2008年05月22日

【考察】JリーグのICカード利用全試合対象観戦記録システム

浦和レッズとガンバ大阪戦での事件の陰で完全に注目を失っているように思えるが、5月20日にJリーグが発表したICカードを利用した全試合観戦記録システムの導入は、非常に画期的かつ今後のJリーグ運営において期待の持てるものではないかと思う。
上記J's GOALにそのメリットが記載されているが、単なるICチケット(つまりはチケットレス)ではなく、スポーツ事業におけるCRMの活用という観点から考察してみたいと思う。
(また長文ですみません・・・)

■CRMとしての未来■

IT業界や消費財メーカーに勤める方には周知の事実だが、簡単にCRM(Customer Relationship Management)について述べてみたい。
米国におけるインターネットのブレーク期である1995年を境に、企業と顧客の関係性が大きく変わった。
それまでのインターネットは企業のプロモーション、検索、ウェブサーフィンのインフラとしての用途が大きかったが、この年辺りを境に個人購買やビジネス取引(いわゆるB to CとかB to B)のインフラへと進化した。
これによって、企業と顧客は時間や場所を気にすることなく、お互いを知り尽くす場を得ることとなった。
そのために、企業は過去の価値基準を捨てて、より顧客に近いところへと活動場所を移していかなくてはならなくなった。
つまりは、企業と顧客の関係性が非常に近くなったといえる。
そこで必要とされたのが、顧客のクラスター(塊)化(階層化、グルーピング化)である。
企業側はそのクラスター化をベースに、顧客の期待値を調整し、その売上の最大化を目指すこととなった。
顧客の側からすれば、企業との距離が縮まったことで、新たな「顧客主義」を手に入れることとなったともいえる。

硬い話になってしまったが、今回のJリーグのチケットIC化は、ファンとリーグ、チームの距離を縮める良い機会となる。
各チームが適切に顧客を把握することで、ファンが享受できるメリットが多岐に渡る。
それと同様に、企業たるチームが得るメリットも非常に多い。

■ファンのメリット■

J's Goalのサイトにもあるように、今回の一件でファンは自分の情報を提供することが必要となる。
単純に考えても、
氏名・年齢・性別・住所・メールアドレス・過去の来場記録・年間チケット保有年数・家族の有無
などだろうか。
これらをファンがリーグ側・チーム側に提供することで、対価として手に入れられるものは多くなるだろう。
例えば
・自分専用にカスタマイズされた情報類(誕生日に選手からのメッセージ、自分専用のWebサイトなど)
・イベントの充実
・ポイントサービスを使った特別グッズの入手
などが上げられる(J's Goalにも同意のことが書いてあるが、念のため)
一言で言えば、
「チームが自分のデータを把握することで、自分専用の自分が好むサービスを受けられるようになるインフラが整う」
といえるだろう。

■チームのメリット■

ではデータの提供を受けるチーム側にはどんなメリットがあるのだろうか。
まずは試合毎の営業成績が簡単に把握できることとなる。
入場者数については、過去にチケットの半券を数えていたものが、デジタルに集計されるようになる。
またチケットをリーダーにかざすことで入場判断できるため、ゲートスタッフの数を減らしての費用圧縮も可能だし、減らさずとも本来必要なファンサービスに振り向けることも出来る。
費用に対するメリットの最大化と人員配置の適正化が可能になるだろう。
さらにはグッズの売上と購入者の年齢層の分析、データからの入場者予想による各種印刷物(マッチデイ・プログラム)やグッズの販売数量予測が可能になるため、余剰在庫の減少や残注文の管理も可能になるだろう。
経験と勘で行ってきた需要予測を、集計したデーターから統計利用することが可能になる上に、運営費用を適切化することが可能になる。
これらが延いてはチームが本来必要とする選手補強や育成費用に回すことも可能になるかもしれない。
顧客満足という観点では、性別と年齢によっての細かいイベント活動やカスタマイズした情報提供が可能になる。
顧客であるファンが喜び、「また来よう」と思ってもらえるようなイベント準備が可能になるのだ。
現在でもいくつものイベントが開催されているが、そのアイディアの幅もグンと広がるのではないだろうか。
また、これはデータ提供をしてもらえれば、の条件付であるが、相手となるアウェーチームのアウェー来場者数が分かれば、柔軟な座席割りも可能になる。
タイムリーなところにちょっと触れるのであれば、それによっての警備計画の変更や警察への依頼などの計画も立てられやすくなるだろう。
「楽しくて安全なスタジアム」の実行に向けた材料を手にすることとなる

■日本プロスポーツ業界での成功例■

主要スポーツリーグとして世界初となる試みではあるが、実はプロスポーツという観点では大きな成功例がある。
以前の「【考察】味の素スタジアム問題」においても少々触れた千葉ロッテマリーンズがそれである。
千葉ロッテマリーンズでは「ボールパーク構想」の旗の下、大掛かりなCRMシステムを全日空と提携して導入|www.ana.co.jp/pr/05-1012/pdf/05-ana-lotte051128.pdfした。
単一のプロスポーツチームがこれほど大きなシステムを導入することは日本では初めてのケースである。
このシステム導入における効果などは電通ワンダーマンのコラムに詳細があるのでここでは述べないが、顧客把握を行うことによって、千葉ロッテマリーンズが目指す「"もっと"エキサイティングな野球観戦はもちろんのこと、お友達やご家族と"もっと"素敵な一日を過ごしていただける空間」である「ボールパーク構想」の礎を築くこととなった。
つまりは、「ファンにどれだけスタジアムに足を運んでもらい、また来たい、もっとここにいたい」と満足してもらえるか、そして企業として「ファンにお金を落としてもらえるインセンティブを与えられるか」がこのCRM構想、つまりはファンクラブであるTEAM26を基に実現していくか、が鍵となっているのである。
CRMの項でも述べたが、CRM導入によってファンをクラスター化するという点においてもこのTEAM26は良く出来ている。
2008年TEAM26の概要を参照頂ければ分かるが、コアなファン、ライトなファンをクラスター化することで、それぞれのファン層にもステージに応じた満足感を与えるようになっている。
チームが活動していく中で、同じファンであっても「古参」「新参」という論争はたびたび巻き起こる。
そういった無為な論争は、(チームが把握できる範囲での)古くからのファンが「満足のいくサービスや差別化を受けていない」という不満からくることが原因の一つでもあるであろう。
また、年間チケットともなると、高い料金の席種と安価な料金の席種のファンで扱いが一緒であることに不満を抱くファンもいるだろう。
そのギャップをギャップとしてクラスター化し、差別化することで、ファンに選択をさせ、選択に応じたサービス提供で満足度向上・ロイヤリティの向上を図っている。
簡単に見ても、こういった千葉ロッテの取り組みは、日本におけるスポーツマーケティングの分野においても大きな成功例であると言える。

蛇足だが、このCRMプロジェクトの中心になったのは千葉ロッテマリーンズの荒木重雄事業部長である。
私自身もこのプロジェクトの一端に関わらせて頂いた関係で、何度かお会いしたことがある。
外資系IT企業の日本法人社長でありながらも、東大スポーツマネジメントスクールに通い、そこでビジネス手腕を買われて千葉ロッテにヘッドハンティングされたという移植の経歴の持ち主だ。
経歴だけを見るといかにもビジネスマンであるが、荒木氏が大きく違うのは「本当に野球が好き」ということである。
お会いした中での話しでも、端々から野球への情熱が迸っていた。
ファンとして自分が望むプロ野球球団のサービス、それを実現するために「チーム荒木」と呼ばれる各界のスペシャリストをスカウトし、このプロジェクトを実現させた。
最近こそ少なくなったが、荒木氏が千葉ロッテに"加入"した直後に日本一になっただけに、各種講演会に引っ張りだこで多忙を極めていた。
もしもスポーツマーケティングに興味のある方は、講演会などの機会を見つけた際には是非参加して頂きたい。
私にとっては大きな影響を与えてくださった方だ。
※千葉県在住、マリンスタジアムに野球を観に行く、プロジェクトに関わった、にも関わらず、私はTEAM26には加入してません・・・。ごめんなさい。

■JリーグでのCRMの課題■

千葉ロッテにおけるCRM導入の話をしたが、このシステム導入においては4億円という費用がかかっている。
サッカーファンである私は、プロジェクトの進行と共に、このシステムが果たしてJリーグで導入可能か否かを妄想し続けていた。
当時(2005年)にはJリーグ各チームの経営状況の開示はされていなかったので、それこそ取らぬ狸の皮算用だったが、年間72試合で2,0000人を動員するプロ野球と、17試合前後で一試合平均で20,000人のJリーグでは、客単価を同一としても、実に4倍の\収入差が生じることとなる。
プロ野球における親会社からの損失補填を勘案しなくても、同一のシステムをJリーグのチームが導入することはかなりの無理があることは想像に難くない。
ちなみにJリーグ一の収入を誇る浦和レッズでも、営業収入は70億円・当期純利益1億5,600万・繰越利益3億2,200万(Jリーグ発表2007年度データ|www.j-league.or.jp/aboutj/jclub/2006-7/pdf/club2007.pdf参照)である。
システム的に同一の物を導入し、5年間で償却したとしても、年間8,000万の費用計上となる。
利益の半分以上をシステム費用が占める、というのはあまりにも非現実的である。
(だったら良い選手を獲得しろ、選手の年俸を上げろ!と思うだろう)
前置きが長くなったが、ここで気になるのは、J's Goalサイトの発表にあるとおりの「ポイント制度および特典の内容はクラブにより異なります。」(抜粋)という言葉である。
つまりは、このシステムを使った各チームのCRMは自由であるが、ある程度のインフラ整備は各チームでの費用負担となる可能性が高い。
となると、先述した「チームのメリット」を享受しようとすると、その分の対価を支払わなくてはならなくなる。
ソフトウェアの開発などを考えると、費用が簡単に1億・2億になってしまうことだって考えられる。
先の経営状況を踏まえて、5年償却したとしても利益圧迫は避けられない。
この費用問題が各チームが頭を抱える最初の問題となるだろう。

次なる課題はスタジアムでの指定管理者問題だろう。
費用問題をクリアした千葉ロッテが苦労したのがこの点である。
せっかくのシステムも、各グッズショップや飲食店でポイントの付加をする仕組みがなければ宝の持ち腐れである。
それを実現するためには、各ショップに必要となる物品(端末やネットワーク)を配するための工事をしなくてはならない。
が、スタジアムの管理者が自分自身でないために、こういった工事一つも持ち主である「地方自治体=お役所」にお伺いを立てなくてはならない。
それではシーズン開幕に間に合わず、ファンの期待を裏切ってしまう。
Jリーグのいくつかのチームは既に指定管理者となっているため、この手の問題はないが、そうではないチーム(我がFC東京だってそうだ!)は費用面の後にも高いハードルが待ち構えている。

他にも、収集されたデータの個人情報保護の問題、そして使う側(リーグ・チーム)が収集したデータをきちんと使いこなせるのか(実はこの点が一番重要に思う)などなど、課題は多い。

■Win-Win-Winの関係を■

理想を語ればきりがないが、それとトレードオフとなる課題も多い。
が、Jリーグ・各チームにお願いをしたいのは、我々ファンが単に「情報を提供する側」にだけならないようにして欲しいことだ。
ICカード化により、ファンは半強制的に個人情報の提供をさせられることとなる。
そこに対するインセンティブがなければ、「なんで俺/私達の情報ばかり吸い上げるんだ」という気持ちになるだろう。
そういった無為なファン感情の逆撫でを避けるためにも、リーグ・チーム・ファンの三者が幸せになる関係を実現するシステム基盤として欲しい。

このシステムの成否が判断されるのは、ある程度データが集積し、サービスが充実するであろう3~5年後辺りだろう。
成功となるためにも、我々ファン側もこのシステムへの理解と協力が必要となるし、チームにはそれを助長するための努力が必要となる。
この関係が鼎立して初めて、このシステムが「世界初の成功事例」となる。

posted by stanger |00:40 | 考察 | コメント(3) | トラックバック(0)
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【考察】JリーグのICカード利用全試合対象観戦記録システム

非常に興味深い話ですね。面白かったです。

おそらく、導入できる準備が整えばすぐにでも導入できるんじゃないでしょうか。他競技とはいえ前例もありますし、説明をしっかりすればファンも肯定的に受け取ると思います。ただ、資金負担は重そうですね。設備投資に自治体が期待できないのは悲しいところです。資金回収に直結するならまだしも、むしろ長期的に影響するようですし。財政に直撃しても何とかなる人気クラブが積極的に試していくのが良いと思います。

posted by SKII | 2008-05-22 22:56

【考察】JリーグのICカード利用全試合対象観戦記録システム

大変参考になりました。ありがとうございます。

確かに設備費用がどうなるのかが気になります。全チームが一斉に導入するということですが、チームによって財政事情が大きく違うのに大丈夫なのでしょうか?Jリーグから補助金のようなものは出ないのでしょうか?

私の第一印象としての感想は「コアなファン層からお金を絞り取るために利用するのではなく、コアなファン層を増やすために利用してほしい。」ということですかね。素人考えで申し訳ないです。

posted by 多摩っ子 | 2008-05-23 21:34

コメントありがとうございました

>SKIIさま

コメントありがとうございます。
同様のシステムは既にマリノスで導入していると聞きます。
どの程度の効果があるのかは分かりませんが、ホームページを見る限り多様なファンサービスが行われているようです。
これからの各球団の対応を見ていきたいですね。

>多摩っこさま
いつもありがとうございます。

>コアなファン層からお金を絞り取るために利用するのではなく、コアなファン層を増やすために利用してほしい。

その通りだと思います。
このシステム運営が基でチケット代高騰では元も子もないですから。
ただ、ファンサービスが充実してくれば、家族でスタジアムに来る機会が増えたりして、未来のコア層を増やすことに大きく役立つかもしれません。

【以下付け足し】
費用負担についてのつけたしですが、聞くところによると、千葉ロッテは既にシステムをパ・リーグ機構に譲渡したそうです。
いくつかの球団でシステムをシェアすることで、1球団当たりの負担を減らすことにしたようです。
Jリーグでも同様にいくつかのチームでシステムをシェアすることで、有効な投資活動が出来るかもしれません。
特にFC東京と東京ヴェルディは同じ味の素スタジアムをホームとしているので、サービス提供のインフラは、歩み寄って共同出資するのが得策ではないかと思います。

posted by stanger@管理人 | 2008-05-25 23:05

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