2007年03月13日

福岡県のセンバツ出場校を振り返る(3)~昭和58年

 この年は古豪・久留米商が復活。のちに巨人入りした山田武史を擁しての出場だった。初戦、山田は宇部商(山口)打線から13奪三振を奪う力投を見せ、打っても2安打1打点の活躍で、秋村謙宏(→広島)との投げ合いに自らのバットでけりをつけた。2回戦の駒大岩見沢(北海道)戦も6回まで両チーム無得点と、またしても投手戦となった(久留米商の試合はこういう展開が多い)。7回に久留米商が先制するが、結局逆転で敗れた。山田はこの日も3安打を放つなど、4番打者としても役割を果たしている。
 この時は特別に印象に残らなかった同校も、夏にはベスト4進出というすばらしい活躍を見せ、筆者を夢中にさせてくれた。

▽第55回全国選抜高校野球大会~昭和58(1983)年3月
 1回戦(第1日・第3試合)
         一二三四五六七八九 計H E
 久留米商 0 0 0 0 0 0 0 1 1  2 7 1
 宇 部 商   0 0 0 0 0 0 0 0 0  0 6 3
 【久】山田武 【宇】秋村

 2回戦(第5日・第3試合)
            一二三四五六七八九 計H E
 久留米商    0 0 0 0 0 0 1 0 0   1 8 2
 駒大岩見沢 0 0 0 0 0 0 1 2 x   3 9 0
 【久】山田武 【駒】大西

▽決勝:池田(徳島)3-0横浜商(神奈川)

(大会概況)
 この年、55回を記念して出場校は32校に増加した。最大の注目は池田の夏春連覇だった。ダークホースとして優勝した前年の夏と異なり、この大会で池田は優勝候補の大本命であった。昨夏の優勝時にベンチ入りした15人のうち水野と江上を双璧として6人が残り、新チーム結成以来、21勝3敗。破壊力ある「やまびこ打線」は健在だった。
 注目された初戦で、ファンの期待に応えるように打線は爆発、帝京(東京)を相手に11―0と完勝する好スタートを切った。2回戦も岐阜第一に10―1、準々決勝は大社(島根)に8―0。ヒットの数も14本、12本、17本と昨夏からの連続2ケタ安打試合を9に伸ばした。
 その快進撃に待ったをかけたのが新鋭・明徳である。
 初出場だった前年のセンバツで箕島と延長14回の激闘を演じた同校は、夏の甲子園こそ高知商に譲ったものの、2年連続で春のセンバツに出てきた。初戦で青森北に10―0、2回戦で上宮(大阪)に7―1、準々決勝では2試合連続完封をしていた香田勲男(巨人→近鉄)擁する佐世保工(長崎)に8―0で大勝。危なげなく勝ち進み、準決勝で池田を迎える。
 試合は8回表を終わって1―0で明徳がリード。だが8回裏に2点を取って逆転し、山本賢投手に5安打に抑えられながらも辛くも勝利を収めた。
 池田は、決勝戦でも横浜商(神奈川)を3―0で下し、夏春連覇を達成した。池田は猛打ばかりが注目されていたが、水野が5試合2失点と安定した投球を見せており、堅い守りも強さの秘訣だった。
 水野の投球フォームは華麗とは言えなかったが、ちぎっては投げる豪快さで打者を圧倒していた感がある。初戦の帝京戦では6安打完封。2回戦では5安打1失点。準々決勝では2安打完封。苦戦した準決勝の明徳戦でも先制されたものの4安打に抑えて逆転を呼び込んだ。そして決勝でも2安打完封。改めて記録を見返してみると、すごい成績だ。 

 当時、沖縄球界で台頭していた興南には左腕の仲田幸司(阪神→ロッテ)が前年夏に続いて出場した。取手二(茨城)の指揮をとっていたのは後に常総学院監督として春、夏とも優勝を果たした木内幸男監督。この時の石田文樹(大洋)は翌年夏で全国制覇を果たすことになる。
 愛知・享栄の藤王康晴(中日)が大会タイ記録となる8連続ヒットを達成。ベスト4に残った東海大一(静岡、現在は東海大工と統合されて東海大翔洋)は杉本尚彦、康徳という双子の投手リレーで話題を呼んた。決勝で池田に敗れはしたが、2年連続出場の横浜商・三浦将明(中日)も2回戦から3試合連続完封した好投手だった。

posted by Asaki |23:51 | 高校野球 |
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この記事に対するコメント一覧
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Re:福岡県のセンバツ出場校を振り返る(3)~昭和58年

うお!!むちゃくちゃなつかしいっす!!!
山田投手のお母さんが私の親父と会社で同僚だったそうで、そりゃもう大騒ぎだったのです。
夏のベスト4のときは、私の通う中学校と高校が隣だったこともあって、そりゃもう必死で応援しましたよ。準決勝での大敗は残念極まりなかったけど。
山田投手は本田技研熊本を経て巨人入りではなかったでしょうか?背番号22だったと思います。
最初は一軍での登板もあったと思いますが....
通用しなかったですね。残念でした。
今、どうしてらっしゃるんでしょう?近況が知りたいです。

posted by 俺たち猛禽族 | 2007-03-15 22:00

Re:福岡県のセンバツ出場校を振り返る(3)~昭和58年

俺たち猛禽族さん                                                         ありがとうございます。私は当時小5でしたが久留米商の4強進出に、友人と狂喜乱舞していたのを思い出します。おっしゃるように山田投手は本田技研熊本から巨人に入団し、最後はダイエーに移籍しましたが、故障がちということもあってプロ生活はわずか5年ほどで終えましたね…。昭和50年代後半から60年代前半にかけて、個人的には印象深い選手が多いです。

posted by Asaki | 2007-03-17 11:49

Re:福岡県のセンバツ出場校を振り返る(3)~昭和58年

検索してたどり着きました。
プロ入団後、ずーっとファンだったんですが。。。
来年福岡に試合を観に行こう!って言ってた年のオフにダイエーを辞められて、以後、今どうしてるのか、近況を知りたくて。。。

posted by あっちゃん | 2007-08-19 16:43