2008年03月02日

鹿島 - 広島、国立家本競技場

ゼロックス・スーパー家本政明カップ。再研修香港修行でしおらしくなったと思っていたのに。うららかな3月1日の国立、Jリーグ開幕を告げる素敵な試合が、審判のおかげで情けないものになってしまった。「中東の笛」とか「北朝鮮中国の笛」とか言ってる場合じゃない。ニホンノレフェリーの方がよっぽど問題あるじゃないか。鹿仲間とぶーぶー言い合った帰り道、8時過ぎになって怒りが沸々と湧いて来て、どうも俺はこういう時火力が弱くて煮えるのに時間がかかる。C&Cカレーの卓上のラッキョウを100粒バリガリヤケ食い。ラッキョウって、鬱憤晴らしの食い物としては理想的だな(ーー) 


家に帰ってビデオを見れば、特にひどい誤審をしているわけではない。問題は、彼の笛が未熟なのに傲慢な態度を取り続けること。「毅然とした態度」は大事だが、「高圧的な態度」は不要なものだ。広島もうちもさしてダーティなプレイをしていないのにカードをぽんぽん出す。選手がエキサイトしていないのに、家本が自らの権威を誇示するために、または自分の砂上の楼閣を守るために、要らぬ制裁を加える。彼はそうすることでしかピッチで生きて行けない。核を見せびらかして世界を屈服させようとしている金正日みたいなもんか。実にわびしい恐怖政治だ。 



俺は審判ライセンスを持っていないけれど、さすがに10年も世界のサッカーを観ればわかってくることは多々あるし、この年になればサッカーに限らず集団をまとめるためには何が必要か、他人様の賛同と信頼を得るためには何が必要かということもわかってくる。子供なら一発怒鳴れば絶対服従の名の下に少しは統制をとることも出来るが、大人相手ではそれは無理だ。優柔不断であってはいけないし、頭ごなしに杓子定規に正論を振りかざしてもダメだ。ミスを認め合い、相手を尊重し、腹を割って語り合い、誤りがあればお互い反省し今後に生かす。みんなを自分の思いどおりに無理に動かそうとするのではなく、自由意志のベクトルが同じ方向に向くように仕向ける。とにかく建設的であることが大事だ。 

選手と審判の関係は、オーケストラと指揮者の関係に似ているかもしれない。指揮者がいくらいきり立って棒を振っても、オケが指揮者を信頼していなければ、ロクな演奏にならない。 
指揮者なくしてオケは成り立たないが、オケなくして指揮者も成り立たない。指揮者の深い音楽性と情熱にオケが賛同して協調し合うからこそ、素晴らしい演奏が生まれる。 

家本主審は、もう日本の選手達から信頼を完全に失っている。当然それは選手達の態度にも現れる。それを感じているから家本も最初から態度を硬化させている。自業自得の悪循環。 


今日負けたのは単純に寿人の見事なヘッドと、モトやんとダニーロがPK外したからだし、2-0にしてからうちに慢心があったことも間違いない。その襟を正してくれた広島にはむしろお礼を言いたいくらいだ。 

スポーツ興行の観戦には、自分の応援する側が負けて悔しい思いをすることはしょっちゅうある。悔しいが、でもそれが素晴らしい試合であれば受け入れることが出来る。俺の観た生涯ベスト3試合のうち2試合は、鹿が負けたゲームだ。 
今日の彼には、いや今日だけでなくいつも家本には「選手と共に素晴らしいゲームを作ろう」という意思があるのだろうか?俺達は金を払って、プロが企画しプロが出演するプロの興行を観に来ている。出演者がダメなら出演者にに、ハコがダメならハコに、演出家がダメなら演出にブーイングする。今日は舞台監督に大きな問題があった。家本は、年俸1000万だか2000万だかのスペシャルレフェリー、プロの審判である。しかも今年は「エリート審判」だそうだ。 
http://www.jfa.or.jp/jfa/news/news/071227_06.html 

シーズン開幕を世に告げる大事なイベントなのに、今日の興行は失敗だった。 
金返せと言われてもおかしくないんじゃないか?すくなくとも富士ゼロックスはそれを言う権利がある。せっかく泣かせるいい演劇をやってるのに横でヘンなのが野次飛ばしたりしてたら、そいつぶん殴ってもいいよな!

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posted by tezziano |11:33 | サッカー | コメント(18) | トラックバック(1)
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