2010年03月10日
福岡大大濠高校・新監督就任に寄せて~「ソータ」(前編)
3月7日、福岡大大濠高校トロージャンズ公式サイト(http://www.trojans.jp/index.htm)にて、新監督の就任が発表された。 ファンから親しみを込めて“クニ先生”と呼ばれる田中国明現監督は、大濠高校にやってきてから45年が過ぎ、2008年3月の定年退職後は嘱託コーチとして指導に当たってきた。その嘱託コーチとして最後の年となる2010年シーズン、後進の指導にも本格的に着手する(※来年度以降も外部コーチとして携わる予定)。 この、伝統ある福岡大大濠高校について書くにはまだまだ及ばないが、新監督となる片峯聡太選手に2006年から2009年までの4年間、インタビューさせてもらった恩返しとして、彼がこれまでどんな道をどんな考えで歩んできたかや、指導者としての資質、そしてどれだけの覚悟を持って決断したかにスポットを当てたい。 【プロフィール】 片峯聡太(かたみね・そうた) 1988年生まれ。飯塚一中-福岡大大濠高-筑波大。173cm/PG。 筑波大ではルーキーシーズンからロスター入りし、1・2年の新人戦でアシスト王を獲得。2年の新人戦では同年の関東トーナメントで3位に入った関東学院大との死闘に終止符を打つ“ラストショット”を決めた。3年時には不動のスタメンとなり、名門・日本体育大を降しての1部昇格の原動力となった。4年目にはキャプテンとして、下級生の多いチームを引っ張った。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――1番の、大濠に帰ろうと思った理由―。 「大濠の監督にならないかという話がある」 そう言われても、まだ大学生活を半分しか終えていなかった片峯にとって、「最初は全然ピンとこなかった」というのはむしろ自然な反応だった。 これまでも何名か、田中監督の後継に、と名前が挙がったことがあったが、うまく条件が合わずにきていた。自分の名前も、その中で偶然出たくらいだろう、と思っていた。 2006年春、片峯は教員志望者の多い筑波大学に進学した。しかし、卒業後“すぐ”指導者に、とはそのときは思っていなかった。
「いつかは、というのはあったんですが、卒業後はまずどういう形でもプレイヤーとしてやりたいと思っていました。だから正直、母校からの誘いではなかったら、指導者の道には来ていなかったと思います。言ってみれば“大濠愛”ですかね」 そう言って笑う片峯は、173cmと上背こそないが、ポイントガードとしてのスキルや経験、そしてリーダーシップは高校でも大学でもトップクラスだった。プレイヤーとしてのステップアップも十分望めたはずだ。しかし、その一方で中途半端なことを嫌い、挑戦し続けることを信条としてきたからこそ、偶然ではなく現実的なオファーであると明らかになるにつれ、彼は葛藤した。実際、プレーすることへの思いを断ち切り、最終的な決断をくだすまでに実に約1年もの時間を要している。 その間に、様々な人と話した。 「“やってみたら”と後押ししてくれる人が多かったですが、中には“プレイヤーとしてやれるところまでやった方がいい”という人もいました。“プレーを続けてもっと知名度を上げないときついよ”と。自分もそれはそうだなと思います。ちょっと大げさな例えですが、もし田臥(勇太/JBL・栃木ブレックス)さんがどこかの高校のコーチになる、となったら皆そこに行きたいですよね?」 今の自分に務まるのか。大濠は簡単に負けることは許されない。指導力はもちろん、選手やその家族からの信頼も必要だ。選手は集まってくれるか?校務との両立は?片峯にはハードルもしっかり見えていた。 それでも、その全てを背負ってもまだおつりが来る、と思えるような夢があった。 「僕、現役のとき田中先生を胴上げできなかったから…それに限ります。優勝して、胴上げしたい。それが1番の、大濠に帰ろうと思った理由です。それは逆に、プレイヤーとして知名度を上げて大濠に帰ったところで、先生がいないと果たせないですよね。田中先生、この間“俺はもうあと5年で死ぬばい”とか言うんですよ(笑)。笑えないですよ」 そうして決断した今も、ハードルが消えたわけではない。 「プレッシャーは…あります。でもプレッシャー嫌いじゃないんですよ。やらなきゃってプレッシャーがあればあるほど燃える。ほぼ不安ばかりなんですけど(苦笑)、でもその中にもワクワクしている自分がいるから、やってみようと思えました」 このメンタリティこそ、片峯がこの若さで後継候補に挙がった最大の要因だった。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 【こぼれ話~(1)家族の反応】うち、教員が多い家系なんです。“スポーツを一生懸命やるのも大事だけど、それだけの人になってほしくない”と昔から言われていたし、勉強しないと怒られました。それもあって、教員を務める父は僕が教員になることは「嬉しい」と言ってくれたんですが、「でも自分の息子が大濠の監督になるなんて、すごく楽しみでもあるけどやっぱり…ドキドキするよ」って言っていました(笑)。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― プレイヤーとして、自分の役割を問い続けた日々 卒業後は指導者になると決めてからの1年間と、それまでの3年間とは、全く違ったものになった。その一方で、全くブレなかったこともあった。 片峯は常に、自分に足りないものと向き合い、何を求められているかを自身に問い続けてきた。 彼の筑波大での4年間は実は、挫折から始まっている。2006年のルーキーシーズン、各学年にタレントが揃う中でベンチ入りこそ果たしているが、悔やみきれない試合があった。関東2部を断トツの強さで1位突破して迎えた、専修大との1-2部入替戦だ(結果は対戦成績1勝2敗で2部残留)。 「あの試合の悔しさ、悔しさというよりも情けなさは今でも覚えています。自分の無力さに気付かされました。チームは負けてしまったけど、自分も何もしていない、というか何もできなかったと」 しかし、それを力に変えてしまうのが、片峯聡太というプレイヤーの強さだった。「あの試合は自分を成長させてくれたきっかけでもあり、今の自分の原点でもあります」。翌年のインカレで、正ガードだった吉田周平(JBL2・アイシンAW)の負傷をカバーし切れなかったことも、「この冬はしっかり自分を見つめ直します」と受け止め、逃げなかった。 その延長線上に、3年目の堂々としたプレーがあったわけだが、不動の司令塔となってもまだ、彼は成長につながる道を探し続けた。 「1・2年生のときは周平さんたち先輩がいたので、“やっつけてやろう”という気持ちで練習したことが成長につながったと思いますが、3年になって周平さんが卒業すると自分がずっとメインで出るようになって、環境が変わった。そこでさらに成長していくには、ライバルを見つけるのも1つの方法ですが、僕は人に言うことで自分もやらなきゃと自分にプレッシャーをかけるつもりで、3年生のときから4年生にも厚かましく言わせてもらうようにしました」 そこから生まれたのが、“ヘッドコーチ以上にメンバーを怒るキャプテン”だった。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 【ソータ語録~(1)2006~08年シーズン】
「まず健司さん(吉田監督)が求めるガードになって、それで周平さんと一味違ったプレーをするのが自分の今後の課題だと思います」(2006年/新人戦) 「あれは賭けでしたが、何もしないで軽いディフェンスをやったら悔いが残ると思いました」(2007年/新人戦) 「得点力不足を補えるだけのディフェンスと、ズル賢さ・したたかさが僕の売りだと思うので…いい意味でですよ?(笑)」(2008年/1-2部入替戦) ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 「やらないやつは許せない」 笑顔の下に秘めた熱情 筑波大の吉田健司監督は、「注意や指摘はしてくださるんですが、そこまで怒るという方ではない」という。そこでチームの勝利のために必要ならば、自分が言った。 「僕はやらないやつは許せないタイプ。だからつかんででもやらせたりもしてきました」 とはいえ、このバスケット選手としては小柄で、笑顔の印象が強い彼が、“怒る”こと自体のイメージがつかない人が多いのではないだろうか。 「いやいや、練習で吉田先生がいるときでも、納得いかなかったら“ちょっと待って”と言っていましたよ(笑)。今年のチームが始動するとき、僕は思ったことを言っていきたいと先生に言ったら、思うようにしていいと言ってくれたんです。まぁ、怒ると言っても、自分の中で決めていることがあって、練習の中でチームの約束事を守らなかったり、明らかにチームでやる練習をやっていなかったら、皆の前で本気で怒ります。でも、スキルとしてできるできないといったことに関しては後で個別に、など考えて区別していました」 そして、チームのためになるのであれば、プレータイムをも譲った。 「去年は“勝つためには自分がコートにいなければ”と思って、自分が自分がでやっていたんですが、4年生になって1つのことにとらわれないでチーム全体を見たときに、自分のやれることはプレー以外にもたくさんあるなって気付きました。だからスタメンで出るときも途中から出るときも、僕としてはモチベーションは変わらなかった。むしろ、外からだからこその目線で見ることができました。チームの中でベンチがいかに重要な存在か、バックアップメンバーがどんな気持ちでいるか…。去年は出るだけだったのでわからなかったんです。それを身近に感じることができたので、プレイヤーとしても、今後指導するに当たっても、本当に貴重な、今までで1番大きな経験ができた1年でした」 ただ、それは“今後指導者になるから”ではなく、あくまでプレイヤーとしてやり切るために出した答え、たどり着いた役割だった。 実はこの1年は、2年下のガード・田渡修人が成長してきたこともあり、“自分にプレッシャーをかける”方の意識が薄くなりかけたこともあった。 しかしある一言が、彼の目を覚まし、ラストイヤーを走り切らせた。 「春、大濠で指導者になることが決まった頃に吉田先生と話していたとき、小野秀ニさん(JBL日立ヘッドコーチ)が“片峯は第三者(指導者)視点で物事を見ていないか?今しかプレーできないんだから、逆にもっとプレーだけのことを考えてやったらいいのでは”と言っていたと聞いて。確かにその通りだったんですよ。そう言われたことがプレイヤーとして悔しかったこともありますし、その言葉がすごく響いたので、そこから自分はもう1度、トレーニングにしろバスケットにしろ、今年のテーマである“アグレッシブ”になれたと思います」 毎年、新チームのお披露目となる4月の日体大・筑波大定期戦にて口にした、「今年はアグレッシブなチームにしたい」というテーマ。それを体現することを、自分にもチームにも課し続けた。 それを貫いた結果―片峯の現役ラストゲームとなったインカレ2回戦・天理大戦で、勝負には敗れたものの、人目をはばからず号泣する下級生達の姿を目の当たりにした。4年間で初めて見た光景。後輩達がこの悔しさを今後に生かしてくれるなら、この1年も捨てたものではない―そんな手ごたえとともに、これまでの人生の半分を占めたプレイヤーとしての自分に、片峯は自ら幕を下ろした。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 【ソータ語録~(2)2009年シーズン】
「“なんで筑波ってこんなに一生懸命に頑張ってやっているんだろう”と観ている人に思わせたい」(4/29・日筑戦) 「40分間ずっと継続して出していけるものがカラー」(9/27・1部リーグ第2週) 「今日は、失敗してもいいから中途半端なプレーだけはしないと決めてやっていました」(12/3・インカレ2回戦) ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― (続く)
posted by summership |23:59 |
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うち、教員が多い家系なんです。“スポーツを一生懸命やるのも大事だけど、それだけの人になってほしくない”と昔から言われていたし、勉強しないと怒られました。それもあって、教員を務める父は僕が教員になることは「嬉しい」と言ってくれたんですが、「でも自分の息子が大濠の監督になるなんて、すごく楽しみでもあるけどやっぱり…ドキドキするよ」って言っていました(笑)。
「まず健司さん(吉田監督)が求めるガードになって、それで周平さんと一味違ったプレーをするのが自分の今後の課題だと思います」(
「“なんで筑波ってこんなに一生懸命に頑張ってやっているんだろう”と観ている人に思わせたい」(

