2007年07月01日
ついにあった! 昭和47年福島インターハイ!
こちら東京・水道橋のテニマガ編集部。ただいま取材中ではなくデスクにて作業中。 ついにありました! 昭和47年(1970年)の福島インターハイ報告書が。 そして、無事に編集部に届きました(ぱちぱちぱち)。 本当に貴重な資料なので、ていねいに扱わなければなりません。↑昭和47年福島インターハイの「プログラム」ではなく「報告書」。 元高体連テニス部部長でいらっしゃった古川先生から すでに「プログラム」はお借りできていたのですが、 探していたのは「報告書」でした。 なぜ報告書にこだわったかというと、 団体戦登録メンバーの変更が、報告書には反映されているからです。 このアドバイスをくださったのが古川先生でした。 ひとりひとりの思い出を大切にしてあげたいという思いがそこにはありました。 それから必死の報告書探しです(…ちょっと大げさですね)。 テニマガ600号へ向けたカウントダウン企画第3弾として 「創刊の1970年から昨年までのインターハイ全37大会分の記録集を作ろう!」 と、編集長が壮大な夢を語ったのが半年前。 ついに完成させるための資料が揃いました! って、揃っただけでまだできていない。作ってもいない。 喜ぶのはまだ早い。〆切です。たいへんです。がんばります。 最後に探した一冊をお持ちだったのが高体連テニス部常任委員の大森先生でした。 大森先生は現在、関東地区を受け持つ先生で、 90年代に入ってから現職に就かれたとお聞きしていたので 当初は別の大会資料を探していただいていたのですが 「あとどこがないの?」 「えっと、えっと、1970年の福島です」 「福島? いわきの? 持ってる」 「ひーーーっ」 思わず声を上げてしまいました。 これまで、資料探し、資料ご提供にご協力いただいた 高体連テニス部常任委員のみなさま、専門委員のみなさま、 そしてご相談させていただいた全国の高校テニス部の先生方。 お忙しい中にもかかわらず、お力添えをいただき心より感謝いたします。 みなさまが我がことのように必死で資料を探してくださったことに 本当に感謝すると同時に、 この別冊付録製作の意味・重みを感じます。 編集部一同、精一杯取り組みますのでどうぞお楽しみになさってください。 なお、この記録集には過去37年分のインターハイ出場メンバーの名前が すべて掲載されます。 団体登録メンバー(監督名、出場選手、および控え選手)、個人単複出場選手 およそ4万人の名前です。 きっと懐かしい思い出が蘇る一冊になると思います。 多くの方に手にとってほしいと思います。 この情報を周りにいる元高校生プレーヤーたちに教えてあげてください。 「次号テニマガに名前が出るよ」と。 ちなみに1970年の兵庫インターハイに出場した高校3年生は今年「55歳」です。 (編集部A)
posted by tennistm |14:39 |
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第1試合に杉山選手と森上選手の試合が重なり、迷った末、杉山VSシャラポワへ。
思えば2004年、ここウインブルドン準々決勝で、
マリア様は杉山選手をフルセットで撃破、そのまま勢いに乗って優勝まで突っ走ったのでした。
そんな因縁の対決だったわけですが、
マリア様のパワーはすごかった…押し出し、勝負あり!という感じでした。
そんなマリア様の衣装、今年は白鳥がモチーフだとか。
ご覧の通り、背中もスコートも羽のようにヒラヒラ~。
少し風が吹いただけで、フワ~っとめくれ上がるのは計算済み?
でも本人曰く「お気に入りとは言えないわね」。
昨年のUSオープンで着た、黒のドレスが一番だそうです。
さて、試合後、マリア様と杉山選手の会見には多くの報道陣が。
なのに、そのあとのモーレスモの会見で、
報道陣がどっと減ってしまったのには驚きました。
ディフェンディング・チャンピオンだよ? こんな扱いでいいの?
でも残った甲斐あって、おもしろいコメントが生で聞けました。
詳しくは次号で!
明日はミドルサンデー、大会はお休みです。
出発前、「ミドルサンデーは観光?買い物?何しようかな~ワクワク♪」
とか浮かれていましたが、
どうやら仕事と洗濯で終わってしまいそう……涙。
★今日のおまけ★
世界最高峰ウインブルドンともあれば、
企業も民間も国も巻き込んで、大々的に宣伝しそうですが、
そういった空気は全然ありません。
最寄り駅に着いても、ポスターものぼりも案内板もなし。
会場のゲート前まで15分ほど歩いて行って初めて、
このシンボルマークが出てくる程度です。
閑静な住宅街の中でひっそり、のんびりとやっています。
日本でもしグランドスラムをやったとしたら、同じようにはいかないでしょう。
こういうところに、伝統が醸し出す品のよさを感じます。




