2008年10月25日

「国民体育大会のその開催意義と効果」その5 ~国体不要論

国民体育大会は、日本体育協会、国(文部科学省)、開催地都道府県の三者による共同開催で行われます。そして、スポーツ振興法に基づいて、国、つまり文部科学省には、地方スポーツ振興費補助のメニューのひとつとして、国体補助事業があり、毎年、開催地都道府県に対して補助金を拠出している訳です。その文科省の主管セクションは、スポーツ・青少年局競技スポーツ課。ここの資料によると、「国民体育大会とは、各都道府県対抗による我が国最大の総合的な競技大会であり、国民スポーツの祭典である」、と定義された上で、国体を主催する三者は、以下の4点について貢献するものとしています。

◇競技力の向上
◇スポーツ施設の整備・充実
◇スポーツ組織の充実
◇地域の活性化

この4点に関して、現在の実情を踏まえて検証しながら、国体が本当に必要なものなのか、または、国体のあるべき姿が、「国体改革2003」で示されているような方向付けで本当に良いのかどうか、あくまでも私の個人的な考えですが、今回は述べたいと思います。

まず、「競技力の向上」という点についてです。

スポーツ振興法の第4条第1項には、「文部科学大臣はスポーツの振興に関する基本的計画を定める」、として、同じく第3項では「都道府県及び市町村の教育委員会は、第1項の基本的計画を参しやすくして、その地方の実情に即したスポーツの振興に関する計画を定めるものとする」、と定め、国及び各自治体にスポーツ振興基本計画なるものを策定するように規定してあります。その国の定めるスポーツ振興基本計画の中には、その概要として、3つの政策目標と具体的施策が盛り込まれています。

1.地域におけるスポーツ環境の整備充実方策
2.我が国の国際競技力の総合的な向上方策
3.生涯スポーツ・競技スポーツと学校教育との連携推進方策

中でも、「1」の具体的施策として、生涯スポーツ社会の実現と成人の週1回のスポーツ実施率が50%になることを目指して、「総合型地域スポーツクラブ」を全国展開することが明記されており、文科省がスポーツ振興基本計画を策定した2000年以降、全国の市町村にその具体化が進められてきました。今年7月現在では、1,810の市町村の内、57.8%の1,046市町村に既に総合型地域スポーツクラブは創設されています。総合型地域スポーツクラブについては、詳しくは別の機会に取り上げたいと考えていますが、このスポーツクラブの活動は、地域の人々のスポーツ機会を創出することと、年齢世代を超えた一貫した育成や強化というシステムを作り出すことも念頭に置かれているようです。つまり、総合型地域スポーツクラブの存在は、やがては上記施策を具体化するための核としての存在になる、またはしていく、ということなのです。

一方で、地方自治体の定めるスポーツ振興計画の公表されている限りの内容をざっと見てみると、特に都道府県レベルのものは、必ずと言っていいほど、国体での成績、つまり、都道府県単位での順位を上げていくこと、または維持していくことを目標とする内容が盛り込まれているのです。つまり、国体とは、以前にも述べた通り、成果達成基準を図るための大会としての位置付けとして扱われています。また、そこには、スポーツ参加率の向上やスポーツ機会の増加などの目標値はほとんど見られません。オリンピック流に言うと、国体でのメダル獲得数を競うことが目標とされている、と言っても言い過ぎではないでしょう。

国の定めるスポーツ振興基本計画と、各地方自治体が定める基本計画の目指すところが、ある意味では一致していながら、各地方自治体の目標達成度を測る基準が、国体での成績であるとするところに、「国体改革2003」で示されている“競技力の向上”という視点に結びついている気がします。そして、競技力を向上させていくためには、トップアスリートの参加を促すことが早道だ、ということなのではないでしょうか?。しかし、元々の国体の開催意義であるスポーツの普及や地方スポーツの振興という観点からは、かなり逸脱してきているという感は否めません。「時代は変わってきている」、と言われればそれまでですが、それならば、スポーツ振興法そのものから見直して、スポーツの普及や育成という底辺から、国際的な競技力の向上までを、包括してマネジメントしていける体制と組織を作らない限り、現在の体制や組織の中では、どう考えても矛盾だらけの方向に向いてしまうように思います。恐らく、その点を突いたのが、「スポーツ立国ニッポン」を掲げる自民党やスポーツ議員連盟の中の一部組織の動きにつながっているのだとも推測します。

ちなみに、国の定めるスポーツ振興基本計画の中の、国際競技力向上の具体的な目標として掲げられているものは、オリンピックでの夏冬合わせて3.5%のメダル獲得率、ということです。具体的な数値にすると、13~14個のメダル数ということですが、この数値が2000年当時のものだとしても、こんなもんでいいのかどうか・・・。それはそれとして、問題なのは、このメダル数の数値目標設定が、各地方自治体の計画にブレイクダウンされた時、彼らの具体的な数値を何で図ればよいか?、ということから、国体での成績、というものが引っ張り出されたのではないか?、ということです。平たく言うと、国がオリンピックなら、地方自治体は、国体をそれに充てよう、ということのような気がします。もしそれが正解なら、単なる成果を示すだけのために、国体という存在が地方自治体のスポーツ振興行政の中でポジショニングされていることになり、本来、スポーツの普及や育成ということが大前提であるべきものが、大きくその方向性が歪められかねない、という危惧を抱きます。

結論的には、国体開催の理念として掲げる「競技力の向上」とは、勝ち負けの結果を問うことではなく、技術や精度、そして体力や精神力、更にはチームワークなどの、スポーツの中で競い合うレベルを向上させていく、という視点に立ち、国体は、あくまでも強化や育成の成果を披露する場である、と捉えるべきだと思います。そう考えることが、悪戯にトップアスリートの参加やプロ選手云々、または外国人選手云々を言うよりも、現実的であるような気がします。つまり、「国体改革2003」の示す競技力の向上は、単に国体というイベントそのものの興行価値を上げるための施策である、という捉え方に思えるのです。それだけでは、スポーツ振興法やスポーツ振興基本計画が目標として掲げている内容と、矛盾が増すばかりではないか・・・、と私は考えるところです。

次に、「スポーツ施設の整備・充実」ですが、これは、最近の国体では特に顕著になってきている課題です。例えば、競技ルール変更に関連して、国体開催地に対する競技団体からの要請が複雑に、また高度になってきている、という点や、開催地近隣の他の自治体区域にある競技施設の使用、つまり広域開催にせざるを得ない、という点などです。スタジアム施設やアリーナ施設は、プロスポーツチームの本拠地としての活用や、各種国際大会の招致に絡み、設備面の欠陥や不備による興行コストの増加により、開催費そのものの不足に陥る問題が浮上しています。競技ルールの変更により、適正な競技環境を再整備しなければならなかったり、興行という視点からは、観客席の不足や館内諸室の不足などによる運営面での不都合により、仮設工事を施さなければならなかったりすることに起因しているものです。かつては、国体開催の度に、その開催地には新しいスポーツ施設が建設されてきました。その時は、地域の誰もが喜んでいたとしても、国体開催後の利用計画が無計画だったり、現実と即した計画でなかったりした点に起因して、その後の施設の運営費がもたらす財政負担が、地方財政が苦しい現状では、大きな問題にもなっているケースも出てきました。指定管理者制度の導入により、施設の運営施策は、大きく転換しようとはしていますが、まだまだ多くの施設の運営は、そのほとんどが税金頼みです。

一方で、総合型地域スポーツクラブの拡大によって、各地区にある公共のスポーツ施設内にその拠点を置いたり、活動の場としての利用が拡大しているケースを見ると、単なる“待ちの営業”をしていた無策な行政に比べれば、格段に利用率の向上に貢献しているように見受けられます。この様子を見ていると、国体開催を機に作られる、または再整備されるスポーツ施設の活用施策の幅は、以前よりも格段に広がっているように感じます。総合型地域スポーツクラブや地元で活動するプロスポーツ球団との連携、または、企業チームや、やがてはスポーツリーグとの連携を、単発的なものではなく継続した利用環境に関して連携していけば、ますます利用状態は充実したものになるように思われます。そのためには、公共施設としてありがちな頭が堅い規則に縛れた運用ではなく、利用者の立場に立ったサービスを前提とした運営を、所有する行政側も考え直していかなければならないでしょう。体育館を維持するのもお役所の仕事でしょうが、利用してもらってナンボ、ということを知るべきだと思います。

国体開催を契機として、新たなスポーツ施設を建設する動きは、今後ますます停滞していくことは、現状の地方財政の切迫状況を見ても明らかです。恐らく、既存施設の有効活用や、近県の施設の利用を視野に入れた広域開催も、今後ますます論議されることになっていくと思います。特に、自然の中を競技スペースとして使用するボート、カヌー、そして今後正式競技になるであろうトライアスロンなどの競技は、全国津々浦々にその競技環境が整っているわけではありません。ましてや、国体開催毎に、臨時設置するわけにもいきません。そこから考えると、国体の単独権開催というのも、再考すべき時期が来ているようにも感じます。施設や環境の整った大都市を控える一部の都道府県と、多くのインフラ整備を余儀なくされる都道府県とは、開催費用以外の面での財政負担が、まるで異なってきます。2順目に入っていますので、過去に作られた施設の活用は出来ても、先に述べたような競技運営上の不都合から改修や再整備を余儀なくされるケースは、必ず出てきます。“FESTIVAL”ということで言えば、一極集中開催でお祭りの雰囲気を盛り上げることが得策なのかもしれませんが、そこは、国体の性格をどのように位置付けていくかで、得られる効果も大きく異なってくることを、官僚の皆さんも慎重に検証すべきだと、私は個人的に思うのです。

結論的には、「スポーツ施設の整備・充実」という施策は、今後はより広域のエリアでの施設利用を前提としたスポーツ施設計画に改めるべきだと考えます。道州制が問われて久しいですが、現実的な道州制がしかれなくても、近隣の自治体が連携して、相互利用が可能で、しかもそれだけにより充実した興行にも適する施設を建設、または整備していく方策の方が、現実的であるように思います。小さい施設を数多く建設していく発想から、広域利用を前提とした考え方の方が、現在の経済環境や施設の利用状況を鑑みれば、現実的であるように、私は思います。このことにより、国体の開催も、単独都道府県開催から、国体創設時に行っていたような広域開催も選択肢としていくことが、開催地の負担を減らすというよりも、財源を有効に活用する、ということで有効であるように思います。

最後に、「スポーツ組織の充実」と「地域の活性化」という施策についてですが、これらは、一言で言えば、国体開催に関連して考えるならば、既にその役割は終えた、ということのように感じます。課題は、既に次の段階に入っていて、それが、総合型地域スポーツクラブの拡大、拡充なのだと思います。

先日出席した日本スポーツマネジメント学会のセミナーのことは、以前にも取り上げましたが、そのセミナーの中での内容を引用させていただき、この点の問題について、具体的に検証してみたいと思います。

セミナーのテーマは、「日本のスポーツはどこへ向かうのか?」、というものでしたが、北京五輪を総括することもサブテーマとしてありました。その中で、JOCの代表として、北京五輪でのプレスアタッシェを務められた方が講演し、メディアの立場に立って、メダル獲得を目指した日本の強化策について、こんなことを仰っていました。

「中国や他の社会主義国のように、子供の頃から才能ある人材を中央に集めて強化していくことは、一般的なファンの立場に立ってみると日本では受け入れ難いと考える。選手たちは、自分たちが育ったそれぞれの地域から世界の舞台を目指し、そしてその地域の人たちの応援があるからこそ頑張ってこれたのであって、それが選手たちの力にもなっている。日本では、そうしたコミュニティが支える文化が、スポーツにもまだ脈々とある。メディアが、メダリストを紹介する時に、必ず出身地の応援の様子を取材するが、それは、選手たちが育ったバックグラウンドがそこにあるからで、そのことが日本中にもおきなムーブメントを作り出していくのだと思う」。

私は、本当に世界のトップシーンに立てるような強化をしていくならば、世界で戦った経験が薄い競技や、現状の世界基準までに指導力が達していない競技に関しては、所謂ナショナルトレセンでの中央一極強化という環境も必要なことだと思っていました。しかし、この講演を聴いていて、選手たちが子供の頃から育った環境というのは、彼らの才能の基礎を作り出したものだから、その地域、コミュニティにいる人たちの応援というのは、選手の一番の力になっているんだ、ということを認識し直しました。私も小学生の頃、スポーツ少年団でサッカーボールを追いかけていましたが、その活動の場がなければ、スポーツ選手ではなくても、いまこうしてスポーツと関わり続けてはいなかったと思いますし、スポーツの良さや魅力も、いまのように持ち続けてはいなかったと思います。スポーツ少年団の中では、子供の親たちはもちろんですが、学校の関係者や多くの地域の人たちまでが応援団となってくれていたことを、講演を聴いていながら思い出しました。オリンピック選手たちも、恐らくそうした記憶は誰にもあるのだと思います。そして、その記憶が、時には選手の力を少しだけ後押ししているのだと思います。

総合型地域スポーツクラブというものを、実は、私はほとんど知りませんでした。言葉では聞いていたのですが、その活動の実態や背景に至るまでのことは、まるで無知だったのです。しかし、国体のことをもう少し詳しく調べるために、関連の法律や地方行政の体制などを見ていくと、その存在規模は、ものすごく大きくなっていることを知りました。子供の頃にスポーツ少年団という組織で活動していたこともあり、その活動の地域における役割などもなんとなくイメージできましたので、その存在意義の大きさを再認識させていただいた次第です。ただし、総合型地域スポーツクラブいうものは、今後、さまざまな方向性を持ったクラブが登場してくる時代になっていくと思います。JリーグのJ2山形のように、プロサッカーチームの運営組織が、そのベースとなる場合もありますし、今後は企業スポーツのあり方も、総合型地域スポーツクラブの母体となるような形に変化していく可能性も否定できません。事実、いくつかの具体例はあるそうです。もちろん、地域のスポーツ活動の促進を趣旨とするだけのまだ小さな組織もあるようですが、どんな組織でも、それぞれの地域の中で活動を展開していることに変わりありません。組織の育成率が、まだ目標の半分を超えたレベルとはいえ、これが100%になり、そして市町村毎に複数のクラブが創設されるようになっていけば、点は面となり、より大きな活動が可能になるでしょう。

結論的には、国体に関連して、地域スポーツやその組織を考えるならば、総合型地域スポーツクラブが組織的に発展することを前提として、そのクラブから国体チームがつくられて、都道府県、もしくは地域を代表して国体という競技会の場に出場する、というのが、日本でのスポーツの普及や育成を底辺レベルから活性化していくためにも、理に叶っているように思います。オリンピックや世界の舞台で活躍している選手や、トップリーグ、プロリーグで活躍している選手たちの出場を、単なる興行的な価値を上げるためだけに模索していくのではなく、現状育ちつつある底辺での活動に新たな目標を作っていく意味においても、それは非現実的なことではないように考えます。

表題で、「国体不要論」と書きましたが、国体を全くなくそうとする意味ではありません。「国体改革2003」が示す今後の国体の方向性は、単なるイベント性を高めるだけのための施策にも見えますし、国際競技力の向上とは、国体云々の話しとは、全く違う次元のことのようにも思えます。国際性に乏しいから、という理由で、男子新体操や9人制バレーが正式種目から削除されるのは、まさしくイベント性を追及するためだけの施策なのだと思います。人気や競技人口、また動員力を問うだけの国体であるならば、普及でも育成でもなく、単なるスポーツイベント事業です。それならば、現状の国体は、既に寿命が来ている、というか、役割は十分に果たした、という意味で、私は国体不要という言葉を使いました。

隔年開催となる競技も生まれるとの報道がありましたか、トップアスリートが、調整や、競技で使用・着用する用具のテストのために、国体に出場しているという事実も現状の国体の姿であることも、知っておきたいと思います。

posted by umekichihouse |05:43 | イベントオペレーション | コメント(0) | トラックバック(0)
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