。広告市場は、所謂景気に大きく左右されますし、また、今回のリーマンブラザーズの破綻などに端を発する経済環境の悪化や、先の原油高などによる企業のコスト増を受けての広告費削減などの、予期せぬ事態によるものも多々あります。何れにしても、すべてを予測して備えていくことは、広告収入に頼る限り、無理であると言わざるを得ません。来春には、日本で最大の広告費を誇るトヨタ自動車が、メディア費用を中心に、なんと3割もの広告費を削減すると発表しています。リーマンブラザーズの破綻に連鎖して、アメリカの大手保険会社のAIGの経営悪化は、日本での広告市場にも大きな影響をもたらすでしょう。そして、食品偽装や中国製食品の問題などにより、広告市場でも大きなウェイトを占める食品や生活用品にその累が及ぶとすると、日本の広告市場は、テレビのみならず、広告を大きな収入源とするすべてのメディアの経営環境を逼迫される恐れさえあります。

こうした中で、新しいコンテンツに取り組んでいこうとか、放送体制を拡大しようとかいう機運が、テレビ業界にあるはずもありません。一番影響受けるのは、スポーツであるような気がします。北京五輪は、広告不況を払拭する起爆剤としても期待されていたようですが、前回のアテネで上げた109億円の広告収入を上回る112億円は確保できたものの、それは8月だけのことで終わり、9月は再び不況の中に舞い戻る格好になっているとのことです。大企業が集中する東阪名の大都市圏も然ることながら、地方局の苦悩振りは、その数倍以上のものであると聞きます。プロバスケットボールの独立リーグbjリーグ、日本バスケットボールリーグ、JBLに加盟する2つのプロ球団、そしてJ1の各チームにおいても、地方局でのローカル放送ですら、一部には、ゲーム主催者に金銭的負担を求めないと放送が出来ない、というケースも当たり前のようにあると聞きます。それは、視聴率だけの問題ではありません。そこには、CM単価の下落による制作コストをカバーすることすらできない悪循環も生み出されているのです。

posted by umekichihouse |06:28 | メディアとスポーツ | コメント(0) | トラックバック(0)
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2008年09月02日

ラジオによるスポーツ生中継の魅力と可能性

北京五輪出場を掛けて、去る1月29日と30日、ハンドボールの五輪アジア予選再試合が行われました。会場は、国立代々木第一体育館。関係者の話しによると、フジサンケイグループが30年近く前に、国立代々木競技場周辺でスポーツフェアというイベントをゴールデンウィーク期間中に開催していた時に、1度だけ、第一体育館で国際試合を行ったことがあったらしいのですが、公式戦はもちろん今回初めて。審判のジャッジ問題に揺れたアジア選手権も、スカイホール豊田という5,000人弱の施設でしたから、その倍以上のキャパシティの会場で、しかも、男子は満員の観衆の中で、韓国と戦いました。結果は惜しくも敗れましたが、満員の観客のハンドボールを見つめているその視線は、ボールの動きから離されず、まさに凝視していたといってもいいくらいに、熱狂していました。そして、私が、この突然吹き荒れた狂騒曲の中で、最も興味深かったのは、ラジオによる生中継が行われたことです。

当日は、テレビ中継は生でNHKが行いましたが、これも凄いことです。ゴールデンタイムのど真ん中で、ハンドボールが中継されたのですから・・・。バスケットボールを愛する私としては、大いに嫉妬心をかきたてられました。しかし、マイナーな領域におかれたスポーツにも、必ずチャンスは訪れることを証明してくれた例として、大いに敬意も払わせていただきました。そしてラジオですが、ニッポン放送による生中継が行われたのです。担当したニッポン放送のアナウンサーの奮闘ぶりが、WEBサイトでも掲載されていましたので、毎日楽しく見ていましたが、普段、野球はもちろんですが、サッカーも中継しているベテランでも、相当緊張するものなのですね。一番の課題は、やはり、ルールはもちろんですが、試合の展開具合が、経験的に頭に入っていない分、試合の流れの具合でアナウンスのポイントを何処に置くべきか、という事らしかったです。ハンドボールは、1997年に熊本で世界選手権を開催しており、熊本放送も中継していました。その時の実況の音声をダビングしたMDを手に入れてまで、研究に研究を重ねたらしいです。男子の試合の中継を担当したアナウンサーの放送後記が載っていましたが、「何を喋ったか全く覚えていない」、ということでした。

ラジオによるスポーツの実況中継は、プロ野球や高校野球はもちろんですが、Jリーグが創設して以来、サッカーのラジオ中継もかなり増えました。タクシーなんかに乗っていると、昼はサッカー中継が聞こえてきたり、夜はプロ野球、と言った感じが当たり前のように思えたものです。昔は、ボクシングなんかもやっていたそうですが、スポーツのラジオ実況というのは、映像が見えない分、かなり頭の中で想像を豊かにしますよね。ただ音楽のように聴いているのではなく、場面場面で頭の中でその様子を再現してしまうのです。それが、楽しかったりします。ただし、中継しているアナウンサーにとっては、そうはいきません。個人的な感想ですが、スポーツ実況というのは、ラジオ実況の技術が基本となるのではないでしょうか。ラジオでは、サッカーでは経過時間も分かりませんし、野球では投球カウントもわかりません。アナウンサーは、刻々と変化する試合状況を、テレビで言うならばCGで表示されるスコアボード情報も加味して、しっかり伝えなければならないのです。まさに、専門職の技術です。サッカーでも、単に得点シーンだけでは中継したことになりませんし、誰が得点に絡み、誰がアシストし、ディフェンダーは何処にいたのか、というところまでのリアリティがないと、聴いている方はイライラしますよね。しかし、それが伝わってくると、目で見ている以上に興奮することも多々あります。テレビで見ていると、常時100%試合に集中しているということは、まず無いです。でも、ラジオでは、聞き逃すと何がなにやら分からなくなってしまうので、目では何か別なものを見ているとしても、“耳はダンボ状態”でラジオに集中していると思うのです。

テレビの中継で、あまりにも実況がうるさく感じることはありませんか?。ラジオじゃないんだから!・・・、と怒ってしまう時が、某局のサッカー中継や、とある局のバレーボール中継なんかでよくありますが、逆に言うと、ラジオの中継って、最近聴いた記憶がないな・・・、と思ってしまいます。子供の頃は、田舎でしたので、その辺の原っぱで遊びながら、高校野球中継なんかを聴いてました。結構臨場感があるんですよね。ラジオを聴きながら、自分たちも野球したり・・・。そう考えると、スポーツのラジオ中継の魅力を、もう一度再認識してみても良いのでは?・・・、と考えてしまいます。確かに、広告媒体としての価値は、その広告費の減少具合からも顕著です。2007年の実績でも、インターネット広告の1/4程度ですから。だからこそ、何か新しいラジオの魅力に、何か新しいコンテンツに取り組んでも良いのでは?、と思います。広告ソースも広がるのではないでしょうか?。(広告代理店の方々には、そんなにうまくいくか!、とお叱りを受けてしまうかもしれませんが。)

地上波テレビでの放送が、年間に数えるほどしかない(たぶん2回くらい)バスケットボールは、ハンドボールで実証したように、テレビでの中継が無理なら、ラジオでの中継実績を作ってもいいのではないでしょうか?。要は、ハンドボールの時のように、中継経験を積んでいける環境が整えばよいと思うのです。NBAなどのプロスポーツのラジオ中継は、アメリカでは当たり前のように行われています。バスケットボールでも、世界選手権などの世界大会クラスのイベントでは、南米やヨーロッパからでも、ラジオ中継の申請は少なくありません。NBAなんかには、フランチャイズタウンの地元局に、必ず名物アナウンサーがいるそうですね。

得点が次々と加点され、トランジッションが早いスポーツなので、相当な慣れは必要でしょうが、ハンドボールであれだけやったのですから、絶対に無理ではないと思います。ニッポン放送さんに、まずは拍手です。
HANDBALL OQT 2008


posted by umekichihouse |04:28 | メディアとスポーツ | コメント(0) | トラックバック(0)
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2008年08月26日

73分間に凝縮された北京オリンピック

スポーツの真髄と、アスリートたちの情熱と、そして一部の政治情勢が引き起こした悲劇をも含めて、17日間の北京五輪は、その幕を閉じました。すべての競技の終了から、24時間後の、昨日、25日19:30より、NHK総合テレビにて、恒例の「総集編」が放映されました。わずか73分間の番組に凝縮された北京五輪は、17日テレビ中継されたNHK地上波だけで200時間に及ぶ白熱のオリンピックを、見事に表現し、終幕にふさわしい内容でした。「夢の飛翔」と題されたこの番組は、北京での明日アスリートたちの活躍もさることながら、北京五輪の置かれた複雑な政治情勢の狭間も避けることなく表現し、今回のオリンピックの素顔を、忠実に現したものだったと思います。
逆に、閉会式前に、日本テレビ系列で放送された「総集編」。それは、私が思うには、北京で活躍したアスリートをタレント化して、視聴率を稼ごうとする、低俗なバラエティにしか映りませんでした。帰国していたメダリストたちは、ほとんど登場していたものの、その内容は、決して「総集編」と呼べるものではなかった、と思います。
日本テレビは、プロ野球初のテレビ中継。サッカーのトヨタカップのホスト局。箱根大学駅伝の完全中継。全国高校サッカー選手権の開催、そして世界陸上なとなど・・・。その功績は、書籍として出版されるまでに高く評価されています。しかし、世界最高峰のスポーツイベントの「総集編」が、この内容なのは、やはり視聴率だけが欲しかったのでしょうか?。スポーツ中継の担い手、パイオニアとして君臨し、多くの偉業を成し遂げてきた日本のテレビ界のパイオニアとしてプライドは、もはや化石と化したのでしょうか?。一ファンとして、残念でなりませんでした。
高騰するテレビ放映権料を背景に、NHKと民放局が組織するジャパンコンソーシアムも、オリンピック毎に、その負担は増加しています。それが故に、視聴率の獲得は、経営へのインパクトも高くなってきていることは、十分に理解できます。しかし、民放局で、唯一の「総集編」放映権をもつ日本テレビがあの内容ならば、日本テレビのスポーツ番組のレベルは、どうなってしまうのですか?。オリンピックを、スポーツを、全く理解していないディレクションであって、せめてスポーツ部署主導の制作でなかったことを祈ります。それほど、ひどかったと、私は思います。
また、日本テレビに限らず、今回の北京五輪における民放局の中継については、あまり評価されるものではなかったと思います。NHK衛星第一放送が民放と共に同時中継していた種目は、視聴可能な場合は、多くの人は、NHKを見たのではないでしょうか。特に、フジテレビのアナウンサーの知識の乏しさと、コメントの貧弱さには、呆れてしまいました。押並べて、タレントの起用による視聴率の獲得作戦は、理解できなくはありません。しかし、彼らを全くコントロールできていない番組ディレクションは、果たしてスポーツ中継のプロと言えるものなのでしょうか?。非常に疑問です。自社で高い放送権を拠出し、ショー要素を重視してゴールデンタイムで中継しているバレーボールの国際大会は、すべてがフジテレビやTBS単独での放送ですし、単一種目のみの大会ですから、視聴者には選択肢もあり、許せなくはありません。視聴率なくして、民放局の経営は成り立ちませんから・・・。しかし、オリンピックの中継は、IOCが言うまでもなく、公共性が高いという意味合いもありますし、また、それは真実を忠実に伝えるものであるべきと考えます。もちろん、コメンタリーも必要ですし、中継する種目の魅力を伝えるための、多少の演出は必要だと思います。でも、限度はありますよね。主役は、スタジオのタレントではなく、競技をしている選手たちなのですから・・・。
NHKは、かつてツール・ド・フランスという世界最大の自転車レースを、総集編という形で放送していました。距離3,500km、高低差にして2,000mを、3週間に渡り激走する世界一過酷なレースを、90分という時間に、その魅力とレースの醍醐味、チームとしてのサポート体制の妙、そして個々のレーサーたちの葛藤など、3週間のすべてを凝縮していました。サッカー・ワールドカップの時も同様です。NHKの制作能力とスポーツを知り尽くしたノウハウの高さに敬服します。
スポーツを知り尽くしているからこそ、日本のテレビ局は、数々の国際スポーツイベントで、ホストブロードキャスターとしての大役を任され、見事にその任を果たしてきました。世界陸上(日本テレビおよびTBS)、世界柔道(フジテレビ)、世界水泳(テレビ朝日)などなど・・・。その実績が評価されて、NHKを始めとして、今回の北京五輪放送機構(BOB)にも多数参加していました。それが、本家本元の日本での中継がこれでは・・・。
賛否両論あるでしょうが、4年に一度だからこそ、スポーツのありのままに伝えて欲しかったと思うのは、私だけでしょうか?。
ちなみに、24日に日本テレビで放送された「総集編」は、関東地区で14.3%という平均視聴率でした。また、オリンピック期間中に、民放各局が残した視聴率の実績の主なものは、下記の通りです。(新聞に掲載されたビデオリサーチ社による関東地区の視聴率データを抜粋)
1. 28.1% 日本テレビ(マラソン女子 17日)
2. 19.2% フジテレビ(野球予選 韓国戦 16日)
3. 19.1% TBS(野球予選 台湾戦 14日)
4. 15.6% TBS(柔道女子 48kg級 9日)
5. 13.0% 日本テレビ(ソフトボール 準決勝アメリカ戦 20日)  以上が、民放ベスト5です。

posted by umekichihouse |03:44 | メディアとスポーツ | コメント(0) | トラックバック(0)
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