2010年03月08日
(4)からの続きです。
「誰が(サッカー界において)アメリカから来た男のことなんて気にするだろう?でも、私はエメ・ジャケ(1998年のワールドカップフランス代表優勝監督)がプレゼンテーションを行っている間、彼の隣に立っていたのさ。私は世界中を飛び回ったけど、クーバーアジアのディレクターだということが、いわばパスポートのようなものだった」
ゴールデンブーツ賞の受賞はさらに可能性を広げたが、トムが世界のサッカー界の実力者となったのは、彼のこれまでの成果だけでなく彼の人となりによるところが大きい。彼の物腰の柔らかい人柄は、人々の中で見知らぬ人から友人へと変化し、彼の性格は強い愛着を生む事となる。
前アディダスジャパン社長とCEOを歴任したロブ・ラングスタッフ氏は「例えるなら'大好きな叔父さん'だ」と言う。また、現在タッチラインコンサルティングの社長を務めるシュタインブレッシャー氏も続く。「すごい男だよ。ファンタスティックだ。もし、まだ私がアメリカでリーダシップを執るポジションにいたならば、彼を連れ戻すために何でもするだろうね」
ワレン・マルセルー氏は「トムのスポーツに対する情熱は驚くべきものであり、トムはその情熱を彼のパーソナリティーを通じて表現している」と説明する。ワレンはアンブロやアディダスで管理職に就き、現在はミック・ホーバンとユルゲン・クリンスマンが経営するスポーツマーケティングとスポーツビジネスの開発事業会社であるサッカーソリューションのパートナーとして活躍している。「トムは自分が参加する事、さらに他の人を参加させることに対してとても積極的なんだ。彼が何事にオープンで、他の人と物事を共有しようとする姿勢には感銘を受けたよ。これは非常に特筆すべき事だね」
「他の人は、入手しにくい情報などを手にするとその情報を独り占めし、離さないことも多い。だがトムは全く逆のことをしているんだ。日本語が分からないまま違う文化の国からやってきた我々を、彼は温かく迎えてくれて、日本文化を理解できるよう努力してくれるんだ。トムにはとても感謝しているよ」
「彼の日本サッカーにおける重要度は過小評価されてはならない」とポール・マリナー氏は言う。また「彼は賞賛されて然るべきだ」とクリストフ・ベズー氏は加えた。「トムは日本サッカーにおいて象徴的な人物の1人だ。唯一の、とまでは言わないがね。トムはずっと、日本サッカー界にとって'プラスのベクトル'だったのさ」
「トムのことだから、自分の功績を過小評価しているだろうね」とワレン・マルセルー氏は言う。「きっと'自分はスポーツに貢献し、子供たちの成長をサポートしている多くの人々の1人にすぎない'と言うと思う。でも彼はキャンプやクリニックの開催、選手やコーチ達への直接指導、TV番組への出演、雑誌への連載など多岐にわたって貢献をしている。私は日本サッカーの専門家ではないから詳しくは分からないけど、もしかしたら他の誰かが同じような功績を残しているかもしれない。そうとは思えないけどね。彼の類い稀なる功績が、スポーツ好きの子供たちを育て、国際的なステージで活躍するための自信を与えていることは明らかさ」
(おわり)
posted by tomsan |16:06 |
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2010年03月08日
(3)からの続きです。
トムは日本への愛情をクリニックの開催に込めた。ネスレ社長の息子に会う機会を得ると、すぐにネスレの「ミロ」からスポンサーを得ることに成功した。ポール・マリナー(訳注:現イングランド チャンピオンシップ所属プリマス・アーガイル監督)がクーバーコーチング、非常に影響力のあるオランダの指導法で、具体的かつ個々の動き方などの純粋な技術指導方法、をトムに紹介してからは、全てが加速度的に進むことになる。
トム・バイヤーと彼のパートナーが権利を買い取り、世界のクーバーネットワーク内の独立組織として、クーバージャパンを設立し、数多くのアカデミーを全国各地に設置した。また、コーチの養成学校も設立し、毎年25人が卒業し、彼らを派遣する事でクーバーのコンセプトをアジア中に持ち込んだ。結果は目覚ましいものだった。数えきれないほど多くの日本の子供がスクールに集まり、そこで技術を学び、日本サッカー大改革の原動力となった。日本人選手がボールコントロールの巧さで有名なのは周知の通りだろう。
トムの功績は非常に大きい。彼の情熱、高い認知度、特にTV番組『おはスタ』への出演などにより、日本の子供たちにとってサッカーのスキル習得がカッコいい事になったのだ。
「1993年頃から仕事や休暇で日本を訪れるようになった」とポール・マリナーは振り返る。「子供たちはとてもシャイで、ゴールになかなかシュートしなかったのを覚えているよ。日本の子供たちは目立つことを嫌がるんだ。それは欠点でもあり、子供たちの性格でもあった。一方でトムは、子供たちをサッカーに夢中にさせるような性格をもっている。彼は偉大な'先生'だよ」
クーバーコーチングをゼロからスタートし、180人の従業員と80校以上のアカデミーに加え、コーチの養成学校を設立した後、トム・バイヤーは経営に対する考え方の相違により、昨年(訳注:2008年)クーバージャパンから独立した。トムは言う「良いコーチとは素晴らしいパーソナリティーと情熱を持っていなければならない。また、子供を愛し、どのように指導するべきかを熟知していなければならない。さらに、指導法を持ち合わせていなければならない。クーバーは指導方法で、そこにネームバリューのある指導者がつけば、極めて重要なものにもなるんだ。指導方法そのものは既に世界で認められているわけだからね」
(5)に続きます。
posted by tomsan |14:58 |
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2010年03月08日
(2)からの続きです。
トムの日本サッカー界における「ハーメルンの笛吹き」への道は、ニューヨーク北部、ウッドストックの近くでオースバニーから60マイルほど離れたローゼンダールから始まった。そこでの彼は、サッカーの天才少年であり、強豪校であるアルスター郡コミュニティーカレッジでプレーしていた。地元の子供たちがこの強豪校に入ることは稀だったが、トムはその中の一人になった。その後、彼はタンパへ行った。トムは南フロリダ大学の若手であり、当時の新入生にはロイ・ウェガリー(訳注:南アフリカ出身の元アメリカ代表選手)がいた。ウェガリーはNCAAトーナメント、対デューク戦でトムのゴールのアシストをしたが試合には負けてしまった。
右サイドバックでプレーしていたトムは、ブルズを一年で去り、北米サッカーリーグが終焉に近づいている頃、タンパベイローディーズのリザーブチームでプレーしていた。「時は色々と考えていたよ」とトムは振り返る。彼はインドアサッカークラブでのプレーも考えていたし、Olympic Sports Festival 米国代表メンバーの一員として、現シアトルサンダースの監督であるシギ・シュミッドの下でもプレーした。
トムはイングランドのセミプロのイプスウィッチサフォークリーグでプレーし、その後1988年に日本へと向かった。そしてJリーグの前身であるJSL(社会人リーグ)の日立で1年半プレーを続けた。
「僕は平均レベルの選手だった」とトムは言う。「日立でしばらくプレーをしていたけどレギュラーとして出られず、色々と考えたんだ。そして引退を決意したんだけど、日本という国を愛していたんだ」
(4)に続きます。
posted by tomsan |14:36 |
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