2008年05月16日

Jリーグが15回目の誕生日を迎えた5月15日、ちょっと海外に浮気してみる~しかし「オレンジ」は見当たらず~

■Jリーグ15年と私の接点

先月から大宮アルディージャの観戦記を中心にこのブログを書いている。ブログで偉そうに大宮の観戦記を書いているが、実は大宮サポーター初心者である。大宮サポーターになったのは今年の2月下旬、大宮の今シーズンのシーズンチケットを衝動買いしたのがキッカケだった。だから桜井直人のプレーも佐伯直哉のプレーもまだみたことがない。

昨年12月、7年間の東京でのひとり暮らしを終えて埼玉の実家に帰った。
30歳独身。
何か熱中するものが欲しかったのかもしれない。

大宮サポーターになる前からサッカー観戦は好きで、Jリーグをテレビで観戦するのは勿論のこと、代表の試合を観に会社帰りに国立競技場にふらっと寄ったり、高校選手権の試合にも足を運んだりした。毎年、ゼロックススーパーカップに関してはチーム問わず観戦にでかけた。

5月15日の昨日、Jリーグが15周年を迎えた。この15年間、私と、Jリーグチームとの関わりのなかで贔屓にしていたチームは、浦和にある高校に通っていたこともあったため、一番身近にあった浦和レッズ、中学生時代の憧れの選手・上野良治選手の所属していた横浜F.マリノス(当時横浜マリノス)、そして知人がスポンサー会社に勤めていた縁があった横浜フリューゲルスという3チームであった。
特に、浦和レッズに関してはJリーグが開幕した93年、高校に入学したばかりだった私は学校の近くにあった駒場競技場に行くも、入場することは叶わず、歓声を聞きながら、少しの隙間から競技場を覗いていたことを思い出す。声援を送るサポーターの後ろ姿しか見えなかったことを付け加えておく。
しかしこの3チームですらスタジアムで観戦したことなどほとんどなかった。私にとっての昨シーズンまでJリーグの存在は、それ程、大きなものではなかった。

reds
※92年レッズのサポーターズクラブに入会したときの得点グッズ
フルリューゲルス
※フリューゲルスのユニフォーム(確か92年のヤマザキナビスコで着ていたような。  ヤフオクみたら、ちょうど別の方が出品していました。(興味ある方はご確認を。) スタジアムでJリーグを観戦したい。 今年に入って漠然と考えるようになった。毎年、観戦にいっていた高校選手権の決勝戦。今年は、藤枝東(静岡)-流通経済大柏(千葉)だったこともあり、国立競技場に行くも、当日を購入できず、友人の家でテレビ観戦ということもあった。そんなこともLIVEでサッカーを観たいという想いを強くした。 ■ 大宮アルディージャのサポーターになった理由 埼玉県民である私の中には、二つの選択肢があった。~浦和レッズのサポーターになるか、それとも大宮アルディージャのサポーターになるか~ 結果的に大宮アルディージャのサポーターとして今シーズンからNACK5スタジアムに行くことになったのだが、なぜ大宮アルディージャを選択したのか? それは「LIVE でサッカーを観たい」という当初の思いに正直に従ったからだと言える。 埼玉スタジアム2002とNACK5スタジアムとの立地を比較したとき自宅からアクセスが圧倒的によかったのはNACK5スタジアムだったこと、またシーズンチケットを2月下旬の段階で購入できたのが大宮アルディージャであったことが直接の理由だ。15年前のトラウマか、浦和レッズのチケット入手がとても困難だという先入観もあった。(実際は不明)大宮アルディージャに好きな選手がいたわけでもでもない、むしろ浦和レッズの選手に思い入れがあった。-埼玉県出身の堀之内聖選手の今でもファンである- それ程思い入れのないチームを応援できるのだろうかという不安をよそに、3月8日(実際の試合は9日)の16回目のJリーグの開幕を迎えてスタジアムに応援にいくと、想像以上の興奮がそこにあり、スタジアムに行く度に大宮アルディージャの応援にコミットしていく。大宮サポーター4カ月たった今では大宮のない生活は考えらなくなった。 ■海外に目を向ける そんな折、このブログを書きはじめた。サッカーや大宮アルディージャのことについて書くのが面白いが、他の人のブログを読むのが現在、一番の楽しみである。Jリーグが行われる週末の夜には、各チームを応援する人たちのブログが更新される。同じ対戦カードでも応援するチームが違えば、感じ方・感想も異なる。同じチームを応援する者同士でさえ選手個人レベルの評価ともなると大きく意見が分れることも多い。 スポナビプラスを十分に楽しんでいるのだが、もっと楽しむ方法に最近、気づいた。サッカー関連のブログはよく読むが、自然とJリーグや日本代表関連のブログに偏る。私は、海外サッカーについての疎いのである。疎いといっても有名クラブの中心選手の名前と顔は一致する。しかし、この数年、世界のトップクラスのプレーをみたことがないのだ。時々、「すぽると」のマンデーフットボールを視聴するが、チャンピオンズリーグのため午前3時まで起きているようなことはしていない。 これでも昔は、―「昔は」と言っても15年程前、まだサッカーマガジンとワールドサッカーマガジンが別れていなかった頃 ― 海外サッカー通を自称していた。しかしその頃はイタリアセリエAが全盛でイタリアの有力チームとヨーロッパ各国リーグの上位1,2チームのこと知っているだけですべてことを知っていた気になっていた。試合もWOWOWで放送される数試合を除けばほとんど観たことはなく、いくら自称と言ってもサッカー通などと甚だ恥ずかしいほどの情報しか持っていなかった。 今、海外サッカー系のブログを書かれている方は、本当によく試合を見ているのではないか。選手の名前と前所属チームをどれだけ知っていてもそれはサッカーを知っていることにはならない。彼らのブログの中には、今のサッカー界の最前線の‘生’の情報が盛り込まれている。 サッカーを楽しむためにもっと海外サッカーにもっと目を向けよう。 Jリーグが15周年を迎えた昨日、海外サッカーへの浮気心を抱いてしまった。引き続き大宮アルディージャを中心にJリーグも観ていきたいのだが、海外サッカーについても勉強したい。 ■どのリーグ・どのチームを見ていくか? 海外サッカーをもっとみようと決意した昨日、帰宅してからウィキペディア中心に各リーグのことをリサーチしてみた。やはり主要リーグのイングランド:プレミアリーグ、スペイン:リーガエスパニョーラ、ドイツ:ブンデスリーガ、イタリア:セリエA、その他フランス、オランダ、ポルトガル、トルコ、ロシア、オーストリア、そしてお隣りの韓国のKリーグと各国にリーグは存在するのだが、その中でも特に、日本人が多く在籍するブンデスリーガ、現在、最も熱いとの噂のプレミアリーグ、そしてお隣の韓国Kリーグあたりを注目していこうと思う。英語もドイツ語も韓国後も読めるわけではないのでスポナビとスポナビプラスの情報ソースを中心に勉強していく。 折角、海外サッカーを楽しむのだから大宮アルディージャの次に贔屓にするサッカークラブを海外リーグに見つけようとしたのだが、どのような基準で選んだらよいのかわからず悩む。考えた末、大宮と同じ「オレンジ」をチームカラーにしているクラブチームしようとインターネットでリサーチする。しかし、リサーチすること30分、オレンジをチームカラーしたサッカークラブが見当たらない。日本には大宮をはじめ、清水、新潟、J2まで広げれば愛媛の4チームも「オレンジ」のチームがあるというのに。オレンジチームは諦めて別の基準を設けようと考えるが、海外サッカーの情報が少なすぎていてなかなか決断をするのが難しい。もう各リーグも終盤を迎える。09-10シーズンに向けて少しずつ情報を収集して贔屓のチームを決めようと思う。 最後に、大宮アルディージャが、「オレンジのチームと言えば?」という問いに、世界のサッカーフリークが「Omiya Ardija」と答えるような日本を代表するサッカークラブに成長することを祈りつつ。


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posted by toddocom | 13:42 | 海外サッカー | コメント(3) | トラックバック(0)
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2008年05月15日

サッカーで世界が変えられることを私は信じる。~中田英寿の挑戦、TAKEACTION2008  今の私にできること~

中田英寿

私は以前から中田氏のサッカープレーヤーとしてのスタイルがどうしても好きになれなかった。既に、中田氏が脚光をあびた93年U-17世界選手権(現U-17ワールドカップ)から15年、現役を退いた06年からもう2年がたとうとしている。中田氏のどこが好きになれなかったのか?今となっては明確に表現することは難しい。
中田氏の2学年下に中村俊輔選手がいる。
90年代後半から中田氏が引退する06年まで日本サッカー界において2人の絶対的なゲームメーカーが存在した。それが中田氏と中村選手であることは言うまでもない。
時として2人の名選手は比較をされ、ひとりの選手を支持すれば、もう1人を漠然と毛嫌いするような風潮が当時あったような気がする。

中田派か中村派か

受け手に、全身全霊をもってボールを受けなければならないという緊張感を与える中田氏の鋭いパス、対して目を瞑っていても目を開けば足元にボールが収まっているような中村選手の相手にやさしい柔らかいパス。どんな選手にも当たり負けをしない強靭なフィジカルを持つ中田氏に対し、相手選手との接触を嫌い、あたられる前に決定的なパスを切り裂く中村選手。2人のプレーはまさに対照的であった。当時、私は断然、中村派であった。今思えば、観ている者にとって中村選手のプレーの「うまさ」はわかりやすく、また中田氏の
「うまさ」はわかりづらかった。中田氏のプレーも振り返るとうまさの上に類い希な「強さ」があっため、その上手さを見えづらくした。
また、中田氏のマスコミを通したイメージも私が彼を好きになれなかった理由の一つである。96年のアトランタオリンピック後に、当日、オリンピック代表の中心選手であった前園氏とカップ麺のCMで見せた彼の笑顔が、その後のブラウン管を通して見る淡々とした彼の表情とのコントラストで今も鮮明に脳裏に焼き付いている。中田氏が年を重ね、ストイックになればなるほど、またファショナブルになればなるほど、中田氏の存在が私の興味から外れていった。
ドイツワールドカップ一次予選のブラジル戦で惨敗し、ピッチ上に横たわる中田氏。忸怩たる思いがあったに違いない。しかし、一次予選3戦で期待通りの試合ができなかった日本代表、その日本代表の中心選手に対して、私は苛立ちを覚えることがあっても、彼に感情移入することなど到底できなかった。29歳の若さで現役を退くという中田氏の引退表明は世間で、センセーショナルに受けとめられたが、私にとっては、それ程インパクトあるものでもなかった。

サッカー選手「中田英寿」は幕を閉じた
そして彼は旅人になった

ドイツワールドカップで中田氏が大きな決意を表明した頃の私の興味は日本代表の「これから」のことにあった。川淵キャプテンが、ワールドカップ直後の会見で、次期監督の名前を言ってしまうという失言事件から始まり、中田氏のいない日本サッカー界はめまぐるしく動いていった。
オシム前監督の試合後の難解なコメントをどう解釈するかという議論を酒の肴にしていた頃、中田氏は旅人となっていた。2年間に約60カ国、150以上もの都市を旅してという…。普通の人間ではなしえない旅をしていたに違いない。

TAKE ACTION2008+1

私が中田氏と再会したのは、今年3月18日の夜、ニュース番組の中であった。
その時、彼は南米にいた。南米を旅する「中田英寿」は、私の知る「中田」ではなかった。現地の人と積極的にコミュニケーションをとる中田氏がいて、笑顔の中田氏がいた。そして「地球」について真剣に語る中田氏がそこにいた。以前、私が彼に抱いていた選手だった頃の中田氏のイメージと大きく異なったものだった。ナルシストで自己中心的なイメージはその時崩れた。ニュース番組で再開して以降、「中田英寿」という人間がどんな人間なのかとても興味を持った。

そんな折、先月4月15日に、中田氏が「TACK ACTION2008」プロジェクトの立ち上げを発表。「なにかできること。ひとつ」をテーマに自分自身でできることを自ら考え行動
するためのきっかけづくりを目的として、「+1(プラスワン)」キャンペーンを実施することを合わせて発表された。
「+1FOOTBALL MATCH(6月7日日産スタジアム)」については、ワールドスターズの監督にジョゼ・モウリーニョ氏が務めることになり、ニュースで数多く取り上げられているため皆さんもご存じの方も多いだろう。しかし皆さんは、+1 TANZAKUについてご存じだろうか?こちらも+ワ
ン(プラスワン)キャンペーンの一環で、自分自身で「なにかできること。ひとつ」をインターネットの世界地図上に、日本の伝統文化である「七夕の短冊」に誓いを込めてブックマークしていくという企画である。
詳細はこちら⇒ http://www.takeaction2008.com/communicate/

3月18日(約2年ぶりにテレビで中田氏を目にしたとき)以降、中田氏の独占取材をしている番組内の特集を1,2度、目にする機会があった。訪問地が、南米であろうがアフリカであろうが、どこであれ共通していることが一つあることに気づく。それは、中田氏がどの国を訪問しても絶大な知名度と人気を誇っていることである。どの国でも「NAKATA! NAKATA!」と大勢の人々から声がかけられる。改めてサッカーというスポーツに可能性を感じた。

私はまだ中田英寿がどのような人間なのか未だ知らない。しかし中田英寿にしかできないことがあると最近は確信している。
中田氏の言うように「サッカーには人の命を直接的に救う力はない」かもしれない。ただサッカーを通じてその地位を築いた中田氏が、サッカーを通じて世界中で問題となっている「環境」や「貧困」「教育」に対いて行動を起こそうとしている今、私は、サッカーの「可能性」を信じ、中田英寿氏の「可能性」を信じたいと思う。
そして中田氏の提唱する「TAKE ACTION2008」積極的に関わろうと思う。

何か大それたことをしようとするつもりは毛頭ない。

私に何かできること、ひとつ…
+1 TANZAKUに誓いを立てること

埼玉の片隅で、「サッカーで世界を変えられることを信じる」という誓いを立てる。
皆さんもできることから、ひとつ。
+1TANZAKUに誓いを立ててみてはいかがだろうか。

【参考】
TAKE ACTION2008+1(プラスワン)http://www.takeaction2008.com/
+1TANZAKUhttp://www.takeaction2008.com/communicate/

posted by toddocom | 09:47 | サッカーその他 | コメント(4) | トラックバック(0)
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2008年05月13日

すべての選手が、ロナウジーニョでもなければ、中村俊輔でもない!~大宮の左MFのプレーで思うこと~

矯私は30歳の現在もなお、現役でサッカーを続けている。週末にはフルコートの11人制のサッカーやフットサルで汗を流している。元来、私は左利きなのだが、矯正をされサッカーを始めた頃から右足でボールを蹴っていた。しかし高校を過ぎると無理に矯正することもなくなったため、箸を左手で持つようになり、ボールも左手で投げるようになった。しかし利き足に関しては右蹴りから左蹴りに戻ることはなかった。本末転倒なのだが左蹴りに戻そうと矯正を試みたのが今から3年前のことだった。今ではプレーのほとんどを左足でタッチするようになっている。幸運なことに左足でボールタッチをしているが右足が使えなくなったわけでなく、両足を無理なく使えるようになった。

話は変わって、ドリブルで相手を抜く場合、結果的に三通りの選択肢しかない。

~右から抜くか、左から抜くか、そして股から抜くか~

股抜きはレアケースと考えるとほとんどの場合、左右の選択に迫られる。しかし、両足でボールをタッチして気づくことは左右の二者択一でなく、どちらの足でボールをタッチするかで選択肢は2択以上に広がる。 

大宮の左サイドには、藤本選手や内田選手、土岐田選手などスピードでスペースへ走り込むドリブラー型の選手が起用されることが多い。彼らは全員右利きで右足の細かいボールタッチで相手ディフェンダーのバランスを崩し、スピードで抜くことを得意とする。ただ彼らが左足でボールをタッチすることはほとんどない。

スコットランドセルティックの中村俊輔選手が右サイドで相手ディフェンダーと対峙する際、相手ディフェンダーが最も恐れるのは、左足での正確なセンタリングである。ディフェンダーが左足での中村選手のセンタリングを警戒するあまり中村選手のキックフェイントでかわされてしまうケースや、バルセロナのロナウジーニョ選手やメッシー選手のように、利き足の小気味よいボールタッチで抜いてくるとわかっていながらもその卓越したフェイントとスピードで抜かれてしまう場合など、世界には利き足一本で活躍するトッププレイヤーが存在する。しかし彼らには絶対的な利き足のテクニックやスピードを持っている。そのテクニックやスピードを警戒するあまり、その「裏をかく」プレーが活きるのである。絶対的な「間合い」に相手ディフェンダーは翻弄される。

ここで大宮の左サイドを務める選手に相手を翻弄するテクニックやスピードを持ち合わせていないことを指摘したいわけではない。ただ相手ディフェンダーとの間に「絶対的な間合い」を築くに至っていないということは言える。
 相手ディフェンスとボールの間に自らの体を挟むのがリスクの小さいドリブルの基本である。左サイドを右足でボールをキープしたまま左(前方)に抜こうとするのはリスクが伴う。 なぜなら、ボールが相手ディフェンスの前を無防備に通過するからだ。攻撃側に相当なテクニックやスピードを持っているか、余程、優位な間合いを保ってもいない限り、右足でボールをキープしながら左(前方)に抜けるドリブルを選択するリスクは負わない。すると自然と同じようなプレーが繰り返される。左サイドでボールを右足でボールを受けるとトラップした後(当然右足で)、左DFやボランチを下げるか、右足で中央へドリブルで切り込んでいくかである。これらのプレーはディフェンスにとっては脅威でなく、むしろ守備側の間合いで守られてしまう。もし右利きの彼らが左足で左(前方)に突破する選択肢を持っていれば、ディフェンダーも今まで通りの守備とはいかない。
左サイドを左利きの選手が務める最大のメリットは縦への突破をしやすいことである。右利きの選手でも左(前方)へ突破できないわけではない。ただ左足でボールをコントロールした方が圧倒的に有利である。縦への突破という脅威が、「裏をかくプレー(中央へ切り込むプレーなど)」を更に引き立たせるのである。

今でも藤本選手の細かいボールタッチや内田選手や土岐田選手のスピードは大宮にとって強みである。ただすべての選手が、中村俊輔やロナウジージョのように利き足一本で敢えて相手ディフェンダーに挑む必要はない。彼らが左足をもっと多用したなら幅のあるプレーをみられるのではと思うのは私だけだろうか。
左足を使わなくともマンチェスターユナイデットのC.ロナウドのように、小気味よいステップと右足のアウトサイドでのボールを押し出しながら、一瞬で左(前方)にボールを移し、相手ディフェンダーを置き去りにするような規格外の選手が出現したのであれば何も「左足を使え」など野暮なことは言わない。
また、近い将来、Jリーグでもそんな選手にお目にかかれることを期待したい。

私が知らないだけで既にJリーグにもそんなプレイヤーがいるのかもしれないが・・・。

posted by toddocom | 18:40 | Jリーグ | コメント(2) | トラックバック(0)
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2008年05月12日

12節 大宮-札幌戦 樋口サッカーを信じる!ただ一言言わせてほしい~森田浩史よ、首を振れ!~

三浦札幌監督への畏怖と敬意

10日
大宮アルディージャにとって、現コンサドーレ札幌監督三浦俊也氏はどんな存在なのであろうか?試合の始まる前から三浦札幌監督への畏怖と敬意が交錯していた。 スポニチは、大宮アルディージャのスポンサーであるため節目の試合には、スポニチの特別号(大宮アルディージャ版)が配布される。この日も、スポニチのスポンサードマッチだったこともあり特別号が入場ゲートで配布された。スポニチ特別号には、 「J1昇格導いた“恩師”率いる札幌と激突  大宮 勝って 恩返し」
5月10日札幌戦
という大きな見出し。私は、今シーズンから大宮サポーターになった新参者、三浦札幌監督が、大宮の監督をしていたのは知っていたが、三浦札幌監督(以下三浦監督)が大宮にどんな功績を残したのか知らなかった。 三浦監督と大宮アルディージャの関係は、遡ること9年前の1999年。三浦監督は、前年の1998年に水戸の監督をするも良い成績をおさめることができず1年で退任。翌年1999年、ピム・ファーベーグ監督(前韓国代表監督)のもと、大宮のコーチに就任する。2000年に監督に昇格すると、大宮がJリーグに参入してから9シーズンの歴史のうち、コーチの1シーズンを含めると6シーズン在籍している人物であり、2004年J1昇格などチームへの貢献、そしてサポーターから信頼は今でも絶大のようだ。 昨日も試合前にも札幌のスタメン紹介後に三浦監督がコールされた時には、大宮サポーターから三浦監督へ拍手が沸き起こった。(ちなみに元札幌の吉原宏太選手も紹介の際は、札幌から拍手があったように思う。) <三浦大宮の戦績> 2000年シーズン 4位(J2) 2001年シーズン 5位(J2) 2004年シーズン 2位(J2)J1昇格 2005年シーズン 13位(J1) 2006年シーズン 12位(J1) 大宮、森田選手のゴールで追いつくもコーナーキック2発で沈む。 試合の方は、大宮にとって因縁の相手である三浦札幌が試合の開始早々、大宮ゴールに攻めかかる。今では大宮攻略の王道となっている、大宮の高く保ったディフェンスラインとゴールキーパーの間のスペースに簡単にボールを放り込んでくる。大宮ディフェンス陣も鹿島戦・FC東京戦のような連携ミスによるゴールは許さなかったが、ピッチが雨のため滑りやすくなっていることもあり、あわや決定的なシュートを打たれるという場面がいくつかあった。また、ディフェンスのクリアボールをことごとく札幌にキープされるという展開。ついに前半18分、コーナーキック(明らかにゴールキックに見えたが…)から相手選手と競った際、バランスを崩し頭にボールを当てた小林慶行選手がオウンゴール。早い時間帯に1点を許した。 樋口監督も試合後の会見でコメントしたように大宮は、序々にボールをキープするも濡れたピッチのせいで思うようにボールが前に進められない。乾いたピッチでは気付かないパスの微妙なブレによるパスミスが目立つ。 「今日の試合では、前半の出来があまりにも悪かったと思います。これまでの記憶にないぐらいの出来でした。選手たちはハードワークをすることが出来なかったですし、チグハグな状態にありました。僕たちがボールをつなぎ出すところに札幌にプレッシャーをかけられてしまったのです。スペースにパスを出すのか、足元にパスを出すのか。パスの出し手と受け手がうまく合わなかったように感じます。」(大宮アルディージャ公式HPより) 前半は、大宮の弱みを突いた札幌が優勢に試合をすすめ、大宮はなす術がなかった。 後半は、前半とはうって変って大宮ペースで試合が進み、55分の左サイドのデニスマルケスから小林慶行選手のシュートは完全に札幌ディフェンスを切り崩した。(惜しくもポストに阻まれる)そして69分に交代したばかりの森田選手が、左サイド冨田選手からのパスを左足で合わせ同点にする。一気に大宮のペースになるかと思いきや土岐田選手や森田選手にシュートチャンスが訪れるもシュートを打てず勝ち越しのチャンスを逃した。そして85分、札幌のコーナーキックから柴田選手の折り返しをダビが決めて大宮は万事休す。 札幌は7試合ぶりの勝利。大宮は、ホーム2連敗リーグ上位を目指す大宮にとっては痛い敗戦となった。
5月10日札幌戦
敗戦の中の光明~波戸選手の攻撃参加~ 前半は出来が悪いと言いながらも私は、1つの光明を見出した。それは波戸選手の積極的な攻撃でのチャレンジである。試合開始10分程たった頃だろうか、藤本選手が左サイドでボールをキープする。すると波戸選手がボールをキープする藤本選手の背後から追い抜きボールを要求する。藤本選手は、波戸選手へのパスを選択しなかったが素晴らしい攻め上がりであった。その後も波戸選手は前半数度、果敢に攻めあがりを試みた。55分の小林慶行選手のボストに当たったシュートもチャンスを作ったのは波戸選手だった。左サイドから中央へボールを駆け上がり左サイドへ流れたデニスマルケスへ絶妙なパスをした。大宮サッカーがまたひとつシンカした瞬間であった。藤本選手を含めた左MFの選手は左サイドへ張る傾向にあるので今後は左MFと波戸の連携を深めたいところだ。 森田浩史よ、首を振れ! 9節ガンバ大阪戦のロスタイムでの劇的な勝ち越しゴールからは、毎節途中出場を続ける森田選手。この日も出場後、すぐに同点弾を決めた。昨日、大宮のサポーターが最も盛り上がったシーンであった。しかし、サポーターは貪欲である。私もその一人であり、その後の森田選手のプレーについては一言言わせてほしい。 森田選手が投入されると、長身であるため浮球が森田選手へ供給される。すると森田選手のポストプレーに期待をして森田選手にボールが集まる。大宮には、空いているスペースに走りこめる選手が数多く在籍している。この日も藤本選手や土岐田選手が後半に入ると効果的にスペースに走り込むプレーを何度かみせていた。彼らのような選手にとってポストプレーのできる選手との相性がよい。森田選手がポストプレーをしてボールをキープする。その間に藤田選手や土岐田選手が森田選手を飛び越えゴールを狙うというのが森田選手投入後のプランだったろう。実際、何度か森田選手がペナルティエリア付近でボールを受けるケースがあった。1、2度ダイレクトでポストプレーを成功させたが、なかなかボールが収まらず森田選手の所でボールが奪われることもあった。ポストプレーの役割を与えられその役割を全うできないことについても問題であるが、FWとしての本来の役割が疎かになっているのではと気にかかる。 スポーツナビ+プログで「釈迦に説法」であるがFWの最優先させるべきは点をとることである。得点の可能性を高めるにはシュートを打つことである。その他すべてのプレーはよりよいポジションでシュートを放つためにあるといって過言ではない。 ポストプレーは体の大きい森田選手に期待するプレーである。しかしシュートを打つ機会より優先されるポストプレーはない。そこで森田選手のプレーに一言。 「森田選手よ!ボールを受ける前に首を振れ。前にスペースがあれば貪欲にシュートを放て!」 森田選手はこの札幌戦でもゴールを記録した。恐らく次節川崎戦でも途中交代ながら出場を果たすだろう。サポーターは貪欲である。FWとしてゴールの量産をしてほしい。一回でも多く森田選手のチャントで歓喜したい。 樋口サッカーを信じる。 樋口サッカーは明確である。高い位置でのプレスとポゼッションサッカー、吉原選手や藤本選手や内田選手のスピードある飛び出し。そして左右両サイドの攻撃参加。札幌戦の後半も樋口サッカーは実践された。大宮の修正点はまたいくつもあるが課題は明確である。今シーズンは樋口サッカーをとことん信じよう。 今シーズンから大宮を観戦するようになって、試合後初めての選手へのブーイングを目の当たりにした。こういう時に、NACK5スタジアムの観客席の近さは選手にはとても辛そうだった。私はブーイングをしなかった。 私は大宮サポーターの前で相手チームがコーナーキックを蹴る際、相手チームのブーイングをするのではなく、GK江角やレアンドロ・冨田を応援する大宮の応援が好きなのだ。おそらくこの先もブーイングはしないだろう。選手がサポーターに対して「人が少ない。声が小さい。盛り上がってない」などとブーイングはできない、我々サポーターが一方的ブーイングをするのは性に合わない。(他のサポーターがブーイングをすることを否定しません。)選手もサポーターも一緒に戦っている、一方だけがブーイングをするのはフェアじゃないと思うから。
5月11日札幌戦
強豪ガンバ大阪に逆転勝利をすることもあれば、下位に低迷する札幌に負けることもある。大切なのは、樋口サッカー目指してそれを実践できているか。札幌戦の後半のような試合を次節川崎戦では試合開始時から期待したい。


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2008年05月10日

ベテランJリーガー77年組(77年早生まれ除く、78年早生まれ含む)の奮起

私は、77年生まれである。今年で31歳。気がつけば31歳である。
会社では「若手」と呼ばれなくなって久しくなり、色々な責任も持つようになる頃だろう。若い若いと思っていても、「老い」を感じることがある。老いといっても劇的に老けこむということでなく、おそらく身体的な一番のピークを越えたことを感じる時がある。

鏡の前に立つと、数年前にはなかった顔のしわに気づく。
テレビのでてくる芸能人の名前が思い出せない。
そして先日は、草サッカー中に肉離れを負った。

何処かで草サッカーであってもまだまだ現役サッカー選手と思っていたが、草サッカーチームにも若い選手が加入し、フル出場で試合にでることが少なくなった。

31歳。

もう時間を重ねるごとにサッカーをするのがしんどくなる…
と先月末の肉離れでサッカー選手として年齢のことを考えていた。

そんな時に、観戦した横浜F.マリノスと大宮アルディージャ戦、同じ世代の選手がピッチで躍動していた。

31歳

プロサッカーの世界ではもうベテランの呼ばれる歳である。
当然プロと自分を比べても意味はないのだが、同世代のベテランJリーガーの活躍を見ると力が沸いてくる。

特に私の応援する大宮の選手に同級が多い。同級のピッチで活躍する姿を観るために今日もNACK5スタジアムに行こう。雨だろうと負けていられない。

最後に、Jリーグで活躍する同級77年組(77年早生まれ除く、78年早生まれ含む)を紹介しておきた。

大宮アルディージャ
冨田大介(1977年4月24日)
佐伯直哉(1977年12月18日)
吉原宏太(1978年2月2日)
藤本主税(1977年10月31日)
西村卓朗(1977年8月15日)
小林慶行(1978年1月27日)

横浜F.マリノス
ロニー(1977年4月28日)
中澤佑二(1978年2月25日)


その他のJ1の77年組
浦和レッズ三都主アレサンドロ(1977年7月20)
ガンバ大阪
明神智和(1978年1月24日)
清水エスパルス戸田光洋(1977年9月10日)
川崎フロンターレ
ジュニーニョ(1977年9月15日)
アルビレックス新潟
内田潤(1977年10月14日)
柏レイソル藏川洋平(1977年8月10日)
ヴィッセル神戸
須藤大介(1977年4月25日)
ジェフユダイデッド千葉
坂本將貴(1978年2月24日)
中島浩司(1977年8月20日)
大分トリニータ鈴木慎悟(1978年3月20日)
コンサドーレ札幌
池内友彦(1977年11月1日)
砂川誠(1977年8月10日)
東京ヴェルディ海本幸治郎(1977年10月14日)
船越優蔵(1977年6月12日)
廣山望(1977年5月6日)
京都サンガF.C.柳沢敦(1977年5月27日)
石井俊也(1978年1月19日)

J2の77年組
サンフレッチェ広島
戸田和幸(1977年12月30日)
服部公太(1977年11月22日)
ヴァンフォーレ甲府
井上雄機(1977年10月31日)
横浜FC
早川智伸(1977年7月11日)
ベガルタ仙台
千葉直樹(1977年7月24日)
平瀬智行(1977年5月23日)
シュナイダー潤之助(1977年5月22日)
セレッソ大阪
鈴木正人(1977年4月28日)
湘南ベルマーレ
ジャーン(1977年9月24日)
アビスパ福岡
黒部光昭(1978年3月6日)
久永辰徳(1977年12月23日)
水戸ホーリーホック本間幸司(1977年4月27日)
徳島ヴォルティス
片岡功二(1977年6月19日)
塩川岳人(1977年12月17日)
ロアッソ熊本
小林弘記(1977年5月24日)
FC岐阜
小島宏美(1977年12月12日)
菊池完(1977年5月3日)

J1主審の77年生まれ
佐藤隆治(1977年4月16日)

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2008年05月09日

ダイジェスト「Jリーグ検定」が引き合わせた出会い~サッカーマガジンとの再会~

本当は、ジェフ千葉の監督に就任したアレックス・ミラー氏について語りたいところであるが、全く知識と情報がないため断念。

今日は、私のサッカー人生、いやサッカー雑誌人生について少し語りたいと思う。
サッカーを始めたのが、1985年(昭和60年)小学2年生の時だったと思う。初めてリアルタイムでワールドカップをみたのは、1990年(平成2年)のイタリアワールドカップであった。初めてサッカーマガジンを購入したのもワールドカップ開催前の1990年であった。
88年の欧州選手権の活躍で、90年イタリア大会前に注目されていたマルコ・ファン・バステンが大々的に取り上げられていた号であったのを覚えている。当時のサッカー少年は、サッカーマガジンやサッカーダイジェスト、ストライカーの3誌の月刊誌のどれかを買うか、親の目を掻い潜り夜更かしをしてダイヤモンドサッカーをみる位しかサッカー情報を得られなかった。・
私は、当時サッカー好きの友人と、サッカーマガジンとサッカーダイジェストを購入し合って読み終わると交換していた。私は、サッカーマガジン購入担当で、友人がサッカーダイジェスト担当であった。小学生当時の私の感想であるが、当時のサッカーマガジンは、コラム(文章)が多く、小学生の私にとっては堅いイメージをあったのに対し、サッカーダイジェストはグラビアも多く、海外情報(当時はセリエA中心)がマガジンに比べて豊富にあった印象がった。いつもマガジンのコラムを読もうと試みるが面白さがわからず、いつもダイジェストを保有する友人を羨ましく思っていた。

時は流れ2007年末、初めてサッカーマガジンを初めて買った頃より十数年がたち、サッカーマガジンが月刊誌から隔週氏そして現在の週刊誌と変遷していった。(確か週2回なんてときもあったのではなかったか?)その流れのなかで毎号サッカーマガジンを購入することはなくなった。それまでも時間潰し程度にサッカー雑誌を購入していたが、引っ越しを期に2007年頃から再び毎週必ずサッカー雑誌を購入するようになった。(通勤時間が長くなった。)しかし、買うようになったのはサッカーマガジンではなくサッカーダイジェスト(以下SD)。これは明らかに十数年前に「サッカーダイジェストの方が欲しい。」というダイジェストへのコンプレックスからの衝動であった。昨年末からは、SDの隅ずみまで読むようになり毎週火曜日(SDの発売日)が一週間のうちで楽しみのひとつとなった。

昨日(5月7日)は、ゴールディンウィーク明けであったため水曜日であるのも関わらずSDの発売日であった。先週の5・13号では、「サッカーとお金の話」と題してフットボールマネーにまつわる色々なことについて取り上げたとても興味ある内容だっただけに今週もSDをとても楽しみに手にとった。「Jリーグ15周年 検定 200問 あなたはどこまでこたえられるか?」と題した今号は、ほとんどのページを割き、Jリーグに関しての検定クイズが続いた。9節に大宮がG大阪に劇的な勝利を勝ち取ったこともあり、レビューを楽しみにしていため私にとってサッカー検定はちょっとした落胆であった。サッカー検定もマニアックなものも多く「こんなの知らないよ」とツッコミながらフラストレーションは頂点に達した。
このフラストレーションをどう抑えるか?
私はすぐに再び書店に走り、久々にサッカーマガジンを手に取る。今週号(5・20号)は、サッカー事件史をテーマにとても興味深いコラムの数々であった。一つひとつの記事を堪能した。こうして久々のサッカーマガジンとの再会を果たした。

'サッカーダイジェストが、元選手出身の解説者がコラム等を数多く手掛けるのに対して、サッカーマガジンは、プロのライターが筆を執る。

サッカーダイジェストが、よりリアルな情報を読者に伝えようとするのに対して、
サッカーマガジンは、物語やドラマを演出しようとする。'

明らかにこの2誌の趣向が異なっているようだ。どちらが優れているかということはなく、どちらもそれぞれの特徴を存分にだしている。来週号からダイジェストとマガジンどちらの面白さを堪能するか悩むところだ。おそらくどちらか一方で我慢するなどできないであろう。
最後に質問、あなたは、「マガジン派?」、それとも「ダイジェスト派?」

※写真は、サッカーダイジェスト5・20号、サッカーマガジン5・20号
 サッカーマガジンと一緒に、サッカー批評(右)を初めて購入した。

サッカー雑誌


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2008年05月08日

11節横浜F.M-大宮戦~日産スタジアムの中心でNACK5スタジアムを想う~

昨日は、日産スタジアムへ11節横浜-大宮戦を観戦しに横浜に足を向けた。
大宮サポーターとして始めてのアウェー観戦であった。
渋谷から東急東横線に乗り、菊名でJR横浜戦に乗り換え、数分新横浜、小机間の右手に巨大なサッカー場を見ることができる。過去に横浜フリューゲルスの試合や日本代表の試合を観戦しに日産スタジアム(旧横浜国際総合競技場)に来たことがあったが、新横浜駅から歩いていたので今回が初めての小机駅下車であったこともあり、電車、乗車中に目にする日産スタジアムは初めてだったが、車中で臨む日産スタジアムは壮観そのものであった。

スタジアムに入場すると、大宮のホームスタジアム「NACK5スタジアム」を見なれたせいか日産スタジアムの大きさに驚く。この試合は、最終的に27,988名もの入場者がスタジアムを訪れたが、70,000人以上を収容するスタジアムは、約30,000名の観客も少なく見えた。

巨大競技場にあってNACK5スタジアムの素晴らしさにしみじみ感じ入る。

NAKC5スタジアムをご存じない方のために少し説明をしよう。(更に詳しい情報はウィキペディアを参照ください。)

大宮アルディージャのホームスタジアム・NACK5スタジアムは、正式名称、さいたま市大宮公園サッカー場。現在は、埼玉県を中心に関東一円を放送エリアとしている放送局「FM NACK5」がネーミングライツを習得し、2007年5月よりNACK5スタジアム埼玉と呼ぶ。通称「ナクスタ」。大宮サッカー場と言えば、言わずと知れた、高校サッカーの激闘の地であり、高校サッカーの聖地といって過言でない。古くは1964年の東京オリンピック・サッカー会場として使用され、日本初のサッカー専用スタジアムとされている。また、1979年には、ワールドユース大会でディエゴ・マラドーナ(アルゼンチン)が国際大会デビューをしたスタジアムでもある。ちなみにあの日向小次郎(マンガ『キャプテン翼』の登場人物)が初めてタイガーショットを放ったところでもある、由緒あるスタジアムである。2007年11月11日、2年の改修工事を終え新スタジアムとして生まれ変わり、今シーズンから大宮アルディージャのホームスタジアムとしてシーズンスタートから使用されている。
改修後でも15,000名収容の小さいスタジアムだが、ピッチと観客席との距離は、日本のスタジアムの中で1、2を争うのではないだろうか?また、観客席の勾配が激しくアウェーで訪れる相手チームのサポーターからもその試合の観やすさという点で評価が高い。試合中の選手の声が聞こえてくるほどの距離であり、ホーム・アウェー問わず、選手とサポーターが一体となれる素晴らしいスタジアムである。

確かに、日産スタジアムも非常に素晴らしいスタジアムである。今シーズンの開幕戦、Jリーグを代表する2チームである横浜Fマリノスと浦和レッズの開幕戦、6万人を超えるサポーターが青と赤に二分する様は想像するだけで奮い立つ。この光景は、NACK5スタジアムでは味わえない。
ただ、大宮アルディージャは、あの小さいNACK5スタジアムがホームグラウンドであることを誇りにするべきである。伝統あるスタジアムでリーグ戦17試合できることは、強力なアドバンテージある。そして我々サポーターもNACK5スタジアムで応援できることに喜びを噛みしめながら今週末NACK5スタジアムに足を運ぼう。

2002年日韓ワールドカップ決勝戦が繰り広げられた途轍もない大きなスタジアムの中で、大宮にある小さいスタジアムのことを想った。

※写真は、アウェーならではのツーショット。(ビジター席に訪れた渡邉誠吾大宮アルディージャ代表といつも大宮アルディージャサポーターを仕切ってくれている方(すみませんお名前がわかりません。いつもありがとうございます。)
とNACK5スタジアム

今度は、大宮のサポーターについて書いてみよう。

20080508-00.JPG
4/27 8節大宮VS鹿島


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2008年05月07日

波戸康広は、長友佑都になれるか?~10節大宮-FC東京戦で両チームの左サイドに注目~

浦和・鹿島・大阪の強豪3連戦を終えて1勝2分勝ち点5、Jリーグの中断前に上位をキープすることを考えれば評価のできる3連戦であった。この勢いを更に加速させるため10節のFC東京戦は勝っておきたい試合であったが、メンバー発表時からスタンドのサポーターはいつもと様子が違うことに気づく。開幕以来リーグ戦全試合スタメン出場を果たしてきた吉原選手がスタメンはおろかメンバーからも外れていた。また5節からボランチとしてスタメン出場をしていた斉藤選手もメンバーリストに名前がなかった。(後にそれぞれケガと体調不良と判明)デニスマルケスとペドロジュニオールの今期初のブラジル人2トップがスタメン出場と、いつもとは違ったメンバーで試合に臨むこととなった。

FC東京の効率的な攻撃に3失点大宮に決定機訪れず 

試合は前半にバックラインとGKの間にボールを放り込まれ、GK江角が中途半端に飛び出した所に梶山とカボレにそれぞれタイミングよくシュートを打たれ2失点を喫した。更に後半29分に平山選手のポストプレーから長友選手に駄目押しの3点目を許した。 攻撃ではデニスが果敢にシュートを放つもデニス・ペドロとも孤立する場面が多く決定的なシュートシーンは訪れなかった。後半開始の藤本選手投入に始まり、15分の森田選手、30分に土岐田選手をピッチに送り出し得点を狙うもFC東京ディフェンスを破ることが出来なかった。

守備面での課題は単純明確、攻撃面の課題は両サイドからどう攻撃のカタチをつくれるか?

6月のJリーグ中断前の残り試合に勢いづけるためにも勝ちたかったFC東京戦だったが、結果的に0-3の惨敗。前半、デニスとペドロへの東京の対応はスカウティングによってか複数人のディフェンスによって完全に抑え込んだ。東京は攻撃に関しても大宮のバックラインのスペースをついて効率的に得点を奪った。FC東京からすると試合前に想定していた作戦通りの試合展開-大宮の「強み」をけし、「弱み」を突く理想的な展開―だったのではないか?
では、大宮アルディージャは完敗したのか?答えはYESである。確かにボールのポゼッション率は東京と比べると高かった。しかしブラジル人FWの動きは封じ込まれ、本来、吉原選手や内田選手が役割を担っているFWを飛び越え相手のバックラインを突く動きも前半にはみられなかった。前半後半を通じてボールを持たされている感が否めなかった。
守備に関して言えば、大宮の高い位置でのプレスによって相手チームは押し込まれバックラインから前線へのフィードを多用せざるを得ないことは容易に予測できる。「ライン裏に放り込まれるボールに対して如何にミスなく対応できるか?」守備面の課題は明らかである。次節横浜F.マリノス戦ではぜひ修正してほしい。問題は攻撃面である。

今後、大宮は如何に攻めていくべきか?この攻撃面の課題について述べたい。
デニスとペドロの同時起用については先日のエントリで書いたが、2人のブラジル人FWを起用する場合、吉原選手や内田・藤本両選手のように、動きで相手ディフェンスを引きつけてブラジン人FWからマークを外させる「汗かき役」の選手が必要である。今回、この試合の前半スターティングメンバーで出場した小林大悟・金沢両選手はそういった「汗かき役」タイプの選手ではない。前半はデニス・ペドロ両選手へボールは渡るがすぐさま2人3人とプレッシャーをかけられてボールを取られる場面が少なくなかった。後半はペドロ選手を下げて藤本選手がFWとして起用された。自身のドリブルとスペースへの飛び出しによって何度かチャンスを作った。ただ藤本選手とデニス選手との連携したプレーはほとんどなく決定機をつくることができなかった。吉原選手不在時のFWの連携も大きな課題としてこの試合浮き彫りとなった。
そしてFC東京戦で一番の課題に感じたのは左サイドでの攻撃である。
中盤をコンパクトにするため中盤の選手が密集しながらボールを奪い、パスを繋げる展開が多くなる。その際、ワイドに展開するためにサイドバックから攻撃がスタートするケースが多い。東京戦でも中盤でボールを奪い左サイドの波戸選手にボールが回ることが何回もあった。しかし波戸選手が攻撃の起点になることはなかった。
開幕戦から波戸選手の攻撃に参加する頻度が少ないことが気になっていた。しかし開幕当初スタメンの藤本・内田両選手がサイドに張るタイプの選手であるため、波戸選手の攻め上がるスペースは少なく攻める機会そのものがシステム上難しかった。しかし7節の浦和戦よりスタメンを務める金澤選手の出場により大宮の中盤でのバランスが変わり、波戸選手に攻め上がるスペースが生まれた。

波戸は、FC東京の長友になれるか!

浦和戦より鹿島戦、鹿島戦より大阪戦と試合を重ねる毎に波戸選手が高い位置でボールを受ける回数が多くなっている。しかし攻撃をしかけるプレーは残念ながら少ない。
大宮が標榜する「アグレッシブなサッカー」をするためには、サイドバックの攻撃参加は欠かせない。また中盤でコンパクトになればなるほどサイドバックの攻撃のチャンスも増える。大宮の攻撃で左右サイドバックからの得点のカタチは未だ完成しているとは言い難い。しかし右サイドバックを務める村山選手には、チャレンジしようとする姿勢が見られる。
波戸選手には攻撃の際、もっと前への抜こうとするチャレンジをしてほしい。結果的に抜くことができなくても相手ディフェンスにとって果敢に攻撃を仕掛けるサイドバックは脅威である。残念ながら今の波戸選手のプレーでは相手に脅威を与えるには至っていない。
この日(5月3日)、FC東京の左サイドを務めたのは、先日、日本代表候補にも選出されたルーキー長友選手であった。サッカー選手としては小柄な体で、果敢に攻めるようとする姿勢は、大宮の左サイドの波戸選手とは対照的にであった。
波戸選手は、トルシエ監督時代を支えた日本代表にも名を連ねた日本屈指のディフェンダーである。大宮アルディージャが波戸選手のプレーで救われたことは数えきれない。左サイドバックとしての更なる攻撃参加へのチャレンジは、30歳を越えた波戸選手には、ハードルの高い要求かもしれない。10歳も離れた選手を相手にスピードやスタミナで勝つのは難しい。しかし今まで培った数多くの経験で、ぜひともこの難しい課題にチャレンジして左サイドバックからの「攻撃のカタチ」を大宮の強みに変えてほしい。

posted by toddocom | 01:05 | 大宮アルディージャ | コメント(0) | トラックバック(1)
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2008年05月04日

早期の警告(イエローカード)提示のリスク~大宮-FC東京戦、前半7分の片岡選手へのイエローカードを考える~

昨日は、NACK5スタジアムに赴き、大宮アルディージャ‐FC東京戦の試合を観戦した。試合内容についてのレビューは、別のエントリで書きたいと思うが、9節のFC東京-大分戦の選手へ主審が暴言を吐いたとされる問題もあって、自然と審判のジャッジに意識が向く。
この日主審を務めたのは、吉田寿光氏、副審は、名木・西尾両氏であった。この日、不審なジャッジはなく、90分を通して試合観戦に集中できた。
敢えて気になるところを挙げるなら、警告(イエローカード)~特に早期の警告(イエローカード)提示~ の基準が厳しい印象を持った。

イエローカードが提示されたどのファイルも競技規則に照らし合わせれば、警告の対象に該当するものだったのかもしれない。また観戦しているサポーターにしても一瞬「えっ!今のファウルがイエローカード?少し厳しくないか? 」という思いがあれど、特に審判に対する不信につながるようなジャッジでもなく、当の選手たちも異議・抗議をすることなく粛々と次のプレーを再開した。前半7分、大宮片岡選手の東京梶山選手への警告(イエローカード)も厳しいジャッジという印象は持ちながらも、特に問題なくブレーは再開された。

早期の警告(イエローカード)提示のリスクを考える。

しかし、この7分という早いタイミングでの片岡選手イエローカードを提示したことにより、吉田主審は、以降の試合のジャッジに対してリスクを負ったのではないか。
「片岡選手が同じようなファールをした際に、吉田主審はイエローカードを再び提示できるか?」という疑念が生じる。
7分の片岡選手は、センターサークル付近で、自身がボールをカットされた梶山選手に対して体を引っ張ったとされ、イエローカードを出された。
試合の序盤、センターサークル付近、相手のプレーを止めるようなファウル。
試合の中でもよく目にするファウルである。イエローカードの対象となるファウルだったかもしれないが、イエローカードを回避できたファールであるともいえた。
残りの長い試合時間の中で、片岡選手の同様のファウルを行う可能性が十分にあった。もし片岡選手が再び同じようなファイルを犯した場合、吉田主審はイエローカードを再び提示したであろうか?
もしイエローカードを提示した場合、片岡選手は退場となる。しかしこの2つのファウルが退場に値するかを考えると甚だ疑問が残る。また片岡選手が早いタイミングで2度目のファイルを犯せば犯すほど、イエローカード提示の試合への影響は大きくなる。
非常に勇気の必要な2枚目の警告(イエローカード)になる。
もう一方、もし2度目のファイルに対して警告(イエローカード)を提示しなかった場合、その試合の審判基準は曖昧になり、吉田選手がその後、冷静にジャッジをし試合のコントロールが難しくなることが予想される。一度基準の曖昧になった審判のジャッジは過去の例を見ても容易に想像できる。
幸運にも今回の大宮‐FC東京戦において片岡選手が再び「際どい反則」を犯すことがなかったが、ポジション柄、再び同様のファイルを犯す可能性は十分にあった。その時、吉田主審がどのようなジャッジをしたのか興味のあるところだ。

主審が、警告(イエローカード)を提示することは、選手に対して以降同様の危険なファイルや反紳士的なファウルを防ぐ作用もある。しかし時として厳しく早いタイミングでの警告(イエローカード)の提示は、エキサイティングな試合を妨げ、また時として主審自らのジャッジへのリスクにもなり兼ねない。

最初のイエローカード提示の時間や状況を踏まえながらJリーグ観戦するのも面白い。

posted by toddocom | 14:08 | Jリーグ | コメント(9) | トラックバック(0)
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2008年05月02日

Jリーグ10節大宮VSFC東京戦~密かな楽しみ武南高校OB対決 サラリーマン選手激突!~

8節の鹿島戦終盤での怒涛の攻め、前節大阪戦でのアディショナルタイムでの逆転劇。一週間に2試合もエキサイティングな試合をみて、更に明日は東京戦をホームに迎えての観戦は、サポーター冥利に尽きる。これも単衣に大宮がエキサイティングなゲームをしているおかげだ。
大宮は、対戦相手がどこまでコンパクトにラインを上げるかで序盤の内容が左右される傾向にあり、東京のライン位置が気になる。清水対東京戦を観戦する限り、梶山選手のコンディションが悪いことと、試合内容にムラ多いようなので、そこを突きながら東京の調子が乗る前に勝負を決めてほしいところである。長友・カボレ・大竹など有望ルーキーを間近で観ることができるのはサッカー好きとしては嬉しい限りだ。 

そんな中、この試合、注目の選手が3人いる。東京の浅利悟・金沢浄両選手と大宮の斉藤雅人選手である。

彼らの共通点は埼玉、武南高校サッカー部出身ということである。30歳前後の埼玉のサッカー好きにとって武南は特別な意味をもつ。
「武南高校」~白のユニフォームに紫のパンツ~、高校のサッカー部でありながら、まさに「エレガントさ」を備えたチームであった。初めて武南高校のプレーを見た時、体に衝撃が走ったのを覚えている。1年生にしてゲームメイクを担当し、類稀なプレーを披露した上野良治選手を中心に準優勝を飾った年、私は中学1年生であった。それから4年間は武南高校の黄金期であり私も毎年、冬休みには大宮サッカー場(現NACK5スタジアム)に通ったものだ。今回、注目している3選手は、武南の黄金期を支えた選手たちである。

【1992年当時の武南高校】
 3年生 浅利悟選手   1974年生まれ(33歳)92年卒
 2年生 斉藤雅人選手  1975年生まれ(32歳)94年卒
 1年生 金沢浄選手   1976年生まれ(31歳)95年卒
※ちなみに小林慶行選手の実弟小林亮選手も武南高校出身(2000年卒)

武南高校の黄金期に魅せられた者として5月3日の大宮VS東京の試合は、秘かなドリームマッチなのであり、それもNACK5スタジアム(旧大宮サッカー場)で観戦することができるなんて感無量である。こんな見方をしているサッカーファンは私だけではないのではないか?決して少なくないはずだ。

 また、Jリーグで唯一、球団職員(NTT所属)の斉藤選手と東京ガス社員浅利選手というサラリーマン対決が見られるのも大宮VS東京戦だけである。Jリーグスタート当初には数多く存在したサラリーマン選手も現在J1ではこのふたりだけである。
(監督を含めると3人だけ 川崎フロンターレ高畠監督は富士通社員)

30歳を超えサッカー選手としてはベテランと呼ばれる年齢でありながらJ1の第一線で活躍する3選手。同年代として、17年前にタイムスリップして明日の試合はチーム関わらず声援を送りたい。

一つ残念なのは、上野良治選手が昨シーズンで横浜F.マリノスを退団し、Jリーグのピッチにいないことである。

posted by toddocom | 14:19 | Jリーグ | コメント(6) | トラックバック(0)
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