2007年12月30日
私自身はポジションの適性について、最初の感覚を大事にするタイプだ。選手の適性を探る上で大事なのは、1回見極めたものは貫かなければならないということだと私は思う。
ある選手を「このポジションには合っていない」と判断したとする。ところがもう一つ調子が出ない。「ではもういっぺん見てみよう」と再度やってみる。これをやり始めると、泥沼にはまっていく。
「1回で見極めていいのか」という考え方もあるだろう。ただそれはまさしく感覚的な作業であり、選手を見極めるのはその感覚だと私は信じている(週刊サッカーマガジン2003・12/23号より)
この年、岡田武史監督は途中加入の柳想鉄(ユ・サンチョル)を、右サイドバックで起用している。波戸康広(現大宮)の負傷を受けての判断だが、関係者の多くが「柳想鉄は右サイドバックだけやったことがない」と反対したという。
だが岡田は、「左サイドもボランチもできる選手が、なぜ右サイドをできないのだろう」と考え、起用に踏み切ったという。実際に柳想鉄はこのシーズン、右サイドバックとして安定したプレーを続け、完全優勝に貢献した。
一方、失敗した例として挙げたのが、久保竜彦の1トップ起用。開幕前に「久保に1トップは合わない」と判断していながら、マルキーニョス(現鹿島)の負傷から久保の1トップを選択、やはり失敗したという。その試合を振り返り、岡田はこう書いている。
「なんでこんなことをやったのか」という後悔が競りあがってきた。最初の見極めは大事にしなくてはならない
先日の短期合宿で、岡田は徳永悠平(FC東京)の左サイドバック、前田遼一(磐田)のトップ下など、いくつかのテストをしている。岡田が当時の後悔を忘れていないのなら、そこで「見極め」は完了しているはずだ。
その「感覚的な作業」をこなす岡田監督の“感覚”が、今なおさび付いていないことを信じている。来年以降、徳永と前田の起用法は私の関心事の一つだ。
posted by taka |21:39 |
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2007年12月29日
日本代表の新監督、岡田武史について、様々なイメージが語られている。97年には加茂周監督の解任を受けて急遽指揮を執った日本代表を初のワールドカップ出場に導き、99年に就任したコンサドーレ札幌の監督時代には2年目にJ1昇格と結果を出し、2003年には就任初年度で横浜FMを完全優勝させた。行く先々で結果を残してきた指揮官は、その人柄を物語るエピソードに事欠かない。
そのサッカー観が、最も如実に表れているのは何か--。そう考えたとき、最初に思い浮かんだのは2003年、横浜FMでJリーグ完全優勝を成し遂げた直後に「週刊サッカーマガジン」に2号連続で掲載された独占手記だった。
少々前置きが長くなったが、当ブログでは今回から短期連載として、その独占手記からキーワードを抜粋し、岡田のサッカー観に迫っていく。
「開幕して10試合、マイボールになったら前に蹴る。それがメーンの戦術だったのだから。一般に言うダイレクトプレーの意識を高めることが、安易な横パスを重ねる昨年までのF・マリノスの悪癖を取り払うことにつながるからだ」
"安易"かどうかはさておき、「横パスを重ねる」ことを悪癖とするのであれば、それは今年の日本代表にも言えることだ。特にアジアカップでは、中村俊輔(セルティック)、遠藤保仁(G大阪)、中村憲剛(川崎F)の3人を中心にパスを回し、ボールをキープしながらも、なかなかフィニッシュに至らずにストレスを募らせる試合が続いた。
その対応策として、オシムはアジアカップ後から、前田遼一(磐田)、大久保嘉人(C大阪)といった、個人技に優れたタレントを起用し始めた。
では、岡田はどうするか。
岡田は選択の理由を、「原則は相手ゴールに早く迫るのが、現代サッカーのアプローチだ。だからベースはダイレクトになる」と説明している。だが"現代サッカーのアプローチ"は、わずか4年の間にも変化している。2002年の日韓ワールドカップではダイレクトプレーからのゴールが多かったが、昨年のドイツワールドカップでは、ダイレクトプレーを封じられ、スローダウンさせられながらも、そこから打開できる力を持つチームが勝ち上がった。
先の短期合宿で、岡田はスタッフに前甲府監督の大木武を臨時コーチとして迎えている。そして紅白戦でやらせたのは、甲府時代と同様の、密集地帯でショートパスをつなぐサッカー。
課題は同じだとしても、横浜FM時代と全く同じ手法をとるとは限らない。
ただ岡田は、課題の解決と現存の長所を切り離して考えてはいないだろう。上記の言葉は、以下のように続く。
「シーズンの後半にポゼッション・プレーに切り替えた」
ゴールに素早く迫るよう、「意識付け」はする。ただし、長所をまるっきり捨て去るわけではない。
意識付けの時期(最初の半年くらいだろうか)は、内容はある程度無視して、過程として見守りたい。しかしそれ以降は、岡田監督と大木コーチの、理想と現実とのバランス感覚に期待する。
posted by taka |21:15 |
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2007年12月17日
「この本を出版するにあたって、エコノミークラス症候群のことを、少しでも多くの人に知ってもらって、予防につながれば嬉しいし、現在この病気と戦っている人には、病気になってもサッカーを続けている人間がいるんだぞ、ということを知ってもらいたい。自分次第でどうにでもなるんだ、ということを伝えたいのです。
それと同時に、高原直泰というひとりのサッカー選手が、ブンデスリーガで、日本代表で何を考え、何を感じてプレーしているかも知ってもらいたいという思いもあります」
本日紹介する本は、『病とフットボール -エコノミークラス症候群との闘い-』(角川SSC新書)。フランクフルト(ドイツ)でプレーする日本代表のエース・ストライカーの高原選手の初の著書です。
最初に引用したのは、この本の「はじめに」から。少々長くはなりましたが、まずはこの本に込められた高原選手の想いを知っていただこうと思いました。
タイトルの通り、この本は高原選手の病気――エコノミークラス症候群の話がまずは中心になります。
ただサッカーを始めたきっかけからハンブルガーSV時代の苦悩、フランクルトでのゴールラッシュまでが詳細に語られていて、サッカーファンの方にとっても十分に楽しめる内容になっていると思いました。
「フットボール」の話で面白かったのは、海外での成功の秘訣と、日本代表の今後の強化案。HSVで3年半の苦難から、チームの年間MVPに選ばれたフランクルトでの活躍まで、様々な経験をした高原選手の声だけに説得力があります。
「病」の話では、病気によって出場できなかった02年日韓ワールドカップ、04年アテネ五輪の2大会の詳細が語られています。今も毎日薬を飲み、自ら注射を打っているという高原選手に驚かされました。
病気と共に生きていく覚悟を決め、今度3度目の発症があれば引退する決意を固めているという高原選手。この本は語り言葉で書かれていて非常に読みやすく、高原選手が語りかけてくる言葉の一つ一つの力強さから、勇気をもらえる本です。
高原選手を好きではない方も、高原を好きになれる。
高原選手を好きな人は、もっと好きになれる。
そういう素晴らしい本だと思いますので、興味を持たれた方は是非ご一読ください。
posted by taka911 |20:57 |
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2007年12月16日
2人がまだ、東京Vに在籍していた頃だったと思う。以前相馬崇人が、
「ワシントンはヘディングはそんなに得意じゃないから、ハイクロスより低い足元へのクロスが有効」
という趣旨のことをインタビューで語っていた。
日本での、レッズでの最後の2ゴールは、ヘディングによるものだった。
189cmと長身のワシントンだが、相馬の言葉通り、決してヘディングを武器にした選手ではなかった。だが相馬の「ハイクロス」に合わせ、長谷部誠のFKに合わせて、クラブワールドカップ3位決定戦で2ゴールを決めた。
「本当にお世話になっているし、感謝している。一生忘れないサポーターです。最後の試合だったし、サポーターに恩返しするつもりで臨んだ」
フルミネンセ(ブラジル)への移籍が決まっているワシントンの決別の2ゴールが、浦和を大会3位に導いた。
ストライカーの教科書のような選手だった。
前年に浦和を退団したエメルソンのようなスピードがあったわけではない。シュートを打ちやすい場所にしっかりコントロールするファーストタッチの巧みさと冷静かつ正確なシュートで、エメルソンを上回るペースでゴールを量産した。
こうした要素は、日本人にも真似できるものだと思う。体躯に恵まれてはいたが、決してそれに頼っていたわけではなく、身体の「幅」とボディーバランスの良さを利用したボールキープは、むしろ「自分を良く知っている」という印象だった。
32歳になる今年は運動量の減少から批判されることもあった。また退団の原因となったオジェックとの確執からか、それまでの模範的なイメージから一転、決して褒められたものではない言動も見られた。
だがストライカーとしての本能は錆びつきず、Jリーグでは26試合出場で16得点。ACL、クラブワールドカップでは、勝負を決める印象的なゴールで勝利をもたらした。
シュートを打ちやすい場所に、正確にボールをコントロールすること。強烈ではなくとも、GKの取れない場所に冷静にキックすること。そして己を知ること。ワシントンは、我々日本人にストライカーとは何かを教えてくれる存在だった。
来年からその雄姿を見られなくなるのが残念でならない。
posted by taka |21:13 |
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2007年12月14日
37%とのボール支配率や、自陣深くに押し込まれる試合展開。それらを目の当たりにしながらも、“階級”が違う相手にむしろよくやっていると思いながら浦和レッズとACミランの試合を見ていた。
浦和とミランとでは、システムや戦術以前に、個々人のレベルが一段階も二段階も違った。いくら今シーズンは不調といっても、ミランは昨季のチャンピオンズ・リーグ決勝でリバプールを相手にボールを支配し、試合をコントロールしていたチーム。そのリバプール戦と全く同じ構成の中盤には、ボールを持てる選手をそろえている。
そうした相手にボール支配率で圧倒され、自陣深くまで押し込まれるのも無理もない話で、浦和は我慢の展開の中、本当によく我慢していた。
坪井慶介は持ち前の俊足でカカーに食らいつき、闘莉王の高さがクロスボールをことごとく跳ね返す。阿部勇樹と鈴木啓太はコンビでカカーを封じ、先発の11人中最年少の細貝萌の頑張りも眼を引いた。
しかし無失点の最大の立役者は都築龍太で、13分のピルロのFKを弾き出したり、51分のせードルフの飛び出しに落ち着いて対応したりと、多くの危機を救った。
Jリーグではおなじみの、浦和の粘りは健在。ならば問題は、どこで「1点」を奪いにかかるか。
ジーダにキャッチされたが、67分にワシントンがフリーでシュートを放つなど、ミランにも焦りが見え、隙が見え始めた時間帯があった。しかし弱者たる浦和の方には、リスクを侵してでも攻勢に転じる姿勢もなければ、焦りもない。「良くてもせいぜい延長か」と思い始めた矢先に、ミランに先制点が入った。
それはカカーの見事な個人技によるもので、浦和の誰かを責められるようなものではなかった。しかしこうなっては、浦和の方も攻めるしかない。
しかし浦和は変わらなかった。その後投入された山田暢久は、直後にシュートを2本連続で放ち、意気込みを見せた。だがチーム全体としては何も変わらなかった。
なぜミランがペースダウンした0-1以降に、攻勢に出られなかったのか。点を取らなければ勝てない状況で、それまでと同様、単発のカウンターに終始してしまったのか。
特に不満なのが後半ロスタイムで、横パスを連発するままに試合終了の笛を聞いた。なぜ最後、フリーでボールを受けた山田はシュートを打たずに、右にパスを送ったのか。たとえミスをしたとしても、失うものは何もなかったはずだ。
思い出したのは昨年9月の日本対サウジアラビアのゲーム。1点ビハインドの後半、闘莉王がパワープレーのために前線に上がっているというのに、日本はDFラインでパスを回しながら試合終了のホイッスルを待った。試合後、オシム監督(当時)はこの光景を「つまりは自己破壊をしてしまっている」と表現した。
残念ながら個々人の「階級差」の問題は、一朝一夕で解決する類の問題ではないだろう。だがそれでも、全員が集中して身体を張って守れば、ある程度は守れることは浦和が身をもって証明してくれた。
だが守るだけでは勝てない。リスクを侵してでも、どこかで攻めに転じなければならない。問題はそのリスクを、どこで負うのか。それを的確に判断し、リスクを侵すべき時に侵せるチームでなければ、「階級差」を引っ繰り返すことなどできるはずがない。
もう1点ビハインドの後半に、「自己破壊」をする日本のチームを見るのはたくさんだ。
posted by taka911 |03:05 |
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2007年12月13日
オシムの大きな横顔に、「オシムが教えてくれた」のキャッチコピー。
表紙を見るだけでオシムを総括するのにふさわしいと思われた「期間サッカー批評」の最新号を、今日は皆様にお勧めします。
オシムが好きだった方にも、そうでなかった方にも、「オシムが教えてくれたこと」が何だったのかを考える上では、最高のテキストになるのではないでしょうか。
価格は933円+税。僕は双葉社の回し者でも何でもないので、堂々と
「立ち読みでも構いません」
と書きます(双葉者の方、すいません!)。
ただ立ち読みでもいいので、一人でも多くの方に
「オシムが注いだ愛情/木村元彦」
「1年半でオシムが残したもの/西部謙司」
を読んでいただきたいと思います。
木村さんと言えば、ベストセラー『オシムの言葉』の著者。日本で一番オシムのことを知っている人物と言っていいでしょう。その木村さんの、川淵会長、セルジオ越後への怒り。そして木村さんが伝える「人間・オシム」。
「怒り」の部分がやや多かった印象はありますが、「オシムが注いだ愛情」に背く行為をした2人が、木村さんには許せなかったのでしょう。木村さんは間違いなく、オシムに愛を注いでいます。
西部さんの「1年半でオシムが残したもの」も非常に面白かったです。倒れる直前に見ていた試合が、バーミンガム・ダービー。日本人不在、強豪の対戦でもない試合を見ていたことから、オシム監督の本質に迫っています。「正直、何かを伝えきるには、1年半では短すぎる」という西部氏の言葉が印象的でした。
僕としては、この2本のコラムだけでも、1000円を出した甲斐があったと思っています。まだ読んでいない方にも、是非ご覧になっていただきたい1冊です。
posted by taka911 |12:03 |
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2007年12月10日
AFCアジアチャンピオンズ・リーグ優勝からJリーグ終了まで、今季最悪の時期を過ごしていた浦和レッズが、クラブワールドカップ(以下CWC)でセパハンに快勝した。
負傷者の続出に、疲労の蓄積。天皇杯ではJ2・10位の愛媛FCに敗れ、Jリーグ最終節では最下位の横浜FCに敗れて優勝を逃した。
その最終節で、大黒柱のポンテまでもが負傷。層の薄いFWで強行出場した田中達也も離脱した。
上向く材料が、見当たらない。
そう思っていたらわからないもので、浦和が終始セパハンを圧倒した。危機感が逆に選手を集中させたのか、1勝すればミランと戦えるというモチベーションが選手を燃え上がらせたのか。
いずれにしろセパハンを抑え込んだ攻守のダイナミズムは、最近の浦和には見られなかったものだ。
もう少し具体的に理由を考えれば、浦和の変化のポイントは2つあったと思う。
1つは、長谷部誠のトップ下起用と、守備的MFでの阿部勇樹と鈴木啓太のコンビ。ポンテの負傷による配置転換だが、長谷部は前後左右に幅広く動いてボールをさばき、後列の攻撃参加も促して攻撃のリズムを作った。久しぶりにコンビを組んだ阿部と鈴木の素早いチェックと前への意識も効果的で、インターセプトや縦パスからチャンスを作る場面が目立った。
決定的な仕事ができるポンテを失ったのは痛かったが、この3人の方が機動力と守備力にかけては上だろう。
もう1つは、相馬崇人の好調。オジェックの信頼を得られず、負傷もあって今季リーグ戦出場はわずか13試合に留まった相馬だが、突破力にかけては日本屈指の存在。リーグ戦では鳴りを潜めていたが、平川忠亮の負傷で出番が回ってきたこの大舞台で思い切りの良さが戻ってきた。結果、2点に絡む活躍。平川に勝るとも劣らない活躍を見せた。
緊急事態に対応すべく組んだ布陣がビッグマッチで奏効するあたりが、今の浦和の強さなのか。「ケガの功名」で快勝した浦和が、準決勝ACミラン戦にたどり着いた。できることならベストの状態での浦和対ミランが見たかったが、長谷部がピルロを見張り、阿部と鈴木がカカーを包囲する今の布陣の方が、むしろミランには有効か。
13日が、楽しみだ。
posted by taka |23:38 |
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2007年12月08日
ワールドカップ3次予選まで2ヵ月余りという差し迫った日程が決断を促したのだろう、イビチャ・オシム監督が倒れてからちょうど3週間になる12月7日、岡田武史新監督が誕生した。
脳梗塞で倒れた時点で、もはや続投は不可能だと思っていた。しかし実際に監督交代という事実に直面した今、寂しさを禁じえない。
イビチャ・オシムが好きだった。監督としての彼も、人間としての彼も。
彼の采配に、全面的に賛成だったわけではない。具体的にはパスは回るが仕掛けに至らない攻撃、それを誘発する人選、鈴木啓太らのバックアップをテストしない頑固さに、このブログで疑問を述べたことがあった。
だが日本代表を「日本化」するという就任会見での一言には、そうした小さな不満を飲み込ませる力強さがあった。連動した動きで相手の守備網を崩す場面は日毎に増えており、「日本化」が段階的に、確実に進んでいることを窺わせていた。
「日本代表の日本化」が完成を見ぬままにオシム監督最後の日を迎えたことが、今は残念でならない。選手にはもちろん、協会にも、記者やインタビュアーにもプロであることを求めたオシム監督は、1年余りの短い期間だったが、日本サッカーのために全てを懸けてくれた。最大限の敬意と感謝を持って別れを告げ、快復を祈りたい。
さて、岡田新監督。経験、実績の両面で日本人監督の中では抜けた存在で、予選までの時間的な問題を考えれば、最良の選択肢の一つだったと思う。
ただ「オシム流の継続」は難しい。岡田流も、よく走る。だが横浜FM時代の自身のサッカーをかつて「国見サッカー」と表現したように、方法論は全く違う。
それでもオシムの撒いた種は残る。
闘莉王、鈴木啓太、中村憲剛。彼らはみな、オシム監督の下で日本代表にデビューし、欠かせない戦力にまで成長した選手だ。駒野友一や阿部勇樹といったジーコ監督には重宝されなかったタレントもまた、オシムの元で国際経験を積んだ。水本裕貴、水野晃樹、家長昭博らU-22代表の選手も、すでにA代表に合流している。
81年以降に生まれたいわゆる「アテネ世代」がドイツワールドカップメンバーに2人しかいない難しい状況から、オシムは短期間で世代交代に成功したのである。
たとえ「オシム流」が受け継がれず、「日本化」が実現しなかったとしても、この世代交代はオシムの大きな成功だ。私はあの大きな人からバトンを受け取る岡田新監督が、オシムが撒いた種を収穫してくれることを願う。
それが実を結んだとき、私はもう一度、オシムに感謝する。
posted by taka911 |00:12 |
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2007年12月01日
“予感”はあった。しかし首位・浦和の対戦相手が5月26日以来、21試合勝利がない横浜FCでは、「鹿島逆転V」はあまり現実味のないシナリオだった。
しかし優勝したのは鹿島アントラーズ。今季初勝利を第6節横浜FC戦まで待たなければならなかった鹿島が、最後の9連勝で逆転優勝した。
一方、首位を快走していた浦和は、優勝にリーチをかけた名古屋戦以降の5試合で3分け2敗、3しか勝ち点を取れない失速ぶりで、アジア王者との「二冠」になるJリーグ連覇を逃した。
この終盤の失速は、ACLを並行して戦っていた事と決して無関係ではないだろう。特に阿部勇樹、鈴木啓太、闘莉王の3人は代表でも主力選手で、守備陣のメンバーを固定したオシム監督の下、負傷の場合を除けばほぼフル出場した。
彼らを含め、主力選手の消耗は想像に難くない。
過密スケジュールの中、あまりメンバーをいじらなかったオジェック采配には疑問が残る。体力的に厳しい連戦の中でも大きくメンバーを変えなかったオジェック監督は、信頼する20人ほどのグループの中から11人を選び、その11人で出来るだけ長い時間を戦い抜くタイプの監督だった。
それが正しかったというのも、間違っていたというのも結果論でしかない。ただ日程を考えれば、二冠を目指す上ではメンバーを固定しすぎたか。
今年の浦和で、リーグ戦に先発出場したのは18人。新加入の阿部を除けば昨年と代わり映えのしない少数先鋭で、厳しい連戦を戦い抜いた。
それぞれチーム事情が違うので単純に比較はできないが、リーグ戦で先発した人数は、同じくACLを戦った川崎Fが23人、優勝した鹿島が20人。最も日程が厳しいはずの浦和が最も少なかった。
それが物語るのは浦和のスタメンとベンチの差の力量差か、オジェックの主力への信頼の厚さか。いずれにしろ、「浦和は選手層が厚い」という評価には首を傾げたくなる。
思い出すのは、1-0で勝利した新潟戦。この試合で決勝点を決めたポンテは、元々この試合を休養する予定だった。だが、小野伸二が試合前に負傷。貴重な「スタメン候補」の小野が欠けると、ポンテはフル出場するしかなかった。
ただしこの采配が緊張感を研ぎ澄ませ、アジア王者に導いたともいえる。メンバー固定も今日の結果次第では、「二冠につながる名采配」になっていたかもしれない。
ただやはり先発出場が18人、途中出場を含めてもリーグ戦に出場したのが21人では、過密日程を乗り切るのは厳しい。
「1人だけの補強だとは思っていません。2人分、3人分の補強だと思っています」
と中村GMが胸を張った阿部の補強だが、本当に必要だったのは複数のポジションをこなす消耗する1人ではなく、3人のレギュラー候補だったのかもしれない。
posted by taka911 |23:36 |
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