2009年03月20日
部活の数が減少し、特に運動部の指導教員に掛かる負担が増大している。それは、部活に関わらず、教員が抱える日常の仕事量の増大、そして、指導教員の置かれた環境、つまり、制度そのものにも起因しているようで、少子化が進む中、日本のスポーツの普及の根底にあったはずの部活は、その裾野をしぼめる傾向にあるように感じます。今回は、このブログを通してお会いする機会を頂き、スポーツビジネスに関する教育や、スポーツの指導、強化という現場について、いろいろとお話させていただく機会がありました、お二人の大学の先生にお聞きしたご意見をご紹介したいと思います。お一人は、和光大学経済経営学部准教授で、スポーツビジネス論を担当されている原田尚幸先生です。そして、もうお一人は、愛知学泉大学経営学部准教授で、バスケットボールコーチ論などを研究分野とし、実際に男子バスケットボール部の監督を務められている山本明先生です。お二人には、あくまでもご好意で、中学や高校の部活の現状を、指導教員の在り方や、指導教員が現実に直面している課題などを前提として、いろいろとご意見を賜りました。
JOC、日本オリンピック委員会のゴールドプラン専門委員会「国際競技力向上のための諸問題検討プロジェクト」メンバーや、日本プロスポーツ協会のキャリアサポートセンター運営委員なども務められている原田先生には、スポーツビジネスを研究されている立場から、以下のようなご意見を頂きました。
原田先生は、「実績のある指導者、充実した施設と設備、そして奨学金や遠征費のサポートなど、タイガーマスクの『虎の穴』のような学校と、そうでない学校の二極化は、今後も進むものと推察される」、とした上で、学校の部活に競技力を担う役割は限定的である、と述べられています。それは、顧問教員の存在による影響力が大きく、継続性や一貫性に乏しいから、ということです。つまり、学校教員のマニュアルとも言える学習指導要領に明確な位置付けがない課外活動としての部活に、競技力向上を期待するのには限界がある、ということです。
更に、JOCのプロジェクトメンバーの立場から、日本のスポーツ界が求められている国際競技力の向上という視点では、学校の部活よりも競技団体を主体としたジュニア期からの育成プログラムの開発、展開が図られている、とも述べられています。確かに、サッカー、バレーボール、新体操などは、マスコミ報道でも取り上げられた経緯がありますが、英才教育的な選手の育成や強化におけるプログラムが、競技団体主導で進められているケースも出ています。昨年4月からは、ナショナルトレーニングセンター(NTC)を拠点として、JOCが運営する“JOCエリートアカデミー事業”もスタートしました。では、スポーツの普及という側面での学校の部活についてはどうか?。
原田先生は、これに対しては、2つの側面からご意見を頂きました。教員側の事情と、子供を取り巻く環境の変化、ということです。教員側の事情ということでは、特に、教員としての日常の業務が多忙であり、自己犠牲的な取り組みをしないと、部活の指導まで手が回らないのが現状であるようです。手当てなどの金銭的な補助があったとしても、その犠牲の度合いを補うことは難しいのでないか・・・、とも述べられています。また、これは後述の山本先生ともご意見が一致するところですが、教員のやる気の問題もあるといいます。半ば強制的に担当させられていたり、やむを得ず希望とは異なる部活の担当にならざるを得なかったりする場合もあります。原田先生は、これらに起因して、一生懸命に活動したい、指導して欲しいと願う生徒のモチベーションが低下したり、時には生徒間でトラブルに発展するようなことを危惧されています。やる気の問題は、当人である教員の問題だけに止まらず、生徒にもその影響が強く及ぶことで、決して教員の自己責任に留まる問題ではなく、時には生徒の保護者との軋轢を生むことも有り得るようです。
子供を取り巻く環境ということでは、生徒の部活動に費やす時間が減少していることに注目されています。ベネッセ教育研究開発センターのデータ(2005年)によると、受験対策のために塾に通う生徒の割合が、中学1年生では36%、中学2年では約半数の44.9%、そして中学3年では59.4%と6割にもなっており、これでは、あくまでも課外活動である部活動に費やす時間が少なくなるのも当然でしょう。また、同センターの2007年のデータでは、小学5年生の男子生徒の65.4%が、スポーツ系の習い事、つまり、水泳、柔道、体操、野球、サッカーなどの地域のスクールなどに通っている、という調査結果もあるそうです。そしてこの数値は、10年前と比較すると10%も高いものになっているそうなのです。以前取り上げさせていただいたスポーツライターの生島淳氏のコラムでも、、「北京五輪のメダリストを見ると、部活動育ちではない選手が増えている」、として、スイミングスクールや町の道場、親子での師弟関係の中でのトレーニング環境などが、メダリストの競技環境としてのベースになっていることを述べていましたが、生徒の保護者が望むスポーツの指導環境は、もはや学校の部活にはないことを、保護者が見限っているのかもしれません。また、スポーツを通して健康になって欲しい、たくましくなって欲しい、という目的意識と、どうせやるなら子供を勝たせてやりたい、強くしたい、という目的意識の、保護者の二極化も進んでいるのかもしれません。もちろん、このことを突き詰めれば、家庭の経済力や生活環境にも及ぶ課題に行きつく可能性もあり、単に学校の制度や教員云々というレベルを超えた問題になるのかもしれません。
では、実際にスポーツの指導の現場に立ち、また、指導者に対する講習会の講師なども務めていらっしゃる愛知学泉大学の山本明先生のご意見をご紹介したいと思います。山本先生からは、指導の現場から見た中学や高校の先生方の姿や意識を、率直に述べていただきました。また、社会人としての教員となる直前の学生を受け持つ立場としてのご意見も、忌憚なく述べていただいています。
山本先生の最も強調するところは、教育者の質の変化です。意識の変化と言えるかもしれません。これは、勉強や学習という側面からの教師としてのテクニック的なものではなく、所謂「先生」としての資質のことを仰っているのです。山本先生は、運動部を担当する教員が生徒を指導していく上で、ひとつの考え方を明確に持っていらっしゃいます。「指導する立場の人間が、選手を育てようと思えば、選手の人間性を高める教育を行い、選手がスポーツに対して取り組む考え方や態度を方向付けてあげるべきであり、それこそが勝利にも繋がり、スポーツの価値をも感じる道だと思っている」。つまり、技術とか戦術とかいう以前に、人間そのものの価値を伸ばし、向上させていくための哲学なり、方法論なりを、指導する側がしっかり持つことが重要で、その結果は自ずと付いてくる、ということなのだと思います。実際に、バスケットボールというスポーツの部活を担当する先生方に対する指導をされている立場として、最近では、コーチングの哲学のようなものを、まず伝えることに重きを置いているようです。
以前は、山本先生も、スポーツを専門的に経験したり学んでこなかった先生方に対して、どのようにして子供たちを育てていって欲しいか、などということは真剣に考えていなかったそうです。しかし、そうした先生方に対する講習会などを経験する中で、その立場が考え方を変えさせた、ということのようです。「技術や戦術論は、やる気があれば勉強できる。大事なことは、チームを作ること。チームを作るために選手たちに何をしなければならないかを教えること。これがまず大切なことです」。経済産業省では、“社会人基礎力”というものを提唱し、これを大学と企業が連携して企業が求める力を大学で養って欲しい、ということを打ち出しているということです。山本先生は、これに当たるのが、先の“チームとして働く力”だと言います。部活は、個人競技のスポーツであっても活動は団体活動であり、それはチームとしてのものです。
確かに、私も社会に出て、良い意味での組織力の強さ、というものを学びましたし、肌で感じてきました。そこには、自分の力を活かせる組織か否か、自分を活かすためにはどうしたらいいか、そして、強い組織にするために自分は何が出来るか、ということを考えさせられる場面が多々ありました。私も組織を預かる立場に置かれたこともあるので、山本先生の仰る“チームとして働く力”というのは、それを構築していくのも、育てていくのも、それ程簡単ではない、と認識しています。組織を強くするために、時には人間としての個性を削ぐ判断に迫られる時もありましたし、それでいいのか?、と自分自身で葛藤したこともあります。昔は運動部に在籍していた学生は就職に有利だ、と言われていました。それは、根性とか、我慢とかいう精神論的なものが根底にあったことは間違いありません。しかし、いまこうして考えてみると、“チームとして働く力”が身に付けられていた、ということも大きな要因だったのでしょう。中学の部活に関してこうしたことまで考えるのが、適当かどうかは分かりませんが、少なくとも、人間力という側面としては、ひとつの大きな要素であり、育てるべき資質のひとつであることは間違いないようです。
しかし、山本先生は、現在の教育界、特に部活をテーマとするならば、教員の評価というものは、“育てた指導者”よりも“勝たせた指導者”に対するものの方が高い、という考えも一部にはある、と言います。また、このように考える指導者も多いそうです。選手のための部活ではなく、指導者の功績のための部活。決してそれだけではないと思いますが、そうした意識に向かわせる学校経営や、保護者の存在があることも無視は出来ないでしょう。それが、勝利至上主義を生み出す要因のひとつになっていることも事実だと思います。外部から指導員を招聘して部活の存続を維持しようとする動きは、山本先生の地元である愛知県では、かなり以前から取り入れられているそうです。東京都では、ようやく来年度からその制度が導入される、という報道がありました。しかし、私は、ひとつ間違えると、外部からの指導員の招聘には、先に述べたような勝利至上主義を生み出すキッカケになるような危惧も感じないではありません。指導員そのものに対する評価の基準や、その評価に対する考え方の問題だと思います。
山本先生は、“人を育てる”という意識を持った教員が少なくなった、と言います。法制度(個人情報保護法など)の改訂などによる業務体系の変化や複雑化が、教員の仕事の現場をますます忙しくさせていることは確かなようです。しかし、それが教育の質を低下させる原因になっている、ということはなかなか言えないでしょう。それは、制度が制度を否定してしまうことに繋がるからです。また、教員はサラリーマン化している、とも言われています。サラリーマンであって、何が悪い?、という教員もいるかもしれません。それも否定は出来ません。ただし、その否定できないところに、問題の根源があるようにも感じます。私のような教育の素人には、そこまでしか言えませんが・・・。
現在は随分と様相を変えてきていますが、かつての日本のスポーツのトップは企業スポーツが支えていました。そして、日本のスポーツの底辺を支えていたのは、中学校や高校の部活です。その証拠に、各競技団体に登録されている競技人口は、基本的には学校の部活に所属する生徒たちの数が大半です。その部活が減少しているのは、間違いのない事実ですし、今後はますますその減少は進むことも間違いありません。原田先生は、現在の実情から、生活環境などを含めた時代の変化が部活の在り方を変えている、と仰っているように感じました。また、山本先生は、教員の意識の変化(質の低下ということも含めて)が部活の在り方を変えつつある、と仰っているように捉えました。何れにしても、まだまだ決定的な解決策は見つからないでしょうし、都市、地域によっても実情は随分と異なっているようです。お二人のご意見をお聞きして、ますます事の深刻さを痛感させられました。
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2009年03月19日
日本コカ・コーラ社は、新入学シーズンに行うスポーツ飲料“アクエリアス”のキャンペーン・テーマに、部活を取り上げるようです。部活という日本のスポーツの底辺を支えるパワーに、日本独特のスポーツ文化を感じ、部活のチーム単位での応募によって、チームで使えるボールやテーピングキットなどの実用品をプレゼントするなど、今度は、部活を支援することで、日本のスポーツを盛り上げようとしているらしい、ということです。日本を代表するアスリートたちをCMキャラクターとして採用し、CMなどの広告展開を実施してきたアクエリアスのキャンペーンとしては、地味なテーマのように思えますが、それだけ、日本の“部活”の存在は、パワー溢れるものなのです。世界的な不況の中で、明るくフレッシュなイメージを、新入生を迎えて新しい活動を始める部活に求めようとしているのも、新学期の活気溢れる学校の賑わいを想像すると、なんとなく分かる気がします。
ナイキジャパンも、日本市場独自の商品展開として、“部活”をテーマとした戦略を打ち出していました。ブカツ。シューズの商品名にまで登場した部活の存在感は、外国人のマーケッターから見ると、パワー溢れるものに見えるほど、特異なものなのかもしれません。確かに、日本のスポーツ界で、高校スポーツに対する注目度は、多くのスポーツ競技で高く、全国大会の会場は、トップリーグの試合会場よりも多くの観客で溢れかえります。高校野球の甲子園はもちろんのこと、バレーボールの国立代々木競技場第一体育館、バスケットボールの東京体育館など、大会期間中に閑散として客席を見ることは絶対になく、テレビでの中継も、プロスポーツ以上の体制となっています。そして、大学スポーツですら、その集客力にはかないません。事実、先のコカ・コーラも、ナイキも、高校スポーツの大会に協賛することを重視しており、長年に渡る支援活動を継続しています。
全国大会に出場する高校を、その地域住民がこぞって応援する姿は、アメリカのカレッジスポーツを地域の住民が応援している姿とダブっているように見える、とアメリカ系企業のマーケッターは言います。当然そこには、高校生という直接的なターゲットもいるのですが、彼らを応援する裾野が広いことこそが魅力なのです。そして、そうした中にある高校生たちのスポーツに対する純粋でひたむきな姿が、商品の持つ特性やイメージにピッタリでもあり、その効果を、広い裾野に浸透させていく力が、高校スポーツという市場にはあるのです。また、全国の強豪校のユニフォームとそっくりのデザインのユニフォームを、誇らしく着ている同じ地域の中学校がある、なんていうこともよく聞く話ですから、同じスポーツに取り組んでいる後輩層に対する影響力も大きく、高校スポーツの持つ波及力は、本当に高いものだと言えます。
学校の部活を舞台とした青春ドラマも、過去にも、また、最近でも、数多く制作されてきました。私は、“飛び出せ青春”や、“われら青春”の世代なのですが、これらのドラマを見て、ラグビーやサッカーを始めた人も多かったと思います。部活という存在は、学校生活の一部であるのですが、何か独特の思いがあることを、最近年を重ねるごとに感じますし、学校生活で思い出すのは、勉強している教室の様子よりも、やっぱり、部室や部活中のグラウンドや体育館の風景や匂いなんかではないでしょうか?。そんな思いを残せる場だからこそ、部活に、日本人は特別の感情を移入しているように、外国人から見ると感じてしまうのかもしれません。そして、部活は、ビジネスのテーマとしても、十分活用できるほどの訴求力あるもの、ということなのです。
前々回、前回と、部活を巡る些か暗い話題を取り上げましたが、いま部活が抱える課題の元には、一言で言うと、部活を運営を担う先生方の存在、立場の危うさがあります。それは、金銭的な問題を解決すればいいものでもなく、休暇などの勤務条件の保障ということだけの問題でもありません。課外活動を民間企業のような残業代や休日出勤手当てを持って保証するだけでは、休みが取れない過酷な勤務状況を改善するものにはなりませんし、意欲のある若い先生方の希望に沿った赴任状況を保障したとしても、それは全体としての不公平な状況をつくってしまうことにもなります。生徒たちは、部活に熱い思いを傾けますが、それを指導する側の先生方の体制に、まだまだ現実的な打開策を見出すことはできていない、というのが現実です。マーケティング上の戦略的な視点からも、部活は大きなパワーを生み出している存在としてクローズアップされるほど、魅力ある“仕組み”なのです。人が集まり、常に何かが生まれ、そして何年も何年も脈々と受け継がれていき、伝統というもので語られるようになります。毎年毎年顔を変え、毎年毎年新しく生まれ変わります。しかし、その仕組みの骨格であるべき部活担当教員としての先生方の存在や立場が危ういならば、部活は新しいものを生み出す力を失います。
マーケティング上、部活の魅力は、全国各地で、日々絶えることなく継続されていることでもあります。その集大成が、スポーツで言えば全国大会であり、そこに向かうプロセスが、多くの人々の心を引き付けます。企業が高校スポーツなどの部活の存在にビジネスチャンスを見出していることは、そこに活動を支援してくれる資金が投下される、もしくはされる可能性が高い、ということであり、極端に言うと、中学や高校の部活を活性化していくことは、中学や高校におけるスポーツの育成、強化、普及という活動を、より拡大していくことに直結されるのです。もし、部活の衰退が止まらなければ、日本のスポーツの底辺を支えている大きな市場を、中学や高校の教育現場自らが失わせることになる、と言っても過言ではありません。部活のパワー。それは、日本独特のスポーツ強化・育成の源であるのです。そして、部活を衰退させることは、日本のスポーツの将来を衰退させることに繋がりかねません。
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2009年03月18日
前回、公務員としての教員の宿命である異勤によって、部活の指導教員がいなくなってしまい、やがて休廃部に追い込まれる部活の実情について取り上げましたが、今回は、もっと深刻視されている部活担当教員の、過酷な勤務実態による部活運営の疲弊について取り上げたいと思います。子供たちの部活動を支える立場であり、彼らに単なる技術的な指導をするだけではなく、課外で常に子供たちと一緒に行動している先生方は、特に公立では、ほとんどボランティアに近い勤務実態であると、マスコミにも取り上げられています。部活についての報道記事を、過去2~3年に渡って調べてみると、特に家庭を持ち始めたくらいの若い教員が、その実態の真っ只中にいることが多く、土日などの休日も、練習や、遠征試合や大会出場などの時間に当てられ、月に1度の休みがあるかないか、という部活担当教員もいる、ということも、記事の中には切々と語られていました。
また、若い、という理由だけで、特に運動部などの顧問になるケースも多いらしく、更には、全く担当するスポーツの経験がないのに担当させられ、挙句には、試合に負けたからと言って父母から文句を言われ、もっと練習させろ、と言われる始末らしいのです。これでは、子供たちの指導以前に、部活そのものが、本来何のためにあるのかも分からなくなってしまいます。私立の学校は、運動部の成果を学校のPRとして活用するための目的にしているところも多く、そのために、指導経験や実績のある先生や、部活指導専門の職員として人材を雇い入れているケースも多々見受けられます。しかし、公立の学校では、スポーツなどで全国レベルの力があり、例外的に市町村や都道府県の教育委員会の特例措置でもあれば別ですが、定期異勤は、部活動の云々の実態に関係なくやってきますし、そもそも部活は、文部科学省が定める学習指導要領に明確な位置付けがなく、顧問の自主的な活動とされている、ということを知って、驚くより呆れてしまいました。そのような実態の中で、部活が日本のスポーツを支えているとか、日本のスポーツ強化の底辺だ、と言うこと自体が間違っているのですね。ほとんど手当てもなく、場合によったら遠征用のガソリン代を教員自ら負担しているケースもあるということで、待遇面でも、部活の運営体制という組織的な支援の面でも、現状の課題を解決する施策を見出していかなければ、生徒だけではなく、先生すら部活から離れてしまうのではないでしょうか。もちろん、高い志をもって、子供たちの指導に情熱を傾けている先生方の姿を、全国大会の場では良く見かけることができます。しかし、それは、ほんの一握りの例でしかないのです。
私も、小学4年から部活動に勤しみ、サッカー、そしてバスケットボールと、勉強もせずにグラウンドや体育館を走ってばかりいました。そこで得たことや、仲間と一緒にひとつの目標に向かって頑張ってきた経験は、いまだからこそ、本心から貴重なものだったと思っています。しかし、残念ながら、私には本当に心から尊敬できる先生に教えられた、という実感が、あまりありません。社会人になって、仕事で高校生のスポーツ大会の運営等に携わっている時、彼らが全国の舞台で活躍している姿や、ベンチで指揮を取っている颯爽とした監督の先生方を見ていると、“あんな先生に教えて欲しかったなあ・・・”、と切実に思うことがあります。そういう意味では、尊敬できる先生に指導してもらって、自分の力を伸ばせる環境にいる公立の中学生や高校生、もちろん小学生は、全国ではほんの一握りの存在なのかもしれませんが、本当に羨ましい限りです。
一方で、教師自ら、得意なことすら部活で活かせない学校の制度のあり方は、ある意味で、学生時代に夢を持って部活の指導にも立ち向かおうとしていた若い先生たちの芽を、摘み取っているものなのかもしれません。先生がいないのではなく、自分の特技や経験を活かすチャンスが与えられていないのです。新潟県で、地元の大学教授が、数年前に調査した結果では、中学バスケットボール部の指導者90人を対象として競技の経験度を尋ねたところ、なんと31.4%の教員は未経験者だったということでした。新潟県は比較的バスケットボールというスポーツが盛んで、中学や高校でも、全国の上位クラスの実力を持っていると言われています。この約3割の高校でバスケットボールをやっている中学生たちは、果たして、高校生になってもバスケットボールを続けようという気持ちが沸いてくるのでしょうか?。もちろん、未経験が悪いわけではありませんが、スポーツの育成や強化という視点で、中学や高校の部活を語るならば、これは生徒たちにとって好ましい現状ではないことは間違いありません。未経験の先生には、やはり、経験者の先生よりも何倍もの負担が生じる、と実際に未経験ながら部活を担当している先生のコメントもありました。そして、そうした課題の解決策として、学校の外部に指導者の派遣を要請しよう、という動きが始まっているのです。しかし、前回も述べたように、生徒と指導者との信頼関係は、学校という場を前提として考えると、果たしてそれでいいのか?、という疑問も私にはあります。地域に総合型地域スポーツクラブなどの活動組織があるところでは、学校のクラブに代わって、生徒にスポーツ活動の場を見出そうとしているケースもあると聞きます。ただし、部活動の指導に夢を持って教員になる若い先生方の気持ちは複雑です。「部活は生徒と教師の人間関係づくりに欠かせない場所だ」、という声があります。また、「クラブの掲げるスポーツ活動の普及、という理念は分かるが、大会で勝つことを目標にして活動することも当然で、そこから得られる経験は、大会に参加できる立場にある学校の部活にしかありえない」、という声もあります。
もし本当に、“スポーツ立国ニッポン”を掲げるならば、金銭的な待遇改善だけの問題ではなく、組織的な支援体制を、部活の場に構築していくことこそが、まずやらなければならない課題なのかもしれない、と考えるところです。
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2009年03月17日
昨年末、東京都教育委員会の発表した中学校における部活動の現状に、驚きました。都内にある約645校(2006年度調査)の公立中学校の内、毎年300以上の部活動が休廃部しているそうです。原因は、顧問教員の異勤や部員の減少ということ。少子化が問題視されている中で、子供たちの数そのものが減少していることは、さまざまに報道されていますから、理解していましたが、部活動を指導する先生方の異勤によって部活動がなくなってしまう現象が生まれていることに、些か驚きを感じました。東京都教育委員会では、部活動を存続させるため、教員の異動など学校側の事情で休廃部となる年間約200の部活動に絞り、来年度から部活指導を委託している「外部指導員」の報償費を補助する方針を決めた、ということで、外部指導員の活用を促しても、休廃部を食い止めようとしているようです。ちなみに、東京都が用意する「外部指導員」の報償費に対する予算は、5,400万円ということで、この額が適正なのか少ないのかはわかりませんが、外部指導員に頼らざるを得ない実情は、教員のあり方や、元々は、教育政策に何らかしらの欠陥があったとしか思えないような事態を想像させます。
過去に5年ほど遡って調べてみると、2004年度には331、2005年度には336、そして2006年度には320、ということで、このままの状態では、都内の中学校から部活動がなくなってしまうのでは?・・・、というくらいの数値です。また、先の休廃部数の内、それぞれ220以上もの部活動は、顧問教員の異勤などの学校側の事情で休廃部に追い込まれているようで、これは教員数の問題よりも、経営的政策の視点での問題であることが明白でしょう。
2013年には、国体が東京都で開催されます。以前、ボート競技関係の調査をしていた時に聞いた話ですが、都内にはボート部を有する高校がゼロになっていたそうです。国体開催もあり、その状況を危惧した関係者は、都内の3校(確かその程度だと記憶していますが・・・)を指定校としてボート部を作り、そこからインターハイや国体を目指す選手を発掘していこう、という取り組みをしているそうです。笑い話ですが、部に入れば、インターハイ出場確実、というのが謳い文句だったとか???・・・。2016年にオリンピックを開催しようとしている東京都の、こうした末端のスポーツ育成環境を考えると、オリンピックの前にもっとやることがあるんじゃないか?、とも考えてしまうほど、恐らく事態は深刻なのだと思います。もちろん、私は東京でオリンピックを開催することは賛成なのですが、それは、7年後にその主役、もしくは準主役としての世代である小学生、中学生、高校生たちが、夢を持ってスポーツに打ち込める環境があってのことであり、いまの現状では、7年後どころか、10年以上たっても、現状は何も変わっていないようにも感じてしまいます。
確かに、総合型地域スポーツクラブがさまざまな地域に設立され、そこから地域の学校に指導者が派遣されていく、という人材の循環的な活用ができていけば、総合型地域スポーツクラブの存在意義も高まり、また、そこに新たな収入源を生み出すことができるかもしれません。しかし、それは、指導者や指導員となれる経験や資格を持った人たちが、職業として関われる実態があればこそのことで、現実は、それもまだまだ途上の話しです。東京都教育委員会は、予算を確保して指導員の派遣を進めていく、としていますが、単にお金の問題とか、急場凌ぎでの、外部依存だけの薄っぺらな施策ではなく、本来は、部活動を踏まえた能力や経験のある教員の採用や、また、特定の部活動運営能力のある教員を対象として、異勤の停止などの根本的な対策が必要なのではないでしょうか?。もし本当に、都民がこぞってオリンピックを応援するムーブメントを作りたいならば、もっと都民の生活や教育の現場レベルから、目に見える形での取り組み方を模索していった方が、現実味があるように考えるところです。
2月7日の朝日新聞の別刷りに掲載されていたスポーツジャーナリストの生島淳氏のコラムに引き付けられました。コラムの中で、生島氏は、「北京五輪のメダリストを見ると、部活動育ちではない選手が増えている」、として、スイミングスクールや町の道場、親子での師弟関係の中でのトレーニング環境などが、メダリストの競技環境としてのベースになっていることを述べています。そして、その競技環境の中では、指導者が長期に渡って選手のコーチングをしており、逆に、中学校では、学校や教育組織の都合による教員の異勤のために、10代前半の重要な時期に、指導力の安定性が保障できなくなる、とも述べています。確かに、私立高校は、スポーツチームの強化によって、新入生の確保や学校の名声という実利を得ることが出来るため、特にスポーツ系の部活動では、優れた指導力のある教員や職員を、その指導に当たらせています。当然のことながら、少なくとも、在学中の3年間は、一貫した指導が受けることが出来ます。しかし、それでも3年という期間は限定されてしまうため、先のスポーツクラブ型の育成環境には遠く及ばないのです。水泳や陸上、柔道やレスリングなどの個人競技は、球技などの団体競技以上に、長い時間の中での一環指導が大切だといわれます。選手のことを理解すること、そして、その成長度合いを常に把握できる環境にいることこそが、選手育成のカギだからでしょう。
生島氏は、コラムの最後で、こう述べています。「最終的に部活動に参加するかどうかを決めるのは生徒の判断である。しかし、受け入れる側の体制を整備する努力は続けなければならない。それは大人の仕事なのだから」。部活動の現象や、その流れに歯止めが掛からないのは、生徒の責任ではありません。確かに、外部に安定的な指導員を求めることは、ひとつの正論かもしれません。しかし、教育や育成という観点を無視した技術論や戦術論だけでは、部活動の意図を見失ってしまいます。教育委員会の皆様、それを考えるのは、皆さん大人の仕事なんです。
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2009年03月15日
世界的経済不況の嵐が、ますますその勢いを増している中で、販売件数を激増させているものがあります。都道府県や市町村の自治体が所有、管理する公共施設などのネーミングライツ、命名権の販売です。最近では、道路や公衆トイレ、更には鉄道の駅舎ですら、その対象になっているというのですから、些か驚きです。しかし、命名権販売の件数が増えているからと言って、それに比例して契約成立件数が増えているのか?、というと、それはまったく逆の現象になっています。2007年の命名権販売の件数は、59件だったそうですが、その内、契約が成立した件数は、59%。約6割の35件でした。2008年は?、というと、販売件数が60件、契約成立件数は、35%の21件だった、ということです。数値から言うと、激減しているのです。また、今年に入っても、命名権販売を告知する件数は順調?に伸びており、これだけは不況知らずなのか、世間知らずなのか、売り出す側の自治体の安易な発想が、あからさまに無策ぶりを語っているようにしか思えません。
ネーミングライツ、命名権については、以前にも取り上げましたが、その際には、スポーツイベントなどへの協賛と同じように、スポンサーシップの一種である手法のような考え方に、個人的な疑問を呈しました。そもそも、アメリカで始まったネーミングライツ商法は、施設の建設費を企業の援助によって抑制しようとして始まったもので、例えば、100億円の建設費の内、50億円をネーミングライツで企業に負担してもらう代わりに、向こう20年間は、施設の名称を企業の社名やブランド名を付して使用する、といったビジネスモデルでした。税金の負担を少しでも抑制しようとする発想の根源は、現在日本で行われている命名権乱発の発想とも共通するところです。しかし、日本のほとんどのケースには、“レガシー”がありません。単に、税金を使わずに施設の維持管理費を調達したいから、とか、修繕費や改修費を調達したいから、とかいう発想だと思います。つまり、その場凌ぎでしかなく、欧米のネーミングライツ導入のケースのように、アリーナやスタジアムの周辺の都市開発までを考えた構想であるとか、大きなイベントの招致を踏まえた集客装置としての開発までを考えた構想であるとか、施設の周辺住民への利益還元や、その後の施設運用に関する利便性の向上など、ネーミングライツでセーブされた資金の有効活用などと言った高尚な発想は、何処にもないように思われます。
先頃、宮城県利府町にあるホットハウススーパーアリーナの命名権の契約更新が断念されました。仙台市の不動産会社であるホットハウスが契約の更新をしなかったのです。年間2,000万円の3年契約。お隣のスタジアムを含めて、広大な敷地の中にある宮城県が作った総合運動公園であるグランディ21は、交通の利便性が悪く、いまだに施設の利用率は改善されていないようです。当然のことながら、せっかくの命名権も、何の意味もありません。年間2,000万円と、考え方によっては破格の金額だと思いますが、周辺の交通標識にも“ホットハウス”の社名が表示され、形的には体裁のとられた契約の履行だったと言えるかも知れません。しかし、問題なのは、施設そのものの運用方法にあります。集客装置としての機能が、ほとんど未開発であり、たまに行われるコンサートでの会場名としての露出があるくらいで、恐らく、命名権の波及効果を調査すれば、その結果は散々なものでしょう。つまり、安かろう悪かろう、で終わってしまっていたと思います。問題なのは、宮城県の命名権に対する考え方そのものの誤り、ということなのではないでしょうか?。
一方で、仙台市が所有するユアテックスタジアムは、J2ベガルタのホームスタジアムとして、仙台市の中心部からの交通の利便性も良く、プロチームのホームということで、年間を通して集客装置としての機能が働いています。プロチームとしての興行の拠点であるということもあり、命名権パートナーに対しての、それなりの対応も整えられていたのではないかと想像します。事実、年間7,000万円で3年の契約は、今季も更新されています。ホットハウスとユアテックの企業力の差、とか、考え方の差、ということでないことは間違いありません。もしそうならば、たった1期で契約の更新ができないような企業を選択した、行政側にこそ問題があります。しかも、契約料は3倍以上も違うのですから・・・。この辺の状況の格差を、宮城県がどこまで真摯に把握しているのか、非常に疑問に思います。
もう直、今シーズンから使用される“MAZDA Zoom-Zoomスタジアム広島”がお披露目されます。年間3億円、5年の契約により命名権を買ったマツダと、売った広島市。広島市は、マツダからの命名権料を施設の改修などに当てる予定、ということですが、市民球場として、より観客サービスが向上するために使われるものでなければ、不本意にも派遣切りにあった多くの契約社員や期間社員からの不満も出てしまうようにも思います。J1清水のホームスタジアムである日本平スタジアムも、今季からは、アウトソーシングスタジアム日本平と名称が変更になりました。人材派遣会社のアウトソーシング社による命名権の導入です。契約金額は不明ですが、日本平にホームゲームを定着させて、着実にリピーターを獲得してきた清水エスパルスの努力が、この命名権の導入で、よりその効果は拡大するのか?、はたまた、ファンからはどのような意見が出てくるのか?、すべては施設の運用の中身にかかっています。そうでなければ、施設の所有者である行政の命名権に対する認識の甘さを露呈してしまいます。
いまでは、地方の貧疎な体育館にまで命名権を導入しようとする自治体が現れています。当然、応募者はゼロというところがほとんどです。不景気だから・・・、と言う自治体もありますが、その前に、命名権に対する考え方をもう一度再認識すべきではないでしょうか?。本当にその施設は、命名権を導入するだけの価値があるのですか?。
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2009年03月14日
団塊世代が定年を迎えて大量の退職者が生まれようとしている中で、一方では、少子化により、私学はもちろんのこと、公立や国立の大学ですら、入学生の確保のために、あの手この手の戦略を取り始めているようです。入学試験時期を前にした昨年末には、多くの大学がCMや広告を出稿したり、最近では、プロスポーツチームのスポンサーとして、また、スポーツイベントのスポンサーとして、専門学校や私立大学の学校名が、あちらこちらで目にするようになりました。各学校別に、企業の宣伝部並みの広報室体制を設けているところもあるようです。
4年ほど前の資料になりますが、国立大学法人の広報活動に関するアンケート調査なるものが、文部科学省から発表されています。87法人を対象としたものですが、その中で、大学全体の広報を検討する委員会を設置している大学は79法人、広報を専門に行う事務組織を設置している大学は67法人ある、という結果がありました。いまや国立大学ですら、法人化されて以来、経営という観点から逃れることはできなくなっています。そして、受験料収入の源である受験生の確保、そしてもちろん入学生の確保に、各大学は、一般の民間企業と肩を並べて、広報戦略を考えていかなければならない時代になってきているようです。最近では、外部から専門の人材を迎え入れている国立大学もあります。また、広告代理店の中には、大学や高校、専門学校などを得意先とした教育機関専門の部署を立ち上げているところもあるそうです。学校とて、自らをPRする術を知らずして、社会の中で生き残っていけない時代なのですね。また、そこに新たなビジネスチャンスも生まれてきている、とうことなのでしょう。
北京五輪を目前に控えた昨年の8月上旬、オリンピック選手を学生や職員として抱える各大学は、ここぞとばかりに壮行式なるものを開催するなどして、“わが母校のオリンピック選手”をPRしていました。応援のためのホームページを開設したり、選手を主役とした新聞広告を出稿して、大学への注目度を上げようとしていた大学もありました。「少子化で学生争奪戦が激化し、今春の入試で47%の4年制私立大学が定員割れを起こすなど、淘汰の時代を迎えており、注目度が高い五輪を利用してイメージアップを図ろうとする狙いがある」。ある新聞紙面にはこのような報道がありましたが、これは、もはやTOPスポンサーやJOCスポンサー並みのPR戦略であり、指定以外の選手の起用や所属選手の起用に関しては、現在のJOCの規定からは緩和されており、法的な問題はないとしても、所属選手を競技の場以外で、まさに広告塔として使う考え方そのものに、些かの疑問がありました。トランポリンの日本代表選手である広田選手を職員として迎えた阪南大学の関係者は、先の新聞報道の中で、このように述べています。「五輪は分かりやすく、さわやかな印象を与える。『あの選手の大学』と知ってもらえるだけで大きな効果。女子学生数アップを目指す大学の戦略にイメージも合致した」。完全に一流企業の宣伝担当のコメントですね。同じく新聞報道の中には、これらの現象に対して、関西大学教授のコメントも、次のように掲載されています。「巨大化する五輪ビジネスに大学が参入してきた。これまでアマチュア選手支援の役割は企業が担ってきたが、少子化で大学に経営努力が求められる現在、教育機関が関係者を広告塔とすることの違和感も薄れてきている」。国立だろうが私立だろうが、正直に言って、本当にこれでいいんですか?。
先頃、フィギュアスケートの安藤選手が在学し、浅田選手も入学するという中京大学が、素晴らしいリンクを完成させたことがニュースになっていましたが、確かに、大学という教育機関が、選手を育てていく練習環境を、ここまで考えているということについては、絶賛するしかありません。特に、公営や民間のリンクが減少し、練習環境が厳しくなっていることは、トリノ五輪で金メタルを獲得した荒川選手も切々と述べていたことでもあり、本来であれば、もっと国の機関が動かなければならないことでもあります。しかし、先のような広告塔扱いにしか考えていないような大学の姿を見ると、関西大学の教授が述べている「広告塔とすることの違和感が薄れてきている」、という発言の意図に、非常に不快感を覚えます。
近年、多くの大学にスポーツビジネスやスポーツマネジメントを学べる講座や学科が誕生しています。しかし、スポーツビジネスを専門的に教える、または学ぶ、という環境が作られている一方で、前述のような安易な、旧態依然とした、古臭いPR戦略を、堂々と行っている学校に対して、それら指導する教授や准教授の先生方は、何もアドバイスしないのでしょうか?。恐らく、多くのスポーツマーケティングの事例をご存知で、多くのスポンサーシップの事例をご存知である先生方が、それらを研究しているノウハウを持ってすれば、キチンとビジョンが確立されたPRなり、広告なり、イベントなりの戦略が生まれてきて当然であるようにも感じるのですが・・・。
企業スポーツは、そこで活動する選手たちの生活の中での競技生活を保障する環境を作り出しており、大学で活躍した有望な選手たちは、そこで選手生活を続けていくために入社していくわけです。しかし、大学は、最高学府であり、教育機関です。そして、そこでスポーツ活動を行っている選手たちを、育てていく義務を負っているのだと思います。「広告塔とすることの違和感が薄れてきている」、というのであれば、大学の選手たちは、大学に所属するプロ選手なのでしょうか?。大学に求められることは、よりよい練習環境を実現させて、より素晴らしい選手を育てることで、結果として、オリンピック選手が生まれたとしたならば、それは、大学の指導力だったり、練習環境の素晴らしさを誇るべきではないかと思います。一過性で選手にスポットライトを当てるのではなく、大学の持つリソースの素晴らしさを訴求することが、最高のPR戦略になるような気がするのです。
posted by umekichihouse |06:09 |
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2009年03月12日
スポーツ振興くじ、所謂サッカーくじのtotoの売上が、2008年度はついに800億円を突破しそう、とのことです。これに伴い、totoの売上の中の一定割合を財源とするスポーツ振興のための助成金の財源規模は、100億円という過去最大の規模になっています。世界的経済不況の中で、ずいぶんと景気のいい話しですが、売り上げの8割を占める“ビッグ”の売上げは、今後も好調に推移する見込みもあるらしく、企業スポーツの休廃部が懸念されるスポーツ界の暗いイメージを、いくらかは明るくできるものなのかどうか、助成の行く末に興味が集まります。
しかし、2月4日を締め切りとした追加募集を合わせても、助成対象とする地方自治体や各種スポーツ団体、そして総合型地域スポーツクラブなどからの助成申請は、約58億円(件数にして1,300件)に留まり、残りの40億円余りの財源は、次年度に繰り越しになるそうです。経済不況に苦しみ、外部からの財源確保も厳しい折、なんとももったいない話しのように聞こえますが、このtoto売上に基づく助成に関しては、その対象事業となる上で、さまざまな制約があり、その内容を見てみると、助成というお題目とは些か趣旨の違うような、もしくは反目しているような意味合いが見え隠れしているのです。
スポーツ振興くじによる助成には、6つの対象事業が区分されており、また、その補助対象事業それぞれに、補助対象者も明確に示されています。まず、どのような補助対象事業があるかというと、以下の通りです。
1.地域スポーツ施設補助助成
(地方自治体や法人格を有する総合型地域スポーツクラブが対象)
2.総合型地域スポーツクラブ活動助成
(市町村、日本体育協会、日本リクリエーション協会、スポーツ競技団体、総合型地域スポーツクラブが対象)
3.地方公共団体スポーツ活動助成
(都道府県および市町村が対象)
4.スポーツ団体が行う将来性を有する選手の発掘及び育成強化助成
(JOCおよびその加盟団体の中で競技者育成プログラムを作成、事業化している団体)
5.スポーツ団体スポーツ活動助成
(日本体育協会、JOC、JOC加盟団体、JADA、JADA加盟団体、日本リクリエーション協会が対象)
6.国際競技大会開催助成
(地方自治体、スポーツ競技団体、法人格を有する大会組織委員会組織が対象)
個人的に一番関連性のある6の「国際大会開催助成」を例として、詳しく内容を見てみると、対象とされる競技大会を見て、些か唖然としました。
◇オリンピック競技大会
◇アジア競技大会
◇ユニバーシアード競技大会
◇その他、国際的な規模を有するスポーツ競技大会
・参加国数が30ヶ国以上
・開催事業費が2億5,000万円以上
最初の4大会は、明らかに対象とするところの大会が、直ぐにあるわけでもなく、そんなものは来年度の助成対象にするほうがおかしい、と思います。そして、最後の国際スポーツ競技大会ですが、参加国数30ヶ国というと、恐らく、アジア地区における各種スポーツ競技のアジア選手権などは、ほとんどその対象にはならないのではないでしょうか?。また、世界規模の大会と言っても、各大陸予選を勝ち上がってきた出場国で争われるボールゲームの大会では、30ヶ国の参加というのは、まずありません。個人競技でも、先のフリースタイルスキー世界選手権でもギリギリ。少し基準の設定が、何を目的とした助成なのか、全く分かりません。しかも、開催事業費が2億5,000万円以上ということ、そして助成額は、助成対象経費の4%のみ。ちなみに、助成対象経費の費目の中で大きい金額になりそうなものは、滞在費や旅費・渡航費、そして会場借料程度なのです。つまり、億単位での開催事業費を要する大会を開催しても、その助成規模は、ごく小さなものでしかなく、こんな不景気の中で、いくつも何億という開催経費が掛かる大会が開催できるはずもないのです。これでは、補助申請などあろうはずもない、ということです。
他の助成対象事業を見ても、総合型地域スポーツクラブの事業支援では、100万円以上の事業しか対象となっていないとか、本当にこうした支援を求めている地域のスポーツクラブなど理組織には、もともとの対象となる事業の規模が大きすぎて、本末転倒であるような気がします。スポーツ競技団体における選手強化や発掘などの事業は、特に中央団体が行う全国規模のものであれば、億単位の事業にしている競技団体もあり、理に叶っている対象であるかもしれません。しかし、スポーツ振興というお題目を掲げるならば、もう少し現実的な助成基準の設定をしていかないと、派遣社員切りをしている一方で膨大な内部留保を抱えているどこかの大企業と同じように、繰越金を溜め込むだけの制度になりはしないでしょうか?。真剣に、末端のスポーツ振興に使いましょうよ・・・。
posted by umekichihouse |06:33 |
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2009年02月07日
現地時間で2月5日より、2010年バンクーバー五輪出場を賭けて、男子アイスホッケー日本代表は、最後の戦いの舞台で奮闘しています。ドイツ、ハノーバーで開催されているこの大会は、バンクーバー五輪への1枚のキップを賭けた世界最終予選です。IIHF、国際アイスホッケー連盟が主催するオリンピック最終予選は、他に、ラトビア、ノルウェイで開催されており、日本が参加するドイツ大会と併せて、それぞれが1つずつの出場権を争う、まさに、最後の戦いなのです。IIHFが定めるオリンピック出場権は、主に世界選手権での勝敗を元に決められる世界ランキングの上位9ヶ国と、オリンピック世界最終予選を勝ち抜いた3ヶ国の、計12ヶ国に与えられます。つまり、既に、9ヶ国は出場権を獲得しており、残り3つの枠を巡って、世界ランキング10位から18位の9ヶ国、そして予選を勝ち抜いてきた3ヶ国の計12ヶ国が、いま、凌ぎを削っているわけです。
また、この世界最終予選に至る道のりも、日本には厳しいものでした。世界ランキング10位から18位以内の国々には、ストレートに世界最終予選への道は開かれますが、日本は22位。予備予選は免除されたものの、昨年11月にポーランドで行われた1次予選に勝ち抜く必要がありました。日本代表は、その大会を全勝で勝ち抜き、オリンピックへの夢を繋いだわけです。
1998年の地元長野五輪以降、3大会ぶりのオリンピック出場を目指す日本代表も、世界の10位以内に食い込んでいた1970年代を挟んでの15~16年は、オリンピックに連続して出場を果たしていました。1972年の札幌五輪はもちろんのこと、1976年のインスブルック五輪で9位という成績を残している日本には、ゴールキーパー岩本選手を始め、“槍の榛沢”と異名を取った榛沢選手、本間選手、三沢選手、などなど・・・、私の記憶の中にもまだ鮮明に残る名前がありました。余計な話ですが、アイスホッケーのゲームが結構はやりました。(中身はサッカーのものと大差ありませんでしたが、当時はなんと言ってもアイスホッケーでした)。カテゴリー区分を“プール”と呼んでいた時代ですが、日本は“プールB”の中位くらいの力で、現在世界7位に位置するスイスともいい試合を展開していましたが、1980年のレークプラシッド五輪で14ヶ国中、13位という成績を最後に、オリンピックへの出場は、地元長野でのチャンスを除けば、一度も果たしていません。NHLがシーズン中断を断行したことにより、オリンピックへのプロ選手の出場も可能となり、長野でスター選手たちを目の当たりにした感激を思い出しますが、NHLへはヨーロッパから有力選手が進出し、そして、北欧を中心に、ヨーロッパ各国でプロリーグが活況を呈している現在、次々と勢力図が塗り替えられている世界の潮流から、日本、そしてアジアのアイスホッケーは、幾分取り残されている感が否めません。
経済不況による企業チームの廃部に伴い、チーム数が減少したトップリーグは、いま、アジアリーグとして、中国や韓国のチームを巻き込んだリーグ構成になっています。そして、先頃、日本アイスホッケー界を牽引してきた“名門”西武がついに廃部に至りました。先の今季リーグ最終戦には、満員の観客が東伏見に訪れ、チームの存続を願う活動を展開していましたが、他のスポーツと同じく、何と言ってもオリンピック出場は、現在の意気消沈気味の日本のアイスホッケー界に、大きな希望となることは間違いありません。いまこそ、世界と戦える、そして勝てる力を示す必要があるのです。現地時間で7日には世界ランキング15位のスロベニアと、そして8日には16位のオーストリアとの試合が待ち構えています。開催国ドイツも10位ですから、とにかくすべての対戦国は日本の上位であり、そこに理屈も何もありません。パックに魂を込めるしかありませんね。ひょっとしたら日本びいきのドイツ人の皆さんの応援もあるかもしれません。会場のTUIアリーナの客席全体を味方にして、なんとか勝ちをもぎ取って欲しいと思います。そして、日本のアイスホッケーを存分に見せて欲しいものです。初戦のドイツ戦には敗れてしまいましたが、1%でも望みがある限り、泥臭くても可能性にしがみついて欲しいと願います。
ちなみに、現在決定しているバンクーバー五輪の出場国は、以下の通りです。(括弧内の数字は世界ランキング)
Group:A カナダ(1)、アメリカ(6)、スイス(7) +最終予選勝ち抜き
Group:B ロシア(2)、チェコ(5)、スロバキア(8) +最終予選勝ち抜き
Group:C スウェーデン(3)、フィンランド(4)、ベラルーシ(9) +最終予選勝ち抜き
また、今年4月には、世界選手権も開催されます。オリンピックもさることながら、この世界のアイスホッケー界最高の舞台も、見逃すことは出来ません。アイスホッケー世界選手権は、毎年開催され、トップディビジョンの16ヶ国の下に、ディビジョンⅠ(GroupAとBにそれぞれ6ヶ国)、ディビジョンⅡ(Ⅰと同様)、ディビジョンⅢ(5ヶ国)とカテゴライズされており、それぞれのカテゴリーおよびグループで、個別に大会が開催されますが、日本はディビジョンⅡのGroupAで戦います。場所は、リトアニア。昨年は、ディビジョンⅡグループBの世界選手権が札幌で開催されていますが、そこから勝ち上がったハンガリーは、トップディビジョンに昇格。日本も3位に食い込んでいます。ここで、1位の座を獲得すれば、トップディビジョンへの昇格が待ち構えます。昨年トップから降格してきた世界8位のスロバキアもいますので、もちろん簡単な戦いではありません。しかし、アイスホッケーファンならずとも、アイスホッケー日本代表への期待と、彼らに懇願するような思いは、ますます強まっていくように思います。そして、日本代表に多くの選手を送り込んでいる西武チームの関係者にも、彼らの一挙手一投足を見逃さないで欲しいと思います。
結果がすべてとは言いませんが、いまほど、その結果を望む時はないのです。日本アイスホッケー、がんばれ!!。
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2009年01月18日
年の瀬が迫る12月から正月気分の抜け切らない1月にかけて、1年の総決算とでも言うべき各スポーツ競技の日本チャンピオンを決する“全日本選手権”が、ボールゲーム種目を中心として行われました。各競技団体が主催する日本一を決するこれら大会は、基本的にはNHKにより、少なくとも決勝戦が放送されているため、日頃なかなか見る機会がないスポーツファンも楽しみにしている方も多いのではないでしょうか。トップリーグのチーム、そしてサッカーなどのプロチームと、大学、高校、社会人、クラブチームなど、全国各地の予選大会を勝ち抜いてきた各チームが、同じ戦いの舞台で対戦できる、唯一ともいえる大会です。また、天皇杯、皇后杯という冠が、大会の格付けを“日本最高峰”と意味付けていることも、1世紀近い歴史を誇る大会が数多くあることも、“全日本選手権”が特別な価値観をもって見られているひとつの要因かもしれません。
日本を代表するトップチームが、大学チームにギリギリまで追い詰められたり、時には高校チームが大学や社会人チームを打ち破ったりと、試合はやって見なければわからない、ということを実感させ、それを期待するファンの思いが試合会場にも溢れ、日頃、それぞれの世代の中だけで戦っている、またはリーグの中だけで戦っている様子とは、一味違う大会の面白さを楽しめます。元旦に決勝が行われるサッカーの全日本選手権、天皇杯では、J1クラブをJ2クラブが破ったりすること以上に、地域代表の社会人チームがJ1クラブを追い詰めたり、J2クラブを破ったりする“下克上”が多くの場面で見られます。リーグ戦でもない、ホーム・アンド・アウェイでもない、一発勝負のトーナメント戦の醍醐味がそこにはあります。バスケットボールでは、随分昔になりますが、女子日本代表の監督経験もある北原選手を要して、明治大学が、並居る実業団チームを打ち破り、日本チャンピオンに輝いたこともありました。田臥選手を要して高校タイトルを総なめにしていた能代工業高校が、2回戦続けて大学チームを破ったこともありました。今回の大会では、大学のトップチームである青山学院大学が、JBLのプロチームであるレラカムイ北海道を土俵際まで追い詰めました。そんな勝負の醍醐味があることが、全日本選手権という大会の魅力なのだと思います。
しかし、全日本選手権で優勝することが、タイトルを勝ち取る以外に、どれ程の価値があるか、と競技団体関係者に問う時、果たしてどのような答えが返ってくるでしょうか?。ベスト8、ベスト4以上には、当然の如く、トップリーグのチームが勝ち上がってきます。日本のそれぞれのスポーツ競技を牽引する力を持つ選手たちが集まるリーグですから、当たり前のことです。しかし、彼らが日頃戦っているリーグで勝ち取るチャンピオンというタイトルの価値と、この全日本選手権で勝ち取る価値は、何かその先にあるもっと大きなチャンスを得られるなどの、違う価値観があっていいように思います。全日本選手権チャンピオンには、アジア、そして世界の戦いの舞台へのチャレンジの機会が与えられるとか、個人種目ならばランキングポイントが大幅にアップするとか、また、単純に強化のための海外遠征機会が主催者負担で得られるなど、愚の骨頂にもならないアイディアかもしれませんが、とにかく、何か特別な道筋や恩恵があることで、出場チームや選手たちに、全日本選手権とは特別な存在であることを植え付ける施策があっていいように思います。
リーグは注目されても、競技団体直轄で開催されるからというわけでもないでしょうが、全日本選手権は、何か本来のタイトルの価値と違って、その注目度が希薄であるように感じてしまいます。サッカーの天皇杯も、元旦開催は変わらないものの、かつてはお正月恒例の決戦という以外は、出場する選手たちに何か特別な思いなどはなかったように感じます。しかし、現在では、天皇杯チャンピオンには、ACL、アジアチャンピオンズリーグへの出場権が与えられることになっています。昨年、一昨年と、FIFAクラブワールドカップでJリーグのチームが世界トップのクラブと激突し、好試合を見せたことにも起因してか、この出場権に対する選手たちのモチベーションは、格段に上がったように思います。延長後半で劇的な勝利をもぎ取ったガンバ大阪の迫力を見れば、一目瞭然です。ACL、アジアチャンピオンズリーグは、日本サッカー協会の尽力もあり、今年から大幅に制度改革が行われ、欧州チャンピオンズリーグの形態とほぼ同じようなシステムになりました。世界につながるタイトルがそこにあるからこそ、選手たちのモチベーションは上がり、必然的に、天皇杯、全日本選手権という大会のタイトルの価値も高まっているのだと思います。
サッカーの例は特別なのかもしれませんが、リーグで勝つことの価値観とは一線を画す、日本最高峰のタイトルが全日本選手権で勝つことで得られる、という特別な価値観を創造していくことが、スポーツ競技それぞれの人気の拡大や普及のキッカケにもなっていくように思います。何よりも、出場する選手たちに、特別な意識が生まれるような大会にならなければ、全日本選手権という名も意味が薄れてしまいます。
プロリーグが誕生し、やがてその価値観が高まり、また、数多くの国際大会が日本国内で開催され、世界トップクラスの技や力を見慣れてきた中で、競技団体が直接主催し実施されている全日本選手権は、ほとんどのスポーツ競技において、旧態依然としたイメージしか感じないのは私だけでしょうか?。唯一、世代や立場を超えて、同じ戦いの舞台で雌雄を決することが出来る大会である全日本選手権。見ごたえある下克上も楽しいですが、トップ選手たちがトップ選手らしい力を最高レベルで発揮する大会、それもこの大会の見せ場として欲しいと思います。
posted by umekichihouse |05:59 |
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2009年01月17日
前回、“スポーツビジネスという職業はない”、ということを記述しましたが、今回はそのことを少し掘り下げて取り上げたいと思います。昨年の秋に、このブログを見ていただいていた方からメールをいただき、また、その方のブログの中で、この「ぶんきち日記」をご紹介していただきました。和光大学・経済経営学部の准教授、原田尚幸先生です。大学でスポーツビジネス論を担当している原田先生は、日本オリンピック委員会、JOCゴールドプラン専門委員会「国際競技力向上のための諸問題検討プロジェクト」メンバーでもあり、また『現場で学び現場に活かす!!』スポーツビジネス担当教員というポリシーで、自ら数多くのスポーツイベントなどの現場に足を運んで、単なる理論や理屈だけではない本質のスポーツビジネスを研究されている方でもあります。ちなみに、原田先生の活動は、ブログにも紹介されていますので、下記にご紹介させていただきます。
「スポーツビジネス・フィールド」http://www.plus-blog.sportsnavi.com/sport_biz/
「スポーツビジネス担当教員のブログ」http://blog.livedoor.jp/sports_biz/
メールを頂いたのがご縁で、お会いし、いろいろと意見交換する中で、昨年の11月に、原田先生の講座において、特別講義をする機会があり、普段はあまり直接お会いすることのない、スポーツビジネスを専攻する学生さんたちの様子も覗うことができました。講義の内容は、私が仕事の現場で積み重ね、現在フリーの立場で専門分野としているイベントオペレーションについて、柄にもなく、一応の理論的な体系と業務内容の体系を前提として、私が過去に携わったNBAのイベントビジネスを題材に述べさせていただきました。ビデオや写真を含めたPPTを使用しての内容でしたが、想像以上に学生さんたちの目が真剣で、実は途中から“マズイ!”と思ったほどです。何が“マズかった”のかというと、不本意ながら、あまり掘り下げると実務的になってしまい、理解できないだろうから、結構表面的な話題だけで終始しようと考えていました。しかし、学生さんたちの目を見ていると、本当にスポーツの仕事に就くことを考えている人たちなんだ、ということが感じられ、自ずと、予定していた講義内容とは逸脱したアドバイス的なことを言ってしまったりもしました。講義の最初に、「この中で、将来スポーツの仕事に就こうと考えている人はどれだけいますか?」と質問したところ、ほぼ全員が手を挙げたので、少し面食らったのを覚えています。
では、“スポーツビジネスという職業はない”、とはどういうことなのか。簡単に言えば、スポーツビジネスは、スポーツをビジネスとして、つまり仕事として取り扱ったり取り組んだりするものですが、実際にやっているのは、どこの会社や職場でもやっていることなんです。単に、その“取扱商品”が、スポーツ、もしくはスポーツに関連する物事だったりしているだけなのです。プロスポーツ球団のフロントでの仕事も、大方同じですよね。エージェント業務なんかでも、弁護士や弁理士、会計士など、職業資格や法律などの専門知識は必要であるものの、何もそれは、当然スポーツに限ったことではありません。スポンサーを獲得するための営業活動も、メーカーなどの営業職の仕事内容と本質は何も変わらないのです。常に新規顧客を求めなければならないとしたら、それ以上に厳しいかもしれません。ただ、そこに、スポーツやイベント業務のノウハウ、そしてマーケティングに関する専門的な知識が必要になることは、違いと言えば違いです。しかし、そこも、家電機器メーカーの営業さんには、その専門分野の知識がなければ売れるものも売れませんし、相手に信頼されません。そこは業務分野が違うというだけです。
スポーツイベントにおける観客サービスが、入場料収入を向上させていくための戦略の一つとして、各スポーツの現場でさまざまなアイディアが練られています。その観客サービスも、根本には、接客サービスやCS(顧客満足)戦略など、流通やレジャー産業では当たり前に要求されるスキルが必要とされるものであり、何もスポーツだから特別ということはありません。逆に、プロスポーツの世界では、その辺のスキルやノウハウを持つ人が少ないのかもしれません。最近、観客サービスに関する新規アイディアが次々と話題になるもの、それ以前には、そうしたことを考える人がいなかったからではないでしょうか。
スポーツの試合会場を設営することでも、電気設備や通信設備、その工事環境についての知識がなければ、最適な試合環境を作り出すことは出来ません。そもそも、限られた予算の中で最善を尽くすのですから、知識やノウハウを前提としたアイディアがなければ、行くな良いものを作ってもコスト感覚を無視することになります。IT技術に関しても同様です。最近では、競技設備自体が精密化され、また、競技データの取り扱いも、ほとんどすべてがデジタル化しています。テレビ中継においても、その設備環境は大きく変化し、スポーツイベントの現場の様子も大きく様変わりしつつあります。イベント会場の既存設備自体が旧態依然としているケースが多いため、その場その場での仮設対応を強いられるケースが当たり前のように出てきます。そうしたことも、通信関連やIT関連企業で養ったノウハウをもった人たちがスポーツビジネスの現場に来てくれれば、スペシャリストとしての腕を十分に発揮できるのではないでしょうか。
これは私の悩みの種なのですが、国際大会の現場では、最低でも英語が出来なければ、間違いなく損をします。少なくとも、時に膨大な量のレギュレーションやマニュアルを読みこなす読解力くらいないと、何も前に進めることはできません。ある競技団体の方が言っていました。「就職を希望する前に、まず社会人としての最低限のスキルがなければ話しになりません。ただスポーツが好きというだけでは、スタートラインにもつけないのです」・・・と。
posted by umekichihouse |05:42 |
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2009年01月16日
ドイツのサッカーリーグは、2008-09シーズンから制度改革され、トップのブンデスリーガ、その下のブンデスリーガ2、そのまた下に3部にあたる旧レギオナルリーガが3rdリーガとして再編成されています。また、4部として新たに3リーグ構成の新しいレギオナルリーガがこれまた再編成されています。チーム構成は、ブンデスリーガとブンデスリーガ2がそれぞれ18チーム。新たに編成された3rdリーガは20チームとなっています。これら3部までがプロリーグとされており、更にその下に、アマチュアリーグとして、国内を細分化された地域毎のリーグが10部あります。ユーリッヒで活躍中の鈴木さんの所属する「SC Juelich 1910」は8部で、セカンドチームも10部で凌ぎを削っています。トップには世界的なプロリーグがあり、その底辺には2万数千もの膨大な数のアマチュアクラブがあるわけです。まさに巨大なピラミッドの土台のように、ドイツの国中にクラブは散在しているのです。
リーグを統括しているのは、ブンデスリーガとブンデスリーガ2はDFL、ドイツサッカーリーグ機構が、3rdリーガはDFB、ドイツサッカー連盟が直接管理しています。また、これらプロリーグは、健全なクラブ経営を維持していくために、多額な借金をすることや、破格の移籍金を支払い選手を獲得することなどが厳しく制限されており、世界の有名選手を獲得することが難しい状況にはあるものの、観客動員数は、世界トップクラスの規模を誇っており、クラブ経営の、まさにお手本と言えるでしょう。
そして、お手本ということで言えば、日本からドイツのクラブ事情を視察する先は、往々にしてこうしたトップクラブが多いようです。しかし、前回述べたように、また、鈴木さんの感じた日本の研究者や学者先生のドイツ信奉的な発言と実情との間に感じた違和感の元は、ここにあるように思います。特に大都市にあるクラブの環境を見れば、施設はもちろん、運営規模や活動規模に至るすべてが理想郷のように見えるかもしれません。しかし、たった56クラブのプロリーグの下には、2万数千ものアマチュアクラブがドイツ中に広がっており、この膨大な底辺こそ、ドイツのスポーツ環境を支えている源なのです。鈴木さんが強調して言うことは、地域に根ざし、地域に愛される存在であるクラブの姿を学びたければ、こうした地方のアマチュアクラブの日常的な姿を見なければ、何も参考にならない、ということなのです。ちなみに、4部以下のアマチュアリーグは、ドイツ各地の地域に分散して構成されていますので、その統括も各州や地区のサッカー連盟が担っています。クラブへの補助金なども、こうした統括組織からそれぞれのクラブに配分されています。
アマチュアクラブとは言え、引き抜きや移籍が頻繁に行われていることは前回までにも述べましたが、ここ数年、日本からも多くの挑戦者が、これらドイツの底辺に挑んでいるようですね。Numberなどの雑誌や書籍で彼らの奮闘記も読みましたが、鈴木さんからお聞きした通り、ドイツの小さな町でのサッカーライフは、サッカーの経験が薄い私でも、何か憧れのような気持ちが沸いてくるほど、その情景が目に浮かぶようでした。小学生の頃、スポーツ少年団で、私もサッカーをやっており、県大会で優勝もしたのですが、結果的に中学からバスケットボールに走ってしまい、サッカーでこうした理想の地へ赴く機会など、全くその可能性を失ってしまいました。先の挑戦者たちのストーリーを読むと、何か損をしたような気になるのも、ドイツの環境の素晴らしさと大きさのせいかもしれません。
ほんの一握りのプロリーグの存在が、Jリーグの目指す姿とした理想のリーグの在り方なのでしょうか?。百年構想を考える限り、それは全く違うような気がします。もちろん、トップクラブが運営するクラブも、それぞれの町のシンボルであり、それぞれの町の市民の“日常”であることには変わりないでしょう。しかし、日本でいまやろうとしている総合型地域スポーツクラブの創設、そしてその拡充、更に、現状の各Jクラブの地域に密着したさまざまなスポーツの普及活動は、もっと小さな町でも町のシンボルとして生き続けている数多くのクラブの姿にこそ、より多く学ぶことがあるように思います。そして、ボランティアで支えられているドイツの場合に、なかなか相容れない日本の社会のシステム、教育環境、そしてスポーツそのものに対する考え方などを、全く無視してドイツの良いところばかり取り入れようとしても、それは制度破綻しかねない事態になることは、比較すればするほど明確に見えてくるような気がします。日本の実情を踏まえて、ドイツの何を学べばよいのか。それがスポーツビジネスを研究する学者先生や研究者の方々に求められる課題であるようにも思います。
人口僅か3万人の小さな町にあり、100年もの歴史を誇る「SC Juelich 1910」。そこでたった一人の日本人スタッフとして孤軍奮闘している鈴木謙太朗さんのお話を聞く機会が頂けたことによって、海外のクラブ事情に疎い私にも、スポーツクラブというものに対する新しい見方や考え方ができるようになった気がしています。物事の本質は、本当にその中に飛び込まなければ、何も得られないのです。そのことも実感しました。鈴木さんは、ビザの関係で、3月一杯で帰国する予定ということでしたが、ドイツで得た経験を、ぜひ日本のどこかで、スポーツの発展に役立ててほしいと思います。(鈴木さんのメールアドレスは kentaro.suzuki@scjuelich.de です)
スポーツを仕事にしたいという大学生や専門学校の学生さんが、最近では数多くいるようですが、スポーツビジネスという職業はなく、現実に必要なことは、どんな企業でもやっている仕事の積み重ねとノウハウやスキルを会得することにあると思います。そこで得た専門知識や経験は、スポーツをより発展させていくための力になる、ということです。何事も、その本質や根本に何があるのかを知り、理解し、体感していくことが、本当の力になるのですね。
posted by umekichihouse |05:02 |
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2009年01月15日
たまたま保存していた資料で、1999年に発行された岐阜県産業経済センターの情報誌「岐阜を考える」の中に、元週刊サッカーマガジン編集長の伊東氏の特集論文があり、その中にドイツのフットボールクラブの実情と、Jリーグ百年構想に関する記述がありました。そこには、現日本代表監督の岡田氏の興味深い言葉が掲載されています。「西ドイツでは、休日に何をして過ごすか。家族で町のクラブに出かけて、子供たちはサッカーをして、親たちは他のスポーツをするし、お祖父さんはそれを見守っている。そして、帰りにはクラブのバーでビールを一杯飲んで家路につくわけです。そこには消費の思想がない。それが長い目で見れば環境保護につながっていく。いまの日本はどうか。遊園地にしても、デパートにしても、家族で休日にどこかに出かけるにしろ、余暇の過ごし方が消費型なんです」。これは、岡田氏が西ドイツに留学していた時の経験を踏まえて語った言葉です。
そして、岡田氏が目にしてきたような、こうしたドイツの総合スポーツクラブのある環境をモデルにして、Jリーグが1996年に打ち立てたのが“Jリーグ百年構想”です。Jリーグのホームページの中には次のように記載されています。
◇あなたの町に、緑の芝生でおおわれた広場やスポーツ施設をつくること
◇サッカーに限らず、あなたがやりたい競技を楽しめるスポーツクラブをつくること
◇「観る」「する」「参加する」。スポーツを通して世代を超えた触れ合いの輪を広げること
また、これも、伊東元編集長の論文に記載されている一説から取り上げるのですが、Jリーグはその創設前に、フランチャイズという言葉を使っていました。しかし、現在では、ホームタウンという言葉が使われています。では、フランチャイズとホームタウンとは、どのように言葉の意味合いが異なるのか。これは至極明解で、フランチャイズは企業や資本が持つ営業権を意味し、ホームタウンは、まさに地域密着。地域の根ざしたスポーツ活動をクラブが中核になって広げていこうとする意味合いです。Jリーグは、当時の川渕チェアマンの言葉を借りるまでもなく、世界で勝つための、日本サッカーのレベルアップを目的に創設されています。そして、Jリーグをスプリングボードとして、ワールドカップの日本開催を具体的に目標として掲げました。しかし、それは数年で方針転換され、クラブの存続という実情に見合った経営方針をメインとした新しい理念が創設されたのです。それが、“Jリーグ百年構想”ではないでしょうか?。地域に根ざしてクラブの存在意義を浸透させ、地域住民に支えられるクラブ経営を目指す。強化を念頭に置いたプロリーグ創設の目的から、普及の色を濃くしたビジョンに転換されていったのです。
前回ご紹介したドイツのユーリッヒのアマチュアクラブで奮闘している鈴木さんも、先の岡田氏の語った言葉のような情景を週末には見ていたのです。クラブハウスは地域コミュニティのサロンであり、生活の中にスポーツというものが完全に日常化しているのです。単に、クラブが持つ、またはクラブが運営している施説の素晴らしさや、緑豊かなグラウンドの広がりを見て、「ドイツは素晴らしい。ぜひこれを見習って日本にも地域スポーツを根付かせよう」、などという安易な意見を言ってる研究者や学者先生などの言葉は、本当の底辺の姿を見て、まさにその中で日常を送っている鈴木さんのように方の話と比べると、全く違う次元の話にしか聞こえてきません。実を言うと、その違いを実感したのは、鈴木さんと数時間お話しした時なのです。「これは全く話の根底が違うのではないか」・・・と。生活の中にスポーツがあり、町にはその場がクラブという形であり、週末をクラブで楽しむことは、単なる日常の延長でしかない暮らし。岡田氏が消費型というのは、日本人は、余暇に何か特別なことをするために、非日常を求めていることを言っているのだと思います。だから、常に新しい消費をしているのだと・・・。
日本でも、いま、総合型地域スポーツクラブの創設を促進する取組みが行われています。しかし、ほとんどのクラブにおける大きな課題は、その運営資金の調達です。つまり、NPO法人として成り立っていても、その存在が地域住民の中で日常的な存在にならなければ、それは単なる新たな消費先にしかならず、先のフランチャイズという言葉通りの存在でしかありません。ホームタウンとは、実態と遊離した単なる理想でしかなくなるのです。スポーツクラブを地域に創設して地域住民の中に溶け込んでいくような存在にするためには、クラブを利用する人たちの選択肢の中のひとつ、という存在ではダメなのですね。完全に日常の中にあって当たり前のものにならなければ・・・。ゲームセンターに行くか、スポーツクラブに行くか、という選択肢ではない、ということです。言葉で言うのは難しいのですが、それは、100年という時間の問題ではなく、元々ある日本国民の生活そのものが変わらなければ、ドイツをいくら模倣しても始まらない、ということだと思います。では、どうすればいいのか?・・・。恐らく、ドイツや他の諸外国の環境を模倣するのではなく、日本の生活文化や現状に見合ったスポーツクラブというものを考えたほうが早いような気がします。何もドイツのように芝生がなければスポーツが出来ないわけではないですし、たくさんのスポーツに接するための施策は、従来の学校の取り組み方ひとつでも叶えられるのではないでしょうか?。
伊東元編集長の論文の最後には、「パチンコ店が林立する地方の光景を眼にした時、それらが総合スポーツクラブと並存する時代が来るとは思えない。子供たちが大きくなってパチンコ店に通うことから、スポーツクラブに足を向かせるようにするのは、百年構想ではなく、個人個人の5年程度の生活構想だろう」(省略抜粋)、と論じています。鈴木さんが感じた違和感の正体は、実態と理想のギャップの狭間にあるこんな考えであったのでは・・・、と思いました。(伊東元編集長のお考えには、本当に感銘してしまいました。この場を借りて御礼申し上げます。)
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2009年01月14日
先日、とは言っても、このブログを一時休眠する前のことですから、少し時間は経過していますが、このブログを見ていてくれたひとりの青年と知り合うことが出来ました。彼は、現在、ドイツのユーリッヒという、ケルンやデュッセルドルフから電車で1時間ほどのところにあるベルギーとの国境に近い町で、「SC Juelich 1910」というアマチュアのフットボールクラブで働いています。働いている、とは言え、完全なるボランティアなのです。名前は、鈴木謙太朗さん。25歳の青年です。
鈴木さんは、大学を卒業し、Jクラブのフロントへの就職を目指したものの、新卒にはなかなかチャンスはなく、フリーペーパーを発行する会社に就職したそうです。しかし、深夜まで及ぶ残業の連続に体を壊してしまい、一度はあきらめたスポーツに関わる仕事に付くことを目指して退社しました。その後、IT関連企業などで派遣社員として働きながら、夜は英会話の学校やスポーツ関係のセミナーに通い、海外へ行くことを考えていました。本人曰く、座学が苦手ですぐ行動に移すタイプということですが、彼は、当時ブームになっていた海外クラブの日本市場でのプロモートに則り、自らの考えで企画書を作成し、大量に海外のクラブ宛にばら撒いたそうです。(本人の言葉をそのまま使いましたが、本当に驚くほどの量の送付先に宛てて送ったそうです。)人間行動を起こすと何かしらの光明は見えるので、たったひとつだけ、レスポンスがありました。1990年頃にあのイビチャ・オシム氏が率いていたかつてのユーゴスラビアの首都で、現在のセルビアの首都でもあるベオグラードに本拠を置く名門クラブ「FKパルチザン」です。オシムさんのこともあり、オーナーが日本に対して非常に興味を抱いており、さまざまなアイディアについて話し合いの場が持てたようです。しかし、1月近く滞在したものの、その後、オーナーが急遽交代してしまい、新オーナーは中国市場に対して興味を優先し、結局はそれまでの話は頓挫することになります。
日本に帰国し、アルゼンチンの「ボカ・ジュニアーズ」の日本支部の仕事に関わりながら、フットボールクラブのビジネスの一端を勉強する機会を得て、そして、ベオグラードでの頓挫も糧として、次なる挑戦を模索します。そんな中で、鈴木さんは、今度は、Jリーグがモデルとしてドイツのクラブへ行くことを思い立ち、またまたドイツ中のクラブに自分なりの提案書をばら撒きました。ドイツに興味を持ったのは、その底辺に多くのアマチュアクラブが存在することを知り、また、それらアマチュアクラブですら、移籍金や給料などの補助があることを知り、そのシステムがどうなっているのかを知りたかったからだということです。そして、またまた行動に移します。行った先は、ドイツの田舎町、ユーリッヒにある「SC Juelich 1910」というアマチュアのフットボールクラブだった、という訳です。
「SC Juelich 1910」での鈴木さんのタイトルは、「Sports Manager」。クラブが彼に最も期待するのは、日本との交流を具体化することのようです。学生のインターシップや指導者の交流、もちろんジュニア選手の交流などを、クラブのハードやソフトのすべてを活用して具体化することです。アマチュアクラブですから、ユーリッヒという町の中で、地域のコミュニティの場という性格がクラブを表すには最も分かりやすいようですが、100年もの歴史があり、かつてはドイツのアマチュアチャンピオンに何度も輝いた実績を持つチームを運営している、ドイツでも伝統あるフットボールクラブでもあります。そして、そこには、3つのシニアチームと13ものジュニアチームがあり、クラブ全体では500人もの選手たちが在籍しています。当然のことながら、コーチ陣もおり、選手のほとんどとコーチ、フロントスタッフのほぼ全員は、ボランティアとしてクラブの運営、経営に携わっています。また、クラブが使用する施設は、広大な土地に素晴らしいグラウンドがあり、ブンデスリーガのように巨大な観客席を備えたスタジアムではないものの、こじんまりとした観客席も備わった試合会場となるスタジアムもちゃんとあります。クラブハウスも充実しており、地域のコミュニティサロンとしての設備は申し分ないようです。こうした施設は、ユーリッヒ市からクラブが無償で供与されているらしく、まさに町のシンボル的な存在なのかもしれません。鈴木さんは、こうしたソフトやハードを活用して、日本との交流の場を創出することを具体化すべく、日夜活動している、というところです。
さて、ボランティアで運営や経営に携わっている、とご紹介しましたが、ここがドイツのスポーツクラブの特徴なのかもしれません。現在のオーナーは、弁護士ということですが、オーナーに限らず、クラブのフロントにいる人たちは全員他に仕事を持っています。鈴木さんの上司は、IT関連の企業で働いているようですが、ここからが日本の実情との大きな違いなのかもしれません。鈴木さんの上司に限らず、クラブの運営や経営に関わる人たちは、ウィークデーの昼間でも、クラブに関する仕事を職場の中でもやっているそうです。「そんなことをやっても怒られないのか?」と思ってしまいますが、会社はクラブの存在意義やその役割をきちんと理解していて、本業の仕事に影響しなければ何も文句を言わない環境なのだということです。だから、ほとんどの人たちは、ボランティアでクラブ運営や経営に参加できるのです。また、こうしたクラブのような公の組織での肩書きが、社会的な地位を示す名誉のような価値を持っているかの如く利用することが、日本では当たり前に見られますが、ドイツでは、特にアマチュアのクラブの肩書きにほとんどそうした意味はなく、関わっている人たちは全員が“好きだから”やっているようなのです。鈴木さんの言葉をそのまま借りると、もっと軽い感じになるのですが、その辺が日本のスポーツクラブの実情に染まっている私などのような人間には、何か実感として分からない部分が多い、というのが本音です。
“好きだから”ということだけではないと思いますが、クラブに関わる人たちは、その全員がクラブをもっと良くするために働くことに対して、何の報酬も求めずに本当に真剣なのだそうです。ゲルマン魂という言葉を、ドイツの代表チームの試合の中で、よくアナウンサーが使いますが、まさに屈強で頑固な気質な人たちばかりのようで、特に、勝つことに対する執着心は本当に凄い迫力があるようです。「SC Juelich 1910」のトップチームは、現在8部リーグに属しているようですが、単に上のリーグに昇格するとか、将来はプロリーグに進出することを目指す、ということではなく、目の前の試合に負けることが嫌いなのです。勝つということに絶対的なこだわりがあるようです。これは、トップチームに限らず、クラブのすべてのチームに言えることです。鈴木さん曰く、ドイツ人は謝ることを知らない、と言いますが、それほどまでに頑固な気質なんでしょうね。そして、そのことは、クラブの指導にも現れているそうです。クラブの存在意義は、チームを強くすること、そして勝つこと。とにかく勝ちたいのです。そのために、選手たちに対しては、それぞれの得意な部分や優れている部分を伸ばすための方針が際立っているようです。全員を一律の型にはめ込むのではなく、言ってみればスペシャリストを養成している、ということに繋がるかもしれません。選手個々は、自分の得意とする技術やチームの中での活かし方を指導されますから、サッカーをすることが楽しくて仕方ないようです。時には、際立った能力がある選手が他のチームからの移籍のオファーを受けることも稀ではないようです。アマチュアでありながら、移籍が頻繁に行われているのも、ドイツのサッカー環境の底が深いところなのかもしません。一方で、そのような指導をしているコーチ陣たちも、その指導能力はユニークなようです。チーム戦術というよりは、日本流に言うと育成という観点でのノウハウが、日常的に身についているのでしょう。
ドイツの学校では、体育の授業はあるものの、クラブ活動、つまり日本流に言うところの課外活動は、町のスポーツクラブが受け持っています。だからこそ、たった3万人足らずの町のクラブでも、13ものジュニアチームがあるのです。「SC Juelich 1910」に他のスポーツ活動をするプログラムがあるかどうかは聞きませんでしたが、大きな都市のクラブには、いくつものスポーツ種目のプログラムがあり、それぞれチームとして活動もしています。サッカーが下位のリーグにいても、他のスポーツではドイツのトップリーグに所属する場合もあるようです。ちなみに、「SC Juelich 1910」には卓球のチームがありますが、つい最近まで、日本の岸川選手も在籍していたようです。卓球はドイツのトップリーグの実力らしいのです。岸川選手のことは、鈴木さんも把握していなかったようですが・・・。
さて、クラブの経営についてですが、アマチュアクラブですから、先のように、そこで働く人たちのサラリーとしてははほとんど出費がありません。トップチームの選手に限って、月額で約3万円程度の出場給は支給されるようですが、それでも大きな金額にはなりません。他の支出としては、施設の維持費やクラブの実費としての運営経費があるようです。税金の面でも、フェライン法という法律に則って、法人登録されていれば、非課税措置が取られます。結果的に、年間で掛かる予算は、約5万ユーロ。日本円にして600万円から700万円程度、ということです。施設が市からの無償供与であったり、人件費がほとんど掛からないからこその金額なのですが、それでもこの支出を支える収入が必要です。市や州からの補助金、スタジアムの広告収入、スポンサーからの協賛金、そして試合毎の入場料収入や会費があるようですが、たとえばスポンサー収入とは言っても、町のお店からのものが大半で、100年の歴史の中で脈々と続いた寄付や税金のようなものとして、当たり前のようにたくさんのお店などが拠出しています。ただし、スポンサーメリット云々などというビジネスライクな思想はそこにはありません。しかし、チリも積もれば・・・、ということで、合計すればかなり金額になるようです。入場料収入は、安くみんなが観戦できる環境を作ることが第一義なので、あまり多くはないようです。しかし、試合を見に集まる町の人たちが、その後、酒を飲みながら歓談する場としてクラブの社交場となるクラブハウスの賑わいは、クラブの存在意義が、町の人たちの生活の拠点的な意味合いを持っていることを実感させるようです。結果的には、補助金がベースとなり、スポンサー収入が上積みされて、5万ユーロは回収されているのでしょう。金額的なレベル以上に、生活のシステムや社会の環境がクラブを成り立たせているこうした状況は、お金がなくてはなかなか前に進まない日本の状況とは、まるで異次元のようにも感じました。100年という歴史の問題、だけでは語れないものが、そこにはたくさんあるような気がします。
ただし、ブンデスリーガのトップクラブも含めて、ドイツのクラブ経営には、厳しいルールや基準があり、高額な報酬を前提とした選手の獲得や無謀な経営規模の拡大に対しては、さまざまな規制かあるようです。かつては、アマチュアクラブと言えども、有力選手の引き抜きのための金銭を用意するために、脱税が頻繁に行われるなど、歴史の中には紆余曲折もあったということです。そのことを踏まえた措置が、クラブ経営に対する厳しい規制なのかもしれません。事実、特定のスポンサーからの支援のみに頼りすぎたクラブ経営の場合や、スタジアムなどのハードに多くの投資をしてしまったケースなど、破綻に繋がる過ちを犯したクラブも中にはあったようですが、ほとんどのクラブは赤字を出さずに経営を持続しているようです。ブンデスリーガを代表する世界的クラブのバイエルン・ミュンヘンも過去に一度の赤字も出していない、ということでした。町が、地域が、そしてドイツという国が、100年以上の歳月の中で培ってきたゲルマン民族文化のようなもの、それがドイツのスポーツクラブの在り方なのではないかと感じました。
鈴木さんが日本で総合型地域スポーツクラブの関係者と会談した際に、やたらと「ドイツのクラブに倣って・・・」とか「ドイツのクラブの実情を勉強して・・・」とかいう言葉が聞こえてきたと言っていました。大学の研究者などの発言ということでしたが、彼はこの言葉に非常に違和感を感じたそうです。次回は、そのことについて詳しく・・・。
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2009年01月08日
前々回、スポーツの強化について取り上げましたが、その強化の頂点に立つ存在は、日本代表です。かつて、ほとんどのスポーツ競技では、日本を代表して世界の舞台に出るチームを“全日本”という言い方をしていました。競技団体がそのように呼称していたのか、もしくはマスコミの付けた名称だったのか、昔のことは記憶にありませんが、現在もバレーボールでは“全日本男子チーム”とか“全日本女子チーム”という呼称です。あくまでも個人的な感想ですが、私は、この“全日本”という言い方がどうしても好きになれません。オールスターチームのようであり、選抜チームのようであり・・・。国を代表するチームであるというニュアンスを感じ取れないのです。
“日本代表”という呼称は、サッカー日本代表が最初であったように思います。サッカーもかつては“全日本”という呼称でした。“日本代表”という呼称は、何が違うのか、と言えば、「代表」という言葉の持つ強さや選ばれたことに対する価値をイメージさせていることのように思います。国を代表する、という強さ、価値、そして期待。セレクションされた、というチャンスを与えられたが如くの軽いものではなく、そのスポーツを象徴するアスリートとしての力と技の結集こそが、“日本代表”の姿だと思います。つまり、個人競技においても、団体競技においても、“日本代表”は日本という国を背負って世界と戦うために選ばれた存在です。
サッカー日本代表は、20人前後のメンバーを選ぶために、年間にその何倍もの候補選手たちが招集され、合宿や強化試合を行いながら、ワールドカップ予選などのアジア、そして世界と戦うための最強チームとして編成されていきます。以前見たマスコミ報道で、選手が所属するクラブから、何人もの代表候補を招集されて、結果的には選ばれないのではクラブとしてはその都度リーグでの試合に影響してしまう、というような趣旨のクラブ関係者のコメントがありました。この見解は、候補選手であったとしても、“日本代表”に選ばれる価値観を阻害するものです。最終メンバーの何倍もの数の選手が招集されるということは、そこに競争があり、真の代表としての力を見極めるためのプロセスがある、ということで、その強化プロセスが、ファンも含めた多くの人たちと共有できるものであるならば、その競争の一つ一つですら高い価値があるものだと思います。逆に、もし、強化プロセスが明確に示されていないとしたら、先のクラブ関係者の不満も正当化されてしまうかもしれません。
日本サッカー協会は、先月9日に、今年の日本代表としてのスケジュールを発表しました。2010年のワールドカップ・南アフリカ大会出場に向けての最終予選を中心として、強化試合も組み込まれています。もちろん、各アンダーエイジの日本代表のスケジュールも網羅されており、サッカー日本代表が、そして日本サッカー協会が何を目標として、何をしていくのかが示されています。そして、何よりも、発表はキチンと記者会見の形で行われ、その場に、犬飼会長と岡田監督の姿もあることが、日本代表の存在意義を表しているように思います。“日本代表”に選ばれる意義、価値、そしてプライド。日本代表の存在が、日本のサッカーのあらゆる活動の頂点にあることを、協会自身が行動で示し、体現しているからこそ、サッカー日本代表のプライドは培われてきたのかもしれません。
サッカー日本代表のユニフォームの胸には、「JAPAN」の文字はありますが、付されているのは3本足のヤタガラスがモチーフされた日本サッカー協会のエンブレムです。しかし、背面の襟下には、キチンと日の丸があります。「日本を背負って世界に挑む」という意味が込められたデザインということです。確か、元代表の中田英寿選手の希望で、初めて日の丸がユニフォームのどこかに付されるようになった、と記憶していますが、その意志こそが日本代表のプライドそのものであるように思います。決してデザインだけの問題ではありません。
ナショナリティーというものに対する考え方は、国によっても大きく違います。国の歴史や宗教、文化などなど・・・、そこにはさまざまな要因があります。以前、韓国のスポーツ事情に詳しい知人からこんなことを聞いたことがあります。韓国代表のユニフォームの胸に国旗、太極旗を付してデザインしたところ、多くの選手は些か何色を示したそうです。太極旗を胸にしたものを着る、ということが重過ぎる、というのです。サッカーの場合、代表ユニフォームの胸にはオリンピックの場合を除いては、協会エンブレムが付させるのが一般的です。この時、何故、太極旗を付したデザインにしようとしたかまでは不明ですが、あのレッドカラー軍団のサポーターの応援姿を見るまでもなく、韓国のナショナリティーに対する強い意志のようなものを垣間見た気がしました。これも、国を代表して戦うチームのプライドを生み出す根源のひとつであるのかもしれません。
すべてのスポーツ競技に言えることかもしれませんが、国を代表して戦うチーム、選手たちが、“日本代表”としてのプライドを強く持てる環境を作っていくことも、強化のひとつのプロセスであるように思います。もちろん、オリンピックチームの一員に選ばれる、ということだけではありません。日本代表として選ばれるに至るプロセスの緻密さ、激しさが、常にある強化活動の姿を、我々一般のファンにも見せて欲しい。それは候補以前に地位にある多くの選手たちにも強く影響していくはずです。「自分もあの場に立ちたい」。そんな日本代表という存在に対する強い意志を持てる環境を作り出すことが、いま世界の舞台から遠のいているスポーツの競技団体の方々の大きな責任でもあるように感じます。プライドとは、選手自身の気持ちや意思の中から自ら見出していかない限り、簡単に生み出させるものではない、ということも確かです。そのための環境が必要なのです。そして、その環境を作り出すのは、ファンの一人一人の存在でもあるように思います。「頼むぞ!、絶対に勝ってくれ!!」。北京五輪の熱狂が懐かしいです。
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2009年01月07日
お正月恒例のスポーツと言えば、何と言っても箱根駅伝です。大学駅伝は、日本一を決する大会に11月に行われる伊勢神宮と熱田神宮間を走る全日本大学駅伝がありますが、やはり“箱根”の魅力には勝てません。東京箱根間往復大学駅伝競走。今年で85回目を迎えた大会には、関東学連に加盟する大学しか参加できません。別のスポーツからしたら関東大会なのです。しかし、歴史と伝統だけを見ても、この“箱根”は全国区です。テレビ視聴率も、2日間で約12時間以上の中継時間にもかかわらず、その平均値は軽く20%を越え、常に年間のテレビ視聴率ランキングの上位に位置するほどです。その人気の一端は、数々の人間ドラマを生み出してきた大会そのものの魅力に加え、テレビによる完全生中継にあるでしょう。私も、毎年12時間、お正月気分もそこそこに、テレビ中継にはまっている一人です。その私の個人的な感想なのですが、ひとつ残念なことがありました。中継番組の始まりを奏でる、あの“喜びの飛行”が今年からなくなってしまったのです。
第85回を迎える大会に当って、中継を担当する日本テレビは、今年からオリジナルのオープニングテーマを取り入れることになりました。曲のタイトルは、「Runner of the Spirit」。作曲者は、日本中に耳について離れないほどのインパクトをもたらしたあの「崖の上のポニョ」も作曲した久石譲氏です。宮崎アニメには欠かせない巨匠の作曲に対して些か申し訳ないのですが、やはり、“喜びの飛行”の壮大なイメージには物足りません。いい曲だと思うのですが、箱根駅伝と言えば、箱根の山の壮大の風景であり、そこを目指して疾走する、そしてそこを駆け下りる姿です。箱根駅伝には、どんなドラマが待ち受けているのか、そして今年は何が起きてしまうのか、全く想像もつかないドラマがあります。そんなドラマのすべてを、“喜びの飛行”というテーマ曲は、壮大な雰囲気の曲調で包み込んでしまうほどのインパクトがありました。
“喜びの飛行”は、映画「ネバーエンディングストーリー」の挿入曲で、主人公のアトレイユが幸運を運ぶという白い竜ファルコンに乗って飛ぶシーンで使用されています。おとぎ話のような幻想的な映像の中で、ファルコンの背に乗って飛ぶ姿は、まさに“Happy Flight”のイメージそのものです。何処までも続く空、雄大な白い雲、風を受けて自由自在に飛ぶファルコン。私も映画は見ていますが、実は、箱根駅伝の中継で聞くまで何の曲かピンと来ませんでした。この“喜びの飛行”を中継番組のオープニング曲として採用したのは、日本テレビが箱根駅伝を中継した最初の年である1987年、第63回大会からでした。当時で、往路106.5km、復路107.1kmの全長213.9kmというとてつもない長い距離を、全10区間、10人が母校のタスキを繋いで走る箱根駅伝は、それまではテレビ中継としてはテレビ東京が、往路のダイジェストを加えて、復路の一部を中継していたに過ぎませんでした。技術的に箱根の山が大きな障害になり、見せ場の山登りが中継できなかったのです。初の完全中継を実現した日本テレビでも、1987年の最初の年は、編成上の理由から前半と後半の2部構成で中継しており、いまのような名実供に“完全”となるまでに少し時間を要しています。ちなみに、日本テレビの猛者たちの、箱根駅伝完全中継を成し遂げた感動秘話は、フリーのスポーツライターである原島由美子さんの著書「箱根駅伝 不可能に挑んだ男たち」に、その舞台裏のすべてが書かれてあります。スポーツイベントに携わる私のような人間は、読むだけで運営現場の真っ只中にいるような感じになりそうな現実感溢れる内容です。ヨイショなしで、ぜひお勧めします。
さて、中継番組の本編がスタートする7:50。ある時は快晴の青空に浮かぶ富士山の姿をバックに、ある時は、霧に霞む芦ノ湖をバックに、そしてまたある時は、雄大に広がる箱根の山々をバックに、“喜びの飛行”は軽快なリズムで始まります。壮大な曲調に変わると、画面は過去の名シーンの連続となり、時にはブレーキに苦しむ選手の悲痛な走りの姿や、軽快に山を駆け抜ける力強い走りの姿が次々と出てきます。曲はあくまでも画面のシーンを邪魔することなく、空をすべるように箱根駅伝の素晴らしく雄大なイメージを奏で続けます。たった1分22秒の曲ですが、これを聞くだけで、完全に箱根駅伝モードになってしまいます。ちなみに、“喜びの飛行”のロングバージョンには、“バチスアンの飛行”というタイトルの曲があり、こちらは3分15秒あり、たっぷり聞きたい場合はこちらをどうぞ。
スポーツの中継番組と言えば、テレビ朝日がサッカー日本代表戦などで使用している曲が、箱根駅伝の“喜びの飛行”と供に、私のお気に入りです。サラ・ブライトマンの“A Question of honour”です。「絶対に負けられない戦いがある」というキャッチフレーズと供に、サッカー日本代表が戦いの舞台に臨む姿をイメージするようで、静かな曲調ですが、何かワクワクさせる曲です。この曲を聞くと、アッ、サッカー日本代表・・・、という連想をしてしまうのです。別に代表チームの公式ミュージックではありませんが、テレビ局の番組テーマ曲の選曲の妙は、スポーツ中継にはなかなかの効果がありますね。逆に、どうしようもないようなミスマッチの曲が番組のオープニングで流れると、何か試合自体の興味が薄れる気がするのは、些か期待をしすぎなのでしょうか?。
今年は、5区山登りで、東洋大学の1年、柏原選手が快走を見せ、あの山の神といわれた順天堂大学卒で現在トヨタ自動車九州に所属する今井選手の驚異的な区間記録を、なんと47秒も更新する大記録を達成しました。柏原選手は、今井選手と同じ福島の出身ということが紹介されていましたが、これもドラマですね。来年も大記録が生まれて、山の神を越えたら、柏原選手は何と呼ばれてしまうのでしょうか?。それにしても、“喜びの飛行”が消えた箱根駅伝のオープニングは、やっぱり寂しい限りです。
posted by umekichihouse |07:32 |
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