2010年04月05日

【JAPAN】“ambition”を再考する(後編)

前編は こちら

CASE4:U-18の表現力
KEYWORD:U-18トップエンデバーで複数のコーチングスタッフから聞かれたのは、「頭ではわかっていてもうまく表現できる場合(選手)とできない場合がある」ということだ。また、「もっと気持ちを燃やして向かってきてほしい」であるとか、「誰かが出してくれると思わず、遠慮せず声を出そう」という指摘もあった。「君達はこれから世界で戦う選手になるんじゃないの?」と念を押す場面も見られた。
また、U-18代表の強化合宿にて、久井茂稔ヘッドコーチ(北陸高)が再三要求したのは「自分達でしゃべれ」ということだった。

PRACTICE:全体練習開始時の円陣で「声を出すことが大事」と言われれば声を出すことができ、「責任を持て」「自信を持て」と発破を掛けられるとプレーの質も変わったのがトップエンデバーだった。1日目は「この次はどこにパスをしたらいい?」と問われても指されなければ声もあがらなかったが、最終日になれば手を挙げて答える選手も表れた。

WHY:2009年にU-16アジア選手権が始まるまで、U-18は国外に出て行く最初のカテゴリーだった。よって、彼らは同世代の代表としてどれだけ表現しなければならないかや、自分がどれだけ力を持っているかをまだ知らない。
表現力のばらつきについては、ポジションや所属チームの強さによって、チーム内や公式戦において自分を表現すべき状況の回数や強度の違いがあることによるものと考えられる。これは、今後所属チームはもちろんU-18やU-24にて、激しいポジション競争や本当に勝ちたい試合を経験していくことでカバーできるだろう。

一方、「声を出す」「しゃべる(コミュニケーションする)」ことが頻繁に求められていたのはU-24世代と異なる点だ。その2つは本来、スキルや体格に関係なく誰でもできることである。しかし彼らは、先述のように自分ができるのを知らないからでなくできると知っているのにコーチ陣に言われないとやらなかったり、誰か1人がやりだしたらついていく、ということが多かった。これはスキルが高いからこそ、その姿勢が逆に目立っていたとも言える。
ただ、U-18世代は日々変わっていく、どんどん成長していける世代だ。これを“時代の空気”と言ってしまう前に、もう少し見ていきたい。


CASE5:U-16の吸収力
KEYWORD:U-16代表のメンバーも、U-15トップエンデバーの際はU-18世代と同じく「声を出せ」とよく言われていた。集合と返事に30分以上もかけたことこともあった。U-16代表となってからは、富樫英樹ヘッドコーチ(本丸中)からは「わかった?」という確認と、「世界を意識して」という声掛けが多くなった。具体的にどんな動きをしろ、という指示ではなく、自ら考えてプレーすることを促す言葉である。

PRACTICE:マルチステージテストやトレーニングなどの結果は、これまでのU-15トップエンデバーと比べると低かった。連動的に、練習の強度が高まったり疲労がたまると、プレーの質も落ちてしまった。だが、コーチ陣はその現状に寄り添った。わからなければ「わからない」と意思表示させ、もう1度説明してくれた。すると選手たちは、デモンストレーターとなった選手がコーチの説明によって手本を示すのを見ながら、動きをやってみるようになった。

WHY:U-16代表の富樫英樹ヘッドコーチは、「海外経験を通して、自分たちの課題と利点とを選手もスタッフも認識することができた。特に、選手達が今までの練習では何がダメか、これから何が必要かを考えて行動できるようになりました」と言っていた。

平成22年度のU-16代表メンバーで2009年のU-16アジア選手権に出場したメンバーはいないが、トップエンデバーの場であっても新鮮な発見があったはずである。そこで経験したものを自分のものにしようとする吸収力があることが今回のU-16代表からは伝わってきた。U-16カテゴリーの新設がその後の成長にどんな影響をもたらすか、彼らがU-18世代の主力メンバーになったときの表現力に注目してみたい。


CASE6:U-15候補の“笑み
PRACTICE:平成22年度に初めての取り組みとして、13・14歳の長身選手=次のU-15トップエンデバー&U-16代表候補を集めた。選手たちは初めて経験する雰囲気に最初は表情が固まっていたが、2人組のメニューを行ったり、後藤正規アシスタントコーチ(日本バスケットボール協会)の声掛けによって徐々にほぐれていった。すると今度は、失敗すると笑顔を見せるというシーンが多くなった。

また、彼らの指導を担当した後藤コーチからは「身体的には国内では大きい子が出てきたかなと思いますが、能力以外のところ、人の話を聞くとか、挨拶するとか、言われたことを表現する力は僕がNTCで見てきた中では最も弱いかもしれない」と気になるコメントも聞かれた。

WHY:まず表現力については、U-18世代・U-16世代以上に、この場でどんな意識・姿勢で臨めばよいのか知らずに来ているため仕方ない部分もある。よって、この3日間の経験を自チームにどう持ち帰り、どう取り組んでいくかが重要と言える。U-16・U-18でも同様に言えることだが、高校に比べて公式戦が少ないなどの環境から個人の取り組みがより大きな違いを生む。

次に、彼らが見せた笑顔が照れ隠しなのか、それとも新しい課題を見つけて嬉しくて笑っているのかはわからない。ただ言えるのは彼らが自分にはまだそのスキルが身に付いていないことを自覚していることである。これをU-16のように貪欲な吸収力につなげられるか、“U-14”というまだ現場にはないが重要な年代に対するカリキュラムの構築が鍵になりそうだ。


2010年、日本が持つべきambitionとは?
以上、同時期にトピックに上がったワードをきっかけに、セレクションチームに必要な意識・姿勢を、上の年代から下へ向かって考えてみた。メンバーの入れ替わりによって多少の違いはあるものの、A代表やU-24はコート上で世界と渡り合えるような振る舞いや挑戦をすること、U-18は自分のスキルを自在に・気持ちを最大限に表現すること、U-16以下は自ら考えて自分やチームに足りないものを身につけようとすることをコーチ陣は求めている。

その要求に対して、現状では最大限に表現しても世界と戦うにはまだ足りなかったり、自ら考えて取り組むということがなかなかできなかったりしている。そこで、トップエンデバーや強化合宿の数日間でトップレベルのコーチ陣が世界を意識させたり問い掛けや鼓舞することで補っているが、本来はそれがすでに備わっていて、集まった数日間では1つ上のレベルの活動を行えることが理想である。アジアでの成績が下降線をたどっている2010年、いつまでも同じ状況ではいけない、という現場のコーチ陣の危機感が同じ言葉につながったように感じる。

しかし、この2010年がもうambitionも持てない状況かと言えば、まだそうではないはずだ。それに、外国人コーチでなくても、ファンを含め選手たちを見守る1人1人が、彼らがambitionを持てるよう働きかけることもできるのではないだろうか。セレクションチームでは、メンバーのサイズや華麗なスキルの有無に目が行きがちだが、彼らがどんな姿勢・意識を持っているかもきちんと考えつつ、後押ししていきたい。

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2010年03月27日

【JAPAN】“ambition”を再考する(前編)

2月5日から3月14日まで、週末に行われた男子育成キャンプ(大学生対象)。3月12~14日に行われたU-18トップエンデバー。そして昨年の10・11月のU-15トップエンデバーを経て3月14日に活動を開始したU-16代表。それぞれ異なるスタッフが受け持ちながら、インタビューにて共通して聞かれたフレーズがある。
それは、「魂」「スピリット」といった、精神・姿勢に関するものだ。
もちろん、これまでも“根性”や“心技体の心”や“メンタル”という言葉で語られてきており、新しい要素というわけではない。しかし、それが同時にトピックに上がるのは何か意味があるのではないか―?
カテゴリーごとの日本のトップを対象に考えてみたい。


CASE1:日本代表のambition
KEYWORD:セレクションチームの精神・姿勢に関するキーワードでまず思い出されるのは、2003~06年に男子日本代表ヘッドコーチを務めたジェリコ・パブリセビッチ氏が一貫して、そして繰り返し口にした「ambitionを見せなさい」という一言だ。ambitionは野望、大願といった日本語に訳される。ただの望みや願いではなく、とてつもなく大きな望み、願いだ。
パブリセッビチコーチは、これを場合によって「自分が戦うという気持ち」「やる気」「日本代表という責任を持ち試合をやり続けていく気持ち」等言い換えていたが、その後に続くのは「持ちなさい」より「見せなさい」「コートで表しなさい」であることが多かった。 

PRACTICE:その理由は、日本代表であればambitionを当たり前に持っているもの、という前提だったのではないだろうか。ジェリコジャパン時の強化合宿の雰囲気はと言うと、限界を超えるべく高く設定された強度のなか、やはり高いスキルで行うことが求められたため、緊迫した静けさの中でボールの音、バッシュの音、選手の荒い息遣いだけが聞こえていた。それでも、選手たちはパフォーマンスの最低限のクオリティは死守してみせていたためか、パブリセビッチコーチは「声を出せ」とはほとんど言わなかった。また、チームとして苦しい状況になったときは、古田悟(JBLトヨタ自動車)や網野友雄(JBLアイシン)といったメンバーが必ず自主的に声を掛けていた。

WHY:このやり方が可能だったのは、1年ごとに世代交代がある学生とは異なり、1人1人がチームとしての戦術や互いの特徴を理解・共有していたからだろう。さらに、彼らには“世界選手権”という約束された、そして希望に溢れた目標があった。これは、以下に紹介するケースと大きく異なる点である。そしてその希望をつかむには、ambitionを相手や場所に関係なく最大レベルで出せばいいという難しいながらシンプルな方程式があった。
それでも、明確な目標のもと、選手自らが高い意識・モチベーションを持ち、かつそれをヘッドコーチが求めるレベルでコート上に表していた状態を、ここでは代表としての理想的な姿勢として話を進めたい。


CASE2:U-24のスピリット
KEYWORD:大学生の、今後U-24代表の軸となるであろう選手たちが参加した男子育成キャンプ。そこで中心となって合宿を進めた山本明コーチ(愛知学泉大)は、キャンプのコンセプトとして「世界やアジアで戦う意識を持つ」「プレイハード」「コミュニケーション」の3つを挙げた。そして日本学生選抜では「スピリットを見せられること」を第一の選考ポイントに置き、選手にも伝えたという。スピリットは気力や意気込みを意味する。

PRACTICE:キャンプを振り返ると、大学生ともなれば経験を充分積んでいることもあり、プレー面での個々の持ち味はしっかり発揮されていた。また、セレクションチームにはコミュニケーションが不可欠ということも承知しており、必要な言葉はコート内外でかわされていた。
しかし、仕上げとして第5次合宿で東海大と練習ゲームを行ったとき、東海大の“声”が生み出すパワーに呑まれてしまったのも事実だ。人数が東海大の方が倍くらいおり、チームとして合わせ始めて日が浅かったとはいえ、大学生を代表する存在としての力を見せ付けることはできなかった。能力に勝るぶんだけ点数では勝ったが、スピリットを見せることでゲームを主導することはできなかったのである。

WHY:まず、東海大がなぜ場を自分たちのカラーに染めることに成功したかを考えると、「1人1人の実力では格上のメンバーで編成されたチームを倒そう」という目標があったからというのが挙げられる。翻って、育成キャンプメンバー側は、目標を持つにしても大学から力を伸ばしたメンバーは国外のチームと戦った経験がほとんどなく、U-18代表などの経験者であっても「格上の相手」を明確なイメージとして持つには経験が少ないと言える。
さらに、彼らは今のままでも国内ではある程度までは通用してしまう。よって、彼らはスピリットを持ち、それを国内では充分なレベルで見せることはできるが、より強くする燃料=明確な目標やハードルが足りていない。周囲のスタッフが声を掛け続けることで補っており、結果的に選手たちが見せるスピリットの威力は代表と名乗るにはまだまだ物足りないと言わざるを得ない現状が浮かび上がる。今年度の学生代表のメンバーが、海外遠征や李相伯杯を経てどのように姿勢が変わるのか見守りたい。


CASE3:女子U-24のスイッチ
PRACTICE:では、女子はどうかというと、3月に同じくナショナルトレーニングセンターで合宿を行っていたU-24代表の雰囲気を紹介する。
このカテゴリーに限らず女子はフリーアップが多い(男子は列を作りスタッフに従って行うことが多い)。その間は静かで、小声で談笑している選手もおりリラックスしている。しかしいったん開始の円陣を組むと、スイッチが入ったように一転して大きな声が響く。メニューに入ってもコート内の選手が必要な声をはっきり出すだけでなく、順番待ちの選手たちも一様に声を途切れさせることがなかった。活気にあふれるという印象だった。

WHY:女子は何より、日本代表もアンダーカテゴリーもアジア予選を突破しており、「世界と渡り合うには何をどのくらいやる必要があるか」がはっきりしている。それがトップレベルの選手たちに浸透していると言えるだろう。よって、スイッチが切り替わったように見えるのは、彼女達が持っているambitionスピリットを、いつどれだけ出すべきか知っておりかつそれを実行しているからではないだろうか。
また、これは私見となるが、高校卒業のタイミングで競技人口が大幅に減るバスケットにおいて、大学でも一線で取り組もう決めたプレイヤーは、女子の方がより意志が強いように感じられる。男子に比べると能力やサイズで押し切れる部分が少ないからこそ、時間と労力をかけても取り組むという覚悟がセレクションチームの姿勢にも表れているように思う。

(続く―後編ではU-18、U-16、U-15を紹介し、全体をまとめます)

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2010年03月23日

【5 years after】~コーチとして 稲葉弘法(つくば秀英高)(2)

5 years after―。5年前、2004年に大学4年生だった選手たち。あの時同じ立場にいた彼らは、5年という時間を経て、今はそれぞれのフィールドに居場所を持っている。5年の間に得たもの、失ったもの、変わったこと、変わらなかったこと、そして今だからわかるあの日のこと、これからも続いてく日々のことまでを聞いた。
その1は こちら
―――――――――――――

自分が育った地に恩返しを、というのは大学時代の同級生で、現在は長野・東海大三高のコーチを務める入野も口にしていた。2人は、指導者になった今も切磋琢磨する関係である。
「入野の存在も、ゼロからここまで来るのに僕の支えになりました。入野は入野で、伝統あるチームで大先生から替わって、自分のスタイルにしていく大変さ、彼なりの苦労があったと思います」

5年前から変わらない関係だからこそ、5年間で成長した部分がお互いに見えている。
「今、大会で会って話しても、練習試合を一緒にやっても楽しいですね。僕が気付いていないことを入野はうちの選手に言えるし、逆に入野が気付いていないことを僕が言ってあげられる。ウインターカップのときは、東海大三の子達が“秀英の応援していいですか?”と言って応援席に入ってくれて、うちの子たちも東海大三の応援をしました。これから、追いついていきたい存在です」

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【プロフィール】 稲葉弘法(いなば・ひろのり) 筑波西中-東海大浦安高-東海大。 大学4年時には副キャプテンを務める。入野貴幸キャプテン(現・東海大三高コーチ)と系列高出身コンビで、石崎巧・竹内譲次らゴールデン世代をまとめあげた。 現役最後の大会・オールジャパン2005では、直前に虫垂炎になってしまったため、ユニフォームを後輩に譲ってコーチとしてベンチに入った。理由は「コーチの勉強をするため」だった。


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2010年03月22日

【5 years after】~コーチとして 稲葉弘法(つくば秀英高)(1)

5 years after―。5年前、2004年に大学4年生だった選手たち。あの時同じ立場にいた彼らは、5年という時間を経て、今はそれぞれのフィールドに居場所を持っている。5年の間に得たもの、失ったもの、変わったこと、変わらなかったこと、そして今だからわかるあの日のこと、これからも続いてく日々のことまでを聞いた。

―――――――――――――

就任4年目にウインターカップ初出場&ベスト16―というと、シンデレラストーリーのように聞こえるかもしれない。だが、表舞台に出てくる前の積み重ねなくして、手にできる結果はあり得ない。つくば秀英高の稲葉弘法コーチは、そんな“泣き笑いの日々”を、今も大切に思っている。

「本当にゼロからの状態で、子供達を勝たせてあげないといけないのになんでだろうとか、あの時の苦労に比べれば今何も苦しいとは思いませんし、そこから地区で優勝できた、県大会で優勝できた…という経験の方が、僕の中では1番、ウインターカップでベスト16に入ったことよりも自信になっているんです」

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【プロフィール】 稲葉弘法(いなば・ひろのり) 筑波西中-東海大浦安高-東海大。 大学4年時には副キャプテンを務める。入野貴幸キャプテン(現・東海大三高コーチ)と系列高出身コンビで、石崎巧・竹内譲次らゴールデン世代をまとめあげた。 現役最後の大会・オールジャパン2005では、直前に虫垂炎になってしまったため、ユニフォームを後輩に譲ってコーチとしてベンチに入った。理由は「コーチの勉強をするため」だった。


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2010年01月03日

【2010AJ】Answer(3)田上和佳(慶應義塾大)

人は時に明確な答えを求めてしまう。肯定なのか否定なのか、どちらなのかと。
「では、悔いは“ない”ですか?」
このシーズン、大学バスケットの3大タイトルであるトーナメントこそ制したものの、続くリーグ・インカレはあと1歩の準優勝。さらに彼らがその3大会と同じくらい大事にしている慶早定期戦も敗れている慶應義塾大の主将、田上和佳にとって、それはかなり意地悪な質問だった。

しかし彼は背筋を伸ばし、ふっと息を吐いてその問いに答えた。
「はい、悔いはありません」
その表情は、先ほど流したばかりの涙の残る、すがすがしい笑顔だった。
人の心を最も揺さぶるのは、涙よりも、笑顔よりも、泣き笑いなのかもしれない。

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本音を言えば、悔いがないはずはない。たとえ先述の試合を全て勝っていたとしても、キャプテンとして、1プレイヤーとして、1人の人間としてはどうかと訊かれれば、やはりないとは言えないだろう。 だからこそ、彼は“ない”という答えを選んだ。 「僕らがやり残したことは、後輩が受け継いでくれるのが慶應だと思うので…あとは、後輩達に任せます」 オールジャパン3回戦、JBL・三菱電機との試合は、田上の学生最後の、そして現役最後の公式戦となった。そこで彼が見せたのは、この1年彼ら4年生が何をやろうとし、そして何をやり残したか、だった。 「チーム力をあげるにはチームが“楽しむ”こと、コーチに叱られたときはキャプテンの“明るい姿勢”が大事なんじゃないかと気付いた頃には、大会はほとんど終わってしまっていました。でもなんとか最後に後輩達にそれを示せたらな、自分のベストを出すことに集中する姿勢でもって示せたらなと思ってこの大会に臨みました。実際、試合中には姿勢がどうとかは考えず、できることを一生懸命、がむしゃらにできた。それを、どう感じてくれるかだと思います」 4Qに見せた鮮やかなバスケットカウント、それが彼のいわゆる“第1線”の公式戦で残した最後の記録である。その瞬間のベンチやスタンドのもり上がりからすると―彼の姿勢は伝わっている、と信じたい。 田上に後悔は“ない”が、周りの人に申し訳ないという思いはあるという。ただ、得たものは本当に数え切れないほどあり、その経験を次のステージにつなげることで、恩返しとするつもりだ。 試合後の最後の集合で、田上は言った。ベンチ入りした12人のメンバーのうち、10人を占める後輩たちに。 「苦労をかけてしまって申し訳ない。皆は今後の慶應の核になるメンバー。僕の大好きなチームを、よろしくお願いします」


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2010年01月01日

【2010AJ】Answer(2)福田将吾(鹿屋体育大)

今シーズンの鹿屋体育大という存在は、男子大学バスケに何を残したか―?

この問いに答えなくして、この代の大学バスケットをしめくくってはいけない気がする。
強化指定となり推薦入部者が加わってからちょうど4年目、インカレ出場16回目にして初勝利を挙げた次の年に、彼らはチーム史上初めてトップレベルの証明であるインカレベスト8に名を連ねた。

その一方で、空気の一変する準々決勝では全くと言っていいほど力を発揮できずに敗れ、シーズンインから優勝という目標を掲げて臨んだオールジャパンも1回戦敗退という結果に終わった。

オールジャパン1回戦・タツタ電線との試合に敗れた後、福田将吾コーチは泣いた。
「…かけていたので。全てをかけてここまで来たつもりだったんですが、何もやれずに終わってしまった。本当に自分はまだ何もしていない、何も成し遂げていないです」

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彼が鹿屋体育大の大学院生としてチームに関わったこの2年間で、西日本選手権ベスト4、オールジャパンベスト16、インカレ7位とチームの最高成績を次々塗り替えた。それは彼とチームの取り組みの成果ではあったが、求めていた答えでは――なかった。 「スタッフもメンバーもしっかりやってくれましたし、やるべきことをやってきたと思っています。でも、求める結果を出せなかったということは、それにふさわしいことをやってこれていなかったということで、悔しいです。僕はインカレもただ7位としか思っていません。優勝もしていないし、優勝に手すら届いていなかった」 さらに、チームは未知のステップに足を踏み入れることが出来たが、今度はそこで今までにはなかった壁にぶつかった。それは“受けに回ってしまう”ことだ。 「オールジャパンは、1回戦の相手・タツタ電線さんのビデオを見て研究してきて、選手の特徴やフォーメーションまで万全に準備していたんですが、出だしが全てでした。もう受けに回っていました。ここで勝てば慶應大だ、その次はJBLの三菱だと先を見すぎてしまったのかもしれません。受けに回った時点、トライすることをやめた時点で、時間は過ぎていきますが、そこから何も得られません。勝つ、負ける以前の問題だと僕は感じます」 追い上げ及ばず、彼らのシーズンと、福田コーチのこの場所での挑戦は終わった。 2年でインカレトップ8までチームを引き上げることができること。チームの哲学を浸透させ、意志あるチームに生まれ変わることが出来ること。 関東絶対優位の中で、ビッグマンのいない九州のチームでもできること、24歳のコーチにもできること。 それは彼ら自身が、観る者の思い込みを覆して明らかにし、大学バスケ界に残してくれた真理である。 一方、彼らの望みであった、インカレのトップ8からのゲーム、JBLチームとのゲームで本当の勝負をするには、乗り越えなければならないことがまだまだたくさんあること。 これも、彼らが身を持って示してくれた真理であり、“新生”鹿屋体育大の第2章に引き継がれる問いとなる。 福田コーチは学生生活を終え、新たなチャレンジをするつもりだ。 「悔しくてもこの結果は受け止めるしかないですし、勝つ負ける、優勝したしていないだけではなくて、ここからどうするか、が1番大事だと僕は思っています」


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2010年01月01日

【2010AJ】Answer(1)大石慎之介(浜松大)

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浜松大#1大石慎之介は、やはり笑顔だった。 大石が入学してから、浜松大は東海リーグを初優勝&4連覇、2007年には西日本選手権初優勝も飾った。そして今シーズンは東海予選を勝ち抜いて8年ぶりに天皇杯の舞台にやってきた。 しかし、結果は残念ながら1回戦敗退。しかも大石の最後はファウルアウトだった。 それでも、浜松大での4年間はどんなものだったか?という問いに対する答えは「プラスばかり」だった。「マイナスなことはなかったです。何よりバスケットができることへの感謝を覚えました」 ただ、やり残したことは、ある。


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2009年12月29日

【2009WC】ラストシーン(終)福岡第一

「来年は絶対優勝してね。優勝してくれたら、今日優勝したみたいに喜べるから」。
ちょうど1年前のこの日、2点及ばず準優勝に終わって涙する#10イブラヒマに、今はアメリカ挑戦しているインサイドの相棒・早川ジミーが掛けた言葉である。早川はついに、単独チームとして優勝を経験することはなかった。

もしもイブラヒマがその1年後のコートに立ち、3年分以上の悲願を叶えることができたら、その約束を覚えているか訊いてみようと思っていた。

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しかし、その悲願までの道のりはあまりにも険しかった。第1シードで臨んだとはいえ、大会直前に井手口孝コーチの身内に不幸があり、追い込み仕上げるべき練習をほぼ選手だけで行った。主力の#6和田、園も怪我を抱えていた。そしてチーム初戦でインサイドの要・#10イブラヒマまで負傷し戦線離脱となった。 それでも、練習は「先生が観ていてもたとえ観ていなくても同じ練習をしようと、翔(#4山崎キャプテン)がチームを引っ張ってくれた」(#7園)とカバーし、イブラヒマのいない準決勝も結束力で快心のゲームを披露した。さらに、「決勝で第一と決着をつけたい」と快進撃を続けてきたものの準決勝で力尽きたライバル・福岡大大濠、そして#7園・#8玉井の中学時代のチームメートである北陸の主将・占部賢人の想いも背負っていた。一方、師への恩返しを誓い、1試合ごとに輝きと勢いを増していった東北の雄・明成と、そうした譲れない思いをぶつけ合った結果、彼らは敗れた。 3年連続準優勝。それが彼らのウインターカップでの結果である。 「3年連続準優勝の理由…うーん、なんですかね。わからないですけど、ビラ(イブラヒマの愛称)がいたから勝ったとか、いなかったから負けたとか言われるのが1番嫌だったので、こういう状況でも勝ちたかったです。でも最後はやっぱり…バスケットのチーム=スタメン5人になる。もちろん皆でやってきたんですよ。でも練習から全てその5人で繰り返して、話し合って、積み重ねてきたので、その1人が欠けたというのは大きかったです」(#8玉井) 試合直後、彼らは悔し涙しかなかった。 「インサイドで点数が取れない分自分がやらなければという気持ちが空回りしてしまって、決めないといけないシュートを決め切れないというミスが何回もあった。その分ディフェンスやルーズボールでカバーしないとと思ってやったんですが、大会前に3週間怪我で練習できなかったので試合勘が戻らなくて、結局自分のミスで皆に迷惑をかけてしまって申し訳なかったです」(#6和田) 「これで優勝したら本物だろうと皆に見せたかったですが、決勝はいらないミスが多過ぎた。それを点に結び付けられていたら、前半からリードすることができたと思います。何より自分のシュートミスやファールが多くて、迷惑を掛けてしまいました」(#7園) 迷惑を掛けた。それはしかし、彼らの責任感の裏返しの言葉であり、彼らがチームにとってどれだけ影響力を持つかを表してもいる。 やはり昨年と同じ、優勝チームの記念撮影が行われているメインコートの裏で、彼らは集まった。 井手口コーチも目に涙を浮かべながら、ねぎらいの笑顔を浮かべて拍手した。スタンドで声の限りに応援していたメンバーもやはり、号泣しながらそれに続いた。 そのあたたかさに、イブラヒマは輪を離れて顔を覆った。1度は折り合いをつけたようだった和田も膝から崩れた。普段はひょうひょうとしている玉井もうつむき、どっしりとして落ち着いている園も目を赤くした。 それは悔し涙だけではなかった。 「皆には“ありがとう”って、“よく頑張った”って言われました。このメンバーで3年間過ごせて…すごくよかったです」(和田) 「3年間ありがとうと。自分も皆に、特に3年生には色々お世話になったので、“ありがとう”と言いました。この1年は、インターハイで優勝できましたし、国体とウインターカップは優勝できなかったんですが、いいチームができたので、充実していたと思います」(園) 「ここまで来られたのは、メンバー外の皆の応援だったり、サポートだったりのおかげです。今年の3年は賑やかで、皆で頑張れました。試合に出ていないメンバーも助言してくれるというのは以前はなかったんですが、今年は多くあって、とてもいい代に恵まれたなと思います。誰がエースとか、誰が最後にシュートを打つとかではなくて、皆がそれをできるチーム。最後まで皆でできたので、それはよかったと思います」(#8玉井) 和田、園、玉井。この3年生トリオははからずも、高校3年間で成長した点にプレー的なことではなくメンタル面やオフコートの礼儀などを挙げた。それはこのチームを卒業していったあとも生きる、欠けがえのないものである。 主役はバトンタッチされた。またちょうど1年後の、この日へ。 2年間主力を務めてきた実力者が抜ける新チームへ、玉井から最後のメッセージがある。 「周りからは弱いだとかなんとか相当言われていますが、それを覆してほしいという気持ちが1番です。何よりチームワークがいい代なので、それを生かしたチームプレーを最後までやり続ければできないことはない。頑張ってほしいです」 次に涙する場所こそ、東京体育館の中央であるように。


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2009年12月29日

【2009WC】ラストシーン(6)福岡大大濠

「先生!」
囲み取材がやっと終わり、コートサイドから去ろうとした福岡大大濠・田中国明コーチを、着替えずに待っていたスタメンの5人が呼び止めた。

彼らは全員、3年生だ。

3年生からコーチへ、最後に3年間分の感謝を伝える。それは多くのチームで見られる1シーンではあるが、福岡大大濠のそれは特に言葉が少なかった。

ありがとうございました、と5人の大柄な青年が頭を下げる。その真ん中にいる田中コーチは穏やかな笑顔でうんうんとうなずき、1人1人を見上げながら握手していく。

そのあまりにも優しい、40年以上も1つのことをやってきた人だけが見せることのできる表情に触れ、メンバーはこらえきれずユニフォームの襟で目元をぬぐった。

田中コーチが背を向けて歩いていった後、5人はあふれるのを我慢していた涙が止まらなかった。誰もカメラを向けていない、彼らだけが知る、自分の全てを受け止め、育て、認め、送り出してくれた人の、“コーチと選手”としての最後の笑顔である。

「田中先生は座って見ているだけで怖い、威厳のある名コーチでした。準決勝のあと皆で話し合って、この試合が本当に最後なので、田中先生も最後なので、絶対勝って笑って終わろうと思いました」(#7矢嶋瞭)

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2009年12月28日

【2009WC】ラストシーン(5)京北

涙する、もしくは呆然とする下級生達に、笑顔で声を掛けていたのは京北の4番を背負った平久保秀紀だった。
「皆頑張ってくれたので、感謝しています。後輩がこうして泣いてくれているのも…ありがたいことです」

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                                   (奥が平久保) 同級生には中学時代から活躍していた池田と目がおり、センターの皆川も怪我から復調。そして司令塔にはミラクルルーキー・田渡が加入し京北は勝負の年だった。 その中で、平久保は下級生に声を掛けたり、リバウンドやルーズボールでつなぎに徹してきた。 「自分はあまり攻めたりしないタイプなので、皆に声を掛けて落ち着かせてあげようというのをとにかく心掛けました。点を取ってくれるやつはいくらでもいる。自分はルーズボールだったり泥臭いところをやろうと」 ただ、この死闘となった準々決勝・北陸戦では、ベンチから見る時間の方が長かった。泥臭く頑張る部分を引き継ぎ、さらに得点力もある2年生の#9前川にプレータイムを譲った。 「出たいとかよりも、下級生に頼ってしまってばかりで申し訳ないです。他の3年生2人が頑張ってくれたので、それには支えられました。応援席も見えていました。ああして応援してくれているので勝ちたかったですけど…あっちが上だったのかな」 2年ぶりのメインコートは、スタンドのメンバーも含めて全員でやってきたものだった。「やっぱり自分の代のメインコートって違うんですね。景色も気持ちよかったですし、このメンバーでやれたのは本当に嬉しいし、すごくよかったです。後輩にはまた来年、勝ってほしいです」 最も悔しい1点差負けを喫した後に、これだけポジティブな言葉が言えるのは、自分にも次の舞台があるからだろうか?だが、ウインターカップの舞台に立つ高校トップレベルの選手たちと言えど、大学でもバスケットを続けることが決まっている選手ばかりではない。 “次に生かす”―それができない者もいる。平久保も今のところそちら側だという。 「大学でもやれたらやりたいとは思っているんですが、難しいかなと。今のところ今日が…最後ですね。最後でした」 では、なぜこうして穏やかに語ることができるのか? “最後”に、高校3年間に限らずバスケットを始めてから今までやってきたことが出せたかどうかを訊いてみて、その答えが少しだけわかった。 「はい、出し切れました。特に最後の1年はキャプテンをやって、チームのことでも自分が怒られてそのときは反発する気持ちもあったんですが、今考えると、怒ってもらえて大人になれたかなって、すーっと思いました。人としてすごく成長できたと思います」 涙がにじみながらも、トレードマークの笑顔だった。


posted by summership |00:03 | コラム | コメント(0) | トラックバック(0)
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