2008年06月24日

PKの父

運比べ、サスペンス、神経戦、英雄達が突然敗戦犯に落ちる、このグランドファイナル(PK合戦)を発明したのは、ドイツはオーバーバイエルン地方Penzbergの審判 カールヴァルドさん、現在92才。1970年にサッカー界を変えたこのアイディアは今でも彼の自慢の種だとか。「このやり方によってのみ、スポーティブな解決ができる、他のやり方は無いんだ。」

彼の規則変更が認められるまでは、延長戦の後で、くじを引くかコイントスで試合の勝敗が決まっていた。再試合が行われることはまず無かった。1968年のヨーロカップでは準決勝で後に優勝したイタリアが、ソ連をくじ引きで下し、決勝に進んだ。「あんなのは勝利と呼べない、駄目なやり方だった」その当時を振り返ってヴァルト氏、は言う。

1936年にレフリーのライセンスを修得し、40年のキャリヤの間およそ1000試合もの審判を勤め上げた、彼の新しいアイデアは当初反対された。当時のバイエルンサッカー協会はミュンヘンで開催された1970年の会議においてこのアイデアをすぐに受け入れなかった。しかし過半数の代表が賛同した後でトップも折れ、この案を認めた。短期間の間でにドイツサッカー協会もこの新しい方法を承認しその後、ヨーロッパサッカー協会そしてFIFAが続いた。

大きな大会として最初のPKドラマで試合の勝敗が決定したのは、ヨーロカップ1976年で、ベルグラードの夜空にウリヘーネス(現バイエルンマネージャー)がボールをふかし、アントニンパネンカ要するチェコスロバキアが優勝した。うってかわり最初のWCのPKドラマもドイツで、1982年のスペイン大会で準決勝フランス相手に勝利を手にしている。この福引きアイデアの父であるヴァルド氏は世間に注目されることはなかったが、第二次対戦中はパリで軍の試合の審判をしたり、ブンデスリーガーの前進で数多くの試合を率いた。63才で鉱山労働者、経営コンサルタントの職を退き、最後は75才で2女の父は審判職を退いた。

彼のアイデアは世界のサッカーグラウンドで再三の論議の的となった。大きな戦争が講和の席で指導者同士の間で熱論されるのとは違い、たった数人の兵卒によるロシアンルーレットで勝敗が決定されてしまうという批評家もいる。
当人曰く、「私は今でも自分のアイデアが正しいと思っている。想像して観て下さい。2001年にCLでFCバイエルンがFCバレンシア相手にPK合戦により勝利を収めたあの瞬間を、あの時もし審判がコインを投げて勝敗を決めてなんかいたら、、、」

翻訳管理者 ドイツの新聞より


この記事にはヴァルド爺さんのニコニコ顔の写真も載っています。大きな大会でPK合戦があるたびに孫達に自慢する微笑ましい光景がうかんできます。
新しいアイデアの才能では負けない日本人諸君。どなたかもっと面白いアイデアが浮かびませんか。GoldengoalやSilvergoalというのもありましたが、キッカーに監督も参加してもらうとか、枠に入ったシュート数の多かったチームを勝ちにするとか。観客の声援のデシベルの高い方を勝ちにするとか、、、、、、、。どちらかがゴールを決めるまでやらせるというのは、どうなんでしょうかね。選手にダメージがかかりすぎるんでしょうけど。やっぱりこれしかないのかなー。

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posted by tooor |18:46 | トーナメント | コメント(4) | トラックバック(0)
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