2007年10月20日
正直言って、3戦ともちゃんと観ていないので
あまりどうのこうの言える立場ではないのですが、
大っ嫌いな巨人が無惨に散ったので、記念に何か書こうかなと。
1つぐらい勝つかなぁと思っていたのに、まさか3連敗とは。
これほどまで短期決戦で緻密な野球ができないとは思わなかった。
確かに、シーズン中頑張ったピッチャーが打たれたし、
クリーンアップも元気が無かった。由伸も怪我したしね。
でも、第1戦で思ったけどやっぱり遊撃手のエラーが多いチームは日本一にはなれないよ。
僕が今年唯一観戦した巨人戦でもポロポロやってたしね。
いくら打撃で挽回したところで簡単に穴埋めできるものではないと思います。
日本の土壌ではジーターは生まれ難いでしょう。
ホームランを30本打てる人は、3人いれば全然勝てるんだから、
彼をサードにコンバートしたらいいんじゃないの?
球場は広かろうが狭かろうが、内野守備は大事でしょ。
それから某スポーツ紙で読んだけど、
クライマックスシリーズ前に祝賀会やったそうですね。
いろいろ事情はあるだろうけど、
選手は敗因をそのせいにはしないだろうけど、
そういうところで既に負けてたんじゃないかなぁ。
野球ファンとしては、クライマックスシリーズは愚の骨頂だと思う。
でも、アンチ巨人としては「助けられた」という気持ちでいっぱい。
複雑だぁ。
posted by takuro7 |23:07 |
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2007年10月08日
1997年、20歳の僕は居酒屋でアルバイトをしていました。
店内にテレビはなく、お酒とおつまみ以外の娯楽はラジオのみでした。
開店が5時で、6時までは大相撲。
それ以降は10時過ぎまで巨人戦。
ツバメ党だった僕は、スピーカーから聴こえてくる音だけを頼りに
頭の中で神宮もしくは東京ドームの雑感をイメージし、
現イーグルス監督率いるスワローズを応援していました。
8回裏2死2、3塁。
バッター、4番古田。
ジョッキに生ビールを注ぎながら、ラジオに耳を傾ける。
ビールを注ぐ手が止まる。
ピッチャー河原、第4球目を投げた!
打った!
ライト前ヒット!
3塁ランナー飯田に続いて、2塁ランナーホージーもホームイン!
スワローズ逆転!!
・・・・・なんてテキトーに書いてますが、
こんなことが日常茶飯事でした。
1997年の「4番古田」は得点圏にランナーがいたら、
ほとんどホームに帰していた。
それぐらい勝負強かった。
古田敦也という選手がどれだけ偉大だったか―
今さら僕なんかが言うまでもありません。
「ミスターヤクルト」か。
う~ん、賛否両論あるでしょうが、いいんじゃないでしょうか。
そんな称号も。
古田敦也で一番思い出に残っているのは
「選手古田」ではなく「会長古田」です。
球界再編騒動に揺れた2004年。
12球団存続に、2リーグ制維持に、奔走した結果、
球界初のストライキ。
「すいません」と涙を流したスポーツニュース。
古田コールが沸き起こった甲子園球場。
僕は当時、もうスワローズファンは辞めていた。
中立な立場で野球をみていた。
だから全面的に古田会長を、選手会を支持した。
僕もネットへの書き込み、新聞への投書、
当時の経営者側の言い分を非難していた。
なぜ、広島市民球場で、
ビジターチームの監督兼選手である古田敦也を、
カープファンが、華やかなセレモニーで迎えたのか。
優勝争いに関係していないから出来たんじゃない。
今日、
セリーグもパリーグも、近年稀に見るペナント争いで大いに盛り上がった。
でも、そんな存在することが当たり前のような環境を整えてくれたのは、
古田の尽力の賜物なんだ。
2004年、
プロ野球界が11チームのままだったら、
1リーグ制になっていたら、
今の野球はあっただろうか。
今、
僕らが「野球」を心の底から楽しめるのは、
この球史に残る偉大な背番号27のおかげなんだ。
引退試合後のセレモニー。
池山隆寛の時と比べても、不思議と感動が少ない。
僕は思いがけず涙しなかったし、
式の印象もあっさりとしていたように思う。
個人的に「選手古田」の引退に関して、
まだ早い、まだやれる、という結論に達しているのが原因なのかもしれない。
でも、野球の概念を覆したほどの名捕手は
「また会いましょう」と言ってくれたので、
その日を気長に待ちましょう。
最後に改めて、元スワローズファンの率直な希望なんですが、
背番号27は永久欠番にしませんか。
posted by takuro7 |01:27 |
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