2007年11月05日
【アノミー的自殺とはなにか? 安田に見る近代的病 現代的実存形式の薦め】
おっちゃんやで~。安田が自殺未遂してその身が案じられてたのやけど、また復帰でけるそうや。よろしおましたなあ。猪木もほっとしたやろうな。せやけどなんで安田は自殺を選んだのやろうか?そして娘にしかられたのが一番堪えたのはなんでやろうか?そもそもなんでいま自殺数が多いのやろうか?それらの難問疑問をおっちゃんが最新の社会科学を交えて理論的に明らかにしまっせ。 アノミー概念の発見者デュルケームは、自殺論においてアノミー的自殺を提唱しはった。アノミーゆうのは無規範状態のことでな、今まで依拠してた規範が失われることによって起こる不安定な状態のことをさすねん。今まで自尊心を獲得してた所属先が失われることによって自殺する、これをアノミー的自殺ゆうんや。それは離婚によって家庭を失うことや、会社を解雇され職を失うことや、友人らから見捨てられることなどによって起こるねん。これらに共通することはソリダリテ(連帯)に見放されることによって行動の前提となる尊厳のベースが失われたゆうことですわ。安田も家族に所属して父親であることで自尊心を獲得し幸福を感じてたのやないやろうか。 かつて阪神・淡路大震災があった。そこで瓦礫の中から中年男性が助けられたのやけど、妻と子を失ってもうた。そこでアナウンサーが聞いたんや。「今何がしたいですか?」て。それに対して中年男性の答えはこうや。「結婚がしたい」これはなんでか分かるやろうか?今妻や子に死なれたのやから通常はやや期間を待って霊を慰めてから次の人生を模索していくのが普通やけど、彼は家庭によって自尊心を獲得してる、換言したら父親役割によって自尊心を獲得して生きてるから、家庭がなかったら行動前提となる尊厳のベースが失われアノミー状態に陥って不安で死にそうやなんや。そやから一刻も早く代替的な家庭が築きたいわけや。 関西は今でも共同体が根強く残ってる。共同体は近代社会ではよかったのやけど、現代においてはその役割を終えて次々と縮小していってるのにいまだ共同体に拘るのは、尊厳のベースを己やのうて外部のソリダリテに求めてる証拠なんや。別な見方したら裸の個人になったら弱弱しい脆弱な実存しかもってないゆうことですわ。関西人は世界一弱い弱者やとおっちゃんはおもてます。共同体社会では競争力は身に付かんから、関西の経済は閉塞したまんま、テレビ番組見てもいまだに東京人と比較したり新喜劇で共同体的演劇を見せることによって大阪人的アイデンティティーを頒布してる。虎キチもそうや、無差別的な虎への愛は、逆にゆうたら地域社会にすがりつく弱者の哀れな姿なんや。虎潰す、新喜劇潰す、ゆうたら皆泣きよるで。行動前提が失われてからっぽの裸になってアノミー状態に陥ってしまうからな。 ビニールの刀で切られると大阪人は「やられた~!」とかゆうて10人が10人倒れるねん。これを個性的ゆうてるやついてるけどほんまにそうなのやろうか?ちゃうねん、東京で斬りつけてみい、「やられた~!」ておどけるもんもいてるやろうけど、無視してスタスタいったり、怒り出したり、様々な反応が見られるやろう。この東京人こそ個性的なのとちゃうか?皆が皆一様におどけるのは行動前提が自己やのうて共同体であることを示してるのであり、個性的ゆうよりはステレオタイプの行動をするロボット人間であることを意味するねん。どこを切っても金太郎飴なわけや。また大阪人は大阪から外へ出ても大阪弁使こてるから強い、とかゆうてるやつもいてるけどそやないねん、逆や、頼るもんが己やのうて外部の共同体しかないからその行動前提にすがるしかないねん。そいつから大阪人らしさ奪ってみい、大阪帰りたいゆうて泣き出すよ。 尊厳観にも枢軸国的尊厳観と連合国的尊厳観がある。思想的に確立されたのは前者はスメルサーの統合理論、後者はミルの自由論がピークや。それでな、この違いは前者が依存的尊厳観であり後者が自立的尊厳観であることなんや。近代社会では皆が一丸となって労働していかなあかんから前者が選択されるのやけど、価値観が多様化する現代社会では後者が選択されるようになる。そやから年配者における自殺者数増加は、近代から現代への過渡期における近代的実存形式を惰性で採ってきてるもんがソリダリテからみ放されてアノミー状態に陥ってのことなんや。骨身を惜しんで会社に尽くしてきたのに捨てられて恐れおののいて自殺する。安田も家族から見放されて寂しかったのやろうな。娘が説教してくれて嬉しかったやろうなあ。 アントニオ猪木みてみい、あいつは自立的尊厳観の権化みたいな人や。新日、アントン・ハイセル、国会議員、UFO、猪木事務所、IGF、次々と起こしては平気で捨てられる。猪木はソリダリテからみ放されても平気やからな、なんでかゆうたら尊厳を己においてるからや。IGF潰れてもまたンムフフ言いながら次の事業手がけるやろう。価値観が多様化してソーシャルモビリティー(社会の流動性)の高い現代、企業生命は短いし終身雇用制も衰退し、離婚率も上昇してる以上、ソリダリテに依拠した近代的実存形式では時代の恩恵を受けいられにくい、そうゆうことですわ。 これからは安田でも落合でもなく猪木や新庄なんや、アントニオ猪木の現代的実存形式こそ時代に即してるといえるやろう。近代から現代へ、人間もプロレスも野球も変わっていかんと時代に取り残されてしまうで。 ほな。
posted by つるじょあ |14:14 |
イノキゲノム |
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