2006年12月28日
妄想とは人を惑わすもの、しかし失くしては成り立たぬ
陣内くんの「嫁入り」報道を、個人的には微笑ましく思っている この頃。 さて、横道から入ってしまったが、舞台は日本。 そして、アジアへシフトしようとしながら、しきれていない感じがあるが、 民族大移動が始まろうとしている舞台では、各々の総括が始まっている。 日常生活における四季を感じる国では、それも趣きであろう。 しかし、確かにシーズンを終わろうとしていながらも、 それでもサッカーは前に進む、いや、進まねばならない。否応無しに。 #考えて書くブログを標榜しながらも、書きながら考えてる感があるが・・・
2006年版の日本サッカーは、影と光とが交錯したが、ベースは1つ。 海外組は移動に伴うコンディションの問題もあり、オシム監督が 率いるようになってからは、国内のJリーガーから構成されている。 ただし選手の「記号」が入れ替わっても、そこにあるリソースは、 変革しつつある時代ながらも、大きくは変わらない。 (ここで「記号」とは、オシムの言葉を借りたものだが) ドラスティックな変化を求めても、人はついていけないものだ。 それは、日本でも世界でも同じことである。 2010年へ向う道は、宇宙への旅ではないけれども、 南アフリカへの長い道は続く。途中で絶ち切られぬように、 進むためには、さらなる変化・進化が必要と考えている。 が、それには、静かなる変化を、気取られぬよう行わなければ、 変化を頓挫させるものが、必ず現れる。 大いなる静かな変化には、着実な歩みを必要とする。 着実な歩みの為の、現状の様々な要素を変数とする連立方程式を 数学者だから、といってオシムだけに解かせてはならないのだと思う。 難解極まる方程式には、誰も挑戦する意欲を持てないかもしれない。 日本人の海外に対する気後れした姿勢の名残りも未だ見られる中、 チャレンジするものが、特別なもの限定である必要性はないと思う。 ただ、マイナスの意識が、日本人に浸透しきっているせいか、 オシムが解こうとしている連立方程式に手助けをしようとせず、 その難解さにハナからあきらめるものもいれば、 あきらめて、別の安易な解法で良しとする者もいる。 それはそれで、アリなのだろう。有効な手出しを出来なければ。 しかし、難解な方程式は、現実の「道」の目の前にある。 だから、完全解でなくとも、その近似解くらいは導き出さなければ、 いつまでたっても、成長なき現状にたたずむことになる。 難解でなく、安易な問題を解いたところで、誰も得をしない。 戦うべき世界に対しては、何もブレークスルーできない。 結果として、世界から取り残され、全く変わらない日本人を演じ続ける事となる。 世界の潮流は、難解な方程式を既に解いて、別次元に挑もうとしているのに。 ブレークスルーできない、しないという根気のなさがしみついた 人間ばかりではない、とオシムは考えている。 少なくとも選手には、日本人の特性には、その可能性を見出している。 彼にその考えを抱かせた日本人、もっと自分に自信を持って良い。 しかし、それはあくまでベースのほんの一部分に過ぎない。 これでいい、というのではない。 世界にチャレンジするための権利の、わずか一握りのものを 手にしているに過ぎないであろう。 その権利を手放さず、他の強豪国が既に持っている権利に手を伸ばし、 それを得る為の十分な環境は、幸いあると思っている。 アジア他国のように、結果が出なければ即、大きな変化を起こそうとして 結局、これまでの成果をなし崩しにしてしまわなければ。 あとは、未だ手に入れていない権利を、どう手にできるかにかかっている。 難解な方程式に挑むのならば、熟成の時間が必要でもあろう。 方程式を2010年までに解けばよいと思えば、時間はまだあるかのような 錯覚に陥りがちだが、実際はそうではない。 もっと早くに動かねば。小総括はいいが、総括し終わって留まることを してはならない。それが日本人が陥りがちな点ではなかろうか。 次の新たな、難解な2007年版の方程式に挑まねば、 次の展開は開けてこない。2006年に留まり続けるのは愚かである。 妄想、それは人を惑わすもの。このブログの文章もそうだろう。 しかし失くしては成り立たぬ。だからアホは生き続ける。 妄想と現実世界とが、大いに乖離している感があるが、 その距離は4次元的に交差しては、また遠ざかる。 3次元的な空間と、そして時間を加えた4次元世界で。 相対論的発想が出来れば、遠いと思われる距離も 実は近くにある。 サッカーも、あるべき場所と適切な時間にボールと人がいなければ 有効なゲーム運びは出来ないものである。 これは、アインシュタインのようにノーベル賞まで取るようなものでなく、 人間が作り上げていくゲームであるから、誰にでも手が届く範囲にあるもの。 だからこそ、それを手に取るためにもがき続ける。 有効なキーを、いつまでも、四季の流れに関係なく探し続ける。 それは、決して先の話ではなく、常に継続的になされるものである。 意味不明な点が多々あろうかと思う。私自身が早く、4次元世界から 脱出しなければならないのかもしれない。 しかし、サッカーにおける4次元世界は、実現可能な世界である。 アインシュタインが創り上げた理論である相対論は、 現実の世界と結びついている事を、説明したに過ぎないのだから。 静かなる変化を望みながらも、日本らしい4次元世界を、 サッカーでも、そして日本人が持つ意識としても 成立させたいと思う自分がいる。 (補足)最初の投稿は、妄想が過ぎたので、再度書きなおしましたが 未だ 妄想にしか見えないかもしれない(爆)。
posted by uj_lovesoccer |08:05 |
個人的な骨休め |
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