2006年08月21日
指令!「スター候補選手を探せ」
「スポーツナビ+(プラス)」読者の皆さん、こんにちは。いよいよテニスの4大大会のラスト「全米オープン」が開幕します。し烈な優勝争いの行方が気になるところですが、今大会では別の意味でも要注目です。米国が生んだ名プレーヤーであるアンドレ・アガシ選手、さらには日本女子テニス界のトッププレーヤーである浅越しのぶ選手が、この大会を最後に現役を退きます。最後の雄姿をしっかりと見届けましょう。 さて、退く選手がいれば新たに台頭する選手もいます。今回は、そんな将来のスター候補選手を紹介してください。男子はロジャー・フェデラー選手が絶対的な強さを見せ付けていますが、次の時代を担うのはだれか。女子は混戦模様が続いていますが、すでに引退したシュテフィ・グラフ元選手の後を継いで「女王」の座に君臨するのは、だれか。才色兼備でテニス以外でも話題を振りまくマリア・シャラポワ選手に続き、世間の注目を浴びるのはだれか。 スター候補選手と、その特徴や持ち味をあなたなりの視点で紹介してください。
posted by tennis06 |19:01 |
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“A Tennis Legend”-アンドレ・アガシ引退によせて…
(*「スター候補選手を探せ」というお題からは思いっきり逸脱しますが、
自分にとってテニスを考える上で“この人”のことを語らずにはいられないので。。
次代にもこんなカリスマが登場してくれたら…という思いを込めつつ。。。
長文なにとぞご容赦いただきたく…)
こんなにも emotional で、
そして、こんなにも観ている人たちが “あたたかい”気持ちになれる「引退」が、
はたして後にも先にもあるだろうか。。。
“A Tennis Legend”- 人は彼を、時にこう呼んだ。
そう、彼は現役でありながらにして、すでに“伝説”だった。
そして・・・
“その時” はついに来た―
2006年9月3日
USオープン男子シングルス3回戦vs ベンジャミン・ベッカー戦、
長きにわたる栄光のテニスキャリアに別れを告げて、
その偉大なプレーヤーは静かにラケットを置いた。。。
私だけじゃなく、世界中のたくさんのファンから愛されて、
“最も人々を魅了した”“伝説の”名選手が現役を引退。
アンドレ・アガシ・36歳―
Played : 1986 ~ 2006
聞くとことによるとテニスは陸上スポーツの中でも特に選手生命が短い競技で、
選手寿命は一般的に20代半ばといわれるらしい。
そのようななか、20年間にもおよぶ競技生活をつらぬいてきたことは本当に驚異的なことである!
それもただ長くプレーを続けただけではない。
彼は現役を終える最後の瞬間までトップ・アスリートであり続けた、このことがなによりも凄いことではないだろうか!!そこには地道でハードなトレーニングがあったからに他ならないといわれる。
(あくまで私の微々たる知識と独断と偏見で・・・!)
アガシの現役20年間を、次のような3つの期間に分けて振り返ってみた。
その① 1986年(プロ・デビュー) ~ 1992年(初グランドスラム・タイトル=ウィンブルドン優勝) → 6年
その② 1992年 ~ 1998年(一時世界ランク141位まで落ちながら、再起をかけてがんばっていた時期) → 6年
その③ 1999年(劇的な全仏優勝!) ~ 2006年(現役引退まで) → 7年
期間その①はおそらく、かつてのアガシのトレード・マークだった長髪とか“派手な格好”の時代だったのではないか?(←よくこんなスタイルでテニスができたものだと感心してしまう…動きにくくなかったのかな??) というのも実はこの当時、自分はまだテニスには微塵も興味がなく「ウィンブルドン」も知らなければ、この時期のアガシも知らなかった。
一方1992年のウィンブルドン優勝というのは本当にいろいろな意味があったと思う。当然初めてのグランドスラム・タイトルだが、それまで幾度も四大大会で“準優勝”に甘んじてきたから、「やっと」という気持ちはあったろう。それから、その後長くかかって達成する“偉業の達成”への、まさに出発点がこのウィンブルドン優勝だったわけで、アガシ本人も「ウィンブルドンから自分の夢のすべてが始まった」と2006年最後のウィンブルドンで語っている。
期間その②は、天国と地獄とそして再起と… とにかくジェットコースター的にいろいろあった時代。1992年に続いて、1994年には手首の手術復帰後&ノーシードからの勝ち上がりで2つ目のグランドスラム・USオープンのタイトルを獲得。順調にキャリアを築き上げていく。さらに続く1995年には3つ目のグランドスラム・全豪オープン・タイトル獲得、その年ついに初めて世界ランク1位にのぼりつめる。
1996年にはアトランタ・オリンピックで金メダルを獲得、1997年には女優のブルック・シールズと結婚までして、公私ともに幸せの絶頂にいるのかと思っていたら・・・
同じ年、自身の現役で最低のランク(141位)への転落を経験する。。。
アガシはこの時27歳・・・、こんな状況だから、もしかしたらこの時に引退をしてもおかしくなかったのではないだろうか。テニス・プレーヤーとしては既にいくつものビック・タイトルと世界ランク1位という頂点を一度は手に入れたのだから・・・
若さと勢いの溢れる“新鋭”が、チャンピオン達に挑戦して徐々にランクを上げていくことは自然の成りゆきで出来うることだ。しかし一度頂点を極めた者が、再び低位から出発して再起をかけ頂点を目指すことはなかなか出来ることではない。既に決して若くはなかったわけだし、元トップにいた者としてのプライドとか精神的な葛藤などもあったと思う。
アガシが現役でありながら “伝説”と讃えられたゆえんは、まさにこの成し難き再起を成し遂げたところにあるのだと思う。
コーチにも恵まれ、それまでのいろいろな面を改めて、アガシは再び頂点をめざして戦いつづける道を歩み出す。
そして… 期間その③
1999年6月6日@パリ・ローランギャロス、
『アンドレ・アガシ 完全復活!』を決定的に世界に印象づける全仏オープンの優勝。
これが30年ぶり史上5人目の『四大大会全制覇』という快挙と重なったことが、この出来事をよりエポック・メーキングなものにしている。四大大会が3つの異なる種類のコートで行われるようになってからの達成はアガシが初めてらしい。彼がオールラウンドな能力の高さを身につけていた証しだ。アガシはこのキャリア・グランドスラム達成でも“伝説”となったのだ。
決勝の vs メドベデブ(←この人もノーシードから勝ち上がってきたというからたいしたものだ!)戦も、アガシらしい粘り強い実にタフで実にドラマチックな一戦だったようだ。1-6、2-6という一方的な展開で2セットダウンしたところから、奇跡的な逆転をみせたのだから。
ところでもう一つこの’99年全仏で印象的なのは、女子シングルスのチャンピオンがあのシュティフィ・グラフだったこと!
彼女も同じように長く女子テニス界の女王に君臨しながら、選手生活晩年には幾たびも身体の故障などに悩まされ、若手の台頭とも重なって苦しい時期を経験していたらしい。1999年6月5日の全仏オープン決勝戦、30歳を目前に迎えたグラフと、若さと勢いに乗る当時世界ランク1位・18歳のM.ヒンギスとの“新旧女王対決”。それは第一セットを4-6、第二セットもヒンギスに5-4とリードされてからの大逆転で、実にグラフにとって3年ぶりの優勝だったそうだ。
そのすぐ後のウィンブルドンでは、優勝こそできなかったが準優勝の好成績を残し、最後までトッププレーヤーであり続けて潔く現役を退いた。2004年には国際テニス殿堂入りも果たした、こちらももう一人のテニス界の“伝説”だ。そんな偉大な元女王が、現アガシ夫人となっている!! ― まさになんという運命??なのだろう。。。
私がアガシという選手を気になる選手として注目しだしたのは、まさにこの’99年の全仏優勝後からだった。当時、駅に貼られていたニュース写真でこの優勝のことを見たのだ。
涙を浮かべながら誇らしく全仏の優勝カップを掲げるアガシ―それがとても印象に残った。あとで新聞などでより詳しくこの優勝のことを読んだりしていくうちに、彼がいかに粘り強く戦い、いかに劇的な復活を遂げたのかを知るにいたって、すっかりアガシの魅力にとりつかれてしまったというわけだ。
そう、私がテニスプレーヤー = A.アガシの本当のファンになったのは、
期間その③ 1999年(劇的な全仏優勝!)以降~ 彼の現役最後の7年間である。
この間、アガシのおかげで、本当にテニス観戦を楽ませてもらうことができた。
個人的にとっても印象に残りまくっている一戦がある。それは私が初めて観た復活後のアガシの試合だった。
1999年9月12日 全米オープン決勝 vs T.マーティン戦!
記録を見返してみると、
アガシ/マーティン:6-4、6-7、6-7、6-3、6-2
というフルセット&逆転、実にアガシらしい粘りとタフの試合だったようだ。実際試合中継は最後の最後の部分しかみてなかったが、最後まで手に汗にぎる緊迫感と、それとこれはいつも言えることなのだが、試合を通してのアガシのプレー独特の “魅力”が、そこにはみることができた。「“カリスマ”とは、こういうことなのか?!」―と、その時思った。
ある人が言っていた―『アガシはトッププレーヤーの中でも、プレー技術の高さ・メンタルの強さもさることながら、見事な復活を遂げたバックグラウンド、そしてショーマンシップと“華”を兼ね備えた本当に稀有な選手』であると。
アガシは「全仏で優勝したあの日、これからのキャリアで、もはや後悔することは何ひとつないだろうとわかった」と語っている。つまり彼は、欲などを離れたまさに“無心の境地”で、自らの限界の限り、あるいは限界を超えたところまで(?) 全仏優勝のときから実に7年もの間、第一線で戦い続けてきたというのだ!これを驚きといわずに何というのか?!
2000年以降の3度の全豪オープン優勝、
2003年史上最年長記録の世界ランク1位復帰、
長年のライバルP.サンプラスとの記憶に残る対戦(特に、2001年全米オープンQFでの激闘、そして2002年全米オープンで勝敗を分かち合った決勝戦は、特に印象に残る)
2001年、引退後のシュティフィ・グラフと再婚したことは衝撃的だったが、2人のかわいい子供にも恵まれよき家庭を築けたのは、このアスリートを人間的にさらに大きくしたと思う。家族の支えはスポーツ選手にとって欠かせない存在だろうが、ことにテニス界の元女王・シュティフィ夫人の内助の功は本当に大きかったようだ。
アガシのカリスマ性を語るうえでもう一つ大切な要素となっているのが、彼の社会貢献活動だろう。テニスプレーヤーである一方で、彼は基金を設立したり学校を運営したりして恵まれない子供たちを支援する活動を熱心に続けている。アガシは以前、「自分は運がよかったから今の環境にいることができたが、(自分のホームである)ラスベガスには厳しい状況にある子供たちもまだたくさんいるから」というニュアンスのことを、活動に取り組む理由として語っていた気がする。それは、たとえ彼自身ランクが落ちて苦しいときですら継続していたという。“セレブのきまぐれな慈善行為”とは明らかに違う、きわめて本格的なものだ。テニスの第一線から引退した今、ますますこうした活動を今後ともつづけていくことだろう。
ショーマンシップ ―
アガシはプレーで観ている人々を魅了し、コート上で多くの人々に愛されてきた選手だ。それは彼がコートでみせるひとつひとつのパフォーマンスが観衆の心を打つからだと思う。
全力を尽くして戦い終えたあとは、勝っても負けてもまず対戦相手の健闘をたたえるように握手、そして(ふつうは勝った場合)コートの中央まですすんで四方にスタンドのお客さんに向かってキス&丁寧なお辞儀でもって、応援をしてくれた感謝をあらわす。たしかによっぽどの選手でなければスタンド全体に自分を応援してくれて「ありがとう」はいえないでしょうけど、彼はそれに値するだけのカリスマ性が充分にあるし、とにかくあの試合後のお辞儀のパフォーマンスは、見ていて本当に温かくすがすがしい“儀式”だった。
2006年6月24日、ウィンブルドン開幕直前の突然の引退表明。
すでに年齢的、肉体的には限界まできていたはずだったから、当然いつ“そのとき”が来てもおかしくはなかったけれども、やっぱりファンとしては一抹の寂しさを感じずにはいられなかった。「ああ、やはり来てしまった。今年で最後なんだ。。。」と。
しかしここでも彼はたくさんのファンを突然ガッカリさせるようなことはしなかった。
「もうウィンブルドンには出ません、引退です。さようなら」とするのではなく、全米オープンまで戦うと、自ら引退のリミットを決めて、ラストステージ2ヵ月間をファンとともに享受するチャンスを与えてくれたからだ。おかげで一戦一戦をかみしめるように観戦することができた。
全米オープンまで―
しかしこれはアガシ本人にとって最後の大きなチャレンジだったと思う。ここ数年抱えていた腰の痛みがありながら、時には注射を打ってまで痛みを抑えて、自分より十数才も若い勢いある選手たちと、時には3時間を越えるタフな対戦をしていくのだから・・
最後のウィンブルドンでの対戦となった3回戦は、そういう意味では印象的かつ象徴的な試合だったのかもしれない。まちがいなく次代のテニス界を牽引する存在であろう全仏王者ラファエル・ナダルが対戦相手。さすがのアガシもナダルの勢いに押されてのストレート負けだったが、ウィンブルドンというテニスの“聖地”で新旧の王者の世代交代がおこなわれたことはとても象徴的なことだったと思う。
それからウィンブルドン最後のコート上でのお別れのメッセージもすばらしかった。テニスの聖地への思い、そこで戦い勝てたことの喜び、そしてやはり繰り返される声援を送ってくれた多くのお客さんへの感謝の言葉。「こちらこそ、長きにわたり私たちを楽しませてくれてありがとう」と、逆にアガシに謝意をおくった人々がどれほどたくさんいたことだろう。
そして・・・
プロ・テニスプレーヤーとしての生涯ほんとうに最後の最後のトーナメント、
2006年全米オープン
1回戦、2回戦はナイトセッションということもあったが、両方とも試合が終了したとき時計はすでにNY時間午前0時半をまわっていた!それにもかかわらず両試合とも2万人を超える観衆がアガシの勝利を大歓声で祝福する大フィーバー!並みの決勝戦でもここまで盛り上がらないんじゃないか??くらいの勢いだ。実況もアガシの勝利が決まった瞬間、“AMAZING !!” “UNBELIEVABLE !!!”を連発!
特に2回戦 vs M.バグダティス戦は確かに凄かった!!相手は第8シードの21歳。手強い相手になるはず、というのが大方の予想だっただろう。あいかわらず1回戦同様フルセットにまでもつれ込む熱戦を展開。アガシもバグダも本当にタフだなぁ、とつくづく思った。しかしついに最終セットの終盤でバグダディスの方が先に足がけいれんして倒れてしまった。「36歳にしてこんなテニスをするとは・・」と敗れた21歳は脱帽だったようだ。
そして、本当にいよいよ現役最後の試合。
3回戦 vs ベンジャミン・ベッカー戦、
この日はデイセッション、NY時間午前11時から始まった試合は、9月の抜けるような青空と、注がれる陽の光の下おこなわれた。
大接戦だった2回戦のvs M.バグダティス戦後、アガシの身体は実はとうに限界を超えてしまっていたらしい。持病の腰痛が悪化し、痛み止めの注射を打って臨んだ試合だったそうだ。そんな満身創痍ボロボロの状態でもなお、医療の助けを得ながら、試合を放棄も途中棄権もすることなくコートに立って戦いつづける姿は、「勝つか、負けるかではない。自分ができる限りのすべてを出し切るかどうかだった。」の言葉のとおり、すでに“究極の境地”に至ったような神々しささえ漂っているようだった。
肉体的に限界で「最後の試合になるかも知れない」という予感は、試合前アガシ自身にもあったという。対戦相手のベンジャミン・ベッカーは、予選から勝ち上がってきた世界ランク112位の選手。前の2回戦に比べたら望みはあるかも・・?という楽観的な見方もできたが、しかし相手も3回戦まで駒を進めてきたということはそれだけの勝ってきたということ。かつても名選手たちがなんとなくこういう予選上がりのニューカマーに打ち負かされて引退した・・・なんてことがあったような気がするな、、 と思えてきて。。。 私もちょっと個人的にこの3回戦が「最後」になるのでは?と予感するものがあった。それにこの人もある意味ドイツ人の「B.ベッカー」、往年の名選手を思わせるなんとも不思議な因縁めいた名前の相手だ。
フルセットにこそならなかったが、3回戦も試合時間3時間越え。故障を抱えて年齢的にも限界の身体で苦しみながらもなお、元王者は最後の最後まで粘り強く戦い抜いた。マッチポイント・相手のサーブを見送った瞬間、偉大なテニス界のカリスマが本当の“ゲームセット”を迎えた。
スタンドで見守った2万3000人超の大観衆が総立ちで万雷の拍手を送る。スタンドにいた観客だけじゃない、おそらくTV中継その他などでこの試合を観戦していた世界中のファンがそうしていたことだろう。
全米オープンのコートでのお別れのメッセージもまた、声援を送り続けてくれた観衆への感謝の気持ちでしめくくられた。四方のスタンドへのお客さんに向かって最後のKiss & Bow 、目に涙をいっぱいためて、あふれる涙とこみ上げてくる感情を抑えきれない様子。それを見ていると、こちらまで何かグッとくる熱いものを感じた。かつての彼とは対照的な白を基調としたどこまでもシンプルなウェアが昼間の明るい太陽のひかりに映えていた。
アンドレ・アガシ、こんなにもテニスで人を魅了し、こんなにも楽しませてくれたプレーヤーはいないだろう。彼が引退してしまったこれからは、少し寂しくなるな。。。
『あなたの魅力的なテニスとあなたが大好きでした!
長きにわたり、本当にありがとう』
P.S. 引退後ということで・・ もしかして今後やってくれたらいいな、と思うこと。
1.社会貢献活動の基金の資金集めキャンペーンでも、契約するスポーツ・ブランドのPRでもなんでもいいから、もう一度日本に来てくれないかな~♪
2.奥様・シュティフィ夫人と混合ダブルスでペアを組んで再びグランドスラム制覇を目指す!
Ect・・・
posted by daiya | 2006-09-09 23:44



