2009年04月30日
10年前の今日99年4月30日は広島やライオンズ、ホークスを強化
した根本陸夫氏が亡くなった日である。
ちょうど この日に根本氏が手がけたライオンズ対ホークス戦が行われたのは面白い偶然である。
根本氏が福岡に来なければホークスの2度の日本一は なかったはずである。
面白いのが根本氏のホークス強化法は評論家のヒンシュクを買っても、賞賛されなかった事だ。
93年に低迷するホークスの監督として招聘された根本氏は、前年のチームHR王と打点王のブーマー・ウェルズと契約せず南海時代に在籍した守備の上手いジョージ・ライトを獲得するなど福岡ドーム用の
チーム作りをしたと評論家の評価は高かった。
ところが その年のオフに佐々木誠・村田勝喜・橋本武広をライオンズに放出し、秋山幸二・渡辺智男・内山智之 を獲得するが評論家達は大ブーイング。
‘ホームランの出にくい福岡ドームなのに首位打者経験者の佐々木を出してホームラン打者の秋山を取るとは何事か’というもの。
更に最終的に4位に終わったものの初めて優勝争いをした94年のドラフトでは大学No1と言われた河原純一から手を引き、駒大進学を表明していた城島健司を指名。
‘河原が入れば今後10年は先発の柱ができるのに、城島のような強打のキャッチャーなんか取ってモノになるか分からない’と評論家達は
非難した。
投手陣が壊滅して最下位に終わった96年はアトランタ五輪で活躍した投手が大挙してプロ入りするので王監督が‘とにかく投手を取ってくれ’と言ったのに獲得したのは1位・井口資仁、2位・松中信彦、3位・柴原洋。
さすがの王も激怒し‘何で投手を取ってくれないのか’と詰め寄ると‘投手王国を作りたかったら強力打線が必要だ’と悠然と答えていたという。
評論家達から非難されながら獲得した秋山、小久保、城島、井口、松中、柴原らがチームの中心となってホークスは2度の日本一に輝いたのだ。
これが評論家の主張する‘球場が広くなったのだからホームラン打者は必要ない’‘とにかく投手を補強するべし’という声を真に受けていたら日本一はおろかリーグ優勝もなかっただろう。
考えてみると強さを継続したチームはクリーンアップを日本人で占める。
王・長嶋のV9ジャイアンツをはじめ加藤英・長池のブレーブス、山本・衣笠の広島、田淵・大田の82・83ライオンズ、秋山・清原の86~93ライオンズと枚挙にいとまがない。
それを考えると、いかに根本氏の眼力が凄かったかが分かる。
posted by ue-kj |22:49 |
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2009年04月29日
毎年 旧天皇誕生日に行われる柔道の全日本選手権は、100㌔級の穴井隆将が初優勝した。
今年から始まった柔道の100㌔級の世界ランキングで1位の穴井の優勝というのは快挙だが、本来100㌔超級の棟田康幸や高井洋平、
立山広喜らの戦いぶりが あまりにも煮え切らなかったのだ。
TV中継は準々決勝から始まったのだが、北京からの復帰戦となった鈴木桂治が いきなり穴井から一本負けをする。
他の試合は優勢勝ちばかりで一本勝ちがない。
特に石井慧が抜けた後のエースとして期待されている棟田は準々
決勝では31歳の斎藤制剛から肩車で あわや一本負けという有効を取られ技ありを取って逆転勝ちしたものの前途多難を思わせる。
準決勝では高井に場外注意で勝った立山と対戦するが、指導を受け旗判定で辛勝。
準決勝でも生田秀和に一本勝ちし2試合合計で1分足らずで勝ち上がってきた穴井と比べると上の階級とはいえ楽観はできないと思っていた。
ハッキリ言って穴井の戦いぶりが一番活気があって面白い。
決勝では案の定、穴井が攻勢に出て棟田を押しまくる。
途中で棟田が有効を奪うが、それで闘志に火が付いた穴井の
攻めに注意を受けてポイントで並び3-0の旗判定で穴井が勝った。
それにしても棟田をはじめとした100㌔超級主力の不甲斐なさには呆れた。
世界の流れとしてスピードが求められるのに日本の100㌔超級勢の
スピードのなさは致命的。
特に棟田の精彩のなさは深刻で、当面は鈴木桂治の復活を待つ
しかないのだろうか・・・・・・
posted by ue-kj |23:17 |
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2009年04月28日
4月25日にドイツで行われたWBA世界ミドル級タイトルマッチで東洋王者の佐藤幸治はフェリックス・シュトルムに7RTKOで完敗した。
残念ではあるが、層の厚いミドルで世界戦ができるだけでも凄い事
だと思ってはいる。
さてこれで日本人選手がミドル級の世界戦で戦った3例目だが、
過去 竹原慎二と保住が敗れたウィリアム・ジョッピーはスピード型の
選手だった。
つまりジャブを突いてスピードで相手を翻弄するタイプ。
一方で竹原がタイトルを奪ったホルヘ・カストロは機関車の異名を持つパワーファイターで、スピード型の相手をねじ伏せてきた。
つまりパワー型のカストロを竹原はスピードで勝ったものの、スピードでは劣るジョッピーには敗れている。
つまり日本を含めた東洋ではミドルというと重量級扱いされている。
しかし欧米の平均サイズであるミドルは重量級独特のパワーだけで
なく、スピードも重要な要素だ。
だからスピード負けする要因にもなっている。
佐藤はいいものを持っているだけに、ぜひとも再起して欲しいのだが
本当にミドルを取りたいのなら今度はアメリカを中心に戦う方がいいだろう。
スピード型の相手と数多く戦う事で、スピード型の王者にも幻惑されずに済む。
これまで通り国内でのみ戦っていては世界ミドル級王者など夢のまた夢だと思うのだ。
posted by ue-kj |23:40 |
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2009年04月27日
25日に福岡で行われたホークス対Gイーグルス戦で0-4と 4点リードされたホークスは8回に追い付くと11回にサヨナラ勝ち。
実は この試合、先発したWBC日本代表投手の岩隈久志が 7回までホークス打線を4安打無失点に抑えていたが球数が 93球に達したところで自ら降板した。
ところがリリーフが8回に追い付かれたという事で野村監督は自ら途中降板した岩隈に対し怒り心頭だったそうだ。
しかし私的には岩隈の判断は正しいと思う。
岩隈はGイーグルスに移籍した05年に開幕投手を務めたが、シーズン途中から肩の故障に苦しみ3年連続で二桁勝利を逃す。
そして07年のオフに右肘の手術を受けている。
そして手術明けの08年は最多勝に沢村賞、MVPなど投手関連の主要な賞を独占していた。
ただし08年の開幕戦でもホークス相手に7回1失点と好投したものの、自ら降板しリリーフが打たれてチームが逆転負けを喫している。
つまり昨日の試合と似たパターンなのだ。
野村監督が、それが歯がゆくてたまらないらしく‘甘すぎる、
ピッチャーは闘志が第一条件’と自分から降板する姿勢にあきれ返っているようだが、岩隈は前記したように3年間も故障に苦しみ手術までしている。
だからケガなく1年を乗り切る事を第一に考えているのだ。
Gイーグルスにとって岩隈は田中将大と並ぶ2枚看板だがAクラス浮上を考えると故障でローテーションに穴を空けるのは絶対に避けなければならない。
そのためには球数制限してでも無理なくローテを守るというのが第一となる。
これが球数制限する事によって5回ぐらいで降板というなら野村監督が怒っても違和感はないが、7回までしっかり投げきっているのだから先発責任は果たしているのだ。
少なくともMLBなら監督から賞賛されても非難される事ではない。
野村監督は現役時代に杉浦忠をはじめ‘チームの勝利のためには連投は当たり前’というピッチャー達とバッテリーを組んでいるのでそういった考えがスタンダードなのだろう。
岩隈が故障経験なしなら野村監督の言い分にも納得するが、故障のために3年も好成績を挙げられなかった事を考えると むしろ野村監督の怒りは筋違い。
‘チームの勝利のためにはエースは酷使されて犠牲になってもやむなし’という昭和のカビの生えた理論では選手は付いて来ない。
WBCの監督に任命されなかったのは当然だろう。
posted by ue-kj |00:06 |
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2009年04月25日
先日2009鹿島アントラーズサポートブログを見ていたら、 ‘サッカー
ダイジェストに掲載されているラモスのコラムに「チーム名に企業名を
入れれば、スポンサーが見つかる。だからJリーグは規約を改正して」
と記していた’との事。
‘これではラモスが監督をしてもダメだ’と、これを読んで私も暗澹
たる気分になった。
つまりラモスが言っている事はヨミウリグループのお偉方の言っている事と同じ。
‘スポンサーが見つかれば資金が増え一流の外国人選手を獲得し、観客も増える’という理論はプロ野球的な感覚で、Jリーグスタンダードとは対極の考えなのだ。
そもそもプロ野球ではスター依存主義。
清原和博がデビューしたとき西宮球場は史上最多入場者を記録したが、数年すると元の数に戻った。
イチロー人気も続かなかったし松坂大輔も然り。
プロ野球以外でも東京六大学は‘ハンカチ王子’斉藤佑樹が早大に入学した時に神宮が満員になったものの、昨年あたりは元の数に戻っている。
スターで観客を呼ぼうとする発想自体が長続きしないのだ。
サッカーでもJリーグがスタートした頃はリネカーやリトバルスキー、レオナルドやジョジーニョにドゥンガなどW杯で活躍した外人スター選手達が百花繚乱だった。
しかし02日韓W杯で人気者になったトルコ代表のイルハンを神戸が獲得したものの、ケガで全く活躍できずに終わり各方面の失笑を買っている。
にも拘わらずラモスが‘企業名を入れればスポンサーが増え、外国人のスター選手が獲得できてチームが強くなり人気も出る’ と未だに言うのは世の中の流れが分かってないのか、ヨミウリグループのお偉方の考えに毒されているという事以外何ものでもない。
ラモスが引退した頃に‘いずれは日本代表監督に’という声が多々聞かれたが、今のままでは全く期待できないだろう。
posted by ue-kj |21:38 |
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2009年04月24日
WBC世界フライ級王者の内藤大助5度目の防衛戦が、5月26日に上海で14位の熊朝忠相手に行われる事がようやく決まった。
昨年12月に亀田興毅との防衛戦を優先するため指名試合を延期したため、次の防衛戦は指名試合のはずだった。
ところがWBCの中国市場開発の思惑から上海での熊朝忠相手の
防衛戦が浮上し、指名試合を差し置いて挙行される事になったらしい。
すんなり上海で決まりと思いきや中国側のスポンサーが世界不況のあおりで全社が撤退したため計画が狂った。
結局 宮田ジムが新たに大口スポンサーを探す事になったため発表が ここまでズレ込んだようだ。
内藤の力をもってすれば14位で世界的なキャリアも乏しい熊朝忠相手の防衛は難しくはないだろう。
しかも徳山昌守以来の海外防衛成功、中国での初の世界戦の勝者という栄誉も受ける事ができる。
しかし中国でというのが気にかかる。
地元判定だけでなく古傷の目をバッティングで切られたにも拘わらず、ヒッティングとジャッジされ現地ドクターの怪しげな診断でTKO負けというような悪夢もありえるだけにリスクを大いに伴う大冒険になるだろう。
内藤の防衛成功を祈る。
posted by ue-kj |22:19 |
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2009年04月23日
沖縄で開催されていた高校野球の春季九州大会は今日ファイナルが
行われ、九州国際大付が沖縄の興南に2-1でサヨナラ勝ちして九州大会初優勝を飾った。
九国大付にとって念願の九州大会初優勝だが、問題は夏の甲子園に出られるかどうか。
さて九国大付は82年夏以来の甲子園出場は成るのだろか?
基本的に九州大会のような地区大会は春と秋の年に2度開催される。
秋季大会は そのまま春の選抜の参考資料となるので当然のように真剣モードで戦う。
ところが春季大会は微妙に温度差がある。
今大会の白眉は春の選抜で長崎県勢として初優勝を飾った清峰が初戦で九国大付にコールド負けを喫した事だ。
選抜で5試合を1失点のみで優勝した原動力となったエースの今村が登板せず、3番を打っていたキャッチャーの川本もケガで欠場していた。
これは選抜が終わって3週間足らずで疲れも残っているだろうしケガ人も出ていた。
こんな状態で無理して九州大会を勝ちに行くより、夏に備えて控えの底上げを図るのは当然だろう。
一方で選抜で初戦敗退した神村学園や興南は勝ち進んでいたし、ここ数年甲子園の一歩手前で苦杯をなめていた九国大付や選抜に出場できなかったチームは自信を付けるため勝ちに来るだろう。
昨年春の九州大会で優勝したのは福岡工だった。
福岡工は5月下旬に行われたNHK旗でも優勝してメディアによっては
‘福岡県の本命’という声もあった。
しかし肝心の夏の予選ではベスト16にも入れなかったのだ。
福岡では‘NHK旗で優勝したチームは夏は厳しい’というジンクスがあり、実際98年の東福岡以外はNHK旗で優勝したチームは甲子園に出場してない。
つまり5月下旬あたりに調子がいいと夏の予選が行われる7月には調子が落ちるという事だろう。
そういう意味でも九国大付が悲願の82年以来の夏の甲子園出場が成るかどうか注目である。
posted by ue-kj |21:41 |
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2009年04月22日
横浜の仁志敏久が今シーズン限りの引退を表明しているという。
常総学院・早稲田大・日本生命・ジャイアンツと球界のエリートコースを歩いてきた仁志という選手は華のある選手。
今年38歳とはいえ、まだまだ老け込む年ではないし 故障を抱えているという話も聞かないので引退するには惜しい。
MLBと平行して日本プロ野球を見ていて思うのが、日本野球の選手寿命の短さは異様である。
イチローは今年36歳だが誰もイチローの事をベテランなどとは
言わない。
イチローより1歳下の松井秀喜も然り。
ところが日本にいれば確実にベテランと言われるだろう。
日本でベテランというと経験豊な選手というより、引退寸前のロートルというネガティブなイメージで語られる。
デレク・ジータやAロッドらも日本での基準ではベテランだが、 MLBでは中堅選手という感じでベテランといえば40歳以上を指すようだ。
長嶋茂雄は38歳で引退しているが、昭和の時代とはトレーニング方法や体のケア方法も違うので選手寿命は確実に延びている。
ところがプロ野球の無能経営者達は昭和の選手寿命とを基準にしているとしか思えないような扱いをしているのだ。
これをマスコミが肯定するような書き方をするので間違った判断基準を一般のファン達は刷り込まれてしまう。
MLBでは選手寿命を1年でも延ばすために天然芝をはじめとしたイン
フラの充実度が高いのに対し、日本では選手の下半身などに百害
あって一利もない人工芝の球場ばかり増殖させている。
選手は使い捨ての消耗品ではないのだが、そうとしか思ってない無能経営者が蔓延っている。
‘ボロボロの晩年を過ごすより晩節を汚す前に引退した方が’という
論理を絶滅させる必要があるだろう。
若手のフレッシュな活躍もいいが、ベテランならではの味のある
プレーの魅力もプロ野球の醍醐味なのだから。
posted by ue-kj |21:50 |
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2009年04月21日
今日 長崎で行われたジャイアンツ-スワローズ戦で、スワローズの先発として登板したのが41歳の木田優夫だ。
木田といえば86年のドラフトで阿波野秀幸を外したジャイアンツが
1位で指名した豪腕投手。
実は今から20年前の89年4月17日のジャイアンツ-カープ戦を東京
ドームで観戦した。
結果的に現役最後の先発となった加藤初が達川から満塁HRを打たれるなど3回に6失点した試合で3番手として登板したが、投球練習で150㌔を連発して場内がどよめいていたのを覚えている。
実は木田といえば30年前のドラフトの目玉・日本鋼管の木田勇を思い出す。
社会人No1左腕で79年ドラフト1位でファイターズに入団すると 1年目に20勝8敗4Sで防御率は2,28、225奪三振という見事な成績で新人王に輝いただけでなくMVPを獲得するなどタイトルを総ナメ。
ところが2年目以降は81年の10勝が最高と尻すぼみに終わった感が否めない。
一方の木田優夫は入団4年目の90年に12勝を挙げただけでなく、 182奪三振で奪三振王を獲得したのが目立つぐらい。
それ以降は今ひとつインパクトに欠ける成績で、98年からはブルーウェーブにトレードされる。
ところが99年にデトロイトに移籍すると00年途中に一旦ブルーウェーブに復帰するが、03年から05年までLAドジャースやシアトルに在籍。
06年から日本球界に復帰するとスワローズに在籍し、今年からはローテに入るなど41歳になった今でも健在である。
気が付けば木田勇よりも長く活躍しているのだ。
若い頃豪腕と言われた投手で、40代前後になっても息の長い活躍ができるのは稀有な例だ。
こういう投手が活躍するというのも味わいがあっていい。
posted by ue-kj |21:35 |
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2009年04月19日
千葉マリーンズは今日のホークス戦で大敗し、シーズンが開幕して開幕カードのライオンズ戦と前カードのイーグルス戦に2勝1敗と勝ち越したものの現在5勝9敗となっている。
気になるのは05年に日本一になり、07年もクライマックス・シリーズの2ndステージに進出したりと決して悪い成績ではないにも拘わらず
ボビー・バレンタイン監督とフロントの関係がギクシャクしているという事。
そしてシーズン前に‘バレンタイン監督は今シーズン限り’ などという報道が流れているのだ。
これは前代未聞の話である。
トラブルの原因はバレンタイン監督の年俸で、けっこう高いらしい。
万年Bクラスのチームを ここまで強くしたのはバレンタイン監督の手腕によるものというのは、歴代の監督の成績と比べれば一目瞭然だ。
有能だから年俸が高くて当然というのがバレンタインの論理だろうが、マリーンズの経営状況からすると厳しいらしい。
外人監督というのは自分を売り込む事に長けている。
チームの経営事情を独自に調べて‘これぐらいなら出せるだろう’ と要求し、現実的な値段にすり合わせて行く。
ところが日本の監督の場合は‘年俸でもめての契約解除’などという話は聞かない。
つまり経営者の言う通りの年俸をのむケースがほとんどなのだろう。
だから いちいち年俸の事でもめるバレンタインのような監督に対する
アレルギーのような ものがあるのではないかと思う。
正直言って‘バレンタインから高年俸を要求され駆け引きをするのに嫌気が差した’というのが真相ではないかと思われる。
こういう騒動を聞くとバレンタインのような有能な監督を使いこなせ
ない日本のプロ野球界の未来が案じられる。
posted by ue-kj |21:23 |
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2009年04月18日
15日に行われたアトランタ対フロリダ戦で移籍2戦目の川上憲伸は5失点で移籍後初黒星を喫した。
遡る事13日にテキサス戦で先発した上原浩治も6回7失点で勝ち投手にはなったものの、KOされた感は拭えない。
この2例を聞いて‘やはり’と実感した。
MLB移籍2戦目のジンクスにハマッた感じなのだ。
95年5月2日にLA移籍初登板のサンフランシスコ戦で5回無失点の好投を見せた野茂英雄は、中4日で2戦目に登板したのがコロラド。
急変する天候とマイルハイ特有の空気に影響され4回2/3を 9安打7失点でKOされる憂き目に逢っている。
松坂大輔も初登板のKc戦で勝ち投手になったが、2戦目の地元凱旋登板ではシアトル相手に3失点で負け投手になった。
こうしてみると初登板では好投を見せるものの、2戦目では打ち込まれるなど成績を落としている。
初登板は緊張すると同時に‘最初が肝心’と気合も入っているので、好投できる。
ところが初戦で使ったエネルギーは かなりのもの。
好投した代償として疲労が まともに抜け切れてない状態での登板という感じになるのではないか?
しかも日本では殆どの投手は週1登板の中6日だったのが、中4日登板になるのだからリズムも違うし疲労もしっかり取れてない状態になると思われる。
いくらプレシーズンゲームで中4日で登板していても、レギュラーシーズンの緊張感や疲労度とは全然違うだろう。
だから結局は慣れるしかないのだろう。
問題は どれだけの期間で適応できるか?
それと所属チームが どれだけガマンできるかにもかかって来るだろう。
特にこらえ性のないNY勢は大変なのだから。
posted by ue-kj |21:24 |
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2009年04月17日
今日シアトルで行われたアナハイム戦でイチローは、第2 打席に
アナハイムの先発・ソーンダースの0-2からの3球目をライト前に打ち返し張本勲の持っていた3085本を上回る日米通算3086安打を記録した。
‘張本さんが明日帰ると聞いていたので、やらなきゃいけないプレッ
シャーがあった’とイチローはコメントした。
昨日から張本勲が観戦に訪れていたが、やはり前記録保持者の目の前でタイ記録と新記録を達成した欲しいと張本も思っていたわけだから、その想いを適えるのだから 大したものだと感心する。
長嶋茂雄が国民的英雄といわれた理由の1つに‘ここで絶対に打ってくれ’という場面でことごとく打っている。
これこそがホームランだけ見ても通算444本という数字以上のインパクトをもたらしている。
二宮清純がイチローのWBCファイナルでの決勝タイムリーについて‘江夏豊の21球並みの偉業’と記していた。
有名な79年日本シリーズG7の9回裏を描いた‘江夏の21球’は言うなれば江夏の自作自演。
つまり自ら招いたノーアウト満塁のピンチを無得点に抑えて劇的な勝ちにした、これが三者連続三振ならドラマにはなってないのだ。
イチローも今回のWBCでは不調のどん底に沈みながら最後の最後で一番オイシイところを持って行ったのだから、江夏の21球並みとは言い得て妙である。
私の記憶が正しければイチローがMLB入りして以来、殆どの節目の記録はシアトルで達成している。
考えてみれば胃潰瘍による故障者リスト入りがなければロードでの達成だった可能性が高い。
フランチャイズ制の徹底しているアメリカだからこそ、こういった記録は熱狂的な地元ファンの前での達成の方が盛り上がるしイチロー本人も嬉しいと思う。
イチローの次なる目標はMLB通算2000本安打だろう。
これもまた地元ファンの前で達成するのか?
今から楽しみである。
posted by ue-kj |22:28 |
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2009年04月16日
昨年あたりからジャイアンツ投手陣に東野峻というイキのいい若手
投手が現れ売り出し中だ。
上原浩治がボルティモアに移籍して空いたローテに座った感じだったのだが、なかなかいい投手である。
しかも出身校を聞いて驚いた、何と鉾田一なのだ!
鉾田一といえば64年生まれの私にとって76年の選抜に出場し初戦でノーヒットノーランを達成した左腕・戸田秀明を思い出す。
174cm74㌔のガッシリした体から重い速球とカーブのみの球種ながら初戦でノーヒットノーランを達成すると、2回戦でも優勝した崇徳相手に9回2アウトまで3安打に抑え10三振を奪う好投を見せていた。
夏も戻ってきたが この時は41番目の出場校となったからか不調で、市神港相手に延長11回で10三振を奪ったものの11安打を打たれただけでなく8つの四死球を出して7失点での初戦敗退だった。
春夏いずれも‘今日は絶好調だった’と強気に語る姿が印象的だったし性格も強くプロ向きだと思われた。
ところが東海大に進学したものの中退したらしく、その後は河合楽器で投げていたらしいが殆ど聞かなくなってしまった。
2度目に出場したのは82年夏。
この時は関東No1と言われた180cmの大型右腕・関清和を擁しての出場だったが、初戦で準優勝した広島商に8回6失点で2-6で敗れている。
卒業後にオリオンズに入団したようだが、パッとせずに消えていた。
東野は前記した先輩2人と違い甲子園出場はない。
しかし甲子園に行けなかった代わりにプロで活躍しているのは、甲子園で活躍する以上に凄い事なのだ。
こうしてみると‘甲子園常連校に行くばかりがプロへの近道ではない’という事がよく分かる。
posted by ue-kj |22:30 |
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2009年04月15日
今から20年前の今日89年4月15日は福岡に移転したホークスが
平和台球場で本拠地最初のゲームをライオンズと戦い、山内孝徳が工藤公康との投げ合いに勝ち本拠地初勝利を挙げた日だ。
思えば31年前の78年暮れにライオンズが西武グループに買収されて所沢に移転したため、福岡からプロ野球チームがなくなるという屈辱を味わった。
それから10年経って かつての宿敵・南海ホークスがダイエー・ホークスと名前を替えて平和台を本拠地にするとは考えもしなかった。
当時パリーグで最も観客動員数が多く、最も強くなったライオンズを今さら福岡に持ってくるのは不可能。
だからといって新球団を作るのは現実的ではない。
とはいえ まさかホークスが・・・・というのが東京で感じた事だった。
しかし地元に当然のようにあったチームがなくなった喪失感を埋めるには、福岡を本拠地にするチームがないとダメ。
だから かつての宿敵でも福岡を本拠地にしてくれるのなら・・・・というのが当時の心境だった。
だから89年の4月8日にプロ野球ニュースの開幕特集で東京ドームでのパ・リーグの開幕戦が日本ハム・ファイターズ対福岡ダイエー・ホークスという字幕を見たとき‘10年ぶりに福岡にプロ野球チームが戻ってきた’と感無量だった。
そして20年前の今日が本拠地開幕戦となったわけだ。
当然のように3塁側のライオンズファンの方が多かったようだが、20年経った今ではホークスファンの数が多数を占めるようになった。
70年代からライオンズが弱体化した頃には閑古鳥が鳴き、ロッテ・
オリオンズの金田正一監督に頼み込んで‘やらせ’の遺恨試合を仕組んでも観客動員が伸びなかった。
ところがホークスが移転して97年までBクラス続きだったにも拘らず、いくら負けても福岡のファンはホークスを応援し見放さなかったのだ。
応援するチームがない悲哀を2度と味わってはいけないというのが日本で1番分かっているのだと思う。
地元をフランチャイズにしているチームがある事のありがたみを再確認した1日でもあった。
posted by ue-kj |23:36 |
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2009年04月13日
マスターズ最終日に前日まで首位と5打差の通算-6でスタートした
日本のエース・片山晋呉は、5バーディー・1ボギーの-4で回り通算-10とスコアを伸ばし首位と2打差の単独4位に入る大健闘を見せた。
片山にとって今回のマスターズは8度目の出場で過去最高は06年の27位だった事を考えると素晴らしい進歩だし、首位と2打差でのフィニッシュというのは91年に中嶋常幸が首位に4打差というスコアを上回ったわけだ。
日本人の男子ゴルファーは丸山茂樹以降、国内では活躍するものの海外での成績は低迷していた。
高校生の石川遼が鮮烈なデビューを果たして注目されていたが、国内の賞金王である片山らが国内で勝てても海外で全く通用しないというのが男子ゴルフ界を閉塞感が覆っていたし、石川が活躍すればするほど‘日本人のトップは何をやっているのか?’という思いに駆られるのだった。
今回の片山の健闘で‘男子ゴルフも捨てたものではない’という事が証明された。
これを励みに海外のビッグトーナメントに どんどん出場して場馴れしていけば、今回のような成績を残せる事は夢ではない。
ルーキーにすぎない石川遼の人気は一過性のもので、アテにはならない。
片山や谷口徹、丸山茂樹らの中心選手達が海外のビッグトーナメントで活躍してこそ男子ゴルフの人気は復活するものだと思う。
posted by ue-kj |19:14 |
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