2008年05月07日

『総合のルーツはプロレスである 前編』

おっちゃんやで~。一般にはプロレスと総合を分けて考えてるのが普通や。せやけどそれはちゃうねん、ほんまはプロレスが発展したもんが総合なんやで。そのことについて説明さしてもらうわ。

プロレスのルーツはランカシャーレスリングにあるて一般的に言われてるけども、これこそ誤謬やとしたら皆は驚くやろか?このことを理解するためには、当時の社会的背景を知る必要があるねん。

【近代スポーツの誕生】
近代以前において政権交代は、暴力の応酬によって行なわれてきた。つまり為政者を倒すことによって倒したもんが成り上がるねん。せやけど生産性が向上してきて暴力の応酬の必要性が失われてくると、その暴力は排除されるようになるねん。これが文明化の過程や。中世では殺しあってた武士も近世では専制君主の下に廷臣として仕えるようになって、近代では遂に暴力の応酬から議論の応酬に置換するように至ったんや。つまり近代の政権交代は、非暴力の応酬ゆう多党による議会制度によって行なわれるようになって、完全に暴力は排除されるようになるねん。せやけど議会制度を反暴力として捉えるとしたらそれは誤ってるねん。なんでかゆうたらこれは国家による暴力の独占であって、一方では法の措定と維持によって、他方では軍隊・警察による暴力に対する暴力によって行なわれる近代国家による暴力の独占に過ぎひんねん。

近代国家による暴力の独占が世界で始めて起こったんは、当時最も進んでたイギリスやった。そのイギリスの支配層であるジェントルマン(地主階級)は都市と田舎の両方に住居を構えてたのやけど、余暇を楽しむために下層階級の競技(ボクシング・クリケットなど)を上級階級に合わせた形で利用することになるねん。こうして元々地域共同体の競技が、地域を越えて広まる嚆矢になったわけや。これがスポーツ(余暇の過ごし方)の起源でな、スポーツの誕生は近代社会と同時的やねん。せやけどこの頃のスポーツは、ジェントルマンが有する特別な存在でしかなかったんや。

【近代スポーツの国内における拡大】
さて、産業ブルジョアジーが勃興しジェントルマンが衰退するようになるとスポーツは変容することになるねん。産業ブルジョアジーが支配層になるとな、スポーツは一部の優雅な楽しみから多数の教育に利用されることになるねん。生徒の自主性や責任、倫理観や人間関係の形成などのため学校教育に盛り込まれるようになってな、こうして学校間の対抗戦が期待されるようになると各々の学校によって異なってたルールが一般化されて、こうして統一ルールのスポーツが生まれることになるねん。こうして人格形成の為に利用されたスポーツは、普遍化していったんや。

【近代スポーツの世界的拡大】
スポーツゆうイギリスの言葉は今日的にも様々な国で使われてるのやけど、これはスポーツの誕生がイギリスが最初でありそれ以前にそれに変わる言葉がなかったことを意味してるねん。つまりスポーツはまずイギリスで始まって、それから世界に広まっていったんやで。ではどないしてイギリスのスポーツは世界に広がることになったのやろうか?

イギリス帝国主義は様々な国を植民地化していくのやけど、このことと近代スポーツが世界的に拡がることは密接な関係があるねん。つまりイギリスの兵士や商人が植民地で現地人とスポーツを楽しんだりするねん。こうしてイギリス国内のスポーツが世界に拡大するわけや。今日的な世界のスポーツのほとんどがイギリスに起源を持ってるのはそのためなんや。かつては不連続性でローカルに閉じてたスポーツが、交通手段の発達と時代の情勢によって連続性になりローカルを飛び越えて世界に伝播することになったんや。

【近代スポーツのエンターテイメント化】
さて、イギリスはアメリカの13州を植民地にして支配するのやけど、この時にイギリスのスポーツがアメリカに伝わることになるねん。せやけどここでスポーツは大きな転換点を迎えることになるねん。これがアメリカナイゼーション(大衆化)や。ジャック・デンプシーやベーブ・ルースは20世紀最初のスポーツの英雄になったのやけど、これはなんでかゆうたらマスメディアの発達があったからでな、東アメリカのマサチューセッツ州でラジオ放送が始まるのやけど、瞬く間に全国に広がって皆がラジオに釘付けにるねん。声によって英雄が目の前にいるかのような臨場感が伝わって、国民規模で支持されるようになったんや。こうしてジャック・デンプシーの試合には、今まではローカルな観衆やったのがボクシングとは無関係な貴婦人やその他幅広い層が集まるようになって、こうしてスポーツは世間を想定したエンターテイメントに変容することに至ったんや。

【格闘技エンターテイメントの誕生】
レスリングも他のスポーツ同様に大衆化を経てエンターテイメントになるねん。これがプロレスなんや。このプロレスは今までの格闘技とは異なるねん。これは前近代の宗教や祭祀でもなければ、パンクラチオンの時には死に至る暴力の応酬でもなければ、ましてや人格形成の為のものでもないねん。そうなんや、格闘技は大衆化を経て新しいものに生まれ変わったんや。つまり格闘技演劇としてや。プロレスのルーツは祭りでもなければパンクラチオンでもないし、ランカシャーレスリングでもないねん。それらの要素は取り入れたとしても、質的には全く異なるねん。全日にかつて上がったアントン・ヘーシンクはプロレスを馬鹿にしてたし、柔道をプロレスの一部とはとても捉えてなかったやろう。そうなんや、建前は総合格闘技のプロレスも、実際は擬似格闘技やったから格闘技の文脈とは異なってるねん。つまりマスメディアの発達によって隆盛した国家規模の格闘技エンターテイメントは、ここで始めて誕生したんや。プロレスのルーツはランカシャーレスリングでもなければ柔道でもなければボクシングでもないねん。メソッドとしてその要素を形式的には取り入れてたけども、格闘技エンターテイメントの歴史はサーカスの見世物からその延長線上のプロレスにはじまったのやで。

次回は格闘エンターテイメントとしてのプロレスが、いかにして総合格闘技になったかを説明するわ。

posted by つるじょあ |16:54 | イノキゲノム | コメント(9) | トラックバック(0)
みんトピに投稿 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加