2006年12月09日

豊津高が育徳館高に名称変更

 県立豊津高校が来年4月から校名を「育徳館」に変更する。
 同校のルーツをさかのぼると江戸時代にまでさかのぼる。小倉藩の藩校だった「思永館」が幕末の長州藩とのいわゆる「小倉戦争」で小倉城とともに消失。その後、藩庁とともに移転した先が豊津の地だった。
 以後、「文武館」という名称を経て「育徳館」になっており、豊津中学校となったのが明治12年のこと。つまり同校は、小倉藩の藩校の流れを受け継ぐ名門校である(なお、小倉高校はこの豊津中学小倉分校が独立したもの)。
 豊津高校内には2003年に、県立では珍しい中高一貫校の育徳館中学校が設立されており、今回の校名変更もその流れに沿ったものだという。ちなみに豊津町は平成の大合併で「みやこ町」となっており、豊津の名も大字として残るだけとなった。

 校名変更のトレンドの一つして、「○○館」というのがある。福岡でも近年、福岡講倫館(旧西福岡)、門司大翔館(門司商と大里が統合)などがあり、熊本県では甲子園出場経験のある秀岳館(旧八代一)がある。確かに藩校らしい雰囲気はある。
 だが、藩校とはその藩に一つだからこそ価値があるものであり、「○○館」の頻出は、数年前に大学の名称変更で目についた「○○国際大学」を彷彿とさせて、逆に安易な感じがしないでもない。「育徳館」の場合、正真正銘の藩校だったわけだから、ケチのつけようはないのだけれども…。それでも長い間、地域で親しまれた地名(校名)がなくなるのは寂しい気がする。

 スポーツの話題について触れると、同校の運動部については全国レベルのものは特に思い浮かばない。が、15年ほど前、私の高校時代の野球部は、まずまず強かった。
 1年時の秋季大会で対戦したことがあるが、その直前の夏の大会で同校は県大会に進出しており、自信満々で試合に臨んでいた。さらに体の大きさにも圧倒された。0-7のコールドで負けたが、トドメとなったのがライトへの弾丸ホームランだった。うちのチームの投手も決してレベルが低かったわけではなかった(夏の大会では7回参考ながらノーヒット・ノーランを達成)が、低い弾道でスタンドに飛び込んだ打球を見つめながら、とても叶わないと思った。

posted by Asaki |23:37 | スポーツ以外 |
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