2008年04月29日
スイムスーツの件
本づくり真っただ中、さまざまな立場の関係者の方から情報をいただいた。 それぞれの立場で大切なものが変わってくる。それは当たり前のこと。 ただし、4年に1度のオリンピックはだれのためのものか。 もう一度、考えてほしい。 もし水連が現在のスタンスを貫き北京五輪を迎え、 選手の結果が思わしくなかったとする。 あの水着を試着して気にいっていた選手は口にこそ出して言わないだろうが、 「スピード社のあの水着が着れていれば…」ということなる。 もし仮にスピード社の水着の着用を日本人選手が許されたとする。 そして結果が出なかったら、「努力が足りん。水着など関係なかったじゃかないか」と 言う人が出てくる。 これはあくまで仮定の話だが、いまのままだとこうしたすっきりしないドロドロとした北京五輪後が見えてくる。あと約100日。 水泳連盟は大会期間中、現在契約中の3社以外の水着の着用は北京五輪では認めないという立場を貫いた。 にもかかわらず、大会翌日にはスピード社の例の水着を日本代表選手が試着した。 そして具体的にその効果を体感して好感触を得た選手がいた。数字にも表れた。 水連は3社に水着の改善要求を嘆願した。結論がいつ出るかは明確にされていない。 複雑な事態となったときこそ、原点に返って考えよう。 水着はだれのものなのか? そしてオリンピックを戦うのはだれなのか? 現在の状況をよく把握したうえで、水泳連盟の事態収拾を一刻も早く望みたい。 牧野 豊
posted by swimming-m |00:01 |
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