2008年08月31日
“NBA@東京ドーム”~インドアスポーツイベント不滅の観客動員
2日間で約8万人の観衆を集め、当時、屋内施設としては最大の規模を誇った東京ドームで開催されたNBAの公式戦「NBA JAPAN GAMES」が、いまから12年前の1996年に行われました。インドアスポーツとしては、恐らく、史上最大規模で、この記録は当分破られることはないでしょう。残念ながら、いまの大学生でも記憶にない方の方が多いと思われるほど、昔のことになってしまいました。 1996年11月7日と9日に開催されたこの歴史的ゲームは、1990年、1992年、1994年に続き、4回目となる北米大陸以外で行われる唯一(当時)のアメリカ・プロスポーツの公式戦でした。ピッチャーマウンド上にコートが設置され、セカンドベース付近から外野方向にかけては、約5,000席の巨大な仮設スタンドも設置されました。観客席は、外野に近い内野席の一角(仮設スタンドにより見切れ)と外野スタンド席以外は、すべて観客で埋め尽くされ、東京ドーム開館以来、初めてバックネットが完全に取り外されました。 一般に販売されたチケットは、全体の約90%にあたる36,000枚(1日当り)。優先販売やチームへの引渡し分(契約あり)、当日券で販売された立見席、またスポンサー招待などの分を加えると、約40,000人が東京ドームに詰め掛けました。また、1996年は、NBA日本公式戦で初めて、イースタンカンファレンスから2チームが来日。それまでは、渡航時間や帰国後のシーズンスケジュールなどの課題を解決するために、ウェスタンカンファレンスから対戦チームは来日していたのですが、その課題を乗り越えて、それまで以上の強豪チームが参加することになりました。また、従来は、帰国後のスケジュールを考え、シーズンの開幕戦として行っていたのですが、今回は、シーズン開幕後のゲームということになり、両チームとも、アメリカで開幕戦を行った後、日本で2試合行うことになったのです。来日前、そして帰国後のチームの体調管理等を考えると、無謀とも言えるその課題を、NBA、そして来日した両チームは払拭してくれたのです。 NBAの人気が高まり、多くの観客が見に来てくれる、という期待感はありましたが、一方では、より知名度の高い人気チームを呼びたい、という希望は、招聘元のNBA日本総代理店を当時務めていた商社では考えていました。しかし、そのためには、上記のスケジュールに関する問題以外に、金銭負担に関わる課題があったのです。このイベントは、単なる興行としてだけではなく、シーズン公式戦として開催されるため、来日するチームのホームゲームを1試合づつ、興行権を譲り渡してもらわなければなりません。そのため、前シーズンの実績をベースに、各チームの興行収益を日本側が負担しなければならないのです。当時のオーランド・マジックは、来日前にトレード移籍したシャキール・オニールや、ペニー・ハーダウェイという2枚看板を抱え、人気を博していたため、チケットはソールドアウト状態だったのです。しかも、ホームアリーナのキャパシティも大きかったため、金額にして数億円規模になっていました。2回連続で横浜アリーナで開催していましたが、そこでは、14,000人しか入らず、チケット価格を倍以上にしなければ、その金銭保障を賄うことはできません。結果的に、東京ドーム開催という構想が現実味を帯びたのです。 アメリカでは、NCAAファイナル4という、全米大学バスケットボール選手権のベスト4が、ひとつの会場に一堂に会して行われるイベントがありますが、過去の例を見ても、その観客動員数は、肝を潰す規模でした。インディアナポリスのRCAドームとか、シアトルのスーパードームとか、NFLフットボールのホームスタジアムが超満員になるのです。しかも、チケットは、開催が決定すると同時に即完売する人気です。 まさに、その規模に近いものをやろうとしていた訳です。先に述べた会場設営での課題も、かなりの時間を費やして、ひとつひとつの課題が解決されていきました。東京ドームが、民間施設でなければ、絶対に無理だったと思います。問題はそれだけではなく、設営作業は、前のイベントの関係で、深夜に行わなければならないこと。また、第2戦終了後には、直ちにバックネットを現状復帰しなければならないこと。などなど・・・、数え上げればきりが無いほどに、大きな課題が山積しました。バックネットの現状復帰については、翌日から日米野球の開催が控えていたためです。もちろん、バックネットの撤去も現状復帰作業も、こちらの負担です。また、野球場ですから、アリーナ施設を使用する場合と比べ、運営に使用する諸室が足りませんでした。そこで、メディア施設に関しては、1塁側のブルペン、つまり投球練習場の中を仮設対応で改修し、約200名が利用可能なメディアワークルームとしました。3塁ブルペンには、記者会見場が仮設設置されました。ちなみに、ホームチームであるジャイアンツのロッカールームは、使用不可能ということで、開かずの間に終わりました。 施設の問題が解決すると、このイベントの最大の課題が待っていました。観客動員です。つまり、チケットを完売させなければ、東京ドームで行う意味がありません。幸運にも、1992年と1994年に横浜アリーナで開催した際には、発売と同時にほぼ完売になるなどして、手応えはありましたが、なにせ今回はその3倍もの数を売らなければなりません。しかも、東京ドームという見易いか見易くないかもわからない野球場でやるのですから、不安はかなりありました。しかし、当時かなりの数の会員を集めていた公式ファンクラブの存在、そして大会のスポンサーとなっていただいた企業が、大会スポンサーとしての各種権利を活用して、全国キャンペーン計画してくれていた事もあり、不安と気体が入り交じる中、とにかく、プロモーション計画の策定を開始しました。 まず、第一前提に置いたのは、7月19日から開幕するアトランタ・オリンピック前に、80%以上を売り切ることです。それ以降は、販売の伸びが鈍化することは仕方ありませんでしたが、アトランタでの“ドリーチーム”の活躍と、その魔法の威力に期待したのです。また、スポンサー各社によるキャンペーン展開の効果にも期待がありましたから、問題は、チケット発売から1週間程度で、どのくらい販売の加速が付くかどうかという初動対策でした。イベントの全体予算規模は、それまでの3回とは比較にならないほどのものでしたが、逆に、チケットが売れなければ悲惨な結末が待っていることになります。それだけに、宣伝予算は、本当に限れたものしかありませんでした。当時、協力してくれた大手広告代理店の方々にお願いして、可能な限りの“例外中の例外”的な計画策定が進められました。中には、NBAファンの一流のクリエーターの方が、奉仕としか思えないような予算で、見事なCMを作ってくれた、という有難い話しもあります。この方には、キチンと、良い席で観戦していただいたことは、言うまでもありません。とにかく、今まで以上に幅広い認知が必要になりましたので、新聞の全面広告を、チケット発売2週間前から展開し、ラスト1週間では、集中してTVCMを投下しました。加えて、交通広告や大量のチラシ配布、ポスター掲載などの通例的な手法も展開し、なんとかチケット発売当日まで漕ぎ着けたのです。結果は、予想を超える動き出しで、何とかチケット販売に目処を付けることが出来ました。新聞広告では、日本経済新聞にまで広告を掲出しましたが、NBAファンの傾向に関して、公式ファンクラブの会員のデータやそれまでのさまざまな調査データがありましたので、会社に勤めている20代の社会人の方々の多くに支持されていることは分かっていました。もちろん、スポンサーセールス的なビジネス判断もありましたが、結果的にかなり効果はあったのではないかと考えています。 私が主に担当していたスポンサーシップ業務も、それまで以上の協賛金を集めることが要求されていましたし、スポンサー各社独自のプロモーションの実施が、特に期待されていました。単に、イベント協賛の型通りのパッケージ提案ではなく、イベント協賛により獲得できる諸権利の詳細と、その活用方法を具体的に提案していきました。結果的に、10社のスポンサー企業を獲得し、また、多くのスポンサーに、イベントをテーマとしたプロモーションを実施していただきました。特に、あるコンビニエンスストアが展開してくれた全国キャンペーンと、外資系ビール会社による、いままでに経験したことのないような手法によるブランディング戦略とが、いまでも印象に残っています。 コンビニエンスストアでは、プレミアムキャンペーンに加え、ごく少数の当選者を対象とした「VIPパッケージ」というものが当るオープンキャンペーンを実施しました。「VIPパッケージ」とは、選手の宿泊するホテルと同じホテルへの宿泊、一般の方々は対象としていない公式レセプションパーティーへの出席、そして最上席での観戦と、お金を出しても買えないような特典をパッケージにしたものです。当選者の皆さんをホテルの一室に集めて、当選のお祝いを述べさせていただくチャンスがあったのですが、皆さんの目がキラキラ輝いているのを見て、やってよかったと思いました。コンビニエンスストアの担当者から、後に、「いろいろスポーツをテーマにキャンペーンをやる中で、バスケットボールのファンの皆さんは、いい人ばかりで感心しました」、と言われました。バスケットボールに関わる人たち全員に対して言われているようで、その言葉は、いまも忘れられません。 外資系ビール会社は、アメリカでは大きなシェアを持つものの、日本ではなかなかシェアを獲得することが出来ずにいました。日本のビール会社との販売提携を締結したばかりで、とにかく、ブランドの認知に力を入れていました。そこで、実施したのは、試合当日の東京ドーム内でのビール販売を、そのブランドのビールで独占してしまったこと。そして、隣接する飲食店が入ったビルの壁面一面を、そのビールの広告で埋めてしまったことです。もちろん、仮設スタンドの横のグラウンドレベルにも、臨時売店を2ヶ所設置し、販売とPRを展開していきました。恐らく、想像よりもコストはそれ程掛かっていなかったと思います。しかし、普段は絶対に無理、ということを、外資系ビール会社の担当者はやってしまったのですね。凄いと思いました。裏方で私も協力はさせていただきましたが、あの方の行動力溢れる姿は、いまでも見習うべき姿勢だと考えています。 テレビ放送も、過去最大規模となりました。1996年は、先程も述べました通り、開幕戦ではなかったため、従来の土日開催ではなく、1戦は木曜日の夜、もう1戦は土曜日の昼に開催されました。それにより、日本での第1戦のテレビ中継も、テレビ朝日により23時台からの開始となり、視聴率も少し期待が持てました。(結果的に、以前よりも2%ほど高かった)グランド上に設置された巨大な仮設スタンドの裏側に、何台ものテレビ中継車輌が並び、中継スタッフ用の控室やワーキングルームも、プレハブで仮設設置されました。また、アメリカへは、TNT(ターナーネットワークテレビジョン)、そしてオーランドの地元局、日本向けとして、テレビ朝日とNHKハイビジョン放送が入り、合計で30台ものテレビカメラが設置されました。更に、中国や台湾、そしてタイなどの東南アジア数カ国にも中継され、制作体制も中継体制も、それまでより規模は拡大しました。そこで学んだテレビ中継の基礎的ノウハウは、いまでも本当に役立っています。当時は、まだ衛星回線を通じての伝送でしたし、デジタル制作ではありませんでしたので、その分、多くのスタッフが関わって制作が進行する姿を見ることが出来たことが、良かったのでしょう。 本番の11月までの約6ヶ月間は、まさに、嵐のような状態でしたが、東京ドームの中でバスケットボールイベントを実施し、1日4万人もの観衆を集められたという実績は、私個人にとっても大きな自身にもなりましたし、さまざまなノウハウを吸収できた機会となりました。1999年にも同会場でNBA日本公式戦は開催されていますが、1996年で味わった感動は忘れられません。4万人の熱気を、コートサイドで見上げながら感じた感覚は、表現できません。![]()
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posted by umekichihouse |13:26 |
バスケットボール |
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“NBA@東京ドーム”~インドアスポーツイベント不滅の観客動員
いつも貴重な事例の模様を丁寧に教えていただき、大変勉強になっています。
この場を借り、御礼申し上げます。
ひとつだけお願い申し上げたいことがあって、今回コメントいたしました。
段落を変える際に、改行だけではなく一行スペースを空けていただけるでしょうか?
RSSリーダーに配信される際には改行が消えてしまうため、完全に平板なレイアウトとなってしまうのです。
勝手な申し出で恐縮ではございますが、一読者の感想としてご寛恕頂ければ幸いに存じます。
posted by マグナカルタ | 2008-08-31 16:28



