2013年04月05日

Aくん。

後輩のカメラマンの話をしたいと思う。ここでは仮にAくんと呼ぶことにする。

Aくんはとても真面目で礼儀正しくて、本人曰く腹黒い男だ。もっとも自分のことを腹黒いというヤツの腹はたいして黒くないことを僕は知っている。それに何年か前に見せてもらった(たしか札幌ドームだったと思うけれど)スタジアムの裏にある小高い丘から、スタジアムを背景に羊を撮った写真があって、僕はその写真が忘れられない。羊の可愛らしさをあそこまで表現できる男はそうそういない。つまり、とても素敵な写真を撮る男でもある。

そのAくんは1週間ちょっと前にアンマンに行って、そのあとヨーロッパに残って、ブンデスリーガやチャンピオンズリーグを取材していた。これまで国内を中心に活躍していたAくんは、ここ最近はアウェイの日本代表の試合に行っては、せっかくだからとヨーロッパのサッカーも取材している。この手法は僕もやっているのだけれど、少ない予算(フリーランスにとっての予算とは自分の懐具合のことだ)をやりくりして、少しでも経験を積みたいという切実な想いが籠っている。

そんなAくんを悲劇が襲った。ドイツからパリに向かう特急列車の網棚に置いておいたカメラ機材を一切合切、盗まれてしまったのだ。残念な話だけれど、外国では置き引きなんて日常茶飯事で、盗った奴はもちろん悪いけれど、盗られた人も同じくらいか、それ以上に悪いというのが当たり前になっている。だから、今回の一件に関しては、Aくんにも責任があったのだと思う。彼の名誉のために言うならば、前日の取材を終えて宿に戻ったのが深夜で、翌朝早い特急に乗って、ついウトウトしてしまったらしい。

丸腰になってしまったAくんはそれでもスタジアムへ行った。本人曰くほとんど心が折れていた、という状況でスタジアムへ向かったのだから、僕はその心意気に拍手を送りたいと思う。僕が彼の立場だったら、部屋に籠って安ワインを浴びるように飲んでいたと思う。少なくともスタジアムには行っていない。

試合が終わって、ちょうど日付が変わったころ、フランクフルトにいた僕のところにAくんからメールがきた。カメラメーカーのサービスデポが出るのではないかという微かな望みをかけていたけれど、残念ながらデポは出ておらず、それでもカメラポジションについたという。そのあとの一節に僕は何とも言えない気持ちになってしまった。

「目の前の試合を撮れないことほど辛いことはないですね。。。」

職業がカメラマンだと言うと、よく言われるのが「目の前で見れていいですね」という言葉なのだけれど、それはあくまで写真が撮れる状態での話だ。カメラマンの中には「競技>写真」という人もいるけれど、僕やAくんは「競技<写真」のタイプだ。そういうタイプの人間にとって、目の前でいい瞬間がたくさんあるのに撮れない。それも無理をしてわざわざやってきたチャンピオンズリーグで、しかも劇的な展開の試合だと言うのに!! これはもうほどんど拷問と言ってもいいくらい、辛いことだ。

失意のパリからマドリッドにやってきたAくんは、幸いにも現地の先輩カメラマンの厚意でカメラとレンズを貸してもらって、念願だったというサンチャゴベルナベウで写真を撮ることができた。試合後、同業者たちでAくんを労う会、というわけではないけれど、行きつけのバルで試合の余韻に浸りながら美味しい酒を呑むことができた。ぶっちゃけた話、海外に出て活動しているカメラマンで置き引きやスリに遭ったことがないという人は少ない。たいていみんなヤラれている。昨夜の宴には5人のカメラマンがいたけれど、僕もやられたし、大先輩もやられたことがあるし、とにかくみんな何かしらの被害にあったことがある。だから、Aくんもやっとこれで一人前になれたのかなと思う、という風にでも解釈しないと、とてもじゃないけれどやっていられない。

カメラマンにとって一番の敵は「慣れからくる倦怠感」だ。自分を擁護するわけではないけれど、どうしても気持ちが乗ってこないときもある。そういうときは決まっていい写真は撮れない。写真が撮れることを当たり前と思ってはいけない。これで海外に出ることを諦めてもダメだよ。今日の写真を撮れたことの感動を忘れないで、などなど。偉そうに先輩風を吹かしたけれど、自分に言い聞かせていたことは言うまでもない。

Aくんの明日に幸あれ。

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写真はサンチャゴベルナベウでの一コマ。
撮影:たかすつとむ


posted by tpower |02:50 | 取材雑感 | コメント(0) | トラックバック(0)
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2013年03月28日

ヨルダン戦を終えて。

 サッカーの日本代表の取材を始めるようになって早いもので8年。中東がとても身近に感じるようになった。ワールドカップの予選で結構な頻度で行っている計算になる。オマーン、バーレーン、カタール、いわゆる湾岸諸国だ。今回、訪れたヨルダンはアラビア半島の付け根のヨーロッパ寄り。サウジアラビア、レバノン、シリア、イラク、そしてイスラエル。サウジアラビアを除くとここ10年の間で紛争が絶えない印象がある。ヨルダンに行くと言うと「治安大丈夫?」と心配されるのも頷ける。そういえば首都のアンマンという名称はずいぶん前から知っていた。何故だろうか、と思ったら、その紛争を伝える日本のジャーナリストたちがアンマンを拠点にしていたため「ヨルダンのアンマンよりお伝えしました」のフレーズで耳に馴染んでいたんだと気がついた。

 ヨルダンの人たちは親切でのんびりした人たちが多い。ホテルの目の前にあった24時間営業のスーパーマケット、セーフウェイのフードコートには何回かお世話になったのだけれど、注文をして会計を済ませるまで、ずいぶんと時間がかかった。もっとも時間がかかったというのは、1分お待たせしたら料金を返還します、という恐るべきサービスに慣れた日本人の感覚での話だ。きっと彼らからすれば、日本人はなんてせっかちなんだ、って思ったと思う。

 のんびりした気質を少しだけ理解できたのは、アンマン北部のジェラシュ県の遺跡に行ったときのことだ。インディ・ジョーンズで有名なペトラ遺跡のことさえ知らなかったほど不勉強な僕はジェラシュのことはまったく知らなかったし、かつてローマ帝国に支配されていたことなんて知る由もない。もちろんローマ帝国についてもほとんど無知な僕は、幸いにも同行していた先輩氏が歴史家だったこともあり、さまざまな講義を受けながらジェラシュの遺跡を堪能することができた。本当に素晴らしかった。弥生時代の日本人が竪穴住居に住み、高床式倉庫に米を貯蔵するようなスローライフを送っていたとき、彼の地はすでにローマ帝国の支配を受け、巨大な石作りの宮殿を作っていたことになる。雄大な歴史や大陸ならではの複雑な問題、宗教や民族の関係性。こうした中で生き残るために親切でのんびりするようになったのか、元々、親切でのんびりしているから生き残ってこれたのかはわからないけれど、こういうカルチャーショックを受けたとき必ず感じるのは「日本ってやっぱり島国なんだなぁ」ということ。もちろん、日本を卑下しているわけではなく、海外に出て日本を見つめ直すことは、とても良いことだと思う。

 さて、あまりにヨルダンの刺激が心地よかったので、本題の前の導入がすごく長くなってしまったけれど、昨日のヨルダン戦について。

 会場となったキングアブドラスタジアムでは、関塚監督率いる五輪代表もオジェック監督が率いるオーストラリア代表も撃沈された。直近の試合でベラルーシも敗れたという話が記者会見で話題になっていた。とにかく、このスタジアムでの戦績はすこぶる良い。そう考えるといわゆる「サッカーってこういうものだよね」的な結果になってもおかしくないと思える。ちなみに「サッカーのこういう試合」とは「強いチームが勝つんじゃない、勝ったチームが強いんだ」という皇帝の名言的な現象のことだ。日本がブラジルやフランスに勝つことがあるくらいだから、ヨルダンが日本に勝っても不思議はまったく、ない。

 日本とヨルダン。普通に考えたら日本の方が圧倒的に強い。実際に9ヶ月前には6対0でズタズタにした。話がそれるけれど、ヨルダン人からは「ホンダー」と声をかけらることが多かった。ハットトリックを決められたわけだから当たり前の話だけれど。で、話を戻すと、今回、多くの人がデコボコなピッチでアウェイ、厳しい戦いになると思っていた。テレビの前のみなさんも現地で取材していた僕らも。だけど、さすがに引き分け以下はないだろうとタカを括っていた人も多かったと思う。尊敬する先輩カメラマン氏も「今の日本代表ってさ『サッカーってこういうもんだよね』って言う負け方をしなくなったよね。だからきっと今回も負けないよ」と話していた。僕もやっぱりそうだよなーと思っていた。

 で、日本は見事に負けた。
 
 そして、6月のオーストラリア戦が俄然、面白くなってきた。ホームで本戦出場をかけた試合。たぶんすごく盛り上がると思う。絶対に勝たなければならないオーストラリア代表が相手だから、試合もすごく面白くなると思う。2006年の対戦以降、日本はオーストラリアを90分で破ったことがない。そろそろ勝って欲しいなと思うけれど、もちろん、そこでも負けちゃう可能性だってある。ぼくは意外とその可能性は高いんじゃないかと思っているけど、そうなると当初、消化試合になると見込まれていたイラクとの最終戦にまでもつれる可能性がでてくる。つまり、おそらくドーハになると思うけれど、そこで生きるか死ぬかの戦いをして、その4日後にはブラジリアでコンフェデの開幕戦に臨むことになるのだ。

 良い感じになってきな、と思う。というのも、2010年に発足したザッケローニ監督率いる日本代表は、これまで順調に勝ち星を上げて、その中にはアルゼンチンやフランスといった強豪もいたし、アジアカップの劇的な優勝もあった。正直、怖すぎるほど順調だった。最終予選の組み分けが決まった時点で、早ければ今回のヨルダン戦で、遅くとも次戦のオーストラリア戦で、しかもお互いに引き分けで良いくらいの予定調和的な試合で決まるかなと考えられていた。しかし、個人的にはどこかで躓くことを楽しみにしていた。もちろん、ただ躓いて欲しいわけではない。なぜなら、躓くことがこのチームにとって成長剤になり、結果として本大会での飛躍に繋がると信じているから。もちろん野次馬根性がまったくないとは言わない。多少、バタバタしてくれた方が、エンターテイメントとして面白いし、何よりドキドキわくわく感が増す。だってこれってワールドカップの最終予選ですぜ。ドーハとかジョホールバルのときの興奮がもう一度味わえるなら、厳しい道もありじゃないかなと思う。

 今から6月が楽しみだと思う。

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写真はジェラシュの遺跡での一コマ
撮影:たかすつとむ


posted by tpower |09:24 | サッカー日本代表 | コメント(0) | トラックバック(0)
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2012年10月15日

サンドニの悲喜こもごも。

スタッド・ドゥ・フランス。いい響きだと思う。

いわずとしれたフランスサッカー界の聖地。ここであのジダンが躍動して、デシャンがワールドカップにキスをしたのかと思うと、テンションが上がった。しかも、何年か前にフランス代表の取材で訪れたときは、申請書が上手く届いていなかったようで、門前払いを食らっていたので、その喜びは格別だった。

その聖地で、日本がフランスに勝った。

フランスにしてみれば調整試合だったから、前半でベンゼマはお役御免になったし、リベリも後半途中からの登場だった。もしかしたら、彼はでる予定はなかったのかも知れない。だから、あの時間帯に一斉に走り出した日本の選手たちの「勝負へのこだわり」にフランスの選手たちは面食らったんじゃないかなと思う。それにしてもコンちゃんよく走ったなぁと思う。そして、あのフランスに勝ったのだからすごいなぁと思う。試合後のインタビューで香川くんの目に光るものがあったように見えたけれど、彼も所属チームと日本代表での役回りの違いや思うように活躍できないジレンマを抱えていたと思うので、あの光るように見えた瞳をみてジーンときて、心から「よかったね」と思う。

日本があそこまで頑張ると思っていなかった不届きもののカメラマンは、後半はファインセーブ連発の川島とマヤを撮っていたから、香川くんの喜びをいいポジションで撮れなかったことが、この日、唯一の残念な出来事だった。正直に言えば「あちゃー」と思った。ヴロツワフで挽回するぞ! と気合いを入れたのであります。

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※写真はスタッド・ドゥ・フランスでの一コマ。
撮影:たかすつとむ


posted by tpower |19:25 | サッカー日本代表 | コメント(2) | トラックバック(0)
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2012年07月31日

夢を泳ぐ。

僕が初めて寺川綾を撮影したのは2004年のインカレ、アテネの余韻が残る残暑の季節だった。2001年の世界水泳で脚光を浴び、初めて出場したオリンピックで8位入賞。4年後の北京での活躍を誰もが期待していたと時期だった。

2002年に写真を始めてから、サッカー中心の取材をしていた僕はインカレ以降、毎年、日本選手権を取材する機会に恵まれたが、最初は競泳の魅力よりも、北島や寺川などスター選手たちに興味を持ち、次第にまるで生き物のように表情を変える水の表現を楽しむようになった。初めて競泳が面白いと思えたのは、2008年の五輪選考会を兼ねた日本選手権だった。3年連続で日本選手権を取材していたおかげで、選手のことも分かるようになっていたし、何よりも世界で最も厳しいとされた五輪選考会が面白くない訳がない。

この選手権で印象に残っているのは寺川の落選だった。「寺川引退」とも取れるような報道もあったし、僕は「引退」とまでは思わなかったけれど、ロンドンで活躍する彼女の姿を想像することができなかった記憶がある。しかし、彼女は引退どころか、ロンドンで銅メダルを手にした。レース後の柔らかい笑顔が印象的で、テレビのインタビューでの彼女の気持ちの高鳴りに思わずジーンきた。

それには理由があって、非常に分かりやすくて恐縮なのだけれど、彼女のフォトエッセイ(宣伝で恐縮ですが、写真を撮らせて頂きました)を読んでいたからだ。一夜明けての報道は「挫折からの復活」というニュアンスが強く、僕自身、エッセイを読むまでは安直な「栄光と挫折」的な物語を思い描いていた。しかし、彼女にとって、北京を逃したことを挫折とは考えていなかったようで、自分の観察力のなさに呆れてしまったほどだ。彼女はアスリートによくいるいわゆる「力のある言葉」や「強烈な闘争心」を全面に押し出すタイプではない。撮影の短い時間での印象だけれど、普通の女性だった。そんな彼女がどういう気持ちで北京後の4年間を過ごし、ロンドンに賭けてきたのか、その一端を知っていたから、思わずジーンきたのだと思う。

寺川は今回のオリンピックでは200Mを回避して、100Mとメドレーリレーにのみエントリーしている。メドレーにかける彼女の気持ちを思うと、8月4日(日本時間では5日の早朝)が今から待ち遠しくてならない。

最後に宣伝ですみません。
撮影を担当させて頂きました。
書店などでお見かけの際はぜひ手にとってみてください!

夢を泳ぐ。寺川綾公式フォトエッセイ(徳間書店)
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※写真はフォトエッセイの表紙。
写真:たかすつとむ


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  • 水泳

posted by tpower |19:12 | お知らせ | コメント(0) | トラックバック(0)
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2012年03月21日

長谷部の言葉。

一年ぶりに欧州サッカーを取材している。

こっちで取材をするようになって、こんなに期間が空いたのは初めてだったから、最初に訪れたシュツットガルトでは、試合前に「なんでニヤニヤしてるの?」と現地在住のカメラマン氏に突っ込まれるくらい雰囲気を楽しんでいたんだと思う。「やっぱり現場はこうでなくっちゃね」と。もっとも端から見たら相当に気味悪かったんだろうけど。

僕が初めて欧州サッカーを取材したのは、2007年夏のバルセロナだった(正確には2006年春なんだけど、それはまた今度)。それ以来、年に数回は欧州を巡る機会を与えてもらっていた。バルセロナ、マドリッド、ミラノ、ミュンヘン、パリ、リスボンなどなど。稀にビジャレアルなんて小さな街もあったけれど、僕にとっての欧州サッカーとは、誰もが知っている大都市とビッグクラブのことだった。もちろん、機会があればグラスゴーに中村俊輔を、ボーフムに小野伸二を、フェンロに本田圭佑を、ヴォルスブルグに長谷部誠を撮りに行ったけれど、あくまでメインはロナウジーニョやメッシ、クリスティアーノ・ロナウドと言った世界を牽引している選手たちだった。そんな取材スタイルが南アフリカのワールドカップを境に大きく変わることになる。まず最初にスケジュール確認すべきは日本人選手たちの動向であり、それを基本にして旅の予定を組むようになったのだ。

今回、訪れた街。
シュツットガルト(岡崎/酒井)、アウグスブルグ(細貝/香川)、ゲルゼンキルヒエン(内田)、ミラノ(長友)、マドリッド(本田)、アーネム(ハーフナー/安田)、ドルトムント(香川)、デュイスブルグ(乾)、フュルト(香川)。

きっとこの仕事をしていなかったら、行くこともないだろうなぁと思う小さな街もチラホラだけど、すべての試合で日本人を撮影する可能性があったことになる。

何故、これほどまでに日本人が海を越えることができたのか。一つはワールドカップでの活躍と、そこで見せつけられた世界との距離感を選手が肌で感じたからだと思う。しかし、それだけではない。なぜなら今回取材した選手の中には南アフリカでメンバーに選ばれていなかったものもいるからだ。その答えを探っているとき、ある選手の言葉が思い出された。

2009年にヴォルスブルグで長谷部誠を撮影をさせてもらったことがある。中央駅近くの河原でポートレイト撮影を済ませ、カフェで話を聞いたとき、彼の言葉で印象に残っているエピソードがあった。彼がブンデスリーガ挑戦を決めた当時は、日本代表で結果を残すことが海外への近道という雰囲気があった。浦和レッズのレギュラーではあったけれど、まだ日本代表に定着しておらず、有望な若手選手の一人、それが当時の長谷部誠への評価だったと思う。そんな彼がドイツで結果を残すことで「あいつが出来るなら俺だって」と他の選手達が思うことで、海外へ飛び出すキッカケになれたら、というようなことを言っていた。移籍して最初のシーズンでマイスターシャーレを掲げた自信が言わせた言葉だと思うし、自信が人を大きく変えたのを目の当たりにした瞬間だった。長谷部や本田、香川らの活躍もあって、最近では代表はおろか、Jリーグを経ずに直接海を渡る選手さえいる。代表定着に関しては、まずは海外で結果を残してからという数年前では考えられない雰囲気すら漂っている。一度、破られた壁は壁ではなくなるとは使い古された言い回しだけれど、その壁を破った一人に未来の代表キャプテンがいたと思うと、彼のキャプテン就任は偶然ではなく必然だったように感じる。

そんなことを思いつつ、今日はこれからメンヘングラードバッハ、金曜日にはヴォルスブルグへ行き、そこでサッカー取材は終了。週末はスピードスケートの距離別世界選手権(ヘレンフェーン)、来週は卓球団体世界選手権(ドルトムント)、フィギュアスケート世界選手権(ニース)と回る予定です。

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※写真はSGLアレーナでの一コマ。
撮影:たかすつとむ


posted by tpower |21:34 | 欧州サッカー | コメント(2) | トラックバック(0)
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2011年12月13日

リンクの上の彼女。

週末に3泊5日という強行日程でケベックに行っていた。
いつものことだけれど、今回のお目当ては彼女。
4月のモスクワでの彼女の姿が目に焼き付いていて、その半年後、
彼女が見せた笑顔がともて印象的で、ロシア杯の結果が出てから、
大急ぎでフライトや宿を手配して臨んだ大会だった。

その彼女の欠場を知ったのは、トランジット先のデトロイトに着いたときで、
そのあと8時間のトランジットを経て、50人くらいしか乗れそうにない小さな飛行機に乗って、
北半球に限って言えば、ポルトガルと同じくらい遠いカナダの東側の街、ケベックに到着。
翌朝、会場で同業者と挨拶代わりの会話をしているときに訃報を聞くことになった。

誤解を恐れずに言えば、今回の取材は空振りに終わってしまった。
手前勝手な話だけれど、限られた予算というか懐をやりくりしている一介の
フリーランスの立場からすれば「痛いなぁ」というのが正直なところ。
数少ない収穫はと言えば、ジュニアのユリア・リプニツカヤの存在を知ったことと、
彼女がいないリンクの雰囲気を肌で感じることができたことだと、今は思う。

勝っても負けても彼女、欠場しても彼女のニュースが大きく扱われてしまう。
僕のところにもあるテレビ番組から取材依頼が舞い込んできて、非常に興味深いことを言っていた。

「私たちはリンクの上の彼女しか知らないので、裏側を見て来たあなたから話を聞きたい云々」

この人も仕事だからこういう依頼を方々にしているのだとは思うし、思いたい。
けれど、今までリンクの上しか知らなかったのだから、これからもそれでいいじゃないかと僕は思う。
少なくとも僕はリンクの上の彼女にしか興味がないし、実際、何も知らないし、知りたいとも思わない。
今までもこれからも僕は「リンクの上の彼女」だけを知っていれば良いと思っている。

今朝、彼女が全日本に出場する意向だとニュースが伝えていた。

今年のクリスマスは大阪がアツいなぁと思う。

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※写真はペプシコロシアムでの一コマ。
撮影:たかすつとむ


posted by tpower |14:44 | サッカー以外のスポーツ | コメント(0) | トラックバック(0)
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2011年06月13日

写真が好きな写真家。

24歳だった僕はスポーツカメラマンを志し、フォトエージェンシーに入社しました。幸運だったのはそこで「写真が好きな写真家」と巡り会ったことでした。

ちょうど写真が銀塩からデジタルに移行する時期でした。デジタルに移行して一番変わったことは写真をプリントしなくなったことです。そんな中「写真が好きな写真家」は自作のプリントをよく見せてくれました。「カッコいいでしょ、この写真?」と。まるで自慢のコレクションを誇る少年のように、とても楽しそうに。

世の中にたくさん存在する仕事がそうであるように、カメラマンも楽な仕事ではありません。ただ他の仕事と違うとすれば、誰もが最初は好きで始めることだと思います。でも仕事にすると好きなことを忘れてしまうこともあれば、忘れなくてはいけないときもあります。悲しい話だけれど。

ちなみにフォトエージェンシーとは写真の版権を貸して利益をあげる会社です。僕はその会社で売れる写真を学ぶと同時に「写真が好きな写真家」から素敵な写真を学びました。そして「売れる写真≠素敵な写真」ではない現実も知ってしまいました。

そんな世知辛い世の中で、写真が好きで好きで仕方ない気持ちをいつも発散していたのが「写真が好きな写真家」でした。僕は彼の透き通るようなトーンと光と影を自在に操る絵作りが大好きでした。付け加えると屈託のない笑顔とおやじギャグも大好きでした。

今、僕が曲がりなりにもスポーツカメラマンとして生きているのは、クサクサすることがあっても、最終的には現場を楽しみ、撮影を楽しみ、プリントを楽しみ、写真を好きでいるからだと思います。その姿勢を教えてくれた一人は間違いなく「写真が好きな写真家」でした。

2011年6月9日。
僕が尊敬している「写真が好きな写真家」が逝去しました。現場で不慮の事故に遭ってしまったそうです。きっと事故がおこってしまったときも、少しでも良い写真を撮ろうとして、少しづつ突っ込んでいってしまったんだと思います。思い浮かべたくもないけれど、訃報を聞いたときそんなシーンが頭を過りました。

素敵な新作を見ることも、誰もが引き込まれる笑顔を見ることも叶わないと思うと、すごく、ものすごく残念でなりません。まだまだ未熟な僕やあなたを敬愛して止まない人々が出来ることはただひとつです。「写真を好き」という原点を忘れることなく、それぞれの道で写真を愛し続けることです。天国から見守っていて下さいね。今度は僕らが「カッコ良くないですか、この写真?」って押し掛けますから。

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posted by tpower |02:43 | コメント(0) | トラックバック(0)
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2011年05月02日

フィギュアスケート世界選手権を終えて。

モスクワで開催されたフィギュアスケート世界選手権が昨日終わりました。
震災の影響での代替開催、1ヶ月という短い時間での準備などを考えると「よくここまでしっかりと開催できたな」というのが率直な感想です。尽力された方々に感謝させて頂きたいと思います。

競技面ではバンクーバーから1年で、勢力図が大きく変わり始めた印象を受けました。もっともここ4年間の世界選手権タイトルが日本と韓国を往復していたこと自体が特殊なだったのかも知れません(その前は8年に渡って米露で覇権を争っていましたが。。。)。バンクーバー以後はルール変更や時期の関係もあるのか、3年後に冬季五輪開催を控えたロシア勢の躍進は胎動とも言えるえるかも知れません。特に女子シングルにはレオノアやマカロワを上回ると評価されているジュニア選手が控えているので、あと1、2年で大きな地殻変動があるはずです。こういった新陳代謝が進むことは競技の発展の上で歓迎すべきことだと思います。

最後に個人的にもっとも興味のある女子選手について少しだけ。
練習などを通じて「痩せたかな?」とは思っていましたが、競技中に撮影した写真に写っていた背中を見てコンディションの悪さを実感しました。何が原因なのかは分かりません。彼女が銀盤の上で舞う姿は見たいのですが、個人的には今季は休養に充ててもらいたかったというのが偽らない気持ちです。今はただ「お疲れ様でした。ゆっくり休んで下さい」と思うのみです。いつかまたあの笑顔を見せて下さい。

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※写真はメガスポーツでの一コマ。
撮影:たかすつとむ


posted by tpower |05:52 | サッカー以外のスポーツ | コメント(0) | トラックバック(0)
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2011年03月13日

今、僕にできること。

3月11日。同宿のライター氏の携帯電話が鳴って目が覚めた。
日本で大きな地震があったと伝えられた。地震発生から3時間が経過していた。
インターネットで情報を調べる。文字情報ではいまいち状況がつかめない。
twitterで生の声を知った。Ustreamで映像を見た。
家族に連絡を取るべく電話をかけまくった。
携帯電話は繋がらない。固定電話にかけた。Skypeを使った。
家族や友人、大切な人の無事を確認した。「死を覚悟した」と言う人がいた。
ドイツにいる僕には電話で安否を確認したり、励ましたりすることしかできない。

僕は自分の無力さを痛感した。

その夜、僕はケルンの試合を取材した。
試合後、槙野智章選手が被災地に向けたメッセージを綴ったシャツを着た。
翌日、僕はシャルケの試合を取材した。
試合後、内田篤人選手も同じくメッセージを綴ったシャツを着た。

今、僕にできること。

一人でも多くの人に彼らのメッセージを伝えること。

槙野智章選手からのメッセージ。
被災地のみんなへ
ガンバレ!
一人でも多くの命が救われますように!

内田篤人選手からのメッセージ。
日本の皆へ
少しでも多くの命が救われますように
共に生きよう! 

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撮影:たかすつとむ


posted by tpower |06:59 | 取材雑感 | コメント(0) | トラックバック(0)
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2011年01月29日

アジアの盟主を守れ。

3週間に渡り繰り広げられたアジアカップもついに決勝を残すのみとなりました。

最初の1週間はやたらと長く感じられましたが、途中からはアッという間に過ぎ去った感じがします。韓国との激戦(というより自ら激戦にしてしまった感はありますが)を制しての大舞台です。相手はオーストラリア。ここ5年で日本にとっては仇敵となった感のある国。アジア転籍から2度目の挑戦での決勝進出です。

韓国との準決勝のあと、アラブ系の記者から「これで日本はアジアナンバー1だな」と言われたので、「まだファイナルがあるよ」と答えたあとの氏の言葉が印象的でした。「オーストラリアはアジアじゃないよ!」。うーむ、確かにそうだ。現場の同業者の中にも「どう考えてもアジアっぽくないよね」という人もいるし、そういう話をしたのは1度や2度ではありません。

僕自身も彼らのアジア転籍を聞いたとき、南米やアジアとのリスキーなプレーオフで苦杯を舐め続けた経験が大きな要因だと推測したし、ともすれば「アジアなら余裕だろ」的なちょっとした上から目線を感じました。そんな中、迎えた07年のアジアカップ。東南アジアでの共催という特殊な環境、慣れない蒸し暑さの中、苦戦する彼らをみて「アジアの難しさを思い知ったか!」と上から目線返ししたことを覚えていますし、結局、南ア大会にはオセアニア枠が設けられたことによって、アジア転籍自体が徒労に終わったと思っているんじゃないかと邪推したこともあります。

もっとも、こうした思いは彼らの戦いぶりをみて変わってきました。具体的には、どんな試合でも公式戦ではベストメンバーを揃える姿勢や、アジアカップ開催に手を挙げ、決定させたことなどです。彼らへの見方が完全に変わったのはウズベキスタンとの準決勝でした。試合はご存知のとおり、開始早々から得点を重ねた完全なワンサイドゲーム。普通ならば途中で手を緩めたり、得点してもシラける状況ですが、彼らは容赦なく叩きのめし、これでもかと喜びを表現していました。これはオーストラリア人の生真面目な性格の表れであると共に、アジア王者に対する真摯な姿勢の発露だったと思うのです。彼らのアジアカップにかける思いは分かった。だからこそあえて言いたいことがあります。

「アジア王者はまだ早い!」

どんなに馴染もうとしても違和感がまったくないと言えば嘘になるし、何よりも転籍から2度目の挑戦で優勝できるほど、アジア王者の看板は軽くないと、アジアの先輩として教える必要があるし、世界にアピールする上でも、日本は勝たなければいけないと、僕は思います。そして、強力なライバルとなった彼らとの決勝には、タイトルやコンフェデ出場権のみならず、後世に残る大きな財産、つまり、今後、日韓戦に並ぶような伝統の一戦、その始まりの試合だったと後に呼ばれるような試合を期待したいと思います。

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※写真はアルサッドスタジアムでの一コマ。
撮影:たかすつとむ


posted by tpower |15:47 | アジアカップ | コメント(0) | トラックバック(0)
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