2012年01月14日

私は津田恒実さんの殿堂入りには反対だ

13日に、今年の野球殿堂入りの投票結果が発表され、競技者表彰では93年に32歳の若さで脳腫瘍により死去した津田恒実さんが、同じ元広島の北別府学さんとともに選出されたという。

津田さんはその現役時代、闘志溢れる熱投ぶりから「炎のストッパー」と呼ばれた。
また、度重なる故障にも挫けないガッツやその病魔との闘い、そして最後までマウンドへの執念を失わなかった野球への情熱で、われわれファンに勇気と感動を与えてくれた。
プロ野球の歴史を語る上で、忘れることの出来ない「記憶に残る」選手だった。

しかし、しかしである。
多くの反論を覚悟で言うが、私は彼の殿堂入りには反対である。
そのインパクトの大きさとは別に、病魔に蝕まれたために彼の実働期間は短く、通算成績は49勝41敗90セーブでしかない。
全盛期は間違いなく傑出した投手ではあったが、殿堂入りに値するかどうかは別物だ。
これが、「特別賞」的な例外措置だと言うならまだ理解できるが、わたしが目にした範囲の報道では、通常の「競技者表彰のプレーヤー部門」のようだ。
少なくとも、彼が選ばれるならその遥か前に佐々木主浩は選出されていなければならない。
それどころか、通算4000打数以上では史上最高の通算打率.320を記録したレロン・リーを初め、ランディ・バースやブーマー・ウエルズなど、外国人選手は蚊帳の外に置かれたままだ。
なにせ、あの落合博満ですら長年煮え湯を飲まされ続けて昨年ようやく選出されたのだ。
日本の野球殿堂の選出に関しては、理解に苦しむことだらけだ。
投票権のある記者達の見識を問いたい。

津田さんのファンへ与えてくれた感動に報いたいというのは判る。
であれば、通常の競技者表彰では無く、別の規定による「特別賞」を新設すべきである。
しかし、まず本来表彰すべき人たちの殿堂入りを実現することの方が先決である。

posted by toyorashotaro |00:33 | NPB | コメント(37) | トラックバック(0)
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2011年12月22日

「完投せえへん先発は投手の悦びを知らんのや!」草魂 鈴木啓示の泣ける金言

ずいぶん久しぶりに「週刊ポスト」を買った。
買った理由は、袋とじの特別付録「完全復刻 『微笑』『新鮮』のS○X大図鑑」に惹かれたからでは断じてない。

「言わずに死ねるか!腑抜けた野球界に渇!」という球界OB達による「もの申す」企画が読みたかったからだ(ホントですゾ!)
ここでは、空前の400勝投手カネヤンや「週ベ」でお馴染みの豊田泰光さんらが、たるみ切ったNPBを遠慮会釈なく叱り飛ばしている。
いずれのコメントもまさに暴論の一歩手前の正論であり「溜飲を下げる」思いである。

中でも深く感銘を受けたのが、「投げたらアカンのや」の「草魂」鈴木啓示さんの『完投しない先発は投手の「幸せ」を知らない』である。
まさにわが意を得たり!
氏は「幸せ」と表記しているが、その意を汲むとむしろ「歓び」であり「悦び」であろう。
そう、氏が語っているように「投手というのは、綺麗なマウンドに上がって投げ抜き、監督と勝利の握手をするのが何よりの喜び(悦び)だった」のだ。
おそらくその瞬間というのは、イッてしまいそうなほどエクスタシーを感じるものなのだろう。
この悦楽は、100球を超えたところでマウンドを降り、ダグアウトでハイファイブをしている現代っ子投手たちには到底知りえないものなのに違いない。

しかし、氏の「投手の幸せ(悦び)」という尺度には強い衝撃を受けた。
そこには、現代の球界に蔓延るセイバーかぶれの「効率論」や「故障発生率」がどうのこうのなどというビジネス理論にまみれた価値観など微塵も無い。
投手は、ビジネスのために投げるのでは無い、投手という「性」により攻め立てられる「悦び」のために投げるのだ!

こんな純粋な価値観をわれわれに教えてくれる評論家がいることの幸せを噛み締めよ!
ご同輩!

くーっ、泣けるね

ポストさん、またこんな企画やってね。
袋とじの特別付録が無くても買いますゾ!

posted by toyorashotaro |21:22 | NPB | コメント(4) | トラックバック(0)
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2011年12月18日

覚悟はしていたけど・・・やっぱり残念な「DeNA」というメディアでの呼称

「横浜DeNAベイスターズ」が誕生して2週間あまり。
その間、新監督の就任や外国人選手の獲得など、それなりに動きがあった。

監督にせよ、選手にせよ、巨人のお古をありがたがって引き取るという古くからのベイスターズの伝統をちゃんと踏襲しているのは、熱心なベイファンとして知られる森永卓郎さんがご自身のブログで「DeNAはベイスターズの文化を変えるな」と渇破しておられる成果だろうか。
それとも80年代に熱心な野球ファンだったという春田代表の文字通りDNAの中に、在京セという立場を利して巨人のコバンザメとしての恩恵にぬくぬくと浴していた頃の「横浜大洋ホエールズ」がしっかりとプリントされているからなのであろうか。

まあ、それはどちらでも、そのどちらでも無くても良い。
しかし、もうちょっぴり重要なことで少々残念なことがある。

この2週間、活字媒体で球団名を略称で記する場合、「横浜」では無く専ら「DeNA」と表記されているのだ。
冷静に考えてみればごく当然のことで、「埼玉西武ライオンズ」を「埼玉」と書いている新聞なんぞは無いのである。

しかし、わずかな期待もあった。
広島が1968年に「広島東洋カープ」と球団名に企業名を追加してからもどのメディアもカープのことを「東洋」と呼んでいないからだ。

まあ、今日は野球ファンのおじさんの儚い望みが崩れ去ったという愚痴を書きたかった。それだけのことだ。
オシマイ。

posted by toyorashotaro |14:25 | NPB | コメント(3) | トラックバック(0)
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2011年12月06日

「ケンカのルール違反」のナベツネ殿には失望した!

実はナベツネ殿をそれなりに評価していた。
没個性的な人物が大半を占めるNPBの現場およびフロントにおいて非常に得がたいキャラだからだ。
とかく出る杭にならぬことをもって良しとするこの国のビジネス(だけではないが)風土において、あそこまで「暴君キャラ」をメディアを通じても貫ける人物は稀だ。

(読売グループ以外の)ブン屋さん(死語だ)が望むような、越権行為的発言を(誘導通りに)繰り返し、われわれファンを楽しませてくれる(オレは不快だ!と言う方もいるかもしれない。しかし、ファンを不快にさせても、ファンの感情を引き出すという点で楽しませてくれているのだ。逆説的だが)。

ある意味では、超一流選手並みいやそれ以上に、「自分の役割を知り尽くしている」。
いまやNPB有数のエンタテイナーと評して良いだろう。

しかし、今日は心底失望した。
もちろん、今朝の読売新聞における「キヨタケの乱」への批判記事である。
基本的に私は、「ナベツネVSキヨタケ」は私怨に基く個人間の戦いであると認識している。
事の発端であるキヨタケ氏の鉾先は、読売新聞や読売巨人軍にでは無く、ナベツネ殿個人に対して向けられていると承知しているからだ。
最後まで、個人としての知力/財力/人脈を駆使して戦って欲しい。
したがって、今朝の朝刊も記事ではなく、ナベツネ殿個人の私財を投じた広告として展開されたのであれば、私は「あっぱれ!」と心の底から彼のフトコロの深さを賞賛したであろう。

ところが、実態は「記事」だった。
しかも法人としての読売新聞グループからの反論である。
ナベツネ殿は代表権を持っているのだから、「彼個人への批判は法人への批判だ」というのが読売側の論拠だろうが、それは違う。
キヨタケ氏が戦いを挑んでいるのはあくまでナベツネ殿であることは明白だからだ。
これは「コンプライアンス」を超えた「ケンカのルール」違反だろう。

さらに言えば、ジャーナリズムとしての読売新聞にも大いに失望させられた。
私の知る限り、読売新聞の紙面を広告等で1ページ(業界用語で15段と言う)買えば、ン千万円するはずだ。
それを経営者1個人の私怨をはらすために使用するということが、社会モラルとして許容されるのだろうか?

いや、仮にこの一件が単なる個人間のケンカではなく、記事で取り上げるべき事件であったとしてもここまで大きく紙面を割くに値することだろうか?
日本中、世界中で多くの重大事件が日々起きている。
それなのに、12月6日の読売新聞ではたかが「ナベツネVSキヨタケ」の痴話ゲンカ以上に大々的に取り上げられた事件はなーんにも無いのだ。
これが「東○ポ」なら理解も出来るが。
これでは、ジャーナリズムとしての任務を放棄していると言われても仕方ないだろう。

ちなみに私はこの文章をカイシャのPCを使って、昼休み時間に書いた。
これも立派な「コンプラ違反」だろうが許して欲しい

posted by toyorashotaro |13:30 | NPB | コメント(8) | トラックバック(0)
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2011年12月05日

横浜は巨人との契約が濃厚の村田を引き留める必要無し

かねてから噂されていたように、横浜からFAとなった村田修一の巨人入りが濃厚のようだ。
ベイスターズの買収が正式に12月1日のオーナー会議で承認された直後には、「横浜DeNA」
が村田に対し引き留めの交渉を行っているが、その努力は水泡に帰しそうだ。
いや穿った見方をすれば、新球団として「精いっぱいの努力をしています」というファンへのポーズだったのかもしれない。

私は村田の引き留めには反対である。
来季は31歳になる村田は明らかに力が落ちて来ている。
今季は、最終戦で2本塁打を放ちかろうじて20本の大台(小台?)に乗せたが、パワー不足が目立った。これは統一球の影響だけでは無いだろう。
昨季も全144試合に出場しながら26本塁打しか打っていないからだ。
もはや2007―2008年に連続本塁打王になった頃の迫力は感じられない。
もともとあまり四球を選ばず出塁率が低いため、パワーに陰りが出てくると連動してOPSも年々目に見えて低下し続けている。
要するに、仮に来季以降も残留しても基本的にはこの1-2年の成績を上回ることは無いと考えるのが順当だろう。
ならば、村田の引き留めに大枚をはたくのは得策では無く、来季は筒香嘉智を三塁に据えて多少の粗さには目を瞑り起用し続けるべきだろう。

DeNAの(どうもこの言い回しはしっくりこない)春田新オーナーは「3年以内にクライマックス・シリーズに進出できるチームにしたい」と抱負を語っているようだが、そうであればなおさらだ。
村田を長期契約で引き留めても3年後には不良債権化している懸念は拭い去れない。
また、春田氏は「とりあえず最下位からは脱出してほしい」ともコメントしているが、それであれば当座の戦力としては、外国人選手に頼るのが定石というものだ。

ちなみに、村田を獲得するであろう巨人が提示した条件は2年総額6億円らしい。
単価はともかく、わずか2年契約と言うところがミソだ。
大物FAが発生すると誰彼と無く飛び付くのはこの球団の伝統だが、村田の場合は契約年数を抑えている。
すでに衰え始めていることを認識しているのだ。
FAで散財を続けた巨人もそれなりに学習したと言うことか。

posted by toyorashotaro |00:13 | NPB | コメント(9) | トラックバック(0)
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2011年12月04日

WBC参加は決まったようだが、収益配分増は諦めたの?

やや旧聞に属するが、12月1日に開催されたオーナー会議で、「横浜DeNAベイスターズ」の誕生とともに承認されたのが、2013年に開催される第3回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)へのNPBとしての参加だ。

次回大会への参加に関しては、大会主催者のWBCI(実質的にMLB)からのスポンサー料の配分を巡り異を唱えていたNPBおよび選手会は、改善無くしては出場辞退を表明していたのはご存知の通りだ。
日本側からの要望に対しWBCIは強硬な姿勢を崩そうとせず、交渉は暗礁に乗り上げていた感があったが、NPBは日本代表を常時設定し、定期的に対外試合を行いスポンサーを募り独自の収益を確保すると言う自主的な代替案を設定することにより、WBCへの参加に関し一気に方向転換したのだ。

今後、NPBには選手会の合意を取り付けるという課題が残るが、まずは最悪の事態は回避されそうで野球ファンにとっては一安心だ。

しかし、NPBとWBCIの交渉はどうなったのだろうか?
公表されていないだけで、実はWBCIからNPBを黙らせるための多少の譲歩となる「アメ玉」がこっそり渡されたのだろうか。
それとも、本当に日本代表の常設と言う日本単独の自助努力で事を解決したのだろうか?
もし後者が真実とすると、日本代表の常設のアイデア自体は大賛成だが、あれほど大上段に振り上げた拳をあっさりなんの譲歩も引き出せずに下ろしたことになり、WBCIに「日本取るに足らず」の印象を与え、今後の抜本的な交渉の余地を狭めてしまったことになろう。

個人的には、本件は以下のように解決するのが良かったのではと思う。
日本のスポンサー獲得に応じたインセンティブの設定だ。
NPBと選手会が声高らかに訴えていた「日本が最も大会スポンサーに貢献している」のは紛れも無い事実だ。
その一方で、NPBと選手会はスポンサー獲得のための営業活動を展開したわけではなく、単に本業である「野球」に専念しただけで、WBCIが主張しているように「大会が失敗に終わった場合のリクスも負っていない」のも事実だ。

そこで私の提案は、他の(経済的に)弱小出場国とは扱いを変え、日本に関しては収益配分は「固定分+獲得スポンサー数およびその金額に応じた出来高払い」とするというものだ。
要するに、強いチームをつくるとともに日本企業に対しWBCIの手先として積極的に営業活動を仕掛けることにより、成果を上げれば上げるほど収益配分が増える。
また、その逆もしかりという構図にするのだ。
これは日本にとって、収益源と自己責任をセットで請け負うことになるので大いなる発奮材料になろう。
また、日本がスポンサー獲得にやっきになってくれることはWBCIにとっても大いにメリットがあることだ。
いわばWin – Winと思うのだがいかがだろう。

posted by toyorashotaro |13:35 | NPB | コメント(1) | トラックバック(0)
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2011年11月23日

「正力賞」が「球界で最も権威がある」って誰が言った?

読売新聞社制定の2011年「正力松太郎」賞に、福岡ソフトバンク・ホークスの秋山監督が選出された。
この賞は、23日の読売新聞朝刊の表現を引用するなら、「プロ野球界で最も権威がある」のだそうだ。

新聞という事実を客観的に伝えるべきメディアが、このような主観的な形容を用いるのはいかがなものか。
少しもジャーナリスティックでは無い。
ここは、他の媒体が用いているように、「プロ野球界の発展に最も貢献があったと判断される人物に贈られる賞」と表記するべきだろう。

そもそも私は、この賞を読売新聞系以外のメディアが「球界で最も権威がある」と評した例を寡聞にして知らない。

もちろん読売新聞系以外が、容易にはライバル社が制定した賞を「最も権威がある」とは形容しないだろうが、理由はそれだけでは無さそうだ。

まずはその受賞者だ。
私は今季の秋山監督の功績を否定するものでは無いが、読売新聞の記事によると「選考委員会の中ではほとんど異論も無く決まった」そうだ。
だれ一人として「楽天の田中の超人的なパフォーマンスこそ、『球界に最も貢献した』とするに相応しい」と発言しなかったのだろうか?
日本一の監督ということで、安易に秋山監督を選出しただけではないのか?

いや今年だけではない。
これまで累計で37人がこの「栄誉ある賞」を受賞しているが、内25名は日本一監督なのだ。
しかも2001年以降は全員が監督だ。
これでは、「日本一監督賞」と改名すべきである。

さらに不可解なことに、この賞が制定された1977年以降のべ7人の三冠王が生まれているが、だれひとりとしてこの賞を受賞していない。
こんな選考をしていては、「権威」など生まれて来ようはずが無い。

では、なぜこのような安易な選考が行われているのだろうか。
それは、わずか数人の委員会による合議制を取っているからだろう。
日本人の気質として、合議制の場合はメンバーの中でリーダー格の人物の意見に他のメンバーも雷同してしまいがちである。
特にこの選考委員会のように、年功による序列がはっきりしている選手出身者中心に構成されている場合はなおさらだろう。
この賞のように「最も貢献があった」など選考基準が主観的になりがちな場合は、やはり大人数による投票制がふさわしいだろう。
それこそ、委員会による討議前にかのナベツネ殿に「今年も日本一監督でよろしいでしょうか?」とお伺いを立てているのでは?と邪推したくなる。

「プロ野球界の発展に最も貢献があった人物を毎年表彰しよう」という理念は、間違いなく崇高だ。
ぜひその素晴らしい理念に合った選考の基準と手法を導入して欲しい。
それが実現して初めて、この賞が読売新聞系以外のメディアからも「最も権威がある」と紹介されるようになるだろう。

今のままでは正力松太郎翁が草葉の陰で哭いている。

posted by toyorashotaro |19:55 | NPB | コメント(10) | トラックバック(0)
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2011年11月23日

劇場化する「ナベツネVS清武」はNPBの健全さを示す人畜無害のエンタテーメント

読売ジャイアンツの球団取締役代表兼GMを解任された清武英利氏が25日に開く記者会見の会場が、有楽町の日本外国特派員協会に決まったらしい。
この会場は外国メディアの総本山であり、彼らの情報発信力も活用し世間の注目を集めようという狙いだろう。
一方のナベツネこと渡辺恒雄球団会長は、法廷闘争も辞さずという清武氏の姿勢に対し、最強弁護団を用意し「オレは裁判で負けたことが無い」と腕を撫しているという。

このような一見泥沼化の様相を呈している名門球団の「お家騒動」は、野球メディアの枠を超え、奥様向けのワイドショーでも盛んに取り上げられているのは皆さんご存じのとおりである。
祝日の今日、普段なら到底見ることができない時間帯のワイドショーのひとつを眺めていると、本件に関しあるコメンテーターが「小さな子供達の憧れであるプロ野球でこんな醜い争いが繰り広げられるなんて・・・」という主旨のコメントを発し眉を顰めていた。

しかし、そうだろうか。
私にはこの一件は「ストーブリーグにうってつけのなんとも健全なエンターテイメント」としか見えない。
そこにあるコトの本質は、どこの企業にでもある内輪もめでしかない。
それが巨人軍と言う超有名な企業だけにわれわれサラリーマンも「ある、ある」という感じで親近感を持ちつつもTV桟敷で高みの見物を楽しめるのだ。
そこには、○○製紙のような経営陣の背任行為もオ×××スのような不正経理も無い。
いや同じスポーツ界でのMLBの薬物使用や、数年前までの台湾球界での裏社会と結び付いた八百長、大相撲での星の売買や内部暴力などの、業界の存続を揺さぶるような深刻な問題では無いのだ。
要するに、これは「スキャンダルでも何でも無い」

本件を通じ、ある意味ではNPBの本質的な健全さを私は再確認し大いに安堵している。
逆に言えば、(小さな問題が数多く有れど)今のNPBには「不正」と言えるような問題点とは無縁なのだ。
巨人軍を心から愛する純粋なファンの方には申し訳ないが、ここは「ナベツネ対清武第2ラウンド」をじっくりと楽しませていただくとしよう。

posted by toyorashotaro |13:15 | NPB | コメント(2) | トラックバック(0)
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2011年11月22日

東海大菅野の選択を支持したい

日本ハムからドラフト1位指名を受けた東海大学の菅野智之投手が1年間の浪人宣言を行ったのは、皆さんご承知の通りだ。
NPBの球団区分が「巨人とそれ以外」だった時代ならともかく、巨人人気の突出ぶりが無くなり、セ&パの人気格差もすっかり解消(というか逆転?)された近年ではここまで巨人入団にこだわった例は(長野久義という例もあるが)珍しく、かえって新鮮さすら覚える。

昨日の「浪人宣言」以降、メディアの報道も伸び盛りの若者にとっての1年を失うことのリスクの大きさを指摘する向きこそあれ、「野球ができればどこでも同じではないか」というような批判がましい論調が決して多くないのは歓迎すべきであろう。

正直なところ、一野球ファンとしては「そこまで巨人にこだわる実利的な意義があるのか?」「読売グループや東海大関係者のしがらみで日本ハムに行きますとは言えない環境にあったのでは?」という疑問が無いわけではないが、そこは22歳とはいえ立派な成人の選択だと支持したいと思う。

大事なのは、野球選手としてどうあるべきかという観点を超えて、これは「職業選択の自由」という基本的人権の問題だからだ。
現行のドラフト制度では、選手は球団を選べない。
私もこれに異を唱えるつもりは無い。
それがルールだからだ。
しかし、選手は入団を拒否することはできる。
これは何人たりとも侵すことはできない。
このことは、自分に置き換えてみると良く理解できる。
私も転職歴があるが、その際「あーだ、こーだ」と色々周囲に言われたものだ。
しかし、それが成功しようが失敗に終わろうが全ては自らのリスクで行うことだ。
他人にとやかく言われる筋合いではなかった。

同じことが今回の菅野にも言えよう。
これが賢明な選択だったと後年言えるかどうかは現時点では神のみぞ知ることだが、全てその責は彼自身が負う事だ。

かつて、法政大学時代の江川卓がクラウンライターからの指名を拒否するに当たり語った「九州はあまりに遠い」という発言に対し、当時のマスコミは「なんと狭量な」と批判した。
本当に九州が(関東から)遠いかどうかは別にして、その感覚は十人十色だ。
(それが真の拒否の理由だったかどうかは別にして)九州の「遠さ」を理由に入団を見合わせることは個人の権利の範疇だ。
その点では、当時の江川は気の毒だったし、菅野は遥かにましになった時代にドラフトを迎えたと言えよう。

posted by toyorashotaro |21:54 | NPB | コメント(11) | トラックバック(0)
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2011年11月19日

清武氏は「組織人失格?」それとも・・・

引き続き、NPBやMLBの動きについてのチャッチアップに務めている。
その中でもこれについても触れざるを得ないだろう。
「清武事件」である。

わが家で取っている読売新聞は、当然のことながら清武氏に批判的な論調で、かつ「識者」として「島耕作」シリーズの弘兼憲史氏らの「社内の問題をメディアに暴露するのは組織人として失格である」という主旨のコメントを引用していた。
一般論としてはその通りだろうが、プロ野球団という存在はそれ自体が取材および報道される対象であり、「巨人軍」を私やあなたが勤務する一般の企業と一緒くたにするのは必ずしも適切ではないだろう。
読売新聞としては「サラリーマン社会」を題材に人気漫画をプロデュースする氏の知名度を利用したかったのだろうが、「サラリーマン社会」や「組織」は氏より現役のサラリーマンであるわれわれの方が遥かに良く知っている。
いわば「部外者」の方から「組織と言うものは・・・」と説かれるのにはやや抵抗を感じた。

組織人の観点からすると、むしろなぜゆえ清武氏が「反旗をひるがえす」という行為に出たのかということに興味がある。
清武氏も球団代表という立場を任されていたほどの人物だから、ビジネスを進める上での戦略や戦術のセンスもそれなりに持ち合わせているはずだ。
巨人軍という組織に属して「上司」である本社の代表取締役会長のナベツネ殿に謀反を起こしても勝ち目がないことが判らぬほど愚かではないだろう。
「記者会見」行為はGM職を解かれたことに対する反発からの衝動的行動とは思えない。
記者会見を開いてメディアの力を借りても、問題自体がいわば「社内問題」である以上、その結果は一層自らに不利になることは火を見るより明らかである。

優秀な(賢明な?)ビジネスマンというのは常に、あるアクションを起こした際にそれがどのような影響を呼ぶか?それが自分に対しポジティブかそうでないのか?それがネガティブなものであった場合に、どのようなリカバリーショットを打つか?最終的な落とし所をどこに設定するか?を踏まえた上で行動に出るものだ。

ということは、「記者会見」を開いた時点でその余波が「解任」に及ぶことは「想定内」であったはずで、それ以前からナベツネ帝政にホトホト嫌気がさしていた清武氏は巨人軍を飛び出す機会を伺っていた。「週間ベースボール」等で文筆活動も展開していた氏のことだ。
今後は「経営者」の視点からの野球評論家に転身する「戦略」を持った上での行動では?と見ているがいかがだろう。
その意味では「記者会見」は、「ナベツネに反旗をひるがえした男」というイメージをマスに対し印象付ける絶好のプロモーションだったと言えよう。

posted by toyorashotaro |12:39 | NPB | コメント(5) | トラックバック(0)
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2011年10月30日

「モバゲー」がダメで「DeNA」ならOKの理由は?

夕方、テレビを見ていたら「バンキシャ」トカいう番組で横浜ベイスターズの身売り問題を取り上げていた。

それによると、27日に予定されていた球団譲渡に関する記者会見が急遽延期されたのは、一部の球団オーナー達が球団名に「モバゲー」という商品名を付記するのに難色を示したからだという。

もちろん、私もファンの端くれとして「モバゲー・ベイスターズ」には成って欲しくはない。
いつまでも「横浜ベイスターズ」でいて欲しいものだ。

しかし、よんどころのない事情により企業名が入るなら、それが「DeNA」だろうが、「モバゲー」だろうが、まあどーでも良いコトである。

「バンキシャ」が報道するところによると、「企業名なら良くて、商品名はNG」らしい。
なぜなら、「商品名を入れることは売名行為」だからという。
全く理解に苦しむ。
現在のNPB各球団は、売名のために企業名を名乗っているのでは無いか?
売名のどこが悪い?

企業名を「売名」することは、商品名を「売名」することに比べどれだけ高尚なのだろう?

私見だが、NPBが今後現実的な戦略で経営を安定させる方法は、スポンサー制度の導入しか無いように思える。
「親会社」なるものの呪縛から解き放たれ、独自に経営を成り立たせる努力をする。
そして、収入を安定させるため、(親会社の補てんではなく)企業努力としてのスポンサー獲得努力を経済原則に則り促すのだ。
その結果、自動車レースのスポンサー・ステッカーのように、ユニフォームが変わるのも仕方ないと思っている。
球団名が都市名なら。

posted by toyorashotaro |20:20 | NPB | コメント(10) | トラックバック(0)
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2011年10月26日

感心しない引退登板での「お情け三振」の贈呈

25日(火)、2011年NPB公式戦の全日程が終了した。
「トリ」を飾ったのは、神宮球場で開催されたヤクルト対広島戦。
広島マエケンのあわやノーヒッターの快投も見られた(結果的には敗戦投手となったが)この試合は、ヤクルトの石井弘寿の引退試合でもあった。

石井は05年には37セーブを挙げた剛速球左腕だが、その後肩を壊し07年以降は一軍での登板は無かった。
07年以降ということは、5年間もリハビリの期間を与えてくれた訳だからヤクルトは情に厚い球団だ。

そして、その情に厚いヤクルトは現役を引退する石井に試合後のセレモニーだけではなく引退登板の機会も与えてくれた。
この試合の7回にマウンドに上がった石井は、かつての片鱗も無い遅い速球で広島の松本を三球三振に切って取った。
引退登板の投手に対し、三振を意図的に提供してあげるのはすっかりNPBに定着した儀式となった感がある。

実は、筆者はこのようなトレンドが好きでは無い。
「花道を飾る」のはこの国の古くからの伝統だが、プロのアスリートとしては対戦相手に手加減を加えられることほど屈辱的なことは無いと思っている。
現役を去る投手に対しては、あくまで全力で立ち向かってあげるのが敬意であり、結果的に安打を放ったり、いや場合によってはスタンドに(かつて横浜の村田修一がそうしたように)叩きこんであげるのが本当の意味での「武士の情け」だと思うのだがいかがだろうか?

筆者はこの場面はスポーツニュースで観たのだが、お情けの三振をプレゼントされる石井が哀れでならなかった。

posted by toyorashotaro |23:11 | NPB | コメント(4) | トラックバック(0)
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2011年10月22日

内海は先発し、長野はスタメンで出てタイトルを取って欲しかった

東京ドームに巨人対横浜の今季最終戦を観に行って来た。
理由はもちろん、今日で最後に成るかも知れないわが「横浜ベイスターズ」の姿を目に焼き付けるためだった。

試合は期待以上に見ごたえのあるものだった。
横浜のユニフォームでのラストゲーム?の村田の2打席連発や、育成枠から今季ブレイクした国吉の好投があった。
そして、フィナーレは巨人長野のあまりにも劇的な代打逆転サヨナラ本塁打。
これにより長野は初の首位打者獲得に大きく前進し、5回から登板した内海は18勝目を挙げ最多勝利のタイトル獲得を決めた。

巨人原監督にとってのこの試合の大きなテーマとして、内海と長野にタイトルをプレゼントするということがあったが、内海を5回から投入し長野はスタメンから外した決断が見事に功を奏した。

しかし・・・
やはり画竜点睛を欠く印象は拭えなかった。
内海は最多勝を狙うのであれば、堂々と先発し最低5回を投げて欲しかった。
長野(2位のマートンにはまだ残試合があるのでタイトルは確定していない)もスタメンで出場し、フル出場で打率を挙げて欲しかった(もっとも先発出場していたらサヨナラの場面に打席が回っていない可能性が高いが)。

もちろん彼らや原監督を批判する気はない。
彼らはタイトル争いの渦中における今のNPBでの常識に則り、出場したり先発を控えたりしただけなのだから。
84年の本塁打王争いにおける掛布と宇野に対する阪神&中日の敬遠合戦や、98年の盗塁王を巡る西武松井とロッテ小坂に対するボーク攻勢などの球史に残る汚点を経験した我々にとってはこの程度のことは完全に許容範囲内になっている。

しかし、やはりタイトルは最後の最後までガチンコで勝負し勝ちとって欲しいと思う。
そして、その結果の勇敢な敗者に拍手を送りたいものだ。
マスメディアに世論を制御されていた頃ならいざ知らず、ブログやツイッターで一般のファンも多くの人々に持論をアピール出来る時代だ。

ファンの意見に動かされ球界のタイトル獲得に対するモラルや価値観が変わることを願ってやまない。

posted by toyorashotaro |23:47 | NPB | コメント(5) | トラックバック(0)
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2011年09月24日

落合退団で考える「監督の責務」と「野球へのリスペクト」

今週は、中日の落合博満監督の今季限りでの退団発表が議論を呼んだ。
議論のポイントはふたつ。
ひとつは今季で切れる契約の更新見合わせの理由としての「観客動員減」。
そして、ペナントレース終盤の優勝争いの真っただ中での退団発表という「時期の是非」だ。

まずは、「観客動員減」だ。
一部には、「監督の仕事はチームを勝利に導くことで、観客動員の責まで負わせるのは酷」との意見もあるようだ。
しかし、是非はともかくNPBでは監督へのフロントの期待には現場監督の役割だけでは無く、その知名度によるプロモーション効果も含まれていることは「前提」だ。
要するに「カントクなんぞ誰がやっても勝敗に大差は無い」という考えに立脚しているのだ。
そして誠に残念ながら、この考えを科学的に論破するのは極めて困難だと言わざるを得ない。
メジャーでは現役時代の実績と指導者としての資質は別物との考えが浸透しており、「名監督」と呼ばれる人たちの多くが、選手としては2~3流だった。
このメジャー流はある意味理想的だが、これが成り立つには指導者を目指す人たちの切磋琢磨の場となる数多くのマイナーリーグ球団の存在が前提になる。
この「前提」が存在しないNPBにおいては「監督は元一流選手のセカンドキャリア」であるのも止む無しだ。

落合監督は「現場」ではしっかりと結果を出したが、販促効果は思いのほか見いだせなかった。
これは事実だ。
今回の退団が契約期間内の更迭なら話は別だが、契約期間満了に伴う延長の見合わせなのでまあ仕方なしだろう。
また私が気になったのは、落合監督が「勝つのが一番のファンサービス」と語り、自らのメディアやファンへの対応の怠慢を正当化していたことだ。
ファンサービスは、「毎日勝てるわけでは無く、毎年優勝できるわけでは無い。その前提でいかにファンに満足や希望を与えるか」という考えに立脚していなければならない。
もっとも、観客動員減少の責任が落合監督のみにあるのでないことも当然で、落合監督在位7年で3度のリーグ優勝と1度の日本一というプラットフォームがありながら、観客動員を伸ばせなかった球団の営業担当とその責任者は厳しい人事評価を甘受すべきだろう。

もうひとつの論点は「退団発表時期」だ。
一部には、「地元での首位攻防の4連戦の直前発表による販促効果」を狙ったとの見方もある。
事実そうだったのかもしれない。
また、ある球団幹部は会見で「この時期の発表が選手に悪影響があるとは考えていない」と述べている。
事実退団発表後、チームは2連勝だ。
しかし、しかしだ。
やはりこの時期に監督の交代を発表するのは賛成できない。
これは、ペナントレースに対する冒涜行為だ。
良くメジャーの選手が口にするフレーズを流用させてもらうならば、
「野球というゲームに対するリスペクトが足らない」と思う。

posted by toyorashotaro |11:09 | NPB | コメント(5) | トラックバック(0)
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2011年09月11日

楽天田中はラリー・ホームズだった

昔、ラリー・ホームズというボクシングのヘビー級チャンピオンがいた。
全盛期はたしか80年代前半くらいで、その実力は超一流。
一部の専門家の間では史上最強ではないかという意見さえあったが、人気はさっぱり盛り上がらなかった。
「強すぎてつまらない」とか
「キャラが地味」とか言われたものだ。
しかし、そんな彼が一気に全米中の耳目を集めたことがある。
ゲリー・クーニーという白人の挑戦者が現れた時だ。
「憎らしいくらい強い黒人の王者対若いハンサムな白人の挑戦者」という映画「ロッキー」さながらのお膳立てがあって、初めてホームズは輝けたのだ。

昨日の「マー君対佑ちゃん」のマッチアップを見ていてふとホームズを思い出したのだ。
マー君こと田中は、プロ5年目にしてすでに球界を代表する大投手だ。
ここまでの球歴で、五輪やWBCにも出場し、年俸は2億円を超えている。
つい先日は、1試合18奪三振というドえらいこともやってのけた。
要するに、プロでの実績という観点では田中と斎藤では天と地ほどの差があり、二人を比較することすら愚かなほどだ。
事実、昨日の投球内容も「プロでのキャリアの差」を超えたものを感じた。
簡単に言えば「モノが違う」のである。

しかし、それでも田中は「ハンカチ世代の一員」であり「マー君世代のリーダー」では無い。
以前、ある本で田中が「これだけ実績を残したのに、まだ『ハンカチ世代』と言われるんですよ」とこぼしていたということを読んだことがある。
おそらく、そのことは田中自身の中でとてつもない屈辱感であり、強烈なモチベーションの源になっていたことは想像に難くない。

また、田中は紛れもなく球界有数の人気を誇る大スターだが、仮に甲子園での斎藤とのバトルという伝説が無く、その後も斎藤と対比される存在でなければ、パブリシティの面ではここまでの人気者でなく単なる「パリーグを代表する好投手」という域に留まっているであろうことも否定するのは難しい。

その面では、やはり「斎藤がいてこその田中」という側面があることも事実だし、今後田中がいくら実績を挙げても決して得ることができないものを斎藤が「持っている」ことも確かだろう。

前述のホームズは、実力の差を見せつけて挑戦者のクーニーを退けると、なんとリング上で泣きだした。
それまでに、「所詮造られた挑戦者」だったクーニーとは違うホンモノの手ごわい挑戦者を何人も倒してきた百戦錬磨のホームズがだ。
逆に言えば、それだけ(実力差が歴然でも)自分に無いものを持っているクーニーとの対決に賭けていたということだ。

もちろん、田中は泣いたりはしなかった。
しかし、昨日の一戦に彼も賭けていたと思うし、人目につかぬところで斎藤への完全勝利を素直に喜んだはずだと思う。

posted by toyorashotaro |11:25 | NPB | コメント(1) | トラックバック(0)
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