2008年01月14日
続・批判は誰が為に行う?:批判を出す人の為の批判が 正当なのだろう。
昨年末から書けておらず、2008年に入って一発目でこんな事を書くのも何ですが。 「しばし」筆を置こうとしていたのだが、今日は少しだけ書いてみることにする。 これからも少しは 書いていくかもしれませんが。 (全然違う話の、最初の 「折れない心:批判は誰が為に行う?」) 少し違った切り口での、自己弁護に聞こえる話に見えるかもしれないが、 一本 筋の通った生き方が出来れば、幸せな人生だというものだし、 それは貴重なものだと思う。ただ、それは非常に稀なことでもある。 人間なので、先の事は判らないし、朝令暮改があってもおかしくない。 むしろそれが普通なのかもしれない。 ただ、どんな理解しやすい意見であろうと、「批判があるのは当たり前」で、 それを受ける覚悟が出来てなければならないだろう、と個人的には思う。 勝負の世界に生きる者にも 似たような事が言えるだろう。 勝ち続ければ、知らない親戚や友達がわんさかと増えてくる事があるし、 負けて地に落ちれば、根こそぎ持ち物をさらわれて、一人路頭に迷う。 そういった「動物的な」「弱肉強食の」「自然淘汰的な」世界は 自然であろう。 それに嫌気がさす「弱い心」もあって仕方ないが、それは残念ながら ナイーブに過ぎるという事になる。実生活でそれを体験している人間としては。 個人的な意見としては、ゲーム内のみでそれを体現すべきであって、 私生活までそうであって、休まる場所もないというのでは困るのだろう。 だからこそ、ファミリーがあって、時としてグループやチームがある。
posted by uj_lovesoccer |10:50 |
ひとり言2008 |
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