2006年09月26日

桑田投手の一軍マウンドへのこだわり…というか、単なる思い出話です

先日、桑田真澄投手が自身のサイトでジャイアンツ退団を示唆。
それを受けて、滝鼻オーナーも容認の姿勢をみせました。

ジャイアンツ入団の経緯と清原和博選手の涙の記者会見で、当時はマスコミやファンの間でも物議をかもし、さまざまな憶測が飛び交いましたが、私は嫌いになれなかった……というよりも、実は、タイガースファンにも関わらず、ずっと応援してきました。

というのも、桑田投手は、私が野球に対していろんな意味で真剣になるきっかけをくれた野球選手だったから。そう、まさに私はKKコンビに圧倒的に影響された野球ファンのひとりでございます。

それまではプロ野球も高校野球も、ただぼーっとTVを観るだけで、勝敗以外は投球内容をはじめ、野球における走攻守についてさほど気にしたことがなかったのですが、PL学園に中村監督&KKコンビが登場し、野球への情熱が開花したといっても過言ではありません(蔦監督率いる「やまびこ打線」の池田高校に対しても、その布石はありましたが)。

まぁ、PL学園の応援(レベルの高い吹奏楽部の演奏と、パネルを使った人文字)にも惹きつけられたってのもありますが。

私は大阪で生まれ育ったので、それはもう、盛り上がりました。
あの頃の甲子園は、1回戦でもPL学園の試合の日は超満員。
外野席なんて、朝のラッシュの電車よりもすごかった。

KKコンビが有終の美を飾った1985年夏の甲子園。
1回戦、東海大山形に29-7と大勝したときにも、私は甲子園のライトスタンドに座っていました。本大会にはコールドないからなぁ……いつまで続くんやろう、この試合。と、子供心に思いながらも、桑田投手はライトの守備についてくれるし、清原選手までマウンドに上がったので、(相手高校には申し訳ありませんが)別の意味で楽しめたことを覚えております。

球場外で高校野球ファンを取材するTVカメラもたくさん見ました。
あるとき、どこかの地方のTV局につかまえられたこともありました。

どこのファン? PL学園です。
桑田と清原、どっちが好き? 桑田選手です。

とか何トカ、質問攻めにあいました。その後、

桑田投手のどこが好きなの?

って聞かれましたけど、TVカメラを向けられてアガってしまった私は、答えに悩んだ挙句、かなりトンチンカンな答えを発していたと思います。NGになってくれることを願いました(笑)。

そんなこんなで、PL学園の生徒でもないのに、私は今でもあそこの校歌をそらで歌えます(笑)。

まあ、まあ、そんな思い出話はさておき。

当時の高校生ピッチャーは、今のようにいろんな球種が投げられたわけではなく(まぁ、プロの世界でも球種は今よりも少なかったと思いますが)、だいたいはストレート、カーブ、シュートという単純明快な球種で勝負していました。

そんななかで桑田投手のことを、「すごいなぁ」「やっぱり他の投手とはぜんぜん違うなぁ」と子供ながらにわかったのが、コントロールとキレの良さ。特に桑田投手のカーブのキレと、効果的に使われるシュートに魅力を感じていました。「キレが良いというのは、こういうボールのことを言うんだ」と、教えてくれたのが桑田投手だったと思います。

 また、プロに入ってからもそうでしたが、バッティングセンスの良さも彼の魅力のひとつですよね。清原選手のHRは当たり前のようになっていましたが、桑田投手もよくHRを打ってマシタ。

プロに入ってからの活躍は、プロ野球ファンのみなさんもご存知の通り。

そんな、野球の一時代を築いた桑田投手も、ここ数年は活躍できず、常に「引退」が囁かれるようになっていました。その最初のきっかけは1995年の右ひじ靭帯の手術でしょう。

昔の知り合いに桑田投手の本(タイトル忘れました)の制作に携わっていたという編集者がいるのですが、手術後のリハビリのとき(だったかなぁ?)に桑田投手と話をしたらしく、確か、「マウンドに立ったときの感触が体に染みついている。こうやってブルペンで練習していると、その感触をもう一度味わいたいと気持ちがさらに強くなる。絶望的な気持ちになっても、その感触が僕を奮い立たせてくれる」というようなことを言っていたそうです。
↑
かなり昔の聞きかじりで、話の内容が間違っていることもあると思いますので、そこんとこ、ご了承ください。

あと、その編集者の方は、桑田投手の野球論みたいなものに、いたく感銘を受けたというようなことを言っていました。

今回の退団示唆、そして現役続行の意思表明で、昔聞いたそんな話を思い出しました。

おそらく、桑田投手のなかには、マウンドの感触だけでなく、まだ投げられるという感触も残っているのでしょう。勝手な想像ですが、次に納得のいくシーズンを(先発で)過ごせたときこそ、引退のときになるんじゃないか、そう思います。

まだジャイアンツに保有権があるため、今後の動向はわかりませんが、私としても、もう一度、これぞ桑田真澄という姿を見てみたい。

ジャイアンツでの退路を断ってまで、一軍マウンドにこだわる桑田投手。
納得するまで頑張ってもらいたいと思います。

posted by takezoh |02:15 | 野球 | コメント(8) | トラックバック(0)
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Re:桑田投手の一軍マウンドへのこだわり…というか、単なる思い出話です

桑田選手が書いた本は
「試練が人を磨く  桑田真澄という生き方」
 1994年 扶桑社 でしょう

posted by よっち | 2006-09-26 11:39

よっちさんへ

はじめまして。

桑田投手の本、教えていただきましてありがとうございます。

知り合いに話を聞いておきながら読んでいなかったので、今度、読んでみたいと思います。

posted by takezoh | 2006-09-26 20:48

Re:桑田投手の一軍マウンドへのこだわり…というか、単なる思い出話です

takezohさんこんにちは。
わたくしにとっても1985年は
生涯忘れられない一年でした。
我が阪神の日本一はもちろん、
KKコンビの活躍にも興奮したものでした。

わたくし個人的には、
好きだった選手が衰えていくのを
見るのはあまり好きではありませんが、
いろんな引き際があるのもまた
プロなのかなという気がします。

どうでもいいですが、
わたくしも大阪生まれ大阪育ちです。
どうでもいいですが。

posted by ny1976 | 2006-09-27 23:00

Re:桑田投手の一軍マウンドへのこだわり…というか、単なる思い出話です

takezohさんこんにちは。
わたくしにとっても1985年は
生涯忘れられない一年でした。
我が阪神の日本一はもちろん、
KKコンビの活躍にも興奮したものでした。

わたくし個人的には、
好きだった選手が衰えていくのを
見るのはあまり好きではありませんが、
いろんな引き際があるのもまた
プロなのかなという気がします。

どうでもいいですが、
わたくしも大阪生まれ大阪育ちです。
どうでもいいですが。

posted by ny1976 | 2006-09-27 23:00

あれ?

↑かぶってしまいました。
失礼いたしました。

posted by ny1976 | 2006-09-27 23:01

ny1976さん

こんにちは、コメントありがとうございます。

1985年は大阪のタイガースファンにとっては熱い1年でしたよね。

確かに、好きな選手が衰えていくのを見るほど辛いものはありません。

まだまだやれると周りが思っていても、今日(昨日)の新庄選手のように引退する選手もいれば、そうでない選手もいます。

引退ということに関しては、何が正しいかなんていうのはなくて、結局、本人が納得したかどうか、ということだけなんですよね。

posted by takezoh | 2006-09-28 01:43

Re:桑田投手の一軍マウンドへのこだわり…というか、単なる思い出話です

おもいっきしKK世代なんですね。

私はちょっとづれますが、やっぱりKKありきの野球界と思っている1人です。

日大山形戦、生観戦されていたんですね。清原選手があのでかさでスリークォーター?って感じたのを覚えています。

あの時代の山形なんて参加賞狙いだなんて思っていましたが、今や北海道が連覇したりする時代ですから、地域ごとの格差はなくなってきましたよね。

個人的には桑田選手はあと4.5年いけると思っています。

あの投球ホームは、芸術点があればタイトル20年間独占だったような気がします。

確かゴールデングラブ賞はもういらん!いうくらいとってましたよね。

posted by uzura176 | 2006-09-29 06:16

uzura176さんへ

こんにちは。
コメントありがとうございます。

はい、思いっきりKK世代です(彼らのほうがお兄さんですが)。私の場合はKK以上に中村監督ファンかもです(笑)。いまでもエースはチームに1人で、連日連投ですが、橋本・野村をはじめ、あの時代に複数の投手を使い分けていたりと、感心させられることが多かったです(桑田投手も、1年の頃は抑え役やってたことありましたよね)。

今では練習で木製バットを使っている高校も多いようですが、中村監督はあの当時から木製バットで練習をされていたようで(ま、後援会などの財力的なところも影響しているとは思いますが)、より高いレベル(=プロ)へいける選手を育てていたんだなぁ、と思います。で、事実、プロ野球にはPL出身はほんとに多い(笑)。

おっしゃる通り、かつては、北のほうの高校と強豪チームとの格差が激しかったですよね。今とはずいぶん違いました。

長かったですよぉぉ、あの試合(笑)。
暑いねん! ライトスタンドは。みたいな(笑)。

posted by takezoh | 2006-09-29 18:12

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