2010年03月11日

ニッポンジャンプ陣・最後の栄光は

 日本のジャンプ陣の最後の栄光は99年2月26日にオーストリアのラムソーで行われていたノルディックスキー世界選手権のNHで、船木和喜が優勝し宮平秀治が2位・原田雅彦が 3位と表彰台を独占したのだ。 

 前年の長野五輪でLHと団体で金を獲得した日本チームだが、このシーズンから長身選手に有利になるルール改正が行われ日本は不利になると思われた。 

 ラムソーはNHの台がないためLHは隣のビショフスホーヘンで行われたのだが、吹雪の中でのLH個人と団体で日本はドイツに苦杯を喫していた。
 レーンに雪が積もり体重の重いドイツ勢が有利になる展開となり、団体戦ではドイツの選手が2度も転倒したのに僅差で日本は2位となったのだ。 

 ラムソーでのNHは天候が安定してコンディションが良好だったので日本選手のテクニックが生き、見事に表彰台独占となった。
 W杯でも国別対抗は優勝し個人戦でも葛西紀明が3位、船木和喜が4位とルールが変わっても日本ジャンプチームの強さは磐石と思われた。 

  99~00シーズンに入ると原田雅彦の2位が最高で日本選手が表彰台に上ったのは原田と宮平の2度になってしまう。
 外国勢が長いスキー板を使いこなし始めたのだ。 

 02ソルトレイクシティ五輪の前哨戦となった00~01シーズンでは年明けのジャンプ週間で葛西が1勝して総合優勝争いを演じたものの、世界選手権では惨敗を喫しソルトレイクシティ五輪でもメダルなしに終わった。
 皮肉にも日本勢が失速したのと入れ替わりに上がってきたのがポーランドのアダム・マリッシュやシモン・アマンだ。
 長身選手に有利なルールになったにも拘わらず169㎝と小柄ながらW杯で3連覇を果たすなど、小柄でも勝てるテクニックを修得していて98~99シーズンまで世界のトップを走っていた日本のテクニックが外国勢から凌駕された事の証明となった。 

 頂点までの道のりは険しいが、一旦下り坂になると持ち直すのは
大変だ。

 とはいえ日本は72札幌五輪の栄光から転落したものの、98長野五輪の頃には見事な復活を遂げている。
 今は雌伏の時と考えて努力を続けていれば、必ず復活できるだろう。  

 陽はまた上る!   

posted by ue-kj |23:25 | オリンピック競技 | コメント(0) | トラックバック(0)
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