2010年08月29日
初めてその存在を知ったのは、ヒューストンの球場の歴史をチェックしていた時でした。今回のヒュ-ストン訪問で、昼間のノーラン・ライアン・センターと夜間のミニッツメイド・パークでの観戦の間に66年オープンのあのアストロ・ドームと、その駐車場敷地内にかつてあった62年のアストロズ創立時(当時の名はコルト45)の本拠地コルト・スタジアムの跡地を訪れる予定でしたが、さらにその前の球場の情報に出合ったのです。
それは、マイナーのテキサス・リーグ所属のヒューストン・バファローズの本拠地、バファロー・スタジアム(通称バフ・スタジアム)です。
どうやら、その球場の跡地には現在は大きな家具屋さんが建っているらしい。そしてその家具屋の中に当時のホームプレートがそのまま残されているらしいのです。
このこと自体はアメリカでは特に珍しいことではありませんし、日本でも難波の大阪球場の跡地に建つ商業施設「なんばパークス」にはホームプレートとピッチャーズ・プレートの位置にはちゃんとマーキングが残されています。
凄いのはここからで、その家具屋さんの中に残るバフ・スタジアムのホームプレート周辺は「ヒューストン・スポーツ・ミュージアム」になっているらしいということです。
なんじゃそれりゃ?
これは是非とも訪れなければ・・・
そんな思いでヒューストンのダウンタウンの外れにある「フィンガー・ファニチャー」を目指しました。
広い店内は平日ということもあり、お客はまばら。
あんまり広すぎて店舗内を探しても、ミュージアムの場所が分かりません。
インフォメーションのカウンターにいた親切そうなおじさんに尋ねてみまたところ「あのあたりだよ・・・・」
確かにありました。
これは凄い。
相当充実した内容です。
しかも入場無料(これがうれしい!)
バフ・スタジアムのホームプレートはマーキングではなく実物そのものでした。
こんな球場だったようです。
バファロースのロゴマーク。これは球場のフェンスの一部?
テキサス・リーグのバファローズに関する数々の展示品。貴重品です。
そして62年に遂にメジャー球団が誕生しました。
ヒューストン・コルツ45です。
このチームはその後、アストロズと改名されました。
そして当時としては、空前にして絶後のアストロ・ドームが完成します。
アストロ・ドームの所在地は、バフ・スタジアム跡地から10kmくらい離れたところです。
駐車場内にあるのは、コルト・スタジアム。
ドーム時代のアストロズといえばやはりこの方ですね。
ご存知ライアン先生です。
現代のアストロズに関する展示も。
しかし、タベラス、ガーナー、エインズバーグとは地味ですね。
ここからが凄い。
これはなんと歴代1位の通算3731勝監督のコニー・マックの直筆書簡です。
どうやらこの家具屋の初代オーナーのフィンガー氏宛のようです。
どうやらフィンガーさんはかなりの大物のようです。
これは68年当時の大統領リンドン・ジョンソンの自筆サインが入った書簡です。
ベーブ・ルースのサインボールもある・・・
それがこんな家具屋さんの中に・・・
これはミュージアム部分から展開を見たところ。
視界に入ってくるソファーは当然商品です。
いやはや・・・
posted by toyorashotaro |14:19 |
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2010年08月27日
ノーラン・ライアン・センターのご紹介の最終回です。
スポイラ等の数々の雑誌の表紙を飾ったライアンを紹介するコーナーもありました。
この笑顔。若いですねエ。
クールですね。
二つ前の写真と比べると年輪を感じさせる表情です。
こんなのもありました。
野球カードの数々。
私が所有しているものも在って妙に感動しました。
メジャーリーガーになっても心はテキサスのカウボーイ?
試合前のアトラクション、乳搾りコンテストでのヒトコマです。
ちなみに手前はウイリー・スタージェルです。ご存知でしょうか?
こんな恰好も決まっています。
ライアン以外のレジェンド達のサインボールも多数展示されてましたので紹介します。
いずれも所有はライアンだそうです。
これは、ボブ・フェラー、サンディ・コーファックス、そしてライアン。
なんとも豪華な剛速球投手3人の寄せ書きです。
これはジョー・ディマジオ。
これは何と、あのサイ・ヤング!
ほんまカイナ!!!
妙にボールが新しいので「本物ですか」と事務の女性に聞いたら「サッパリワカリマセン」でした。
これは人間機関車の異名を取ったウオルター・ジョンソンです。
あの時代にこんなプリントボールがそもそもあったのか・・・?
これはライアンが獲得したリングの数々。
一番上は1969年ミラクルメッツの一員として世界一になったときのもの。
見学コースの最後にはギフトショップがあるのはどこの博物館も一緒です。直筆サイン入りのアイテムが中心で垂涎状態でした。
正味2時間の見学でしたが、もうおなか一杯!
これだけで渡米した価値があった!
そして、ライアン・センターを後にし次の目的地に向かいました。
次の目的地とは、「家具屋の中の野球博物館」です。
posted by toyorashotaro |23:24 |
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2010年08月25日
引き続きノーラン・ライアン・センターをご紹介致します。
ライアンは現役時代はニューヨーク・メッツ、カリフォルニア・エンゼルス、ヒューストン・アストロズ、テキサス・レンジャースに合計で27シーズン在籍しました。
展示もメッツ時代~レンジャース時代までなっていますが、ここではトピック別にご紹介しましょう。
まずは、実際に着用したユニフォームです。
メジャーデビューのメッツ時代。
ライアンにとっては、制球難に苦しんだ時代ですが、唯一のワールドシリーズ出場(1969年)もメッツ在籍時でした。
一般的には、アストロズやレンジャース時代の印象を強くもたれているファンが多いと思いますが、私のような古いファンにとっては圧倒的に「カリフォルニア超特急」と呼ばれたエンゼルス時代がライアンのイメージです。
しかし、このアストロズのレインボーユニも懐かしいですね。
日本では日本ハムが模倣しました。
そして最もお馴染み(?)のレンジャース時代です。
お次は、ライアンの快挙に関する展示を紹介致しましょう。
ここには、史上最多の計7回のノーヒッター達成時のウイニングボールが全て展示されてあります。
ちなみに、1度目と2度目はいずれも73年です。1シーズンに2度というのも考えてみれば凄いことです。もっとも上には上があり、38年のジョニー・バンダ・ミーア(レッズ)の2試合連続ノーヒッターというオバケ記録もありますが・・・
途中は省略して、これは最終の7度目。91年5月ライアンが44歳(!)の時です。
ここからは、ノーヒッター以外の快挙の数々です。
エンゼルス時代の73年にサンディ・コーファックスの記録を更新する歴代1位のシーズン383奪三振を達成。
翌74年には球団の企画による計測が行われ、時速100マイル超を記録しました。
現在でもギネスブック上はこれが世界一の認定記録です。
これは通算5000奪三振のボールです。89年のレンジャース時代です。
翌90年には通算300勝を記録しました。
更に続く
posted by toyorashotaro |18:30 |
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2010年08月23日
ノーラン・ライアン・エギジビット・センターはヒューストンのダウンタウンの南、約50kmのアルビン市にあります。
「アルビン」と書きましたが、綴りは”Alvin”で地元の人は「アルヴァン」と発音しているケースが多かったように思えました(私が会話した現地の方はラテン系が多かったためでしょうか)。
ここは、アルビン・コミュニティ・カレッジの敷地内にありますが、周辺は見事なまでに何も無し。
ひたすら伸びる直線の35号道路だけです。したがって自動車以外でのアクセスは無理と申し上げて良いでしょう。
私は、ダウンタウンの北約35kmの場所にあるジョージ・ブッシュ・国際空港でレンタカーのヒュンダイ(イチバン安いクラスです)を8月9日の朝10時にチェックアウトし、一路ノーラン・ライアン・エギジビット・センターを目指しました。
順調に行けば一時間少々で到着するところですが、お恥ずかしながらアルビンを通り過ぎ遥か南まで行ってしまうという失態を演じたため、到着したのは空港を出て二時間後のことでした。
こんな風景の中を走りましたが、実はこの時点で既に目的地を通り過ぎていました。
引き返してようやく近くまで辿り着くと沿道には、こんなサインが出ていました。
そして到着です。
ライアンの彫像が迎えてくれます。後方には彼が在籍した4球団の旗も掲げられています。
建物はシックな造りです。
5ドルの入場料を払って中に入ると・・・・
まずこれは彼の両親です。
ライアンが7歳のときにお父さんが買ってくれたグラブ。
これが野球への入り口でした。
そして、これは地元アルビン高校時代のライアンと奥様(クラスメートだったようです)。美男美女ですね。
高校卒業後、65年にニューヨーク・メッツに指名され入団します。
これがその時の契約書で、契約金は1200ドル、月給は500ドルとあります。
続く
posted by toyorashotaro |19:58 |
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2010年08月22日
ターナー・フィールドのコンコースには、96年までの本拠地だったアトランタ・フルトン・カウンティ・スタジアムに関するパネル展示コーナーがあります。
これはブレーブス博物館とは全く別物ですが、ご紹介したいと思います。
球場全景。この時代を象徴する完全円形です。
まずはこれ、73年に史上初(だったと思う)の40本塁打トリオの誕生。
ハンク・アーロン、ダレル・エバンス、そしてデーブ・ジョンソン。
そう、巨人で「ジョン損」と揶揄される2年前にはメジャーで43本も打っていたのです。
但し、彼のキャリアで年間20本以上打ったのはこの年だけ。
78年にジーン・ガーバーがピート・ローズの連続試合安打を44でストップした場面です。
96年のワールド・シリーズ第5戦にして同球場の最終戦。
始球式を務めたのは、ブレーブスがミルウオーキーから移転して来た66年の開幕戦の始球式を担当した当時のアトランタ市長イバン・アレンさん。
30年の月日を経て再びマウンドへ。
感動的な場面でした。
そして最後の時・・・
次回は、この翌日に訪れたノーラン・ライアン・センターをご紹介します。
posted by toyorashotaro |21:39 |
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2010年08月21日
ちょっとご紹介をサボッてましたが、先のアメリカ旅行で訪れたブレーブス博物館をご紹介します。
この博物館は、ターナーフィールドの中にあり、古くはボストン時代からミルウオーキー時代、そして66年のアトランタ移転以降と続くブレーブスの歴史を貴重な資料で紹介しています。
入場するとまずは「ブレーブスの殿堂入り」を果たした選手たちが紹介されています。
グラビンは私が訪れた前日に永久欠番セレモニーがありました。
そしてブレーブスと言えばこの人。ご存じハンク・アーロンです。
もちろん現在の選手に関する展示も。
チッパー・ジョーンズの400HR記念の展示物。
そしてブライアン・マッキャンの3度のシルバー・スラッガー受賞関係です。
このあたりはブレーブス栄光の14季連続地区優勝に関するエリアです。
これは珍しい!50年代前半までMLBの遠征は列車でしたが、実際にブレーブスが使用した列車も展示されていました。
なんと19世紀に実際に使われた野球道具。バットの形状やボールの縫い目に注目!
ボストン時代のブレーブスです。
ナイトゲームが始まった40年代の夜間用ユニフォーム。
なんとサテン地。
当時は夜間照明に映えると信じられていたそうです。
ミルウオーキー時代。
96年のアトランタ五輪の開閉会式会場を改造して、ターナーフィールドのできあがり。向こうにその後解体されるフルトン・カウンティ・スタジアムが見えます。
ターナー・フィールドの模型。
外野広報の広場を合わせると、陸上競技の会場だったことがよくわかります。
posted by toyorashotaro |19:16 |
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2010年08月14日
続きましてアトランタでの写真を公開させていただきます。
野球の前にちょっとお勉強。
「風と共に去りぬ」の著者、マーガレット・ミッチェルの自宅です。
中には彼女が使ったタイプライター等の展示物が一杯です。
更にはこちら。キング牧師の記念地区です。
この中に眠っておられます。
そしてターナー・フィールドです。
キング牧師記念地区からタクシーで10分です。
球場前の広場にはかつてのLegend達のモニュメントが。
ご存知ハンク・アーロン。
ウオーレン・スパーンと次代のスター?
ナックラー、フィル・ニークロ。
そして、通算4191安打のタイ・カッブ。
ブレーブスではプレーしていませんが、地元ジョージア州出身です。
そして、道路を挟んだ向かいの駐車場には・・・
アーロンの715号落下点のモニュメントがあります。
そうこの駐車場はかつてのアトランタ・フルトン・カウンティ・スタジアムの跡地なのです。
駐車場内では、クラシックカーの展示会も。
クルマ好きの私は十分堪能させていただきました。
そして場内へ・・・
posted by toyorashotaro |13:02 |
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2010年08月14日
ひき続きLAで撮った写真をご紹介します。
今回は、訳あってダウンタウン横のチャイナタウンから徒歩でドジャースタジアム入りしました。
因みに徒歩でのルートマップはチャイナタウンの”Best Western Dragon Gate"というホテルでもらえます。
まずは、このカレッジ・ストリートから
そして、その名もチャベスラビンで右折。
チャベスラビンとはドジャー・スタジアム建設前のこのあたりの地名です。
そしてスタジアム・ウエイにぶつかると左折。
しかし、中国語表記で運動場道とは解りやすいです。
そしてその運動場道をズンズン進みます。
部分的には歩道のない個所もあり。
そうするとエリージャン・パーク通りにあたります。
右を見るとそこはスタジアムの駐車場入り口。
ほぼ到着です。
ついに到着。
歩き始めて20分。ミネラル・ウオーター2本消費。
ローテーション投手たち。黒田は真ん中でした。
いつ来てもホントに美しい。
場内コンコース風景。スティーブ・ガービーです。向こうはデービー・ロープス。
フィールド上での打撃練習風景。
ちなみに打っているのはドジャースではなくアウエイのナショナルズです。
フィールドで見つけたこのヒト。
みんな「フェルナンド!フェルナンド!」と大騒ぎ。
今でも老若男女を問わず大人気でした。
試合前にドジャースの広報オフィスに立ち寄り、球団専属の「野球史家」のマーク・ランジルさんにお会いし貴重な話をたくさん伺いました。
デーブ・スペクターさんとフランク・マッコートオーナーを足して二で割った感じ?
彼のオフィス周辺はこんな感じです。
記者席からの眺め。
ちなみにドジャー・スタジアムのPress Box(記者席)は"Vin Scully Press Box"という名が付いています。
8回裏前にはこのモスさんのパフォーマンス。やんややんやでした。
試合が終了し球場を後にします。
このシャトルバスが乗客をユニオンステーションまで運んでくれます。
センター後方から出発します。本数も多くオススメですね。
posted by toyorashotaro |09:23 |
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2010年08月12日
今回の旅で撮った写真をご紹介します。まずはLA編です。
初日のホテルはここ。リトルトーキョーのキョウト・グランド。
かつてはニューオータニでした。
その昔、「ロス疑惑」の舞台のひとつになったところでもありますね。
一応高級ホテルということになっているらしいが、ネットで日本からキャンセル不可の条件で申し込むとなんと7800円!
この値段でも今回の旅で最も高いホテルです。
お部屋は文句なしでした。
ホントはこんなところに泊るのが好きです。
ドジャースタジアム入りする前に見学に行きました。
日系人博物館です。
その昔、山崎豊子さんの「二つの祖国」を読んで以来一度寄ってみたかった。
こんな展示物もありました。
強制収容所の中で使われた野球のボールです。
そしてここにも寄りました。
メキシコ人街のオルベラ街。ロサンゼルス発祥の地でもあります。
そして目指すはもちろんここです。
その2 では、ドジャースタジアムでの写真を紹介します。
posted by toyorashotaro |19:14 |
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2010年08月11日
8月9日@ミニッツメイド・パーク その2
最後は、この人に触れないわけにはいかないでしょう。
今季限りでの勇退が決まっているブレーブスのボビー・コックス監督です。
この日、ブレーブスは4対10でアストロズに惨敗したのですが、試合後の監督室でのインタビューでは終始選手をかばって、いや褒めてばかりいました。
日本の監督とは異なり(もちろん文化の違いもあります)、数日前のトーレ監督といいメジャーの監督は決してメディアの前で選手を批判しません。
この日も先発の若いマイク・マイナーについて「良く投げたと思う(実際、6回を3失点)。投げ勝った打球がたまたま野手のいないところに飛んだだけ」
2安打を放ったチッパー・ジョーンズは「本当に良い仕事をしてくれた」
と言った調子です。ゆっくりと葉巻をくゆらす姿もあって、これが敗戦監督の弁?と思うほどです。
そこで、ちょっと意地悪な質問をしてみました。
「遊撃手のアレックス・ゴンザレスはこれで2試合連続でエラーを喫していますね。その分、超美技もありますが守備に波があるのは困りものですね」と振ってみると、
「少しも心配していない」とあっさり。
まあ、仮に心配していたとしてもそう易々と私なんぞに本心は明かさないとは思いますが。
ここまで話すと、さあ、もう終わりにしてくれよ、とばかりにその場でユニフォームのズボンを脱ぎ始めました(余談ですが、下から脱ぐんですね)。
このあたりの姿は、フツーのおじいちゃんでした。
posted by toyorashotaro |23:26 |
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2010年08月11日
8月9日@ミニッツメイド・パーク
ここでの個人的なハイライトはゲームそのものよりバッティング・ケージにへばりついて見た打撃練習です。
中でもブレーブスの話題の新人ジェイソン・ヘイワードのタマ筋に逆らわず、かつ力強い打撃には感心しました。打撃練習は4人で一組を組んで3本スイングで交代するのですが、順番待ちのところを捕まえて声を掛けてみました。プロ入り後初めての長いシーズンになりますが「疲労感は全く無い」と頼もしく言い切ってくれました。
この日はゲームでも右中間の一番深いところに12号本塁打を叩き込んでいます。
お次は7月にユネル・エスコバーとの遊撃手同士のトレードで加入したばかりのアレックス・ゴンザレス。
打撃ではあまり注目されることはありませんが、もともとフリー・スインガーながらパワーには定評がある選手。
この日の打撃練習で、もっともスタンドにポンポン放り込んでいたのはゴンザレスです。
曰く「優勝の可能性が高いチームに来て凄くモチベーションが上がっている」らしいです。
実は、前日私も観戦していたアトランタでのジャイアンツ戦で、ゴンザレスはなんでも無い小フライをポロっとやってしまいました。しかしそれを帳消しにするかのように、二遊間のゴロをスライディングキャッチで掴みそのままグラブトスで一塁走者を封殺するというアクロバティックなプレイを二度も見せています。エラーには触れずにスーパープレイを誉めてみると、嬉しそうににっこり笑って「ありがとう」。
但し、この日も失点に繋がる手痛いエラーを喫しています。
そして、エリック・ヒンスキー。
この人が所属するチームは必ず「ワールド・シリーズに進出する」というジンクスが確立しています。
このことに触れると、「ああ、今年もそうなるといいね」
「でも、単に運をもたらしているだけではなくちゃんとバットで貢献しているよね」
「おっと、わかっているじゃないか!」と屈託無く微笑んでいました。
笑顔は素敵でしたが、アンダーシャツからのぞくうでにはしっかりとタトウーが・・・
これが噂の背中全面のホリモノに繋がっているのかナと思うとちょい不気味でした(汗)
posted by toyorashotaro |21:33 |
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2010年08月11日
8月9日@ヒューストン
ある意味、今回の旅のハイライトといえるのがこの最終日です。
昨晩遅くヒューストン入りし、空港近くのモーテルに宿泊。
そしてこの日は朝一番に空港近くのAVISのデポーでレンタカーを受け取り一日中走り続けました。
まずは、10時にレンタカーをチェックアウト。
ジョージ・ブッシュ国際空港から南下。ダウンタウンを縦断し、さらにその南40kmくらいのところにある「ノーラン・ライアン・センター」を訪れました。
もうここで見たものは、中身が濃すぎてとても紹介しきれません。
あらためて写真とともにお伝えしたいと思います。
お次はダウンタウンの南西に位置するかつてのアストロズの本拠地アストロ・ドームです。
かつては”8th wonder of the world”とまで言われ、存在そのものがニュースだったのですが流石にもう古臭さは隠せません。こころなしか外壁の汚れっぷりも哀愁を誘うものがありました。
ノーラン・ライアン・センターやアストロ・ドームは知っていても次の訪問地をご存知の方はまずいないでしょう。
ダウンタウンの外れにある「フィンガー・ファニチャー」という大型の家具屋さんです。
「なんでヒューストンくんだりまで来て家具屋に行くんだ?」と思われる方も多いでしょう。
実はこの家具屋さんは、メジャーのアストロズ(前身のコルツ)が誕生するまでヒューストンに存在していたテキサス・リーグ所属のマイナー・リーグ球団のヒューストン・バファローズの本拠地だったバフ・スタジアムの跡地に立っているのです。
これだけでは大したことはありませんが、なんとこのお店の中の床にかつてのホームプレートがそのまま今も埋め込まれているのです。
さらに凄いのがそのホームプレート周辺の部分は「ヒューストン・スポーツ・ミュージアム」になっていて野球を中心にフットボールも含めたヒューストンのスポーツ史を飾った数多くのメモラビリアが展示されているのです。
くどいようですが、ソファーやベッドが展示されている店内にですよ!
日本で言えば、後楽園球場の跡地に大○家具が店舗を構え、野球博物館を併設するようなものです(後楽園球場は言い過ぎでせいぜい川崎球場跡?)。
ここも写真をふんだんに撮ったので改めてご紹介致します。
そしてこの日の最後はやはりここ、ミニッツメイド・パークです。
カードはアストロズ対ブレーブス。
posted by toyorashotaro |20:45 |
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2010年08月09日
8月8日@ターナー・フィールド
ターナー・フィールド内には”Braves hall of fame and museum”なるものがあります。
これも実は今回の旅にアトランタを入れた理由のひとつです。
ここの特徴は、単に1966年のアトランタへのブレーブス移転以降だけで無くボストン時代(〜53年まで)とミルウオーキー時代(54〜65年まで)のブレーブスに関する展示コーナーもちゃんと設置してある点です。まさに「ブレーブス博物館」です。
球団OBの殿堂入り(ブレーブスのではなく、クーパースタウンの)全選手を紹介するコーナーもありますが、あまりに数が多いのに驚かされます。
「えっ?ブレーブスってこんなに殿堂入りを輩出していたっけ?」
実は、ほんのちょっとでもブレーブスに在籍していた殿堂入り選手は全て網羅してあるからなのです。
実際、あのベーブ・ルースも「殿堂入りしたブレーブス選手」としてちゃんと紹介されています。
確かに現役最終年は(確かシーズン中に引退しましたが)ボストン・ブレーブスでしたからね。
また、50年代に航空機での移動が一般化するまでメジャーリーグの遠征は列車が一般的だったのですが当時の移動に実際に使われた寝台列車の車両の一部が展示されていたのも目を引きました。そこに付いていた説明文によると「当時の試合日程はなによりも列車のダイヤを優先し決められた」とのことです。
当時の両リーグ機構には「時刻表オタク」の鉄ちゃんが不可欠だった?
また40年代(ボストン時代ですね)に実際に使われた珍しいユニフォームを見つけました。
なんとそのユニフォームは生地がキラキラ光るサテンなのです。
どうやらナイトゲームが一般化し始めた当時「サテン地は夜間照明に映える」とブレーブスは信じていたからなのだそうです。
余談ですが、当時のデトロイト・タイガースはナイトゲームの開始時間は完全に日没後(夏場ですから夜9時くらい)だったそうです。これも「薄暮状態では照明は威力を発揮できない」と信じこんでいたからだそうです。
posted by toyorashotaro |15:25 |
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2010年08月09日
8月7日@ターナー・フィールド
ターナー・フィールドはアトランタのダウンタウンの中心であるFive Pointsから出ているシャトルバスに乗ると約10分で到着します。
ちなみに 料金は往路は2ドル、復路は必要ありません。
但し、私はターナー・フィールド入りする前に「風とともに去りぬ」の作者であるマーガレット・ミッチェルの家や、マーチン・ルーサー・キング牧師の生家周辺地区を訪ねた関係でタクシーでの球場入りとなりました。
ダウンタウン内ではタクシー料金は8ドルで均一です。
ターナー・フィールドは元々は96年のアトランタ五輪の陸上競技と開会・閉会式の会場であったことは皆さんもご存知でしょう。
「よくも長方形の陸上競技場を野球場に改造したもんだ」と思われる方も多いでしょう。
それは、実際に現場を訪れると良くわかるのですが、ここは左中間裏に球場の正門がありそこから更に後方に広場が広がり、ハンク・アーロンらの名選手の銅像が立ち出店が並ぶ広場になってます。
球場の外郭とこの広場を合わせると、丁度陸上競技場の形状になっているんですね。
私は、その広場の更に後方に広がる駐車場(ここはかつてのアトランタ・フルトン・カウンティ・スタジアムがあったところです)の中にあるハンク・アーロンの715号落下地点(モニュメントが立っています)をチェックしてから球場内に入りました。
まずは、腹ごしらえ。
記者用のレストランに入ると、あのチップ・ケリー(スカパー!でMLB中継をご覧になっていた方はご存知ですよね)の姿が飛び込んできました。
彼は昨年からはFOXでブレーブス戦のPlay by Playのアナウンサーをやっています。
普段はTVで見ていると華奢な紳士といった印象ですが、おそらく身長は190センチ以上あるでしょう。かなりの大男でした。
早速挨拶してみました。
「ボクも日本に行ったことがあるんだよ。」
と大変にこやかに接してくれました。好青年でしたね。
posted by toyorashotaro |05:41 |
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2010年08月09日
8月7日@ターナー・フィールド
前日の深夜1時、LA発のデルタ便でアトランタ入り。
フライト時間は実質4時間半ですがアトランタ着は時差の関係もあって午前8時半。
3列の真ん中の席でかつ両側はアメリカによくいるスーパー・ヘビー級のお兄さんだったので身動きできずヒジョーに苦しいフライトでした。
アトランタについた後は空港周辺で一番安いモーテルにチェックイン。
仮眠を取ってから出発です。
実はアトランタの空港からダウンタウンまではMARTAと呼ばれる高架兼地下鉄を使うとものの15分なのです。
ダウンタウンに着いてから地元紙を買ってみると前日のトム・グラビンの背番号47の永久欠番式典の模様が伝えられていました。
グラビンはご存知のとおり通算305勝のサウスポー。
2度のサイヤング賞とともに20勝以上を5度も記録し、グレッグ・マダックスやジョン・スモルツとともにブレーブス黄金時代を支えた立役者です。
しかし、キャリアの後半は選手会組合のヘッドを努めたこと、そして契約問題でこじれて同地区のライバルであるメッツに移籍したことにより地元での人気はやや微妙なものがありました。
グラビン自信も「メッツ時代はアトランタに遠征で来るとブーイングがひどく球場に連れてきた家族がかわいそうだった」と述べています。
しかし、この日ばかりは大きな拍手と歓声に迎え入れられたようです。
うーん、見たかった。
posted by toyorashotaro |01:31 |
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