2008年04月28日
おっちゃんやで~。
おっちゃんの頃は50銭はなかったのやけど、一番上の兄貴の頃は50銭がギリギリあってな、つまり50銭ゆうのは1円の半分や。1円50銭で芋買うたりするねん。小銭ゆうたらおっちゃんなんかはよう親の財布から銭掠め取ったもんや。コツとしては一度にようけとったらあかんねん、バレん程度に少しずつ取るのが極意や(笑点)。
沖識名はレフェリーでな、最後にはいっつもシャツ破られるねん。凶器隠してるの明らかやのにそれに気付かん振りして観客をやきもきさすねん。ドリフターズ志村の「後ろ後ろ」みたいなもんや(笑点)。昔のプロレスは個々人の自己演出とちゃうから、レフェリーも演出に一役買うことになるねん。そうゆう意味では沖識名は見た目はパッとせえへんかったけども、選手に脚光与えて観客を喜ばせた名脇役といえるのやないかな。
悪戯でゆうたらあとは余所様の荷台から果物盗んだりもしたなあ。おっちゃんは見られてへんのやけど、そんな悪戯する奴は決まってるやんか(笑点)。それでバレて叱られてなあ、おかんは鍬持って追いかけてくるねん。あれは恐怖体験やったで。アンビリバボーに投稿したろか?(笑点)
下駄の芳の里、剛毛マンモス、強かったオルテガ、ヤスリで歯を研ぐブラッシー、頭突きの大木、耳そぎ魔キラー・コワルスキー、鉄の爪エリック・・・。昭和の思い出は尽きることは無いけど、おっちゃんは思い出に浸るのは嫌やねん。常に最先端で居続けることこそ楽しく感じるねん。昭和は終わったんや、おっちゃんは先いくで。思いは近代プロレスから現代プロレスへ!
追記:ブログ見てると昭和のプロレスと銘打つ記述が散見されるのやけど、その割には力道山に言及がないのはなんでやろか?力道山、芳の里、ブラジル、木村政彦抜きにしてどないして昭和のプロレス語るねん。ブッチャーとかブロディとかホーガンで昭和を代表されることは、おっちゃんの世代からしたらそれは誤りであり侮辱なんや。欧米のみで世界一の美女決めたら不愉快やろ?世界一の看板は立派やけど内容に偽りありやんか。昭和プロレス第二期とか、個人的昭和プロレス論として語って欲しいなあ。
ほなな。
posted by つるじょあ |15:34 |
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2008年04月25日
おっちゃんやで~。
ジョシュが再び総合格闘技「戦極」に参戦、その会見場で「プロレスが最強であることを証明する」て気勢を上げたそうや。せやけどこの物言いには猪木の主張とはやや異なりがあるねん。それを説明するわ。
ジョシュは総合とプロレスの関係を良く理解してるねん。彼はかつて新日に参戦してたとき、共にパンクラチオンにルーツを持つプロレスと総合が今こそ一緒になる時、てゆうてた。一般の格闘技ファンは無知やからプロレスと総合を完全に分けて考えるのやけど、歴史的に見たら淵源はおんなじでありまた一緒になるべきことをジョシュは見抜いてるねん。
古代ローマに端を発する格闘技は、近代においてはプロレスになったんや。今でこそ八百長と馬鹿にされてるプロレスやけど、当時はこれこそリアルであり社会が要求してた格闘技やったんや。せやけど近代から現代に社会が変わると、格闘技はさらに変遷して現代初期においては総合になるねん。せやけどプロレスラーは既得権益にすがり付いて惰性でプロレスを継続して衰退していってるのが現状や。
ジョシュからしたらプロレスのあとは総合なのやから、分化して横道それたプロレスは収斂すべきと考えるのは当然のことやと思う。UWFを愛し総合を志したジョシュからしてみたら、プロレスは他人やないからこそ深く関わってるねん。彼はプロレスと総合の分化の現状を理解した上で、両者の収斂の物語を紡いでる訳や。
せやけどこのような分化は猪木からしたら認められることやないねん。猪木は「俺は格闘技とプロレスを分けて考えていない」てゆうてる。これはどうゆうことなのやろうか?プロレスにはあらゆる格闘技の要素が詰まったいわば総合格闘技である建前があるねん。現在の総合と質が異なるのは時代が変わっただけでな、近代においてはプロレスこそリアルやったわけや。これを一般人は「プロレスは八百長だった」とかゆうて過去のプロレスを笑うのやけど、価値観が単一で予定調和を望んでる時代に応じて形成されたプロレスは当時は正に総合格闘技やったんや。そんなプロレスを格闘技の近代から現代への伝統性からはじきだして対象化することは、猪木からしてみたら歴史認識の誤りでしかないねん。
ジョシュは現状を踏まえた上で冷静に分析して、愛すべきプロレスを現代格闘技に収斂すべく「プロレスが最強ゆうふかし」でプロレスを持ち出してくれた、これが今回の最強宣言の真意や。せやけど猪木はプロレスは近代から現代への変遷の只中で継承されていくものやから、格闘技からつまはじきにした他者として、分化することを認めるわけにはいかへんねん。力道山ゲノム、猪木ゲノムは近代格闘技の自意識で、この伝統性を現代社会の自意識に変えていくこと、これがIGFの役割なんや。
猪木が橋本に小川ぶつけて、永田にミルコ・ヒョードルぶつけて、中西にTOA・藤田ぶつけて、新日に競技性の嵐を持ち込んだのは気付きを供給してプロレスを現代化させるためやったんや。なんで猪木の最後の弟子がRYOTOなのか、なんでIGFには総合出身の選手が大半を占めてるのか、なんで新日との対抗戦に拘るのか、それは近代プロレスを現代プロレスに変えるためやねん。猪木からしてみたらプロレスを格闘技とは別に分化させられることは屈辱であり、また誤謬やからこそ、現状のプロレスを「格闘技と分かれてない」て強弁することになるねん。
ジョシュは現状を正しく理解した上で両者を分化させその上で合流を望んでて、猪木は歴史を正しく踏まえた上で両者をおんなじものとして扱いその上で発展を望んでる。ジョシュにわざわざプロレス最強を名乗らせな格闘技と関係でけへん現状のプロレスの悲しさ。猪木が強弁せんと現代格闘技と関係でけへん現状のプロレスの悲しさ。縦と横の時間軸は異なってるし、分化・非分化で主張は一見へだったってる様で、結局ジョシュも猪木もおんなじことゆうてるのやで。このジョシュと猪木にプロレスは応えられるのやろうか?ほんまはジョシュの代わりを中邑が努めるべきなんや。それを何が「プロレスは最高」や。ほんま泣けてくるわ。
ほなな。
posted by つるじょあ |10:02 |
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2008年04月24日
おっちゃんやで~。
期待されてたテイシェイラやけど、距離感がいまいちやったから踏み込むことを恐れて手打ちになってたな。体重が乗っかってへんから威力も半減や。せやけど確かに将来性を感じさせるよ。ただその将来性は、所詮は競技性のみにおいてや。
ホーストやシュルトの地位をテイシェイラが獲得したとして、それがどないやゆうねん。格闘エンターテイメントは競技性と演技性の統合なんや、朴念仁による世間無視の合理的勝利追求が一体何を生み出すのやろうか?物語やのうて格闘技自身に見出すマニアックな喜びだけなのとちゃうか?
近代国民国家の樹立による国家の暴力の独占を背景に、暴力の応酬から非暴力の応酬として特権階級の遊びから人格形成のためにスポーツは利用されるようになるねん。これは空手や剣道や柔道も同様でな、強さだけやのうて精神性を重んじるところに特徴があるねん。せやけどK-1は教育にプログラムされたスポーツが大衆化(アメリカナイゼーション)を経て経済と結びついたもんや。このような格闘エンターテイメントは現代においては強さと自己演出が求められるねん。
すなわち空手は近代社会に適応するために、K-1は現代社会に存在してるのやから、その質には差異があるねん。一方では共同体に即した協調性によって没個性化して他方では自立によって個性的になることが求められるわけや。そうゆう意味で、共同体主義がプンプンするテイシェイラは見た目と違ごてええ人なのやろうけど、将来性ゆうても所詮はホースト・シュルト程度で集客に大きく結びつくことはないやろう。
哲学的にゆうたらな、精神における変化には二つあるねん。共同体における変化は本質の変化、一神教における変化は存在の変化や。本質の変化は一定の枠内における量的移行やから質的には不変なのやけど、存在の変化は自由による生成を経た非存在から存在への移行やから新しいものを生み出して質的に飛躍することになるねん。では空手はどちらの変化なのやろうか。
空手は共同体やから、友愛(フィリア)が働くねん。これはお互いが協力し合って助け合うことや。せやけど助け合うことによって力を生み出すのやけど個々人の脆弱性は温存されるから自立することはないねん。すなわち本質の変化やな。これが共同体における実存形式や。片や一神教に基づいた隣人愛(アガペー)は、相手を自立させようと働くから絶えず自己超克することになるねん。そやから個々人の脆弱性は克服されて自立することになるねん。すなわち存在の変化やな。そうゆう訳でな、テイシェイラが空手共同体に帰属する限り自立することはないから現代格闘エンターテイメントであるK-1で成功することは論理的にないよ。成功するには共同体からの離脱と、克己心を調達することやけど、現状では難しいと思う。
チーム茨城、GRABAKA、空手、馬場イズム、前田イズム、中日落合、協調して団結しても個々人の脆弱性が温存されてる限り明日は無いよ。これからは個々人の紡ぐ物語が人々を惹き付けるねん。現代エンタで共同体主義はすでに死に体や。テイシェイラがほんまに成功したかったら、隣人愛の権化アントニオ猪木に気付きを供給してもらうことやな。テイシェイラよ、IGFに来い!(笑点)
ほなな。
posted by つるじょあ |17:25 |
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2008年04月24日
昭和の語り部、おっちゃんやで~(笑点)。
夏になると昔はよう川へ鮎をとらまえに行ったもんや。とらまえるゆうても釣りちゃうで、ひっかけゆうて直接鮎をひっかけてとるねん。兄貴は鮎採り名人でな、それで地元の新聞にも載ったことあるねん。おっちゃんか?喰う専門や(氷点)。
グレート東郷は昭和最高の悪役やと思う。ブラッシーの流血試合でそれ見た老人がショックで死んだのは有名やけど、その相手はグレート東郷やったんや。あいつはいかれてるのかプロフェッショナルなのかわからへんけど、とにかく凄まじかった。自らの頭をビール瓶で叩いて流血して血い飛ばすねん。いかれてるやろ?外人レスラーも気味悪がってた。あいつに比べたら馬之助の悪行も万引き程度やで(笑点)。天山も競技性と演技性の統合が無理やったら、グレート東郷目指したらええねん。直接性は流血でも表現できるねん、最近は映画でも漫画でも残酷ショー多いやんか。直接性求めてる証拠や。レベル低なるけども絶対需要はあるよ。
鮎採り名人の兄貴やったけど、ある日川底で発見されてなあ。水が綺麗やから岸から死体が見えんねん。他の兄貴もはしかで死んだり盲腸で死んだり妹もおぼれかけたことあったなあ。昔はそんなもんやったんやで。ようおぼれてるもん助けに行って一緒に死ぬ事あるやろ?あれは危険やねん、死にそうなもんは助かりたい一心でおもいきり掴むからな、それで身動きとれんようになって一緒におぼれてしまうねん。おっちゃんは妹おぼれた時棒差し出して助けたんや。半世紀近く立ってるのに未だに感謝されるねん。関係ないけど妹でかいねん、1m73cmは当時としてはかなりの大型でな、7人キョウダイ(の生き残った4人)の中で一番大きなったのやけどなんでやろ?未だに違和感あるわ(笑点)。
次回最終回は沖識名や。思い出語るのはおっちゃん興味ないから、次回で終わりにさしてもらうで。
posted by つるじょあ |17:20 |
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2008年04月23日
おっちゃんやで~。
おっちゃんはゆうてたやんか、FEGは諸共同体の間の商人で部外者やから、目先の利益の追求に従事してるからあかんて。秋山の件に付いてもまさしくそのことが反映されてるねん。
笹川は先の宇野の件があったから、秋山の主催者推薦はないてゆうてもうた。せやけど秋山は宇野と違ごてチャンピオンやから優遇受ける資格あるし、世間も秋山の対戦願ごてるのやから、流れとしては推薦で2回戦から出場させるべきやんか。それやのになんでこないおかしなことゆうたのやろうか?実はこれも笹川が目先の利益追求に従事した結果なんや。つまり物事の筋道やのうて、目先の世間からの反発を恐れてたからなんや。彼の念頭にあるのは長期的・巨視的視野に立った道理やのうて、少し前の宇野の件と今の秋山の件のこの二つだけなんや。目先のことしか頭にないからこうゆうことになるねん。ここでも部外者たる商人の根性が働いてもうたんやで。
ライト級で道理を弁えんと単純に視聴率悪かったから人気選手の宇野を投入して、今回もミドル級で道理弁えんと世間からの反発を恐れて秋山を不出場にさした。これは全くおんなじ論理構造でな、長い目で、大局的視野に立って考えてへんからこないなってしまうねん。
桜庭やトリッグについても同様や、宣伝だけ考えて事前に参戦の意志取り付けんと対戦カード発表してたとしたら、長期的に見たら世間からもそして選手からも信用失うことを分かってるのやろうか?そら会見で発表してる時は気持ちええかもしれへんけどな、本人の意思無視して参戦発表したら桜庭もトリッグも困惑するし、不出場になったらお客さんも離れるで。また笹川に専任してるはずやのに谷川が口を出すのも約束破りやないか?なんぼ資金あってもこれではうまくいくわけないやろ。
一時的に苦しくてもな、正しい理念でやってたらいずれは上昇するねん。目先の利益捨ててでも後の大きな利益を目指すことこそ大切なのとちゃうか?笹川はもっと先をことを考えていかなあかん。「主催者推薦枠は無しとしましたがやはり有りにします」「トリッグはやはり参戦しません」二転三転してたら不信感が募るだけでっせ。
次回はどないしたらDREAMが盛り上がるか説明するわ。
ほなな。
posted by つるじょあ |14:24 |
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2008年04月23日
おっちゃんやで~。大発表するてゆうてたけど、諸般の事情で延期さしてもらうわ。発表のために力点おいてると、ブログが更新でけへんから平行してやることにしたわ。その内発表するからもう少し待っててや。
たまにスポナビでも昭和プロレスについて言及されることあるのやけど、クリックしてみておっちゃんなんかは落胆することもあるねん。なんでかゆうたら昭和プロレスにしては新しすぎるからや。ブッチャー、藤波、長州、アニマル、アンドレ、ベイダー、タイガー、ブロディ、マスカラス、確かに昭和の名プロレスラーや。せやけどそれだけが昭和プロレスやないねん。
おっちゃんの実家は五右衛門風呂でな、よう兄貴と入ったもんや。五右衛門風呂ゆうのは薪くべて風呂の底に板敷いて入る、昔の風呂のことでな、ガキの頃は風呂に入る際に兄貴と一緒に両手を交差さして脇の下で「カポーン、カポーン」て鳴らしてたもんや。これは昭和のプロレスラー豊登の真似でな、それこそ日本中の少年が真似したもんや。
豊登は大相撲出身のプロレスラーで、小兵やけど怪力のレスラーやった。試合も終わりのほうになると、豊登が「カポーン、カポーン」て脇鳴らすねん。すると外人レスラーが脅え出すのが定番やった。おっちゃんらはそれ真似して「カポーン、カポーン」してたんや。
去年20年ぶりに実家に帰ったのやけど、さすがに五右衛門風呂はなくなってたけど便所は相変わらずボットンやった。おかん写真に撮ったろおもてカメラ向けたら、「また今度でええ」てゆうてたけど、あんたいつ死ぬかわかれへんから撮影するのやで、息子の真意汲み取ってくれや(笑点)。それにしても近隣の住民はことごとく死んでたなあ。おっちゃんの好きやったあの子は医者のエリートのとこ嫁に行ったのやけど、幸せやったのやろか?
芳の里、グレート東郷、ブラッシー、オルテガ、マンモス鈴木・・・めくるめく昭和の熱い思い出が今甦る!(笑点)
次回はグレート東郷や。
posted by つるじょあ |06:15 |
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2008年04月12日
おっちゃんやで~。DREAMライト級グランプリに宇野が参戦することのなったのやけど、1回戦飛ばしで2回戦からの参戦に、他選手からブーイングの荒らしや。これは誰が間違ってて誰が正しいのやろうか?この問題をおっちゃんが3つの視点から分析の上、明らかにするわ。
【1.商人としてのFEGの視点】
中世からそうなのやけど、網野善彦がゆうてるとおり商品経済ゆうのは共同体の成員やのうて間共同体における者たちが担うもんや。共同体が散在してて、各々の共同体の間の商業的コミュニケーションを担うのは、いつでも共同体の成員やない共同体と共同体の間におるもんが担うねん。そうゆう意味でFEGは部外者なんや。これは踏まえておくべきことやで。さて、このような商人は2つの文脈が欠落しがちやねん。これはなにかゆうたらな、1つは選手の人格や。部外者の銭もうけ主義やから共同体の成員である選手の人格を軽視しがちになるねん。桜庭の意志を尊重せえへんかったやろ?またここで1回戦を勝ち上がった選手の気持ちも無視したやろ?仲間やない部外者やからこそ選手を軽視するねん。もう1つが新たなる価値の創出ですわ。ほんまやったら長期的視野で捉えて、選手を自立さしていかなあかんのに、商人からしたら選手の自立は埒外や。飽くまでも商人は仲立ちやから、個々人の間を担ってるだけやねん。そやから既得権益の消費に従事するわけですわ。こうして結果として既存の人気選手(この場合は宇野)放り込んだら受けるやろ、ゆうことで現場の選手の気持ちを度外視して1回戦飛ばしで参戦さしたわけですわ。
【2.共同体の成員としての選手の視点】
選手たちは自らの労働力を商人を媒介して売りに出すねん。せやけど一選手が特別に優遇されてたらどないおもうやろか?一選手の優遇措置は、相対的には他の選手の成功可能性を狭めることになるねん。皆優勝目指してるのに、楽して途中参加されたら憤激するのは当たり前のことやないか。
【3.お客さんとしての世間の視点】せやけど、お客さんはその両者の視点とは異なる視点を持ってるねん。現代格闘技の理念は競技性と演技性の統合やから、商人による現代黎明期に獲得した夢(既得権益)の消費を望んでるわけでも、選手らが志向する競技性のみを望んでるわけでもないねん。世間は自立した個人による高い競技性と高い演技性を望んでるねん。その意味で、FEGも選手も的を外してると言えるやろう。
結論として、世間のニーズに応えてへんのやからどっちも間違うてるのやけど、せやけど一つおもろいことがあるねん。それはFEGと選手間での遺恨が試合に影響してることですわ。FEG側が盛り上がらんグランプリに投入した宇野に、他選手の怒りの矛先が向かって試合に昇華するねん。なんやこれ?(笑点)これを現代プロレスとおもてたら大間違いやで。確かに偶然のハプニングやけど、現代プロレスのハプニングは自立した個人の表現を通じた高度な争いや。それは偶然性に支配されてるからハプニングが起こるのやけど、今回のはそういったハプニングとは異なるねん。短期的には盛り上がるかもしれへんけど、長期的に見たら既得権益確保と没我的選手が温存されるのやから、なんにもええことないねん。ほんまやったらどない表現で観客の心を掴むかで争うところやのに、一方は既得権益、一方は競技性に拘泥してる訳やから、レベル低いとしかいいようがないよ。ライト級ゆうかDREAM自体かなり厳しいのとちゃうかな。秋山、KIDに期待するしかないやろ。
こう考えると猪木の発想は他を絶してるよ。猪木は既得権益を嫌ってるし、強さの大切さも知ってるけどもパフォーマンスも重要視してる。商人を否定し、専門アスリートを否定し、自立した個人間の高度な戦いを要求してる猪木、そして世界平和を唱えて社会における立場を考慮し1流エンターテイメントのステータスを保持しようとする猪木。彼の視野は長期的かつ大局的で、FEGや総合格闘家は短期的かつ近視的で、視野が狭すぎると言えるやろう。
次回大発表とかゆうてたのに遅れてごめんな。次回こそほんまに大発表するで。けつめど全開で待っててや!は~っ、つるつるかめかめ。
ほなな。
posted by つるじょあ |06:29 |
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2008年04月11日
おっちゃんやで~。金村キンタローがセクハラ問題を起こしたのやけど、通常であれば復帰するまでに時間をおくやんか。せやけどキンタローはすぐさま復帰したんや。このことに対して大仁田は早期復帰はプロレス業界の社会性が損なわれるとして批判してた。おっちゃんはこの非難は的を得てるとおもう。
プロレス業界も他の業界同様に、社会の中で存在してる共同体の一つや。それが社会の中で存在し続けるには、当然社会に逆らうことなくやっていかなあかん。今回キンタローの件みたいに社会に逆らうようなことをしても、きちっと修復したらそれは許されるよ。せやけど修復もせんとそれをプロレス業界自体が許容してたら、業界自体の社会性が疑われることになるやろ?これが業界の社会における不信を招いて、衰退していくのは必然のことや。そうゆう意味でキンタローの早期復帰を許してる業界はあかんとおもう。大仁田が批判したのは、おんなじ業界内に身をおくものとしての当然のことなんや。
この批判に対してキンタローは、「引退・復帰を繰り返す大仁田に批判する資格は無い」て反論してるけど、これは2重に間違ってると思う。第一にこれは大仁田からの批判に対する反論やのうて、批判する批判者への人格攻撃へとスライドしてる点や。これやとキンタロー自身の問題は手付かずで温存されることになるやんか。批判者がなんやろうと、問題になってる早期復帰についてきちっと反論すべきやないか?問題を摩り替えたらあかんよ。
第二に大仁田の引退・復帰の反復は業界の社会性を損なうもんやないゆうことですわ。近代社会では物の豊かさの達成ゆう国民的合意に基づいて、国家全体が想像の共同体として成立してた。つまり国家全体が一つの共同体になってて、国民全体の価値観は単一やったんや。このような社会での公共性は共同性とおんなじでな、共同体の利益と社会の利益は一致してたんや。せやけど現代社会では物の豊かさが達成されて国民的合意は解消されることになるねん。なんでかゆうたら、欲望のステージは物質的欲求の充足の後には心的欲求の充足になるのやけど、物質的欲求は合意形成が可能やったけど、心的な欲求は個々に分化して合意できへんから、こうして国家規模の共同体は衰退することになるねん。
では現代社会における公共性は何になるのやろうか?それは間共同性や。価値観が多様化して島宇宙的に小共同体が林立する現代社会ではな、各々の共同体と共同体の間が公共性になるねん。この間とは間共同体的なコミュニケーションのことでな、これは共生する為のルールや想像の領域、すなわち共生の条件を意味するねん。
繰り返しゆうとな、公共性は近代社会においては共同性、現代社会においては共生の条件や。キンタローのセクハラは、現代社会においてはルール違反やから問題になってるねん。相手と話しついたとはいえ一定の冷却期間おかんゆうことは、あんまり反省してないのとちゃうか、ゆうことで社会一般にプロレス業界の社会性を疑問視されることになるねん。こんな事件続いてマスコミにまとめて非難されてみい、ただでさえ低迷してる業界は悪の色眼鏡で見られることになるのやで。せやけど大仁田の引退・復帰の反復はどうやろか?
近代社会では一度社会的に表明した以上は、それを反故にすると無責任として批判を浴びることになるねん。道徳違反者として負のレッテルを貼られるわけや。せやけど現代社会においてはどうやろ?社会の流動性は高まってるから、気が変わって表明したことを覆すのは日常茶飯事になってるやないか。それが社会の自意識である以上は、表明覆すことがなんで社会性を損なうことになるのやろうか?事実大仁田は社会的に信用落として村八分に合うてるか?堂々と議員になって信頼されてたやないか。大仁田によるキンタロー批判は、現代社会の公共性を損なってるキンタローへの合理的な批判やけど、キンタローによる大仁田批判は、近代社会の公共性は損なってるけども現代社会の公共性は損なってへんから、時代遅れの的外れな批判なんや。
このようにキンタローによる大仁田への反論は2重の意味で誤ってるねん。公共性からの逸脱行為が業界の不信を招く以上は、大仁田が業界の重鎮としてキンタローを批判するのは当たり前のことやと思う。
ついでに折原についてもゆうとくわ。キンタローは冷却期間おかんと敢えて出場することで恥をかけ、とかゆうてたけどこれは3つの意味でめちゃくちゃやとおもう。第一に冷却期間おかんから社会的に無反省ととられるし、第二に恥じさらすゆうてもローカルなインディープロレスで身内ばっかりやから恥でもなんでもないし、第三に就職やめて参戦するのやから給料はもらえるのやろ?罰でもなんでもないがな。折原が仲間思いなのはわかるけどな、仲間が悪さしたらきちっと責任とらせなあかんで。
ほなな。
posted by つるじょあ |15:31 |
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2008年04月11日
おっちゃんやで~。最近忙しゅうて更新できんとすみません。
K-1MAXみたか?まあまあやったな。せやけどまだまだ演技性が足らんな。乱入どころかマイクアピールすらあらへん。煽りVだけに頼ってたらあかんよ。戦い自体は熱戦やったけど、イベントとしては小さくまとまった感じやなあ。そんな中おもろかったのが、HIROYAvs藤や。おっちゃんは藤は名前だけ知ってただけやったから、実物楽しみにしてたのやけど、まだまだ子供やないか。名前も暴走族みたいやから、イケイケかとおもてたらええ子や。体はできあがってへんし、技も前蹴りだけ、あのパンチは相手を倒せるパンチやないよ。せやけど、彼には注目すべき所があったんや。
藤は感情がそのままでるねん。皆もそうやったと思うけど、子供はすぐ怒ったり泣いたりするやんか。飾らんと、喜怒哀楽を表出する藤は、それゆえに個性的になっていくし、剥き出しの自己ゆうリアリティーがあるねん。あの煽りVで「絶対負けません!」てマイクアピールしてた藤は、まさしく自意識そのままやった。
谷川は藤にはスター性がある、てゆうてたやんか。あれは合うてるよ。趣味も遊びもせえへんてゆうてたけど、藤は努力による自己実現によって自由になっていくことが快楽やねん。ああゆう奴は伸びるよ。少しずつ己の枠を打ち破っていって自信つけて英雄めざしたらええねん。
大人になったら感情押し殺してかっこつけるやんか。それが大人になることやし、凡人はそれでええねん。せやけど英雄は感情そのままで喜怒哀楽を表出していくねん。猪木、亀田、清原、五味みてたらわかるやんか、子供みたいに楽しそうにしてるやろ?変にかっこつけんでもええねん、大人になるな、赤子になれ!
ほなな。
posted by つるじょあ |14:41 |
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2008年04月02日
おっちゃんやで~。
前田日明の新イベント、THE OUTSIDERは盛況やったそうやな。せやけどこれは長期的に見たら厳しいと思うで。
まず更生ゆうテーマやけど、何がよき生で何がそうでないかが自明でない現代において、前時代的な更生劇がどないして人々に感銘を与えるのやろうか?かつてのような不良のカテゴリーも機能してへん現代において何の意味もないよ。また底辺の拡大ゆうテーマについてもどうかとおもうわ。初期投資して育ててもまた皆引き抜かれてしまうで。ノゲヒョーアイブルどこいったんや?一から育てるやなんて近代に逆戻りやないか。
また客層も悲惨やな。身内当てにするのはボクシングやキックとおんなじでっせ。いかに格闘技自体に興味ない大多数の世間を呼び込むかが問題やのに、敢えて不良のローカルカテゴリーに拘ってどないすんねんな。選手もヤンキーは共同体意識が強いから自立してへんやろ。それで高い競技性と演技性が身に付くのやろうか?
前田はけしてアホちゃうねん。RINGSがPRIDEに敗北した時、それを冷静に分析してたよ。旧来の団体経営ではイベント経営には太刀打ちでけんことはわかってる、てゆうてたやんか。それやのに結局あったか家族から自立でけんかったんやなあ。結局前田は共同体主義から抜け出せへんねん。HEROSでもヤマヨシに温情出場さしたのは家族やから見捨てることができんかったからや。金子にもインディーからやり直すようにゆうてたやんか。これは共同体社会では一から積み重ねて年功序列で出世するからや。田村にも怒ってたけど、あれも愛情の裏返しでっせ。傲慢やったから話し合うてなんとかしたろうとおもてた、てゆうてたやろ?坂田への折檻も、年相応でない態度に憤激したからてゆうてた。こういった前田の愛は、共同体的な愛で一貫してるねん。
猪木の愛は違うよ。猪木の愛は自立を促す隣人愛や。自立さして一人立ちさせるねん。永田にヒョードルぶつけるねん。橋本に小川ぶつけたるねん。一度叩き潰して気付きを供給して、主体的に奮い立たせるわけや。相手は対戦相手だけやない、観客を意識せえ、てゆうて高度な戦いを促すねん。己に打ち克つ闘魂植えつけて自己を克服させていくねん。猪木は「俺を殺してみろ!」てゆうやろ?猪木に近づくものは猪木から離れて、猪木から離れるもんは猪木に近づく、これこそ隣人愛や。これからの能力主義社会では自立した個人が活躍するねん。前田とはラベルが違うよ。
THE OUTSIDERは成功したゆうても1500人規模や。これから前途多難でっせ。第2次RINGS少しは期待してたけども、また選手しょいこむのやろか?ええ材料は一個もないなあ。藤波、長州、前田、佐山、高田、三沢、武藤、蝶野、誰もあかんやんか。もうおっちゃんが動くしかないやろ。次回大発表や!
ほなな。
posted by つるじょあ |23:55 |
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