2007年10月07日
「たかが選手」と呼ばれて・・・古田敦也引退に際して
「メガネのキャッチャーは大成しない」と言われようと、「たかが選手」と言われようと、古田敦也はめげなかった。 1990年にドラフトで社会人から入団して18年。ヤクルト一筋18年。 「ヤクルトと対戦する時は、ピッチャーが相手じゃなくて古田が相手だ」とまで言わしめた卓越したリード。 野村監督は「ボールの扱いがいい。股関節が柔らかい。キャッチャーになるために生まれてきたようなもの」とさっき報道番組で古田のことを評した。 球界再編の騒動の時は、馬鹿で融通の利かないやからとの対戦の矢面に選手会会長として立ち、球団削減から球界を守った。ストライキという強行も古田の熱い信念が故に出来たことだと思う。 あの時、「たかが選手が!」と仰った方、今日の神宮を見て何かお感じになられただろうか? 最終打席。マウンドには昨日引退試合を一足先に終えた佐々岡が登った。異例とも言えるこの登板だが、粋な計らいであったと思う。1990年にプロの生活が始まったものどうし。通じるものがあっただろう。結果はショートゴロであったがこの勝負は球史に残る勝負となるだろう。 また、佐々岡がベンチに下がる際花束を贈呈していただきカープファンとしてヤクルト球団と古田さんにお礼を申し上げたい。そして、佐々岡に声援を送っいただいたヤクルトファンの方々にもお礼を申し上げたい。 古田の挨拶の最後に「また会いましょう!」というのがあった。きっと、近い将来現場に戻ってくると信じている。やはり古田は現場が似合う。是非ともまたヤクルトで采配を振るってもらいたい。 古田選手兼監督、長い間お疲れ様でした。
posted by 古都の侍 |22:21 |
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