2008年05月13日
おっちゃんやで~。
端的に亀田を称賛したり非難したりする一般的観衆は、亀田の手の平で踊らされてることに無自覚な無垢なお客さんやからそれはええとして、ここで指摘したいのは価値観から離れて冷静に亀田の優秀さを認めてる人間による、現所属ジムからの離脱を肯定する意見や。
類稀なる資質を持った現代の英雄亀田家が所属ジムによって押さえつけられてたのは事実や。せやけど離脱したからゆうて、野に放たれた虎がまた咆哮するかとおもてたらそれは楽観的やと思う。なんでかゆうたら彼らを押さえつけてるのはジムを越えた協会やからや。
クラブ制度によって肥大化した権限を確保してる協会は、その体制の維持の為にそれを脅かす関係者をその権限で自由に取り除いてしまうねん。こうしてジム所属の強制による選手の拘束と、選手の移籍における高額な移籍金の発生による移籍の困難さと、多額の加盟料による新規ジムの加盟への敷居の高さと、ジムの会長職を世襲制にすることによる純血主義によって、新陳代謝を回避するねん。
近代社会の世間ゆう幻想の価値観を引き合いに出して、選手個々人の伸ばすべき個性を押さえつけ没個性的な選手を量産していく協会。その結果チャンピオンがこれだけそろってるにも拘らず絶望的な不人気や。以上を踏まえるとほんまに現所属ジムから離脱したからゆうて、それでええとおもうか?
繰り返しゆうとな、亀田の態度に対して価値観に基づいて批判してる人間におっちゃんは話しかけてるのとちゃうねん、それは大事なお客さんやからそれでええねん。怒ったり時には感心したりして一喜一憂してるから銭おとしてくれるねん。そういった価値観から離れて客観的に亀田のジム離脱を肯定してる人間におっちゃんは話しかけてるのやで。
世間は各々の共同体によって理由は異なるけども、亀田のパフォーマンスを求めてるねん。そやからあれだけ世間を巻き込んで注目浴びたんや。世間は今競技自体やのうて、それを意味づけする関係性、すなわち演技性を求めてるねん。亀田家の自己演出は、近代の古くさい共同体の論理を越えて諸共同体を横断してたんや。
新ジムに移籍しても体制は温存されてるから亀田の苦戦は続くよ。これからも結果的にはボクシング上昇のために体制打破の問題提起をしていくことになるのやろうけど、そない社会闘争にコストかけんと自由に表現して欲しかったなあ。おっちゃんはかつてゆうた、敵は三方にあり、それは対戦相手と世間とそして体制や。
ほなな。
posted by つるじょあ |14:28 |
その他 |
コメント(16) |
トラックバック(0)
2008年04月28日
おっちゃんやで~。
おっちゃんの頃は50銭はなかったのやけど、一番上の兄貴の頃は50銭がギリギリあってな、つまり50銭ゆうのは1円の半分や。1円50銭で芋買うたりするねん。小銭ゆうたらおっちゃんなんかはよう親の財布から銭掠め取ったもんや。コツとしては一度にようけとったらあかんねん、バレん程度に少しずつ取るのが極意や(笑点)。
沖識名はレフェリーでな、最後にはいっつもシャツ破られるねん。凶器隠してるの明らかやのにそれに気付かん振りして観客をやきもきさすねん。ドリフターズ志村の「後ろ後ろ」みたいなもんや(笑点)。昔のプロレスは個々人の自己演出とちゃうから、レフェリーも演出に一役買うことになるねん。そうゆう意味では沖識名は見た目はパッとせえへんかったけども、選手に脚光与えて観客を喜ばせた名脇役といえるのやないかな。
悪戯でゆうたらあとは余所様の荷台から果物盗んだりもしたなあ。おっちゃんは見られてへんのやけど、そんな悪戯する奴は決まってるやんか(笑点)。それでバレて叱られてなあ、おかんは鍬持って追いかけてくるねん。あれは恐怖体験やったで。アンビリバボーに投稿したろか?(笑点)
下駄の芳の里、剛毛マンモス、強かったオルテガ、ヤスリで歯を研ぐブラッシー、頭突きの大木、耳そぎ魔キラー・コワルスキー、鉄の爪エリック・・・。昭和の思い出は尽きることは無いけど、おっちゃんは思い出に浸るのは嫌やねん。常に最先端で居続けることこそ楽しく感じるねん。昭和は終わったんや、おっちゃんは先いくで。思いは近代プロレスから現代プロレスへ!
追記:ブログ見てると昭和のプロレスと銘打つ記述が散見されるのやけど、その割には力道山に言及がないのはなんでやろか?力道山、芳の里、ブラジル、木村政彦抜きにしてどないして昭和のプロレス語るねん。ブッチャーとかブロディとかホーガンで昭和を代表されることは、おっちゃんの世代からしたらそれは誤りであり侮辱なんや。欧米のみで世界一の美女決めたら不愉快やろ?世界一の看板は立派やけど内容に偽りありやんか。昭和プロレス第二期とか、個人的昭和プロレス論として語って欲しいなあ。
ほなな。
posted by つるじょあ |15:34 |
その他 |
コメント(1) |
トラックバック(0)
2008年04月24日
昭和の語り部、おっちゃんやで~(笑点)。
夏になると昔はよう川へ鮎をとらまえに行ったもんや。とらまえるゆうても釣りちゃうで、ひっかけゆうて直接鮎をひっかけてとるねん。兄貴は鮎採り名人でな、それで地元の新聞にも載ったことあるねん。おっちゃんか?喰う専門や(氷点)。
グレート東郷は昭和最高の悪役やと思う。ブラッシーの流血試合でそれ見た老人がショックで死んだのは有名やけど、その相手はグレート東郷やったんや。あいつはいかれてるのかプロフェッショナルなのかわからへんけど、とにかく凄まじかった。自らの頭をビール瓶で叩いて流血して血い飛ばすねん。いかれてるやろ?外人レスラーも気味悪がってた。あいつに比べたら馬之助の悪行も万引き程度やで(笑点)。天山も競技性と演技性の統合が無理やったら、グレート東郷目指したらええねん。直接性は流血でも表現できるねん、最近は映画でも漫画でも残酷ショー多いやんか。直接性求めてる証拠や。レベル低なるけども絶対需要はあるよ。
鮎採り名人の兄貴やったけど、ある日川底で発見されてなあ。水が綺麗やから岸から死体が見えんねん。他の兄貴もはしかで死んだり盲腸で死んだり妹もおぼれかけたことあったなあ。昔はそんなもんやったんやで。ようおぼれてるもん助けに行って一緒に死ぬ事あるやろ?あれは危険やねん、死にそうなもんは助かりたい一心でおもいきり掴むからな、それで身動きとれんようになって一緒におぼれてしまうねん。おっちゃんは妹おぼれた時棒差し出して助けたんや。半世紀近く立ってるのに未だに感謝されるねん。関係ないけど妹でかいねん、1m73cmは当時としてはかなりの大型でな、7人キョウダイ(の生き残った4人)の中で一番大きなったのやけどなんでやろ?未だに違和感あるわ(笑点)。
次回最終回は沖識名や。思い出語るのはおっちゃん興味ないから、次回で終わりにさしてもらうで。
posted by つるじょあ |17:20 |
その他 |
コメント(0) |
トラックバック(0)
2008年04月23日
おっちゃんやで~。大発表するてゆうてたけど、諸般の事情で延期さしてもらうわ。発表のために力点おいてると、ブログが更新でけへんから平行してやることにしたわ。その内発表するからもう少し待っててや。
たまにスポナビでも昭和プロレスについて言及されることあるのやけど、クリックしてみておっちゃんなんかは落胆することもあるねん。なんでかゆうたら昭和プロレスにしては新しすぎるからや。ブッチャー、藤波、長州、アニマル、アンドレ、ベイダー、タイガー、ブロディ、マスカラス、確かに昭和の名プロレスラーや。せやけどそれだけが昭和プロレスやないねん。
おっちゃんの実家は五右衛門風呂でな、よう兄貴と入ったもんや。五右衛門風呂ゆうのは薪くべて風呂の底に板敷いて入る、昔の風呂のことでな、ガキの頃は風呂に入る際に兄貴と一緒に両手を交差さして脇の下で「カポーン、カポーン」て鳴らしてたもんや。これは昭和のプロレスラー豊登の真似でな、それこそ日本中の少年が真似したもんや。
豊登は大相撲出身のプロレスラーで、小兵やけど怪力のレスラーやった。試合も終わりのほうになると、豊登が「カポーン、カポーン」て脇鳴らすねん。すると外人レスラーが脅え出すのが定番やった。おっちゃんらはそれ真似して「カポーン、カポーン」してたんや。
去年20年ぶりに実家に帰ったのやけど、さすがに五右衛門風呂はなくなってたけど便所は相変わらずボットンやった。おかん写真に撮ったろおもてカメラ向けたら、「また今度でええ」てゆうてたけど、あんたいつ死ぬかわかれへんから撮影するのやで、息子の真意汲み取ってくれや(笑点)。それにしても近隣の住民はことごとく死んでたなあ。おっちゃんの好きやったあの子は医者のエリートのとこ嫁に行ったのやけど、幸せやったのやろか?
芳の里、グレート東郷、ブラッシー、オルテガ、マンモス鈴木・・・めくるめく昭和の熱い思い出が今甦る!(笑点)
次回はグレート東郷や。
posted by つるじょあ |06:15 |
その他 |
コメント(4) |
トラックバック(0)
2008年03月25日
おっちゃんやで~。
興毅が復帰戦で勝利を飾って、これで俄然内藤との一戦に注目が集まってる。一時は落ち込んだ感のある興毅やけど、これで再び世間を巻き込んで、盛り返す時や。せやけど、その為には敵が三方に立ちふさがるねん。
現代格闘エンターテイメントにおける敵は、通常は2つだけや。つまり競技性における対戦相手と、演技性における世間や。この両者を上回って、初めて英雄になれるねん。せやけど亀田にはもう一方敵がおるねん。
亀田には三方に敵が存在してて、一方の内藤は競技性で上回らなあかんし、他方の世間は演技性でひきつけなあかん。せやけどこの演技性が厄介でな、近代では共同体は単一やったけど、現代社会では小さな共同体が複数存在してるから、複数の共同体にアピールしていかなあかんねん。それでな、共同体によって価値観は異なるから、それらを振り向かせるためのアピールは旧来の単一の共同体の価値観を逸脱するような、問題行動を取りがちや。そうやないと関心惹くことはでけへんねん。そこで登場する新たな敵がボクシング協会や。
ボクシング協会は亀田家の現代的アピールをことごとく否定してきたやんか。最近では大毅の内藤への投げや、車はぶつけるもの発言に対してそれらを否定してる。これはなんでかゆうたらな、協会は未だに旧来の近代的共同体の体制やってるからや。問題行動・発言によって諸共同体にアピールして世間の注目を集めようとしてるのに、逆にそれを封じ込めようとしてるねん。
ボクシング協会は亀田家が問題行動起こすたびに、世間を引き合いに出して、世間が許さないと謝罪さしたり厳罰与えたりするのやけど、ほんまに世間全体は亀田を追放したいほど毛嫌いしてるのやろうか?追放したのやったらなんで今でもワイドショーで取り上げられるねん。それは世間が注目してるからであり、物議を醸しつつも彼らの態度が現代社会の自意識で社会の許容範囲であることをマスコミもわかってるからや。近代的な共同体の価値観を逸脱してても共生の条件さえ守ってたら、許されるねん。興毅が会見で世間に対して謝ってても、なんで謝ってるかわからんかったやんか。昔と違うねん、時代は変わったんや。
ボクシング協会は近代的体制で銭儲けしてるから、体制の現代化によって既得権益を失うねん。そやからありもせん近代性に拘泥するねん。世間が許さんのやのうて、協会が許さへんねん。それにしてもこの敵は難儀やで。なんでかゆうたらな、これは世間との価値観と対立するからや。世間巻き込むと協会は憤激するし、協会に迎合すると世間はそっぽ向くねん。自己演出のない真面目な亀田家なんて誰が注目するねんな。
ただ、協会が近代的体制を把持すればするほど、長谷川・内藤・坂田・新井田・イーグルみたいな無個性・不人気な選手を量産して既得権益が失われていくから、亀田流が注目されればされるほどに権威が失われていくことになるやろう。時代はいずれは移り変わっていくねん。ただでさえ大変な2者との戦いに、協会まで参戦して大変やけど、興毅よ、見事3人をノックアウトしてくれ!世間は対戦相手は内藤だけやと思ってるけど、おっちゃんは対戦相手の三義性を見抜いてるで。
ほなな。
posted by つるじょあ |15:27 |
その他 |
トラックバック(0)
2008年03月19日
おっちゃんやで~。
川尻とマッハと石田がチーム茨城とか訳分からんことゆうてるやんか。あの時点でおっちゃんは彼らの限界を感じたもんや。なんやねん茨城て。最初から自らに枠課してどないするねんな。またあえてコミットして物語り紡ぐためにチーム名名乗るのもええけど、茨城でどんな物語広がるねん。チーム栃木との対抗戦か?世間の誰が振り向くねん。
ええか、チーム茨城を名乗るのは、自ら井戸の中に飛び込むことや。そない小さな枠にとどめて、弱いもん同士で練習してどないすんねんな。ただでさえ弱いのやから、世界へ出て実力見につけるべきやろ。川尻vsマンバ戦みたか?セオリー通りのテイクダウン後決めにかかってるやんか。マンバは噛ませ犬で川尻の踏み台やのに、ええとこなしで逆に噛まれてるやんか。今は総合も成熟して打撃を制するものが総合を制すねん。かつてのPRIDEのトップみてみい、ヒョードル、ミルコ、ノゲイラ、ジョシュ、ハリトーノフ、シウバ、ショーグン、皆打撃巧者やんか。寝技を無視してるのとちゃうで、せやけどそれは副次的なもんや。自ら井戸に飛び込んでまうから発想も縮こまってしまうねん。藤田も未だにタックル厨やから取り残されてるやんか。そんな時代やないねん。
チームジャパンはええよ、ナショナリズム利用した物語が紡げるやんか。ほんまに日本人であることに誇りもってたらあかんけど、高度に嘘ついて日本人として振舞ったらええねん。せやけど茨城はないやろ。おんなじ出身地同士で集まってほっとするのやろうか?井戸の中におっても成長はないねん、大海の荒波にもまれてはじめて強くなれるねん。井戸から這い出せよ、川尻!よう知らん人やけど(笑点)。
ほなな。
posted by つるじょあ |14:23 |
その他 |
トラックバック(0)
2008年03月16日
おっちゃんやで~。
今回は、ボクシング・総合格闘技の段階性を説明するわ。スポーツにも大きく分けて4種類あるねん。これは物タイプと記録タイプと素手タイプと鑑賞タイプや。
【素手タイプの段階】
素手タイプゆうのは、直接選手同士があるルール下において物による媒介をせんと素手で勝利条件を充たす競技のことや。選手は勝利を目指してルールの範囲内で戦うことになるのやけど、これに該当するのが例えばボクシングであり、総合格闘技なんや。せやけど素手タイプだけでは格闘エンターテイメントを説明するのには無理があるねん。そこで次の段階や。
【鑑賞タイプの段階】
鑑賞タイプゆうのは、間接的に選手同士があるルール下において勝利条件を充たす競技のことや。選手は勝利目指してルールの範囲内で表現して第三者が優劣を判断することになるのやけど、これに該当するのがフィギュアスケートであり、新体操や。せやけどこの鑑賞タイプが素手タイプの競技と関連することもあるねん。
【ボクシング・総合格闘技の2重性】
素手タイプにおいて選手がお互いに勝利を目指して戦うのやけど、これは時間が設けられてるのが大半や。つまり時間内で決着が付かんかった場合は、判定決着になるねん。この判定決着は審査員が優劣を判断するのやから、これは鑑賞タイプであることがお分かりいただけると思う。直接対決が不可能であるフィギュアや新体操やからこそ採用してた鑑賞タイプを、時間的都合で決着つけるために、直接対決可能なボクシングや総合が採用してることを意味するねん。ここに総合ルールにおいて、素手タイプと鑑賞タイプのルールの2重性が明らかになるねん。
【素手タイプの優位性】
ルールの2重性てゆうても、これは階層性があるねん。つまりその優位性は素手タイプにあることや。試合全体で見たら一方が圧倒してたとしても、素手タイプのルール下における勝利条件を他方が充たしてたとしたら、一方は敗北することになるやろう。そうゆう意味で、優位性は素手タイプにあるねん。鑑賞タイプとしての競技性は、時間的都合によって後付けられた格闘エンターテイメントを補完する、より低次な段階のルールといえるやろう。
【選手への2重拘束】
繰り返すとな、ボクシング・総合格闘技のルールには2重性があって、一方は素手タイプのルールで他方が鑑賞タイプのルールや。そして一方のルールが他方のルールよりも優位であり、よって2段階で構成されてるねん。ではこのことは、選手らに対してどの様な影響を与えるのやろうか?素手タイプで勝利条件を充たすことと、鑑賞タイプで勝利条件を充たすことは必ずしも一致せえへんねん。例えばやり過ごして相手の隙を見計らって勝利を目指す者は、素手タイプの勝利条件を目指してるのやけど、鑑賞タイプの勝利からは遠ざかることになるねん。。グレイシーが判定決着を拒絶してたのはな、彼らの闘争スタイルが素手タイプの勝利条件を充たすことに力点を置いてるからや。ホイスが桜庭との戦いで時間無制限を要求したのはそうゆうことやったんや。また、逆に素手タイプの優位性はあるけども、鑑賞タイプのルールを意識して戦うことも可能や。つまり素手タイプの勝利条件を充たすことをせんと、積極性を表現したり、現時点で判定で有利やと思ったら残り時間は深入りせんと、鑑賞ルールでの勝利条件を充たそうとするねん。素手タイプのルールの優位性があるから、鑑賞タイプのルールを無視することは可能やけど、そやからゆうて鑑賞タイプのルールも勝利条件として採用される以上は、大半の選手が意識することになるやろう。こうして、ここに選手に対する2重拘束が明らかになるねん。つまり素手タイプのルールと鑑賞タイプのルールによる2重拘束や。選手は試合の最中で、素手タイプのルールによる勝利条件を充たすことに加えて、素手タイプよりもやや優先順位は下がるけども、鑑賞タイプでのルールによる勝利条件を充たすことも意識せなあかんねん。
さて、以上を踏まえた上で、次回は一見無関係に見えるハッスルの可能性について説明するわ。フォフォフォフォフォ~~~~!
ほなな。
posted by つるじょあ |16:00 |
その他 |
トラックバック(0)
2008年03月14日
おっちゃんやで~。
【近代教育が生み出した透明な存在】
かつて社会を震撼さした事件があった。酒鬼薔薇聖斗事件や。あれは絶対に許されへん事件やし、酒鬼薔薇自体に厳罰を与えるのは当たり前のことや。せやけど、責任を加害者のみ追求するのやのうて、彼を育んだその社会も考えていかなあかんのとちゃうか?そうやないとおんなじ様な事件が再生産されることにやんか。酒鬼薔薇の態度に同世代の少年少女らが一定の共感を感じた以上、これは犯罪の一般的原因、社会的文脈を読み取った上で解決されるべき問題なんやで。
酒鬼薔薇事件は、忌むべき事実ではあったけど同世代の少年少女らに一定の共感を与えたのも事実や。その共感を与えたキーワードの一つが「透明な存在」や。これは社会の圧力によって、自分らしくできん存在のことを言うねん。つまりほんまの自己を貫いて自分らしく生きようとしても、それを周囲が圧力かけて邪魔するねん。社会のために滅私奉公して透明な存在と化したものは、何のために生きてるのやろうか?
近代社会では滅私奉公でよかったよ。物の豊かさを実現する為に頑張ってたらよかったんや。幸せが単一で物の豊かさこそが幸せやった時代では、滅私奉公でええねん。せやけど物の豊かさが実現されて、幸せが個々人に分化した現代社会において、社会に盲目的に奉仕することに何の意味があるのやろうか?日本の教育は、先進諸国では唯一近代的教育、すなわち画一的な詰め込み教育を未だ行なってる。滅私奉公してた社会の教育方法そのままやから、当然従順な労働者を生み出すような自我を押さえつけるような教育になるねん。学級崩壊がなんでおこるかゆうたらな、透明化への抵抗として起こってるねん。当たり前や、意味の無い画一的な詰め込み教育が延々と続くねんで。そら子供らも苦痛や、おもろないがな。暴れたり不登校になるのは当たり前のことやないか。
ゆとり教育ってあったやんか。これが登場したときにおっちゃんは、この出現の理由と将来の失敗を理解してたよ。つまりこうゆうことや、近代的な画一的詰め込み教育は、近代社会では物の豊かさを達成するためには有効やった。物の生産と幸せは一致してたし、無限の社会の発展が懐かれた時代やから、詰め込み教育で辛くても将来が約束されてるから皆我慢できたんや。せやけど今はどうやろうか?無限の社会の発展なんてないし、我慢しても将来は約束されてないし、滅私奉公してもええことなんてなんにもないがな。そやから生徒らにはいらいらが募るねん。意味のある苦役から無意味な苦役へと変わったんや。そこで登場したのがゆとり教育や。このいらいらを解消すべく、その我慢する度合いを減らすために学習量を軽減したわけですわ。せやけどそれでええのやろうか?
単に負担軽くしても、その余暇になにしたらええのかわからんようになってしまうやんか。他の先進諸国見てみい、自らがやりたいことを選択できる選択的授業制度を採用してるねん。自己責任で自分らしくやって、それで社会的にも人材が育って国際競争力が養われていくねん。現代日本において、現行の近代教育が生み出したのは、頭でっかちの無個性な人間や。せやけどゆとり教育では、それ以下の頭でっかちでもない単なる無個性な人間を生み出したことになるねん。ただでさえあかん近代的劣等生が、さらに骨抜きにされたのがゆとり世代なんやで。無教養として馬鹿にされるのは、残念ながら正しいといわざるをえんやろう。
こうして透明な存在が跋扈して、そのストレスからある者は暴れて、ある者はいじめをやったりするねん。都会はまだ娯楽施設があるからいじめは少ないけども、田舎は悲惨でっせ。遊ぶもんないからいじめがレジャーになるねん。このようにな、近代的な一斉授業制度から現代的な選択的授業制度に変遷するのは歴史的必然ですわ。ゆとり教育はそれまでの試行錯誤における一つに失敗と位置づけられるやろう。近代格闘技も現代格闘技に変遷せなあかんし、これはボクシングにもいえることやねん。
【近代ボクシング協会が生み出す透明な選手】
近代教育制度同様に、近代ボクシング協会も透明な存在を生み出してるのとちゃうか?これからは自己責任で自分らしくやって、結果として他のエンタメに対する競争力が養われていくのに、画一的な指導を行なってるから選手の個性がいつまでたっても育たへんねん。画一的なマナー守れやて?近代的共同体は衰退してるのにマナーなんてノスタルジックな思い出でしかないよ。マナーの遵守を唱えることによって守れるのはな、それは現実の社会やないねん、古くさい昭和のおっさんの思い出だけやろ。
亀田兄弟は近代的共同体ゆう思い出の共同体に捉われることなく、現実に即した表現をしていってる。せやけど協会側は近代的体制に立脚して選手の個性を潰してるねん。興毅や大毅が自己演出でおもろいことゆうても次々と潰されるやんか。画一的な指導で通用するような現代社会やないねん。協会側のやってることは競争力所か透明な存在を生産してるだけや。長谷川、坂田、イーグル、新井田、世界チャンピオンやのに世間からしたら無名でっせ。そらそうや、無個性やもん。話題提供せえへんもん。内藤も亀田の煽りで一時的に注目されてるだけで元々は無名やったやんか。これからは個性の時代やねん。物語を紡いで人を惹きつけなあかんねん。そんな時代に無個性な強いだけの人間育ててどないするねんな。鋳型にはめ込んで、おんなじ人間を生産する時代は終わったんや。男は男らしく、女は女らしくする時代やないねん。女も外出て自立していかなあかんねん。これからは誰でもない比類なき自己を作り出していくねん。大毅を透明にさせたらあかん、大毅は透明人間やないねん、亀田大毅なんや!
ほなな。
posted by つるじょあ |00:10 |
その他 |
トラックバック(0)
2008年01月31日
おっちゃんやで~。新イベント戦極やけど、五味参戦であらかた選手は出揃ったようやな。
PRIDEの崩壊後、参加してた選手の動向が注目されてたけど、戦極には多数のPRIDEファイターが参戦してる。吉田、瀧本、菊田、三崎、そして五味や。今の所ほとんどが日本人とはいえ、PRIDEを象徴する選手なだけにこのイベントは日本におけるPRIDEの既得権益を確保する後継団体といってもええやろう。せやけどそれでええのやろうか?
PRIDE崩壊の直接的な原因は、ある種の勢力との繋がりが噂されたことによるテレビ局の撤退や。せやけどそれで見逃されやすいのは、それ以前に人気が失われつつあったことや。現代黎明期ではある一定のムーブメント起こしてたMMAやけど、社会が成熟するとさらに高度なものが要求されるのは社会学的な当然の論理的帰結や。すなわち競技性のみを追ってるだけで受ける時代から、さらに演技性の必要も迫られるねん。
戦極が浮いたPRIDEの既得権益確保に動いたのは分かるねんけど、今でもPRIDE待ち望んでるもんなんて絶対世間やないよ。そうゆうわけでな、それはマニアへの迎合を意味するねん。戦極は競技性のみに偏向したイベントであることは明らかや。
さて、戦極の社会的成功の可能性についてやけど、マニアに迎合してる時点で困難としか言いようがないよ。しかも外人はどれぐらい確保できるのやろうか?外人はUFC・FEG・M-1との取り合いやろか。旗揚げは盛り上がるかも知れんけど、PRIDEの反復やったら衰退は必然や。先行き明るい材料は見当たらんわ。
ほなな。
posted by つるじょあ |21:50 |
その他 |
コメント(22) |
トラックバック(0)
2008年01月22日
おっちゃんやで~。小川について書き込む予定やったけどまずこっち先に書くわ。
今回の判定はおっちゃんがおもてたとおりでしたわ。似非評論家は流れやから許されるとか打撃時に4点やなかったとかゆうてたけど完全に的外れや。流れやから許されるゆうのはな、意識的な反則でないことを意味するだけで反則は反則やから当然罰則が課せられて当然のことやないか。また4点に関してもな、4ポジ状態にあったもんに近づいて立ち上がらせるのは、打撃のその瞬間4ポジやったかどうかに関わらず許されることや無いよ。
以下は早苗ちゃんのところに書き込んだおっちゃんの書き込み紹介するわ。
こんにちは、つるじょあいいます。
菊田はんのご意見読ませていただいたのやけど、なんか納得でけへんから書かせてもらいますわ。
>流れの中でのあの中腰での攻撃は全然問題ない
問題無いの意味を菊田はんは取り違えてるのとちゃうかな。つまり故意の反則の場合は反則負けになるけども、不可抗力に基づく反則は無効試合になるねん。この場合の三崎選手の行為が反則と見なされたとしても流れの中での攻撃やから反則負けやのうて不可抗力に基づいた無効試合になる、そやから問題ない、これが菊田はんの主張の文脈での問題ないですわ。それがそもそも反則ではない、ゆう結論になってしまってる。これは菊田はんの結論の取り違えやと思うのやけどどないでっしゃろ。
Posted by つるじょあ at 2008年01月09日 10:20
つづき
また、流れの中やからええやないか、ゆう話が出たけども、そもそも三崎選手は4点ポジションでないことを見極めた上での攻撃やのうて、4点ポジションやった秋山選手に迫って行ってる。この流れの中で4点ポジションに留まってたら秋山選手は危険や。その際に勝敗云々やのうて身の危険を守るためにあえて4点ポジションを放棄したとしたらこの流れの中での三崎選手は4点ポジションへの攻撃をしたと見なされるのが妥当やとおっちゃんは思うのやけどどないでっしゃろ?
>あれがNGとなるとタックルに来た選手に蹴りを
>合わすことすらできなくなる。
反則になっても流れの中やから不可抗力の反則になるのとちゃうかな。
Posted by つるじょあ at 2008年01月09日 10:22
つづき
>更に、マットに片手や両手を付けながら歩いて
>こられても蹴れなくなる
これは論点がずれてるのとちゃうかな。4点ポジションで歩いていってどないして相手倒すねんな。消極的姿勢として注意受けるのとちゃうやろか。
素人が思いのたけをぶつけてみました。菊田はんならびに皆さんのご意見、お待ちしております。
Posted by つるじょあ at 2008年01月09日 10:22
ここはブログのコメント欄です。格闘技サイトの掲示板ではありません。なのでそもそも議論する場所ではありませんよ。
あと、菊田さんは反則だと思う人がいてもおかしいと思わないと書いていますよね。だから反則だと思っても、それはそれでいいんじゃないんでしょうか。菊田さんに返答を求めても、「そういう考えもあると思うが、自分の考えはブログに書いた通り」としか答えられないと思いますが。
Posted by ヨコヤ at 2008年01月09日 11:22
ヨコヤはん
>菊田さんは反則だと思う人がいてもおかしいと
>思わないと書いていますよね。
物の客観性と価値観は異なるねん。価値観は人それぞれやから社会の保障する範囲においては等価の価値があるよ。せやけど客観的真理は徹頭徹尾論理的なもんやから、等価の価値はないねん。より合理的なもんに価値があるわけや。菊田はんは価値思想を主張してるのやのうて公の場で論理的な主張をしてる以上は、それに対する反論があったとしても当然のことやないやろか?
おっちゃん(つるじょあ)も他人のブログにコメントするなんて暇だのぅ(笑)
>また、流れの中やからええやないか、ゆう話が出たけども、そもそも三崎選手は4点ポジションで
>ないことを見極めた上での攻撃やのうて、4点ポジションやった秋山選手に迫って行ってる。
この後に続く文章も秋山サイドより過ぎて筋が通ってないよ。
格闘技はお互いの行動の読み合いでしょ?
その為にフェイクやフェイントも使ってるし。
三崎選手は瞬時に相手が立ち上がる事を見越してキックを出して、その読みがピタリと当たっただけの事。
当たった瞬間に4点ポジションじゃなかったのが証明してる。
もし秋山選手が優秀なら、不用意に起き上がらずガードしながら立ったはず。
もし秋山選手が危険を感じて慌てて立ったのなら、それは三崎選手の作戦勝ちでしょうに。
Posted by ライト at 2008年01月09日 12:08
ライトはん
>立ち上がる事を見越してキックを出して、
>その読みがピタリと当たっただけの事。
三崎選手は中腰の秋山選手を蹴ったあと、完全にグロッキー状態の秋山選手をどつきにいったやんか。あれのどこに冷静な読みがあるのやろうか。おっちゃんからしてみたら最初の打撃でダウンした秋山選手に猛然と迫ってなにがなんでも喰らいついたろうゆう、三崎選手の執念があったと思う。
>当たった瞬間に4点ポジションじゃなかった
>のが証明してる。
ダウンして体勢立て直そうとしたら迫ってきてるねんで。そら手も離れるよ。
>もし秋山選手が危険を感じて慌てて
>立ったのなら、それは三崎選手の作戦
>勝ちでしょうに。
こら酷いでんなあ。作戦勝ちてな、一つ間違えたら大怪我するところやで。勝敗よりも身体の保護を優先するのは普通にありえることやないか、ほんまに4点で襲うふりすることが作戦やとしたら野球でも将棋でも鉄砲突きつけてやってもええことになるで。
もしあーゆう負け方をしたのが三崎だったら、菊田や桜庭やキッド…他の格闘家、寝技系の選手でも誰も文句を言わないしファンも負けを認めますよ。人間性の問題です。
Posted by ひ at 2008年01月09日 13:09
ひはん
>人間性の問題です。
それは間違ってるよ。これはな、徹頭徹尾論理的な問題なんや。秋山選手やったら抗議して他の選手やったら抗議せんかったとしても、それとは無関係に三崎選手の秋山選手に対する行為は存在してるのやから。
ほなな。
Posted by つるじょあ at 2008年01月09日
結局秋山は反則によって勝利の可能性と表現するチャンスを奪われたんや。これは三崎に悪意は無かったとしても反省すべきことやとおもう。
ほなな。
<追記>
最後に少し指摘しとくわ。コメント欄一時凍結の件やけどな、荒らしのコメントをスポナビはんが削除してくれてたのやけど、次々と荒らされていくからスポナビはんが凍結したのが真相ですわ。ザビエルはんに悪気は無いのやろうけど、荒らし相手にしても益々荒らされるだけでっせ。おっちゃんは荒らしに寛容やけどここはスポナビはんから借りてるわけやからその意志は尊重されるべきやし、またできたら有意義な議論したいからおっちゃんもこれからは厳しく対応するで。あとこの追記に対してのコメントは無用や。
posted by つるじょあ |20:50 |
その他 |
コメント(70) |
トラックバック(0)
2008年01月10日
おっちゃんやで~。
先に勘違いせんようにゆうとくけどな、格闘技最強がMMA最強であることと、全格闘技における最強がMMAであることとは別個の問題やから。つまりMMAが格闘技最強でもMMAよりもボクシングが弱いことを意味せえへんゆうことは、本文読んでくれたらわかることやと思う。
これは某ブログの管理人はんへのコメントなんやけど、コメントできんようになってたから勿体無いからここに掲載するわ。おっちゃんはMMA最強=格闘技最強やとおもてます。それにはまず格闘技の理念を追求せなあきまへん。格闘技は他のイデオロギー同様に社会的に成立するもんや。スポーツの起源は近代イギリスのジェントルマンにあってな、それ以前の暴力の応酬から近代国家による暴力の独占を背景に、非暴力的な応酬としてジェントルマンの余暇の過ごし方から生産性の向上を受けて労働者の余暇の過ごし方や教育に使われるようになったんや。そしてそれは資本主義と結びついてアメリカナイゼーションによってエンターテイメントとなるねん。ボクシングや相撲なんかは特化してる分格闘技の純粋理念から逸脱していってる。せやけどプロレスは建前はなんでもありやから格闘技の純粋理念として判断されてたわけや。さて現代においてはプロレスの虚偽性が純粋理念から著しくそれるようになって、MMA(総合格闘技)が登場するねん。こうしてプロレスに変わってMMAが格闘技として君臨することになったんや。確かに管理人はんのゆうとおり、ボクシングも相撲も格闘技や。せやけど特化してる分自由な個人間の非暴力の応酬ゆう格闘技の純粋理念から逸れてるねん。管理人のいわはる通りMMAにはMMAのルール下における最強が、ボクシングや相撲の各々のルール下における各々の最強が存在してるのは正しいよ。それらがぶつかり合ってその中の最強を決めることは論理的不可能で強さによる序列を設けるのは無理ですわ。せやけどそれは格闘技の同一性を無視した物言いでな、純粋理念に近いMMAが社会的に格闘技と判断されるのは当然のことですわ。管理人はんはMMA最強論を多様なルール下における非暴力の応酬の不可能性を根拠に否定してはるのやけど、MMA最強論は格闘技の同一性、純粋理念との近似性を根拠に肯定されるべきことなんやで。
結論ゆうたるわ、MMA最強が格闘技の最強ですわ。ボクシングでわかりにくかったら極端な例挙げるとな、腕相撲は格闘技かどうか微妙なのは身体の仕様部位も強さの判断基準も著しく特化してて純粋理念から大きくはずれてるからやねん。管理人はんの誤りは、あらゆる格闘技を平等に格闘技と見なしてるところでな、格闘技は社会学でゆうところの理念型として最も理念に近いもんが強く格闘技として判断されるねん。
ほなな。
posted by つるじょあ |18:47 |
その他 |
コメント(68) |
トラックバック(0)
2008年01月10日
みんな大好き、おっちゃんやで~(笑点)。過去のコメント欄でおっちゃんに対する反論があるのやけど、中々忙しゅうて答えられへんねん。そこでや、記事でまとめて返答しようとおもてます。もしそれに対して反論その他あったらコメントつけてな。納得するまで議論しようやないか。おっちゃんはさくじょあでもにげじょあでもないで。おっちゃんと猪木はいついかなるときも誰の挑戦でも受けまっせ。隙があったらかかってこんかい!(笑点)
反論1:猪木的思考はもう古いですよ。亀田も秋山もにたような思考であると思います。
近代は猪木の時代やった。そして現代も猪木の時代になりつつあるねん。猪木は近代には近代に即した格闘技をやって、現代では現代に即した格闘技をやろうとしてるねん。猪木は常に格闘技は変わってきたてゆうてた。既存のプロレスはどうやろうか?猪木が現代化の変革せまっても、近代の惰性のまま体制を温存したのやないか?殻を打ち破り変革していく猪木はな、昔のままとちゃうねんで。今の猪木の自意識と亀田の自意識は現代格闘技の理念と一致するねん。
反論2:IGFを見たと気にものすごく古い感じがしました。
IGFは出し物としてはレベル低いねん。興行的にk-1・新日に明らかに劣ってるよ。せやけどな、最初からk-1も新日も人気あったやろか?それにな、現代格闘技の理念を正しく標榜してたら世間の注目を集めていくわけや。k-1は日一日と衰退していってるのとちゃうか?新日も昔は人気やったけどもテレビ放送は深夜に追いやられてるやんか。物事は因果的にみなあかんよ。正しい理念掲げてるもんが天下取るねん。
反論3:総合やボクシングは「勝敗」が価値を支配します。プロレス的なものにもっていこうとすることにはできません。
現代格闘技の理念は競技性と演技性の統合なのやけど、確かにあんたのゆうてることは一理あるねん。すなわち総合的な競技性とプロレス的な演技性の統合は理論上不可能なのはおっちゃんも認めるよ。せやけどな、おっちゃんはその二者を統合せえてゆうてないねん。プロレスの演技性は客観的演技性、おっちゃんがゆうてる演技性は主観的演技性なんや。競技性と主観的演技性の統合は理論上可能なんやで。
反論4:猪木派はくやしいでしょう。小橋対健介をみたときに何故これがもりあがるのか??
おっちゃんは猪木派やないから別にくやしないで。ただな、小橋vs健介が盛り上がったゆうのは間違いですわ。一昔前のプロレスに比べてどれだけプロレスが衰退したとおもてるねん。昔はゴールデンでやってたし、馬場も猪木も鶴田も年に何億ももろてたのやで。知名度も小橋なんてプロレスの代表格やのに一般的には無名や。亀田は視聴率50%、知名度は全国区、ギャラも億行ってるよ。小橋は深夜一桁%、知名度はマニアッ区、ギャラは4、5千万くらいやろ。
反論5:左翼思想が語るのを禁じてきたものが吹き出てきて、右翼思想なのだとしたら、現代の価値観は右翼思想を認めることから始めなきゃ、多元的とは言えないんじゃないの?
左翼も右翼も所詮は共同体主義ですわ。暖かい共同体との合一を尊厳とする左翼も、崇高な共同体との合一を尊厳とする右翼も、結局は近代的な価値観に支配されてるねん。せやけどおっちゃんは左翼や右翼を否定してるわけとちゃうよ。なんでかゆうたら国家規模の共同体が衰退した現代は様々な共同体が島宇宙的に散在してるのやから、共生条件を侵害せんかぎりは自由であるべきやとおもうからや。おっちゃんが否定してるのはな、高々その中の一つの共同体の癖にやで、あたかも国家規模の共同体であるかのように振舞うことなんですわ。例えば男は男らしく女は女らしくあるべきゆう価値観は近代社会では自明やったけど今はローカル、それやのに性的役割分業を今日的な社会において自明であるかのように振舞うことは、おかしいてゆうてるだけのことやから。
反論6:歴史を見ろ。時代が進む時は古いものなど見向きもせずに、次のステップへ勝手に進むんだよ。一々、過去の体制からの脱却なんて考えてたらいつまでたっても進まないよ。
自然と社会の歴史は違うねん。自然における物質は無意識的な諸作用力の相互作用に基づいて発展の条件を充たしたり充たさんかったりして条件を充たしたものが発展するねん。社会における人間は意識的な諸作用力の相互作用に基づいて発展の条件を充たしたり充たさんかったりして条件を充たしたものが発展するねん。このように人間の意志抜きでは勝手に進むことはないよ。市民革命や独立戦争抜きで社会の発展が語れるか?過去からの脱却を企図してから新時代は始まっていくのやで。
反論7:「大衆の要求である直接性と関係性に呼応して」とかいう部分は全くいらんね。江戸時代の演劇でもそうなんじゃないの。
社会の流動性の低い近世では関係性は必要ないねん。婚姻は家同士で行われるし、職業も世襲制や。また直接性に関しても公開処刑や祭りを通じて人々は生きてる実感を獲得してた。罪人が張り付けにされると皆が狂喜乱舞するねん。古代では生贄や薬物で感受性が更新されてたんや。これらは社会全体で行なわれてた、つまり定期的且つ受動性やったのやけど、現代は社会の流動性が高いからそれやったら納品の時期や取引が成立せえへんやんか。そこで個々人の余暇において個々人の責任で、つまり不定期且つ能動的に直接性を獲得するようになったわけや。
反論8:論理の適用範囲に対して弁えがないから、議論が混乱する。総合やボクシングに適用しようとするのがその最たる例だ。
下部構造と上部構造があってな、下部構造は生産様式で上部構造はそれに照応した政治・法律・宗教・道徳・芸術などのイデオロギーや制度・組織の枠組みをゆうねん。総合やボクシングのみならず演劇も絵画も経営も全て含まれるよ。
反論9:彼らが注目されるのは、メジャースポーツの選手だからでは?
社会に有用なもんは最初はマイナーでもお客さんどんどん増えていってメジャーになっていくねん。ボクシングも誰もみんようになったけど、亀田がでたやんか。流動性の高い社会ではな、既得権益が全てでメジャーが固定化されることはないよ。つまりや、IGFにも天下取るチャンスはあるねん。
次回は猪木と小川の遺恨の本質に迫るで!
※反論1~4ザビエルはん、5、7、8ベアナックルはん、6aはん、9kikiはんのコメントより引用しました。
posted by つるじょあ |15:16 |
その他 |
コメント(74) |
トラックバック(0)
2008年01月05日
おっちゃんですわ。
全日にドリー参戦するそうや。今66歳でシリーズ10戦全部出場するゆうことやけど、これこそほんまに「やれんのか?」シリーズ中に67歳になるねんで、相手気遣わなあかんからストレスでやられてしまうよ。ああ、それがドリーの狙いなのやろか?(笑点)
あとな、諏訪間がVM離れたらしいやんか。ああゆうことある度にこっちくるのとちゃうか、こっちくるのとちゃうか、て期待するおっちゃんはやれんのか?(笑点)
ほなな。
posted by つるじょあ |16:45 |
その他 |
コメント(15) |
トラックバック(0)
2008年01月05日
おっちゃんやで~。秋山vs三崎みたか?
三崎ゆうのはな、ほんまにセンスないねん。秋山非難してたやろ?あれ何に基づいてたおもう?そうや、近代的価値観なんや。おっちゃんが常々非難して克服すべきて説いてる、あの古い時代の価値観や。あいつは秋山が子供裏切った、世間裏切ったてゆうてた。せやけどそれで三崎が損害被ったのやろうか?答えはNOや。確かに近代社会やったら国家規模の共同体が成立してたし、価値観も共有されてたよ。そやから共同体に逆らうもんは差別されるし、共同体の成員傷つけたら皆で袋叩きや。子供も長屋で育ててたし、他人の子供でも平気でどついてたよ。せやけど今は国家規模の共同体は解体して小共同体が島宇宙的に散在してるのが現実や。様々なパーソナリティーが存在してて価値観は多様化してる。そんな中、子供を同胞としてみなすのも近代的価値観が世間を代表してるとみなすのもまったく合理的やないよ。未だ近代的な価値観で秋山を糾弾する三崎にどこに正義があるねん。前時代的な価値観を押し付けるのは、特定の宗教押し付けるのとおんなじでっせ。それやのに試合前の挑発、試合後の近代的価値観に基づいた物言い、どれをとっても的外れや。秋山からしたら「何でお前に叱られなければならないんだ?」ゆう感じやろうな。当惑してしまうよ。亀田次男の謝罪みて何で謝ってるのかわからんかったのは、そうゆうことやったんや。
三崎が観衆から応援されてたのは、秋山のヒールっぷりに観客が反応してるからや。ボクシングの内藤も、本人は何の魅力もないけども、亀田の自己演出に反応してるからや。三崎自信の人気やないねん、こうして肯定派も否定派も手玉にとっていくのが現代の表現者やねん。会見で洒落た格好で登場して観衆を挑発したやろ?中々役者やないかい。正義ぶってた秋山が遂に本領発揮すべく自己演出に入ったわけや。おっちゃん身もだえしたで。あいつはおっちゃんが期待してた通りおお化けするで。格闘技に新世紀をもたらすで。田村も秋山の敗戦みて勝ち続けて欲しかったてゆうてたやろ?そらそうや、ああゆう悪役、世間の諸共同体を横断して物議を醸すような存在が今の業界には必要やねん。三崎では格闘技界引っ張っていけるわけないもん。秋山の態度こそ新しい社会の英雄の自意識なのやから。
反則か否かについてやけど、そんなんどうでもええがな。大切なのは秋山の姿勢や、現代人に非難され驚嘆される物語を紡いでいくことが重要なんや。ますます世間は巻き込まれていくやろな。因みにおっちゃんの見た感じやと、三崎の反則やとおもってる。秋山はパンチは効いてないねん、キックされそうになって「おい、蹴る気か?反則だぞ」みたいな顔で三崎みて蹴られてたような気いするわ。まあ、どうでもええことやけどな。
ええか、総合がくすぶってる以上チャンスはなんぼでもころがってるよ。秋山はここからまた喰らいついたらええねん。秋山はもう終わったとかゆうてる似非評論家がいてるけど、終わってるのはあんたや。何も終わってないがな、これから秋山の自己演出が始まっていくねん。格闘新世紀、現代プロレスの地平をみのがすんやないで!
ほなな。
posted by つるじょあ |16:41 |
その他 |
コメント(106) |
トラックバック(0)
2008年01月04日
おっちゃんです。秋山について書く予定やったけど、差し替えて書きます。すみません。
韓国のボクシングチャンピオンが防衛後倒れて、脳死状態に陥ったそうや。そのボクサーは生前脳死状態に陥ったら臓器を提供するようにゆうてたんやて。それで何人かの方に臓器提供が成されたそうや。
こうゆう事件があると度々持ち上がるのは、危険な競技への廃止論ですわ。せやけどほんまに廃止すべきなのやろうか?かつて近代社会においては、国家規模の共同体が成立してたから国民皆が会うたこともないのに同朋意識持ってたし、価値観は平板でまた共有されてたよ。そうゆう時代においては命は共同体のもんやから、共有財産を脅かす競技を廃止することに一理あったんや。ボクシングは人気スポーツやったから存続できたけども、不人気スポーツやったらつぶされてたやろうな。
せやけど近代から現代に変わって国家規模の共同体が解消すると、同朋意識ものうなるし価値観が多様化することになるねん。こうなるとな、尊厳の獲得形式も国家や会社のような客観的な外部の組織に置く依存的尊厳観から、主観的な自己自身に置く自立的尊厳観へと移行していくねん。昔は会社に対する忠誠心あったから、ええ会社行ってると鼻高かったし、上司とも飲みに言ったりしたよ。せやけど今の若い子は忠誠心ないねん。いつでもやめれるし上司が誘ってもはっきり断るねん。今は尊厳の獲得形式も人それぞれになったわけや。
「海を飛ぶ夢」ゆう映画しってるか?海と戯れることで尊厳を獲得してた主人公は、事故で四肢が使えんようになるのやけど、コミュニケーション能力が高いから男にも女にももてるねん。手足が不自由でも周囲の皆が支えてくれる、一見それは幸せな生活に見えるのやけど、主人公は回復不可能な重病人だけやのうて、尊厳の獲得形式を断念させられた者に対する安楽死も認めるように国家に訴えていく、こうゆう話ですわ。
何を言いたいかゆうたらな、亡くなった韓国人ボクサーはボクシングすることで自尊心獲得してたんや。危険が伴うのは理解したうえでボクシングやってるのやからその尊厳は尊重されるべきやとおもう。最早現代社会では尊厳の獲得形式は多様や、それをローカルな尊厳獲得形式を全国民の代表として社会の自意識とするには無理があるねん。己が理解できんでも本人がええてゆうてるのやから他者に迷惑かけん以上は社会的に許容されるべきやと思う。
ほなな。
posted by つるじょあ |23:51 |
その他 |
コメント(36) |
トラックバック(0)