2010年01月03日
4年前、あと一歩だった。
経験と実績の観点から押し出された格好での落選だった。
それから4年間、積み上げてきた。
地位を守り続けてきた。
日本の3番手に甘んじるだけでなく、
常に自分を高める戦いをしてきた。
同時に、ほかの誰かにポジションを明け渡すこともなかった。
世界と戦える経験と自信も得た。
現状を打破するための向上心、
日本の3番手を譲らず世界と戦い続けた誇りは
確かにあったのではないだろうか。
バンクーバーへの出場枠は3。
浅田、安藤、中野が既定路線ではなかったか。
しかし、五輪には中野ではなく鈴木明子が出場する。
今シーズンの中野は少しずつ、一歩ずつ及ばない結果だった。
一方で鈴木は遅咲きながらも苦しみを乗り越えて、開花のシーズンであった。
4年前とは違い、今シーズンの勢いと結果の観点から押し出された格好で、
中野はまたも五輪の出場権を逃した。
もちろん誰かを責めるという問題ではない。
ただ、中野友加里の悔しさは想像を絶する。
悔しさという言葉が安っぽく思えるほどに、エネルギーは大きいだろう。
どれほどの歯がゆさ、爆発させたい気持ちがあるだろうか。
こみ上げるエネルギーは中野を大きくさせるだろうか。
オリンピックは、中野に何を与えるだろうか。
考えずにはいられなかった。
posted by sportstamasii |22:47 |
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2010年01月03日
滑り終えて、浅田真央は安堵の表情を浮かべた。
誰をも味方にしてきたいつもの笑顔ではなく、重圧に打ち勝った、安堵の笑顔だった。
見るものすべてが胸をなでおろした。
私たち一人一人が吐き出した、「ふーっ」という安堵のため息。
わたしたちが吐き出さなければ耐えられなかった胸に詰まっていたものすべてが、
浅田真央の小さな背中にのしかかっていた。
今やフィギュアスケートとメディアは幸福とも不幸ともとれる関係を形成している。
「魅せる」種目であり、テレビ映えする競技である。なおかつ、キャラクターが際立つ。
トリプルアクセル、4回転など、明快なキーポイントもある。
注目度は高く、当然メディアも集中する。
競技の発展のために注目度と人気は不可欠だが、
過度の煽りと視聴者への焚きつけは選手本人への重圧となりパフォーマンスへ影響を及ぼしかねない。
トリノ五輪での安藤美姫は過度の煽りと重圧に飲み込まれてしまった例といえる。
浅田もか。
そう思わせるほどに演技前の彼女の表情はこわばっていた。
しかし、乗り越えた。
「自分を信じて」
「思いっきり」
試合後、彼女は何度もこの言葉を使った。
最後は自分との対話に行き着くしかないということなのだろうか。
自分の周りで、自分が知らない間に進むさまざまな思惑を遮断して、自分を信じる。
これが強さ。そぎ落とした、シンプルな強さ。
「天真爛漫」を画に描いた様な少女。そのキャラクターはみる者すべてを味方につける。
いつしか大人へと近づく少女の苦悩や葛藤が見え隠れするようになった。
苦しみを乗り越えた強さ。
余計なものはそぎ落とした、純粋な強さ。
五輪では、かつてのような、そしてかつてよりも深みを増した、
純粋な笑顔に出会えるだろうか。
posted by sportstamasii |22:41 |
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2009年01月27日
二戦目にしてW杯優勝を飾った上村愛子。
昨季女王になったことでアスリートとして
一回り強くなった印象を持ちます。
長年メディアと戦ってきた彼女は
王者になっても浮き足立つことなく
自分と向き合いながらメンタルをコントロール
できているのかもしれません。
今の上村愛子こそ
アイドルアスリートから真のアスリートへの脱却を
高次元で見せてくれた第一人者ではないでしょうか。
「アイドルアスリート」は多くの場合
本人が望んでなるものではありません。
(少なくとも長野五輪の時点ではそうでした。)
従って、本来ならば必要のない葛藤と重圧を本人に与えることになります。
背負ってしまった宿命を自身の成長に転化できるか。
大きな分岐点で彼女は勝利したように思えます。
今年はバンクーバーのプレシーズン。
「長野以降」の日本ウィンタースポーツ界の
「完全な終わりと本当の始まり」がバンクーバーには
あるような気がします。
もはやレジェンドである
清水(スケート)、葛西(ジャンプ)、岡部(ジャンプ)。
岡崎(スケート)、里谷(モーグル)、村主(フィギュア)。
彼、彼女達がバンクーバーに立てるかは定かではありません。
しかし彼らの戦いが今尚冬季スポーツ界を
牽引していることに替わりはないでしょう。
加藤、長島(スケート)、
浅田、安藤、高橋(フィギュア)、
伊東、栃本(ジャンプ)
・・・etc。
「俺達の大会」を狙う選手達には今季からの
強い結果を見せて欲しい。
そして、
「長野以降とこれから」をキャリアの絶頂で迎える上村。
長野を知りながら今まさに世界のトップレベルで戦えるのは
上村ぐらいのもの。
これまでとは違った重圧の中で迎える五輪になると思います。
声援を送る私達からは一つの象徴として、
しかしプレーヤーとしては純粋な競技者として、
彼女の滑りを五輪で見たい。
その姿を思い浮かべる、
今シーズン。
胸を躍らせましょう。
posted by sportstamasii |22:01 |
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2008年12月30日
もはや毎年恒例となった
GPシリーズ~GPファイナル~全日本選手権(~世界選手権)
という一連のフィギュアスケート狂想曲。
メディアを筆頭に
「狂想曲」スレスレの盛り上がり見せるようになったのは
2,3年前からでしょうか。
今年も視聴率40%を記録するほどの
注目の視線。
フィギュアスケートは
競技でありながら「魅せる」ことに重きを置くスポーツ。
競技性があるから勝敗、順位がつく。
「ジャンプ」という成功/失敗がはっきり見える見せ場もある。
競技としての緊張感と演技としての美しさが共存する
稀有なスポーツだと思います。
広いリンクが選手一人(または二人)のステージとなる。
音楽が鳴り響く。
メディアとしても伝える上で映える舞台。
物語を求めるメディアにとって、
国民的主役、浅田真央のキャラクターと実力は
展開に軸を与えてくれます。
ライバルであるキムヨナ。
近年は悲壮感すら漂う元世界女王であり4回転挑戦者、安藤美姫。
個性と意地を見せる、中野友加里。
別次元での勝負師、村主章枝。
ここに挙げきれないほどに役者は多い。
男子もここへきて役者が揃ってきている。
メディアと選手と競技そのものがうまく合致し、
毎冬人々を強く惹き付ける、
「強いスポーツ」に成長したと思います。
次に恐れるべきは、
今のバランスを越えて、
過度の注目や競技と無関係の介入が
重圧となり選手に悪影響を及ぼすこと。
この傾向は今既にないとはいえないでしょう。
ここまでフィギュアが認知され、
ウィンタースポーツとして確固たる地位を築いた今、
メディアと競技はバランスをとるべきです。
バンクーバーへ向けて
浅田真央と高橋大輔への過度の期待、
金メダルを絶対視するような声が
両選手を苦しめる姿が容易に想像できます。
すでにトリノ時、
安藤美姫は「被害者」でした。
近年は当時よりも競技としてのフィギュアの認知度と人気が上がり、
定着したと信じたい。
だからこそ、もう「被害者」を生むことなく
純粋に競技の魅力に触れたい。
そう願います。
posted by sportstamasii |11:28 |
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2008年03月23日
「これでようやく世界の1番を競う場に自分が立つことができたという心境です。」
今シーズンモーグル女王となった
上村愛子の
帰国後の会見でのコメントです。
とてもいい言葉で、意味のある言葉。
今シーズンの頂点に立って、
やっと「世界の一番を競う場に立てた」という表現。
謙虚さだけではない、
本心ではないでしょうか。
これまでももちろん世界のトップレベルでは戦ってきた。
しかし「トップレベル」と「世界の頂点」には一つ壁があって、
その壁にこれまで苦しんできたのでしょう。
しかもその壁は見えにくくて、
「いけるんじゃないか」という期待を自分も、周りももってしまう。
特に周囲は、メディアは、壁の存在などないかのように
煽ります。
「金メダル有力候補」
として。
しかし結果は4位、5位あたり。
「本当の自分の位置」と「一番を競う場」のギャップを
本人が誰よりも痛感してきたはずなのです。
そのギャップを今年やっと埋めることができた。
その実感があったからこそ生まれた、
冒頭の言葉だったのでしょう。
昨日の世界フィギュア男子。
高橋大輔はまさにこのギャップに苦しんだのではないでしょうか。
高橋選手は間違いなくここ2シーズンで
世界のトップレベルに立ちました。
それにより報道は「金メダル」を声高に求めました。
しかし結果は4位。
技術的なこととはまた違う
見えない「壁」がそこにはあったのかもしれません。
しかしこの世界選手権が「一番を競う場」に
彼を引き上げるキッカケになれば、
高橋選手のギャップもまた埋まるのではないでしょうか。
上村愛子と
高橋大輔。
種目は違えど世界の頂点を目指す
二人の言葉と姿が自然とリンクしてしまいました。
posted by sportstamasii |12:21 |
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2008年03月01日
上村愛子。
ワールドカップ猪苗代大会で優勝、復活の
ニュースが飛び交いました。
10年前、長野五輪のアイドルとなった彼女。
彼女のアイドル的愛らしさと
里谷多英の金メダルが
モーグルを国内ウィンタースポーツの中で
メジャーに押し上げた理由であることは言うまでもありません。
長野五輪で高校生だった上村選手。
「アイドルアスリート」という見方がまだない時代、
今思えば、彼女はその先駆けとしてメディアに扱われてしまいました。
彼女もまた、
安藤美姫と同じように
人間的弱さ、優しさが垣間見えるタイプの選手でした。
そしてその優しさと笑顔が人をひきつける魅力となっていた。
アイドル的取り上げられ方にとまどい、
それでも懸命に応えようとする姿が印象的でした。
笑顔と涙がそれを物語っています。
そしていつしか
「結果を出さねばならない」という
必要以上の重圧が本人を押しつぶしているようにも見えました。
トリノでの「絶対にメダルを取る」という
言葉に象徴されているように。
10年。
これだけの長い期間メディアに見つめられてきた
選手もなかなかいません。
その中で、彼女は少しずつ、
強く、たくましくなっていったように見えます。
大人になり、
メディアとの距離感もつかみ、
競技者としての自分を見つめ、
自己を高めていく。
何よりも「昔から」私たちが見てきた
愛らしさはそのままに
精神的に強くなった姿は非常に稀有な存在
といえるのではないでしょうか。
今の上村愛子にはどこか安心感がある。
そう思えます。
純粋に競技に取り組む姿が人を惹き付ける。
それこそが選手とメディアと私達のあるべき関係です。
バンクーバーにむけて、
上村愛子は理想的な姿にたどり着くつくのかもしれません。
「アイドルアスリート」ブームともいえる今という時代。
10年後、彼、彼女たちが
「歪まずに、強くなる」
という成長曲線を描いていることを、
期待します。
上村愛子のように。
posted by sportstamasii |13:24 |
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2008年02月18日
安藤美姫選手についてのコラムです。↓
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/winter/skate/figure/column/200802/at00016393.html
非常に共感できるコラムでした。
安藤美姫は
今の「アイドルアスリート」の流れの先駆者といえます。
そしてそれは本人の意図せぬものであったでしょう。
本人の意図ではないことが
報道を見ていて痛いほどに伝わってきました。
彼女は、
浅尾美和のように
メディアとWINWINの関係を
築くタイプでもなく、
築く必要もない選手です。
宮里藍のように
強靭な精神で
適切な距離をとることも難しい。
いい意味で優しさという弱さをもっています。
長野以降の上村愛子と近いものだったかもしれません。
視聴者をひきつけてしまう優しさ。
そしてそれはメディアに踏む込みをゆるす優しい弱さでもありました。
スケートと関係のない伝え方、
高まる人気。
押し寄せる重圧、
零れ落ちる涙。
「世界との距離と期待の乖離」
は誰よりも本人を苦しめたと思います。
そしてこの流れのきっかけとなり、
メディアが彼女を競って取り上げた理由の一つが、
「4回転」。
この文字通りの飛び道具は
あまりにも分かりやすい
「必殺技」となり「代名詞」
になってしまった。
単に「アイドル的な扱い」への苦しみだけではなく、
「4回転を飛ぶ」重圧とも闘ってきたことになります。
その彼女が昨年の世界選手権から、
今回の4大陸にいたる過程で、
非常に頼もしく見えました。
記事にもありましたが、
もしここへきて、彼女が
「葛藤」の一つ上のステージに到達したのなら。
彼女の「これから」こそが、
私たちが彼女を信じて声援を送るべき姿なのだと思います。
安藤選手が望む姿と、
私たちが望む安藤選手が近づく。
そんな日がやっと来たのかもしれません。
彼女のスケーティングと、
彼女の言葉を、
気持ちよく、安心して見聞きできる、
安藤美姫の「一つ上」を見た気がしました。
posted by sportstamasii |22:01 |
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2008年01月21日
日曜のテレビ東京。
夕方4時。
スキージャンプの中継。
毎年この季節、
東京でも1度、2度ジャンプの大会の中継がありますね。
最近では日本テレビ系かテレビ東京系で多い印象です。
今回の中継は
眞鍋かをりの起用で分かりやすさ重視の雰囲気。
日本ジャンプ陣が世界的にあまりにも厳しい今。
それでも放送が続くのは需要があるからなのでしょうか。
もう一つ。
あらためて考えて見て、
スキージャンプはテレビ栄えする競技なのかもしれません。
人が飛ぶ姿。
結果が目に見えるスポーツ。
一人当たり競技時間が短い(編集しやすい)
そして競技姿が美しい。
「画面で見たすごさ」
という意味ではスピードスケートよりも
優先される理由もなんとなく分かる気がします。
ただ、
「視聴率」
「ひき付ける」
という意味でフィギュアスケートに軍配が上がるのは
無理のないところでしょうか。
世界との距離が遠すぎると
離れていってしまうのが
日本の五輪種目とメディアの関係。
テレビがジャンプの姿を映し出している間に、
再び日本が世界と台頭に戦える
姿を見たい。
「飛ぶ美しさ」を越え、
「遠くへ飛ぶ感動」を、
再び。
posted by sportstamasii |22:28 |
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