2007年09月01日
前田智徳2000本安打達成
前田選手、2000本安打達成おめでとうございます。 何ともまぁ、劇的じゃないですか。 ビハインドの8回、6番の栗原から始まって嶋の代打逆転3ラン。梵から新井までつないでつないで、無いとこの回思ってた9人目の打者、今日5度目の打席へ向かう。 久本の投じた2球目はインコース、危うくデットボールという球。カウントは0-2。 3球目・・・真ん中に入ってきた速球を捕らえると打球はライトへ。3塁・2塁走者を還す2点タイムリーは、1990年6月6日以来重ねてきた数が2000を刻むヒットとなった。 思い返せば、前田に関しては色々な名言がある。名言とともに今までを振り返ってみたいと思う。 ・「勝負せんかい!」高校時代の言葉。県予選で相手投手が敬遠をした時に0-2から相手に発した言葉。相手は勝負を挑み前田はホームランを放った。 ・「来た球を打つ」1990年、達川氏がまだ現役時代にこの年ルーキーイヤーだった前田との間で交わしたやりとり。 達川氏はこのときに前田をもの凄く感心したと言う。 ・「最悪でもあれくらいはやらなくてはいけなかったんです。(中略)あの日、自分は負けたんです」1993年に自らのダイビングキャッチ失敗で北別府氏の勝ち星を消してしまった時のコメント。この試合、前田は逆転本塁打を放ってチームは勝ったもののヒーローインタビューを拒否。このコメントは広報を通じで出たもの。 ・「前田智徳は死にました」1995年のアキレス腱断裂以降からこのような発言が目立つ。理由は走攻守、すべてを完璧にこなしたいと思っていたからだろう。 ・「みっともないもんを見せたくない」1998年、鈴木尚との首位打者争いがかかった最終戦での一言。2厘差で鈴木が上回っていたことから横浜は「前田を出すなら全打席敬遠」と予告しており、それに対して前田が首脳陣に「ファンにみっともないもんを見せたくない」と出場辞退を申し入れた。 因みにこの年に1000本安打を達成している。 ・「チームとファンに恩返しがしたい」2000年、左足アキレス腱が伸びきってしまい7月途中からのシーズンをすべて欠場。奇しくもこの年FA権を獲得。10月松に会見をし発したコメントが「まだ乗り越えなくてはいけない物がたくさんある。カープで最後までいいプレーをしたいという気持ちになったので、今回はFA宣言というものは自分には関係ないという気持ちです。大きな怪我もあったがここまでやれるとは思わなかったし、チームとファンに恩返ししたい。今年権利を行使しないということは、来年もしないという事です。」 前田が如何にカープのことを思っているかが感じ取れるコメントであると思う。 ・「何年やっててもどう打っていいかわからん」2006年の秋季キャンプのときにこう言った。「うまく打撃のコツもつかみたい。そのためにはバットを振るのは普通のこと。多分つかめはしないんだろうけど。何年やっててもどう打っていいか分からん。」 ・「東京ドームはよく飛びますね。僕は力が無いですから」開幕から不振に喘いでいた2007年。それでもファン投票で選出されたオールスターゲーム。第1戦に代打で登場しホームランを放った後の一言。前田にして珍しくガッツボーズと笑顔を見せた。そして、「ファン投票で選んでもらったからには頑張りたかった。三振だけはしないようにと思っていたが、まさか本塁打になるとは思わなかった。ホントに嬉しかった。」さらには「東京ドームは球が飛びますね。僕は力が無いですから。」とも言っていた。 ・「家族や球団スタッフにファン、みんなに感謝したい」2007年9月1日。2000安打を達成した時のコメント。 「一塁ベースを回った時、実感がわいてきた。いろいろなことがあったが、ここまでよく頑張ってきたと思う。ここまで支えてくれた球団スタッフにファン、みんなに感謝したい。」 度重なる大怪我。特にアキレス腱にはことどとく苦しめられた。プロに入りこれだけ怪我に泣かされながらも、積み重ねていよいよ達成したこの記録をカープファンは皆誇りに思っているであろう。それと同時に、感動していることもまた確かであろう。 孤高の天才、前田智徳選手。200本安打達成、本当におめでとうございます。
posted by 古都の侍 |20:10 |
広島東洋カープ |
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