2007年11月21日

さようならヘディングの巨人

 現代サッカーはより器用で、何でもできる選手を欲する。
 それはしばしば、FWに守備やポストプレーを求めるとの文脈で語られるが、DFも例外ではない。病床に臥すイビチャ・オシム監督が坪井慶介よりも阿部勇樹を重宝するように、現代サッカーはDFにも器用にパスをつなぎ、チャンスには攻撃参加できる能力を求める。

 ただしオシムは、それを日本に持ち込んだ最初の人物ではない。フィリップ・トルシエは、中田浩二をDFにコンバートしたように、すでにDFのロングパス能力の重要性を訴えていた。
 だがトルシエ自身は、ボール扱いは下手で不器用なDFだったという。そんな自分を称してトルシエは言う。
「私は秋田のような選手だった」

 秋田豊(鹿島-名古屋-京都)が、今シーズン限りでの引退を発表した。Jリーグ創設の93年からプレーする数少ない一人である秋田は、現在37歳。J1で391試合、J2で14試合、日本代表で44試合でプレーしたキャリアに幕を下ろすことになった。今は「すがすがしい気持ち」だという。
 キャリアのハイライトは、3冠王者に輝いた00年、Jリーグで2年連続の年間王者に輝いた01年か。個人的にも01年のチャンピオンシップは印象深く、第1戦では福西崇史に競り勝ってヘディングで得点し、第2戦では肩を外しながらもテーピングしてフル出場した。中山雅史とのやり合いは当時のJを象徴する名勝負で、この00年、01年には2年連続でJリーグベストイレブンに選ばれている。
 惜しむらくはこの全盛期に、日本代表監督がトルシエだったこと。前述のようにロングフィードの精度をDFに求めていたトルシエは、秋田を評価しながらも重宝しなかった。
 ただそれで、秋田の実力が否定されるわけではない。ポジショニングが良く、強靭な肉体を持っていた秋田の対人能力の高さは、日本サッカー史上屈指のもの。180cmとDFとしては決して大柄な選手ではなかったが、空中戦では無類の強さを誇った。

 印象的なエピソードを挙げれば、1997年のワールドカップ予選でのこと。移動のバスの中で、各選手の良いプレーを集めたビデオが流されたのだが、「秋田はヘディングばかりで笑ってしまった(名波)」という。
 またバスの中で、いきなり秋田が「あー、ヘディングしてえ」と叫んだという逸話も残っている。練習熱心で真面目な性格で、ヘディングという武器を磨き、その武器に絶対の自信を持って日本代表まで上り詰めた努力の男だった。

 その姿勢は若手からの尊敬と、多くの監督からの信頼を生んだ。トルシエが日韓ワールドカップの最終メンバーに秋田を加えたのも、そうした姿勢への信頼と敬意からだろう。
 秋田豊がピッチを去る。人に強いがボール扱いは不得手な、前近代的なセンターバック。だが僕は、このヘディングの巨人のことを忘れない。

posted by taka911 |00:25 | 人物 | コメント(9) | トラックバック(0)
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