2006年08月31日
秒間8.5コマの裏側に。
昨日に引き続き世界バスケの準々決勝2日目を取材。 試合の合間に一息いれていると、会場の整備を担当している方から素朴な疑問をぶつけられ、答えに躊躇してしまった。要約すると下記の通り。 「皆さん凄い枚数の写真を撮られますよね。全部写ってるんですか?」 カメラマン席の横で待機しているこの方は、ズラリと並ぶカメラマンが猛烈な勢いで切るシャッター音に驚きを覚えたようである。 答えに躊躇したというのは、確かにデータとして写真は確実に記録されているが、それを「写っている」と答えていいものか断言できなかったからである。 といのも、プロ仕様と呼ばれるカメラは1秒間に8枚から8.5コマの高速連射が可能である。シャッターチャンスには撮り逃しがないように誰もがひと指し指に力を込める。歓声などで遠くからは確認できないが、すぐ近くで聞いていると確かに異様な雰囲気を醸し出しているのかも知れない。 近年のスポーツ現場では、9割以上のカメラマンがデジタルカメラを使用している。デジタルの利点のひとつは、撮影枚数に関わらずコストやフィルムチェンジの心配が少ない点である。これによって以前より積極的な撮影が可能になり、撮り漏らしも確実に減ったはずである。 しかし、である。 スポーツ写真において、1秒間にいくら撮影できたとしても、ひとつのシャッターチャンスにつきベストのタイミングはひとつしかないことに変わりはないのである。それにも関わらず、シャッターを押しっぱなしの状態にするのは、撮り漏らしやピンボケ写真を回避するための保険のようなものである。 曲がりなりにもプロのカメラマンとして答えるときに保険で撮れた写真を、果たして「写っています」と答えていいものなのか躊躇してしまったのだ。 カメラマンも人間である。シャッターチャンス毎に保険の大安売りをしていれば、必然的に1枚に対する集中力が低下することは否めない。ベストの写真を撮ることが仕事であるにも関わらず、1枚1枚に対する配慮が欠けてしまっては本末転倒ともいえる。 もちろん、デジタルでしか撮れない、デジタルだからこそ表現できる写真もあるのだが、フィルム時代に比べると撮影者の意図や情熱をビンビンに発散している写真を少なく感じるのも事実なのである。 今後もスポーツ写真で禄を食むものとして、生き残っていくために何が必要なのかを深く深く考えさせられる出来事であった。 ※写真はギリシャ対フランスでの一コマ。 撮影:たかすつとむ
posted by たかすつとむ |00:59 |
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