2007年03月30日
アジアでのJの立ち位置を考える(9):アジアで戦うとは
えてして、こんな事を書く人間に限って アジアの事を何にも判っていないのだが アジアで戦う時に、個人的に感じることを書く。 まったく参考にならないかもしれないが・・・ 未だ、アジアで「ナイーブでない」チームを探すのは難しい、と思う。 それは、発展途上であり、欧州の高名なチームのような 「ディテール」=細部にいたるノウハウ を持ち得ないであろうから。 元々、「アジアの盟主になったところで」という、 今となっては、古めかしくも思える発想からスタートした、Jリーグ。 その時に思っていた事は、以下のようなことだろう。
※世界に通用するサッカーをやれば、アジアでは楽に勝てる筈。 世界に通用するサッカーであろうとすれば、それは時代の流れに敏感で なければならず、決して立ち止まらぬ進化を必要とする。 そして、自らが、その流れを発する「発信源」とならねばならぬと思う。 時代が、自然とそう要請してくるようになるクラブが、頂に向かえる。 しかし、世界の後追いをしてしまう「メンタル」が蔓延しているかのような日本、 発信源となるのは、程遠い(と私は思うが、何か?)。 今回のタイトル、「アジアで戦うとは」 世界に向けた発信源足りうるような 突き抜けたものが、本当に必要なのだろうか? おそらく、そんな事もなかろう。 同じ立ち位置で戦うことを選択している現在、 「他のアジアのチームが持ち得ないディテールを持つ」 だけで良い筈。 それが、世界に通用するサッカーかどうかは別として。 もう一つ。トルシエやジーコが監督を率いた時代には、 ※アジアでの戦いと世界との戦いとの使い分けが必要ではないか という議論が出た事もあると記憶している。 果たしてそうか? 答えはそうでもあり、そうでもないのだと思う。 もし、戦い方を使い分けるならば、対処療法になる。 アジアでは、先に書いた「徹底的にアウェーで勝つ戦い方を身につける」という事、 そして 非道なまでに、勝つ事に徹するだけの事だ。 世界では、もっとチャレンジしなければならないだろうが。 戦い方の使い分けをしないのならば、やはりアジアで突き抜けたものが必要だろう。 突き抜けたものとは、戦術でも選手でも、コーチでも何でも良いと思う。 ただ、それは、アジアとは違った立ち位置で留まろうとする、 初期のJチームのコンセプトの継続と言われても仕方ない。 相手があって、初めて成り立つゲーム。 自我ばかり考えて押し付けていては、やはり足元を簡単にすくわれかねない。 確率論から言えば、勝ち切るには 苦労は絶えないだろう。 色々と書いてきて、「結局、一体何なのだ?」と思われる向きもあろうが、 いえる事は、 「試合の主導権を握る戦いが出来るか」にかかっている。 そして、悪い流れの時間帯・状況を耐えて、そして 自分の方に、流れを引き寄せられる事が出来るかが。 過去、ジュビロ磐田がACLの前身の、アジア・クラブ選手権で勝てたのも、 つまるところ、それに尽きるのではなかろうか。 一撃必殺、攻めてきたスキを突く、常に先手を取れる戦いであったり、 逆境に遭遇しても、それをはね返す力を持つこと。 それは、ゲームの本質を体現することでもあろう。 Jの殆どのチームが持ち得ない(代表レベルでもそうだろうが) これを持てるチームがやはり、 「アジアで戦える」チームとなるであろう事は 想像に難くないと思うのだが。 #具体的にどうするかが、全く書いてないと思うのだが(爆)
◆アジアでのJの立ち位置を考える:
(1)アジア軽視 / (2)無知の知 / (3)アジア動向(東ゾーン)
(4)ACLグループリーグ / (5)過去敗因検証 / (6)Jの特性 / (Ex1)補足1
(7)アジア動向(西ゾーン) / (8)ビッグクラブ化の是非 / (9)アジアで戦うとは
(10)Jの立ち位置 / (11)世界へのステップ / (12)CWCへの期待
posted by uj_lovesoccer |15:52 |
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