2009年02月22日
JAPAN OPEN2009【東海大水泳部】
日本短水路選手権大会 金藤 200m平泳ぎで日本新記録!2月22日 200m平泳ぎ 優勝 金藤理絵 2:18.64=日本新 2位 田村菜々香 2:19.52 200m個人メドレー 8位 木下美穂 2:13.48 50m平泳ぎ 5位 斎藤勇人 27.51
田村 好タイムも1歩及ばず 2月21日 100m平泳ぎ 3位 田村菜々香 1:05.54 400m個人メドレー 7位 木下美穂 4:39.51 100m平泳ぎ 8位 大崎拓朗 59.34
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posted by 東海スポーツ編集部 |21:01 |
水泳部 |
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2月22日
200m平泳ぎ
優勝 金藤理絵 2:18.64=日本新
2位 田村菜々香 2:19.52
200m個人メドレー
8位 木下美穂 2:13.48
50m平泳ぎ
5位 斎藤勇人 27.51
「辛い」とは言わない。「疲れた」とも言わない。マウンドにいる小松崎将司は、喜びも苦しみも表わさず、ただ黙々と打者に向かって投げ込んでいく。「マウンドできついなと思う時、結構ありますよ」。3年時のシーズンが終わったころ、ふとそんな話をしてくれたことがある。「でも打者と勝負する時に、それを表に出したら負けだから。逆に絶対打たれないぞという気持ちで臨んでいけば、結果はついてくる」。
170センチ、64キロ。投手としては決して大きいとは言えないが、最速145キロの直球にスライダーとツーシームを織り交ぜ、「打ってみろ」と言わんばかりに強気に攻める。その投球スタイルは、「堂々としていて、体格以上に大きく見える」と伊藤栄治前監督も目を見張ったほど。横井人輝監督も「口数は少ないけれど、秘めているものや思い、気持ちが本当に強い投手。非常に信頼感がある」と語っている。
“下妻二高のエース”と言えば、聞き覚えのある人もいるだろうか。2004年夏、茨木県立下妻第二高は、前年度全国制覇を遂げた常総学院高を県大会決勝で破り、初の甲子園出場を果たした。当時、背番号1を背負っていた小松崎は、東海大進学後も1年時からマウンドに上がり、2年時には全日本選手権も経験。3年時の春に開幕投手としてリーグ戦初先発初完封を飾って以来、一気に投手陣の柱に躍り出た。
しかし順調に経験を重ねていく一方で、疲労も蓄積されていた。3年時の秋季リーグ戦開幕前に覚えた右ひじの痛み。十分な投げ込みもできず、「試合のない時は治療に専念するしかなかった」というシーズンは、6試合に先発するも、うち4試合は5回を持たずに降板。初めて味わう屈辱だった。
だがラストシーズンを前にしたこのけがが、小松崎を一回り成長させる。「思った通りに投げられない辛さは、もう味わいたくない」。オフの間は徹底的に走り込み、
沖縄キャンプでは多い日で1日に250球投げ込んだ。3年時は20試合(先発17試合)で完投2、完封1、7勝にとどまっていたが、けがを乗り越えた4年時は、1年間万全な状態でローテーションを守り抜き、20試合(同15試合)で完投6、完封2、12勝をマークした。
「入学当初は速い球を投げようとしてコントロールが悪かった」(伊藤前監督)という欠点も克服し、2年時のオフにはツーシームを習得して投球の幅を広げた。報道陣に囲まれてもあまり自分から努力の跡は語らないが、「一人で黙々と走っていたり、投げ込みをしていたり。人に見えないところで努力をしていた」(菅野智之)。「地道に積み重ねてきた小松崎なら、誰も文句は言わない」と横井監督から託された背番号18。その名に恥じない、堂々たる成績を記した。
1986年9月26日生まれ、170センチ、64キロ、右投げ右打ち
地元、茨城県立下妻第二高で甲子園出場。
東海大では3年時から先発に定着し、
首都リーグベストナイン(07春、08春)、
全日本選手権敢闘賞(08春)受賞。
4年時には大学日本代表候補にも選出された。
卒業後は日立製作所硬式野球部に進む予定。
それでも試合について尋ねれば、今日はここがよかった、あそこがダメだったと冷静に自分を見つめ、丁寧に言葉を返してくれる。
決して大きなことは言わないし、派手なパフォーマンスも見せないけれど、負けず嫌いで内に秘めた闘志は人一倍。同期の杉本智大や後輩の菅野が好投した次の試合では、はっきりと言葉にはしなくても、必ず気持ちのこもった熱い投球を見せていた。
全日本選手権の決勝で敗れた悔しさや、けがをして「チームに迷惑をかけた」という自責の念を誰よりも深く胸に刻み、その分だけ努力を重ねて成長してきた不屈のエース。だからこそ、大学最後の試合で見せた悔し涙に、新天地での飛躍を期待する。 (硬式野球部担当 4年 橘)

