2008年04月07日
【その他】ドーピングとエキサイティングは比例しない。
とある、スポナビのブロガーさんのコラムを読んで、どうしても納得のいかないことがあったので、短めに投稿させて頂きます。 サッカーだけではなく、すべてのスポーツに関する話です。 その1つは「ドーピングとエキサイティングは比例するか?」と言うことであり、そのブログの管理人さんは、(ドーピング漬けの)カブレラがいなくなったら、面白くないと思う人はゼロではなく、カブレラの大ホームランに興奮する人もいます。という見解に落ち着いています。 もう1つは、「ドーピング撲滅におけるデメリット」です。 ドーピング撲滅と公平性だけを叫び、厳しく取り締まっても、それにより市場の機能が低下しスポーツの面白みを失ってしまうことが考察されており、巨大市場であればあるほど、ドーピング撲滅という安易な答えに持っていくべきではないと説いています。 対処法として、安易に規制を厳しくする方向ではなく企業努力が必要であるという部分は若干頷けますが、ドーピングとスポーツは、スポーツの隆盛(市場原理)を妨げないようニーズに沿って上手くバランスをとるべきだという見解を示されています。(※ドーピングを許すということではないようですが。) --------------------------------- 自分はこの論に真っ向から反論します。 ドーピング撲滅、厳しく取り締まるという「楽な案」これで良いと思います。外野の声だろうと市場から離れた団体からだろうと、ここから始めないと動きません。何があろうと、スポーツの隆盛を妨げようと、市場に大きなダメージが起ころうと、真っ先に撲滅に向けてまい進するべきです。社会が限りなくグレーであろうとも絶対にその存在を許してはいけないと思います。 当事者が名声を得た人であれば、尚更です。 管理人さんは、規制による市場低下は良くない、また、市場の上昇により薬漬けで死者が出ることを最悪と書いていますが、選手の命が絶たれてしまうことは決して最悪ではありません。 ドーピングは本人がして本人が責任をとれるレベルの話ではありません。 ドーピングをしている。これが例えグレーなレベルの噂であったとしても、綺麗なだけの言葉と同じで、名声を得た人物の行動は簡単に社会に蔓延していくのです。そしてそれは、単なる筋肉増強剤に留まらず、非合法且つ危険なモノへと突き進み、周りをも巻き込み、より深い犯罪へといざなってしまうのです。これこそが最悪です。 名声を得た人物の「違反」というのはそれ程重いものなのです。 人気の絶大な選手だろうが、違おうがしてはいけませんし、臭わせる環境も得てはいけません。 また、「違反」と上手く付き合って隆盛していくスポーツなど願い下げです。バランスを上手く取ってきたが故に、隆盛しているなど思いたくもありません。そんなことは持論認めませんし、それがスポーツの姿だというならスポーツなど無いほうが良い。 ですので市場が低下しようが、スポーツの面白みが損なわれようが(そんなもので損なわれると思いませんが)、第一に厳しく取り締まり、存在していないという状態に持っていくべきだと思います。 きれいごとと言われるかも知れませんが、「違反」の温床を生み出す流れをスポーツ界で許すべきではないと思います。 オーバー。
posted by syuwdow |11:54 |
サッカー激辛改革論! |
コメント(6) |
この記事に対するコメント一覧
(事務局では、サービス全体の雰囲気醸成の為、全コメントをフィルター/目視チェックし、削除等しております。見逃し等も有りますので、ご不快な思いをされた場合は、事務局宛 support@plus-blog.sportsnavi.com にご意見頂けると幸いです。)
【その他】ドーピングとエキサイティングは比例しない。
同意。
posted by なお | 2008-04-07 16:27
【その他】ドーピングとエキサイティングは比例しない。
同感です、ごもっともだなと思います。
禁止・監視体制の運用や判別など、もっと適切にしなければなとは思いが、絶対にドーピングは禁ずるべきと考えます。
ドーピングをストップさせても、それではなにも生まない、単なる節約であって高度なコストダウンではない、市場を踏まえるべきだ、こんなすごい論理があり得るのかと感心してましたよ。
まあ誇張でしょうし、どんなご意見も尊重しなきゃいけませんけどね。
市場についてはどうでしょうか。市場原理は利潤動機と競争によって効果を発揮し、能率的で素晴らしい。競争に敗れた会社や組織は退場すればいい。そうすれば優れたものだけが残って幸せ。公共の福祉にも適います、エンターテインメントです。
一方、そんな一面的な理屈とは別に、人間が生活する社会の原理っていうのがあるはずですね。
能力が低ければ、その低層労働人が退場すればいい、はずがありません。
仮に会社が競争に負けて退場しても、会社の構成員だった人々などは、別途普通に生計を営めるようでなくては話にならないでしょう。
だいたいが、懸命に節約する貧乏社会人と、「努力した結果が報われた」経営層やら投資家などとの間に、スポーツ競技のような公正な競争はあったのでしょうか。
市場原理を基盤にした世の中も、人間がかたちづくった、ある意味仮構でもあります。
「努力が報われた」層は、そうでない人間なりサッカー・クラブなりを、資本蓄積こそが必須の「自由な」競争に巻き込みたいものかもしれないですね。
自分たち少数がなおさら富む見込み、強くなる可能性を認識しているからです。
競争が公正でなくても、利潤動機を公正だとし、それですべて公正なのだとしてしまう論理もつくれますしね。
公正な競争って何のことって、考えて行動するのが大事かなと思います。地球的というと、いいことのように感じちゃいますが、中身はいろいろ、非常に皮相的で笑っちゃうものも多いです。
posted by コリバノフ | 2008-04-07 20:13
【その他】ドーピングとエキサイティングは比例しない。
はじめまして、いもあんと申します。
多分あの記事の事だと思うのですが、公平性の観点からドーピング規制の基準を決めると際限がなくなってしまうという事ではないかと思います。
ドーピングをしてでも試合を盛り上げろというような意味ではなくて、条件をフラットにする為にドーピング規制を行うのはまずいという事だと思うんです。
体に害を及ぼすような薬品を用いるのはもちろん厳しく禁止すべきですが、公平性を守る為にドーピング規制を行っていけば極端な話、ごく普通の食事にまで規制が及ぶのではないでしょうか。
かなり極端に考えれば公平性の観点から見た時に、調理の仕方や素材の良し悪しなどで筋力の付き方や疲労回復などに差が出てはいけないという事になると思うんです。
個人的にはドーピングの規制はあくまでも選手を守る為のものでなくてはならないと思います。
ドーピングによる直接の健康被害やそれをきっかけにしてドラッグに手をだしたり、そういった薬物を作る企業などが選手を道具として利用する事を防ぐ為に規制すべきだと思うのです。
スポーツにおけるルールはそのスポーツを面白くする為にあるもので、決して公平性を保つ為にあるものではないと思います。
ですのでドーピングの規制も選手の健康や権利を守る事でスポーツの面白さを守る為にあるべきなのではないでしょうか。
posted by いもあん | 2008-04-08 01:55
【その他】ドーピングとエキサイティングは比例しない。
こんにちは、コメントありがとうございます。
いもあんさんへ。
美味しそうな名前ですね、鹿児島にも紫芋あんと言うものが(’’
…置いといて、なるほど、公平性の延長に、ドーピングを通り越して、食事規制(など)にまで発展していくのを危惧すると言うことですね。
衣食住、生きる上での、富の自由である「食」。普段の考えならありえない場所まで違反対象として侵食されてしまうと…一理あるとは思いますが、そこまでの関与に頷くアスリートやファンはゼロに等しいかと思います。
選手を守る為のものでなくてはならない、それも一理あると思います。勿論、「故意であっても」離脱者を出さないのは大事です。しかし、現実、我那覇選手のように「故意ではない」件に関して、選手は守られたでしょうか?何故、摂取に及んだかを解明する前に、事実だけが先走り、真実は後回しにされなかったでしょうか?
名のある人が違反に及んだと言う事実だけが先行し、社会にダメージを及ぼしたのが現状の姿ですから、守る為よりも「違反しない為」にドーピング規制はあるべきであり、ドーピング撲滅を言葉にし、その重さを理解し、皆が「NO」と言える状態を作る。他の「違反」に関してもその健全な行動の効果は表れると思います。ドーピング撲滅は、その為にあるんだと考えていくべきではないでしょうか?
コリバノフさんへ。
そうですね、エンターテインメント性の追求の裏側に人間が生活する社会の原理があると私も思っています。
過去にですが、Ⅱブログに「137/138の考え方」っていうのを書いてます。
138というのは、昨年、鹿児島の桜島で行われた小学生のサッカー大会に参加したチームの数です。で、137は敗れたチームの数です。1/138の勝利したチームを軸に考えるのではなく、137/138を中心に考える。頂に登ろうとするのは、後ろを振り返り、共感できる仲間を増やす為であると。また138以外が138に入れるようにすることの大切さを説いています。ゆとりとはまた違った論になります。
なおさんへ。
同意ありがとうございます。より楽しむ為に「違反」が存在しない状態に持って行きたいものです。
posted by 管理人です | 2008-04-08 15:47
【その他】ドーピングとエキサイティングは比例しない。
いもあんはおいしいですね。
和菓子や洋菓子に使うのもいいですが、豚肉の表面に塗ってオーブンで焼くというのもなかなか…って話は置いときます。
食事の例はかなり極端なケースです。
ただ公平性の観点から規制を行っていくと高地トレーニングなども規制の対象になってくる可能性もありますし、ビタミン剤などについてそれを入手できる人とできない人の差を埋める為に規制を行うのはナンセンスです。
ドーピングは選手に害をもたらすから規制されるのであって、ある人と無い人の差を埋める為に規制されているのではないと思うんです。
ズルしたから罰せられるという事であってはいけないと思うんですよ。
スポーツで成果を上げる為に自分の健康や精神を犠牲にした事に対して罰せられなくてはならないと思うんです。
個人的には選手がスケープゴートになってしまっている部分もあると思うんですよ。
日本では特に顕著ですがドーピングに対する教育は置き去りになっているのに規制ばかりが先行してしまっています。
ツール・ド・フランスにおけるアームストロング選手の様にドーピング規制が選手を陥れる為の道具になってしまっているのではないか?と思えてしまう場合もあります。
多分、ドーピングに手を出す選手の精神状態はまともではないと思います。
必ず追い詰められた選手に悪魔のささやきを行っている人達がいるはずです。
そういう人や組織をきちんと取り締まる事も必要ですし、規制だけに頼らずドーピングの危険性などに関する一般レベルでの教育をきちんと行っていく必要があると思います。
規制や罰則の強化だけでは犯罪抑止への効果が薄いようにドーピングの問題も同様の部分があると思うんです。
ドーピングを無くしていくにはただ規制を強化したり基準を広げたりするのではなく教育を通じて選手が自発的にドーピングを否定したくなる環境を作っていく事が必要だと思います。
その為にはドーピング規制のスタートラインは公平性を守るという考え方では無く選手を守る為という目的の為でなくてはならないのではないかなと思うんです。
あくまでも選手を守る為という事をベースに私達のような一般人を含め社会的にドーピングを否定する気運を作っていく事が重要で、現状のドーピング問題の様に規制強化ばかりが先走っている状況では本当にドーピングを撲滅していくには物足りないと思うのですがいかがでしょうか。
posted by いもあん | 2008-04-08 20:04
【その他】ドーピングとエキサイティングは比例しない。
まず理解して欲しいのは、事の重さなんだけど、「他人が受ける影響>本人の命」なんだよ、ドーピング「違反」をするって言うことはね。
本人の命ぐらいじゃ責任取れないのです。それを理解することが、「違反」を無くす事の第一歩なんです。だから常に「違反」がダメな事を言い続けていかなきゃいけないと思います。
個の差が理不尽だとか、企業が一部の選手を祭り上げる為に、貶める為に規制しているとかじゃ無くてね。
それは、いもあんさんの言う「スポーツで成果を上げる為に自分の健康や精神を犠牲にしたから」であって、また私の言う「名声を得た人物の行動は簡単に社会に蔓延していくから」なんです。
何でアームストロングがそうなったか?真実は企業が貶めようとしたからではなくて、彼が楽な方法で肉体改造をしてしまったからでしょう?それを見て世の中が自分もそうしようと思わないようにするためでしょう?
厳しくした側にもそれなりの名分があると思います。
お互いの見解は結構一致してると思います。違うのは本人の為か、周りの為か、だけではないでしょうか。
カブレラを喜ぶ人もいるから、規制ではなくバランスを取るべきという意見とは、お互い違うんではないでしょうか?
posted by 管理人です。 | 2008-04-09 22:12


