2007年06月18日

アジアカップの評価軸

   加地、闘莉王が復帰
 日本サッカー協会は18日、来月開幕するアジアカップの予備登録メンバー30人を発表した。7月5日までに、23人に絞られることになる。
 今回のメンバーは、今月初めに行われたキリンカップのメンバーが中心。そこからの変更では、コロンビア戦で共に前半のみでの交代となった稲本、中田の海外コンビが外れ、藤本、青山の清水勢も選外となった。

 一方復帰組に目を向けると、共に負傷でキリンカップを欠場した加地、闘莉王が復帰。もっとも闘莉王はメンバー提出締め切り後の17日のJリーグで負傷しており、アジアカップ出場は微妙な状況だ。

 その他では、前田遼一が昨年11月のサウジアラビア戦以来の選出。今季は負傷に苦しんでいたが、元々足元の技術には定評がある選手で、復帰後は3試合3得点と好調。磐田の先輩にあたる高原のパートナーとして、矢野、巻のいずれも決め手に欠けるだけに、好調を維持できればチャンスか。その前田の復帰と共に復調してきた太田(磐田)も、右サイドから中に切り込む動きで切り札として期待がかかる。


   一週間でチーム作り?
 さて、リーグ戦で闘莉王が負傷したのは上記の通りで、オシム監督も頭を悩ませているだろう。だがオシムの悩みが、これで終わるとは限らない。
 アジアカップの初戦は来月9日に迫っているが、一方でJリーグは、今月30日まで、3試合を残している。そこで第2、第3の闘莉王が生まれる可能性は、誰にも否定できるものではないだろう。

 オシムが語ったように、これから負傷するリスクがないのは、高原、中村俊の海外勢くらい。これまで「コアメンバー」として重要な役割を担ってきた選手が、離脱しないとも限らない。

 チーム作りを難しくするのはそれだけではない。リーグ戦が終わる6月30日から、アジアカップ開幕の7月9日までのわずかな期間で、オシム監督は戦えるチームを作らなければならない。限られた時間でチーム作りを進めなければならないのが代表監督の宿命とはいえ、これは余りにも短すぎるだろう。ちなみにジーコ監督の指揮下で優勝した04年大会の時には、7月20日の初戦の約1ヶ月前、6月26日にはJリーグが中断。それからキリンカップ2試合を経て、大会に突入している。


   アジアカップの評価軸
 もっとも、ジーコにはジーコの難しい状況があった。
 中田英寿、坪井慶介、稲本潤一、楢崎正剛、久保竜彦。これらは全て、負傷のために選出できなかった選手だ。さらに、サンプドリアに移籍した直後の柳沢敦はクラブを優先し、小野伸二、高原直泰はアテネ五輪に取られた。

 ただしジーコには、この不運を幸運に変える強運があった。田中誠、福西崇史、玉田圭司といった選手は、上記の選手の不在からチャンスを得て、そして台頭してきた。

 一方オシムは、この苦境から何かを得るだろうか。もしかしたら闘莉王以外にも負傷者が出るかもしれないし、出ないかもしれない。その闘莉王も、本大会には間に合うか可能性がある。だが、これまで一人の選手を様々なポジションでプレーさせるなど、周到な準備をしてきたオシム監督のことだ。メンバーがどうであれ、期待を裏切るようなゲームは(よほどのことがない限りは)しないはずだ。

 そうなると、問題は結果だ。だがトーナメント形式ではいかなる「事故」も起こりうるし、アジア全体のレベルも上がっている。3連覇は決して容易なことではない。

 となると、評価基準は「結果」と「内容」の両方のバランスか。今大会のオシム監督は、「両軸」で評価されるべきだ。

posted by taka911 |22:18 | 日本代表 | コメント(5) | トラックバック(0)
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2007年06月16日

WYの記憶(2)03年大会―実り多き8ヶ月―

   3月のはずが……
 元々は、3月にUAEで開催されるはずの大会だった。だがイラク情勢のために、11月に延期。結果的にこの延期は、日本にとって幸いした。

 3月といえば、ちょうどJリーグが開幕する時期。試合勘の面では、日本にとって元々いい時期ではない(欧州ではシーズン終盤)。

 さらにいえば、高卒2、3年目の選手がほとんど、ルーキーも少なくないチームにとって、8ヶ月でのJリーグでの成長も決して小さくなかった。DF永田充(柏=当時)などは、出場こそなかったもののジーコ監督の率いるA代表にも選出されている。

 こうして実りある延期で力を蓄えたチームは、イングランドとの初戦に坂田大輔(横浜FM)のゴールで勝利。続くコロンビア戦は1-4で大敗したが、第3戦エジプト戦を1-0で制し、決勝トーナメントに進出した。


   勢いづけた2トップと守護神
 そのエジプト戦で決勝ゴールを上げたのが、当時国見高校3年だった平山相太だった。この大会スーパーサブとして起用をされていた平山は、同じく切り札的な存在だった谷澤達也(柏)のスルーパスから抜け出し、最後はGKをかわしてゴール。しなやかな身のこなしと日本人離れした高さは、将来のエースと予感させた。

 その平山は2ゴールと、大会前に負傷で離脱した矢野貴章(柏=当時)の穴を埋めて余りある活躍をした。それはその他のFW、阿部祐大朗(横浜FM=当時)や茂木弘人(広島=当時)がノーゴールに終わった中での出来事だったが、平山以上のゴールラッシュを見せたのが坂田だった。グループステージで2得点を挙げた坂田のハイライトはトーナメント一回戦の韓国戦で、延長での決勝ゴールを含む2得点。通算4得点で、大会得点王にも輝いた。

 一方守備では、GK川島永嗣(大宮=当時)の活躍が目を引いた。至近距離からのシュートにも鋭く反応し、果たしていくつの失点を防いでいたか、定かではない。その後移籍した名古屋では楢崎からポジションを奪えず、川崎Fに移籍した今年、ようやくA代表にも選出された。今後は「川口越え」を期待されるが、当時の活躍を知る者にとっては、「遅すぎる」活躍と感じられることだろう。

 その他にこの大会に出場していたのは、小林大悟(東京V=当時)、山岸智(千葉)、徳永悠平(早大=当時)、菊地直哉(磐田)といったあたり。ボランチとして、キャプテンとしてチームの中核を担っていた今野泰幸(札幌=当時)を除けば、いずれも才能に見合った成長をしていない印象がぬぐえない。

posted by taka911 |14:09 | 年代別日本代表 | コメント(1) | トラックバック(0)
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2007年06月15日

WYの記憶(1)01年―不遇の世代―

 今日6月15日、来月カナダで開幕するU-20ワールドカップに臨む日本代表メンバー21人が発表された。
 梅崎、内田、柏木らタレントがそろう今回のメンバー。彼らが世界を相手にどんな戦いを見せるか、興味が尽きない。

 それを展望する前に振り返っておきたいのが、過去のワールドユースで、日本のU-20代表が、どんな戦いを見せてきたのか。僕がリアルタイムで観戦した01年以降の3大会を、3夜連続で振り返る。その初回となる今夜は、01年アルゼンチン大会。81年、82年生まれの選手を中心に構成されたメンバーは、いかに世界と戦ったのだろうか。


谷間の世代
 彼らは揶揄され続けた。事の発端は96年に、それまで2大会連続で出場していたU-17世界選手権の出場権を逃したこと。それに起因する国際経験の不足に、中田英寿、小野伸二のような鮮烈なタレントの不在もあいまって、いつしか彼らは「谷間の世代」と呼ばれるようになった。

 そのため、幸か不幸か期待値は高くなく、99年ナイジェリア大会の準優勝の再現を期待する声は大会前からほとんど聞かれなかった。そして出た結果は、1勝2敗。準優勝どころか、4大会連続の決勝トーナメント進出もできなかった。つまりこの時点では、「谷間の世代」という評価を覆すことはできなかったのである。


「こいつら、バカじゃないのか」
 不運といえば不運だった。Jリーグ最年少デビュー記録を持ち(当時)、このチームでも中心と期待された阿部勇樹(市原=当時)は、負傷のため選出されず。この年がルーキーイヤーで、国見高校でもJリーグでも得点を重ねていた大久保嘉人(C大阪)も負傷で出場を見送った。

 ただし、阿部はアジアユースでも負傷のためプレーできず、急成長の大久保は、スーパーサブとして流れを変える存在でしかなかった。つまりチームは、決定的な存在を失ったわけではない。それでも勝てなかった。初戦のオーストラリア戦は完封負けで、続くアンゴラ戦も1-2で競り負けた。この結果第3戦のチェコ戦を前に、グループステージ敗退が決定した。

 しかしここで、チームは本領を発揮する。74分、森崎和幸(広島)のゴールで先制すると、山瀬が豪快に追加点。終了間際にも田原豊(横浜FM=当時)がダメを押し、3-0で快勝した。

 第3戦でようやく爆発した才能。しかしそんな彼らを、「敗退が決まり、プレッシャーのない状況では、実力を出せて当たり前」と切り捨て、快勝に喜ぶ選手を見て「バカじゃないのか、と思った」というのは、後にU-23代表で「谷間の世代」を中心にチームを構成した山本昌邦。だがその山本も、皮肉なことにアテネ五輪ではグループステージ敗退が決まった第3戦でしか勝てず、やはり「谷間」のレッテルをはがすことはできなかった。


新生日本代表の屋台骨に
 しかし現在、「谷間の世代」という言葉はそれほど聞かれなくなった。それはオシム監督の元でスタートした新生日本代表の中心を、彼らが占めていることが大きい。チームの中心は、阿部や鈴木啓太といった、81、82年生まれの選手だ。ワールドユース、アテネ五輪では勝てず、ジーコにも好まれなかった世代が、今ようやく日本サッカーの中心になりつつある。

 ただしその中に、この01年ワールドユースを経験している選手が何人いるか。鈴木、田中達也(浦和)、松井大輔(京都=当時)は西村監督に好まれず、メンバーに選出されていた佐藤寿人(市原=当時)も、やはりレギュラーではなかった。それは当時のメンバー選考のシステムに問題があったからなのか、選手の伸び悩みが原因なのか。当時の主力選手で、今、代表で主力となっているのは、左サイドのレギュラーだった駒野友一(広島)くらいだ。

posted by taka911 |22:40 | 年代別日本代表 | コメント(0) | トラックバック(0)
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2007年06月07日

工夫か変更か――6.5コロンビア戦レビュー

「リスクが大きい顔ぶれだった」
試合後の記者会見で、オシム監督はコロンビア戦のスターティング・メンバーをこう振り返った。「リスク」について具体的に語られることはなかったが、察するにそれは、前線の4人の配置のことだろう。3月のペルー戦、先のモンテネグロ戦では、攻撃的なMFを2人起用し、その前に2トップを置く形が続いていたが、この試合では高原を1トップで起用。その後方、中央に稲本を配置し、遠藤、中村俊を左右に張らせる型を選択した。

 1トップそれ自体は、決して初めてのことではない。疑問だったのはシステムよりもむしろ、両サイドの選手のキャラクターである。中村俊、遠藤はいずれもパスセンスや技術には優れているが、従来のサイドプレーヤーのような、突破力やゴール前への機動力は乏しい。そうした選手を両方のサイドに同時起用しては、1トップの高原へのサポートが薄くなる恐れがあった。トップ下の稲本がオシム監督就任後初出場、本職はボランチの選手であることも、そうした不安に拍車をかけた。

 案の定、前半は高原が孤立し、ほとんどチャンスを作れないまま終了した。だが後半、流れは劇的に変わった。オシムをして「後半は明らかに良い内容だった」と言わしめた好転の要因は、羽生の投入。千葉でオシムの薫陶を受けた小さなファイター(167cm)は、精彩を欠いた稲本との交代でピッチに入ると、豊富な運動量で攻撃を活性化。サイドにゴール前にと動き回り、チャンスに何度も顔を出したその働きぶりは、トップ「下」という彼のポジションの呼称が不適切に思えるほどだった。

 さて、ここで疑問を一つ。
「なぜ前半から、後半のような戦い方が出来なかったのだろうか?」

 確かに前半のシステムには、難しい面があった。羽生のように高原を追い越し、両サイドの機動力不足を補えるような選手がいなかったために、ボールの出し手と受け手のバランスが崩れてしまっていた。

 だがそうした難しい状況、それ故の混乱の中でも、ピッチ上の選手に局面を打破する工夫がほしかった。少なくとも、中村俊は工夫していた。サイドバックの位置からオーバーラップした駒野の外側を回って数的有利を作ったり、中村憲のロングパスからDFラインの裏に抜け出したりと、オシムのサッカーに適応しようと努力している様子が窺えた。

 では他の選手はどうだっただろう。例えば、コンディションが相当悪かったのか、本来のダイナミックな縦への動きは見られないまま前半だけで代えられてしまった稲本。初出場でいきなり不慣れなポジションで起用されたのは彼にとって余りに酷だったが、そうした混乱の中でも、ベストを尽くすことは出来ていただろうか。もっとできることはなかっただろうか。

 この試合、前半の混乱を作り出したのはコロンビアでも日本の選手でもなく、オシムだった。意図的にリスクの大きい顔ぶれを並べる「カミカゼ・システム」で挑んだその目的は、困難な状況に対応できる選手、いかなる状況下でも最善を尽くせる選手を見極めることにあったのではないだろうか。
 
 試合前日の会見で、オシムは以下のように語っている。
「1回のテストで合格しなかったから、すぐ落第というわけでもない。もちろん、選手の特性を見たいという気持ちもある。中にはプレーしないでも分かる選手もいるが、多くはプレーをさせてみないと分からない」

posted by taka911 |02:00 | 日本代表 | コメント(0) | トラックバック(0)
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2007年06月03日

捨てない人、ベッカム

 反町康治現U-22日本代表監督が、新潟の監督を勇退したばかりだった昨年2月の話。当時解説者だった反町さんは、日本対米国戦で巻の代表初ゴールをアシストした加地のクロスを、サッカーマガジンのレビューの中で「捨てクロス」と表現した。

「捨てクロス」とは、中央をろくに見ずに入れるクロスのこと。反町さんいわく、しっかりと狙って蹴ったクロスは相手DFにとっても軌道が読みやすいため、こちらの方が得点に結びつく確率が高いという。新潟の監督時代にも「中央を見ずに上げろ」と指示していたというから驚きだ。

 さて、ブラジル戦でイングランド代表に復帰し、いきなりジョン・テリーのゴールをアシストしたデビット・ベッカム。彼はクロスを「捨てない」。右サイドでボールを受けると、中央をじっくり見てからクロスを送る。
 
 それでもアシストの山を築けるのは、「止める・蹴る」の基本技術が本当に高いから。パスを受けると、一番ボールを蹴りやすいポイントにファーストタッチでしっかりとコントロールし、左腕を大きく振り上げる独特のキックフォームからラストパスを送る。その一連の流れはリプレーを見るように一定で、さながら精密機械。捨てクロスとは対照的に、ボクシングでいえばテレフォンパンチ、「さあ、今からクロスを上げますよ」と言っているようなものなのだが、防ぐことは極めて難しい。

 ベッカムは「捨てない」。だが捨てる必要もない。あれだけ正確な技術があるのなら、意表を突くことなく、しっかり狙って蹴ったほうが得点率は上だろう。

 そのベッカムは、今年の夏から米国に移籍する。あれほど一定のフォームで蹴れる彼が、努力を重ねてきたことは想像に難くない。彼は間違いなく、米国のサッカー選手にとって最高の手本になる。

 それはつまり、かつてJリーグにドゥンガや、ジョルジーニョらがいたように。米国が少しうらやましい。

posted by taka911 |00:10 | 人物 | コメント(2) | トラックバック(0)
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2007年06月02日

モンテネグロ戦・オシム語録を読み解く

(会見全文=http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/kaiken/200706/at00013412.html)


「何人かの重要な選手を使うことができなかった。1人は左利きの選手、もう1人はモンテネグロの3番(ヨバノビッチ)を抑えられるポジションの選手。それからサイドの選手も、けがのために使うことができなかった。タッチラインを1人でカバーできて、何度も往復できる選手。そういうエネルギーとスピードのある選手が、本来はいるのだが使えなかった。」

 スターティングメンバーについて。前日会見では「サッカー界の普通の考え方では、親善試合であまり出場していない選手はチャンスを与えられる」と語っていたオシム監督だが、ベストメンバーを組みたかったようだ(実際、就任後初先発は楢崎、矢野だけだった)。
 さてコメント内の重要な選手だが、「左利きの選手」は素直に考えれば中村俊だろう。中村俊についての肯定的なコメントは少ないが、その経験、左足の技術は貴重で、構想に入っていて然るべき存在。オシムのサッカーにとって、現状、中村俊は「異分子」だが、だからこそ多くのプレー機会を与えたいのだろう。
 「3番を抑えられるポジションの選手」だが、ヨバノビッチは右サイドバックのポジションで先発出場し、85分までプレーした選手。対面になるのは左サイドの選手だが、この日左サイドで先発した山岸、阿部は、決して守備力の低い選手ではない。他にマーキング能力に優れた候補がいるかといえば疑問なのだが、あえて探せば、様々なポジションでプレーでき、起用法が注目される中田浩二か。
 「サイドの選手」だが、これは恐らく加地だろう。今回は負傷のため不選出となった加地だが、過去の雑誌インタビューを見ると、オシム監督の評価は一貫して高い。この試合、駒野が本職の右サイドで素晴らしい働きを見せただけに、不慣れな左に戻すのは惜しいが、オシムのファーストチョイスは「右=加地、左=駒野」のようだ。


「彼のようなレベルのクオリティーの選手であれば、ゴールのはるか上にシュートするはずがない。しかもシュートするタイミングの時に、彼の近くにフリーの選手がいたのに、シュートして外した」
「彼の才能を、チームのために使わないのはもったいない。それくらいの才能を持っている。ただしその才能が、潜在的な才能で終わってはいけないと思う」

 上は中村憲について、下は水野についてのコメント。いずれも酷評に近いが、一方で高い期待も窺える。
「中村ほどの視野を持つ選手なら、フリーの味方も見えるはず」
「水野の才能を、曲芸的な技術で終わらせるのは惜しい」
二つの言葉には、こんな気持ちが見え隠れする。
 恐らくオシムは、二人が何らかのかたちでこのコメントに触れると思っている。だからこそ、この二つの言葉は発せられたに違いない。

posted by taka911 |07:07 | 日本代表 | コメント(3) | トラックバック(0)
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