2007年10月06日

【ざまあみろ、PRIDE! 前田日明、猪木を超えられなかった男 猪木から猪木へ、格闘技の発展】

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おっちゃんやで~。今回は現代プロレス論やる言いながら話しそれてすみません。せやけどこのことを喝破でけるのは、スポナビではおっちゃんだけやから言わしてもらうわ。 前田はPRIDEの崩壊を受けて「ざまあみろ、PRIDE!」てはき捨てた。そこで老子の言葉を引用して自業自得、悪は滅ぶみたいなことゆうてた。なんで前田はPRIDEにこない怨恨感情もってるかゆうと、実はかつて前田が起こした格闘技団体RINGSが当時台頭してきたPRIDEに選手引きぬかれて打撃を受けたからですわ。ノゲイラ・ヒョードル・アイブル、まさしく強さの象徴が引き抜かれたわけです。ほどなくRINGSは崩壊して前田は格闘技界から一時的に消えることになった。この恨みが「ざまあみろ」に繋がったわけですわ。せやけどそれは正当な物言いなのやろうか。 RINGSは団体経営方式を採用してて、選手を所属させてゆうたら暖か共同体の団体やった。それに対してPRIDEは興行経営方式を採用してて、選手を所属させずにイベントごとに契約させる、ゆうたらPRIDEはイベント名であって団体やなかったわけや。ではこのどちらの経営方式が現代に即してるのやろうか。 まず新規社員を純粋培養で育てていくやり方は、現代には即しません。なんでかゆうたら、価値観の単一な近代社会では会社に入れば終身雇用で最後まで勤め上げることができたのやけど、多様な価値観のある現代社会では流動性の高い産業構造の元いつ辞めるかわかれへんから、最初に育てるコストが還元されんようになってしまうからや。 またアイディア勝負の高付加価値製品やサービスを生み出す労働市場では能力主義社会やから所属本位でやってると対応ができません。簡単にゆうたら所属することで会社がおんぶしてたら能力が向上せんと国際競争力が身に付かない、そうゆうことですわ。 このように近代社会は重電産業重視の時代であり、現代社会は情報産業重視の時代や。そやから終身雇用や年功序列の給与体系などの所属本位の近代的経営方式である団体経営は現代には即さないのであり、団体経営のRINGSが興行経営のPRIDEに負けるのは歴史的必然やったわけですわ。 前田は悪は滅びるみたいなことをゆうてたけど、PRIDEは現代に即した経営方式を採用してたし、RINGSが敗北したのは選手に対してよりよい環境をもたらせなんだからで、経営方針が誤ってたからやないか。選手を束縛し、年功序列に組み込み、選手の福利厚生でコストかけてたからやないか。PRIDEは選手を束縛するのは一定期間であり、能力に合わせた賃金が支払われ、選手を抱えこまへんからコストがかからなんだ。それにPRIDEの崩壊はネガティブな勢力との付き合いが疑われたからで経営方式とは無関係や。前田はその認識が甘いと思う。また引抜が汚いとかゆう儒教的共同体的な道徳的逸脱者に対する非難は彼自身がまだ近代的な価値観から抜け出していない証拠や。第2次RINGS立ち上げを考えてるようやけど、第一次RINGSの崩壊をPRIDEの汚さのせいにしてたら再び失敗することになるやろうな。前田は人間的には素晴らしいけども、経営者としては落第でっせ。 そうゆう意味で前田は猪木よりも馬場に近い。馬場が生きてても既存のプロレスと似たようなことしてたやろう。現役引退後の生活の保障とか福利厚生とか近代性を引きずって選手背負ってコストはかさむは選手も甘やかされて競争力も身に付かんわ既得権益であるマニア相手にするだけで既存のプロレスそのままですわ。これを格闘技界でやってるのが前田な訳や。そこ行くと猪木は違う。事業立ち上げてもやり飛ばし、新日もあっさりと捨てるし企業への忠誠心は0や。これこそ流動性の高い現代社会に即した実存形式といえるやろう。前田が今の哲学を捨てんかぎりは現代プロレスはでけへんから、彼が天下とることは論理的にないよ。 プロレスは力道山から猪木、そして猪木から前田や三沢や蝶野やのうて、また猪木へと受け継がれる。近代から現代へ、猪木から猪木へ。 次回は現代プロレスとは何かを説明しまっせ! <安田自殺未遂について> 最後に安田自殺未遂やけど、ほんまに残念やなあ。前目の前で元気にやってたやんか。詳細わからんからなんやけど、あれでも繊細な男やから人知れず苦しんでたのかもしれん。借金なんて人間同士の取り決めやんか、お師匠さんみたいに人生楽しむため利用したったらええのに。ゆうてたやんか、「安田、借金はいいぞ、人生に張りが出る」て(笑点)。中田ボタンもゆうてたで(どうでもええけど)。皆も紙ぺらごときの奴隷になったらあかんで。また不謹慎なことゆうと、現代プロレスは人生の交錯や、これをこのままリング上で昇華するようにもってったらええと思う。これこそ人生のリアル、現代プロレスの演技性は既存のプロレスの客観的演技性やのうて主観的演技性なんや。ほんまの等身大の自己を利用して表現したらええねん。


posted by つるじょあ |14:31 | イノキゲノム | コメント(68) | トラックバック(0)
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