2009年03月31日
【シーズンオフ企画】硬式野球部卒業生特集 vol.5 橋本渉
2007年11月11日。明治神宮大会準々決勝で敗れたその日の夜、横井人輝監督は早くも新チームの主将に橋本渉を指名した。「誰にも聞かずに決めてしまったから、橋本本人も驚いたと思う」というほどの突然の人事。選手たちの驚きと心配の声をよそに、横井監督は「このメンバーをまとめられるのは橋本しかいないと思った」と言う。「この代はわがままで自分勝手な奴ばかりだから、1つ間違えれば崩壊して、リーグ戦すら勝てなくなる。主将候補は何人かいたけれど、監督の意向をきちんとチームに伝えることができて、なおかつ“このメンバーを”まとめていけるのは橋本しかいないと思った。野球に対する姿勢、はっきりとものを言う姿。橋本なら“チーム”を作ってくれると思った」。 新チーム始動 「まとまって日本一を取るか、崩壊してリーグ戦すら勝てないか。危なっかしいチームだった」と横井監督は振り返る。中心にいた4年生は、わがままで、マイペースで、負けず嫌い。でも男気があって、熱意もある。「まとまれば面白い」。そんな期待を抱かせてくれる選手たちだった。 横井監督は「自分勝手なやつばかりなんだから、仲良くまとまって上手くやろうなんて思うな。それぞれの道を通っていい。その代り、全員が真剣に日本一を目指そう」と呼びかけた。主将としてチームを任された橋本が掲げたのは、“楽しむ野球”。
「全国から集まってきて、一緒に野球ができることは奇跡だと思う。せっかく集まった仲間なんだから。小さい頃、野球しに行こうぜ!って楽しんでやっていた延長線上で野球がしたい」。 高校で野球を引退する選手も多い中で、大学まで続けてきた選手たちの中には、プロを目指す者もいれば、自身の成績にこだわる者もいる。決して全員が同じ方向を向いているとは言えない中で、「全員で野球をしよう。このチームで日本一を目指そう」と必死に訴え続ける橋本を中心に、深夜まで何度も繰り返したミーティング。本音をぶつけ合う中で、いつしか全員が橋本の熱意に呼応し、本気で日本一を意識し始めた。
チーム一丸、“全員で勝ちにいく” 3月の沖縄1軍キャンプでは、メンバーから外れた中村謙三が「裏方の人数も少ない。できることがあれば」と帯同を志願。ノックを打ち、打撃マシンに球を入れ、朝から晩まで裏方に徹した。オープン戦で飛び出した何本もの本塁打に、「練習は苦しかったけど、うれしくてしょうがない。来てよかった」と涙した中村の姿に、「頑張らなくてはいけない」と、レギュラー陣の気持ちは一段と引き締まった。シーズン中の夜間練習でも、1年生の役割だったサポートを買って出たメンバー外の4年生たち。「技術で貢献できなくても、やれることはたくさんある」と礒野剛徳らは学生コーチに転身した。試合中、スタンドで声を張り、ネット裏でデータを集めた選手もいる。それぞれが、それぞれの場所で真剣に目指した日本一。その中心にはいつも、橋本の存在があった。 「個性派ぞろいのチームを、橋本が必死にまとめてくれている。自分が嫌われ役になってまで、言いにくいことも言い合える環境を作ってくれた」(岩崎恭平)、「100人を超える大所帯にも関わらず、橋本はAチームだけでなく、Bチームにも同じように目を配ってくれていた。だからこそ後輩たちも橋本についていこうと思えたんだと思う」(中村)。 「これだけの技術と性格を持ったやつが集まって、全員が生きる“チーム”になった。こんなチームは2度とできない」と横井監督は振り返る。「男気があって、気持ちが強くて、勝ちたいという思いを持った奴が多かった。それを上手くまとめてチームにしたのは、やっぱり橋本だよ」。
2008年10月30日、関東大学選手権大会準々決勝で敗れた翌日、岩崎のドラフト記者会見にかけつけた4年生たちは、どこか晴れやかな顔をしていた。橋本は「主将という仕事ははっきり言って大変だったし、もうやりたくないけれど(笑)この1年が大学生活で1番楽しかった。高校の最後の大会で負けた時は悔しさが強かったけれど、今はこのメンバーと野球ができてよかったという思いの方が強い。東海大に来てよかった」。 「苦しい戦いになったり、喧嘩したりすることもある。それでも、せっかく好きな野球をやらせてもらっているんだから。最後にいい顔をして野球を終われるチームになれば」との思いを込めて、横井監督が送ったスローガン、“顔晴ろう”。その言葉通り、全員が笑って終われる、最高のチームだった。
編集後記~4年間チームを追い続けた学生記者の目 1年時の春から、東海大学硬式野球部を追い続けて早4年。年間40試合近く球場に通い続けていたので、周りからは「同じチームばかり見ていて飽きないの?」とよく言われましたが・・・飽きません(笑)むしろ大学生はこんなにも成長するものなのか、こんなにもいろんなことを考えて野球と向き合っているのかと、毎回違う発見があり、球場に通うことが本当に楽しみでした。 自身の成績ばかり気にしていた選手がチームを意識し始め、先輩の後ろでふざけていた選手が先頭に立ってチームを率いる。スタンドでメガホン片手に応援していた選手たちがグラウンドで熱いプレーを展開し、仲間の活躍に刺激を受けて、悔しさに努力を重ねて、次の試合では一回り成長した姿を見せてくれる。高校野球ほど注目もされないし、プロ野球ほど一流の技術を持っているわけでもないけれど、自分たちで考え、努力を重ね、ぶつかりあって、成長していく。大学での4年間は、技術的にも精神的にも、1番自分で考えて成長していく、大人に変わっていく時期なのかもしれません。橋本主将ら今年度の主力が抜け、今春の東海大は大幅にメンバーが入れ替わります。それでも、昨秋1年生ながらローテーションの一角として5勝を挙げた菅野智之投手や、2年生野手では唯一大学ジャパンを経験した伊志嶺翔大外野手、4番としての期待がかかる近藤恭平一塁手を筆頭に、高山亮太投手、阪本陽一投手、田中広輔遊撃手、松隈利道外野手ら、期待の選手はたくさんいます。「俺たちと同じチームを作ろうとしなくていい。お前らしくやれ」と橋本主将からバトンを受けた頓田郷平新主将がどんなチームを作るのか。そして、昨秋までスタンドで試合を見つめていた選手たちがどれだけ成長しているのか。 本ブログでは硬式野球部の全てを伝えることはできませんでしたが、これを機に球場に足を運んで、選手たちの熱いプレーを目にしていただければ幸いです。
新チームの活躍と、4年生たちの新天地での飛躍に期待をこめて――“顔晴ろう”。(硬式野球部担当 4年 橘)
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posted by 東海スポーツ編集部 |23:28 |
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2007年11月11日。明治神宮大会準々決勝で敗れたその日の夜、横井人輝監督は早くも新チームの主将に橋本渉を指名した。「誰にも聞かずに決めてしまったから、橋本本人も驚いたと思う」というほどの突然の人事。選手たちの驚きと心配の声をよそに、横井監督は「このメンバーをまとめられるのは橋本しかいないと思った」と言う。「この代はわがままで自分勝手な奴ばかりだから、1つ間違えれば崩壊して、リーグ戦すら勝てなくなる。主将候補は何人かいたけれど、監督の意向をきちんとチームに伝えることができて、なおかつ“このメンバーを”まとめていけるのは橋本しかいないと思った。野球に対する姿勢、はっきりとものを言う姿。橋本なら“チーム”を作ってくれると思った」。
「全国から集まってきて、一緒に野球ができることは奇跡だと思う。せっかく集まった仲間なんだから。小さい頃、野球しに行こうぜ!って楽しんでやっていた延長線上で野球がしたい」。
高校で野球を引退する選手も多い中で、大学まで続けてきた選手たちの中には、プロを目指す者もいれば、自身の成績にこだわる者もいる。決して全員が同じ方向を向いているとは言えない中で、「全員で野球をしよう。このチームで日本一を目指そう」と必死に訴え続ける橋本を中心に、深夜まで何度も繰り返したミーティング。本音をぶつけ合う中で、いつしか全員が橋本の熱意に呼応し、本気で日本一を意識し始めた。
シーズン中の夜間練習でも、1年生の役割だったサポートを買って出たメンバー外の4年生たち。「技術で貢献できなくても、やれることはたくさんある」と礒野剛徳らは学生コーチに転身した。試合中、スタンドで声を張り、ネット裏でデータを集めた選手もいる。それぞれが、それぞれの場所で真剣に目指した日本一。その中心にはいつも、橋本の存在があった。
「個性派ぞろいのチームを、橋本が必死にまとめてくれている。自分が嫌われ役になってまで、言いにくいことも言い合える環境を作ってくれた」(岩崎恭平)、「100人を超える大所帯にも関わらず、橋本はAチームだけでなく、Bチームにも同じように目を配ってくれていた。だからこそ後輩たちも橋本についていこうと思えたんだと思う」(中村)。
「これだけの技術と性格を持ったやつが集まって、全員が生きる“チーム”になった。こんなチームは2度とできない」と横井監督は振り返る。「男気があって、気持ちが強くて、勝ちたいという思いを持った奴が多かった。それを上手くまとめてチームにしたのは、やっぱり橋本だよ」。
2008年10月30日、関東大学選手権大会準々決勝で敗れた翌日、岩崎のドラフト記者会見にかけつけた4年生たちは、どこか晴れやかな顔をしていた。橋本は「主将という仕事ははっきり言って大変だったし、もうやりたくないけれど(笑)この1年が大学生活で1番楽しかった。高校の最後の大会で負けた時は悔しさが強かったけれど、今はこのメンバーと野球ができてよかったという思いの方が強い。東海大に来てよかった」。
「苦しい戦いになったり、喧嘩したりすることもある。それでも、せっかく好きな野球をやらせてもらっているんだから。最後にいい顔をして野球を終われるチームになれば」との思いを込めて、横井監督が送ったスローガン、“顔晴ろう”。その言葉通り、全員が笑って終われる、最高のチームだった。
橋本主将ら今年度の主力が抜け、今春の東海大は大幅にメンバーが入れ替わります。それでも、昨秋1年生ながらローテーションの一角として5勝を挙げた菅野智之投手や、2年生野手では唯一大学ジャパンを経験した伊志嶺翔大外野手、4番としての期待がかかる近藤恭平一塁手を筆頭に、高山亮太投手、阪本陽一投手、田中広輔遊撃手、松隈利道外野手ら、期待の選手はたくさんいます。「俺たちと同じチームを作ろうとしなくていい。お前らしくやれ」と橋本主将からバトンを受けた頓田郷平新主将がどんなチームを作るのか。そして、昨秋までスタンドで試合を見つめていた選手たちがどれだけ成長しているのか。
本ブログでは硬式野球部の全てを伝えることはできませんでしたが、これを機に球場に足を運んで、選手たちの熱いプレーを目にしていただければ幸いです。
(硬式野球部担当 4年 橘)
“投手陣に中西あり”。
誰に聞いても、同じ答えが返ってくる。今年度の投手陣を支えたのは他の誰でもない。中西大器だ。「中西がまとめてくれて、みんながそれについていく。先発として引っ張っていくのは小松崎(将司)や杉本(智大)だけど、精神的にも技術的にも投手陣を支えていたのは中西」と礒野剛徳学生投手コーチは言う。横井人輝監督も「彼は本当に大人だから。やることもやるし、言うことも言う。中西の存在は投手陣の中ですごく大きかった」と厚い信頼を寄せていた。
リリースより先に軸足が浮く独特のフォームから投げ込む球は、最速130キロ前半。「誰に教わるでもなく、小さい頃からいつの間にかこのフォームで投げていた。球速は高校時代より遅くなっているかも」と笑う裏には「スピードよりコントロールで抑えた方が安定する」との持論がある。「練習では捕手がOKと言っても、ちょっとでもずれていたらダメ。細かいミスもないようにこだわってやっている」。さらに、「高校の時はピンチの場面にも緊張してばかりだったが、大学でメンタルトレーニングの勉強会に参加したり、本を読んだりして、今はピンチを楽しむ余裕が出てきた」と語る。
多彩な変化球を操り、少ない球数で何度も試合を立て直してきた中西に、伊藤栄治前監督は「真面目で研究熱心。人の意見も素直に聞く投手。中継ぎという持ち場も自分で見つけて、少ないチャンスの中で確実に結果を残し、周りの信頼を得ていった」と振り返る。競争激しい投手陣の中で2年秋のリーグ戦からマウンドに上がると、3年時の全日本選手権では全4試合にリリーフし2勝をマーク。大学通算でも中継ぎでは負けなしの12連勝を記録した右腕は、絶対的な“中継ぎエース”として君臨していた。
「野球人生で1番尊敬している人」と話すのが、1学年上の副将を務めた加治前竜一(07年卒・読売ジャイアンツ)。中西にとっては智辯学園高時代からの先輩だ。「加治前さんは口だけじゃなく、背中で引っ張ってくれる人。ポジションは違うけれど、学ぶところはたくさんあった」。
4年時になって副将と投手チーフを兼任し、「自分のことよりもまずチーム。全体を見ながら、後輩たちにもやりやすい環境を作ってあげたい」と語る中西に、「中西さんは真面目でリーダーシップのある人。一言ひとことが重く感じる」(伊志嶺翔大)、「投手チーフとしてまず自分がやる、正義感の強い人。僕は入学した時からお手本にして、一緒にやらせてもらいました」(菅野智之)と語る後輩たち。その言葉は1年前、中西ら現4年生が加治前について語った言葉と同じものだった。
「守りできちんとリズムを作って、攻撃につなげていけるピッチングが理想。チームに貢献する投手になりたい」。注目を集めることも、賞を受けることもなかったが、2年秋から5シーズンに渡って38試合に登板し(うち先発は1試合)、4年時の春には防御率0.00もマークするなど、黙々と自分の仕事をこなしてきた。誰もが認める中継ぎエースは、東海大球史に1つの歴史を刻んだ。
「ずいぶん派手に振り回すやつがいるなぁ……」。それが、石谷潔の高校時代の印象だったと伊藤栄治前監督は振り返る。岡山理科大学附属高の4番としてチームを甲子園へ導き、東海大でも1年秋にはスタメンに名を連ねた。189センチ、95キロと恵まれた体格に、積み重ねた努力と、生まれ持った勝負運。4年時の秋には大学野球の集大成として、首都リーグ3冠をも手にした男は、2年時の春季リーグ戦ですでにその片鱗をのぞかせていた。
2006年4月8日、筑波大との首都リーグ開幕戦。1番指名打者でスタメン出場した石谷は、筑波大先発・坪井俊樹投手(現・千葉ロッテマリーンズ)の投じた6球目を右翼席に叩き込んだ。シーズン開幕を告げる先頭打者弾は、石谷自身リーグ戦初の本塁打。この一発を皮切りに9―2で筑波大を圧倒したチームは、勢いそのままに開幕7連勝を飾った。
それから1カ月後、優勝に大手をかけて武蔵大との大一番を迎える。初戦では結果を残した石谷もその後はベンチを温める場面が多く、この日もスタメンからは外れていた。それでも8回無死一塁から代打で出場すると、延長10回1死で2度目の打席が回ってきた。マウンドには2日連続で先発した上園啓史投手(現・阪神タイガース)。甘く入ったストレートを振り抜いた打球は、右中間スタンドへ一直線に飛び込んだ。自身の一発で幕を開けたリーグ戦を、自身の手で締めくくる劇的なサヨナラ弾。最終週を残して、チームに3季連続53度目の優勝旗をもたらした。
打率3割4分をマークし、首都リーグ首位打者、MVP、ベストナイン外野手の3冠を手にしても、「チャンスで打って、ランナーを返すことが僕の仕事。自分の結果というよりも、打点が多かった(11打点)ことが何より嬉しい」と、チームの勝利を第一に考える。そんな石谷だからこそ、後輩たちは「石谷さんは人を笑わせるのがうまい。チームのムードメーカー的な存在」と慕い、横井監督は「主将候補にも名前が挙がっていた」と語るなど、スタッフやチームメイトも厚い信頼を寄せていた。
「このチームは橋本(渉)を中心にまとまっているチームだから。僕はそのサポートをするだけです」。控え目だが、チームを思って地道な努力を重ね、ここ一番で大仕事を成し遂げる。輪の中心でチームに笑顔を作りだす石谷の存在も、今年のチームにはなくてはならないものだった。
ヨーロッパキャンプ・大学日韓(韓日)定期戦のメンバーに、東海大からはMFの岩上祐三が選出されましたのでお知らせいたします。
3月15日~3月26日まで全日本大学選抜ヨーロッパキャンプに参加、
3月29日、DENSO CUP SOCCER 大学日韓(韓日)定期戦が行われ、岩上は62分から途中出場を果たしました。
定期戦の結果は以下の通りです。
全日本選抜 vs 全韓国選抜
前半 0 - 1
後半 1 - 2
――――――――――――――――
結果 1 - 3
1年時からサッカー部を担当する吉川は、筋力トレーニングのメニュー作成や実技指導、競技復帰のためのトレーニング指導や体のケアなどを担当する。
試合会場のベンチにも、吉川の姿がある(=写真左)。試合前はけが人の処置手順を考え、試合が始まれば“ボールを蹴った後の動き”を見ているという。「けがしている選手は普段と違う動きをするので、注意深く見ています。軽く足を引きずっていたり、腕を回していたり。相手と接触した時も倒れている人がいないかとか、どこをけがしたのかなど、集中して見るように心がけています」。
今季は関東大学選抜選考会のトレーナーとしてチームに帯同するなど、サッカー部だけでなく学外にも活躍の場を広げた。「最初は慣れない環境で戸惑いましたが、トレーナーとしての役割は同じ。他大学の選手でも通用した部分が多かったので、自信になりました」と振り返った。
自身のトレーナースタイルは、徹底的に“現場主義”で「サッカー部の練習時間は必ずグラウンドにいます」と語る。サッカー部が強くなるためなら、努力は惜しまない。昨年の6月から荒井和洸も加わり、「チームに、より手厚いサポートができるようになった」という。
「選手と同じ学生だが、チームスタッフという立場上、厳しく言う時もある」。各選手に期待を込めるからこそ、吉川の指導にも熱が入る(=写真右)。「特に来季は1部なので、チームのために心を鬼にします。1部は運動量が多くあたりも強いので、フィジカル面の強化に貢献していきたい」。
けがから復帰したMF川島大地も全幅の信頼を寄せる。選手たちの頑張りと、個々の能力を最大限に引き出したトレーナーの活躍。この2つがかみ合った結果が、“1部復帰”だった。(前田)
大学球界トップクラスの俊足、舞台が大きくなるほどに増す勝負強さ。「声援が力になる。観客が多ければ多いほど楽しいし、目立ってやろう、活躍してやろうと思う」と話す岩崎恭平は、生まれ持ってのプロ向きな性格だ。
「両親も姉もスポーツをしていた」という環境の中で、小さい頃からサッカーや水泳など様々なスポーツを経験してきたが、小学4年時に「自分でやりたいと言い出した」軟式野球を始めてからは、野球一色の生活を送ってきた。
付属相模高校では、平日は午後4時から9時過ぎまで全体練習をこなし、夕食を取って10時過ぎからは1~2時間の打撃練習。「この頃からプロに行きたいという思いがあった」という岩崎は、「全国からレベルの高い選手が集まる東海大で自分の力を試したい。4年間レギュラーを取れなければ、プロはきっぱり諦めようと思っていた」と、並々ならぬ決意を持って東海大への進学を決めた。
高校では通算40本塁打をマークしたスラッガーも、「大学に入って金属バットから木製バットに変わったことで、飛ばすには技術だけでなく力も必要になった。それならスピードを生かして首位打者を目指そうと、自然と今のプレースタイルになった」という。
「人より多く練習して、よりいい選手になりたい。技術もメンタルも理論を学ぶより、練習の量をこなして裏付ける」との自論を持ち、打てない時は「納得するまでバットを振った」。
「誰にも負けたくない」と語るほどの負けず嫌いで、加治前竜一(07年卒・読売ジャイアンツ)や荒波翔(同・トヨタ自動車)ら、「1つ上の先輩に追いつこう、追い越そうと必死だった」という3年春には打率3割1分6厘、秋はチームトップの4割1分7厘をマーク。2年時の秋に定位置を獲得して以来、同期では唯一の5季連続全試合スタメン出場を果たし、4年時には大学日本代表として、世界大学選手権大会にも出場した。大学通算80試合で3割5分5厘、39盗塁。全国大会に限っては4割5厘、世界大会でも3割9分1厘と堂々たる成績を残して、昨秋ついに、運命のドラフト会議を迎えた。

実力もさることながら、明るい笑顔と真剣な表情に「女性ファンが多い」と、チームメイトがつけたあだ名は“プリンス”。だがそんな愛称とは裏腹に、誰よりもユニフォームを泥だらけにする熱いプレーが身上だ。「4年間でいい仲間と巡り合えて、大きな知識や経験を与えてもらった。プロでは『あいつのプレーが見たい』と球場に足を運んでもらえる選手になりたい」。
現在2軍に帯同している岩崎は、ルーキーでは唯一、開幕の大阪遠征に参加が決まった。(東京中日スポーツ
大舞台にも動じない強心臓。感情を全身で表す熱のこもったピッチング。大きな発言も次々飛び出す調子者な一方で、高みを目指し続けるストイックな一面も併せ持つ。ころころと変わるいくつもの顔が、杉本智大の魅力だ。
初登板は2年時の秋季リーグ戦。3度の中継ぎを経て任された初先発にも「緊張はなかった」。それどころか「やっと出番がきたか」と語るほどの余裕を見せ、6回を4安打無失点に封じて初勝利を挙げると、その後、筑波大に大手をかけられた一戦では初完投初完封も演じてみせた。
そんな杉本が主戦として存在感を示したのは、それから1年が経ったころ。球速重視の投球から一転、キレとコントロールを意識し始めてからだ。
「やっぱり目立つのは球速のある投手。プロに行きたいという思いがあるからスピードにはこだわり続けてきた。でもそれには限界がある。横井人輝監督から『真っ直ぐはスピードだけじゃない』と言われたこともあって、打たれないという結果が大事と考えるようになった」。3年時の秋は9試合に先発し、完投8(うち4試合は無四球)、完封3で7勝1敗。首都リーグMVPなどの各賞を総なめにし、報道陣の視線も一身に集めていたが、その顔は今一つ晴れないでいた。
「こんなことを言うと聞こえが悪いかもしれないけど……。あまり納得のいくピッチングができていない。リーグ戦序盤は四球も多かったし、真っ直ぐも思ったほど走らなくて。結果的には抑えたけど、悪いなりの投球しかできなかった。イメージした球を、もっとイメージ通りに投げられるようになりたい」。伊藤栄治前監督、横井監督共に「こんなに高いものを求めている投手は珍しい」と口をそろえる杉本のピッチング理論。どれだけ勝ち星を積み重ねても、求める姿は常に先をいく。
4年時の春季リーグ戦ではチームトップの5勝を挙げ、2季連続となるMVPと最優秀投手の2冠にも輝いたが、この時すでに杉本の右肩は限界を超えていた。続く全日本選手権では計12回を投げて自責11。勤続疲労による右肩痛は、ラストシーズンを前にした戦線離脱を意味していた。
「野球の究極は個人プレー。自分のことをちゃんとやろうとする選手が集まればチームは強くなる」。自分の力でチームに勝利をもたらそうとしてきた選手だからこそ、投げられない悔しさは計り知れなかった。マウンドを離れ、ベンチを離れ、スタンドで声援を送る日々。それでも、杉本は試合を捨ててはいなかった。
「杉本さんはピッチャーとしてのいろんな引き出しを持っている人だから、投球の組み立てについて話してくれたり、対戦相手のビデオを一緒に見て対策を考えてくれたり。よく声もかけてもらって、すごく助けてもらいました」と菅野智之が言えば、「チームのために何かしよう、自分が経験してきたことを何とか伝えようとしてくれていた」と伊志嶺翔大が続く。
「お前はエース(18)の後ろ(19)じゃない。上(17)を行く選手になれ」という横井監督の思いを受けて、ラストイヤーを前に19から17に変えた背番号。試合を作ることはできなくても、最後までチームのために力をそそぎ続けたその姿は、エースの上をゆく選手の姿だったのかもしれない。
杉本智大(すぎもと・ともひろ)
1986年7月27日生まれ、178センチ、70キロ、右投げ右打ち
地元和歌山から関西創価高校、東海大と進み、
首都リーグMVP(07秋、08春)、最優秀投手(07秋、08春)、
関東選手権最優秀投手(07秋)を受賞。
3年時秋には大学日本代表候補合宿に参加。
卒業後はJFE東日本硬式野球部に進む予定。
初登板から約2年半。杉本は本当によくいろんな話をしてくれた選手だった。「今日は2時間で終わらせます」「序盤は軽く投げてました」と驚くような発言も次々飛び出したが、すべて有言実行。口だけじゃないところがすごいところだ。今はまだ、痛めた右肩の治療とリハビリに専念しているが、4年時のシーズン開幕前に「自分の力を出し切ればプロに行ける」と語ったその言葉を、近い将来現実のものにしてくれると信じて。再びマウンドに帰ってくる日を心待ちにしている。
(硬式野球部担当 4年 橘)
関東選抜A vs 関東選抜B
前半 2 - 0
後半 0 ー 0
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結果 2 ー 0
MF岩上祐三(=写真左)は後半開始時からボランチとして出場。縦パスやクロスボールを前線に供給し、自分から声を出して試合の流れを作るなど、積極的な姿勢で何度も決定機を演出しました。
岩上は「負けてしまったが冷静な判断ができたので、自分のプレーが出来た」と振り返り、3月6日から8日にかけて行われる“デンソーカップチャレンジサッカー 南さつま市大会”に向けて、「チームでいい結果を残して、自分でも満足できるプレーをしたい。大学に戻った後は、4月の開幕に向けて力を出せるように頑張ります」と意気込んだ。
また、DF前島裕樹が副審を務め、試合は円滑に行われました。試合終了後のピッチ上で、2人は笑顔で握手を交わしました(=写真右)。
なお、岩上が出場する、デンソーカップチャレンジサッカー 南さつま市大会(関東選抜B)の日程は下記の通り。
3月6日 9:00~(開会式) in加世田運動公園陸上競技場
10:00~10:45 vs関西A 〃
13:10~13:55 vs北海道・東北 〃
7日 10:55~11:40 vs東海・北信越
in県立吹上浜海浜公園サッカー場B
8日 10:00~12:00 順位決定戦 in県立吹上浜海浜公園サッカー場
13:00~14:30 決勝戦 in加世田運動公園陸上競技場
(決勝戦終了後、表彰式が行われます)
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