2008年02月11日
サッカーの試合では大抵、GKがいち早く姿を現して、ピッチ上でのアップを始める。その後のメニューはチームによって様々だが、FC東京の場合は、コーチを交えての三角パスのあとで、二手に分かれる。
片一方はゴールマウスで。もう一方は、バックスタンド側のタッチライン沿いで。
ピッチの横幅が75.4mだから、両者は距離にして30mくらいだろうか。2人のGKが、ボールの感触を確かめるようにして、コーチの蹴るボールを丁寧にキャッチしていることに変わりはない。しかしこの瞬間に、正GKと控えGKとの間には明確に線が引かれる。
昨年5月3日、僕は初めて、タッチライン際で黙々とボールを受ける土肥洋一の姿を見た。
恐らく、塩田仁史が先発するだろうとは思っていた。前年の第33節浦和戦で土肥を押し退け、プロ入り3年目にしてリーグ戦初先発を果たした塩田。開幕戦でこそ土肥に正GKの座を譲ったが、第5節からは、再びポジションを奪い返していた。
だが実際に、ゴールマウスを背負わずにボールを受け続ける土肥の姿を見るのは寂しかった。
僕がスタジアムに行ったとき、いつもタッチライン沿いにいるのは塩田の方で、ゴールマウスには土肥が構えていた。プレーする塩田を初めて見たのは2006年、ナビスコカップでの浦和戦。塩田がファインセーブを連発して浦和の攻撃を無失点に抑えた試合前には、スクリーンに「土肥洋一選手ドイツワールドカップメンバー選出のお知らせ」と、土肥からのメッセージが映し出された。
この時はまだ、両者の“30m”は遠いものに思えていた。
だがこの年の第33節、偶然にも浦和戦で、土肥の216試合連続出場のJリーグ記録を断ち切って、塩田がリーグ戦初先発を果たす。浦和の優勝がかかる大一番で先発を任された塩田だったが、好守を連発して0-0の引き分けに持ち込み、続く最終節にも先発で出場する。
のちに塩田は、初出場の前日の出来事をこのように語っている。
「前日の朝、トレーニングルームで少しだけ目を赤く腫らした土肥さんから『次、俺でないから頑張れよ』と言われました。その言葉はずしりと重かったですね。土肥さんのそういう姿を見たのは、後にも先にもあのときだけですから」(参照リンク)
しかし悔しさを、土肥はピッチに持ち込まない。たとえ両者の「30m」が逆転しようと、ゴール前だろうとタッチライン沿いだろうと、土肥の姿勢は変わらない。派手なアピールも、腐る様子もなく、ただ黙々と、ひたすらにボールを受け続ける。
真のプロの姿を、土肥に見た気がした。同時に、ジーコがなぜ、第3キーパーとして土肥をメンバーに入れ続けたのかもわかった気がした。
その後、一時期は土肥が正GKに返り咲いた。だが、再び彼らを味の素スタジアムで見た4ヵ月後には、塩田がゴール前に、土肥がタッチライン沿いにいた。
以前ほど違和感を感じなくなったその光景から、手元のマッチデープログラムへと視線を落とすと、塩田がインタビューでこんなことを語っていた。
「GKというポジションですから、どうしても試合中にクロスプレーや相手の足元に飛び込んでいくことがあります。万が一、その接触プレーで僕がプレーを続けられない状況になったとしても、土肥さんがいると思えば、思い切ったプレーができます」
その日の試合では、塩田が相手FWの飛び出しに勇敢に飛び出すプレーが非常に印象に残った。
その後、たとえ0-7で試合に敗れようと、塩田がベンチに戻されることはなかった。そしてシーズン終了を待たずして、クラブは土肥と来季の契約を結ばないことを発表した。
04年、05年は0だったリーグ戦出場が、06年は2試合、07年は20試合に。着実に出場機会を伸ばしてきた塩田は、来る08年シーズン、土肥の背番号「1」を引き継ぐ。
今シーズンはもう、偉大な「後ろ盾」はない。それでも塩田はやってくれる。「土肥がいれば……」とは言わせないような、そんな活躍を。塩田の「1年目」に期待している。
posted by taka |18:17 |
人物 |
コメント(1) |
2008年01月29日
1999年ワールドユース準優勝メンバーの活躍が目覚ましい。
GK南雄太は、昨シーズン柏レイソルで33試合に先発し、うち13試合で完封した。
DF中田浩二は、スイスリーグ、バーゼルでレギュラーとして活躍している。
MF遠藤保仁(G大阪)は、イビチャ・オシム、岡田武史両監督から日本代表の攻撃のタクトを自由に振るうことを許されている。小笠原満男は、本山雅志の両選手は従来のアイディアあふれるプレーに、献身的な守備を加えて、鹿島優勝の原動力になった。
FW高原直泰はドイツでの実績を引っ提げて帰国し、浦和レッズの、日本代表のエースとして期待される。浦和で再び2トップを組むことになった永井雄一郎は、ACL決勝でゴールを決めるなど昨年、勝負強さが開花した。播戸竜二(G大阪)も短い出場時間で着実に結果を残している。
小野伸二は、どうか。
「黄金世代」は今年、28歳か29歳になる。日本サッカーをリードしているのも当然といえる、選手として最高の年齢だ。
だが小野はどうか。06年にフェイエノールト(オランダ)から復帰した浦和で、小野は2年間プレーした。その間浦和はJリーグを制覇し、ACL優勝を果たしたが、小野は負傷してばかり。「天才」と形容するしかないようなスーパープレーを見せることもあったが、コンディションは安定せず、期待されていたような貢献はできなかった。
寂しい。
「黄金世代」の全員が、前述のような華々しい活躍をしているわけではない。中にはすでにJリーグを去った者もいる。
それでも僕は寂しい。フランスワールドカップに18歳で出場し、21歳で渡欧。2002年にはUEFAカップを制覇し、日韓ワールドカップでも中心選手としてプレーした。
小野は常に、この世代をリードしてきた選手だったのだ。その小野が、選手として最高の時期に負傷に苦しみ、すでに全盛期の輝きを失っている。それがたまらなく寂しい。
小野伸二のドイツ・ボーフム移籍が決定的になった。
恐らくこれが、小野伸二復活のラストチャンスになるだろう。一連の報道中、何度も目にした“ある関係者”の「伸二は環境を変える必要がある」という言葉は、恐らく正しい。
この浦和に在籍したこの2年間は、失望の連続だった。大半は負傷で欠場し、出場してもその多くは、ベストの彼とはほど遠いプレー。06年ワールドカップ・ドイツ大会、オーストラリア戦で逆転負けを喫した帰りのバスで、マリオカートに興じてジーコの怒りを買ったというのもどうやら事実らしい。
それでも僕は、小野を嫌いになれなかった。かつての彼の輝きを思い出し、浦和での2年間にも断片的に見せたまばゆさを目にしては、彼を嫌いになることなどできなかった。
そんな彼の輝きが、ドイツで戻ってくることを。彼の楽しいサッカーが、ドイツにあることを。
それを祈って、今一度、小野伸二にエールを送りたい。
posted by taka911 |13:09 |
人物 |
コメント(6) |
2007年12月16日
2人がまだ、東京Vに在籍していた頃だったと思う。以前相馬崇人が、
「ワシントンはヘディングはそんなに得意じゃないから、ハイクロスより低い足元へのクロスが有効」
という趣旨のことをインタビューで語っていた。
日本での、レッズでの最後の2ゴールは、ヘディングによるものだった。
189cmと長身のワシントンだが、相馬の言葉通り、決してヘディングを武器にした選手ではなかった。だが相馬の「ハイクロス」に合わせ、長谷部誠のFKに合わせて、クラブワールドカップ3位決定戦で2ゴールを決めた。
「本当にお世話になっているし、感謝している。一生忘れないサポーターです。最後の試合だったし、サポーターに恩返しするつもりで臨んだ」
フルミネンセ(ブラジル)への移籍が決まっているワシントンの決別の2ゴールが、浦和を大会3位に導いた。
ストライカーの教科書のような選手だった。
前年に浦和を退団したエメルソンのようなスピードがあったわけではない。シュートを打ちやすい場所にしっかりコントロールするファーストタッチの巧みさと冷静かつ正確なシュートで、エメルソンを上回るペースでゴールを量産した。
こうした要素は、日本人にも真似できるものだと思う。体躯に恵まれてはいたが、決してそれに頼っていたわけではなく、身体の「幅」とボディーバランスの良さを利用したボールキープは、むしろ「自分を良く知っている」という印象だった。
32歳になる今年は運動量の減少から批判されることもあった。また退団の原因となったオジェックとの確執からか、それまでの模範的なイメージから一転、決して褒められたものではない言動も見られた。
だがストライカーとしての本能は錆びつきず、Jリーグでは26試合出場で16得点。ACL、クラブワールドカップでは、勝負を決める印象的なゴールで勝利をもたらした。
シュートを打ちやすい場所に、正確にボールをコントロールすること。強烈ではなくとも、GKの取れない場所に冷静にキックすること。そして己を知ること。ワシントンは、我々日本人にストライカーとは何かを教えてくれる存在だった。
来年からその雄姿を見られなくなるのが残念でならない。
posted by taka |21:13 |
人物 |
コメント(7) |
2007年11月21日
現代サッカーはより器用で、何でもできる選手を欲する。
それはしばしば、FWに守備やポストプレーを求めるとの文脈で語られるが、DFも例外ではない。病床に臥すイビチャ・オシム監督が坪井慶介よりも阿部勇樹を重宝するように、現代サッカーはDFにも器用にパスをつなぎ、チャンスには攻撃参加できる能力を求める。
ただしオシムは、それを日本に持ち込んだ最初の人物ではない。フィリップ・トルシエは、中田浩二をDFにコンバートしたように、すでにDFのロングパス能力の重要性を訴えていた。
だがトルシエ自身は、ボール扱いは下手で不器用なDFだったという。そんな自分を称してトルシエは言う。
「私は秋田のような選手だった」
秋田豊(鹿島-名古屋-京都)が、今シーズン限りでの引退を発表した。Jリーグ創設の93年からプレーする数少ない一人である秋田は、現在37歳。J1で391試合、J2で14試合、日本代表で44試合でプレーしたキャリアに幕を下ろすことになった。今は「すがすがしい気持ち」だという。
キャリアのハイライトは、3冠王者に輝いた00年、Jリーグで2年連続の年間王者に輝いた01年か。個人的にも01年のチャンピオンシップは印象深く、第1戦では福西崇史に競り勝ってヘディングで得点し、第2戦では肩を外しながらもテーピングしてフル出場した。中山雅史とのやり合いは当時のJを象徴する名勝負で、この00年、01年には2年連続でJリーグベストイレブンに選ばれている。
惜しむらくはこの全盛期に、日本代表監督がトルシエだったこと。前述のようにロングフィードの精度をDFに求めていたトルシエは、秋田を評価しながらも重宝しなかった。
ただそれで、秋田の実力が否定されるわけではない。ポジショニングが良く、強靭な肉体を持っていた秋田の対人能力の高さは、日本サッカー史上屈指のもの。180cmとDFとしては決して大柄な選手ではなかったが、空中戦では無類の強さを誇った。
印象的なエピソードを挙げれば、1997年のワールドカップ予選でのこと。移動のバスの中で、各選手の良いプレーを集めたビデオが流されたのだが、「秋田はヘディングばかりで笑ってしまった(名波)」という。
またバスの中で、いきなり秋田が「あー、ヘディングしてえ」と叫んだという逸話も残っている。練習熱心で真面目な性格で、ヘディングという武器を磨き、その武器に絶対の自信を持って日本代表まで上り詰めた努力の男だった。
その姿勢は若手からの尊敬と、多くの監督からの信頼を生んだ。トルシエが日韓ワールドカップの最終メンバーに秋田を加えたのも、そうした姿勢への信頼と敬意からだろう。
秋田豊がピッチを去る。人に強いがボール扱いは不得手な、前近代的なセンターバック。だが僕は、このヘディングの巨人のことを忘れない。
posted by taka911 |00:25 |
人物 |
コメント(9) |
2007年08月28日
残念な結果に終わったU-17ワールドカップだが、唯一のプロ選手、柿谷曜一朗(C大阪)のプレーは鮮烈な印象を残した。
負傷を抱え万全の体調ではなかったが、それでも2得点と結果を残したのには「さすが」の一言。得点シーンはいずれも素晴らしいものだったが、とりわけてハーフウェイライン付近からの超ロングシュートを決めたフランス戦でのゴールは見事だった。
日本代表での超ロングシュートと言えば、小笠原満男(鹿島)のゴールを思い出される方も少なくないのではないか。小笠原が50mシュートを決めたのは、2006年2月のフィンランド戦。このスーパーゴールには、当時のジーコ監督も賛辞を惜しまなかった。ちなみに小笠原は、私が記憶しているだけでもこの他に3本の超ロングシュートを放っている。1本はJリーグで、1本は天皇杯で、そしてもう1本はワールドカップデビュー戦、チュニジア戦でのもので、そのうち天皇杯でのものはゴールネットを揺らしている。GKの隙を突くロングシュートは、小笠原の得意技の1つだ。
またサッカーの歴史を紐解けば、あのペレもまた70年ワールドカップで、ハーフウェイライン付近からゴールマウスを狙って観客を驚かせている。グループリーグ、チェコ・スロバキア戦での出来事で、数cmの差でゴールマウスを捉えることは出来なかったが、これは当時としては非常に画期的なプレーだった。
「ビデオを見て、ヨーロッパのキーパーが前に出てくるのはわかってた」
というのが、試合後のペレの弁。彼の観察力の高さが窺い知れる、有名なエピソードの1つだ。
この種のロングシュートを決めるのに要求されるものは3つ。遠距離からでもGKの位置を捉える視野の広さ、常に隙を狙う積極性、正確なキックの技術だ。
17歳の柿谷に驚かされたのは、このうちの3つ目だ。視野の広さ、積極性があるのは、これまでのプレーからわかっていた。しかし筋力的にはまだまだ未熟に見える彼が、50mの位置からでも正確にゴールを射抜くキック力を兼ね備えているとは、思っても見なかった。
それにしても末恐ろしい才能だ。あれで身体が出来てきたら、果たしてどれほどのレベルのプレーヤーになるのか。期待せざるを得ない。
もっとも期待された選手が、期待通りに成長していかないのがサッカー界の常。あの中田英寿氏にしても、期待通りにステップアップしていったわけではなかった。
だから森本貴幸(カターニャ)にしても、過度の期待は禁物だ。だが優れた若き才能を見て、期待するなと言うほうが無理と言うもの。柿谷の素晴らしい才能は、あのフランス戦の見事なロングシュートが物語っていた。
posted by taka911 |07:00 |
人物 |
コメント(6) |
2007年08月16日
8月19日、北京五輪最終予選ベトナム戦に挑む日本代表メンバー19名が発表された。
最終予選の初陣となる今回は、2次予選を戦い抜いた中心選手に、U-20ワールドカップを終えた「アンダーエイジ」の選手を加えたメンバー構成。個人的にはFW森島康仁(C大阪)、MF梅崎司(大分)の落選は残念だが、これが「実力のある選手、チームで活躍している選手、そして神戸合宿、または中国のトーナメントを通じて、力のある選手、チームに貢献できる選手を選んだ(反町監督)」結果なのだろう。
このメンバーの中で異色なのが岡崎慎司(清水)。U-20世代を除けば、2次予選でほとんど出番がなかった唯一のフィールド・プレーヤーだ。
今季から所属の清水で出場機会をつかんだ岡崎は、ガムシャラにゴールに向かう姿勢が魅力のストライカー。、Jリーグでの出場時間を延ばすとともにここまで5得点と結果も残して、U-22代表のポジション争いにも食い込んできた。
現状での位置付けは、平山相太(FC東京)、李忠成(柏)に次ぐFWの3番手だろう。だが「大人しい」と評されるこのチームにあって、闘志を前面に押し出してゴールに迫る彼は、プレースタイルにおいても異色の存在。得意技のダイビング・ヘッドは彼の勇気の象徴であり、出場した際にはチームに勢いを与える豪快なゴールを決めてほしい。
posted by taka911 |23:04 |
人物 |
コメント(0) |
2007年08月15日
かつてある社会学者は、スポーツ選手の肉体を「スポーツをする身体」と表現した。そこには作られた肉体、というニュアンスが大いに含まれており、優れたアスリートは継続的な鍛練と摂生によってその肉体を「スポーツをするための身体」として完全なものへと近付けてきた。20世紀の陸上競技の記録の向上は、スポーツ科学の“肉体を作る技術”の向上と決して無関係ではない。
だがある者は薬物、ステロイドのような筋肉増強剤を用いて完全へと近付く。かつてのワールドカップ・ウィナーやメダリストが晩年になっての内臓疾患や男性化で、破滅にもまた近付いたことを教えてくれたとしても、だ。
スポーツと薬物。本来決して共存してはならない両者は、近年の検査技術の向上やIOCの厳しい取り締まりによって、随分疎遠になったと思われた。
だが1人の偉大なホームラン・バッターが、我々に薬物の問題をつきつける。
バリー・ボンズ。
先日メジャー・リーグの通算ホームラン記録を塗り替えたボンズは、限りなく“クロ”に近い薬物疑惑のせいで強烈に批判されている。先程私は「偉大なホームラン・バッター」と書いたが、時にはその偉大ささえ全否定されるほどだ。
彼の薬物疑惑の経緯については他に詳しいサイトがあるので、ここでは省略する。私もすでにそれを読んだが、だが私は、ボンズを否定しない。
薬物使用は、恐らく事実だろう。ニュース映像で見たが、以前のボンズは今よりずっとスリムで、走・攻・守3拍子そろった選手だったという。当時の体重は、90kg弱。それが今では筋肉で膨れ上がり、110kgに迫るという。
それでも私がボンズを否定しないのは、1つは筋肉がすなわちホームランを生み出すわけではないから。筋力がボンズのホームラン量産の助けになったのはまず間違いないだろうが、筋肉がホームランを打ったわけではない。正確にボールを捉え、筋力を余すことなくボールに伝えるバッティング技術があってこそ、ホームランが生まれたのだ。
またメジャー・リーグには、ドーピングに甘く、ステロイドが禁止されていなかった時代がある。ボンズはその過渡期を過ごした選手であり、彼を責めることはつまり、「禁止薬物でなければ服用してもいいのか」という倫理面の問題になってしまうのである。
とはいえ、今後のスポーツ界では、ボンズのような選手を産み出してはならない。ドーピングは否定されるべきもので、肉体を作り上げる手段では断じてないのである。
posted by taka911 |11:14 |
人物 |
コメント(0) |
2007年08月07日
自分のプレー
本日7日発売の週刊サッカーマガジンの表紙は、田中達也(浦和)だった。
巻頭インタビューで、リハビリ中の焦りにも似た想い、今年の目標などについて語った田中。詳しくは書店やコンビニでサッカーマガジンを手に取っていただければと思うが(注・僕はベースボール・マガジン社の回し者ではありません!)、印象的だったのは、「今年の目標は、自分のプレーをあと半年間やり続けること」と語る一方で、今月1日の広島戦の出来を「目指すところの『6割から7割って出来』」としているところ。昨年、復帰直後はゴールを重ね、代表にも復帰したが、その後パフォーマンスを落として浦和でのポジションも失ったのが、相当に悔しかったらしい。
インタビュー中、何度も繰り返された「自分のプレー」という言葉。それを取り戻し、続けることを目標とする田中を、心から応援したい。
負傷が物語る真価
さて、一昨年の秋に右足首の脱臼骨折という重傷を負った田中は、そのリハビリで昨季の開幕には間に合わなかった。今季もまた、昨年末の、足首に埋められたボルトを抜く手術の影響で、リーグ戦初出場を6月17日のFC東京戦まで待たなければいけなかった。
それでも現在では、選手層の厚い浦和で、レギュラーの座をがっちりキープしている。3年間指揮を取ったブッフバルト監督が退任し、オジェック新監督が新たに就任したにもかかわらず、である。思えば昨年も、復帰直後の試合からブッフバルトに2トップの一角、あるいは1トップとして起用され、オシム監督にもいきなり代表に招集されていた。
2年連続で開幕に出遅れ、100%ではないながらも結果を出している田中を見ていると、「もしも負傷をしていなければ」とも思ってしまう。だがその余りにも無意味で、今を全力でプレーしている田中に失礼な仮定を抜きにして考えれば、この負傷が逆に田中の価値を物語っている、とも思う。
開幕に出遅れていながら、永井雄一郎、小野伸二、長谷部誠らとの争いを制して、レギュラーポジションを獲得する。「自分のプレー」が出来ないうちから、オシム監督が期待を掛け、代表復帰を期待していることが報道される。それだけでも、田中がいかに優れた選手かがわかるだろう。皮肉なことだが、田中の真価はこの負傷禍が証明している。
取り戻せ!
だから問題は、彼が「自分のプレー」を取り戻し、続けられるのか。彼のひたむきにドリブルで突き進むプレースタイルを見ていると、それを期待せずにいられない。彼の一生懸命なプレーを見ていると、それを信じずにはいられない。
がんばれ、達也! 誰もがきっと、達也の復活に期待している。
posted by taka911 |21:26 |
人物 |
コメント(2) |
2007年08月07日
ティエリ・アンリのバルセロナ移籍というビッグ・サプライズを生んだ、今夏の欧州サッカー移籍市場。今話題なのは、スペインはスペインでもバルセロナではなく、永遠のライバル、レアル・マドリードの方だ。
というのも、レアル・マドリードがチェルシーからオランダ代表FWアリエン・ロッベン、ドイツ代表MFミヒャエル・バラックの2人を獲得するうわさがあるから。上記のリンク先の記事(英文)によれば、バラックはチェルシーの公式ホームページ上にてレアル・マドリードとの接触を否定し、クラブへの忠誠を誓ったようだが、移籍市場が閉まるまでは、何が起こっても不思議はない。
ただこの移籍の成立なくして、レアルはバルサに太刀打ちできるのだろうか。バルセロナはフランク・ライカールト監督が守備を軽視しない限りは、エトオ、メッシ、ロナウジーニョ、アンリのうち1人が、デコ、シャビ、イニエスタのうち1人がベンチに座ることになる。この7人、バルサ以外のクラブならまず間違いなくレギュラー、いやそれどころかエースとして君臨していることだろう。
そのバルサと比べると、レアルはどうしてもタレントの質、量で見劣りする。昨シーズンはカペッロ監督の下、現実路線と終盤の勢いの差で優勝をつかんだレアルではあるが、今季就任したシュスター監督には、スペクタクルも求められる。そうなると、前線の個々人の技量の差が物を言うのではないか。
それにバラック、ロッベンの獲得は、スペクタクルと勝利の両方を保証するものではない。ロッベンは負傷がちという欠点があり、バラックはチェルシーでは全くと言っていいほど実力を出せなかった。その二人を獲得できたところで、果たしてレアルは、バルサの領域にどこまで近づけるのか。鍵はロッベンのフル稼働と、バラックの復活だが、それも獲得に成功すればの話であって……。
posted by taka911 |00:34 |
人物 |
コメント(2) |
2007年06月03日
反町康治現U-22日本代表監督が、新潟の監督を勇退したばかりだった昨年2月の話。当時解説者だった反町さんは、日本対米国戦で巻の代表初ゴールをアシストした加地のクロスを、サッカーマガジンのレビューの中で「捨てクロス」と表現した。
「捨てクロス」とは、中央をろくに見ずに入れるクロスのこと。反町さんいわく、しっかりと狙って蹴ったクロスは相手DFにとっても軌道が読みやすいため、こちらの方が得点に結びつく確率が高いという。新潟の監督時代にも「中央を見ずに上げろ」と指示していたというから驚きだ。
さて、ブラジル戦でイングランド代表に復帰し、いきなりジョン・テリーのゴールをアシストしたデビット・ベッカム。彼はクロスを「捨てない」。右サイドでボールを受けると、中央をじっくり見てからクロスを送る。
それでもアシストの山を築けるのは、「止める・蹴る」の基本技術が本当に高いから。パスを受けると、一番ボールを蹴りやすいポイントにファーストタッチでしっかりとコントロールし、左腕を大きく振り上げる独特のキックフォームからラストパスを送る。その一連の流れはリプレーを見るように一定で、さながら精密機械。捨てクロスとは対照的に、ボクシングでいえばテレフォンパンチ、「さあ、今からクロスを上げますよ」と言っているようなものなのだが、防ぐことは極めて難しい。
ベッカムは「捨てない」。だが捨てる必要もない。あれだけ正確な技術があるのなら、意表を突くことなく、しっかり狙って蹴ったほうが得点率は上だろう。
そのベッカムは、今年の夏から米国に移籍する。あれほど一定のフォームで蹴れる彼が、努力を重ねてきたことは想像に難くない。彼は間違いなく、米国のサッカー選手にとって最高の手本になる。
それはつまり、かつてJリーグにドゥンガや、ジョルジーニョらがいたように。米国が少しうらやましい。
posted by taka911 |00:10 |
人物 |
コメント(2) |