2008年11月20日
日本の男子テニスが世界に通用しない理由(6)
ジュニアの育成(その1) これまでは、日本の男子テニスが世界に通用しない理由として、日本の環境やテニス界全体に視野を向けて書いてきたが、今回はよりターゲットを絞って、日本のジュニアの育成、指導といった部分について少し取り上げてみようと思う。 実はこのジュニアの育成については、今回のシリーズの中でも最も取り上げたかったテーマの1つなのだが、実際に自分自身が体験・見聞きした部分というのは、全体から見れば極一部でしかなく、日本の~と謳うには、若干心許なかった為に先延ばしにしてきたファクターでもある。 しかし、ここに触れずに日本の男子テニスが世界に通用しない理由を語る事は出来ないのも事実であり、多少のご意見を頂戴するつもりで掘り下げてみようと思う。 ジュニアの育成と一言で言ってもその範疇はあまりにも広い。 スポーツ全体視野で捉えたものから、テニスに絞って捉えたもの、また指導の方向性、ジュニア育成に関するクラブ側の悩み、問題点に至るまで、挙げだせば枚挙に暇がない位いくらでも切り口は見つかる事だけに、いくつかのポイントに絞って取り上げる事とする。 まず最初に触れたいのが、スポーツ全体の事となってしまうが、日本の子供達がスポーツと触れ合っていく最初のステージである、スポーツ団体(学校の部活動、地域のスポーツ少年団)における子供達へのアプローチ方法についてだ。 これらスポーツ団体の多くは、まず新人が入ると、基本であるランニングや素振り・基本動作(競技によって、キャッチボールやパスやストローク・ドリブル)の練習からスタートさせる事がほとんどである。 また、球拾いをしながら先輩のプレイを見学して学ぶなどの事例も多い。 学校にしろスポーツ団体にしろいくつかの世代(年齢)のジュニアが一緒に集い練習をするのだから、当然、上の世代や試合に出る選手が優先的にグラウンドやコートを使うといった事情、また、物事をやるにはまず基本からという観点、そしてきちんとした基礎や正しいフォームが身についていれば、しなくてもよい怪我を未然に防げるという点を考えると、これは当然の手法であるといえよう。 しかし、私はここに多少の違和感を覚えずにはいられない。 スポーツの基本は楽しむ心であり、やっていて楽しいからこそ好きにもなるものだ。 “好きこそものの上手なれ”といわれるように、好きだからこそ上手くなりたいとも思うし、そう思ってやるからこそ上手くなるものであろう。 そして、先々続けていく中でいろいろな障壁を乗り越えていく際、最後に自分を支えるものは、この根底にある好きという気持ちに他ならない。 つまり、まず最初に「好き」ありきであるのは非常に重要な事だと捉えている。 皆、最初はテレビで観たり、人の話などを聞いたりして興味を持ったスポーツを、友達とあるいは新人同士ではじめる事からスタートする。 基本も何もないからフォームも何もあったものではないが、きっとそれはそれで、それなりに楽しいはずだ。 逆に何も教えられていない分、以外と上手くできる部分も少なくないだろう。 下手な知識や強制が入らなければ、人はその動作をするのに自分なりに最良の動きを選択する分、ちょっとした初心者よりもうまく出来たりするものだ。 とはいえ、所詮は素人芸、当然うまくいかない事のほうが多いが、そんな中でもいろいろ考え、試行錯誤しながらプレーする。 そうやってそのスポーツに触れ合っていく中で、そのスポーツの面白さを見つけられれば、いつの間にかそのスポーツが好きになっていくものではないだろうか。 中には自分に合わないと思う子や、勝てずに悔しくて嫌になる子もいるだろう。 そういった子には、ちょっとしたヒントを与えてみたり、違った視点から見る事を勧めてみたり、また違ったアプローチを試みるのも大切な事だ。 そして本人がそのスポーツに対し本気で取り組もうと思った時(好きだからもっとうまくなりたい、試合に勝てるようになりたいと思った時)、自分ひとりのやり方では行き詰まってしまったと感じた時、きっとコーチの声に耳を傾け、基本動作の練習の必然性を感じ、自らランニングや素振りをするようになるのではないだろうか。 これがスポーツに触れ合っていく自然な流れであって、この流れには2つの重要なポイントが存在すると考える。 1点目は、前述したように、まず最初にそのスポーツが楽しい、好きと思う気持ちを持つ事である。 取っ掛かりで持ったその気持ちこそが、今後ずっと育てていく自分の心の中の小さな種であるし、その種を少しずつ育てていくのが育成だと考えるからだ。 そして2点目は、練習する意味を知る事である。 スポーツを始めるにあたって、いきなり基本動作や素振り、ランニングをさせても、一体何故それをしなければいけないのか、それが本当に自分に必要な事なのかを、いくら言葉を尽くして説明してみても、真に理解する子供は少ないだろう。 何故それをするのか?それが今の自分に本当に必要な事なのかも解らず、ただ命じられた練習だからやるでは、練習の効果は押して知るべしである。 そうならない為にも、その子自身が自ら試行錯誤し、自分がもっと上手くなるには、もっと勝てるようになるにはどうすればいいのかを考える事は非常に重要な事である。 現状の多くの日本のスポーツ団体のやりようは、入った瞬間からもう既にそのスポーツが好きで、上手くなりたい意思を持ち、基礎が大切だと理解した子供を相手にしているという前提に立ってスタートしているという事に等しい。 この根拠のない大前提に立ったスタイルでスタートし、またその中で育ってきた日本の選手は、コーチの言われた通りに動き、(言われた事しかしない・出来ない)また、皆、同じようなフォーム、同じようなプレーをする傾向がある。 これに対し、まずは自分で思った通りプレーし、自分で工夫する、コーチもそこから更に長所を伸ばす様に指導をするような国では、独特なスタイルの選手が多く見られる。 またそういった国の選手達は、コーチから言われた事でも自分に合わない事であればコーチと話し合い、自分のやりたい事をコーチにぶつけ、常に自分がどうしたい、どうありたいかを自分の中に持っている。 ジュニアの指導者が、新人にすべき事は、まず子供達がそのスポーツを好きになるサポートであるべきと考える。 極端に言えば、最初は何もいう必要などないのだ。 子供達は遊びの天才である。道具を持たせ自由にやらせるだけで、その発想の翼をひろげいろいろな事をやるだろう。 時にはヒントを出し、危険と思われる部分だけをサポートすれば、後は見守るのみである。 この何もせず、自由にやらせる事こそが指導である事を、まず認識する必要があるのではないだろうか。 そうしていく中で自分自身の試行錯誤だけでは、うまくいかず落ち込んでしまったり、楽しさをうまく見つけられない子供達にちょっとしたヒントを与え、うまく回転するようにサポートする。 大きな枠組みの中でそこからこぼれそうになった子をうまくその枠組みの中へ返してあげ、そのスポーツの楽しさを子供達自身に気づかせる事が出来たなら、その指導者は非常に優れた指導者といえるだろう。 そういった段階を経て、自ら好きだから上手くなりたい、誰にも負けたくないという気持ちを持つ事で、ハードな練習を支えたり、取り組む姿勢に現われたりするのが本筋の所を、日本では最初から独自の精神論である努力や根性、気合に置き換えて押し付けてしまっているきらいもあるように思えてならない。 勿論、団体である以上、上級者もいれば中級者もおり、また実際の大会へ向けての練習もある中で、大抵の場合、それを指導する人も極少数という事を考えれば、確かに画一的にならざるをえない事情もわからないでもない。 また、新人と一言で括ってみても、新しく入った子供達の中には経験者もいれば、全くの未経験者もおり、どの子に対してどのプログラムを適用するのかといったような実際の現場と、こういった机上の理論とのギャップは少なからずあるだろう。 しかし、出来うる事であれば、既に上達に対して渇望し練習に取り組む子や大会に向けてハードな練習を望む子を指導する体制と、そのスポーツの取っ掛かりをサポートする体制は別の次元で考え、しっかりとした種を蒔いた上で育成をスタートする事を望んでやまない。 次に日本のスポーツ団体の傾向とそのジレンマについて触れてみたい。 一般に日本のスポーツ団体の多くは、いわゆる体育会系と呼ばれるような組織体系になっている事が多い。 体育会系と呼ばれる組織体系では、基本的に代表選手選考以外の部分においては年功序列を原則とし、先輩後輩の位置付けがはっきりしている。 これは日本の様に年功序列を機軸とした社会においては、それを学ぶいい経験の場ともなっており、長い間、よしとされてきた。 ジュニアにとってこの組織の中で自分の立ち位置を認識し、集団行動に順応する事は、確かに人間の育成という観点から見ると利点は多くあるように思われる。 しかしその反面、先輩だから勝てなくても当然というような気持ちにもなりやすく、自身の能力の伸びに、知らず知らずのうちに蓋をしてしまうようなケースも危惧されはしないだろうか。 日本のように学校制度では飛び級の仕組みを認めていない国では、特にこのような話が子供の心の中で当然のように受け止められがちだという事も考慮すべき所だ。 また組織側としても、学校の部活動では教育があくまでも基本理念である事、地域のスポーツ少年団といえども、全体の調和を重んじ、ある程度平等な精神の上に活動されている事も重なり合って、日本では一人の才能を徹底的に鍛え上げるような体制をとりにくい事は前述した通りだ。 更にジュニアの育成について、その存在を切り離せない親からすれば、いくら才能があるとはいえ、他人の子に対し指導が集中するような状況は看過できるものではなく、当然、問題としたり、そこを辞めさせてしまうというような事にも繋がりかねず、それはいわゆる一般のスポーツ団体にとっても本意とする所ではない。 いくらコーチがその才能を認め、伸ばしてあげたくとも、組織の事情もあいまってなかなかスムーズに事は進まず、では個人的でとなっても、肝心の親の意向や経済的な理由で、それが出来ない事もままある話だ。 この様に個人にしても、また指導する側の人間にとっても、いわゆる一般のスポーツ団体の仕組みの中では、一個人の才能を昇華させるのに適した環境とはいえないのが実情で、どちらかといえば組織力で戦うチームスポーツを強くするのに、向いた仕組みといえるだろう。 しかし、テニスに至っては完全なる個人競技であり(ダブルスはあえて置く)、小さな頃から年齢など関係なく、他の選手を押しのけても伸し上がる位の精神を持たねば、世界のTOPになる事は叶わない。 持てる才能を、常に高いレベルの環境に身を置く事で開花させていく環境は、今や必要不可欠になりつつある。 世界では、選手育成を商業ベースにのせて行う組織や、国の制度の中にエリートスポーツ選手を育成する仕組みを持つ国、あるいはそういった国に自国の才能あるジュニアを送り込んで、自国代表に還元させる手法を取る国など、個人の才能開花に貪欲な姿勢が今や当たり前の時代である。 日本でも、プライベートレッスンやジュニアの強化合宿など、個人または選ばれた者のみを育成する手法が全くないわけではないが、もっと露骨なアプローチ(営利目的の選手育成や代表選手強化の為のジュニア輸出プログラム等)があるべきだと感じる。 とりわけ、世界から経験豊富なコーチやスタッフを招き、TOPプロの養成やテニスで生計を立てる為の支援までを包括的に行う団体、アカデミーの設立、それらに対する補助政策といった部分に関しては急務であると考える。 ここまでは、組織や団体、そして抽象的な事柄に対しての話題だったが、もう少しテニスに対し具体的な部分については、ジュニアの育成(その2)で触れていく事としよう。 ジュニアの育成(その2)へ続く ※ここに書かれている事はあくまでも私見であり、必ずしも万人が納得するものとも思っておりません。 ご意見は頂戴いたしますが、荒れると思われるようなコメントはお控え下さい。
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posted by tenniscom |00:25 |
テニス |
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