2007年12月31日
おっちゃんやで~。秋山が試合前に会見に臨んだのやけど、ブーイングが凄かったそうや。せやけどこれはある意味追い風でっせ。
人間はな、ある程度己に嘘ついていきていかなあかんねん。社会からの同調圧力を受けて本音かくしていきていかなあかん。皆愛想笑いを浮かべてるのやないか?皆嫌々会社に通ってるのとちゃうか?人前では透明になって、どこかでガス抜いてまたガスを溜めるねん。過剰に透明であることを強いられて暴走したのがあの酒鬼薔薇聖斗や。
秋山も今までは正義面して子供も連れて人気獲得しようとしてたよ。せやけどな、あいつは正義面してやっていくような奴とちゃうよ。小川はJRAの職員やったけど、自我が収まりきらんかったからそこを飛び出した。秋山かてそうや、あいつはステレオタイプの近代的英雄に収まる器やないよ。
おっちゃんは前々から秋山はほんまの自己をむき出しにせえ、てゆうてた。このブーイングはチャンスやで、三崎血祭りに挙げてな、「弱くて相手になんねえなあ!」とか「大韓民国最高!」とかゆうてみい、盛り上がりまくるよ。本性むき出しにして己のやりたい道にすすんだらええねん。誰でもない己の人生いきたらええねん。ほんまの自己ゆうリアリティーと、予定不調和の演技性が人をひきつけるねん。正義面した透明な生き方をするのは庶民に任せて、己を解放したるねん。そうして生き生きと自己を貫いていったら世間巻き込めるで。
何度もゆうてるけどこれからの英雄は好かれると同時に嫌われるねん。諸共同体を横断するのやから当然のことや。今までは古臭い芋兄ちゃんやったけど、これは逆にチャンスやで。最大のピンチやからこそ人は思い切ったことがでけるねん。己を解放し本性むき出しにするんや、そうしたらその圧倒的生の前に支持もされるし憎悪もされるやろう。そうや、亀田やパリス・ヒルトンみたいな現代的英雄の領域に踏み出すねん。秋山には競技性もあるから格闘技界を牽引できるかもしれんで。競技で勝った負けただけでは世間は振り向かへんよ、圧倒的な秋山の存在感で世間を巻き込むねん。
秋山よ、英雄になるんや!
posted by つるじょあ |13:44 |
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2007年12月28日
おっちゃんやで~。総合格闘技もりさがってるがな。年末の対戦カードも今ひとつや。そらそうや!理念も無しに目先の銭ばかり追ってて成功するわけないやろ。
総合格闘技の一時的な隆盛は、社会学の理論的枠組みで説明できるねん。簡単にゆうたら現代においてはまず直接性、すなわち生きてる実感が希求されるから、なんでもありを売りにしてたバーリトゥードにおいては兎に角荒々しいラフファイト目当てにしてる客が多かったんや。当時の客は物語を楽しんでるのは極々一部でな、殴れ、殺せ、何でもありや、ゆうて叫んでた。前時代においては生きてる実感をもたらす祭りが受動的且つ定期的に訪れてたのやけど、今日的な複雑な社会においては納品や取引が履行でけんようになってしまうから、個々人が余暇を利用して個々人の責任で行うことになったんよ。すなわち受動的且つ定期的から能動的且つ不定期に祭りは行われるねん。そうゆう意味で江戸時代の公開処刑で狂喜乱舞して生きてる実感を獲得してた民衆同様、総合がその役割を担ってたわけや。最近一部のリーマンが農業や漁業へ回帰してるのは、言語をつかさどった事務やのうて直接触れてみる、直接体験することで生きてる実感を獲得しようとしてるためや。このようにな、総合格闘技の隆盛は個々人の能動的な直接性の獲得ゆう背景があったわけや。
せやけど直接性の獲得も、より高度な形が希求されるようになるねん。それが関係性や。関係性とはな、今ここを楽しむための人と人との関係をさすねん。昔は銭持ってるとか強いとかそんなんが女に持てたけど、今はあかんやんか。そらそうや、かつては共同体社会やから家族共同体を牽引してくれる男が望まれたのやけど、今は今ここを楽しませてくれるコミュニケーションスキルのある男が望まれるねん。有名人でゆうたらジョージ・クルーニーやキムタクや。2枚目半ができるユニークさをもってるやろ?西日本でゆうたらおっちゃんかな?(笑点)こうして選手にも高度な関係性を築いて因果的な物語を紡ぐことが求められるようになるねん。こうして現代初期にとどまってる総合格闘技は衰退するわけや。
古代ローマのパンクラチオンに端を発する格闘技は、ランカシャーレスリング、フリースタイルレスリングを経て遂にはプロフェッショナルレスリングとなった。そして現代においては現代的な格闘技になるのは歴史的必然ですわ。現代に即した格闘技をおっちゃんは現代プロレスてよんでるのやけど、まあこれは言葉の問題やからなんでもええねん。せやけど現代格闘技に求められるのは直接性と関係性であるのは論理的帰結なんや。総合格闘技は格闘技の歴史から見たら近代プロレスと現代プロレスの過渡期の一時的なもんでな、その総合を包み込んで更なる高みに存在してるのが至るべき現代プロレスなんやで。以上で総合の隆盛と総合の衰退の歴史的必然性をお分かりいただけたやろうか?
谷〇みてみい、あいつは目先の銭ばかり追って理念を見失ってるがな。今回の年末の対戦カードは悲惨やで。目玉はヒョーvsホンマンやって。一体何の理由があるのやろうか。これに世間がどないして興味もつのやろうか?戦う偶然性を選手の自己演出で必然性に持っていくことによって試合は盛り上がるのやないか?そしてその戦いを通じて新たなる物語を紡いでいくねん。何も煽りもせんと盛り上がるべき対戦をわざわざ無駄に空費さしてどないすんねんな。この試合で喜ぶのは格闘マニアだけでっせ。
業界で直接性と関係性、すなわち格闘技でゆうたら競技性と演技性を主張してるのは猪木であり、そしてその弟子の小川だけや。猪木はさらに世界平和を謳って対世間を想定どころか対世界を想定してる。北朝鮮での興行、ジャングルファイト、南極興行、すべてこれは対世界の試みなんや。北の脅威の解消、緑化計画、温暖化の抑止、これを通じて格闘技が世界へとアピールしていくねん。国内の世間にすらアピールせえへん谷〇は終わってるよ。亀田見習えや。
IGFは確かにまだまだやし、選手が行うべき自己演出を猪木が行ってるのは選手の体たらくで課題は山積みといえるやろう。せやけど現代最初の総合の貯金で何の因果関係も無く組み換えしてイベントやっても延命してるだけでますます没落していきまっせ。谷〇は世間へと、世界へとアピールでけるような戦略と、選手が自己演出していけるような動機付けをあたえていかなあかんのやけど、あいつには無理やろ。せやけどIGFには猪木がいてる。正しい理念を元に世間へ世界へとアピールして、気付きを供給して選手に自己超克を迫るよ。
総合の死は歴史的趨勢、格闘技が生き残るには競技性のみやのうて演技性をも取り込んでその二者を統合していかなあかん。現代格闘技は競技性と演技性の向上と統合、谷〇は日銭稼ぎで理念ないから待ってるのは絶望でしかないよ、今は演技性どころか競技性もないIGFやけど、猪木がいてる、理念あったら今はなんぼ貧乏でも成功の可能性は残されてるけど、理念なきところに今はなんぼ銭あっても成功の可能性はないよ。おっちゃんはネットで抵抗勢力を抑えて猪木をサポートするで。
猪木とおっちゃんが格闘技を、いや世界を救う!
posted by つるじょあ |21:46 |
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2007年12月27日
おっちゃんです。内藤がボクシングで賞もらったそうやな。これはほんまに今のボクシング業界の迷走を象徴してるよ。
猪木と亀田家の目指してるものは、勿論頂点に立つことや。その為にはより高い競技性と演技性を獲得してそれらを統合していかなあかん。猪木も亀田家も今は志半ばやけど、正しい理念を胸に試行錯誤のただ中で自らの殻を打ち破っていってる。
亀田長男や次男は低迷してるボクシング業界の中で世間の話題を掻っ攫った。視聴率50%、価値観が多様化してる今の時代に快挙としか言いようがないよ。感情だけで亀田家を非難してそのええ所を捨象するのが似非評論家であり、庶民なんや。ヒトラーは悪いことした、せやけど天才やないか。物の客観性は個人の主観からは離れてるのやで。亀田家は英雄であり、ボクシング業界に希望を与えた功労者なんや。内藤連れのどこが大賞やねん、若い大毅が風呂敷広げて挑発して反則して盛り上げたのやないかい。それを相手しただけで大賞てどないなってるねんな。賞の主催者は表層だけを見てるのやろうな。ええか、内藤はそれまで強いだけで無名で集客力なかったのやで。大毅との試合であいつが役立ったのはベルト持ってることのみや。それで大毅は出場停止、親父は追放、内藤は大賞か!長男が活躍してたときも長谷川とかゆう無名のボクサーが賞もらってたなあ。チャンピオンやのに世間的に無名てどうゆうことやねんな。徳山とやったら盛り上がるのに「アメリカ行きたい」てとっととどこにでも行けや(笑点)。内藤とか長谷川が称えられる業界に明日があるわけないやろ。どこまでボクシング業界は腐ってるのやろか。近代的常識が幅を利かし新しい芽生えを摘み取ってるで。
内藤が国民の期待に応えた?何を言うてるねん、現代は様々な価値観が跋扈してる時代やから、かつてのような一つの共同体を守るもんが英雄になれるわけやないよ。力道山が、長嶋が、石原裕次郎が英雄になれたのは、近代社会において国家規模の共同体が成立してたからや。今は価値観が多様化して共同体が島宇宙的に散在してるから、諸共同体を横断するもんが英雄になんねん。それはかつてのようなベビーフェイスではありえへんよ。良くも悪くも直接性と関係性を提供し、賞賛と非難の両方を浴びる、諸共同体を巻き込むようなもんが英雄なんや。全米を巻き込むパリス・ヒルトン、亀田に清原、これこそが現代的英雄像なんや。内藤は国民の期待に応えたのやない、彼もまた亀田家の表現の中の駒でしかないのやから。
せやけど時代の移り変わりは歴史的必然や。業界自体が益々墜落していったら、改革を迫られるのが歴史法則や。ボクシングもいずれは現代化していくことになるやろう。亀田家はさしずめ前時代的な地平にとどまって閉塞して停滞しているボクシングに新たな地平を示した創始者やといえる。
近代ボクシングから現代ボクシングへ。
posted by つるじょあ |06:53 |
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2007年12月26日
おっちゃんやで~。IGF第三回興行について語らしてもらいまっせ。
遂に近代・現代がまぜこぜになって、同一性を欠いた混沌としたIGFが現代プロレスへと動き出したようやな。おっちゃんは前回の興行で駄目だししてたやろ?それは猪木が大上段に構えてリングで選手に闘魂を注入せえへんかったからや。IGFの他のイベント・団体に対するイニシアチブは、正しい理念をもった猪木が、その理念へと選手を駆り立てるからやないか。そうやなかったらIGFの意味はないよ。せやけど今回猪木はやってくれたやないか。最早流れとかそんなん関係ないねん、流れゆうのはな、高度なプロレスの問題や。今は現代プロレスの地平において、ようやく地ベタを這いずり回ってる状態や。流れもクソもあるか、どいつもこいつも弓引きナックルで殴り倒したったらええねん。巨人軍団かて流れ以前的な強烈な選手への問いかけやないか。規格外の、予定調和の相手をぶつけたるねん。
小川は猪木の首絞めただけで業界の禁忌を侵したとかゆうて満足してたけど、まだまだ甘すぎるよ。せやけどこの剥き出しの遺恨こそ現代プロレスの真骨頂や。現代プロレスとは競技性と演技性の統合や。演技性とは主観的演技性、お客さんが喜ぶことを想定した自己自身の操作なのやから、これでええねん。分かりやすく言うたらな、近代プロレスはブック、アングル、現代プロレスは自己ブック、自己アングルやねん。まだまだレベル低いし、老人猪木を担ぎだなさあかんのは選手の体たらくや。せやけど今までにないええ雰囲気になってきてるよ。現代プロレスの予感や。
高橋義生、どこが人喰いやねん、飯喰いに来ただけやないか。IGFは総合の落ちこぼれの再就職先とちゃうぞ。現代プロレスではな、競技性とさらに演技性が必要なんやで。天下取る気あるのやったら自己主張せんかい。飯喰いからほんまの人喰いになってみい。
モンターニャは相変わらず最高やな。切れ具合が素晴らしいわ。感情が突出してそれがリアリティーとハプニングを生んでくれる。また単なる天然やのうて、感情と感情の間では結構考えてるような気いするわ。取り敢えずは名勝負製造機といえるやろう。
カートはまだ利用価値あるな。現代プロレスが主流になるまでの客寄せパンダとして機能してもらわんといかん。ブッカーも現代プロレスは無理やろうから、精々かっこよく立ち上がるとかパフォーマンスして、まだまだ粗末なIGFを彩って欲しいわ。
前回のあまりの酷さに落胆してたおっちゃんやけど、猪木も遂に尻に火が付いたのやろうか?最大のピンチは最大のチャンスがおっちゃんの座右の銘なのやけど、IGFも観客減ってお客さんから三行半叩きつけられてようやく始動した感じですわ。今闘魂燃やさんでいつ燃やすねん。流れとか高度なプロレス以前的な、凝り固まった自己を破壊することが先決や。
ほなな。
posted by つるじょあ |22:55 |
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