2008年03月29日

『IGF第5弾興行 大阪から世界発信、毎度お元気でっか~! おっちゃんが対戦カード予想』

おっちゃんやで~。

毎回興行前に行なってる、恒例の対戦カード予想や。今回はどないなるのやろ?

吉田道場に乱入する小川。小川「オラオラオラ、何がプロレスでしょ?だ。プロレス馬鹿にしてんじゃねえぞ、この野郎!」苦笑しながら答える吉田。吉田「小川さん、あんただってどうせ総合でしょ?て言ったんだからお互い様でしょう。」小川「お互い様じゃねえんだよ、戦極で挑戦してやろうとおもってたらジョシュに負けやがって。全く手が出なかったじゃねえか。」その言葉にカチンと来た吉田。吉田「こちらはプロレスじゃないんで、そう簡単にはいかないですよ。」怒り心頭の小川。小川「もう一度言ってみろ!」乱闘騒ぎを起こす中、それを伝え聞いた猪木の「ごちゃごちゃやってねえで、格闘家ならリング上で決着付けろ!」の鶴の一声で対戦が決定!

【メーン】
柔道王決定戦再び
小川直也vs吉田秀彦

記者会見の席上、猪木が言う。猪木「えー、今日は皆さんの目玉が飛び出すくらいスゲー選手を呼んでいます。来い、ヒョードル!」記者が悶絶する中、ヒョードルが登場。猪木「どこでやるとか、契約とか、そうゆう政治的なもので縛られて何も出来ないのはおかしい。格闘家は戦ってなんぼ、そう思ってワンマッチでもいいからこのGENOMのリングに誘いました。」ヒョードル「また日本で戦えることに喜びを感じています。ミスター猪木には感謝しています。」そこにクートゥアが登場。驚くヒョードル。思わず猪木を見やるが、猪木はただ笑っている。クートゥア「おいヒョードル、お前とやるために俺はUFCを辞めてきたんだ。俺と戦え!」凄い剣幕でヒョードルに迫るクートゥア。ヒョ―ドル「友達のジョシュに、IGFは何が起こるかわからないから気をつけろといわれたが、その意味がやっと分かったよ(笑)。・・・私は誰の挑戦でもうける!」

【第6戦】
世界最強決定戦
ランディ・クートゥアvsエメリヤーエンコ・ヒョードル

記者のざわめきが残る中で、猪木が続けて言い放った。猪木「人生はハプニングがあるから面白い。入ってこい!」そこにはなんと桜庭が登場!卒倒する記者たち。猪木「某イベントは空気が悪い。格闘家は自由にリングという名の格闘キャンパスで思い思いの表現をしていく。他人の指図どおりにやっていても駄目だ。」そういうと突然乱入者が!入江「猪木さん、僕を使ってください!」インディー格闘家の入江秀忠だ。入江「色々なメジャー団体にお願いしましたが、どこのリングも僕を上げてくれません。お願いですから僕にチャンスをください!」泣きながらうずくまる入江。苦笑する桜庭。猪木「ここはオメーみてえのが上がれるリングじゃねえんだけどなあ。」入江「桜庭さん、桜庭さんからもお願いしてくださいよ。」桜庭「(笑)」猪木「ごちゃごちゃうるせえなあ、安田のバカも行方不明だし、誰もお前の相手なんかしねえよ。」号泣する入江。みるに見かねて桜庭が言う。桜庭「えー、今日しゃべるのは今が初めてなんですが(笑)、僕でよければ入江さんと戦っても構いません。」大喜びの入江。入江「メジャーで常に活躍してきた人と、40になってもインディーでやってる俺が、どこまでやれるのかやってみます!」

【第5戦】
メジャー対インディー
桜庭和志vs入江秀忠

猪木「ハプニングってやつは、さらにまたハプニングを呼び込むもんで・・・、おい入って来い!」そこに登場するのは藤田!失禁する記者たち。藤田「戦いに帰ってきて、闘魂というものの大切さを感じています。だから戦極では猪木さんのテーマソングを使わせてもらいました。戦極さんからもOKは出てるんで、やりたいようにさせてもらいます。それで、ジョシュが闘魂は俺が受け継ぐとか行ってるらしいけど(突然表情が険しくなる)それは俺を倒してから言えよ。おいジョシュ、俺と戦え!」ざわめく記者たち。猪木「ジョシュも闘魂を受け継ぐといってくれてるんだけど、闘魂とは力道山ゲノムであり猪木ゲノム。だったら闘魂の遺伝子を賭けてぶつかりあったらいい。明日俺はアメリカにいくんで、ジョシュと話し合うつもりです。」渡米した猪木から藤田の挑発を伝え聞いたジョシュは、一つの提案をした。ジョシュ「猪木さん、闘魂の象徴として、ファーストIWGPのベルトをかけて藤田と戦わせてくれ!」ファーストIWGPを賭けたど迫力バトルが繰り広げられる。闘魂伝承者はどっちだ!?

【第4戦】
一子相伝!闘魂伝承者決定戦
ジョシュ・バーネットvs藤田和之

猪木「えー、かつて私とエキシビジョンをやったヘンゾから連絡がありました。過去にタカ・クノウが柔術の有段者を打ち破ったらしいが、柔術はそんなにやさしいものじゃない、俺が真の柔術を教えてやる、とのことでした。どうする、クノウ?」クノウ「・・・。」寡黙なクノウは何も語らない。返事をしないクノウに業を煮やしたヘンゾが来日、クノウの元を訪れる。ヘンゾ「クノウ、一度破ったからといって柔術が負けたわけではない。俺が真の柔術を教えてやる。」クノウ「・・・。」ヘンゾ「なんだ、怖いのか?」クノウ「・・・。」ヘンゾ「なんとかいったらどうなんだ!?」クノウ「・・・。」クノウは黙して語らない。どうしたらいいのか分からないヘンゾ。そこでヘンゾは何かおもいついたらしい。ヘンゾ「もし、これから何も語らなかったらそれはYESということにする。俺と戦うな?」クノウ「・・・。」ヘンゾ「よし、YESだ!」

【第3戦】
エリオ・グレイシーvs木村政彦の因縁再び
ヘンゾ・グレイシーvsタカ・クノウ

RIKISHIが雑誌のインタビューでこう答えた。RIKISHI「俺はアメリカの横綱。世界で一番強いんだ。誰でもいいからかかってこい!」それを伝え聞いて憤る曙。曙「何を言ってるんだ、横綱というのはそんな軽いもんじゃない。軽々しく横綱を口にして欲しくない。何故相撲の300年の歴史で横綱が69人しかいないか俺が直接教えてやる!」猪木にRIKISHIとの対決を直訴する曙。記者会見の場でRIKISHIに詰め寄る。曙「この偽ものめ、俺が叩き潰してやる。」RIKISHI「お前を潰して、俺が横綱だ!」曙は見事横綱のプライドを守れるのか?クノウ「・・・。」

【第2戦】
日米横綱対決
RIKISHIvs曙太郎

ロスに在住のシャムロック兄弟。フランク「兄はステロイドをやっている!」告発するフランク。それに対して反論する兄ケン。ケン「私は今まで検査を拒否したことはないし、ステロイドなんてやっていない。フランクの発言は日常的にステロイドの使用が横行しているという誤解を招いて、業界がイメージがダウンしてしまうじゃないか。訂正して謝罪すべきだ!」フランク「俺は嘘はついていない、兄はステロイドでスーパーマンになるのさ。」メディアを通じてやりあう二人に注目が集まる。ケン「私の活躍は努力の賜物だ、訂正しろ!」兄弟喧嘩が業界を巻き込んでいく。猪木「二人の喧嘩が業界の空気を悪くする。薬やってねえのなら直接それをみせつけたらいい。IGFのリングはいつでも全面開放、兄弟でも潰しあうのがこの世界だ。二人がやりたいのなら俺が場所を提供するよ。」それを聞いた二人はロスから来日した。世紀の兄弟対決が始まる!クノウ「・・・。」

【第1戦】
ロス疑惑、無罪か有罪か
ケン・シャムロックvsフランク・シャムロック

これで5万はいくやろ(ドリフの大爆笑)。

ほなな。

posted by つるじょあ |16:49 | イノキゲノム | コメント(8) | トラックバック(0)
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2008年03月27日

『桜庭よ、戦極へ行け! 狡猾な商人と魔王が巣食う怒利威無 伏魔殿を脱出せよ!』

おっちゃんやで~。

おっちゃんは桜庭はDREAMやめたらええとおもう。トーナメント出場したないのに無理やりさすのは、桜庭に甘えた商人の計算で、桜庭への敬意が払われてない証拠やとおもう。

おっちゃんは前、桜庭のトナーメント出場に前向きやったやんか。それは勿論変わってないよ。彼が出場したら盛り上がるし、また健康を危惧してやめさせるのは何がええ生き方か合意できん現代では、押し付けでしかないねん。彼自身が健康を圧してでも出たいてゆうのやったら、それは認めるべきや。つまり個人の生き方を尊重すべきてゆうてるねん。

今回も同様でな、桜庭が出場に否定的である以上は、個人の生き方を尊重して出場は見合わせるべきなのが筋や。おっちゃんが前回出場に肯定的やったのは、彼自身が参戦を望んでるのやったらゆう仮定においてゆうてた。せやけど彼自身が参戦を望んでないのやったら主催者側はそれは受け入れるべきで、これはおっちゃんが意見を覆してるどころか、意見を反復してるだけのことなんやで。

そうゆう意味で、何が秩序か善悪か自明でない以上は、本人の意思を無視して健康を理由に出場の是非を決めるべきやないし、また本人の意思を無視して本人に甘えて出場の是非を決めるべきやないよ。

そもそも桜庭が参戦せえへんのは、秋山が参戦するからやとおもってる。あいつが参戦するトーナメントに参戦したら、あいつの行為を認めたことになるやんか。しっかり詫びいれたのやったらええけども、誠意が伝わってない以上は同衾する訳にはいかんやろ。桜庭の本音は、秋山との接触を避けつつも、家族を食わせなあかんからワンマッチ希望してるのやと思う。

商人ゆうのはな、共同体の成員やのうて、共同体と共同体の間を担う存在や。谷川がなんで目先の利益追求するための対戦カード組むかゆうたらな、銭儲けしか頭にない商人やからや。銭こそ善の商人が、桜庭の人格尊重するわけないやろ。貯金やとおもってるのとちゃうかな。そんな商人が運営するDREAM、そして魔王秋山がおったら、桜庭も苦しいやろ。おっちゃんとしては、秋山もいてないし、桜庭の人格を尊重するであろう戦極へ行くべきやとおもうわ。

まあ、戦極が厳しかったら、IGFゆう手もあるで?(笑点)自己演出も求められるから、ある意味戦極より厳しいけども、桜庭には向いてるのとちゃうかな。田村との一戦はIGFでやったらええねん。

ほなな。

posted by つるじょあ |21:23 | イノキゲノム | コメント(23) | トラックバック(0)
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2008年03月26日

『寄り添いあう弱者! 近代的共同体の脆弱性 共同体から連帯へ』

おっちゃんやで~。

競技性の上でも演技性の上でも、成長するには自立していかなあかんねん。そうゆう意味では、支えあう共同体のあり方は、自立とは真逆のあり方といえるやろう。そんな共同体的あり方をしてるのが、GURABAKAやチーム茨城なんや。

GURABAKAもチーム茨城も精神的に繋がってるやんか。単なる利益集団であれば個人の性格は抜きにして、練習に打ち込むだけや。せやけど支えあう共同体やからこそ、仲間の敵は共同体を脅かす敵として、皆が立ち上がることになるねん。秋山・三崎問題でも、菊田も郷野も三崎擁護に終始してたやろ?彼らの主張にはほころびもあって論旨は一貫してなかったけども、それだけは一貫してた。

ゴールデングローリーでもレッドデビルでもそうやけど、彼らは確かに集団や。せやけどあれは共同体とは異なるねん。あれは連帯(アソシエーション)やねん。連帯ゆうのはお互いの利害が一致するからこそ、一緒におるだけの個の集まりやねん。お互いが利用価値無いと判断したら即座に分かれることになるよ。GURABAKAもチーム茨城もそうやないやんか。

共同体では自立せえへんから成長は無いけども、連帯は自立してるから成長していくねん。仲良しこよしでやってたらそら楽しいで。また心強いやろうな。せやけど国内レベルやったらええけども、世界を相手にしていかなあかんのに、甘えてたらあかんやろ。GURABAKAの菊田は別に強いことないし、三崎もPRIDEチャンピオンゆうてもパウロ・フィリォに惨敗してたから実際はチャンピオンの器や無いよ。川尻もあの体たらく、吉田道場の吉田・瀧本は惨敗、仲間内でやっててもあかんねん。リング上では一人なんや。誰も助けてくれんのやで。国籍、パックボーン、出身地を無視した機能集団、利益集団の集りを作るねん。近代的共同体から離別した、連帯を形成するねん。

猪木は常に闘魂を謳ってるやんか。闘魂とは己に打ち克つことやから、これは自立を指してるねん。己に打ち克つことをせんと、仲間で寄り添いあうことは、己との戦い、すなわつ自立することからの逃避といえるやろう。

三崎や川尻は素晴らしい才能をもってるとおもう。それを開花さすには井戸から飛び出すしかないやろ。自立して、日本を飛び出して世界相手に戦ってくれ!

ほなな。

posted by つるじょあ |17:23 | イノキゲノム | コメント(30) | トラックバック(0)
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2008年03月25日

『英雄返り咲くか!? 世間を巻き込め、亀田興毅 敵は三方にあり!』

おっちゃんやで~。

興毅が復帰戦で勝利を飾って、これで俄然内藤との一戦に注目が集まってる。一時は落ち込んだ感のある興毅やけど、これで再び世間を巻き込んで、盛り返す時や。せやけど、その為には敵が三方に立ちふさがるねん。

現代格闘エンターテイメントにおける敵は、通常は2つだけや。つまり競技性における対戦相手と、演技性における世間や。この両者を上回って、初めて英雄になれるねん。せやけど亀田にはもう一方敵がおるねん。

亀田には三方に敵が存在してて、一方の内藤は競技性で上回らなあかんし、他方の世間は演技性でひきつけなあかん。せやけどこの演技性が厄介でな、近代では共同体は単一やったけど、現代社会では小さな共同体が複数存在してるから、複数の共同体にアピールしていかなあかんねん。それでな、共同体によって価値観は異なるから、それらを振り向かせるためのアピールは旧来の単一の共同体の価値観を逸脱するような、問題行動を取りがちや。そうやないと関心惹くことはでけへんねん。そこで登場する新たな敵がボクシング協会や。

ボクシング協会は亀田家の現代的アピールをことごとく否定してきたやんか。最近では大毅の内藤への投げや、車はぶつけるもの発言に対してそれらを否定してる。これはなんでかゆうたらな、協会は未だに旧来の近代的共同体の体制やってるからや。問題行動・発言によって諸共同体にアピールして世間の注目を集めようとしてるのに、逆にそれを封じ込めようとしてるねん。

ボクシング協会は亀田家が問題行動起こすたびに、世間を引き合いに出して、世間が許さないと謝罪さしたり厳罰与えたりするのやけど、ほんまに世間全体は亀田を追放したいほど毛嫌いしてるのやろうか?追放したのやったらなんで今でもワイドショーで取り上げられるねん。それは世間が注目してるからであり、物議を醸しつつも彼らの態度が現代社会の自意識で社会の許容範囲であることをマスコミもわかってるからや。近代的な共同体の価値観を逸脱してても共生の条件さえ守ってたら、許されるねん。興毅が会見で世間に対して謝ってても、なんで謝ってるかわからんかったやんか。昔と違うねん、時代は変わったんや。

ボクシング協会は近代的体制で銭儲けしてるから、体制の現代化によって既得権益を失うねん。そやからありもせん近代性に拘泥するねん。世間が許さんのやのうて、協会が許さへんねん。それにしてもこの敵は難儀やで。なんでかゆうたらな、これは世間との価値観と対立するからや。世間巻き込むと協会は憤激するし、協会に迎合すると世間はそっぽ向くねん。自己演出のない真面目な亀田家なんて誰が注目するねんな。

ただ、協会が近代的体制を把持すればするほど、長谷川・内藤・坂田・新井田・イーグルみたいな無個性・不人気な選手を量産して既得権益が失われていくから、亀田流が注目されればされるほどに権威が失われていくことになるやろう。時代はいずれは移り変わっていくねん。ただでさえ大変な2者との戦いに、協会まで参戦して大変やけど、興毅よ、見事3人をノックアウトしてくれ!世間は対戦相手は内藤だけやと思ってるけど、おっちゃんは対戦相手の三義性を見抜いてるで。

ほなな。

posted by つるじょあ |15:27 | その他 | トラックバック(0)
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2008年03月19日

『桜庭の人生の選択 ミドル級グランプリ出場の是非 リングで飛ぶ夢』

おっちゃんやで~。

桜庭がミドル級グランプリに出場するかどうかが注目されてる。本人は口では「かさぶたが出来たので出ません」とかゆうてるけど、真意はまだはっきりせえへん。一部では盛り上がるからやってほしいとか、またもう限界やからやめたほうがええとか、様々な意見があるようや。

おっちゃんの意見ゆうとな、絶対参戦して欲しいねん。なんでかゆうたら話題提供可能性が高いからや。秋山との関係、田村との関係、本人の好む好まざるとは無関係に、因縁があるから盛り上がるような遺恨が勃発する可能性があるねん。またこれやと遺恨が解消されてまうけど、秋山と戦った後お互いに抱き合って讃え合うとか、敗北による世代交代劇、とにかく桜庭はおいしいねん。確かに桜庭は身体的衰えと健康が危惧されてるけど、それは必ずしも守られるべきことなのやろうか?

現代社会での公共性は、相互不可侵のルールと外部の共同体への想像の領域や。これは換言したら共生の条件ゆうことになるねん。そうゆう意味で、桜庭自身の自己責任で参戦するのやったら、これは自傷行為になるから許されるのやないか?近代社会では確かに暴力を国家が独占して非暴力の応酬こそが近代スポーツとして成立するのやけど、現代社会ではどうやろか?

映画の「海を飛ぶ夢」て知ってるか?海に戯れることに尊厳を置いてた主人公は、事故で四肢不随になってしまうねん。せやけど本人はごっつう魅力的やから、女も男も彼の虜になって、一見人が羨むような生活を送ることになるねん。せやけど主人公は政府に尊厳死させてくれ、て要求するねん。つまり海で戯れることに尊厳を置いてる以上、四肢不随でそれが断たれたのやからなにをやっててもこの世は生き地獄でしかない、そやから死なせてくれ、ゆうのが主人公の論理や。回復可能性のない末期の患者にのみ認めるのは恣意でしかないやんか。これは多様化した尊厳形式を持ってる現代人にとって切実な問題やと思う。

つまりおっちゃんはな、自己責任で生きる以上は共生の条件の範囲内で個々人の判断は尊重されるべきや、て言いたいんや。辰吉は現役復帰したいのやったらそれでええやないか。健康とかどうとかゆうてるけど、それが尊厳を踏みつけにしてるとしたらどうやろ?それこそ殺人やないか?カフカはゆうた、「私を殺してください、でなけりゃあなたは人殺しだ!」そうゆう意味でおっちゃんは桜庭がまだまだ一線でやりたい、皆を盛り上げたいてゆうのやったら、健康を優先した物言いで尊厳を踏みつけることをせんと、彼の生き方を尊重すべきやとおもうねん。個人を尊重せん全体主義的な押し付けこそが人を殺す現代、おっちゃんは桜庭の生き方を尊重するよ。

ほなな。

posted by つるじょあ |14:30 | イノキゲノム | トラックバック(0)
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2008年03月19日

『自ら井戸に飛び込んだカエル、川尻 カエルは毒蛇に飲み込まれる 大海へ乗り出せ!』

おっちゃんやで~。

川尻とマッハと石田がチーム茨城とか訳分からんことゆうてるやんか。あの時点でおっちゃんは彼らの限界を感じたもんや。なんやねん茨城て。最初から自らに枠課してどないするねんな。またあえてコミットして物語り紡ぐためにチーム名名乗るのもええけど、茨城でどんな物語広がるねん。チーム栃木との対抗戦か?世間の誰が振り向くねん。

ええか、チーム茨城を名乗るのは、自ら井戸の中に飛び込むことや。そない小さな枠にとどめて、弱いもん同士で練習してどないすんねんな。ただでさえ弱いのやから、世界へ出て実力見につけるべきやろ。川尻vsマンバ戦みたか?セオリー通りのテイクダウン後決めにかかってるやんか。マンバは噛ませ犬で川尻の踏み台やのに、ええとこなしで逆に噛まれてるやんか。今は総合も成熟して打撃を制するものが総合を制すねん。かつてのPRIDEのトップみてみい、ヒョードル、ミルコ、ノゲイラ、ジョシュ、ハリトーノフ、シウバ、ショーグン、皆打撃巧者やんか。寝技を無視してるのとちゃうで、せやけどそれは副次的なもんや。自ら井戸に飛び込んでまうから発想も縮こまってしまうねん。藤田も未だにタックル厨やから取り残されてるやんか。そんな時代やないねん。

チームジャパンはええよ、ナショナリズム利用した物語が紡げるやんか。ほんまに日本人であることに誇りもってたらあかんけど、高度に嘘ついて日本人として振舞ったらええねん。せやけど茨城はないやろ。おんなじ出身地同士で集まってほっとするのやろうか?井戸の中におっても成長はないねん、大海の荒波にもまれてはじめて強くなれるねん。井戸から這い出せよ、川尻!よう知らん人やけど(笑点)。

ほなな。

posted by つるじょあ |14:23 | その他 | トラックバック(0)
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2008年03月19日

『ハッスルはガチ! アメプロと一線を画す現代エンターテイメント TAJIRIを追放せよ!』

おっちゃんやで~。

【アメプロは日本では成功しない】
猪木はハッスルに対して「日本にはアメプロを受け入れる土壌がない」て喝破してた。これは確かにその通りやし、また猪木の教養や無しに感性に基づいた鋭い主張に関心したもんや。教養に基づいて説明するとな、アメプロが受け入られるのは一神教の倫理に基づく強い自我が育つ土壌があるからやねん。そやから虚構のドラマにコミットして楽しむ余裕があるねん。せやけど日本は共同体社会やから自我が育たへんやんか、そやから虚構のドラマみても楽しむ所か「これ八百長だろ」で終わってしまうねん。

アメリカ人は自立してるから表現者自体が関係性持ってるし、また受け手も余裕があるよ。せやけど日本人は自立してへんから表現者の関係性は拙いし、また受け手も余裕がないねん。そやから必然的にプロレスもリアル志向になるねん。アメプロに比べて日本のプロレスがより戦いにみせかけてるのはその為なんや。アメプロがたまに日本で公演してるけど、苦戦してるやろ?あんなん日本で流行るわけないがな。受け手に余裕ないのに楽しめるわけないやろ。そうゆう訳でな、アメプロは日本で成功することは論理的にないよ。見るのはマニアだけや。

【ハッスルの可能性】
そうゆう訳でな、ハッスルがアメプロやったらあかんねん。そこでハッスルの進むべき道はどこにあるのやろうか?それはガチでやることや。おっちゃんはかつてイチローと羽生善治が戦ったらどないなるのやろか、て夢想することがあったんや。勿論資本主義社会やから、収入を比較して結論出すことも可能や。せやけどそうやないねん、直接対決してエンターテイメントにできんやろうか?様々な分野の第一人者による直接対決、人生を持ち込んだら盛り上がるのやないか。そんなときハッスルがその答えを出したんや。和泉元爾が参戦して鈴木健想と戦ったやんか。勿論内容も勝敗も決まってたけども、元爾は和泉元爾としてリング上に立ったんや。狂言師としての言葉遣いや立ち居振る舞い、そして当時のスキャンダルを逆手に取った台詞、そして狂言の表現を限定された時間・空間内で如何に発揮するか。これはプロレスの空間やルールを借りた狂言のガチやったんや。その戦いの中で如何にして付与された意味と培われた技術を発揮するか。この時の勝敗はな、お客さんを如何に魅了するかできまるねん。結果的にウドの大木レスラーよりも元爾は観客に喜ばれるねん。そう、これは素手タイプの競技性とちゃうねん、第三者が勝敗を決める鑑賞タイプの競技性やねん。

川田と崔が歌合戦やって川田が勝ったやんか。歌では芸がなさすぎるけどな、物語による意味と培われた表現で対決していく、これこそ関係性と直接性に呼応した、現代エンターテイメントやないか。和泉元爾、歌合戦、ホームラン・チョップ、池谷銀河、これこそハッスルの真骨頂やろ。エイドの名の下に世界発信するやり方は猪木のやり方と同様、対世間で銭のもうけ方を分かってると思う。確かにプロレスの空間・ルールやから平等な条件とは言えんけど、ハッスルには上昇の可能性が残されてると思う。

【TAJIRIの罪】
最近ハッスルが伸び悩んでるのはな、おっちゃんはTAJIRIのせいやとおもってる。あいつが来てからハッスルはアメプロ化してもうたんや。元々ハッスルはアメプロを模してたけども、それはええ部分だけを取り入れようとする姿勢やった。せやけど本場のTAJIRIが来て全面的に受け入れてもうたのやろうか、急速にアメプロ化が始まることになるねん。エスペランサーが気合だけで相手を吹き飛ばすとか、エスペランサー見ただけで前に負けてトラウマになってるからゆうてTAJIRIが怯えるとか、HGがパイルドライバーで前もって仕掛けられた花道にめり込むとか、明らかな虚構をアングルに用いるようになったんや。三文芝居で余裕を必要とする虚構なんて受けるわけないやろ。アメプロ化とTAJIRI参戦は重なってるから、おっちゃんはTAJIRIにこそハッスルの可能性を摘んだ罪があると思ってる。

最近TAJIRIはたいした活躍してないし、徐々にフェードアウトしていくやろう。あんなうそ臭い演技をコミットできる余裕なんて日本人にはないよ。最近は歌合戦に池谷銀河、そしてカンフー君も登場して、正に芸による激突の様相を呈してきた。TAJIRIを追放して今こそ様々な分野の、様々な表現者の交差点となるときや。

ハッスルよ、偶然の、高度には必然の人生の交錯の場であれかし!

ほなな。


ようつべ、和泉元爾が語るハッスル参戦の経緯

posted by つるじょあ |14:08 | イノキゲノム | トラックバック(0)
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2008年03月16日

『ボクシング・総合格闘技2段階論 素手タイプと鑑賞タイプによる2重拘束』

おっちゃんやで~。

今回は、ボクシング・総合格闘技の段階性を説明するわ。スポーツにも大きく分けて4種類あるねん。これは物タイプと記録タイプと素手タイプと鑑賞タイプや。

【素手タイプの段階】
素手タイプゆうのは、直接選手同士があるルール下において物による媒介をせんと素手で勝利条件を充たす競技のことや。選手は勝利を目指してルールの範囲内で戦うことになるのやけど、これに該当するのが例えばボクシングであり、総合格闘技なんや。せやけど素手タイプだけでは格闘エンターテイメントを説明するのには無理があるねん。そこで次の段階や。

【鑑賞タイプの段階】
鑑賞タイプゆうのは、間接的に選手同士があるルール下において勝利条件を充たす競技のことや。選手は勝利目指してルールの範囲内で表現して第三者が優劣を判断することになるのやけど、これに該当するのがフィギュアスケートであり、新体操や。せやけどこの鑑賞タイプが素手タイプの競技と関連することもあるねん。

【ボクシング・総合格闘技の2重性】
素手タイプにおいて選手がお互いに勝利を目指して戦うのやけど、これは時間が設けられてるのが大半や。つまり時間内で決着が付かんかった場合は、判定決着になるねん。この判定決着は審査員が優劣を判断するのやから、これは鑑賞タイプであることがお分かりいただけると思う。直接対決が不可能であるフィギュアや新体操やからこそ採用してた鑑賞タイプを、時間的都合で決着つけるために、直接対決可能なボクシングや総合が採用してることを意味するねん。ここに総合ルールにおいて、素手タイプと鑑賞タイプのルールの2重性が明らかになるねん。

【素手タイプの優位性】
ルールの2重性てゆうても、これは階層性があるねん。つまりその優位性は素手タイプにあることや。試合全体で見たら一方が圧倒してたとしても、素手タイプのルール下における勝利条件を他方が充たしてたとしたら、一方は敗北することになるやろう。そうゆう意味で、優位性は素手タイプにあるねん。鑑賞タイプとしての競技性は、時間的都合によって後付けられた格闘エンターテイメントを補完する、より低次な段階のルールといえるやろう。

【選手への2重拘束】
繰り返すとな、ボクシング・総合格闘技のルールには2重性があって、一方は素手タイプのルールで他方が鑑賞タイプのルールや。そして一方のルールが他方のルールよりも優位であり、よって2段階で構成されてるねん。ではこのことは、選手らに対してどの様な影響を与えるのやろうか?素手タイプで勝利条件を充たすことと、鑑賞タイプで勝利条件を充たすことは必ずしも一致せえへんねん。例えばやり過ごして相手の隙を見計らって勝利を目指す者は、素手タイプの勝利条件を目指してるのやけど、鑑賞タイプの勝利からは遠ざかることになるねん。。グレイシーが判定決着を拒絶してたのはな、彼らの闘争スタイルが素手タイプの勝利条件を充たすことに力点を置いてるからや。ホイスが桜庭との戦いで時間無制限を要求したのはそうゆうことやったんや。また、逆に素手タイプの優位性はあるけども、鑑賞タイプのルールを意識して戦うことも可能や。つまり素手タイプの勝利条件を充たすことをせんと、積極性を表現したり、現時点で判定で有利やと思ったら残り時間は深入りせんと、鑑賞ルールでの勝利条件を充たそうとするねん。素手タイプのルールの優位性があるから、鑑賞タイプのルールを無視することは可能やけど、そやからゆうて鑑賞タイプのルールも勝利条件として採用される以上は、大半の選手が意識することになるやろう。こうして、ここに選手に対する2重拘束が明らかになるねん。つまり素手タイプのルールと鑑賞タイプのルールによる2重拘束や。選手は試合の最中で、素手タイプのルールによる勝利条件を充たすことに加えて、素手タイプよりもやや優先順位は下がるけども、鑑賞タイプでのルールによる勝利条件を充たすことも意識せなあかんねん。

さて、以上を踏まえた上で、次回は一見無関係に見えるハッスルの可能性について説明するわ。フォフォフォフォフォ~~~~!


ほなな。

posted by つるじょあ |16:00 | その他 | トラックバック(0)
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2008年03月14日

『インビンジブルマン! 透明な存在を生産する近代的体制、大毅の個性を奪う古い悪習 俺は透明人間やないねん、亀田大毅なんや!』

おっちゃんやで~。

【近代教育が生み出した透明な存在】
かつて社会を震撼さした事件があった。酒鬼薔薇聖斗事件や。あれは絶対に許されへん事件やし、酒鬼薔薇自体に厳罰を与えるのは当たり前のことや。せやけど、責任を加害者のみ追求するのやのうて、彼を育んだその社会も考えていかなあかんのとちゃうか?そうやないとおんなじ様な事件が再生産されることにやんか。酒鬼薔薇の態度に同世代の少年少女らが一定の共感を感じた以上、これは犯罪の一般的原因、社会的文脈を読み取った上で解決されるべき問題なんやで。

酒鬼薔薇事件は、忌むべき事実ではあったけど同世代の少年少女らに一定の共感を与えたのも事実や。その共感を与えたキーワードの一つが「透明な存在」や。これは社会の圧力によって、自分らしくできん存在のことを言うねん。つまりほんまの自己を貫いて自分らしく生きようとしても、それを周囲が圧力かけて邪魔するねん。社会のために滅私奉公して透明な存在と化したものは、何のために生きてるのやろうか?

近代社会では滅私奉公でよかったよ。物の豊かさを実現する為に頑張ってたらよかったんや。幸せが単一で物の豊かさこそが幸せやった時代では、滅私奉公でええねん。せやけど物の豊かさが実現されて、幸せが個々人に分化した現代社会において、社会に盲目的に奉仕することに何の意味があるのやろうか?日本の教育は、先進諸国では唯一近代的教育、すなわち画一的な詰め込み教育を未だ行なってる。滅私奉公してた社会の教育方法そのままやから、当然従順な労働者を生み出すような自我を押さえつけるような教育になるねん。学級崩壊がなんでおこるかゆうたらな、透明化への抵抗として起こってるねん。当たり前や、意味の無い画一的な詰め込み教育が延々と続くねんで。そら子供らも苦痛や、おもろないがな。暴れたり不登校になるのは当たり前のことやないか。

ゆとり教育ってあったやんか。これが登場したときにおっちゃんは、この出現の理由と将来の失敗を理解してたよ。つまりこうゆうことや、近代的な画一的詰め込み教育は、近代社会では物の豊かさを達成するためには有効やった。物の生産と幸せは一致してたし、無限の社会の発展が懐かれた時代やから、詰め込み教育で辛くても将来が約束されてるから皆我慢できたんや。せやけど今はどうやろうか?無限の社会の発展なんてないし、我慢しても将来は約束されてないし、滅私奉公してもええことなんてなんにもないがな。そやから生徒らにはいらいらが募るねん。意味のある苦役から無意味な苦役へと変わったんや。そこで登場したのがゆとり教育や。このいらいらを解消すべく、その我慢する度合いを減らすために学習量を軽減したわけですわ。せやけどそれでええのやろうか?

単に負担軽くしても、その余暇になにしたらええのかわからんようになってしまうやんか。他の先進諸国見てみい、自らがやりたいことを選択できる選択的授業制度を採用してるねん。自己責任で自分らしくやって、それで社会的にも人材が育って国際競争力が養われていくねん。現代日本において、現行の近代教育が生み出したのは、頭でっかちの無個性な人間や。せやけどゆとり教育では、それ以下の頭でっかちでもない単なる無個性な人間を生み出したことになるねん。ただでさえあかん近代的劣等生が、さらに骨抜きにされたのがゆとり世代なんやで。無教養として馬鹿にされるのは、残念ながら正しいといわざるをえんやろう。

こうして透明な存在が跋扈して、そのストレスからある者は暴れて、ある者はいじめをやったりするねん。都会はまだ娯楽施設があるからいじめは少ないけども、田舎は悲惨でっせ。遊ぶもんないからいじめがレジャーになるねん。このようにな、近代的な一斉授業制度から現代的な選択的授業制度に変遷するのは歴史的必然ですわ。ゆとり教育はそれまでの試行錯誤における一つに失敗と位置づけられるやろう。近代格闘技も現代格闘技に変遷せなあかんし、これはボクシングにもいえることやねん。

【近代ボクシング協会が生み出す透明な選手】
近代教育制度同様に、近代ボクシング協会も透明な存在を生み出してるのとちゃうか?これからは自己責任で自分らしくやって、結果として他のエンタメに対する競争力が養われていくのに、画一的な指導を行なってるから選手の個性がいつまでたっても育たへんねん。画一的なマナー守れやて?近代的共同体は衰退してるのにマナーなんてノスタルジックな思い出でしかないよ。マナーの遵守を唱えることによって守れるのはな、それは現実の社会やないねん、古くさい昭和のおっさんの思い出だけやろ。

亀田兄弟は近代的共同体ゆう思い出の共同体に捉われることなく、現実に即した表現をしていってる。せやけど協会側は近代的体制に立脚して選手の個性を潰してるねん。興毅や大毅が自己演出でおもろいことゆうても次々と潰されるやんか。画一的な指導で通用するような現代社会やないねん。協会側のやってることは競争力所か透明な存在を生産してるだけや。長谷川、坂田、イーグル、新井田、世界チャンピオンやのに世間からしたら無名でっせ。そらそうや、無個性やもん。話題提供せえへんもん。内藤も亀田の煽りで一時的に注目されてるだけで元々は無名やったやんか。これからは個性の時代やねん。物語を紡いで人を惹きつけなあかんねん。そんな時代に無個性な強いだけの人間育ててどないするねんな。鋳型にはめ込んで、おんなじ人間を生産する時代は終わったんや。男は男らしく、女は女らしくする時代やないねん。女も外出て自立していかなあかんねん。これからは誰でもない比類なき自己を作り出していくねん。大毅を透明にさせたらあかん、大毅は透明人間やないねん、亀田大毅なんや!

ほなな。

posted by つるじょあ |00:10 | その他 | トラックバック(0)
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2008年03月13日

『IGFの射程 戦極を取り込みDREAMと抗争のアクロバット おっちゃんの大胆予想!』

おっちゃんやで~。

前回、社会的文脈で読むことを真面目に説いてたのにこれで台無しやろか?(笑点)

戦極もDREAMも、このままやったら厳しいと思う。なんでかゆうたら現代初期の理念のままやからや。結局はPRIDEの既得権益の取り合いゆう、皮相な形になってる。戦いを極めるだけ、夢の対決を実現させるだけ、それで果たして長期的展望があるといえるのやろか?戦いを極めることに少数のマニアは関心あっても大多数の世間は注目するやろか?夢の対決さしても、一通り組み合わせたら夢も覚めてしまうのとちゃうか?貯金を使い果たすのやのうて、新しく価値を作り出していかなあかん。

総合の衰退は、現代社会が成熟してきたからや。初期は直接性を、成熟期にはさらに関係性を世間は求めるようになるねん。直接性のみ、格闘技でゆうたら競技性のみでいつまでもやってるから総合は衰退していってるのに、競技性に執着してどないすんねんな。そこで関係性も、すなわち格闘技でゆうたら演技性も取り込んでいかなあかんねん。つまり現代格闘技の理念は競技性と演技性の統合であってな、ええ例が亀田であり、パリス・ヒルトンであり、石原真理江なんや。

IGFは唯一現代格闘技の理念を自覚してるイベントなのやけど、正直ゆうて無からスタートしてるから、駒不足は否めへんねん。競技性も演技性も中途半端や。そこでや、戦極は高い競技性持ってるけどもそれだけやから、このままいったら理論上は行き詰まるのは目に見えてるねん。PRIDEの既得権益の取り合いも、相手は地上波付いてるし、資金潤沢で駒も仰山揃ってるから勝つのは難しいやろうな。そこでIGFは、将来イベントとして閉塞する戦極を取り込んでいって、競技性を獲得したらどうやろか?猪木は先日戦極に言及してるし、小川も会場に足運んでるし、愛弟子の藤田もいてて入場曲は猪木の曲やったし、ジョシュも絡んでるし、少なからず関係があるねん。また戦極主催者も融通性あるやんか、小川に出て欲しいとか慎重に言及すべきところを即答してるし、サプライズはホジャー参戦とか、結構ええ加減で猪木に通じるところもあるやんか。英雄への切符持った五味に、猪木が物語を紡ぐことを教えるねん。「相手は対戦相手だけじゃない」「お客さんを相手に戦わなければならなんだ」「そしてこの戦いには日々の研鑽が必要なんだ」「普段嫌なことは嫌といわなければならない」「ハプニングを起こして世間を巻き込め」とか説くねん。IGFに欠けてるリアリティー(競技性)と、戦極に欠けてる華(演技性)が融合して、あの格闘エンターテイメントの最新の進化形態、現代プロレスとなるねん。

大胆過ぎたやろか?オー・モーレツ!

ほなな。

posted by つるじょあ |12:11 | イノキゲノム | トラックバック(0)
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2008年03月13日

『現代社会の格闘技 格闘技を知っているだけでは格闘技を知ることは出来ない 社会的文脈で捉える』

おっちゃんやで~。

皆格闘技好きやろ?プロレス検定やないけど、マニアックなことまで知ってるのやろうなあ。せやけどそれで格闘技を理解してるとおもたら大間違いやで。むしろ、その時代の対象がなんであるかを知るためには、格闘技以外のものを理解せなあかんねん。

【社会の流動性が高い現代】
社会の流動性が高いのが現代の特徴や。流動性が高いゆう意味はな、つまり昔は鍛冶屋の息子は鍛冶屋やるて決まってたやんか。住んでる場所もおんなじところやし、近所の駄菓子屋もずっとやってた。また不良学生はその特殊な家庭環境に原因を持ってた。つまり固定されてる意味で、流動性が低かったんや。せやけど今日的にはどうやろ?鍛冶屋をやるかパン屋をやるかは自由になったし、店もすぐ潰れて別の店になってる。売春も普通の子がやってるし、住んでるところも起きてる時間帯も様々や。このようにな、固定化された必然性を溶解する偶然性の高い時代が、社会の流動性が高い時代て呼ばれるねん。

【格闘技を知るために何を学ぶべきか】
このような社会の流動性の高まってる時代背景を踏まえて、歴史的に生成する格闘技を知るためには、単に格闘技について学んでもそれは片手落ちや。ほとんどの格闘評論家は残念やけど、時代背景を無視してるから足踏み外すねん。評論家は大抵はマニアやから、UFCやK-1を最初から見てたとか、有名選手を無名時代から知ってたとか、選手間や団体の人間関係や、その競技のルールを誰よりも知ってる。もし固定化された必然性の時代やったらそれでええよ。対象を理解したらそれで理解したことになるねん。せやけど今日的な流動性の高い偶然性の時代には、対象を理解してもそれに意味ないことはないけど、それでほんまに理解したことにはならへんねん。

少女売春やったら、かつては対象者としての少女を因果的に調べて、特殊な家庭環境を探し当てたらそれで理解することが出来たよ。せやけど今売春は誰でもやるねん。確かに売春に参加してるのは一部やけど、たまたま誘われたり、友達に誘われただけで、おんなじ切っ掛けさえあったら誰でも売春するねん。つまり一部やからゆうてかつての特殊カテゴリーとして扱うのは間違ってるねん。その時代/社会における前提、すなわち少女の売春への敷居の低さとゆう一般的性質、これを理解して始めてその時代の少女売春を知ることになるねん。

昔やったら一人の子を遡ったら特殊な家庭環境がみえてきたけど、今はなんぼさかのぼっても個別的な固定された必然的原因はみつかることはないねん。つまりこうゆうことや、少女売春の原因は近代ではその少女を調べたらわかったけども、今は少女だけやのうてむしろ少女以外の同時代のものを知ることによって理解することが出来るようになるねん。格闘技についてもおんなじこっちゃ、格闘マニアは格闘技のなにをしってるのやろうか?社会的文脈を知らんから狭い視野で倒錯して、「プロレスを潰したのは猪木だ」とか「プロレスや総合を復興させるためには分裂した団体を一つに纏め上げることだ」とか「プロレスは八百長であることをカミングアウトするべきだ」とかゆうて踏み外すことになるねん。

【社会的文脈で捉えられた格闘技】
亀田大毅ゆうボクサーがいてる。彼は「車はぶつけるもの」てゆうた。これを近代的なボクシング協会側は、近代社会の論理で村八分的に社会から抹殺される原因になりうると判断して、大毅への処罰を検討してる。せやけどほんまに大毅はぶつけるもんておもてるのやろか?大毅は今日的な社会では村八分にされんことを見抜いた上で、盛り上げるためにゆうてるねん。交通事故一般を正当化して被害者を傷つけてる文脈はどこにもないし、ほんまにぶつけるのが趣味なわけやないねん。大毅の自己演出を理解せんと、こいつは道徳的に狂ってるとか世間がおもうのは当然のことや。それだけ大毅の自己演出が自然で優れてることを意味してるのやから、凡人である世間は大毅の手の平の上で転がされてたらええねん。せやけど評論家がそれに乗ってどないすんねんな。社会的文脈で捉えたら、近代的イデオロギーと現代的イデオロギーが峻別できて、何が起きてるのか理解できるようになるよ。

おっちゃんはかつて、ほとんどの評論家は似非てゆうた。これはおっちゃんの素朴な評論家一般に対する的確な批評やと思う。これは失礼でもなんでもないよ、公のもんを批評する権利は誰にでもあるのやから。これは老いて朽ち果てようとしてるおっちゃんからの、エールやとおもってくれ。切磋琢磨して頑張ろうやないか。思いつきで語る、現実の取材に基づいて語る、それだけでは格闘技を正しく理解することは不可能やねん。まあ、おっちゃんは社会的文脈ばっかりで現実の格闘技に対する知識が薄すぎるけどな(氷点)。

ほなな。

posted by つるじょあ |02:03 | イノキゲノム | トラックバック(0)
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2008年03月11日

『DREAMは一瞬の花火、IGFは燃え盛る炎 総合格闘技を超える現代プロレス』

おっちゃんやで~。

ミルコの対戦カードが決まったようやな。相手は日本人無名ファイターやそうや。一体これはなんなのやろうか?確かに日本人の逆転可能性にかける夢はあるよ。せやけどミルコの格下であろう相手に負けてるのやで?試合成立させる数合わせでセッティングしたのまるわかりやんか。それにそんな夢はマニアの夢や。ミルコも日本に帰るのやったら、あいつが憎いとか、忘れ物があるとか、なんで物語り紡いで来日せんかったのやろ?UFCではあかんかったから、日本に戻りますで誰が注目するねん。

青木vsカルバン、確かに楽しみではあるよ。PRIDEトップvsHEROSトップの夢の対決や。せやけどこれもマニアックやし、対戦したら夢なくなってしまうやんか。これこそDREAMの象徴的カードでな、PRIDEとHEROSの既得権益を消費するだけの一瞬の花火的なもんや。PRIDEとHEROSの夢の対決は、対決することで解消されてしまうねん。こんなんで世間の誰が夢みんねん。

マッハと門馬、川尻とマンバ、宮田とブスカベ・・・。消費するだけ消費して、夢なくなったら待ってるのは衰退でっせ。そこいくとIGFは違うよ(笑点)。戦うことを商売にするのやったら、試合に意味づけをせなあかん。遺恨の物語を紡いでいかなあかん。小川と猪木の遺恨、小川とジョシュの遺恨、小川と田村の遺恨。そして今回は大阪に元気を、てゆうてくれてるねん。競技性はDREAMに比べたら見劣りするのは明らかやし、世間の注目も段違いやけど、正しい理念でやってるもんは上昇するし、理念誤ってたらそれは没落していくねん。既得権益を喰い散らかすもんと、対世間で物語り紡いで世界平和を掲げるもんと、今は随分差ひらいてるけど、このままいくのやったら業界の盟主はIGFがいただきまっせ。おっちゃん正気やで(笑点)。

ほなな。

posted by つるじょあ |22:29 | イノキゲノム | トラックバック(0)
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2008年03月11日

『世紀の遺恨対決! 内藤大助vs亀田興毅 会長はん頼んまっせ』

おっちゃんやで~。内藤vsポンサクは熱戦やったなあ。最初内藤は卓球してるのかとおもたけど(笑点)、視界の外から来るパンチ、フェイント、そして持久力と素晴らしい競技性を備えてると思う。

確かに熱戦やったけど、気になったのは戦う理由や。お互い職業ボクサーで、チャンピオン足らんとリング上で戦うのやけど、それだけやとなんか物足りんことないか?あの熱戦を否定してるのとちゃうねん、最終ラウンド前の抱擁、ラウンド後の健闘を讃えあう両者、これもある程度の感動は与えるよ。またポンサクレックとは過去の経緯があるから、ある程度の因縁めいたものもあるよ。せやけどな、これでええのやろか?

今回試合が注目されたのはな、亀田と戦った人やからや。そして勝ったら亀田と戦う人やからや。内藤のジムの会長は「これからは内藤はピン芸人としてやっていく」てゆうてるけど、そない甘いもんとちゃうよ。この会長、簡単に集客できるとかゆうて高額設定して甘い見通したてて後悔してたけど、これから物語無しで淡々と戦うて誰が注目するねんな。

亀田大毅との一戦後注目された内藤は、その財産でタレントとして活躍してポンサクレック戦でも高い視聴率獲得したよ。せやけど財産使い果たしたらまた貧乏に逆戻りでっせ。これからはひとり立ちてそれを世間は望んでるのやろうか?今まで散々苦労してきて亀田のお陰で儲けさしてもらってるのに、勘違いして実力やとおもってたら、えらい目にあうで。今世間は内藤vs興毅の遺恨対決を望んでるねん。常に世間を相手取って戦っていかなあかんのに、それを無視してどないするねんな。旬が過ぎてからそれに気付いても遅すぎるねん。会長はん頼んまっせ。

ほなな。

posted by つるじょあ |21:53 | イノキゲノム | トラックバック(0)
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2008年03月11日

『吉田よ、金メダルを捨てろ! 馬鹿になって恥をかけ、本当の自分が見えてくる 裸一貫から這い上がれ!』

おっちゃんやで~。

戦極旗揚げ戦みたか?吉田はジョシュに圧倒されてたなあ。しかも小川張りの美しい放物線を描いたバックドロップ喰らってた。それでもあいつはいつも通り余裕かますのやろうか?

【吉田の余裕の理由】
吉田は常に己を崩さんと、余裕かましてるやんか。あれなんでかわかるか?おっちゃんはあれは金メダリストとしての誇りがああさせてるのやと思ってる。つまり失敗しても「俺は金メダリスト」ゆう自負が己を温存させるねん。あいつはたまに人を見下すこともあるやんか。「どうせプロレスでしょ?」発言も、お客さんを想定した自己演出やなくて、高所から人を見下してるからやとおもう。金メダリストの誇り、総合格闘家としての誇り、これが吉田の尊厳観や。こういった外部に依存する尊厳観は依存的尊厳観てゆうてな、フランクフルト学派のフロムやアドルノは弱者として規定してる。瀧本も最初は「総合を舐めてた」とかゆうて驕ってたやんか。そうゆうわけでな、己のリズムを崩さん吉田の態度は、外部の実績に依拠した尊厳観を持ってるからやと思う。

【猪木の余裕の理由】
猪木も余裕もってるやろ?せやけどあの自信は依存的尊厳観とちゃうねん。依存的尊厳観と対を成してるのが自立的尊厳観や。これはな、試行錯誤に基づいた成功によって獲得された自信でな、己自信によって自尊心を獲得してるねん。アイデンティティー聞かれて「会社」とか「大阪人」とか答える奴いてるけど、それは間違いや。会社とか大阪人とか、外部の着飾ってる服を全て脱ぎ去った裸の自己こそがアイデンティティーやねん。この裸の自己に尊厳をいてるものこそが自立的尊厳観の持ち主や。猪木もアリ戦や北朝鮮興行や昭和のプロレスを牽引してきた自負はあるけども、それはそれを成功さしたゆう自信には繋がってても、そのこと自体に尊厳を置いたりはせえへんねん。武藤は「俺はアメリカで成功した」「アメリカで成功したのは俺とマサさん」て何度もゆうて自慢してるけど、猪木は過去に尊厳をおいたりはせえへんねん。

【吉田よ、金メダルを肥溜めに捨てろ】
今の吉田から金メダル取ったら何が残るのやろ?まずは裸になってそれを考えんとあかん。過去の栄光にすがってたら、成長はないよ。高所から見下ろすのやのうて、かっこつけるのやのうて、降りてこなあかん。今の自意識そのまま受け入れて始めてそこから這い上がれるのやないか?尊厳を自己において余裕かまさんともがき苦しむねん。メインとか言わんと第0試合とかインディーでやるねん。勿論それは、非常に辛いことやとおもう。大恥かいて笑われるやろう。せやけど恥をかいてはじめてほんまの自己と出会えるねん。そうして始めて人間は成長していけるのやで。いつまでも余裕ぶってたらそのままで終わってしまうよ。吉田はまだまだ可能性を持ってると思う。おっちゃんの座右の銘は「最大のピンチは最大のチャンス」や。人は成功してるときはなにも新しいことせえへんけど、ピンチになったらおもいきったことができるねん。吉田は今ピンチを迎えてる。金メダルにすがって大物気取るのやのうて、メダルなんてクソみたいなものなのやから、肥溜めに捨ててしまえ。トミーズ雅もボクサーとして獲得してたトロフィーや賞状を、それに甘えて駄目になるからゆうて全て捨て去ったそうや。裸一貫やり直したらええやないか。瀧本も変わろうとしてる、小川は銀メダルやったからこそ調子に乗らずにすんだのかもしれんで。

ほなな。

posted by つるじょあ |21:52 | イノキゲノム | トラックバック(0)
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2008年03月07日

『五味の魅力とその限界 諸共同体を横断せよ! 英雄への道程』

おっちゃんやで~。戦極やけど、そこそこ盛り上がったようやな。おっちゃんは4試合だけ動画でみただけやけど、まあ予想通りゆうか新しいものはなかったなあ。結局PRIDEの武士道が復活した感じやろか。日本人vs世界なんて近代の構図そのものやし、アニメ声も関係性とは真逆や。とにかく選手からの自己主張、遺恨がほしいところやな。まあ、PRIDEマニアは嫌がるやろうけど。

それで五味やけど、あいつは中々魅力的やねん。記者会見のときの乱闘騒ぎの際に笑ってたり、試合後も自意識そのままでマイクでしゃべってたやんか。あいつは人生楽しんでるのやろうな。自分らしく生きるとは自己が自己自身になることを意味してるねん。誰でもない個性的な自己を生きること、これによって人は充実感を得て個性と自信を獲得していくねん。これこそおっちゃんのゆうてる主観的演技性でな、かっこつけるのやのうて等身大の自己自身を放り出してるからこそ、現代人は惹きつけられるねん。これはゴルフの宮里藍や、卓球の福原愛、フィギュアの浅田真央にも通じることや。皆自己実現を通じて個性と自信をもってるから陽のオーラはなってるやんか。せやけどそれでええのやろうか?

確かに五味は人間的魅力を持ってる。せやけどそれは所詮は出自の共同体の代表レベルや。宮里も福原も浅田もそれぞれの共同体を代表してるだけでな、等身大の魅力的な自己でしかないねん。英雄になろうとおもたら世間を巻き込むような物語を紡いでいかなあかんねん。より高度な技術を磨いていかなあかねん。亀田みてみい、ボクシング界でええ顔してるだけとちゃうやんか。憎まれ口叩いて、世論に立ち向かっていくねん。

かつて近代では大きな共同体一つやったから、その共同体の英雄=国民的英雄やったよ。せやけど現代の今は諸共同体が散在してるのが現状や。一つの共同体の英雄はローカルな英雄でしかないねん。そこで諸共同体を横断するものこそ、現代の英雄になれるわけや。共同体によって価値観は異なるから、全面肯定された長嶋や石原裕次郎と違ごて、現代の英雄は称賛と非難を浴びることになるやろう。せやけどそれでええねん。ファンもアンチも手のひらで転がして常に世間の注目を浴びていく、これこそが英雄に求められることなんや。

五味は魅力的な人間やけど、所詮はローカルな英雄でしかないねん。さらに上行こうとおもたら、世間に注目させるような物語を紡いでいかなあかんよ。そうして称賛と非難を浴びて、世間を巻き込んでいくねん。亀田やパリス・ヒルトン目指すねん。五味よ、英雄になるんや、偶然の、高度には必然の物語を紡げよ!

ほなな。

posted by つるじょあ |12:14 | イノキゲノム | コメント(54) | トラックバック(0)
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