2009年12月29日
男子決勝
明成 69(14-13、22-15、14-21、19-7)56 福岡第一
初優勝
男子3位決定戦
福岡大大濠 95(34-21、26-18、13-34、22-15)88 北陸
優秀選手賞
畠山俊樹(明成#6・3年)
高田歳也(明成#10・3年)
玉井勇気(福岡第一#8・3年)
二宮弘憲(福岡大大濠#4・3年)
リュウ 孟涛(北陸#9・1年)
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2009年12月29日
「来年は絶対優勝してね。優勝してくれたら、今日優勝したみたいに喜べるから」。
ちょうど1年前のこの日、2点及ばず準優勝に終わって涙する#10イブラヒマに、今はアメリカ挑戦しているインサイドの相棒・早川ジミーが掛けた言葉である。早川はついに、単独チームとして優勝を経験することはなかった。
もしもイブラヒマがその1年後のコートに立ち、3年分以上の悲願を叶えることができたら、その約束を覚えているか訊いてみようと思っていた。
しかし、その悲願までの道のりはあまりにも険しかった。第1シードで臨んだとはいえ、大会直前に井手口孝コーチの身内に不幸があり、追い込み仕上げるべき練習をほぼ選手だけで行った。主力の#6和田、園も怪我を抱えていた。そしてチーム初戦でインサイドの要・#10イブラヒマまで負傷し戦線離脱となった。
それでも、練習は「先生が観ていてもたとえ観ていなくても同じ練習をしようと、翔(#4山崎キャプテン)がチームを引っ張ってくれた」(#7園)とカバーし、イブラヒマのいない準決勝も結束力で快心のゲームを披露した。さらに、「決勝で第一と決着をつけたい」と快進撃を続けてきたものの準決勝で力尽きたライバル・福岡大大濠、そして#7園・#8玉井の中学時代のチームメートである北陸の主将・占部賢人の想いも背負っていた。一方、師への恩返しを誓い、1試合ごとに輝きと勢いを増していった東北の雄・明成と、そうした譲れない思いをぶつけ合った結果、彼らは敗れた。
3年連続準優勝。それが彼らのウインターカップでの結果である。
「3年連続準優勝の理由…うーん、なんですかね。わからないですけど、ビラ(イブラヒマの愛称)がいたから勝ったとか、いなかったから負けたとか言われるのが1番嫌だったので、こういう状況でも勝ちたかったです。でも最後はやっぱり…バスケットのチーム=スタメン5人になる。もちろん皆でやってきたんですよ。でも練習から全てその5人で繰り返して、話し合って、積み重ねてきたので、その1人が欠けたというのは大きかったです」(#8玉井)
試合直後、彼らは悔し涙しかなかった。
「インサイドで点数が取れない分自分がやらなければという気持ちが空回りしてしまって、決めないといけないシュートを決め切れないというミスが何回もあった。その分ディフェンスやルーズボールでカバーしないとと思ってやったんですが、大会前に3週間怪我で練習できなかったので試合勘が戻らなくて、結局自分のミスで皆に迷惑をかけてしまって申し訳なかったです」(#6和田)
「これで優勝したら本物だろうと皆に見せたかったですが、決勝はいらないミスが多過ぎた。それを点に結び付けられていたら、前半からリードすることができたと思います。何より自分のシュートミスやファールが多くて、迷惑を掛けてしまいました」(#7園)
迷惑を掛けた。それはしかし、彼らの責任感の裏返しの言葉であり、彼らがチームにとってどれだけ影響力を持つかを表してもいる。
やはり昨年と同じ、優勝チームの記念撮影が行われているメインコートの裏で、彼らは集まった。
井手口コーチも目に涙を浮かべながら、ねぎらいの笑顔を浮かべて拍手した。スタンドで声の限りに応援していたメンバーもやはり、号泣しながらそれに続いた。
そのあたたかさに、イブラヒマは輪を離れて顔を覆った。1度は折り合いをつけたようだった和田も膝から崩れた。普段はひょうひょうとしている玉井もうつむき、どっしりとして落ち着いている園も目を赤くした。
それは悔し涙だけではなかった。
「皆には“ありがとう”って、“よく頑張った”って言われました。このメンバーで3年間過ごせて…すごくよかったです」(和田)
「3年間ありがとうと。自分も皆に、特に3年生には色々お世話になったので、“ありがとう”と言いました。この1年は、インターハイで優勝できましたし、国体とウインターカップは優勝できなかったんですが、いいチームができたので、充実していたと思います」(園)
「ここまで来られたのは、メンバー外の皆の応援だったり、サポートだったりのおかげです。今年の3年は賑やかで、皆で頑張れました。試合に出ていないメンバーも助言してくれるというのは以前はなかったんですが、今年は多くあって、とてもいい代に恵まれたなと思います。誰がエースとか、誰が最後にシュートを打つとかではなくて、皆がそれをできるチーム。最後まで皆でできたので、それはよかったと思います」(#8玉井)
和田、園、玉井。この3年生トリオははからずも、高校3年間で成長した点にプレー的なことではなくメンタル面やオフコートの礼儀などを挙げた。それはこのチームを卒業していったあとも生きる、欠けがえのないものである。
主役はバトンタッチされた。またちょうど1年後の、この日へ。
2年間主力を務めてきた実力者が抜ける新チームへ、玉井から最後のメッセージがある。
「周りからは弱いだとかなんとか相当言われていますが、それを覆してほしいという気持ちが1番です。何よりチームワークがいい代なので、それを生かしたチームプレーを最後までやり続ければできないことはない。頑張ってほしいです」
次に涙する場所こそ、東京体育館の中央であるように。
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2009年12月29日
「先生!」
囲み取材がやっと終わり、コートサイドから去ろうとした福岡大大濠・田中国明コーチを、着替えずに待っていたスタメンの5人が呼び止めた。
彼らは全員、3年生だ。
3年生からコーチへ、最後に3年間分の感謝を伝える。それは多くのチームで見られる1シーンではあるが、福岡大大濠のそれは特に言葉が少なかった。
ありがとうございました、と5人の大柄な青年が頭を下げる。その真ん中にいる田中コーチは穏やかな笑顔でうんうんとうなずき、1人1人を見上げながら握手していく。
そのあまりにも優しい、40年以上も1つのことをやってきた人だけが見せることのできる表情に触れ、メンバーはこらえきれずユニフォームの襟で目元をぬぐった。
田中コーチが背を向けて歩いていった後、5人はあふれるのを我慢していた涙が止まらなかった。誰もカメラを向けていない、彼らだけが知る、自分の全てを受け止め、育て、認め、送り出してくれた人の、“コーチと選手”としての最後の笑顔である。
「田中先生は座って見ているだけで怖い、威厳のある名コーチでした。準決勝のあと皆で話し合って、この試合が本当に最後なので、田中先生も最後なので、絶対勝って笑って終わろうと思いました」(#7矢嶋瞭)
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2009年12月29日
3位決定戦
福岡大大濠 95(34-21、26-18、13-34、22-15)88 北陸
敗れた後も公式戦を戦えるのはこの2チームのみ。与えられたシーズン最終戦が始まる瞬間、どちらの選手たちもいい顔をしていました。北陸ベンチからは「楽しめ!」という声も。一方の大濠も「チームの皆が自然と色々声を掛けていました」(#4二宮選手)。オフェンスの大濠とディフェンスの北陸、興味深いカードがスタートです。
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2009年12月29日
5 years after―。5年前、2004年に大学4年生だった選手たち。あの時同じ立場にいた彼らは、5年という時間を経て、今はそれぞれのフィールドに居場所を持っている。
―――――――――――――
2004年の全日本学生バスケットボール選手権(インカレ)でキャプテンとして筑波大を17年ぶりの優勝に導いた長門(旧姓田渕)明日香。
2005~2008年にはWリーグ・デンソーの一員として、2005年のルーキーオブザイヤーに輝くなど活躍した。
2009年から出身校の桜花学園高のアシスタントコーチを務める。自身は2年生時に同級生の大神雄子(現WJBL・JOMO)とのコンビで3冠達成も、自分たちの代では2冠。よって、「決勝は楽しみ」と笑顔で言っていた。
「意識の高い子達だから、私が特に何も言わなくても大丈夫」とは言っていたものの、試合中は少し心配そうな表情(写真)。しかし、言葉通り選手は自分達で流れを持ってきた。
「個性の強い子達だからまとめるのは大変ですが、まとまったら強さを発揮してくれます」
2009年、コーチとしても3冠達成を味わった。
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2009年12月28日
女子決勝
桜花学園 68(14-12、21-5、15-15、18-27)59 東京成徳大
3年連続17回目
女子3位決定戦
札幌山の手 79(9-17、22-17、27-20、14-18、7-4)76 山形市商
優秀選手賞
岡本彩也花(桜花学園#6・3年)
渡嘉敷来夢(桜花学園#15・3年)
篠原 恵(東京成徳大# 6・3年)
今野真澄(札幌山の手#4・3年)
佐藤綾香(山形市商#4・3年)
男子準決勝
明成 95(29-23、11-18、33-25、22-21)86 福岡大大濠
福岡第一 102(18-14、23-13、34-17、27-29)73 北陸
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2009年12月28日
涙する、もしくは呆然とする下級生達に、笑顔で声を掛けていたのは京北の4番を背負った平久保秀紀だった。
「皆頑張ってくれたので、感謝しています。後輩がこうして泣いてくれているのも…ありがたいことです」
(奥が平久保)
同級生には中学時代から活躍していた池田と目がおり、センターの皆川も怪我から復調。そして司令塔にはミラクルルーキー・田渡が加入し京北は勝負の年だった。
その中で、平久保は下級生に声を掛けたり、リバウンドやルーズボールでつなぎに徹してきた。
「自分はあまり攻めたりしないタイプなので、皆に声を掛けて落ち着かせてあげようというのをとにかく心掛けました。点を取ってくれるやつはいくらでもいる。自分はルーズボールだったり泥臭いところをやろうと」
ただ、この死闘となった準々決勝・北陸戦では、ベンチから見る時間の方が長かった。泥臭く頑張る部分を引き継ぎ、さらに得点力もある2年生の#9前川にプレータイムを譲った。
「出たいとかよりも、下級生に頼ってしまってばかりで申し訳ないです。他の3年生2人が頑張ってくれたので、それには支えられました。応援席も見えていました。ああして応援してくれているので勝ちたかったですけど…あっちが上だったのかな」
2年ぶりのメインコートは、スタンドのメンバーも含めて全員でやってきたものだった。「やっぱり自分の代のメインコートって違うんですね。景色も気持ちよかったですし、このメンバーでやれたのは本当に嬉しいし、すごくよかったです。後輩にはまた来年、勝ってほしいです」
最も悔しい1点差負けを喫した後に、これだけポジティブな言葉が言えるのは、自分にも次の舞台があるからだろうか?だが、ウインターカップの舞台に立つ高校トップレベルの選手たちと言えど、大学でもバスケットを続けることが決まっている選手ばかりではない。
“次に生かす”―それができない者もいる。平久保も今のところそちら側だという。
「大学でもやれたらやりたいとは思っているんですが、難しいかなと。今のところ今日が…最後ですね。最後でした」
では、なぜこうして穏やかに語ることができるのか?
“最後”に、高校3年間に限らずバスケットを始めてから今までやってきたことが出せたかどうかを訊いてみて、その答えが少しだけわかった。
「はい、出し切れました。特に最後の1年はキャプテンをやって、チームのことでも自分が怒られてそのときは反発する気持ちもあったんですが、今考えると、怒ってもらえて大人になれたかなって、すーっと思いました。人としてすごく成長できたと思います」
涙がにじみながらも、トレードマークの笑顔だった。
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2009年12月28日
もう1度、このメンバーで全国の舞台へ。それを合言葉に付属中から進んだ梅林聡貴らを中心に、東海大相模高は4年ぶりにインターハイ―全国の舞台に顔を出した。続くウインターカップは初出場。彼らの最終学年に間に合った。
「中学のときから、東京体育館のメインコートで試合をしたいと思っていました。そこで勝てなくて悔しさはあります。インターハイはベスト8に入れたので、ウインターカップはベスト4に入ろうとやってきましたし。ただ、こんなにいい舞台に皆でやれたのは嬉しかったです」(#8梅林)
もちろん1・2年生も、高校から仲間になったメンバーも、ともに涙を流した。梅林は人懐こい朗らかな選手。その目にも涙が浮かんだ。
「感謝しかありません。3年間、なかには6年間も一緒にやれて、本当によかったです」
しかし、言い終えたときはもうトレードマークの笑顔だった。梅林は上に行く。この6年間を糧にして。
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2009年12月28日
最後の瞬間を、延岡学園#6長谷場祐二はベンチから見つめていた。明成の気迫溢れるアウトサイド陣のディフェンスを前にいまひとつ攻め切れず、ルーキーの#11寺原拓史とプレータイムを分けた。
福岡第一の玉井勇気や園幸樹とともに、全中で優勝している選手である。
ただ、「中学時代は“シュートを打つな”と言われた選手なんですよ」と、延岡学園の北郷純一郎コーチは振り返った。
「そんな彼に1番というポジションを与えて、ドライブでチャージングになってもいいから行っていいんだ、スリーも打っていいんだと言ってきました。真面目な選手だから」とインターハイのときに教えてくれた。
インターハイと言えば、決勝で対決した福岡第一・井手口孝コーチが「もし負けていたとしたら敗因は彼」とも言っていたように、その努力する姿はチーム外の者も認めるものだった。
この試合、日本一を期すチームの司令塔らしく試合終了までは気丈にコートを見つめていた。しかし、ロッカールームに向かう道では涙を我慢し切れなかった。
ただ、それを両脇から支えるように歩いていたチームメート達は、彼がこの3年間、苦労してきたことを知っている。それは敗れてもなお、彼が目を引く理由でもあった。
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