2008年04月11日

『大仁田によるキンタロー批判の合理性 共同性から間共同性へ、公共性の変遷』

おっちゃんやで~。金村キンタローがセクハラ問題を起こしたのやけど、通常であれば復帰するまでに時間をおくやんか。せやけどキンタローはすぐさま復帰したんや。このことに対して大仁田は早期復帰はプロレス業界の社会性が損なわれるとして批判してた。おっちゃんはこの非難は的を得てるとおもう。

プロレス業界も他の業界同様に、社会の中で存在してる共同体の一つや。それが社会の中で存在し続けるには、当然社会に逆らうことなくやっていかなあかん。今回キンタローの件みたいに社会に逆らうようなことをしても、きちっと修復したらそれは許されるよ。せやけど修復もせんとそれをプロレス業界自体が許容してたら、業界自体の社会性が疑われることになるやろ?これが業界の社会における不信を招いて、衰退していくのは必然のことや。そうゆう意味でキンタローの早期復帰を許してる業界はあかんとおもう。大仁田が批判したのは、おんなじ業界内に身をおくものとしての当然のことなんや。

この批判に対してキンタローは、「引退・復帰を繰り返す大仁田に批判する資格は無い」て反論してるけど、これは2重に間違ってると思う。第一にこれは大仁田からの批判に対する反論やのうて、批判する批判者への人格攻撃へとスライドしてる点や。これやとキンタロー自身の問題は手付かずで温存されることになるやんか。批判者がなんやろうと、問題になってる早期復帰についてきちっと反論すべきやないか?問題を摩り替えたらあかんよ。

第二に大仁田の引退・復帰の反復は業界の社会性を損なうもんやないゆうことですわ。近代社会では物の豊かさの達成ゆう国民的合意に基づいて、国家全体が想像の共同体として成立してた。つまり国家全体が一つの共同体になってて、国民全体の価値観は単一やったんや。このような社会での公共性は共同性とおんなじでな、共同体の利益と社会の利益は一致してたんや。せやけど現代社会では物の豊かさが達成されて国民的合意は解消されることになるねん。なんでかゆうたら、欲望のステージは物質的欲求の充足の後には心的欲求の充足になるのやけど、物質的欲求は合意形成が可能やったけど、心的な欲求は個々に分化して合意できへんから、こうして国家規模の共同体は衰退することになるねん。

では現代社会における公共性は何になるのやろうか?それは間共同性や。価値観が多様化して島宇宙的に小共同体が林立する現代社会ではな、各々の共同体と共同体の間が公共性になるねん。この間とは間共同体的なコミュニケーションのことでな、これは共生する為のルールや想像の領域、すなわち共生の条件を意味するねん。

繰り返しゆうとな、公共性は近代社会においては共同性、現代社会においては共生の条件や。キンタローのセクハラは、現代社会においてはルール違反やから問題になってるねん。相手と話しついたとはいえ一定の冷却期間おかんゆうことは、あんまり反省してないのとちゃうか、ゆうことで社会一般にプロレス業界の社会性を疑問視されることになるねん。こんな事件続いてマスコミにまとめて非難されてみい、ただでさえ低迷してる業界は悪の色眼鏡で見られることになるのやで。せやけど大仁田の引退・復帰の反復はどうやろか?

近代社会では一度社会的に表明した以上は、それを反故にすると無責任として批判を浴びることになるねん。道徳違反者として負のレッテルを貼られるわけや。せやけど現代社会においてはどうやろ?社会の流動性は高まってるから、気が変わって表明したことを覆すのは日常茶飯事になってるやないか。それが社会の自意識である以上は、表明覆すことがなんで社会性を損なうことになるのやろうか?事実大仁田は社会的に信用落として村八分に合うてるか?堂々と議員になって信頼されてたやないか。大仁田によるキンタロー批判は、現代社会の公共性を損なってるキンタローへの合理的な批判やけど、キンタローによる大仁田批判は、近代社会の公共性は損なってるけども現代社会の公共性は損なってへんから、時代遅れの的外れな批判なんや。

このようにキンタローによる大仁田への反論は2重の意味で誤ってるねん。公共性からの逸脱行為が業界の不信を招く以上は、大仁田が業界の重鎮としてキンタローを批判するのは当たり前のことやと思う。

ついでに折原についてもゆうとくわ。キンタローは冷却期間おかんと敢えて出場することで恥をかけ、とかゆうてたけどこれは3つの意味でめちゃくちゃやとおもう。第一に冷却期間おかんから社会的に無反省ととられるし、第二に恥じさらすゆうてもローカルなインディープロレスで身内ばっかりやから恥でもなんでもないし、第三に就職やめて参戦するのやから給料はもらえるのやろ?罰でもなんでもないがな。折原が仲間思いなのはわかるけどな、仲間が悪さしたらきちっと責任とらせなあかんで。

ほなな。

posted by つるじょあ |15:31 | イノキゲノム | コメント(11) | トラックバック(0)
みんトピに投稿 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

2008年04月11日

『藤のあどけなさに見る可能性 五味・KIDは大きな子供 体内へと回帰するんや!』

おっちゃんやで~。最近忙しゅうて更新できんとすみません。

K-1MAXみたか?まあまあやったな。せやけどまだまだ演技性が足らんな。乱入どころかマイクアピールすらあらへん。煽りVだけに頼ってたらあかんよ。戦い自体は熱戦やったけど、イベントとしては小さくまとまった感じやなあ。そんな中おもろかったのが、HIROYAvs藤や。おっちゃんは藤は名前だけ知ってただけやったから、実物楽しみにしてたのやけど、まだまだ子供やないか。名前も暴走族みたいやから、イケイケかとおもてたらええ子や。体はできあがってへんし、技も前蹴りだけ、あのパンチは相手を倒せるパンチやないよ。せやけど、彼には注目すべき所があったんや。

藤は感情がそのままでるねん。皆もそうやったと思うけど、子供はすぐ怒ったり泣いたりするやんか。飾らんと、喜怒哀楽を表出する藤は、それゆえに個性的になっていくし、剥き出しの自己ゆうリアリティーがあるねん。あの煽りVで「絶対負けません!」てマイクアピールしてた藤は、まさしく自意識そのままやった。

谷川は藤にはスター性がある、てゆうてたやんか。あれは合うてるよ。趣味も遊びもせえへんてゆうてたけど、藤は努力による自己実現によって自由になっていくことが快楽やねん。ああゆう奴は伸びるよ。少しずつ己の枠を打ち破っていって自信つけて英雄めざしたらええねん。

大人になったら感情押し殺してかっこつけるやんか。それが大人になることやし、凡人はそれでええねん。せやけど英雄は感情そのままで喜怒哀楽を表出していくねん。猪木、亀田、清原、五味みてたらわかるやんか、子供みたいに楽しそうにしてるやろ?変にかっこつけんでもええねん、大人になるな、赤子になれ!

ほなな。

posted by つるじょあ |14:41 | イノキゲノム | コメント(11) | トラックバック(0)
みんトピに投稿 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加