2007年07月20日
3+1人、それぞれの7年。
川口能活、中澤佑二、中村俊輔。2000年、2004年の2連覇に貢献し、今大会でもメンバーに名を連ねて、アジアカップ3連覇を目指す選手たちだ。 3人、という数字が多いと見るか、少ないと見るかは人それぞれだろう。ただ監督が変わり、時代が変わり、そして彼ら自身が変わっていく中で、7年に渡って代表に名を連ねている事実だけでも、彼らが素晴らしい選手である事実の証明には十分だろう。7年前の決勝・サウジアラビア戦で中村のFKから決勝点を奪った望月重良は、すでにユニフォームを脱いでいる。7年とはそれだけの年月だ。 ただ彼らの7年とて、決して順風満帆だったわけではない。7年前の2000年大会当時を振り返っても、川口はトルシエに「楢崎正剛の控え」と位置付けられており、直前のシドニーオリンピックでオーバーエージに指名されたのも楢崎だった。アジアカップでの活躍も、そのシドニー五輪で楢崎が負傷し、アジアカップを欠場したからだった。対照的にシドニー五輪でレギュラーだった中澤は、松田直樹の巻き返しに遭ってアジアカップではバックアップに甘んじた。一方、シドニー五輪、アジアカップの両方で不動のレギュラーだった中村にしても、不本意な左サイドでのプレーを強いられた。アジアカップではMVP・名波の気遣いで自由にプレーし、ベストイレブンに選ばれるが、左サイドでの起用はその後も続き、2002年ワールドカップでは選外となってしまった。 この3人の中で、02年ワールドカップメンバーに名を連ねたのは川口だけ。その川口にしても、楢崎に正GKの座を譲った。その後ジーコに監督が代わり、海を渡った中村は全幅の信頼を受けることになるが、川口は控えのままで、中澤に至ってはしばらく声さえかからなかった。 その後急激に地位を確立していくのは川口ではなく、中澤の方だった。2003年、岡田武史監督の下急成長し、横浜FMの完全優勝に貢献した中澤は、シーズン終盤にジーコ監督就任後初招集されると、程なくしてセンターバックの一角を確保し、2004年アジアカップでは鉄壁の守備に加えて3得点も挙げて「影のMVP」と呼ばれた。この大会でのヨルダンとのPK戦が記憶に新しい川口は、海外での不遇で調子を落としていたが、負傷した楢崎の代役で出た直近のワールドカップ予選インド戦での活躍から正GKに返り咲き、優勝に貢献した。ただし大会公式のMVPに選ばれたのは中村。コンディション不良で活躍できない試合もあったが、要所で印象的なゴール・アシストを記録した。 その後も紆余曲折はあったが、昨年のワールドカップでは中心選手としてプレーし、今もオシムジャパンのキーマンとなっている3人。もはや「ベテラン」と呼ばれる域に差し掛かり、衰えを心配される年齢になったが、それでも成長を続けているのは尊敬に値する。川口はミスが減り、冷静さを増してずっと安心して見ていられるキーパーになったし、中澤は持ち前の高さや一対一の強さに加えて、危険な位置に自ら飛び込んでいけるDFになった。中村は筋力のアップやスタミナの充実によるものか、試合ごとの波がずっと少なくなり、守備にも貢献できるようになって「消えている」時間がほとんどなくなった。 GKにDF、MF。各ポジションにそれぞれ経験があって頼れる選手を置いているところが、オシムジャパンの肝か。3大会連続出場は不在のFWにも、頼れるベテランが一人いる。2000年大会では5得点で西澤明訓と並んでチーム得点王、大会ベストイレブンにも選ばれた高原直泰だ。2004年大会は山本昌邦監督からアテネ五輪のオーバーエージに指名され、アジアカップ出場を見送った高原。2002年ワールドカップに引き続き、そのアテネ五輪もエコノミークラス症候群で出場を見送り、昨年のドイツワールドカップでも無得点に終わった高原にとって、今大会は久々に「日本のエース」として申し分のない活躍を見せている大会だ。 そしてこの4人、昨年のワールドカップ初戦、オーストラリア戦でもそろって先発出場している。アジアカップ決勝トーナメント一回戦での再戦は、格好のリベンジの舞台だろう。各ポジションのセンターラインにそろう経験豊富な選手が、チームを難敵への勝利に、大会3連覇に牽引する。もちろん、期待して良いだろう。
posted by taka911 |00:35 |
日本代表 |
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